ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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いつもより長いです。


第29話 論理の檻と狂った前提

 夏夜の豪華客船のデッキ――。

 昼間のジリジリとした暑さは影を潜め、心地よい夜風が肌を撫でていく。

 見上げれば、満天の星が漆黒の夜空を埋め尽くし、まるで手が届きそうなほど近くに輝いており、下を流れる漆黒の海原は、客船の放つ華やかな灯りを浴びて、まるで夜空を映し出す巨大な鏡のように怪しくも美しくうねっていた。

 俺は手すりから少し身を乗り出すようにして、遠くの水平線を眺めていた。

 

「――あんたここにいたのね」

 

 背後からかけられた声に、俺はゆっくりと振り返った。

 そこには、伊吹が不機嫌そうに腕を組んで佇んでいた。そしてその傍らには、大地とアルベルトの姿もあった。

 

「龍園のやつはまだ来てないの?」

 

 伊吹の視線は俺を通り抜け、人気のないデッキの奥へと向けられている。

 

「まだ来てないようだ。その内来るだろう」

 

 俺がそう答えると、伊吹はフンと鼻を鳴らして、これ以上ないほど露骨に嫌そうな顔を浮かべた。

 

「ったく、人を呼び出しておいて遅刻とか、本当にあいつの傲慢さにはヘドが出るわ。……アルベルト。あんたからも何か言ってやりなさいよ」

「…………」

 

 話を振られたアルベルトは、サングラスの奥の瞳を動かすことなく、ただ静かに首を横に振った。言葉はなくとも、「龍園にそれを言っても無駄だ」という諦めと、彼に対する絶対的な従順さが窺える。

 

「お前ら、ずいぶんと賑やかに俺の陰口を叩いてくれるじゃねえか」

 

 静寂を破るように、低く、愉悦を孕んだ声がデッキに響いた。

声のした方へ視線を向けると、影の中からゆっくりと姿を現したのは、口元に不敵な笑みを浮かべた龍園翔だった。

 

「チッ、噂をすれば……遅いのよ、龍園」

 

 伊吹が舌打ちを隠そうともせず、鋭い視線を突きつける。しかし龍園はそれを気にする風でもなく、悠然とした足取りで俺たちの元へと歩み寄ってきた。

 

「クク、待たせるのが強者の特権ってやつだろ? それに、夜風を浴びながらそこの柊と仲良くお喋りでもしてりゃあ、退屈もしなかったはずだ」

 

 龍園は俺のすぐ隣まで来ると、手すりに背を預け、ポケットに手を突っ込んだ。その視線は伊吹たちではなく、まっすぐに俺へと向けられている。

 

「生憎だが、伊吹は俺の顔を見るなり不機嫌さを隠そうともしなかったぞ。お前を待つ間の退屈しのぎには遠く及ばないな」

 

 俺が淡々と返すと、龍園は低く喉を鳴らして笑った。

 

「クク、そいつは傑作だ。相変わらず愛想のねえ女だな、伊吹」

「うるさいわね。あんたたち二人まとめて海に叩き落としてやろうか?」

 

 伊吹が本気で拳を握りしめるが、龍園はそれを一蹴するように手をひらひらと振った。

 伊吹からの評価が龍園とほぼ同じであるというのは、俺としては少々心外だが、ここで反論したところで火に油を注ぐだけだろう。大人しく黙っているのが賢明だ。

 特別試験が終了し現在時刻は午後11時手前、あと数分もしないうちに生徒に向けて一斉に結果発表に関するメールが送られて来るはずだ。

 

「美輝、そろそろこいつら教えてやれ。お前がこの試験で何を仕掛けたのかをよ」

 

 龍園の目が、細められた。

 愉悦の混じったその瞳の奥には、獲物を観察するような鋭い光が宿っている。

 大地に視線を向ければ、俺がこの試験で何を考え、何を企んでいたのか、その全貌を早く知りたがっているのが、固唾を呑むようなその佇まいから伝わってきた。

 特別試験の全貌、そして裏で行われていた張り巡らされた網。

 龍園には予め、ある程度話しておいていたが、それでも答え合わせを要求してくるあたり確信を得たいのと同時に、単純にこの状況を楽しんでいるのだろう。

 

「焦るなよ、龍園。結果のメールが届くまで、あと2分もある」

 

 俺はポケットから携帯を取り出し、画面に表示されたデジタル時計に目を落とした。時刻は午後10時58分。

 

「2分だと? クク、お前にしちゃあ随分と勿体ぶるじゃねえか、柊。それとも、結果が出るまでは自分の勝利を確信できねえってか?」

「勝率の低いギャンブルはしない主義だ。ただ、文字情報として突きつけられた方が、お前たちも納得しやすいだろうと思ってな」

 

 フン、と隣で伊吹が鼻を鳴らす。

 

「相変わらず変なやつね。あんたがどれだけ偉そうに語ったところで、もし結果が伴ってなかったら、その時は笑いものだからね」

「その時は甘んじてお前の嘲笑を受け入れよう」

 

 淡々と返す俺の態度に、伊吹はつまらなそうに顔を背けた。

 一方で、アルベルトは微動だにせず、ただ静かに俺たちの会話に耳を傾けている。その巨体から放たれる威圧感は相変わらずだ。

 ジリジリとした静寂がデッキを包み込む。

 

「あ、柊くん。ここにいたんだね」

 

 その穏やかな声の主は、大地の少し後ろ、船室へと続く扉の影から姿を現した。

 息を少し切らせているのは、広い船内を俺たちを探して歩き回っていたからだろう。

 その人物は一之瀬であり、そのすぐ後ろから網倉麻子がどこか硬い表情を浮かべながら俺に手を振り、神崎隆二はポケットに手を突っ込んだまま、鋭い視線を俺と龍園に交互に投げかけている。

 

「おいおい、一之瀬ぇ。お前らBクラスがわざわざ俺たちに首を突っ込んでくるなんて、珍しいこともあるもんだな?」

 

 龍園が手すりから背を離し、低く笑いながら面白そうに目を細める。

 

「首を突っ込むだなんて、そんな大げさなことじゃないよ。ただ……試験が終わる前に、どうしても柊くんに聞いておきたいことがあってね」

 

 一之瀬は柔らかい笑みを崩さないが、その瞳にはいつになく真剣な光が宿っていた。

 無人島試験での敗北、そして今回の優待者を巡る心理戦。彼女の中で、俺という存在の不気味さが膨らみ続けているのだろう。

 

「一之瀬、こいつらに深く関わるなと言ったはずだ。特に龍園と……そこの柊は、何を考えているか分からん」

 

 神崎が前に一歩踏み出し、一之瀬を庇うように俺たちを睨みつける。その警戒心は正しい。Cクラスのトップである龍園と、その裏で糸を引く俺が揃っているのだ。まともな話し合いが行われる場所でないことくらい、彼ほど理知的な男なら察して当然だ。

 

「いいじゃん神崎くん。もう試験は終わったんだし、結果を待つ間くらい、ちょっとお喋りしたって減るもんじゃないよ」

 

 網倉が場の緊張を和らげるように軽い口調で言うが、その視線はどこか泳いでいる。彼女もまた、この不穏な空気感に呑まれかけているようだった。

 

「クク、Bクラスの優等生様たちが、わざわざ敗戦の弁を述べにきたわけじゃねえだろ? 一之瀬、お前、この試験の結末がどうなるか、薄々気づいてるんじゃねえのか?」

 

 龍園の挑発的な言葉に、一之瀬は一瞬だけ表情を曇らせた。

 

「……気づいている、と言ったら嘘になるかもしれない。でも、何かがおかしいの」

 

 一之瀬の視線が、俺の背後に佇む巨漢へと向けられる。

 流石に鋭いな、と内心で感心する。彼女は単なる善人ではない。観察力と直感においては、学年でもトップクラスのものを持っている。

 

「その答え合わせなら、今すぐ始まるさ」

 

 俺がそう呟いた瞬間――。

 デッキに集まった全員のポケットから、電子音が重なって響いた。

 伊吹が、大地が、そして一之瀬たちが一斉に自分の携帯端末を取り出す。

 画面の時計は、ちょうど午後11時00分を指していた。

 

「……来たわね」

 

 伊吹が息を呑み、画面をタップする。

 俺も画面をタップしそこに映し出されたのは、学校側から送られてきた結果だった。

 

 子(鼠)――裏切り者の正解により結果3とする

 丑(牛)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 寅(虎)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 卯(兎)――裏切り者の回答ミスにより結果4とする

 辰(竜)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 巳(蛇)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 午(馬)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 未(羊)――裏切り者の回答ミスにより結果4とする

 申(猿)――裏切り者の正解により結果3とする

 酉(鳥)――裏切り者の正解により結果3とする

 戌(犬)――試験終了後グループの全員の正解により結果1とする

 亥(猪)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 以上の結果から本試験におけるクラス及びプライベートポイントの増減は以下とする。

 

 Aクラス……マイナス250 cl プラス1050万 pr

 Bクラス……マイナス50 cl  プラス1100万 pr

 Cクラス……プラス200 cl  プラス1300万 pr

 Dクラス……プラス100 cl  プラス1150万 pr

 

 メールの画面を見つめたまま、デッキにいた者たちの動きがピタリと止まった。夜の海から吹き付ける風が、結果を突きつけられた者たちの髪を激しく揺らす。

 静寂。豪華客船のエンジンが刻む重低音だけが、やけに大きく耳に届いていた。

 

「な、何だよこれ……っ!?」

 

 静寂を最初に破ったのは、大地の驚愕の叫びだった。画面を凝視する彼の目はひっくり返りそうなほど見開かれている。

 

「Cクラスが、プラス200……!? 逆にAクラスが250も落ちてやがる……! おい、これってどういうことだ!?」

「結果4が二つに、結果3が四つ……? ちょっと待ちなさいよ、これって……」

 

 伊吹の顔から余裕が消え、端末を持つ手が微かに震えていた。彼女が驚くのも無理はない。結果4は「優待者以外のクラスの者が、間違った正体を早期に回答した」ケース。つまり、敵クラスを罠に嵌めて自滅させたことを意味する。

 

「……柊くん、私たちのグループの優待者はアルベルトくんだったよね?」

 

 網倉は携帯端末の画面からゆっくりと顔を上げ、困惑が入り混じった瞳で俺を見た。

 網倉の言葉に、神崎と一之瀬の視線もまた、吸い寄せられるように俺へと向けられた。

 未グループの試験中、戸塚たちAクラスによる執拗なまでの検証。アルベルトの端末を用いた発信テスト、メールのヘッダ情報の目視。その検証に付き合わされ、最終的に「アルベルトこそが優待者である」と確信して解答したはずの網倉にしてみれば、この結果4(回答ミス)という文字は、世界の前提がひっくり返ったかのような衝撃だろう。

 

「いや、違うな。未グループの優待者は俺だ」

 

 俺が淡々と言い放ったその言葉は、夜のデッキにひときわ冷たく響いた。

 

「え……?」

 

 網倉が呆然と声を漏らし、神崎の眉が跳ね上がる。一之瀬だけは、まるで恐れていたパズルの最後のピースが嵌まったかのように、小さく息を呑んだ。

 

「ククク……ハハハハハ! 傑作だ、見事なまでに綺麗に堕ちやがったなぁ、Aクラスのプライドの高い連中はよォ!」

 

 龍園の地を這うような笑い声が、夜の海風に溶けていく。彼は極上のエンターテインメントを見たかのように肩を揺らし、俺の肩をポンと叩いた。

 

「おい柊。お前が戸塚たちにどんな毒を盛ったのか、そろそろタネ明かしと行こうじゃねえか。一之瀬たちも、それが知りたくてわざわざここまで尻尾を振ってやってきたんだろ?」

「尻尾なんて振ってないよ……。でも、確かに気になるな。柊くんが何をしていたのか」

 

 一之瀬は一歩前に出ると、どこか哀願するような、それでいて真実を拒めない諦念の混じった瞳で俺を見つめてきた。

 隣では神崎が、まるで得体の知れない怪物を睨むかのような視線を俺に固定している。

 

「別に大した仕掛けじゃない」

 

 俺は手すりから体を離し、一之瀬たち、そして未だに事態が飲み込めていない大地と伊吹に向き直った。

 

「大した仕掛けじゃない……? 冗談言わないでよ。Aクラスのあの疑い深い連中が誤解答を踏むなんて、生半可な罠でできるわけないじゃない!」

 

 伊吹が苛立ちを隠せない様子で噛みつく。その隣で、網倉もまた必死に記憶を呼び起こすように頭を振っていた。

 

「そうだよ、柊くん。だって最終日の最初の話し合いで、Aクラスの戸塚くんたちは全員に画面の共有を求めてきた。あの時、アルベルトくんの画面には確かに優待者の通知メールが表示されていたよね。それに……戸塚くんがその場でアルベルトくんの携帯に電話をかけて、目の前で着信したんだよ」

 

 網倉の言葉は、その場にいた全員の疑問を代弁していた。

 メールの改竄などが禁止されている以上、その場で「電話をかけて着信させる」という検証を行えば、それが通信網に繋がった本物の端末であることは証明されてしまうと同時にそう錯覚してしまう。

 

「どこから説明した方が分かりやすいか。……まずは、俺がこの試験のルールに見出した欠陥の話から始めよう」

 

 俺が淡々と話し始めると、龍園を除く全員の視線が一点に集中した。神崎は腕を組み、一之瀬はただじっと俺の言葉を漏らさず聞き取ろうと耳を澄ませている。

 

「試験の説明時にグループ構成と優待者は厳正な調整で選抜されていると聞いているはずだ。その時、規則性に沿って優待者は選ばれるだろうと一つの仮説を立てた。そしてなぜ学校側は、グループ構成にわざわざ『干支』を持ち込み、生徒を『五十音順』に並べたのか。そこから思考をスタートさせた。開発者の意図を考慮すれば、1学年の生徒を巻き込む大規模なシステムに、例外処理が発生するような複雑なルールは組み込まない。シンプルかつ画一的な処理こそが世界共通の設計思想だ。つまり、干支の順番に沿って、各クラスの五十音順の座席番号が一定の法則でスライドして優待者が選定される――俺はそう2つの仮説を立てた」

 

 一之瀬は息を呑み、神崎は苦虫を噛み潰したような表情で俺を睨み据えた。

 

「そんなの、単なる推測に過ぎないじゃない……! 確証もなしに動くなんてギャンブルよ」

 

 伊吹の鋭い反論に対し、俺は感情を排した声で続けた。

 

「ギャンブルじゃない。独立した3つのサンプルが同時に特定の規則性に合致する確率は極めて低い。全12グループのうち、Cクラスの優待者を含めたわずか3つのサンプルを抽出して照合すれば、数学的確率論においてその仮説の信頼度は事実上100%に達する。確率に基づいた確実な法則だ」

 

 実際に計算してみると、1クラス40人弱の生徒が12のグループにランダムに振り分けられた上で、3つのグループで全く同じ規則性の座席番号が優待者に選ばれる確率など、天文学的な数字になる。だから、初日の段階で俺はこの試験の答えをすべて握っていた。

 

「……待て、柊」

 

 神崎が苦々しい声を上げ、俺の言葉を遮った。その瞳には、なおも納得のいかない強い疑念が渦巻いている。

 

「たった3つのサンプルで法則を断定したと言うが、それはあまりに軽率だ。データ分析の観点から言えば、それは単なる『過剰適合(こじつけ)』の可能性がある。手元の数少ないデータだけにたまたま合致する、学校側が意図していない『別の偽の法則』が紛れ込んでいたとしたらどうする? 4つ目、5つ目のグループでその法則が破綻していた可能性を、なぜ否定できた?」

 

 神崎の指摘は極めて合理的だ。データが少なければ少ないほど、人間はそこに都合の良い偽の規則性を見出してしまう。

 

「確かに、単なる数字の並び替えだけならその通りだ。例えば『2, 4, 8』と数字が並んでいた時、次が16になる倍数の法則か、10になる6を抜いた偶数の法則かは、4つ目のデータを見るまで確定しない」

 

 俺は手すりから完全に背を離し、神崎の視線を真っ向から受け止めた。

 

「だが神崎、これは自然現象のデータ観測じゃない。人間――学校側が作った試験のシステムだ。管理側が運用する上で、最も嫌うのは何か分かるか? 例外処理によるバグと、ルール説明の破綻だ。学校側はわざわざ干支という12の概念を持ち込み、生徒を五十音順に配置した。この2つは試験の前提となる巨大な変数だ。同じ現象を説明する仮説が複数ある場合、最もシンプルで美しいものが正しい。学校側がわざわざ、出席番号の逆順だの誕生日だのを組み合わせたひねくれた真のルールを用意するメリットがない。だから、別の法則である可能性は最初から考慮に値しなかった」

「……っ」

 

 神崎が言葉を詰まらせる。隣で一之瀬と網倉が、驚嘆と、どこか恐ろしさを孕んだ吐息を漏らした。

 俺が見つけた法則は、この学校が用意したパーツを何一つ余らせることなく、最もシンプルに使い切るものだった。科学や論理学の世界には「オッカムの剃刀」という指針がある。ある現象を説明する仮説が複数ある場合、最もシンプルなものが正しい確率が高いというものだ。

 例えば学校側がルールを作る立場になって考えてみるとしよう。

 

 俺が見つけたシンプル法則: 「干支の順番通りに、各クラスの五十音順を1つずつズラしていく」

 ひねくれた別の法則(複雑): 「1つ目は五十音順、2つ目は出席番号の逆順、3つ目は誕生日順にする」

 

 もし後者(複雑な法則)だとしたら、管理する学校側も混乱するし、生徒にルールを見つけてみろという試験にする意味がなくなる。3つのサンプルを「最も美しく、最もシンプルに説明できる法則」が見つかった時点で、それが学校側の用意した本命であるとメタ的に断定できる。

 

「法則が分かったところで、まだ疑問が残るわ」

 

 伊吹が腕を組んだまま、未だに納得のいかない様子で俺と龍園を睨みつける。

 

「なんでわざわざAクラスだけを狙うような真似をしたのよ。BクラスやDクラスだって、同じように解答できたはずでしょ。それに石崎から聞いた話だと誓約書を書いたらしいじゃない。しかもあの試験最後に携帯を全員で提示する案も、何か意図があってのことなの?」

 

 伊吹の鋭い追及に、網倉も思い出したように小さく声を上げた。

 

「そういえば……試験の途中で、Cクラスは他のクラスに向けて優待者を解答しないっていう誓約書を提案してきたよね。あれがあったから、私たちは安心して話し合いを続けられたんだけど……」

「クク、安心だぁ? めでたい頭してやがるぜ、Bクラスの御一行様はよォ」

 

 龍園が低く笑いながら、手すりを軽く叩いた。その目は「これだから凡人は面白い」とでも言いたげな愉悦に満ちている。俺は一之瀬たちの視線を正面から受け止め、淡々とその裏側を剥ぎ取り始めた。

 

「安心させることこそが、あの誓約書の目的だ。Cクラスが『優待者を解答しない縛り』を自らに課したのを見て、周囲は安堵し、後から論理的にこう推論したはずだ――『Cクラスは自分たちのグループに優待者がいるからこそ、身内を守るためにこの防壁を作ったのだ』と」

 

 網倉の瞳が、ハッと大きく見開かれる。

 

「……あ、あえて手の内を明かすような真似をして、周囲にCクラスに優待者がいると錯覚させたの……?」

「そうだ。心理的に利用した外堀の埋め立てさ」

 

 俺は網倉の言葉に短く頷き、言葉を繋いだ。

 

「Aクラス、特に葛城派の連中は、無人島での大失点を取り戻そうと内心では焦っていた。そこにきて、最終日の5回目の話し合い直前、他グループの試験が強制終了した。あの時点で、彼らの焦燥感はピークに達したはずだ。『Cクラスは綺麗事を言いつつ、裏で優待者狩りを進めている。このままでは未(羊)グループの優待者も奪われる』とな」

「……なるほど、それで4回目の話し合いでわざわざ龍園くんが優待者の法則に気づいてると口にしたんだね。すべてはAクラスを極限まで焦らせて、強硬手段に出席させるための誘導だったんだ」

 

 一之瀬が痛ましげに目を細める。隣で龍園が「ククク……」と愉悦の笑みを深くした。

 

「そうだ。俺たちが法則に気づいていると匂わせ、さらに他グループの優待者を先んじて狩ることで、戸塚たちはパニックに陥った。自分たちのクラスの優待者が当てられてるかもしれないのと、ポイントを守るため、あるいは逆転のために、彼らは『全員の携帯端末の総当たり検証』という、最も確実に見える手段を選択せざるを得なくなったのさ」

 

 俺は言葉を区切り、凍りつく網倉と神崎を見つめた。

 

「そして網倉、お前の言う通り、あの場でアルベルトのと思われる端末には確かに優待者の通知メールが表示され、戸塚がかけた電話で着信音が鳴った。だが、それが最大の罠だ」

「メールの偽造は禁止でしょ? 目の前で電話がかかってきて繋がったのなら、それは中身も外見も、本物のアルベルトの携帯端末じゃないの」

 

 伊吹の切迫した声が、夜のデッキに吸い込まれていく。一之瀬もまた、固唾を呑んで俺の口元を凝視していた。

 

「いや違う。アルベルトが提示した携帯は俺のだ。仕組みは至ってシンプル。俺とアルベルトの携帯のSIMロックを解除しSIMカードを交互の携帯に差し替え、そしてSIMを差し替えた携帯も入れ替える。そうすることで携帯を丸ごと入れ替えたとしても、通信網の整合性は保たれ、電話をかければ目の前にある端末が寸分の狂いもなく着信を告げる」

 

 俺が淡々と告げたその事実の重みに、デッキの空気が完全に凍りついた。

 伊吹は言葉を失って口元を押さえ、大地は驚愕に目を見開いたまま絶句している。

 

「多分、SIMロックはプライベートポイントで購入できることに一之瀬たちは気づいていたんじゃないか」

 

 俺がそう告げると、一之瀬は痛ましげに視線を伏せ、神崎は拳を固く握りしめた。

 

「……気づいて、いたよ。携帯のSIMカードは端末ごとにロックされてる。でも星之宮先生に確認したら、ポイントを支払えばすぐにでもロックが解除出来るって言ってたから。だから、もし誰かが優待者偽装をするなら、携帯そのものの貸し借りじゃなく、SIMの入れ替えをするんじゃないかって」

「だろうな。俺が提案した『最終日の最後に全員で携帯を提示することで結果1』というのは皆が利益を得るためだけではない。試験半ばで優待者に偽装をした生徒が現れることを俺は考慮し、周囲の警戒心を解きつつも途中で他グループが優待者を誤認させ結果4に仕向ける他クラスの動きを制限するためもある」

 

 俺が1回目の話し合いで網倉に提示した案は、途中で優待者に偽装した者が現れるリスクを最小限に留める意図も込められている。

 

「にゃはは、やっぱり柊くんはそこまで考えてたんだね」

 

 一之瀬はどこか、力なく笑った。

 俺の案が船内に広まりきった後に、もし優待者に偽装した者が現れたとしても提示のタイミングに不自然が生じることで周囲は警戒し、迂闊に解答へ踏み切れなくなる。結果1へと至るレールを敷くことで、周囲の解答への警戒心を極限まで高めておいた。そして一之瀬のような生徒はそのブラフを見抜いただろうし、何よりリスクを嫌って動かなかったはずだ。

 

「柊くんの言う通り、周りが警戒して動かないようにレールを敷いてたって言うなら、なんでAクラスの戸塚くんたちはその警戒を破って解答したの」

 

 網倉の問いに、俺は夜の水平線へ向けていた視線をゆっくりと彼女に戻した。

 

「答えは単純だ。4回目の話し合いで龍園が優待者の法則に気づいていることを吹聴し、その後に他グループの優待者を狙った。彼らにとって警戒して動かないことは、ただ座してAクラスの全滅を待つ自殺行為に変貌したんだ。そして、誓約書の意図についても論理的に考えさせた結果、彼らの脳内には一つのストーリーが出来上がってしまった。――『Cクラスは身内の優待者を守るために誓約書を提案したのだはないか』と、な。人間は一度都合の良い仮説にしがみつくと、目の前の証拠をその仮説を補強するためだけに解釈するようになる。焦燥感を煽ることで思考を誘導し、論理的に仮説を立てたことで成功体験を覚えさせ、その前提を疑う余裕を奪い去った」

 

 俺が静かに言葉を締めくくると、デッキには夜の海鳴りと、客船の底から響く重低音だけが残された。

 ただ、携帯とSIMの入れ替えのトリックにはリスクが存在する。携帯端末の識別番号(IMEI)やMACアドレスを書き換えることはほぼ不可能であり、学校側に携帯の所有者を照合されるか、あるいは端末のシステムログそのものを精査されれば、その偽装は一発で看破される。

 後者の端末のシステムログそのものを精査はどうしようもできない。偽装したとしてもその偽装した操作がどうしてもカーネルレベルで痕跡が残ってしまうからだ。ただ、これは情報工学に精通している者ではなければ、その精査することに気づけない。

 前者はその専門的な知識がなくても勘がいい者や頭のキレがいい者は学校側に携帯の所有者を照合させることに気づけたりする。しかし学校側が管理する参照データもポイントで買収すれば、一時的に登録情報を書き換えることで偽装は可能になり、学校のシステムを介した照合すら潜り抜けることができる。

 だが、戸塚たちは学校側に携帯の所有者を照合してる挙動は見られなかった。

 俺は心の中で、試験初日に坂上先生に支払ったプライベートポイントの額を思い浮かべる。誓約書を坂上先生に提出する際、俺は裏で「俺とアルベルトの端末のSIMロック解除」だけでなく、「試験期間中のみ、学校側が管理するインフラデータベース上の物理アドレスの紐付けを完全に入れ替える」という特殊な申請をポイント行使によって完了させていた。

 仮に戸塚たちが慎重を期して、学校側に「この端末は本当にアルベルトの物か」とシステム的な照合を求めたとしても、学校のインフラ自体が「YES」と答える完璧な偽装環境。カーネルレベルのログ精査などという、専門知識のない生徒には不可能な領域を除けば、このトリックを見抜く術は最初からこの船のどこにも存在しなかったのだ。

 

「柊、猿グループの件はどうなんだ。確かに猿グループの優待者はBクラスの生徒だ。これもCクラスが絡んでるとでも言うのか」

 

 神崎がさらに一歩詰め寄り、鋭い口調で俺の言葉の先を促した。

 

「いや、それについては知らない」

 

 俺の淡々とした一言に、神崎は一瞬、拍子抜けしたように目を見開いた。

 

「知らない、だと……? 白々しい嘘を吐くな。お前は今、初日の段階で全グループの優待者を把握していたと言ったはずだ。そのお前が、猿グループの結果3に無関係なわけがないだろう!」

 

 神崎の語気が強まる。だが、俺は表情一つ変えずに首を横に振った。

 

「嘘は言っていない。俺は猿グループの優待者がBクラスの生徒だと知っていたが、それを誰かに解答しろと指示したわけでもない。結果を見返したほうがいい。もしCクラスが解答したものだとしたらCクラスにもう50クラスポイントが加算されているはずだろ」

 

 淡々と告げられた俺の言葉に、神崎は弾かれたように手元の端末へと視線を落とした。

 夜風に煽られながら、彼の指先が画面をスクロールする。そこにあるのは、冷徹な数字の羅列だ。

 

 Cクラス……プラス200 cl

 

「あ……」

 

 隣で同じ画面を見ていた網倉が、小さく声を漏らした。理知的な神崎の脳内には、すでにその計算式が高速で組み立てられているはずだ。

 Cクラスが結果3(裏切り者の正解)を出したのは、鼠、鳥、猪の3グループ。

 1グループにつきプラス50 clが入るため、これだけでプラス150 cl。

 さらに、俺が未(羊)グループでAクラスの回答ミスを誘い結果4を成立させたことで、Cクラスにプラス50 cl。

150と50を足せば、ちょうど200 clになる。

 

「計算が合ったようだな。猿グループの結果3で得た50クラスポイントは、Cクラスの懐には一滴も入っていない。変わりにDクラスに加算されていることからDクラスの誰かがBクラス優待者を当ててたんじゃないか」

 

 俺がそう告げると、神崎の顔からみるみる血の気が引いていくのが分かった。彼の鋭い視線が、今度は疑惑の色を深くして俺の隣の男へと向けられる。

 

「なら……龍園、お前が個人的に他クラスと結託して動いたのか?」

 

 彼の疑念は当然だ。俺と龍園がすべての法則を見抜いていた以上、猿グループの情報を他クラスに流して利確させたというシナリオは十分にあり得る。

 

「クク、勘違いするな、神崎」

 

 龍園は手すりから完全に背を離し、首を骨が鳴るほどの勢いで回しながら、愉悦の笑みを神崎へと向けた。

 

「俺がわざわざDクラスのドブネズミ共に塩を送るような真似をするかよ。他クラスと結託だぁ? そんな面倒で不確実なリターンしかねえギャンブルは、俺の趣味じゃねえ」

「なら、なぜDクラスが猿グループの優待者を正確に射抜けたんだ? お前たちが情報を流していないと言うなら、彼らが自力で法則に辿り着いたとでも言うのか!」

 

 神崎の追及は止まらない。だが、俺は夜風に揺れる髪を軽く押さえながら、静かにその疑問の核心へ冷水を浴びせた。

 

「必ずしも法則に気づけた生徒がDクラスにいたとは限らないだろ。もしかしたら、微かな表情や視線の動き、あるいは日常の行動パターンの変化といった心理的・肉体的な違和感から、優待者個人をピンポイントで割り出した観察者がいたのかもしれない。数学的なアプローチだけが、この試験を攻略する鍵ではないということさ」

 

 俺の言葉に、神崎は弾かれたように目を見開いた。

 

「観察だけで優待者を特定したというのか……? 12グループもある中で、そんな超人的な芸当ができる奴がDクラスにいると?」

「さあな。確か猿グループのDクラスには高円寺がいたはずだ。彼が気まぐれで裏切った可能性があの中では最も高いが、いずれにせよ俺たちの関知するところじゃない」

 

 神崎はその名を聞いた瞬間、苦々しく奥歯を噛み締めた。高円寺六助という規格外の存在の不気味さは、Bクラスの彼らも十分に認知している。論理の枠組みの外側に棲まう怪物の名を前にしては、いかに理知的な神崎といえども、それ以上の追求を差し挟むことはできなかった。

 

「まあ、以上がこの試験の裏で行われていたことのすべてだ。お前たちの疑問は解消されたか」

 

 俺が静かに言葉を締めくくると、デッキには夜の海鳴りと、客船の底から響く重低音だけが残された。

 

「未グループはAクラスが裏切り誤答したが、個人的には結果1に持ち込みたかったんだがな。戸塚たちが罠に引っ掛かなければ、結果1に至ることで全クラスが均等に多額のプライベートポイントを分配し合い、無用なリスクを背負わずに試験を終えることが理想だった」

 

 俺が淡々と告げたその言葉は、夜風に冷たく冷やされながらも、一之瀬たちの耳にはひどく傲慢で、同時に逃れようのない現実の重みとして響いたようだった。

 無用なリスクを排除し、全員が手を取り合って利益を享受する――それは本来、一之瀬帆波が最も理想とし、Bクラスを率いて目指そうとしていた平穏な互助の形そのものだったはずだ。

 

「理想……お前はそれを本気で言っているのか?」

 

 神崎が、まるで自身の信じる論理の土台を根底から揺さぶられたかのような、低く掠れた声を漏らした。その拳は白くなるほど強く握りしめられ、手すりを掴む指先が微かに震えている。

 

「本気だ。全クラスが結果1を選択していれば、学校側から支払われるプライベートポイントの総計は莫大なものになり、どのクラスも痛手を負わずに次なる試験への軍資金を蓄えることができた。例えば、退学――この学校における最大のペナルティであり、最もクラスポイントを喪失する事態を防ぐための『2000万プライベートポイント』のプールだ。全員が富を等分し、生存率を上げる。この試験ではそのプライベートポイントを効率的に稼げるのに最適だった。実際、全クラスは1000万以上のプライベートポイントを得ることになっただろ」

 

 神崎の表情から怒りは消え、代わって浮かんだのは深い困惑と、俺に対する根源的な恐怖だった。

 

「……お前は、この無慈悲な競争社会の中で、全クラスの幸福を真剣に検討していたというのか? だが結果はこれだ。お前たちはAクラスからポイントを奪い、自クラスを勝利させた。その冷徹なまでの矛盾が、お前という男の正体なのか」

 

 龍園は神崎の言葉を耳にして、これ以上ないほどに愉しげな哄笑を上げた。

 

「クククッ、ハハハハハ! 勘違いすんなよ神崎。柊はな、聖人君子なんかじゃねえ。こいつがAクラスだけを狙ったのは、坂柳と葛城が派閥争いをしている余裕などないという危機感を植え付け、協力せざるを得ない状況を強制的に作り出すためだ。だが結果はどうだ? 奴らは結局、内紛の火種を消すことすらできず、俺たちの作った土俵で勝手に足をもつれさせて自滅した」

 

 龍園の哄笑が夜の海に響き渡る。その無遠慮な笑い声は、神崎の理性を逆撫でするには十分すぎるほど刺激的だった。

 

「……龍園、お前たちは自分たちの勝利が、他者の敗北の上に成り立っていることに何一つ疑問を感じないのか」

 

 神崎の問いかけに、俺は答えなかった。代わりに、龍園がその巨体を揺らして神崎の目の前まで歩み寄る。その瞳には、理解できないものを眺める者への冷ややかな嘲笑が宿っていた。

 

「疑問だぁ? クク、神崎、お前は本当に甘っちょろいな。この学校がどんな場所か、まだ理解しきれていないのか? 俺たちに与えられているのは、強者として生き残る権利か、敗者として切り捨てられる運命か。その二択だけだ。柊が提案した理想はあくまで結果が伴った時のオマケに過ぎねえ。本当の価値は、この試験でAクラスを、俺たち自身で完膚なきまでに叩き潰したという実績そのものにある」

 

 龍園はそう言い放つと、ふっと興味を失ったかのように俺の方を振り返った。

 

「柊。こいつらとのお喋りはもう飽きた。俺はもう寝る」

「ああ、そうしてくれ」

 

 俺が短く応じると、龍園は鼻で笑って踵を返した。アルベルトがその巨体を沈黙のまま追随し、大地や伊吹も龍園の背中を追うようにして、船室へと続く重い扉へと歩を進めた。

 龍園たちがデッキを去り、重厚な扉が閉まる音が響くと、その場には俺とBクラスの3名だけが取り残された。 さっきまでの喧騒が嘘のように、夜風の音と海鳴りだけが俺たちを包み込んでいる。

 残された3人の視線が、俺に突き刺さっている。

 特に神崎の眼光は鋭く、単なる怒りを超えたこの先の展開を危惧する警戒心に満ちていた。一之瀬はといえば、さっきまでの強気な姿勢は影を潜め、どこか力なくその場に立ち尽くしている。網倉は一之瀬の様子に動揺を隠せず、かといって自分たちから先に会話を切り出す勇気も持てずに、ただ静かに一之瀬の横顔を見つめていた。

 

「……まだ俺たちがこの学校に入学してから4ヶ月程度しか経っていない。この先も特別試験が待ち受けていることを考えれば挽回は十分に可能だ。あまり気を落としすぎるな」

 

 俺が投げかけた何気ない慰めは、彼女たちにはどう響いただろうか。

 一之瀬はゆっくりと顔を上げると、夜空に輝く星々を見つめたまま、微かに唇を震わせた。

 

「……挽回、か。柊くんがやってのけたことを見せつけられた後じゃ、その言葉すらどこか虚しく聞こえるね。私たちは、こんなにも底知れない君と同じ学年で戦っているんだっていう現実を、改めて突きつけられた気分だよ」

 

 微笑む彼女の瞳には、かつてのような純粋な希望だけではなく、この過酷な環境を生き抜くための重い苦悩が宿り始めていた。

 

「……帆波ちゃん、柊くんは柊くんなりに私たちを慰めているんじゃないかな。そんなに考え込まないで」

 

 網倉が心細げに一之瀬の袖を引いた。

 

「ありがとう、麻子ちゃん。でも、大丈夫だよ。柊くんが言ってくれたことは、きっと本心からの言葉だと思うから」

 

 一之瀬は網倉に向けて優しく微笑みかけると、その手をそっと握り返した。彼女のその強さは、偽物ではない。仲間を安心させるための、リーダーとしての本能的な振る舞いだ。

 

「それにしても柊くんは私たちと同じ高校生とは思えないくらい、落ち着きがあって頭がいいよね。そう思わない? 帆波ちゃん、神崎くん」

 

 網倉の問いかけに対し、神崎は腕を組んだまま、どこか遠くを見るような冷めた視線を海に向けた。

 

「……落ち着き、か。そう表現するにはあまりに異質すぎる。柊、お前の思考回路は学校の生徒という枠組みを逸脱している。まるで最初からこの試験というゲームの設計図を上から俯瞰して見ていたかのような……そんな違和感を覚える」

 

 神崎の言葉は、この場に漂う空気を一層張り詰めさせた。彼が感じ取った異質さとは、この試験に対する俺の距離感そのものを指しているのだろう。他の生徒たちが必死に勝ち負けに一喜一憂し、俺だけがこの試験をただのデータ処理やパズルの最適化としてのみ捉えていたことへの直感的な拒絶反応だ。

 

「考えすぎだ神崎」

 

 俺はそう言い捨て、手すりに預けていた体重を完全に引き上げた。

 

「柊くん」

 

 一之瀬は一歩踏み出し、夜風にさらされた髪を耳にかけながら、真っ直ぐに俺の瞳を見つめた。

 

「君の話を聞いて驚きを隠しきれないのと同時に、少しだけ理解できたような気がするよ。この試験で私たちのクラスは1100万プライベートポイントを獲得できたし、柊くんが不必要に他のクラスを破滅させようとしたわけじゃない、ってことは分かった……結果としてAクラスは大きな痛手を負ったけれど、それは彼らが柊くんの敷いたレールを外れて、自らリスクを踏み抜いた結果だものね」

「理解してもらえたなら何よりだ」

 

 俺は一之瀬の言葉に短く応じた。

 一之瀬帆波という男気すら感じさせる器の大きさは、こうした極限状態において真価を発揮する。感情に流されず、提示された結果と事実を冷徹に受け止めるだけの強さが彼女にはある。だからこそ、Bクラスの連中は彼女を絶対的な支柱として仰ぐのだろう。

 

「話してくれてありがとう柊くん――でもやっぱり私は、Bクラスのみんなを信じて、これからもAクラスを目指したいな、と思う」

 

 一之瀬は言葉を区切り、夜風に負けない強い眼差しを俺に向けた。

 その言葉には迷いがなかった。俺がどれほど冷徹な現実を突きつけようと、彼女の根底にある仲間との絆という信念は微塵も揺らいでいない。むしろ、俺という異質な存在を目の当たりにしたことで、自らの歩むべき道を再確認したかのようだった。

 

「お前らしい答えだな、一之瀬」

 

 俺の言葉に、彼女は少しだけはにかむように微笑んだ。

 

「うん。……じゃあ、私たちはこれで失礼するね。麻子ちゃん、神崎くん、行こうか」

 

 一之瀬は二人に優しく声をかけると、もう一度だけ俺に小さく会釈をして、船室へと歩き出した。神崎はまだどこか割り切れないような表情を浮かべつつも、一之瀬の後を追うように続いていく。

 

「それじゃあね、おやすみ柊くん」

「ああ、おやすみ」

 

 網倉の言葉に俺が短く答えると、彼女は少しだけ安心したように笑みを作ってから、一之瀬たちの背中を追うように歩き去っていった。

 船室へと続く重い扉が静かに閉まり、カチリとロックされる音が響く。

 再び、デッキには俺一人だけが残された。

 先ほどまでの賑やかさが嘘のように、ただ心地よい夜風と、漆黒の海原が立てる波の音だけが周囲を満たしている。

 俺はもう一度手すりに歩み寄り、冷たい金属に両手を預けた。

 見上げる星空は変わらず美しく、だが下を覗き込めば、船の明かりを吸い込んだ海が怪しくうねり続けている。

 Cクラスはプラス200クラスポイント。無人島試験での優位をさらに盤石なものとし、Aクラスとの差を縮めるどころかクラスの序列を逆転させることに成功した。2学期からはCクラスがAクラスに昇格することだろう。

 だが、俺の目的は単にクラスポイントを稼ぐことだけではない。

 今回の試験を通じて、各クラスの個の動きが明確に見えてきた。

 夜風に当たりすぎたせいか、肌に触れる空気が少し冷たく感じられ始めていた。これ以上ここにいても、ただ時間を浪費するだけだ。そろそろ部屋に戻って身体を休めるのが賢明だろう。

 手すりから身体を離し、船室へと続く扉に向かって歩き出す。

 この豪華客船での夏休みはまだ数日残されている。束の間の休息と、その裏で静かに進行するであろう次なる戦いの予兆。それらを頭の片隅で整理しながら、俺は静まり返った船内の通路へと足を一歩踏み出した。

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