綱引きが終了し、次の競技である障害物競走の準備がグラウンド上に慌ただしく整えられていく。
俺はその様子を静かに見つめながら、額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
周囲では、次の競技に出場する生徒たちが早くもウォーミングアップと称して軽く体を動かしている。綱引きの勝敗による興奮と悔しさがまだ空気に残る中、グラウンドの雰囲気は早くも次の熱戦へと切り替わろうとしていた。
『ただいまより、第六競技障害物競走を開始します。各組の第一走者は速やかにトラック前招集エリアへ移動してください』
スピーカーから響くアナウンスを合図に、周囲の空気が一段と引き締まる。俺は大きく息を吸い込むと、これから始まる個人種目へ向けて意識を切り替えた。
俺はパイプ椅子から静かに立ち上がり、軽くストレッチをして全身の筋肉をほぐしてから、トラックの脇に設けられた招集エリアへと足を進めた。
招集エリアにはすでに何人かの出場者たちが集まっていた。みな一様に真剣な表情を浮かべ、それぞれのスタート位置やコースを確認している。
トラック上にはすでに障害物が無造作に配置されていた。
平均台に、ネットくぐり、そして最後は定番の麻袋ジャンプのコース。運動会の障害物競走としては王道の構成だが、それゆえにごまかしが利かないシビアな種目でもある。
俺は周囲を見渡し、一緒に出場する顔ぶれを確認した。同じ組には、足の速さで知られる生徒の姿や、普段から運動部で鍛えている面々が揃っている。純粋な走力勝負だけではなく、障害物競走は機転と運も絡むため、最小限のロスで抜けていくしかない。
「障害物競走・第1組、位置についてください」
審判の合図で、俺たち第一走者はスタートラインへと歩み寄り、指定されたコースの前に立った。
目の前には最初のコースである平均台が、冷ややかに横たわっている。
「用意——」
スタートの合図と共に、俺は一歩目を強く踏み出した。周囲の生徒たちも一斉に飛び出し、初速の勢いそのままに最初の障害物へと殺到する。
通常、平均台を突破するにはバランス感覚が不可欠だ。だが、ここであまりに慎重になりすぎれば、後続の走者に一気に追い抜かれる。
俺は視線を足元に固定せず、速度を落とすことなく平均台に飛び移った。そのまま、速度を維持しながら平均台を渡り走り切ると、勢いそのままに次の障害物であるネットくぐりエリアへと突入した。
「はあ!? 噓だろ!?」
「待て、あんなスピードで平均台をクリアする奴がどこにいるんだよ!」
後続の生徒が驚愕の声を上げながら、慌てて俺を追いかけてくる。
だが、振り返る暇はない。グラウンドには低く張られたネットが、まるで獲物を待ち構える網のように待ち構えていた。
ネットくぐりは、ただ這うだけではタイムロスが生じる。
俺はそのままグラウンドに敷かれたネットまで駆け抜ける。そしてネットまで1メートルに満たない距離に近づいた瞬間、片方の手を腰に添えもう片方はグラウンドの芝に指先を自分側に向けるように突き、流れるように肘まで地面につけ、そのまま低く身体を滑り込ませてネットをくぐりにかかった。
低い姿勢のまま片足でグラウンドの芝を強く蹴り出し、地面を蹴り出した反動を推進力に変え、身体がネットの隙間をすり抜けていく。
「え、匍匐前進……!?」
白組のテントから驚きの声が上がる。
一般的な生徒が四つ這いでモタモタとネットをくぐる中、俺のそれは訓練された軍隊の匍匐前進そのものだった。正確には自衛隊が実際に行う「第三匍匐」と呼ばれる基本移動手段だ。
芝生を擦る布地の音と、芝を蹴り上げる鈍い響き。周囲の驚愕を背中に浴びながら、俺はネットを完全に抜け切ると同時に、地面に手をついて即座に立ち上がった。一連の動作に一切の無駄はない。
呼吸を整える隙も与えず、最後のコース、麻袋ジャンプのエリアが視界に入った。
麻袋の中に両足を突っ込み、ぴょんぴょんと跳ねて進むだけの、滑稽でいて意外と体力を削る障害物だ。
麻袋を掴み、一気に足を通すと、俺はリズミカルにジャンプを繰り返した。
ただ跳ねるのではない。膝のクッションと腹筋のバネを使い、前方への推進力を最大限に生かす。袋の中で足が絡まる気配すらない。
数回の跳躍を経て、俺は麻袋から飛び出し、残された直線コースへと躍り出た。
風を切り、トラックのアンツーカーを踏みしめる音が響く。背後で麻袋に四苦八苦している参加者たちの、焦燥に満ちた声が遠ざかっていく。
ゴールラインまで残り二十メートル。
先ほどまで感じていた周囲の驚きは、いつの間にか静かな緊張感へと変わっていた。応援席からも、俺の独走を信じられないといった様子で、どよめきにも似た歓声が上がり始めている。
俺は視線をゴールの一点に固定し、最後の一蹴りを繰り出した。そして、後方の生徒との大きく開いた差をさらに広げたまま、一気にゴールラインへと飛び込んだ。
「1着、柊美輝——」
審判の声が響き、俺は息を整えながらスピードを落とした。
「おいおい、なんだいまのは……!」
「平均台をあんなスピードで駆け抜けた挙句、ネットのくぐり方があまりにも手慣れすぎて元軍人なんじゃないかと思ったぞ……」
グラウンドの脇や赤白組のテントから、呆気にとられたような、しかし確かな熱気を帯びたざわめきが波のように押し寄せてくる。
確かにいくら高度育成高等学校とはいえ、本職さながらの匍匐前進や、速度を維持したまま平均台を渡ることをする人間などそうそういないだろう。これは単純な身体能力というよりも精密な身体操作を求められる特殊な訓練を積んでいなければ不可能な芸当だ。
「……お前、一体どんな人生歩んできたらあんな動きできんだよ」
冷たい風が汗ばんだ肌をなでる中、呆れたような声とともに、同じ第1組を一緒に走った生徒が息を切らせながら近づいてきた。
彼、確か同じ赤組のDクラスに所属している三宅明人は、両手を膝につき、信じられないものを見る目で俺を見上げている。
「まあ、一般的な人生とはちょっと違うかもしれないな」
三宅は苦笑いを浮かべながら、「そりゃそうだな」と首を振った。
「でも、おかげで赤組のスタートとしては上々の滑り出しだ。この調子でどんどんポイントを稼いでいこうぜ」
「ああ、そうだな」
俺が頷くと、三宅は自分のテントの方へと引き返していった。
赤組のテントへ戻ると、待っていたひよりがいつもの穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれる。
「お疲れ様です、美輝くん……その、なんと言いますか、まるで本物の特殊部隊か映画のワンシーンを見ているようでした」
ひよりはプログラム表を手に、少しだけ目を丸くしたまま微笑んだ。その瞳には驚きと、どこか感心したような光が混じっている。
「特殊部隊は言い過ぎな気がするが、少しそういう技術を学べた機会があっただけさ」
俺がそう答えると、ひよりは小さく首を傾げながらも、安心したようにふわりと微笑んだ。
「そうなんですね。でも、怪我がなくて本当に良かったです」
ひよりは安心したようにふわりと微笑み、スポーツドリンクのボトルをそっと手渡してくれた。俺はそれをありがたく受け取り、喉を潤す。
周囲のテントからは、今行われた障害物競走の話題でもちきりになっているのが聞こえてきた。「あんなの反則だろ」「どこで鍛えたんだよ」という声がちらほらと混じり合っているが、それもすぐに次の競技への関心へと押し流されていく。
「ひよりは確か最後の組だったよな」
ひよりが首を小さく縦に振った。
「はい、私は最後の組ですね。……でも、美輝くんみたいに華麗にはいかないと思いますけど、自分のペースで頑張ります」
「ああ、無理をしないようにな」
俺たちがそんな言葉を交わしている間も、グラウンドでは障害物競走の2組目、3組目とハイテンポで競技が進行していき、各クラスの生徒たちがそれぞれの得意不得意をぶつけ合っていた。
運動神経に自信のある者は上位を狙い、そうでない者は自分のペースで必死に障害物をクリアしていく。障害物競走という性質上、運の要素やちょっとした躓きで順位が大きく入れ替わるため、見ていて飽きない盛り上がりを見せていた。
Dクラスからは、堀北鈴音や須藤健なども出場していた。堀北は無駄の少ない身のこなしで平均台やネットを冷静にクリアし、上位に食い込んでいた。一方の須藤は、持ち前の身体能力で平均台や麻袋ジャンプを一気に駆け抜けたが、不器用さゆえかネットくぐりで少しもたついたものの、驚異的な爆発力でカバーしてきっちり上位を死守していた。
やがて、障害物競走の最終組となる女子の出番が近づいてきた。
スピーカーからのアナウンスに促され、ひよりが静かに立ち上がる。
「それじゃあ、行ってきますね、美輝くん」
「ああ、気をつけて」
ひよりは小さく手を振ると、トラック脇の招集エリアへと歩いていった。
最後の組には、Aクラスのひよりだけでなく、Cクラスの網倉や他のクラスの女子生徒たちが揃っている。運動が得意な者もいれば、そうでない者も混ざる一年女子最後のレースは、どこか和やかな空気を纏いながらも、それぞれが最後まで全力を尽くそうとする気概に満ちていた。
スタートの号砲が鳴り響くと、ひよりは周囲の生徒たちに遅れを取らないよう、自分のペースを守りながら丁寧に平均台を渡っていく。決して派手ではないが、一歩一歩着実に足を運び、慌てずに障害物をクリアしていくその姿には、彼女らしい芯の強さが表れていた。
ネットくぐりでも、四つ這いでしっかりと姿勢を低くし、泥臭くも確実に前進する。麻袋ジャンプでは、何度かバランスを崩しそうになりながらも、懸命にぴょんぴょんと跳ねて進んでいった。
そして、最後の一直線。ひよりは息を切らしながらも、自分の足でしっかりとゴールラインを駆け抜けた。
順位こそ上位ではないものの、途中で諦めることなく最後までやり切った彼女の姿に、赤組のテントからは温かい拍手が送られた。
「お疲れ様、ひより。よく頑張ったな」
赤組のテントに戻ってきたひよりは、軽く息を弾ませながらも、どこかやり切ったような晴れやかな笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます、美輝くん……なんだか、すごく緊張しましたけど、最後まで走り切れてよかったです」
額に滲んだ汗を小さなタオルでそっと拭いながら、ひよりは安心したように目を細める。
「水分補給もこまめにな」
俺はひよりにスポーツドリンクのボトルを差し出すと、彼女は嬉しそうに「ありがとうございます」と受け取り、ちびちびと喉を潤した。
三年生の障害物競走が終わり、得点板には再び各組の獲得点数が更新された。
個人種目での着実な点数に加え、先ほどの障害物競走やこれまでの競技結果が反映され、赤組と白組の点差は依然として熾烈な戦いを繰り広げている。龍園の荒々しい牽引と俺たちの戦術が噛み合う赤組に対し、坂柳の采配と一之瀬たちの強い結束力で対抗する白組。どちらが抜け出すのか、一瞬たりとも目を離せない状況が続いていた。
程なくして休憩時間が終えると競技の順番が一時的に逆転し、女子の騎馬戦が幕を明けようとしている。
体育祭の目玉競技の一つである騎馬戦は、単なる力の勝負ではなく、騎馬の安定性と上に乗る「大将」の判断力、そしてチーム全体の連携が勝敗を分ける。
赤組のテント付近では、Aクラスの伊吹が腕を組みながら険しい顔で周囲を睨みつけていた。その傍らでは、Dクラスの堀北陣営が静かに作戦を確認している。
対する白組のエリアでは、Cクラスの一之瀬帆波が仲間たちに優しく声をかけ、緊張を和らげながらも士気を高めていた。その隣では網倉たちが細かなポジションの確認を行っている。
騎馬戦のルールは男女ともに同じで時間制限方式であり、3分間の間に倒した敵の騎馬と残存の味方の騎馬に応じて点数が入るシステムだ。
そして騎馬は4人1組で構成され、それぞれのクラスから4つの騎馬が選出され8対8の総力戦となる。1騎馬につき50点、クラス毎に1騎馬だけの大将騎が100点保持している。
したがって、単純に相手の騎馬のハチマキを奪うだけでなく、自陣の騎馬を守り抜く防衛力も必要とされる。
試合の合図が鳴り、相互の騎馬が動き出した。
Cクラスの騎馬が掛け声とともに前線へ飛び出し、赤組の横腹へと強烈な突撃を仕掛けた。
一之瀬が率いるCクラスは個々のフィジカルこそ突出してはいないものの、徹底された連係プレーと高い機動力を武器にしている。無駄な動きなく4つの騎馬がまるで一つの生き物のように連動し、赤組の陣形を瞬く間に混乱へと陥れた。その混乱の中に紛れ込むかのようにBクラスの2つの騎馬が素早くAクラスの大将騎へと狙いを定め、左右から挟み込むように突進していく。
だが、それは想定済みであり、事前にひよりと交わしていた作戦がここで牙を剥く。
Aクラスの陣形を崩そうと突撃してきたBクラスの騎馬に対し、待ち構えていた伊吹の騎馬が凄まじい気迫で迎撃に出た。
伊吹は小柄ながらもバランス感覚と鋭い闘争心に優れており、騎馬の上から巧みなフェイントを織り交ぜながら敵のバランスを揺さぶる。さらに、その後方からは堀北が冷静に指揮するDクラスの騎馬がフォローに入り、一網打尽にしようと包囲網を狭めていった。
「っ……! 囲まれた、引いて!」
一之瀬たちの統率された動きを警戒しつつも、赤組の前衛陣は一歩も引かない。
女子の騎馬戦とはいえ、その熱量は男子顔負けだ。激突する騎馬と騎馬のぶつかり合い、そしてお互いのハチマキを狙う激しい攻防がグラウンドの中心で繰り広げられる。
ひよりは安全な後方支援の位置から全体を見渡し、敵の動きに合わせた的確な指示を味方に飛ばしている。彼女の知的な分析力は、前線で暴れる伊吹や堀北たちにとっても大きな支えとなっていた。
「油断しないでください。右から来ます!」
ひよりの澄んだ声が、歓声の飛び交うグラウンドに響く。
その声に反応した赤組の騎馬が一瞬早く陣形を組み替え、Bクラスの奇襲を完全にいなしてみせた。
制限時間が刻一刻と減っていく中、お互いの大将騎はいまだ健在だ。白組の撹乱が失敗に終わり、戦況は一進一退の攻防から、互いの牙を剥き出しにした総力戦へと突入していた。
グラウンドの中央では、白組が立て直しを図り、一之瀬の的確な指示のもとで再び陣形を固め直している。しかし、赤組も伊吹の突撃力と堀北の冷静な戦術眼、そしてひよりの後方からの正確な指示によって、その隙を一切与えない。
制限時間は残り三十秒を切っていた。
ここから先は、戦術の巧みさ以上に執念と一瞬の判断が勝敗を分ける。
白組はこのままでは終われないとばかりに、一之瀬の合図とともに最後の総突撃を敢行した。一之瀬が率いる白組の騎馬が、一点に集中したまるで鋭い矢のような陣形となって、赤組の大将騎へと突進していく。
しかし、赤組も一歩も引かない。伊吹が気迫の咆哮を上げ、自ら敵の騎馬の腕を掴みにかかり、堀北の騎馬がその横を固めて壁となる。激しい衝突音と、お互いのハチマキを掴み合う怒号が入り混じった。
号砲が、グラウンドの空気を切り裂いた。
ピタリと動きを止めた騎馬たちの間には、荒い息づかいと緊迫した静寂だけが残る。赤組の大将騎は何とかその場に踏みとどまり、白組の大将騎もまた、一之瀬の堅実な守りによって守り抜かれていた。
一見すれば引き分けのようにも思える膠着状態。しかし、制限時間内に削り取られた周囲の騎馬の数と、大将騎以外の生存数に軍配が上がった。
「勝者、白組!」
審判の宣告が響き渡った瞬間、白組のテントから歓喜の叫びが沸き起こった。
一之瀬たちは互いに健闘を称え合い、安堵と喜びの笑みを浮かべている。一方、赤組の陣営では、わずかな差での敗北に伊吹が悔しそうに舌打ちをし、堀北も小さく唇を噛み締めていた。
「すみません、美輝くん……私の指示がもう少し的確だったら、あの一点突破を防ぎきれたかもしれません」
グラウンドの脇へ戻ってきたひよりは、申し訳なさそうに視線を落とし、小さく肩を落としていた。その表情には、勝利を逃したことへの悔しさと、チームを支えきれなかったという自責の念が滲み出ている。
だが、俺は首を横に振ると、彼女の肩にそっと手を置いた。
「気にするな。一之瀬たちの連携は見事だったし、ひよりが後方から全体を冷静に見ていてくれたからこそ、大将騎を落とされずに済んだんだ。十分すぎる働きだったさ」
「……美輝くん」
ひよりは驚いたように目を丸くし、それから少しだけ頬を緩ませて、ふわりと安心したような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。……そう言ってもらえると、救われます」
ひよりが安堵の笑みを浮かべたその時、グラウンドのスピーカーから再び次の競技を告げるアナウンスが響き渡った。
『続いて、一年生男子の騎馬戦へと移ります。各組の男子出場者は、速やかに中央エリアへ集合してください』
女子の熱戦の余韻が冷めやらぬ中、男子の騎馬戦を告げるアナウンスがグラウンド全体に響き渡った。
赤組のテントからは、待っていましたと言わばかりに須藤がバキバキと首を鳴らしながら立ち上がる。その傍らでは、龍園が不敵な笑みを浮かべながら周囲の者たちに声をかけていた。
俺は立ち上がり、ひよりに視線を向ける。
「それじゃあ、行ってくる」
「はい。美輝くん、怪我には気をつけてくださいね……応援しています」
ひよりの穏やかな見送りを受け、俺は他の出場者たちと共にトラック中央の競技エリアへと歩みを進めた。
白組の陣営からは、体格の良い生徒や運動部の主力が次々と騎馬を組んでいく。男子の騎馬戦は女子以上にフィジカルのぶつかり合いが激しく、一瞬の油断が大怪我や致命的な敗北に直結する。
「平田、龍園。作戦Bで行くつもりだが、問題ないな?」
俺は周囲を固める赤組たちを見渡し、短く確認を入れる。
「うん、了解。柊くんの指示通り、動いていくよ。みんな、無茶な突撃は避けて、確実に連携を意識しよう」
平田が爽やかな笑みを浮かべつつも、その瞳には冷静な闘志を宿して頷く。彼の人望の厚さと的確な統率力があるからこそ、異なるクラスが混ざり合う赤組の男子陣はここまで綺麗に噛み合っていた。
「ククッ、面白い。派手に暴れて白組の野郎どもを完膚なきまでに叩き潰してやる」
龍園の荒々しくも圧倒的なカリスマ性が、前線に立つ面々の士気を嫌でも高めていく。一見すると危ういバランスに見えるこの赤組の布陣は、平田の柔軟さと龍園の爆発力、そして俺が組み立てる戦術によって、極めて高い戦闘力を誇っていた。
「まもなく、男子騎馬戦を開始します——位置についてください!」
審判の大きな声とともに、グラウンドの中央にひしめき合う喧騒がスッと静まり返る。
「用意——」
審判の低い声が響いた瞬間、周囲の空気が一気に凍りついたように張り詰める。
一騎、また一騎と、赤白組たちが重心を落とし、戦闘態勢へと移行する。
甲高い号砲がグラウンドを切り裂く。
「行け、アルベルト」
龍園の低く響く命令に応じるように、巨体のアルベルトがその底知れないフィジカルを解放した。
ADクラスの大将騎は、騎手を龍園と平田が担っている。
そして龍園の指示に応じたアルベルトは真ん中の騎馬役で、右方は小宮、左方には大地、騎手は俺という騎馬が一斉に突撃を開始する。
号砲の余韻がグラウンドを揺らす中、アルベルトの巨体が放つ突進力は、まるで暴走した重戦車のそれだった。
アルベルトの圧倒的な突進力に呼応するように、周囲の白組の騎馬たちがたまらずどよめき声を上げる。
白組の陣営からは、その圧倒的な質量と威圧感を伴う突撃に対し、思わずどよめきが漏れる。だが、白組もただ圧倒されるわけにはいかないとばかりに、男子の主力たちが前を塞ぐように壁を作ろうと身構えた。
「速度を落としてくれ」
俺の言葉に、アルベルトは無言のまま絶妙なタイミングで一歩を踏み込み、突進の勢いをほんのわずかにコントロールした。ただ突っ込むだけでは、白組が作った頑丈な防御の壁に正面から激突し、お互いに大きな消耗を強いられることになる。
アルベルトの突進は単なる力任せではない。右方に控える小宮が機敏に敵の側面を牽制し、左方の大地が抜群の安定感で全体のバランスを保っている。
白組の騎馬が速度を落とした俺たちの騎馬を迎撃しようと身構えたその瞬間、白組陣営の左右から別働隊の騎馬が、まるで挟み撃ちにするかのように飛び出した。
正面に2対1、左右の挟み撃ちに各2騎。相手も同数の騎馬を防御に割かざるを得ず、戦局は一気に均衡した。そして防衛の隙間を縫うように、龍園と平田の大将騎とDクラスの騎馬、3騎が白組の守備陣の懐へと一気に飛び込んだ。
「ハッ、隙だらけだぜ!」
龍園の不敵な笑い声とともに、赤組の大将騎が白組の警戒網を鮮やかに突破する。
目の前の白組の騎馬が思わず振り返り、その隙を俺は見逃さなかった。身を乗り出した俺の右手が、目の前の白組の騎手のハチマキを鋭く捉える。布が擦れるわずかな音と共に、ハチマキが鮮やかに引き剥がされた。
「なっ!?」
白組の騎手が驚愕の声を漏らすと同時に、もう一騎の騎手の手が俺のハチマキを掠めようとする。俺は反射的にその手を左手で払い除け、そのまま身体を半身に捻って敵の攻撃範囲から身をかわした。
「よっしゃ! 一騎撃破!」
小宮の興奮した声がグラウンドにこだまする。
だが、白組もただでは終わらない。一瞬の隙を突かれた直後、目の前の白組の騎馬が凄まじい気迫で体当たりを仕掛けてきた。
巨体のアルベルトがわずかにバランスを崩しかけるが、大地が瞬時に踏ん張り、見事な重心移動で持ちこたえる。その抜群の安定感のおかげで、転倒の危機を寸前のところで回避した。
「後方へ移動」
俺の指示に従い、アルベルトは後方へと半歩引きつつ、目の前の一騎の注意を逸らした。
白組大将の2騎に対し、赤組大将の2騎にDクラスの騎馬が加わる。陣容は「3対2」となり、戦いの様相が変わり始める。
作戦Bとは、敵が動くよりも先手を仕掛け、主力であるアルベルトの重戦車的な突破力と左右の別働隊と連携し、注意を引きつけながらその裏で龍園と平田の本命騎馬ともう一騎の遊撃部隊として敵陣の死角へ潜り込ませる、二段構えの機動殲滅戦術であり、3対2の盤面を数的優位へと昇華させるための布陣だった。
白組の陣形が「3対2」の数的不利と、左右の部隊とアルベルトがもたらす圧倒的な重圧の前に大きく揺らぎ始める。
「そこまでだ、終わりだな」
龍園が不敵な笑みを浮かべながら、白組の大将のハチマキへと手を伸ばす。抵抗しようとするBクラスの大将騎だったが、すでに体勢は決していた。
鮮やかに最後のハチマキが奪い取られた瞬間、無情にも試合終了の号砲が高らかに響き渡った。
「勝者、赤組!」
審判の宣告がグラウンドにこだました瞬間、赤組のテントから割れんばかりの歓声と怒号のような歓喜が沸き起こった。
須藤や他の男子生徒たちが拳を突き上げて喜びを爆発させ、テントで見守っていたひよりや他の女子生徒たちも安堵と興奮の入り混じった笑顔で拍手を送っている。
「ククッ、上出来だ」
龍園は不敵な笑みを浮かべながら、汗を拭いもせずに荒く息を吐いた。その表情には、勝利の充足感と、さらなる高みを目指す者特有の不気味な闘志が宿っている。
平田は爽やかに汗を拭いながら、俺たちの方へと近づいてくる。
「お疲れ様、柊くん。君たちのサポートとみんなの連携で勝利できたね」
平田が爽やかな笑みを浮かべ、俺に手を差し伸べてきた。俺はその手を取って軽く握手を交わし、静かに頷いた。
アルベルトや大地たちも次々と汗を拭いながら集まり、それぞれの健闘を称え合う。先ほどまでの殺伐とした空気は消え去り、そこには確かな連帯感と勝利の達成感が満ちていた。
「作戦の立案者は俺だが、平田や龍園の統率と、全員が役割を全うしてくれたおかげだ。お疲れ様」
俺の言葉に、龍園は鼻を鳴らし平田は柔らかく微笑んだ。
周囲の喧騒が少しずつ落ち着きを取り戻す中、得点板の掲示へと視線を移す。女子騎馬戦で白組が有利になっていたが、先ほどの男子騎馬戦での勝利により、赤組が白組を猛追し、再び両者の点差はほぼ互角、あるいはわずかに赤組がリードを奪う形へと書き換わっていた。
赤組のテントに戻ると、ひよりが少し緊張を解いたような柔らかな笑顔で出迎えてくれた。
「お疲れ様です、美輝くん……すごく迫力のある戦いでした。あの突撃を見た時は、思わず息を呑んでしまいました」
「ありがとう。怪我もなく、無事に役割を果たせてよかった」
赤組のテント内は、先ほどの勝利の余韻と熱気が冷めやらぬまま、次の競技に向けた心地よい高揚感に包まれていた。龍園は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら次の種目のプログラムを眺め、平田は周囲の生徒たちに声をかけて怪我人がいないかを確認している。
上級生の騎馬戦が、グラウンド中央で激しい火花を散らしながら進行していく。
二年生、そして三年生の騎馬戦は、一年生とは比べ物にならないほどの迫力と戦術のぶつかり合いだった。特に三年生ともなれば、お互いの手の内を知り尽くしていることもあり、一瞬の油断が命取りとなる極限の心理戦が展開される。観覧席からはどよめきと悲鳴が入り混じった歓声が上がり、グラウンド全体が熱狂の渦に包まれていた。
赤組のテントで見学しながら、俺は次の競技に備えて静かに呼吸を整えた。