ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第7話 過去問

「失礼します」

 

 俺が訪ねたのは、校舎の隅にある少し古びた部室だった。扉の横のプレートには、手書き風の文字で『遊戯部』と記されている。

 先月中旬あたり、俺の財布事情が本当に危機的状況だった頃に、非常に、いや経済的な意味で大変お世話になった部活動である。

 一呼吸置いてから扉をノックし、中へ入る。

 この遊戯部についてざっくり説明しておこう。部員は2年生が2人、3年生が3人の計5人。全員が曲者揃いで、少数精鋭という名の変わり者の集まりだ。

 部室内を見渡すと、将棋盤やチェスボードといった各種ボードゲームが長机の上の隅に乱雑に追いやられていた。そして部屋の中央に置かれた長机を囲み、先輩たちはトランプゲームの定番である大富豪の真っ最中だった。

 

「おー、柊か。珍しいな、また遊びに来たのか?」

「はい、ちょっとした用事がありまして」

「じゃ、これが終わるまでそこのパイプ椅子に座って待っててくれ」

「分かりました」

 

 3年生の先輩に指定された席に腰掛け、場が流れるのを静かに待つ。

 

「はい、上がりー! 完全勝利!」

「……チッ。大貧民は大富豪に5万ポイントな」

「言われなくても分かってるわっ! ほらよ、端末出せ」

「サンキュー!」

 

 先輩たちのこの手慣れたやり取りを見て察しているとは思うが、彼らは日常的にプライベートポイントを賭けた勝負を行っている。この学校のルール上、生徒間でのポイントの譲渡が自由である以上、これを賭博として規制する規約は存在しない。

 俺の現在のポイント残高が約20万ポイントという高水準を維持できているのも、この遊戯部での「健全な賭け事」を主な臨時収入源にしていたからだ。

 

「よし。柊、待たせたな。どうだ、今回も一勝負賭けてくか?」

 

 3年生の先輩が、獰猛で挑戦的な笑みを浮かべながらトランプをシャッフルしつつ近づいてきた。先輩の期待通りに勝負を受けて立っても良かったのだが、今日の俺には明確な別件の目的があった。

 

「いえ、今回は勝負ではなく、交渉に参りました」

「ほう、交渉?」

「はい。先輩方に2万ポイントを差し上げます。その代わり、もし一昨年の一学期に行われた小テスト、および中間テストの問題用紙をお持ちであるならば、それをそっくりそのまま譲っていただけませんか」

 

 俺が提示した具体的な条件に、大富豪をしていた先輩たちの手がピタリと止まり、驚いたように目を見開いた。しかし、目の前にいる3年の先輩は、すぐにニヤリと面白そうに口元を歪めた。

 

「驚いたな。まさかうちの部室に過去問を買い取りにくる後輩が現れるとはな。いいぜ、面白い。その交渉、乗ってやるよ」

「交渉成立ですね。では、先にこちらからポイントを振り込みます」

 

 俺が携帯端末を取り出すと、先輩も手慣れた動作で端末を操作し始めた。画面に表示された固有のID番号を確認し、俺は送金画面にその数字を打ち込んで2万ポイントを電子送金した。

 

「振り込み完了しました。確認をお願いします」

「……よし、確かに2万ポイントの着金を確認した。問題用紙はデータ化してあるから、メールの添付画像で送るよ。連絡先を教えてくれ」

「分かりました。こちらです」

 

 俺が端末のアドレス画面を見せると、先輩は素早くそれを登録した。

 

「登録完了。今日中には必ず送っておくよ」

「ありがとうございます。先輩、くれぐれもポイントだけ受け取ってバックれる、なんて裏切りはやめてくださいね?」

「馬鹿野郎、そんなリスクのあることするかよ。ポイントの譲渡履歴は学校側に残るんだ。詐欺行為なんてやらかして学校に知られたら、俺たちがタダじゃ済まないからな」

 

 無事に交渉が成立し、最大の目的は達成された。要件は済んだので、長居は無用とばかりに席を立とうとしたのだが。

 

「まぁ待てよ柊。せっかく来たんだからさ、少し遊んでいけよ。ポイントの賭けじゃなくてもいい、今日は普通にゲームしようぜ」

 

 先輩からの気さくな誘いに、俺は少しだけ足を止めて考えた。

 石崎たちの今日の分の勉強会はすでに切り上げてきたし、この後寮に戻ってもこれといって急ぎの用事があるわけじゃない。たまには息抜きとして、純粋にゲームを楽しむのも悪くないか。

 

「そうですね。では、お言葉にお甘えして大富豪をしましょう。テーブルの上のトランプを見て、ちょうどやりたくなっていたところです」

「おっ、いいねぇ! じゃあ、ローカルルールは――」

 

 

 

 翌日の昼休み。

 チャイムの音とともに、クラスメイトたちは各々自由に昼食を取るため、賑やかに動き始めだした。

 いつもなら、隣の席の椎名と読書の話や他愛のない雑談に花を咲かせながら過ごす至福の時間なのだが、今日に限ってはある人物に重要な用事があるため、俺は席を立たなければならなかった。

 教室を出ようとした際、ふと振り返ると、椎名が少しだけ寂しそうに眉をひそめてこちらを見送っていた。その健気な姿に胸が激しく痛む。

 

「龍園。もし良かったら……少し一緒に飯でもどうだ?」

 

 そう、俺が用のある人物とは、Cクラスの絶対君主となった男・龍園翔のことだ。

 本音を言わせてもらえば、俺がこの学校で関わりたくない人間ランキングのトップ3に確実に食い込んでくる龍園と、貴重な昼休みを過ごしたくはなかった。精神的オアシスである椎名の隣に今すぐ戻りたかった。

 

「ククッ、お前から飯の誘いなんて珍しいじゃねえか。いいだろう。……で、配下は連れて行かない方が都合がいいか?」

 

 配下。彼がそう呼ぶのは、あの独裁宣言以来、龍園の周囲を取り巻くようになった山田、石崎、伊吹といった面々のことだろう。

 悪いが、彼らと一緒の席で飯を食うなんて緊張感の塊のような状況は真っ平御免だった。彼らにはぜひ、この隙に少しの自由時間を満喫していただきたい。

 

「あぁ、その方が助かる」

 

 短く返事をし、俺たちは並んで食堂へと向かった。適当な日替わり定食を選び、人の少ない隅の席を確保して龍園と向かい合わせに座る。

 

「で、わざわざ俺を呼び出した話ってのは何だ」

「昨日、一昨年の中間テストの過去問を入手した」

「……はぁ? 過去問だと?」

 

 龍園の細められた目が、怪訝そうに俺を捉える。

 

「別におかしなことじゃないだろ」

 

 俺は昨日、遊戯部の先輩と交渉して過去問を買い取った経緯をかいつまんで説明した。

 上級生との関わりの中で分かったことだが、こういったポイントを用いた生徒間での情報や物品の取引は、決して珍しいことではない。むしろ、先輩があまりにもスムーズに交渉に応じてくれた様子から見て、これが学校生活における合法的な裏技であることは確信していた。もし禁止されているなら、入学時のガイダンスで真っ先に説明されているはずだからな。

 

「ククッ、なるほどな。俺は学校側の査定システムそのものに干渉する出方を探っていたが……なるほど、上級生から過去問を買い叩くってのは、模範的な正解だろうな」

 

 龍園は俺の話の合理性を理解し、納得したように不敵に頷いた。

 

「あの三馬鹿に赤点を取らせないための仕事を与えたが、これはその分の臨時ボーナスだ。受け取れ」

「こんなに貰ってもいいのか?」

 

 自分の端末の残高を確認すると、龍園の口座から一瞬で8万ポイントという大金が振り込まれていた。過去問の入手に2万ポイントを投資したため、差し引きで一気に6万ポイントの純利益が出た計算になる。

 

「俺は失敗した奴には容赦なく制裁を与えるが、期待通りに仕事をこなす奴にはそれ相応の報酬を支払う主義だ。これからも俺のために働いてもらうからな、受け取っておけ」

 

 俺は素直に報酬を懐に収めた。想定以上の利益が出たのだから良しとしよう。

 

「わかった、ありがたく貰っておく。……因みにだが、放課後にこれをクラスへ公表するだろ? その時は、俺が動いたことは完全に内密にしておいてくれ」

「分かっているさ。その方が、お前にとって今後も動きやすいんだろ?」

「ああ、助かる」

 

 定食を食べ終え、トレイを持って立ち上がる。用件は全て済んだし、これ以上彼と毒々しい空気を吸い続ける気はなかった。

 

「ともあれ、よくやった。今後の実績次第ではさらにデカい報酬を用意してやる。精々、俺のために尽くせよ、柊」

 

 ニヤリと不気味に笑う龍園。

 

「無理のない範囲でな」

 

 それだけ返し、俺はその場を後にした。残りの昼休みは、一刻も早く教室に戻って椎名と話をして精神を癒そう。

 そしてすべての授業が終わり、放課後を迎えた。

 

「おい、お前らに配るものがある」

 

 龍園が教壇の前に立ち、クラスメイトたちに向けて低く威圧的な声を放った。当然のように、彼の背後の左右には、威圧感を放つ山田アルベルトと、どこか誇らしげな石崎が護衛のように立っていた。二人の手元には、ずっしりとしたA4サイズの用紙の束が抱えられている。あれが俺の渡した過去問のデータだ。昼休みの残りの時間で、龍園が彼らに命じてコンビニで大量にプリントアウトさせてきたのだろう。

 

「配れ」

 

 龍園の短い命令一下、石崎と山田が手際よく全員の机に用紙を配布していく。

 

「それは、今回の中間テストの過去問だ。前回の小テストが過去の問題と全く同じ形式で出題されていたのを調査し、今回の中間テストも同様に、過去問と同じ問題が出されることを確認済みだ。赤点が危ねえ馬鹿どもは、これを使って死ぬ気で勉強しろ」

 

 その瞬間、教室内には突如として舞い降りた救いのクモの糸に、狂喜乱舞するような歓声が響き渡った。主に、赤点ラインの危機に瀕していた勉強の苦手な生徒たちだ。

 

「だが、わかっていると思うが……次のテストで、全科目のうち一つでも60点以下の点数を取った奴には、容赦なく制裁を与える。過去問があるからと余裕をぶっこいてる馬鹿は、今のうちに頭に叩き込んでおけ」

 

 龍園の冷徹な警告に、さっきまで喜んでいた生徒たちが一瞬で身震いし、血走った目で過去問の用紙にしがみつくように目を通し始めた。効果は劇的だった。

 

「さて、今日の勉強会を始める前に、これをみんなに渡しておくよ」

 

 放課後の図書室。俺は鞄から三冊のクリアファイルを取り出し、石崎、小宮、近藤の3人に手渡した。

 

「龍園から過去問と解答の用紙はもらっていると思う。ただ、問題の答えの意味やプロセスを理解しないまま丸暗記していくのは、人間の脳の仕組みとして記憶に定着しにくい。だからあまりおすすめはしないんだ。そこで、俺が問題を解くために必要な数式や解説を、お前たちにも直感的に理解できるように改良した解説用紙がそれだ」

 

 ファイルをめくった石崎が、一瞬で目を見開いた。

 

「ひ、柊~! ありがとう! 最高だよお前……!」

「ぶっちゃけ過去問の模範解答見た時、解説が難しすぎてさっぱり分かんなかったから、マジで助かるぜ……!」

「これなら俺たちでもいける気がする! テストが終わったら、盛大に祝勝会だなっ!」

「……全科目で60点以上を取れたらな。中間テストまであと2週間を切ってるんだ。さぁ、無駄口を叩かずに勉強に取り組むぞ」

 

 「おう!」と威勢の良い返事が返ってき、勉強会が開始されてから約一時間が経過した。

 彼らは俺が昨晩用意した改良版の解説テキストを食い入るように見つめながら、黙々と問題を解き進めている。

 過去問を提供してくれた遊戯部の先輩には申し訳ないが、元々の模範解答の解説はあまりにも知的で、石崎たちの現在の学力では理解することすら困難だったのだ。そのため、この1週間彼らの勉強の癖を分析していた俺が、知識の抜けている彼らのために、極端に言えば「小学生でも直感的に理解できるレベル」にまで昨晩ベッドの中でわかりやすく噛み砕き、まとめ上げた力作だった。

 真剣な表情でペンを動かす三人の様子を見つめながら、俺は静かに胸を撫で下ろした。




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