ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第8話 フランシス・ベーコン

「悪い、柊。ここがどういう意味なのか、どうしても引っかかっちまって……」

「……国語の現代文の記述問題か。そうだな。著者が読者に一番伝えたい主張を展開する時、文章の中にどのようなシグナルが置かれているか、覚えているか?」

「えーと、確か……言い換え、具体例、対比、因果関係……だった、よな?」

「正解だ。じゃあ、今石崎が悩んでいるこの段落は、その4つのうちどれに当てはまると思う?」

「……あ! ここ、『たとえば』から始まってるじゃねえか! ってことは具体例か!」

「そうだ。具体例の直前か直後には、必ず筆者の抽象的な主張が隠されている。だから探すべきなのは」

「……! そうか、その前の1行だ! すげえ、スラスラ解けるぞ! ありがとう柊!」

 

 問題の構造を直感的に理解したのか、石崎は嬉々とした表情でスラスラと解答欄を埋めていく。

 中間テスト本番まで残り1週間。

 石崎、小宮、近藤の3人の学習状況は、驚くほど順調だった。このままのペースを維持して本番に臨めば、赤点回避どころか、全科目で70点以上の高得点を狙うことすら決して夢ではない。昨日、定着度を測るために作成したオリジナルのミニ模擬テストを受けさせてみたが、想像を遥かに超える出来栄えだった。

 集中して黙々と問題に取り組む彼らの頼もしい光景から一度目を逸らし、俺は机の上に置いていた読みかけのミステリー小説へと視線を落とした。

 やはり、静寂に包まれた図書室という環境で没頭する読書は、何物にも代えがたい至福の時間だ。

 現在、昼休みの図書室には、俺たちのように必死に机に向かう生徒の姿が数多く見られる。俺はこうして石崎たちに教えたり、予想問題を作成したりすることで、自分自身の知識の整理と復習を同時に行っていた。決して、自分の勉強をサボって小説に逃げているわけではない。

 本音を言えば、テスト期間のこともあり椎名と2人で静かに読書を語らう時間が極端に減ってしまったのが、今の最大の悩みだった。

 

「なんだとコラァ!!」

 

 徐々に小説の奥深い世界へと没入しかけていたその瞬間、静寂に満ちていた図書室の空気を引き裂くように、粗野で威圧的な怒声が響き渡った。

 

「……すまん、ちょっと様子を見てくる」

 

 図書室の隅にある木製の間仕切り席で勉強中の石崎たちにそう声をかけ、栞を挟んで席を立つ。あまりにも声が大きすぎる。

 声のする方向、図書室の中央付近へと向かうと、そこには案の定、我がCクラスの生徒と、Dクラスの生徒数名が何やら一触即発の空気で揉めていた。

 

「おいおい、本当のことを言っただけでそんなに怒るなよ。もし校内で不用意な暴力沙汰なんて起こしてみろ、どれだけクラスポイントの査定に響くか……あぁ、悪い悪い! お前らDクラスは、そもそも失くすポイントすら持ってないゼロの不良品だったっけ? 守るものがないってのは強みだな。でも、手を出した瞬間に即退学になるかもなぁ?」

 

 嫌味な笑みを浮かべて挑発しているのは、同じクラスの山脇だ。

 

「上等だ、表へ出ろよコラァ! ぶちのめしてやる!」

 

 山脇のあからさまな侮辱に、Dクラスの赤髪の男子生徒、須藤が今にも殴りかかりそうな勢いで吠える。周囲の生徒たちが冷や冷やしながら遠巻きに見守る中、このまま事態が悪化すれば確実に教師の耳に入る。

 

「彼の言う通りよ。ここで軽率な騒ぎを起こせば、学校側からどのようなペナルティーが下るか分からないわ。最悪の場合、退学処分になることだって十分にあり得ると自覚すべきよ。それから……あなたCクラスの生徒でしょう? 正直に言って、そちらも他者を見下せるほど自慢できるような立派なクラスとは思えないけれど」

 

 須藤と同席していた、黒髪の凛とした美少女――堀北鈴音が冷徹な一瞥を山脇に投げかける。

 

「はっ! CクラスからAクラスなんて、現状じゃあどんぐりの背比べ、ただの誤差みたいなもんだ。まあ、お前らDクラスだけは別次元だけどなぁ」

 

 山脇の言い分も一理あるが、いくらポイントがゼロだからといって、他クラスをそこまで執拗に煽るのは完全に悪手だ。

 

「随分と不便な物差しを使っているのね。私から見ればAクラス以外は団子状態よ」

「1ポイントも持っていない不良品の分際で、生意気言うじゃねえか。顔が可愛いからって何でも許されると思うなよ?」

「脈絡もない話をありがとう。私は今まで自分の容姿を気に掛けたことはなかったけど、あなたに褒められたことで不愉快に感じたわ」

「お前……っ!」

 

 完全にプライドを傷つけられた山脇が、ガタッと激しく机を叩いて立ち上がる。

 様子を見ていたが、周囲の生徒は関わり合いを恐れて誰も止めに入ろうとしない。

 誰も注意しないから俺が止めに入るしかない。何より、この騒音のせいで石崎たちの勉強の集中力が削がれるのも、俺の貴重な読書タイムが邪魔されるのも我慢ならなかった。図書室は静かに利用するのがルールだ。

 

「山脇、そこまでにしろ。これ以上ここで騒ぎを大きくするな」

 

 俺は山脇とDクラスの間に自然な動作で割り込み、静かに、だがはっきりとした声で釘を刺した。

 

「……柊? なんでお前が……」

「騒動の当事者として学校側にマークされたら、どんな連帯責任やペナルティーを喰らうか分からないぞ。もしお前の軽率な行動で、これ以上クラスポイントが下がったらどうする? お前、その結果を龍園にどう説明して、どんな制裁を受けるか、想像できているのか」

 

 龍園という名前を出した瞬間、山脇の顔からサーッと血の気が引き、青ざめていくのが分かった。現在、Cクラスのほぼ全ての生徒が、龍園の冷酷な実力支配に底知れぬ恐怖を抱いている。山脇も例外ではなかった。騒動を瞬時に収めるには、支配者の名前を出すのが最も効果的だ。

 

 山脇の挑発にDクラスの生徒がキレる。

 おい、余計な挑発をするんじゃない。それにいちいち挑発に乗るなよ。沸点が低いなぁもう。

 

「わ、分かったよ、柊。あまりにもこの不良品どもがイラつく態度を取りやがるから、ついな……」

「んだとコラァ!」

 

 山脇の懲りない捨て台詞に、須藤が再び激昂する。

 

「はっ今度のテスト、赤点を取ったら退学って話は知ってるだろ? お前らから何人退学者が出るか、今から見ものだぜ!」

「残念だけど、Dクラスから退学者は出ないわ。そう驕っていると足元をすくわれるわよ」

「く、ククッ、足元をすくわれる? 冗談はよせよ。俺たちはなぁ、赤点を回避するために必死になってるお前らとは違うんだよ。より高い点数を取るために、余裕を持って勉強してんだ。一緒にするな。……大体、そっちの机のノート、何だよそれ? 今更フランシス・ベーコンだとか大航海時代の用語を必死に暗記して喜んでるが、正気か?」

「フランシス・ベーコン? 俺の記憶が正しければ、その人物や大航海時代の範囲は、テスト範囲外なはずだぞ」

「え?」

 

 俺の指摘に、須藤が素っ頓狂な声を上げた。

 そう、先週、全科目においてテスト範囲の変更が坂上先生から通達された際、その世界史の発展部分は真っ先にテスト範囲から外されたはずだ。それなのに、なぜDクラスは今更そこを勉強しているんだ?

 Dクラスの面々を見れば、堀北も含めて全員が困惑の表情を浮かべている。

 

「おいおい、テストの範囲すらまともに把握してねえのかよ? やっぱ正真正銘の不良品だな、お前らは」

「てめぇ……いい加減にしろよ、コラァ!!」

 

 須藤が怒り狂って山脇の胸ぐらを強引に掴み上げた。

 

「お、おい……! 暴力振るう気か!? ポイントがマイナスされるぞ! いいのか!?」

「うるせえ! 減るポイントなんて、俺たちには元から1ポイントもねえんだよ!!」

 

 彼は完全に理性を失い、太い腕を大きく後ろに引いた。

 俺は須藤の沸点の低さに呆れつつ、次の瞬間には身体が勝手に動いていた。

 山脇の顔面に向けて放たれた須藤の鋭い拳。その手首のあたりを、俺は手のひらで横からパシッと受け止め、その凄まじい運動エネルギーの軌道を下方へと受け流して虚空に逸らした。

 ガッ、と空振りの風切り音が図書室に響き、周囲が驚いたように目を見開く。

 

「……ッ!? てめぇ、邪魔すんじゃねえ!」

「須藤、やめなさい!」

 

 堀北の鋭い制止の声が飛ぶ。俺は須藤の手首をそっと離し、青ざめている身内の山脇に向き直った。

 

「おい、山脇。お前も挑発が過ぎる。これ以上ここで騒ぎを大きくして、龍園の耳に入れたくなければ、今すぐここから退出することを強くおすすめするぞ」

「あ、あぁ……分かった。行こうぜ、お前ら」

 

 山脇は腰が抜けかけた様子で生唾を飲み込み、一緒にいた取り巻きのクラスメイトを連れて、這う這うの体で図書室から去っていった。

 全く、本当に人騒がせな奴らだ。

 

「うちのクラスの者が、大変不快な思いをさせた。申し訳ない」

 

 俺は振り返り、Dクラスの面々に対して静かに頭を下げた。

 元はと言えば、山脇が彼らをDクラスというレッテルだけで見下し、過度な侮辱を浴びせたのが引き金だ。同じクラスの人間として、ここは素直に謝罪しておくのが大人の対応というものだろう。

 

「えっと……いや、君が謝ることじゃないよ。庇ってくれてありがとう。……でも、さっき君が言ったことで、一つどうしても聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 須藤の後ろから、整った顔立ちの茶髪の少女、櫛田桔梗が平坦な声で尋ねてきた。

 

「さっき……あの範囲はテスト範囲外だって、言ってたよね?」

「あぁ、世界史のあの部分は確実に範囲外だぞ」

「……それ、どういうこと?」

 

 堀北と須藤、そして綾小路が互いに顔を見合わせる。

 これはさすがに奇妙だ。

 全科目において試験範囲が変更されたと各クラスの担任の先生から先週の金曜日のHRで通達されている。大航海時代の歴史やフランシス・ベーコンといった項目は、難易度調整の観点から試験範囲から除外されたと。 

 Dクラスだけテスト内容が異なるとは考えにくい。試験は学年全体で統一されているはずなんだが。

 

「じゃあ……大航海時代のあたりは、全部テストに出ないってこと?」

「あぁ。先週、全科目でテスト範囲の変更が発表されたからな。もし必要なら、変更後の正しい範囲を教えるが?」

「……お願いするわ」

 

 堀北が素直に手元のプリントを差し出してきた。俺は胸ポケットからボールペンを取り出し、彼女たちのプリントに書かれた古い試験範囲の上に横線を引き、新しく変更された範囲を手際よく書き込んでいった。

 敵に塩を送るような行為かもしれないが、さっきの山脇の無礼に対する謝罪の代わりだ。これくらいでチャラにしてもらえるなら安いものだろう。

 

「おい! マジかよ! ここ、俺たちが全く手をつけてない、授業でさらっと流しただけの場所じゃねえか!」

 

 書き換えられたプリントを見た須藤が、絶望に満ちた声を上げる。

 確かに、これは同情せざるを得ない。中間テストまで残り一週間という極限状態の中、本来勉強すべき場所を間違えていたのだ。もし過去問のような特殊な攻略法がなければ、このままだとDクラスから退学者が続出するのは目に見えている。

 俺が教えられるのはテスト範囲までだ。さすがに、遊戯部の先輩から買い取った過去問の存在まで教えてやれない。

 

「テスト範囲の訂正は以上だ。俺はこれで失礼するよ」

 

 彼らにそう言い残し、俺は足早に石崎たちの待つ自習スペースへと戻った。

 時計を確認すると、昼休みが終わるまで残り10分を切っている。せっかくの読書時間が完全に潰れてしまった。これも全て山脇の余計な挑発のせいだな、と心の中で愚痴をこぼす。

 

「すまない、待たせた。今戻った」

 

 俺が席に戻ると、ちょうど昼休みの終了時刻が迫っていることもあり、石崎たちは勉強道具を片付け始めているところだった。

 

「遅かったな、柊。向こうで何かあったのか?」

 

 俺は片付けを手伝いながら、先ほど中央エリアで起こった山脇とDクラスの小競り合いについて、要点だけを簡潔に説明した。

 

「あいつ……! 山脇の野郎、龍園さんの警告を忘れて余計なトラブルを起こしやがって!」

「これは即、龍園さんに報告案件だな」

「だな。俺たちのクラスポイントに響くような真似しやがって、タダで済むと思うなよ」

 

 石崎と小宮は、早くも龍園に事の顛末をチクる気満々だった。山脇が放課後、龍園からどのような凄惨な「お仕置き」を受けるかを想像し、心の中で合掌する。

 

「とりあえず、詳しいことは教室に戻ってからにしよう。もう昼休みが終わるぞ」

 

 手元の端末で時間を確認すると、予鈴まで残り6分だった。

 俺たちは手早く荷物をまとめ、騒がしかった図書室を後にして、少し早足で自分たちの教室へと戻るのだった。




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