ジプシーサポーター   作:tsunagi

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第1話

 

 狼は突然やってくる。狼少年と同化して、それはトラメガを手に現れた。

 

 「本日の試合では鳴り物を使っての応援は出来ません。」

 

 レプリカユニとタオルマフラーで武装した赤い待機列に向かって、警備スタッフの発したアナウンス。キックオフのホイッスルすら及びも付かぬ開門10分前に、戦いの火蓋は切られた。記録的猛暑を乱発する夏期休暇の最終日。青天の霹靂(へきれき)ならぬ、炎天下の号砲が(つんざ)く西が丘競技場アウェイ側入場ゲート。沸点に達した水銀と見紛(みまが)う太陽の絶倫と、(おびただ)しい白皙(はくせき)(しのぎ)を削る積乱雲の城郭(じょうかく)。酷烈な直射日光の長火箸が、アスファルトから立ち昇る陽炎を掻き回し、熔けた硝子の被膜を透かして、朦朧とした意識が波を打つ。

 余りにも唐突で言葉に意味が追い付かない。過入力で音の割れた備品のトラメガ。フィードバックした事務的な告知が漠然とリフレインする。序列と構造を失った単語と文法。左脳の言語中枢を擦り抜ける母音と子音。やがてトランジスタとホーンスピーカーの簡易回路は、熱暴走を起こした現場その物を、沈黙に変換し始める。

 午後16:30開門、18:00キックオフと大書した表示板、汗まみれのレプリカユニにプリントされた背番号が、ランダムに折り重なる待機列、配布するマッチデープログラムの準備を進めるスタッフとユースの選手達、隣接するテニスコートで交わされるハイタッチ、道を隔てたマンションと中学校の遠近感と立体感、輪郭と色彩が、俺の網膜から剥落していく。

 感嘆符と疑問符が斜めに突き刺さった顳顬(こめかみ)と、均質なハムノイズに没した耳小骨。トラメガが突き付ける現実を拒否する(ため)に、分裂した五感が統合出来ずに麻痺している。硬直した時計の針をへし折り、怪汰魂(けたたま)しい静寂を破ったのは河瀬君だった。

 「そんなの聞いてねえぞ、オイ。」

 待機列の先頭を牛耳るコアサポの一団を、それとなく迂回してアナウンスする警備に、紅い突風がグラサンを飛ばして怒鳴り込む。取り()えず手は出てないが、河瀬君の怒り肩から立ち昇る殺気で、ただでさえムサ苦しい粘着質の暑気が、グツグツと蒸し返される。

 会場警備と一口に言っても、交通整理に毛が生えた程度の物だ。特に女子の場合、代表やJの試合と比べ時給で動いてるだけの、腰の据わってないのが委託先から廻されてくる。所詮は学生の小遣い稼ぎ。ワンとしか鳴けない狼でどうにかなるヤマじゃない。河瀬君の剣幕に泡を喰い、口にしていたトラメガを所在なげに胸元に押し当てた日雇いの警備員。狼の皮を剥ぎ取られた迷える子羊の周りを、レイズのコアメンが取り囲む。無理もない、本当に初めて聞く話なのだから。

 国立西が丘サッカー場。ここは日本サッカーの聖地だ。霞ヶ丘と並ぶもう一つの聖地。屋根があるのは放送ブースを兼ねた貴賓席だけで、スタンドは雨風や陽射しを遮る物がなく、夏は暑くて冬は寒い。収容人員も五千入ればパンパンで23区の片隅と言う些末な(たたず)まいは、一見、スタジアムと言うより座席の充実した練習グラウンドだ。しかし、国の威信を賭けた完璧なピッチコンディションと、選手の息と汗が、一切のフィルターを介さぬ至近距離で着弾する、断トツの臨場感は観客の眼と心を奪って放さない。日本サッカーの冬の時代から、女子サッカーに限らず、高校選手権、少年サッカー、地域リーグ、あらゆるカテゴリーの試合と大会を見守り、下支えしてきた歴史は本物だ。アマチュアサッカーの殿堂。キャパの大小を超えた日本サッカーのオアシス。

 それは箱物と言うインフラの域に留まらず、西が丘と言う街にも根付いている。高校サッカーの名門帝京高校のお膝元で、サッカーは東京北区を彩る文化と歴史の一つだ。鳴り物での応援は西が丘の日常。半世紀の時を超えて街に響き渡り、止むことは無かった。近隣住民への根回しが足らず、Jの試合や、隣接する野球場の応援はOKなのに、女子サッカーの試合では鳴り物NGと言うスタジアムは多々あるが、西が丘に限ってそんな野暮な話は無い。それも開門直前の通告。例え急遽決まった事だったとしても、せめて、コアサポが待機列に陣取った時点で話を切り出せば良い物を、不意打ちも良い処だ。

 足元に落ちたグラサンを拾い上げ、レイズの赤いユニの壁に向かって歩を進めるも、河瀬君は闘犬の様に警備に喰らい付いて取り付く島もない。こいつあ難儀だ。元々、レイズのトップでリードドラムのキャリアをスタートし、男子の代表でも顔が利き、どの現場でも先陣を切って叩いている。駒場の水で顔を洗う、伝法肌(でんぽうはだ)三尺帯(さんじゃくおび)は、通風持ちの恰幅で誰よりも貫禄があり、鉄火場の様なゴール裏の中にあっても逆らえる奴なんて一人もいない。手ぶらで観に来ている客とは訳が違う。センタードットのドラムヘッドに張り詰めた鬼気。一鼓一会(いちこいゑ)に渡世を賭ける不屈のマレット。ゴール裏の雄渾と自身の生き様が、寸分たりとも違っていない。今日も家からここまでキャリーでフロアタムを引っ張って来たのだ。一週間のピークをこの日に定めた実働モード。昨日の夜から全開で入りっ放しのスイッチを今更オフになぞ出来るものか。赤い人の壁で簀巻(すまき)きにされた警備スタッフは、肩を(すぼ)めてトランシーバー越しの上役に指示を仰いでいるが、意味がない。トランシーバーのこっち側も向こう側も、雀蜂の巣でリフティングをしたらどうなるのかすら判らない連中だ。リフティングが駄目なら、ヘディングしろとすら言いかねない。それも()りに()って真っ赤な火達磨の蜂の巣だ。このボヤが一頻(ひとしき)りの夕立なんぞで治まる物か。焦燥を(なぶ)り廻す土砂降りの直射日光。制御不能で濁流する汗。(ぬぐ)った掌を額に(かざ)し見上げれば、火山の噴煙と見紛うばかりの、膨大な体積で禍々(まがまが)しく隆起する積乱雲が、半狂乱の日輪と肩を並べて、卑小なる人の営みを見下ろしている。

 レイズは去年、シーズンが終了すると、ベテランと中堅選手を切り、クラブの外から監督を初招聘(はつしょうへい)して、チームの若返りを図った。女子サッカー界のレジェンドの指揮の下、U-20W杯で活躍した選手達を中心に展開する、華麗なパスサッカー。3:0で大勝した開幕戦。新しく生まれ変わるチームの未来図に、サポーターは胸を躍らせた。(ところ)が、その船出を後押ししたと思った順風は、第2節あっさりとチームの帆柱をへし折った。トップリーグの荒波に、経験不足の選手達と整理されてない戦術は蹂躙(じゅうりん)され、そこから地獄の6連敗。7連敗は免れた物の、リーグ戦中断までの残り2試合も2引き分けで勝利無し。シーズンを折り返した時点で、降格争いの泥濘に腰まで浸かり、リーグカップが始まっても、回転寿司の皿の様に黒星に黒星を重ね、程なく、烏も突かぬ干物の様に激痩せした外様(とざま)のレジェンド監督は、リーグカップのグループリーグの全日程を待たず、六月に健康上の理由で監督を辞任。現状、ライセンスのないコーチが暫定で指揮を執っている。

 そんな何が何でも勝ちたいと言う時に限って、相手はエレーラ、一筋縄ではいかない真のライバルだ。年によって在ったり無かったりする、取って付けた様なカップ戦の、首位通過と敗退が決まっている二チームで組まれた、グループリーグ最終節の消化試合であっても、エレーラの風下で不貞寝(ふてね)を決め込む訳にはいかいない。パチンコマネーとW杯優勝特需で、一気に日本女子サッカー界の盟主に躍り出た神戸に水を開けられたとは言え、今夜のマッチメークは、長く陽の当たらない道を歩んできた日本の女子サッカーを、全力で引っ張ってきたという矜持(きょうじ)に焦がれる二チームのナショナルダービーだ。両クラブのサポ以外の観客も、ワンランク上の白熱した試合を求めて、スタジアムに詰め掛ける。その唯でさえプレッシャーが掛かる処で、開門前から付けられたケチ。夏期休暇の最終日位まったりしたい処なのに、今夜のチケットはとんだ貧乏籤になりそうだ。

 開門時間になり入場ゲートへと緩慢に進み始める紅い待機列。最前列を占めていたレイズのコアサポは、横断幕のセッティングに回るメンツ以外は、列を離れて入場せず、ドラムの取り扱いに関するクラブの対応を待っている。この(まま)だと、ドラムをスタンドに持ち込んで良いのかどうかすら判らない。怒鳴り疲れて一旦息を整えている河瀬君にグラサンを渡すと、今年からコールリードを執っている藤井君が代わりに舌鋒(ぜっぽう)を継いだ。

「警備の連中はクラブのホームページに今日は鳴り物禁止だって事前に告知してたとか言ってるんですけど、これ見て下さいよ。応援の注意事項のページ、警備がトラメガで鳴り物NGって言い出した時点でキャプっておいたんですよ。何処にも鳴り物禁止とか書いてないしょ。それが今そのページ開けると、鳴り物禁止って書き足してあるんですよ。ホラ。改竄(かいざん)ですよ。改竄。」

 スマホの画面に閉じ込められた、浅知恵の成れの果てを突き付けられ、警備はトランシーバーの向こうに引き籠もっている張本人の返事を待っている。最初の一手で下手を打つ位なのだから、まともな答えは期待出来ない。そこそこの騒ぎになっているのに、運営責任者はトランシーバーに指示を出すだけで、火の粉を浴びるつもりはないらしい。警備スタッフはクラブとコアサポの緩衝材。時間を稼いで、有耶無耶(うやむう)にしてくれればそれで良いと思っているのだろう。

「今シーズン始まる前にクラブが近隣住民と話し合って、今後鳴り物応援をしない事を決めたとか言ってるんですよ。それもクラブの方から話し合いの場を設けたとか。どう思います。有り得ます、そんなの。ここ西が丘ですよ。」

 生乾きで固まっていない嘘に、取って付けた嘘を後から後から塗りで重ねた所為(せい)で、辻褄が下地ごと崩れている。海図のない航海を彷徨(さまよ)う警備スタッフ。スタジアムが竣工して約半世紀、ブラスバンドと歌声が響き渡るこの地域で、今更、それも態々(わざわざ)クラブの方から出向いて禁止を切り出す必要なんて何処(どこ)にもない。何かある。そう察しはしても、トランシーバーの伝言ゲームを繰り返すだけで、運営責任者はマッチコミッショナーと試合前のミーティング中の一点張りで雲隠れ。立ち昇る火柱に油を注ぐだけでは飽きたらず、穴の空いた団扇で執拗に扇いでいる。

 藤井君はユースの試合をメモを執りながら観る程の堅い(おとこ)だ。その鼻先に(みだ)らな(しな)を作る不正の尻尾が垂れ下がっているのだから、摑んで放す訳がない。タッパが185cmを優に超える偉丈夫(いじょうぶ)で、座っていても立って見える益荒男(ますらお)の仁王立ち。腕を組んだ広く厚い掌の中で、悲鳴を上げる(すべ)のないスマホが、改竄画像と共に窒息している。

 コールリーダーはゴール裏のフロントマンだ。藤井君もスタンドの中の仕切りだけでなく、入場前の段取りから試合後の飲み会のセッティングまで立ち回り、フロントとのコミュニケーションもネゴシエイトも欠かす事がない。三十路に入ったばかりとは言え、高齢化の進むゴール裏では若手の筆頭株。その内ゴール裏を引っ張るポジションに収まるだろうとは思っていたが、自ら進んでコールリードに名乗りを上げたと聞いた時は驚いた。ただでさえ大所帯で(まと)め上げるが大変な上に、激熱なトップの応援と(いや)(おう)でも比較され、何をやっても女子は(ぬる)いと矢面に立たされる事が眼に見えている。(ゆえ)にビッグクラブの宿命でなかなか適任者が見付からず、去年までユナさんと言う女性がコールリードを執っていたのも暫定的な物だった。その盥回しにされてきた()()発破(はっぱ)を、藤井君が腹に(くく)った途端、クラブが連戦連敗の泥沼を潜水し、リーグ戦で残留争いを続けているのだから、その心労は推して知るべし。今日の運営の不始末を、ハイそうですかと笑って見過ごしてくれる訳がない。

 外様(とざま)の自分がここにいて出来る事もなく、下手な事を口にしてガス抜きの針になっては元も子もない。取り敢えず入場して様子を見る事にした。手際良く横断幕をフェンスに貼り付けていくレイズサポを横目に、メインスタンド中央に席を確保し、売店の酎ハイを買いにホームゴール裏を横切るコンコースを通り抜ける。

 今夜兄貴分のトップチームは岡山でアウェイ戦と言う事もあり、居残り組のサポがエレーラの応援に繰り出している分、何時にもまして盛況だ。立ち見席の手摺りにもたれ掛かって(ひし)めく緑のレプリカユニ。タオルマフラーの新しい巻き方を模索し、コンビニの弁当を広げ、マッチデープログラムをチェックし、ゲーフラを組み、写メを撮り合い、遅れてきた仲間に向かって手を振って居場所を知らせ、誰かが足下の紙コップ蹴り倒してドリンクをブチ撒け、華やかな悲鳴と哄笑(こうしょう)の連鎖が打ちっ放しのコンクリートを爆ぜる。メインやバックスタンドで(さざなみ)を打つ和やかな談笑とは一味違う、ゴール裏で瞬発する跳ねっ返りな語気。奇声に近い遣り取りが、散発的に頭上を飛び交い、そこにある何もかもが期待と興奮で活性化し、決壊の時を待つ高カロリーで高気圧な空間が、今は未だ雑然と地熱を(たた)蠕動(ぜんどう)していた。

 「ウイッス。」

 顔見知りのサポと眼が合う度に、軽く会釈(えしゃく)をして通り過ぎる。女子は男子以上に狭い世界だ、敵も味方も、ニュートラルもなく面が割れていて、お忍びで試合だけ観て帰るなんざ夢の又夢。一旦入場ゲートの敷居を跨いだら、便所の中にすら逃げ場がない。そうやって挨拶回りをしている内に、キャリーケースの中から横断幕を出して、仲間に掲示場所の指示を飛ばしていたイックンに見付かった。キャリーケースの脇には、スネアとタムの入ったソフトケースが寄り添っている。

 「本当、参っちゃいますよ。去年までの運営の連中とは付き合いも長かったんで気心が知れてたんですけど、今年からみんな入れ替わっちゃって、良く判んないんですよね。何考えてんのか。いきなり開門直前に鳴り物禁止とかないでしょ。この前、ユースの試合ここでやったの時は、鳴り物OKだったんですよ。」

 横断幕を肩に担いで、イックンがぼやいてくる。今日西が丘に着いてホーム側の待機列に挨拶に行った時、久し振りに会ったイックンは随分と雰囲気が変わっていた。大学進学で青森から上京したての頃のイックンは、華奢な体躯(たいく)に性根もか細い一兵卒で、人手が足りぬ現場でリードドラムを任されても、余りの体力のなさにリズムをキープするのもままならず、腰の砕けた変拍子を叩いていた。多摩陸や稲城で鳴り物が使えず、芝生席の三、四人で手拍子と声出しをしていたのを見かね、少し離れた所でバモっていたら、

 「もっとこっちに来て下さいよ。僕の隣でお願いしますよ。」

 と泣き付いてきたのを覚えている。試合後の飲み会では、親の仕送りとバイト代だけじゃ大変だろうと、末席で小さくなっていたイックンの飲み代を出してやったり、余計な世話を焼かずにはいられなかった。そんなイックンが、開門前、ホーム側の待機列でスネアのチューニングを(いじ)りながら、

 「フルタイム、リズムキープと抑揚(よくしよう)に集中しなきゃならないタムと違って、スネアはオカズだから遊びがあって、それ程シビアじゃない分、楽しく叩けますよ。」

 とレクチャーをしてくれるのだから、現場と人の化学反応ってのは予測不能だ。去年だったか、トップのホームゲームで自作したエレーラの試合告知の横断幕をコンコースに張り出し、観客に呼び掛けているイックンに遭遇した時、クラブへの熱情は既に一過性の物では無くなっていた。アウェイの遠征に行けるだけの経済力がない分、新規のサポーター獲得の為、地元で地道に汗を掻くしかない。陽の当たらない現場で腐る事なく積み重ねてきた日々は、消え入りそうにか細かったイックンの瞳を切れ長に引き締め、フライドベーコンの様にカリカリだった胸板にも脂が乗り、ゴール裏という村社会の(はばか)りに、ガツガツと分け入る胆力をも(つちか)っていた。サポの飲み会の席に度々俎上(そじょう)する、頭角を現したイックンの名前。多弁大仰(たべんおおぎょう)にして傲岸不遜。活きの良さを買う者と、出る杭を叩く者とが酒勢を荒げ、睨み合う。変われば変わる物だ。イックンが兄貴分のトップのコアサポと連絡を密に取り合ってサポ活を手伝い、実質エレーラのゴール裏がイックン主導で仕切られている、と言う話は人伝に聞いてた。エレーラのゴール裏が二つに割れて、ギクシャクしている、と言う事も。イックンの野太い成り上がりは、一つの時代の終わりを象徴していた。エレーラのゴール裏も又、この一、二年で思いも寄らぬ様変わりを遂げていた。

 俺が女子の現場に足を運ぶようになったのは、出身地のクラブがリーグに参入したのが切っ掛けだった。当時女子サッカー界で絶対女王だったエレーラを、ゴール裏から支えていたサポグループはVEだった。知名度と動員力に欠け、少人数での活動を余儀なくされる女子のゴール裏で、四、五人の少数精鋭が叩き出す、声量、ドラムスキル、コールとチャントのバリエーションとタイミングは圧巻で、一人一人が手を抜く事が許されぬ分、大所帯の男子の応援より腹が据わって鬼気迫る物があり、「女子なんて所詮。」と言う、同族のサッカーファミリーから面と向かって放たれる(あざけ)りに、抗う処か撥ね除けて、ネジ伏せる程の本格派の応援は、女子サッカーの世界に首を突っ込んだばかりの自分にとって、衝撃以外の何物でもなかった。正に雲の上の存在で、話し掛ける事も、近寄る事も出来ず、何時もスタンドの隅で憧憬(どうけい)畏怖(いふ)(まなこ)で見上げていた。

 アンタッチャブルなパスワークと超攻撃的守備で、試合の主導権を鷲摑みにし、一秒たりとも手を弛めぬ異次元の実力。国内タイトルを総ナメにし、日本女子サッカーの礎を築いた象徴的クラブに共鳴する、ゴール裏の雄々しきコール・アンド・チャント。ピッチのプレイと声援が(あざな)う最強のスパイラル。総ては永遠不滅の物に思われた。それがエレーラの母体、Jのトップチームの経営危機によって、クラブとサポの蜜月はあっさりと幕を閉じた。プロ契約選手を一気に放出し、クラブ経営の縮小に舵を切ったクラブを茶化す様に、W杯優勝のバブルが到来。本来手にする筈だった、日本女子サッカーの立役者としての見返りは新興クラブにカッ(さら)われてしまい、エレーラの運営はトップチームの垂れ流す赤字の穴埋めに駆り出されて、女王の威厳は見る影もなく、去っていった選手達の後を追う様に、VEのメンバーも一人、()た一人とスタンドから去っていった。

 代替(だいが)わりで一新した今のゴール裏に、VEが眼を光らせていた頃の凄みはない。ヒリヒリとした抜き身の緊張感や一体感に痺れたのは在りし日の陽炎。近寄り難さや息苦しさが薄れていった事でゴール裏の敷居は下がり、その分、選手個々を追い掛けるライト層を取り込んで、或る意味風通しは良くなった。今日も常緑のホームに清白のアウェイ、新旧のレプリカユニが幾重にも折り重なり、印象派の河面の様に(きら)めくエレーラの盛況な立ち見席は、晩夏の週末を存分に謳歌している。コンコースに手際よく張り出されていく横断幕。手から手へと受け渡される笑顔。イックンの指示に眼を輝かせる新しい顔ぶれ。パッと見、このゴール裏が二つに割れて(つば)を競り合っている様には見えない。

 開門前、ホームゲートの待機列に顔を出した時点で、相容(あいい)れない二つの磁力がお互いを牽制し、場の空気を呪縛していた。列の先頭で断絶した二つの人垣。鷲尾派とイックン派。お互い相手を存在しない物として背を向け合ったまま、残暑とは程遠い炎天下、それぞれの輪の中で湧き上がる談笑で、対岸の談笑を掻き消し合っていた。修復不能を絵に描いた光景。教室であれ職場であれ、人が数集まれば何処に行っても付いて回る事。そう頭の端に追いやって、鷲尾さんとイックンのどっちに付く訳でも、間に入るでもなく、二つの輪の間を交互に回遊してお茶を濁した。

 「私の教育不足で、本当、お恥ずかしい限りです。」

 鷲尾さんは苦笑いを浮かべて慇懃(いんぎん)に言葉を継いではいるが、イックンの話となると、柔和な目尻の皺を伝いジリジリとした辛酸が滲み出てくる。派遣先のゼネコンで大型プラントの設計に従事する生粋のエンジニアは、東南アジアをはじめとする海外出張等で多忙を極める中、仕事のスケジュールが許す限りどんなに遠いアウェイでも駆け付け、去年急遽代替え開催の決まったU-20W杯では、エレーラとそのユースから選出された選手全員の横断幕を、一人自腹で発注し周囲の度肝を抜いた。宵越しの金をはたいて無軌道なサポ活に身を(やつ)す、やんちゃで癖のあるメンツが集まり、幅を利かせがちなゴール裏にあって、地に足の付いた経済力と、理知の(たまもの)である穏やかな物腰を(あわ)せ持つ希有(けう)な存在だ。本来前線に立ちガンガン人を引っ張っていくより、実務力が問われる黒子に回った方が、手際の良い堅実な資質がより活きるとは思うが、それも()いて言えばの話。VEなき後、エレーラのゴール裏を引っ張ってきた自負が鷲尾さんにはある。首輪を引っ張っていた筈の飼い犬に噛まれたからと言って、おいそれとその手を引く訳にはいかない。

 「イックンは試合を全然見てないんですよね。ずっとスタンドの方を向いてコールリードしてて、選手が良いプレーをしているのに他の選手のコールをしてたりして、それで選手の父兄から、おかしいんじゃない?って言われたりするんですよ。」

 「選手の父兄や、仲間のサポから預かっている大事な選手の個人幕を、イックンはアパートの外の洗濯機の脇とかに(まと)めて置いてるらしいんですよ。そんな所に置いてて何かあったらどうするのかとか、全く考えてないんですよね。」

 試合後の宴席で酒興が一段落付いた頃、丁寧に手持ちのカードを聞き手の卓上に並べていく鷲尾さんに対して、

 「この前ヴェルディの関係者が集まって、現状報告と分析、そして今後の方針を話し合う大々的なクラブミーティングを開いたんですよ。トップからエレーラ、ユースまで含めた、全カテゴリーのサポーターも、そのミーティングに呼ばれていたのに、鷲尾さんその事俺達に一言も言わずに、エレーラサポからは自分一人だけ参加して、お負けにミーティングが終わった後も、どんな内容だったのか、全然話してくれないんですよ。ありえます?こんな事。」

 「鷲尾さんって、男子は川崎サポだから内のトップとの付き合いとか悪いんですよ。内のトップの試合に行ってゴール裏の応援を見ても、このチャントはエレーラじゃ使えないなあとか、そんな事しか言わないし。」

 鷲尾さんの眼さえなければ場所も時間も憚らず、イックンは切れ上がった一重瞼(ひとえまぶた)を更に吊り上げ、若さに任せてストレートに鷲尾さんの非を(あげつら)う。ゴール裏と言うたった一つの間取りを争う、窓も扉も灯りもない隣り合う二つの密室。(はた)からすればお互い話し合い、譲り合って丸く収めるべきだが、歩み寄る気配すらない所を見ると、人前では話せない藪の中にこそ、より深い遺恨があるのだろう。だからと言って、反りの合わぬ真相をその藪の中から掘り繰り返して、蛇やら熊やら叩き起こす事になりでもしたら眼も当てられず、どちらに分があるのかを見極めたいとも思わない。誰でも理屈を超えてムカつく奴の一人や二人いるだろう。俺なんて両手両足の指を総て足しても足りやしない。自分の事を棚に上げ、人の罪を数えるなんて蒲魚(かまとと)が過ぎる。鷲尾さんの実直さには感服するし、駆け出しの頃から俺の事を慕ってくれているイックンを邪険にも出来ない。

 「ブリキさん、久し振りに一緒にやりましょうよ。最近全然内のゴール裏手伝ってくれないじゃないですか。」

 「周りの目があるから昔みたいには出来ないよ。」

 「そんなのブリキさんクラスなら大丈夫でしょ。」

 イックンの肩越しに、様子を窺う鷲尾さんの視線が突き刺さる。適当にはぐらかしてイックンに(いとま)を告げ売店へ向かった。本当は軽やかな其の言葉尻に厭な予感が掠め、釘を刺しておこうかと踵を返しかけたが、学籍を修め、二十歳に毛が生えたばかりのイックンは血気の盛り。サポ活を通して叩き上げた気骨とも相俟(あいま)って、生煮えの根菜の様に芯が在る。無闇に逆撫(さかな)でる与太(よた)もない。

 横断幕の織りなすカノン見目麗(みめうるわ)しく、ひっきりなしの往来に盛りを過ぎたブームの残照が深い影を落とす。W杯優勝のバブルで跳ね上がったリーグの観客動員は、頭打ちどころかW杯優勝前の水準にまで落ち込んでいる。代表が活躍し、地上波の中継で視聴率を稼ぐ以外の特効薬なんて、あるんなら誰も苦労しない。同じ一部でも地方の弱小クラブのスタンドは惨憺(さんたん)たる物。二部に落ちれば百人にも満たない観衆と片手で余るゴール裏。コアサポのコールより選手の身内が送る声援の方がデカイ事もざら。興行の体を成してない。それに較べたら今夜の消化試合は恵まれている。

 埋め尽くされた選手の名前と背番号のパッチワークを(なぞ)りながらゴール裏を抜けると、ホーム側入場ゲート脇の特設ブースに見覚えのある女性が座っていた。スポーツキャスター日野真理子さんの著書販促を兼ねた握手会。折りたたみ式テーブルの上には、選手達と共に日陰の道を歩み、取材を続けたからこそ書き上げる事の出来た、日本女子サッカーの波瀾万丈(たん)が平積みにされている。公私の垣根を越えた選手インタビューを織り交ぜて、W杯優勝の舞台裏を綴った渾身のノンフィクション。初版が刊行された二年前、神田書店街の雄、三省堂のスポーツコーナーを、なでしこの駆け抜けた真夏の夜の夢物語が埋め尽くしていた衝撃は、今でも眼に焼き付いている。Jリーグの中継では各節でレポーター、ハイライト番組ではアシスタントを務め、果ては報道番組に迄活動の幅を広げる日野さんは、サッカーの現場に足繁(あしげ)く通う手合いなら知らぬ者はない。涼しげな容姿と奥ゆかしい教養、そして、軽やかな行動力の三物を天から与えられた才女だ。しかし、その才女の座るテーブルの前に握手を待つ列はなく、時折声を掛けるサポはいても、ゲートから入場してくる人波の本流は淀む事なく素通りし、スタンドに吸い込まれていく。

 オフなんてあるのかなと思う程、鮮度と密度の高い仕事を精力的にこなし、スポーツキャスターとしての地位を確立している日野さんですら、手売りをしなければやっていけないのか?薄ら寒い疑念に立ち尽くしていると日野さんと眼が合い、面識がある訳でもないのに向こうから丁寧に頭を下げてきた。初版を既に購読済みだが、思わずテーブルの上の一冊を手に取ってしまう。サインをするので名前は何と書けば良いのかと聞かれ、俺は二の句に(きゅう)した。元々選手の手を(わずら)わせるサインとか、握手とか、記念撮影とかして欲しいと思わない性分だ。断るのも失礼だなと逡巡(しゅんじゅん)した()刹那(せつな)

 「サッコちゃんって書いて下さい。カタカナで良いですから。」

 ふと柄にもない事を口走っていた。

 「あれえ、彼女ですかあ?」

 日野さんは悪戯(いたずら)っぽい上目遣いで、こちらの表情の変化を覗き見ようとしてきた。照れ笑いとかいった(たぐい)の期待通りのリアクションが出来ず、開いた財布の中に瞳を泳がせる。娘さんですかと聞かれるべき歳になって、未だそんなフワフワと浮ついた風情で見られているのが恥ずかしい。今日はどっちを応援するのか聞かれ、自分は福岡なんで別に、と言い掛けると、

 「じゃあ今日は元福岡の奈央子ちゃんの応援に来たんですね。」

 得心したとばかりに判を押す日野さんに、

 「ナオコ?誰ですかそれ。声が小さくてナヨナヨしてる、ナヨ子って奴なら知ってますけど。」

 と軽くいなし、極太の油性マジックの下で仰向けに開かれた本の脇に代金を添えた。本の一年前なら、

 「挨拶もせずに出て行った。」

 と余計な口を叩いていた所だが、今では顱頂(ろちょう)に錐を突き立てて逆巻いた当時の憤怒の余熱すらなく、ツボに(はま)った日野さんの笑顔に頬が緩んでいた。サインを書き終えた本を受け取り、日野さんの差し出した手と握手をすると、その小さな手に、福岡の選手達と本の数回交わした握手を思い出した。(いづ)れも選手達の方から差し出された手に応えた物ばかりで、自分から握手を求めた事は一度もない。掌に包み込まれた、アスリートとは思えぬ程か細く、柔らかい普通の女の子の手に何時も戸惑い、選手達の感謝の念を力強く握り返せず、ただ手を添えている事しか出来なかった。サッカーは足でやる物とは言え、日野さんも選手達もこんな華奢な手でこの世界を掻き分け切り拓いているかと思うと、握った指の間から擦り抜けていきそうなその儚い感触から、お前の手は何を成してきたのかと、静かに問い(ただ)されている様な気がしてくる。

 日野さんの握手会を後にし、売店の酎ハイで喉を鳴らしながらコンコースに戻ると、聞き覚えのある黄色い声が、ホームゴール裏のフェンスを埋め尽くす横断幕を駆け抜けた。

 「ブリキさああああん。」

 俺の名をさん付けで歓呼するその震源に、脊髄反射する頸椎(けいつい)。ケジメのない汗で塩漬けだったシャツが、粘着していた地肌から霧散し、酎ハイの酒精で充血した目頭が更に熱くなる。現場にマレットを忘れ、小脇に抱えたフロアタムを素手で叩く失態を演じて以来付いた蔑称も、メインスタンドから手を振り近付いてくるのが、神戸サポ魅惑のツートップとなれば話は別だ。男所帯の染み付いたなでしこサポにあって、南瓜畑(かぼちゃばたけ)()い立つ向日葵の二輪挿し。(いづみ)さんとサッコちゃんの御来場に、石灰色のコンコースが薔薇の絨毯に生まれ変わる。殿方の虎視を惑わす、夏の女神との二対一。こういう数的不利なら何時でも大歓迎だ。正直、今直ぐ駆け出して、スッポンマークに付きたい処だが、俺は螻蛄(おけら)似非紳士(えせしんし)。逸る気持ちを遮二無二(しゃにむに)堪え、歩度と背筋を整えた。

 W杯優勝後、女子の国内リーグに殺到した未曾有の国民。その新規の顧客を独占したのが優勝メンバーを揃えた神戸だった。中高生を中心に婦女子がスタンドを周回する開門前の待機列。その綺麗所が、神戸のグッズを買い込んでゴール裏へ直行する様に、古参のサポは眼を疑った。それまで女子の試合で眼にするスタンドの麗人と言えば、選手の身内と相場が決まっていた。女子サッカーに(はま)ってスタジアムに足繁く通う中高生なんて、万に一人どころか皆無も皆無、絶無も絶無で。トップがJのレディースならトップのサポが繰り出して、Jの流儀でゴール裏を主導してくれるが、ケツ持ちのないクラブの(まば)らなゴール裏に陣取るのは、アイドルオタクと見分けの付かぬムサ苦しい落人(おちゅうど)風情。そんな(やから)が華も色香も寄せ付けぬ吹き溜まりに、廃油を注いで掻き回していた。それがフランクフルトの星空にW杯が掲げられた途端、一夜にしてコインの裏と表が引っ繰り返った。麻疹にかかった乳飲み子の様に優勝メンバーに熱を上げ、追い掛け回す女子中高生の群れで犇めく神戸のゴール裏は、コアなメンバーで固められたままの他サポの岡焼きを買う程の盛況を呈し、咲き誇る早乙女の一団が振り撒く花の蜜に吸い寄せられて、蝶が蝶を呼び、神戸を取り巻く人の輪は幾重にも連なり、女子サッカーは変わる、新しい時代の幕が上がったのだと胸が躍った。

 日本全土が未曾有の震災で目の当たりにした虚無と喪失。混迷を極めるその有事に、正真正銘の勇気と希望を降り注いだW杯優勝の歓喜。前代未聞のタイミングで押し寄せた熱き血潮に国民は酔い痴れ、打ちのめされて胸に空いた風穴を埋める様に、熱狂がリーグ戦のスタジアムを埋め尽くした。張り詰めた心の栓を抜いてくれた、たった一つの排水溝に殺到した人々。しかし、それは危機的状況で爆発した恐怖や絶望が、劇場化した愛に反転しただけの事。入院して世話をしてくれる看護士に患者が逆上(のぼ)せるのと同じで、退院すれば魔法も解ける。W杯優勝の翌年、ロンドン五輪の決勝でなでしこが終戦すると潮目が変わる。地上波での露出が一段落付くと、モニターを介して急造された一過性の感情移入は、醸成される事なく賞味期限を迎えてしまう。

 殊に神戸の凋落は(いちじる)しく、W杯特需で置き去りにされた老舗クラブの、根強いコアサポの地盤が堅調だったのに対し、波に(さら)われる砂絵か足跡。勝ち馬に乗って燥いでいた女子中高生達は、一人また一人と元の生活に戻っていった。花が散り、蝶は羽を畳み、何時しか神戸を取り巻いていた狂騒は、葉桜を一跨ぎに、晩夏を惜しむ長い影に足を取られていく。そんな秋の気配か冬支度かと言った体の神戸のゴール裏を、湶さんとサッコちゃんは、凛とした色褪せぬ笑顔で照らし続けている。鳴り物の件で面倒臭い事になりそうだが、御天道様と御本尊を一度に拝めるのなら帳尻を合わせて、御釣りが付く。

 ノースリーブのシャツに、スレーキが覗くまでギリッギリにカットされたブリーチデニムのホットパンツで、白磁(はくじ)に薄紅を差した肌を晒すだけ晒した、眼の遣り場のないヤサコちゃんと、脇の下からウエストを伝う稜線が、悩ましげな旋律を奏でるオリーブのマキシワンピに、豊かにカールした黒髪のロングが雅に絡む湶さん。清と艶、二人はスタンドのお目汚しでしかない俺なんかとは、生まれた星が、銀河が違う、筋金入りの光り物だ。行き交うエレーラサポにはぞんざいに済ませていた挨拶にも力が入る。

 「お疲れ様です。」

 余暇の(たしな)みで仕事でもないのにこんな口を利くのは、サポという人種の(さが)だ。女子の試合なら、自分のクラブでなくとも総てが現場、という(おご)った自負が口を()く。

 「嗚呼(ああ)、又呑んでる。幾ら達者が過ぎるからって、(からだ)(さわ)るわよ。」

 開口一番、 美魔女という言霊(ことだま)の化身に(たしなめ)められて、酒毒よりもヤバイ劇物が俺の髄液を(さかのぼ)り、疑似アルカロイドが散華(さんげ)する。辯才天(べんざいてん)の生まれ変わりしは、小言も琵琶のセレナーデ、数多(あまた)の兵火に身を(やつ)し、奈良の大仏も()()ちる、ってなもんだ。

 「フン、般若(はんにゃ)の産湯で一晩寝かせた俺様の、ゴローロップにギョキャイのシェッポウたあ、片腹痛いぜ。」

 「五臓六腑に五戒の説法でしょ。もう舌にキテるじゃない。」

 「こっちの舌が来るよりも、そっちの舌か過ぎんだろ。何処(どこ)の小町のケツか知らねえが、卒塔婆(そとば)を敷くには未だ青いぜ。」

 俺は卑俗と汚穢(おわい)のバイリンガルで湶さんに一頻(ひとしき)り吹き散らかすと、サッコちゃんに日野さんの本を差し出した。

 「サッコちゃん、これ良かったら、お眼汚(めよご)しに。」

 「えっ、どうして、何で判ったんですか。今から日野さんの処に行こうと思ってて、ええっ、でも、良いんですか。」

 ピンライトを浴びた金剛石の様に大粒の瞳を見開く現役女子高生に、我ながらドンズバの目利きで怖くなる。普通こんなオヤジが、いきなりプレゼントなんて渡したら、交番に駆け込まれても不思議はないのに、口では恐縮するものの、満面の笑みで受け取ってくれるのだから、スタンドの中に限って言えば、俺だって未だ未だ捨てたモンじゃない。

 立教大の付属校に通うサッコちゃんはオランダ帰りの御令嬢で、将来の進路にスポーツマスコミを視野に入れる高校三年生だ。当然日野さんは憧れとか未来像とかそんなぼやけた物じゃなく、具体的な距離と方向を測量する一里塚だ。どんな遠いゴールでも逆算する事が許される若さと可能性を、(わず)かな面積しかない着衣の裾から伸びる、血色の良い長い手足が証明している。今日、湶さんとサッコちゃんが西が丘に足を運んだのは、メインスタンド中央に特設される、日野さんの解説とトークを聞きながら試合を観戦出来る「日野シート」が目的らしい。二人を日野さんの所に案内し、サッコちゃんが日野さんと握手しているのを眺めながら、快哉(かいさい)で緩みそうな頬を引き締める。

 半年程前、表参道のキャットストリートを物色していて、偶然サッコちゃんとサッコママに鉢合わせした事がある。(まばた)くだけで鮮やかに笑顔が弾ける、聡明な目鼻立ちのサッコちゃんとは打って変わった、モンゴロイドな地味な相貌(そうぼう)のサッコママは、突如現れたプリズナーのセットアップをズルズルに着倒した無粋(ぶすい)な輩を(いぶか)しむ事もなく、何度も何度も深々と頭を下げ丁寧に挨拶をしてくれた。そして、サッコちゃんが以前ツイッターで母親の干支が猪だと言っていたのを思い出し、この腰の低いオバさんと俺がタメなのだという事実に、挨拶を返そうとした体の節々が、ギクシャクと不協和な(きし)みを奏でた。俺がまっとうな暮らしをしていたのなら、本来はサッコちゃん位の娘が居ても可笑しくはないのだと思うと、漠然と浪費した時の重さと呆気なさに、薄ら笑いを浮かべる事しか出来ない。

 「嗚呼もう、若い子にばっかり、(ずる)い。私の分はないの?」

 話が弾むサッコちゃんと日野さんを横目に愚図(ぐず)る、能筆(のうひつ)な湶さんの眉根がマキシワンピの雅なしなと絡み合う。下手な笑顔より寧ろ、不機嫌な方が、非の打ち所のない目鼻立ちに色を添え、透徹したマチエールが甘美に華やいでいく。綺麗な物に理屈なんてない。

 「本の一冊くらいでガタガタ言うなよ。サッコちゃんはセーガクでしょうが。小遣いにも限りがある訳で。そんなに欲しい物があんなら、俺のアマゾンのカートに突っ込んどけよ。自由の女神でも、凱旋門でも、太平洋でも、オリオン座でも、銀河鉄道でも、何でも決済しといてやっからよ。」

 「何でそんな言い方しか出来ないの。」

 湶さんに優しくそっと掌で背中を叩かれ有頂天の俺は、上ずって地金を曝さぬよう手綱を引き締めた。

 「処で、挨拶に行った?」

 「レイズなら、さっきヤサコちゃんと一緒に。どうしたの、()た何かあったの?」

 「別にレイズの連中がどうのって訳じゃなくて、エレーラの運営が余計な事しやがってさあ。」

 「余計な事って何?モナリザに髭でも書いたの?」

 「開門直前になって、いきなり鳴り物NGとか言い出してさあ。」

 「エッ、本当に、どうして?河瀬さんとか黙ってないでしょ。これでもしレイズが負けたりしたら・・・・・。」

 絶句し硬直したその相貌も又絶品だ。俺に画才があれば、この(ひら)きを油彩で永遠に留めておく事が出来るのに。本当に困った女だ。

 「負けたりしたらどうなのよ。試合終わった後、出待ちがし(づら)くなるとか?」

 悪戯っぽく鎌を掛けると、完璧なデッサンで遠くを見詰める湶さんの横顔に荒寥(こうりょう)(かげ)りが煌めき、オリーブのマキシワンピは(ひめ)やかに背を向けた。

 「あの人の事は忘れる事にしたんです。クラブでも代表でも、今が一番大事な時だし。会わない方が良いの。お互いの(ため)にも。」

 顔で嘘を吐いても背中は嘘を吐けない。結局俺はお道化てナンボのピエロだ。しんみりして等、居られない。

 「でも、夏木のゴールを見に来たんでしょ。折角、特別シートで日野さんの話を聞きながら試合観れるんだから、色々と質問すれば良いじゃない。夏木の誕生日に何をプレゼントしたら喜びますか?とか、夏木は今付き合ってる人は居るんですか?居るとしたら男ですか?女ですか?とか、試合中、夏木は良く水を飲むんですけど、やっぱりあれですか、喉の渇きは心の渇きって言う奴なんですか?とか、夏木が勤めてる会社から出てきた処に、偶然通りかかった振りをして、上手く食事に誘うにはどうしたら良いんですか?とか、日野さんは夏木の携帯の番号知ってますか?とか、夏木の着てる下着はボクサーパンツですかトランクスですか?もし、夏木がフリルの付いたパンツを着ていたらって思うと、私、絶対厭なんです。絶対許せないんです。とか。」

 「そんな事聞く訳ないでしょ。」

 湶さんが振り返り、澄んだ瞳で俺を睨むと、西日に灼かれた打ちっ放しのコンコースに、南洋の潮風が吹き抜ける。

 元々、湶さんがなでしこの現場に足を運ぶようになった切っ掛けは、W杯の中継で一目惚れした神戸の近江だ。今でも本命である事に変わりはなく、日々神戸のサポ活に(いそ)しんでいる。無論、ルックスと実力を兼ねた代表のマスターピースで、スター選手な上に関西在住。同棲している公然の彼女もいて遠い存在だ。スタンドでどんなに声を()らしても、そのガチな恋心に拍たれて雲の上から降りてきてくれる訳でもなければ、蜘蛛の糸を垂らしてくれる訳でもない。手を差し伸べてくれたとしても、握手をし終えたら手放さなければならず、肩を並べる事が出来たとしても写真撮影が関の山。近江は常にセキュリティの向こう側で、片想いをする糸口すら摑ませてもらえない。

 とは言え、スポーツ万能でボーイッシュな女と言う人材に関して、女子サッカーは枯れる事のない黄金の瀧だ。湶さんの渇きを潤す牝豹には事欠かない。リーグ戦で対戦したレイズの10番に眼が止まるのも時間の問題だった。思春期で止まった少年の面差しに、体脂肪を削ぎ落とし媚態の欠片もない、筋の通った青年の体躯(たいく)。ネコ科の狩猟本能が鞭を打つしなやかな身のこなしと、先鋭な嗅覚で狙撃する疾風のゴールハント。夏木のルックスとプレーは湶さんを一撃で仕留め、今や湶さんの心を翔る白銀の天馬だ。

「眼を見れば判る。」

 湶さんはそう豪語する。その女が女を愛せるのかどうか。愛するのかどうか。“眼が合えば電気が走って判る”と言って一歩も引かない。経験や直感がそうさせるのではなく、最早、願望が信念に変貌し、情念が現実として成就しなければ許さないと言う域に達している。湶さんは試合後の出待ちで初めて夏木にサインを貰った時、その醒めた瞳に陽性の啓示を受けて電撃を浴び、確信で世界は発光した。

 近江程の知名度が未だない夏木はセキュリティも甘く、朝霞の官舎に住んでいる湶さんにとっては物理的距離からしても手の届く存在だ。今や神戸が関東に遠征してこない節で、レイズがホームゲームか関東のアウェイゲームとなれば、湶さんは夏木(もう)でを欠かさない。

 そんなマドンナのプリンスが、今日もベンチ外かもという話を開門前の待機列で小耳に挟んだ。フランスリーグから国内復帰した長身FW大澤がレイズに入団し、今日の試合から登録メンバー入り。エースナンバー10番を背負っていながら夏木は押し出される形だ。毎年、高卒の筆頭株を引き抜いているレイズクラスの名門になると、鳴り物入りで入団した選手であっても、ただ頑張っているだけでは、後から来たのに追い越される。名門校で技を磨き、育成年代の代表ではゴールを量産した夏木も、テスト招集されたA代表ではチャンスを(ことごと)く決めきれず、ここ最近では所属クラブのレイズでもトップのポジションからサイドへ回される事が増え、リーグカップに入ってからはベンチスタートが指定席になり始めている。このまま下にポジションを下げられていく事すら考えられ、点取り屋としてもここが正念場だ。元々PA内を主戦場とするフィニッシャーの夏木は、試合の全権を支配し構築するタイプではなく、背負っている10番も的外れで、重いエースナンバーは時に気の毒に見える。総てのプレーが及第点止まりで抜きん出た武器がなく、非情なエゴで敵も味方もねじ伏せる程の胆力もない夏木が、現状を打破するのは容易ではない。だが、そんな迷えるストライカーの憂鬱が、マドンナの母性を更に(くすぐ)るのだから、現役選手というのは果報者。太陽は罪な奴だ。

 湶さんは夏木を愛している。本気で狙っている。湶さんは中央省庁に籍を置く、歳の離れた公僕と籍を入れているが、本人にとってそんな世間的な事は大した問題ではない。

 「特に結婚とかするつもりはなかったんだけど、向こうがどうしてもって言うから一緒になっただけで、もう別れたいって言ってるのに、向こうがウンって言ってくれないの。」

 そう、ふんわりと言い切る湶さんにとって旦那は微熱の様な存在で、公僕の精鋭を突っ走る旦那にとっても、湶さんは自身のキャリアを彩る壁の華でしかないらしい。結婚する際に子供を作ると言った約束も、旦那にとっては単なるその場(しの)ぎの方便で、キャリアの(いただき)を制する意地の張り合いの足しにならない物は、例え血の通った我が子であっても、邪魔な物は邪魔なのだろう。そうでなくとも、男の更年期をとっくに通過した打ち止めの(おきな)だ。こんな美人に問い詰められても、

 「君には子育てとか無理だよ。」

 と逆に(たしな)め、湶さんは湶さんで、

 「そう言われてみると、そうなのよねえ。」

 と水仕事に揉まれていない、しっとりと潤む爪の先をふんわりと見詰め、愁眉(しゅうび)を解いてしまうのだから大した主婦だ。家庭から気持ちが離れれば離れる程、湶さんはスタジアムでの交遊に身を寄せ、夏木との新しい生活を夢想し、婚姻色で頬を染める。薔薇色を絵に描いた様な人だ。一緒に暮らして心も体も()たないだなんて、旦那の本能はどうかしてる。末は次官か国連大使。そんな官位の高台から望む景色が、湶さんより美しいなんて事、有り得るのだろうか。(ねた)(そね)みの瘡蓋(かさぶた)を、掻き(むし)ってナンボの俺には、用を足す以外に能のない旦那の駄竿(だざお)(へそ)で焚き、粗茶を煮立てる事しか出来ない。湶さんは旦那の前ではスタンドとは違う顔なのだろう。その顔を観てみたい。妻という仮面を被った所作も又、差し色にして魅せてしまうのだろう。観てみたい。自分の物にならないと判っているから(なお)の事。

 「どうせ試合が始まったら“エレーラのゴールより、私の心を撃ち抜いてえ”とかってなっちゃうんでしょ。」

 「止めてそういうの。只でさえ声が大きいんだから。」

 湶さんは慌てて今度は両手で俺の背中をそっと押した。コンコースを行き交う人達の奇異の眼。段幕の準備をしているエレーラサポもこっちを見て笑っている。

 こんな巫山戯(ふざけ)た遣り取りも、もう(しばら)くすれば出来なくなる。湶さんの旦那は来年か再来年、ワシントンに駐在する事が決まっている。それが出世レースの駒を進めた事を意味するのか、踏み外す事になるのかは知らない。ただ引き潮に流される様に、湶さんがその後に付いていく事だけは確かだ。もう会えなくなるのかと思うと、芭蕉の葉脈を伝い(こぼ)れる朝露の様に、更に綺麗に見えてくるのだから困った物だ。スペイン語を嗜む才女は、転勤の話になっても、

 「私、英語と寒いのは苦手なのよね。それに今、円安だし。」

 と嘆く焦点がズレている。これがブーの字の()(ごと)なら、この星から二秒で叩き出してる所なのに、逆にそんな戯れ言に癒されてしまうのだから綺麗って狡い。

 サッコちゃんも来年大学に進級すれば共学だ。女子校と言う鳥駕籠から解放され、スタジアムに顔を出す暇もない程の交遊と歓楽が待っている。進学、就職、結婚、出産。人生の節目を受けてスタジアムから距離を置く者は少なくない。盛況を極めていた同世代の仲間が、W杯バブルの退潮と共に一人、復た一人とスタジアムを去っていく中で、広がっていく空席に抗い、若手で独り健気(けなげ)にサポ活を続けてきたサッコちゃんは、ゴール裏のムサ苦しい野郎共にとって本当に有り難く心強い存在だ。かと言って、サッコちゃんの憂いを余所にスタジアムを去った者達に非がある訳ではない。スタンドの外により魅力的な世界が広がっている事を端的に証明しているだけだ。たった一つに絞り切れない程の娯楽でこの国は溢れている。ここに(すが)っているしかない俺と、ここが選択肢の一つでしかない者達の差。その落差に今更取り(つくろ)う言葉もない。サッコちゃんは流れ流れて吹き溜まっている俺なんかとは違う。育ちの良さが災いして、ここまで身を尽くしてくれただけでも感謝している。もう、スタンドの外に巣立って良い頃だ。その未来は俺が棒に振った可能性で(きら)めいている。ここはサッコちゃんが骨を埋める場所じゃない。

 メインスタンドに戻ると、湶さんとサッコちゃんはS席のど真ん中に(しつら)えた日野シートに収まり、俺は酎ハイを舐めながら、記者席、放送ブース、貴賓席に鎮座する女子サッカー界の盟主達に、ぼんやりと弛んだ焦点を泳がせていた。ベテランのサッカーライターにフリーのスポーツキャスター、レジェンドOG、JFA役員、JFA女子委員会の委員長の隣では、ロンドン五輪準優勝からの一年でめっきり老け込んでしまった代表監督が、代わる代わる挨拶に来る関係者の応対に追われていた。

 テレビのモニターの中で発止(はっし)とした受け答えと晴朗な人柄を披露する名将が、興行的な装いを排し、事務方の礼節に徹している。この世界の柵みから逃れられず、五輪後に求めた勇退を協会から拒まれ、飲まされた慰留(いりゅう)が今、どれほどの煮え湯となってその身を焦がしているのかは想像に(かた)くない。期待も認知度も低かったW杯優勝以前は、予算が少ないなりに自分の意のままにチームを編成出来、それが結果に直結していた。それがW杯優勝以後、女子サッカーが金の成る木となった途端、国際Aマッチの(いづ)れもが、スポンサーや広告代理店、テレビ中継の意向で招集メンバーが決まる花相撲に一変。戦術も日程もコンディショニングも度外視され、世代交代を推し進めようにも、

 「こんなメンツじゃチケットが(さば)けない。」

 とJFAのお偉方に面罵されて選考リストを突き返されたのでは、国内合宿やテストマッチを幾ら繰り返しても、無名の若手が食い込める余地はなく、チームとしての上積みはほぼゼロ。頂点を極めた事で研ぎ澄まされたスキルと経験値で、W杯優勝メンバーの存在とエゴはただでさえ肥大化し、既得権益を譲るつもりは微塵もなく、これから伸びる若い芽を頭の上から更に押さえ付け、陸に打ち上げられた鯨の様に頑として動かず、チームの高齢化に歯止めが掛からない。監督は今日の視察でも、新戦力の不在を再確認し、手ぶらで帰る事になるのだろう。白髪が増え艶の失せた肌、顳顬(こめかみ)雀斑(そばかす)は増殖し、(やつ)れた眼窩(がんか)を縁取るくすみと小皺に辛酸が滲んで、険しい眼差しの奥で焦燥が寂しく濁っている。

 監督を現場で初めて見たのも、ここ西が丘だった。前監督がチームの強化方針で協会と折り合いが付かず、北京五輪を控えた年であるにも(かか)わらず、契約任期を更新せずに電撃退任。コーチから自動昇格して就任間もない頃だった。代表の練習に足を運んだのは、本の一握りの取材陣と観覧者のみ。テレビカメラもマイクもなく、トレーニングウェアにプリントされた八咫烏(やたがらす)のエンブレムがなければ、そこに居るのがA代表とは判らぬ程で、響き渡るホイッスルの(もと)、選手達は黙々とフィジカルトレーニングを消化していた。今となっては信じられないが、取材申請すれば誰でもスタンドから降りて、選手の写真を間近でパシャパシャ撮れてた時代だ。年が明けて一ヶ月しか経っていない吹きッ晒しのスタンド。クラブマフラーを頭から被り、サポ仲間とコンビニの弁当を頬張りながら、オフ明けの選手の動きを追っていた。何がしたい訳じゃない。近場で代表が練習すると言うから見に来た。それだけ。なのに、ストレッチをする選手の輪の中から離れて、一人の男がスタンドのフェンス際まで来て俺達に声を掛けてきた。

 「研究熱心だな。君達。」

 ただでさえ平日の真っ昼間、大寒の峠に差し掛かった冬空の物見遊山(ものみゆさん)が珍しかったのだろう。選手に対し高圧的で、女子サッカーに愛着も敬意もなく見下し、強権を振るうばかりで策がなく、五輪の本大会を目前にしてトンズラした前任者とは違う、大らかで懐の深い新監督の歓待に、横っ面を張る寒風が()ぎ、(そぼ)めていた肩と心が一瞬(ほぐ)れた。澄み渡る空と眩い冬芝の元で弾けた新監督の笑顔。それは女子サッカーに届いた遅い春の産声だった。慌ててベンチシートから立ち上がり、弁当を頬張ったままで上手く喋れず、頭だけ下げて新監督を見送った。その気さくな人柄を包む聡明な光背に魅せられて、監督を、チームを、そして女子サッカーを全力で応援し、何時かは世界一になってやる。本気でそう思った。この人の後を付いていけば、今まで見た事もない景色に辿り着けると直感した。

 合宿を終えて日本を発ったチームは、東アジア選手権で日本女子サッカー初の国際タイトルを手にし、半年後の北京五輪では、グループリーグで三連敗を喫した男子を尻目に、開催国中国を準々決勝で退けベスト4に食い込んだ。高名なサッカージャーナリストですら、フィジカル至上主義の女子サッカー界で、小兵のなでしこは男子以上に世界の頂点から遠い位置にいると言って憚らなかった当時、現場に通っていた者達の実感は真逆だった。ラグビーなのか押し相撲なのか判然としない、放り込んでは弾き返して、愚直に自陣と敵陣をシャトルランする、コンビネーションも駆け引きも理念も品位もない、白亜紀を彷徨(さまよ)う女子サッカーの世界にあって、なでしこのモダニズムは革新の荒野を独り真っ直ぐに歩んでいた。その健気で洗練された志は、サッカーを産み落とした創造主の寵愛(ちょうあい)(たまわ)り、W杯の舞台で奇跡のゴールが決まる度に、神の御心に触れた気がした。

 何時かは(かな)うと思っていた夢。下手をすると、俺が今まで抱いてきた数多くの願望や妄想の中で、これ程見事に具現化した物を他に知らない。処が、確信をもって待ち望んでいた筈のその何時(いつ)かに、心と頭の準備は全く出来ていなかった。東日本を襲った津波の後に、津波の様にやってきた世界一の熱狂。自分が温めていたの物が金の卵だったという衝撃。(あたか)も自分が世界一になった様な錯覚に酔い潰れ、現実となった夢は、罪が罰へと浸食されていく様に、煌びやかな栄光を挫折と凋落のグロテスクなパロディへと(むしば)んでいった。

 バックスタンドを染め上げ、夏の終わりを告げる西日の照り返し。禍々(まがまが)しい紅蓮(ぐれん)氾濫(はんらん)を浴び眉を(しか)める監督に、満面の笑みで声を掛けてくれた面影はない。広告代理店やマスコミにとって、バブルが一息吐いたとは言え、未だ女子サッカーはコスパの高い商材だ。これから先も現場への無差別な介入は続くだろう。そして、名将と言うブランドが雪駄(せった)(かかと)の様に磨り減って、スポンサーと大手メディアが掌を返し撤退したその後に何が残るのか。シドニー五輪の出場権を逃して訪れた日本女子サッカーの暗黒時代。企業チーム消滅のドミノ倒しは、昔の女の思い出の様に美化出来る物じゃない。代表の浮沈が女子サッカーの鍵を握る以上、現場の総責任者として監督は矢面に立たされるだろう。登った梯子は外された(まま)。後は飛び降りるのか、引きずり下ろされるのか、転げ落ちるのか。三顧(さんこ)の礼で慰留を飲ませたのだから、その時が来たら協会も格好が付く様にしてくれるのだとしても、一つのサイクルを終えた代表チームの後片付けが無傷で済む訳がない。今こそ、あの日の笑顔を取り戻す為、監督に手を差し伸べる時だ。

 そう頭で判っていても、「この人を全力で後押しして世界一になる。」と誓い、全身の血脈を駆け巡ったあの日の昂揚や決意は解毒し、排泄されて、今や跡形もない。渋い表情で手元の資料に眼を落とす監督の姿は、元請けの尻拭いに駆り出された土建屋にしか見えず、同情は出来ても、穴の空いたバケツで、穴の空いた船底の水を掻き出す手伝いなんぞ、したいとも思わない。元々スタンドで声を張り上げているだけで、スポンサーに名乗りを上げる資力もなければ、世論を煽って集約し社会や時代を揺すぶる才覚もない。サッカーの伏魔殿(ふくまでん)幽閉(ゆうへい)された一人の男を目の前にして、気が付けばデパートで買った甲虫の様に駕籠の外から観察しているだけだ。

 アップに出てくる選手達を待ち望む、スタンドの嬉々とした予熱。コンコースを行き交う弾む足取り。()せ返るスタジアムの息吹が、汗まみれのシャツに(まと)わり付く。監督の悲哀から眼路(めじ)を振り払うと、ホームゴール裏の通用口から、運営スタッフが審判団とマッチコミッショナーを引き連れて、ピッチの確認に出てきた。計六人。その内四人の、炭の様に肌の焼けた女達は、主審、副審、第四審判の(いづ)れかで、バックスタンド側のタッチライン沿いを談笑しながら、アウェイゴール裏へ向かって歩いて行く。普段なら気にも留めないが、今日は勝手が違う。運営サイドはマッチコミッショナーに、ホームページを改竄した事など噯気(おくび)にも出してはいないだろう。監査役のマッチコミッショナーはリーグの眼。最も大切なお客様で、無失点のまま協会に送り返さなければならない。今日一日のタイムスケジュール、試合の結果、興行の収支、マッチコミッショナーの採点で頭が一杯の運営サイドからすれば、コアサポなんて二の次、三の次。事の起こりである応援の鳴り物なんて、オヤジが真夏に巻くストールの様に、ムサ苦しくて無用な物だ。コアサポの不穏な気配なぞ蓋をすべき異臭でしかない。

 背広組の一人、恐らくはホームチームの運営スタッフが、ボチボチ席が埋まり始めたバックスタンドの中央ややアウェイ寄りの一角を、歩きながら指差し何やら説明している。トラロープを渡し区画されている、西日で焼き尽くされた焦土の様な空席。西が丘では普通、特別観覧席や招待席を区画するならメインスタンドだ。夏場は熱中症の指定席で、座ってるだけで罰ゲームの所に誰をもてなすつもりか知らないが、背広組は足を止める事もなく、その無人地帯の前を横切って、チェックポイントのコーナーフラッグに吸い寄せられていく。

 マッチコミッショナーがゴールマウスの確認に来た所を捕まえて、コアサポがクラブの不正を訴えれば、運営責任者のメンツは丸潰れだ。マッチコミッショナーがリーグに報告して、クラブがペナルティを喰らうとか言う処までは行かないだろうが、醜聞を枕に高鼾(たかいびき)を掻ける程、チクられた方の面の皮も厚くはないだろう。最も手っ取り早く御上(おかみ)直訴(じきそ)する突破口は今しかない。コーナーフラッグを囲っていた背広組の輪が解け、PA内のラインが曲がっていないか確認しながら、ゴールラインをなぞり、刈り揃えられた夏芝を値踏みする様にゆっくりと歩を進める。真紅に染まるレプリカユニが凝縮したレイズのコアゾーンの目の前に来ると、カリカリに日焼けした審判の手が純白のゴールポストを軽く叩き、地面に弛んでいるネットを摘んで(ほころ)びはないかを見て回り始めた。国内に数あるサッカー専用競技場の中でも特筆に値するピッチとスタンドの距離だ。総ては手を伸ばせば摑める所にある。だが、遠目にも背広組がコアゾーンを気に掛ける素振りはなく、立ち見席で鈴生(すずな)りの真紅のマトリクスが、緊迫した攻撃色に充血する兆候もない。メインスタンド側のコーナーフラッグへ向かって、一人、復た一人とゴールマウスを後にする背広組。取り立てて火花を散らす様な見せ場どころか、これと言った接点すらなく、開門前の一悶着(ひともんちゃく)が嘘の様に粛々(しゅくしゅく)とタイムスケジュールが消化されていく。

 これで良いのか悪いのか。(さい)の目がどちらに転がっているのか見当も付かない。酎ハイを(あお)ると、氷の角が取れ薄まった酒精と炭酸が、舌にも喉にも爪を立てず、指の腹でなぞる様に(ぞう)()をぬめり、鳩尾(みぞおち)の底の底で(ほの)かに灯を点す。ヤッパ、一杯じゃ足りねえな。だらしない言い訳に気を許し、元来た道を未練がましく振り返ると、S席の方からガサガサとした(しゃが)れ声が飛んできた。

 「オイ、ブリキ、何そんな所でボケッとツッ立ってんだよ。」

 振り返ると、塩澤のオヤジが口を「ガ」の字に開けて立っている。百年生きて妖術を覚えた(なまず)の様に、メインのど真ん中に陣取る西が丘の主だ。一度睨まれたら素通りやシカトが利くタマじゃない。隣で俺に手を振る、陽焼け完全防備の塩澤ママは、キャスケットの広い鍔の奥から、グラサンのココマークを光らせている。これはもう大人しく出頭して、情状酌量を仰ぐしかない。

 「ママ、俺こっちに来る途中で、フォアグラ弁当とキャビア丼の入った袋落っことしちゃってさあ。」

 気の抜けた酎ハイを飲み干し、無駄口を叩きながら俺が()(さん)じると、

 「あら、それは大変だったわねえ。」

 と話の早いママは何時(いつ)もの様に、膝の上に広げていた御握りとサンドイッチを手渡してくれた。

 塩澤夫妻はなでしこサポの重鎮だ。シドニー五輪の出場権を逃し、日本の女子サッカーが暗黒時代に突入する以前から、現場で選手達を見守り続けている。なでしこバブルに無賃乗車してきた、雨後の竹の子とは毛並みが違う。俺の場合、熊谷のボロい方のスタジアムに向かう高崎線の車内で、いきなり声を掛けられたのが腐れ縁の始まり。ドラムと横断幕を抱え座っているのを見付けて、

 「もしかして女学館の応援?そうかそうか。何、これ福岡から持って来たの?」

 と切り出した後は、初対面相手に質問攻め。福岡にも(ようや)く関東まで女子の試合に駆け付ける与太(よた)が現れたと知って、余程嬉しかったのだろう。相好を崩し現場に着くまで根ほり葉ほり聞いてきた。その大らかな包容力に惹かれて、今日も塩澤夫妻の周りには、女子サッカーの好事家が集まり、話の輪を咲かせている。

 強張(こわば)った関節を慎重に折り畳みながら、最後は半ば身を投げ出す様に、恰幅の良い腰周りを席に下ろすと、塩爺は目尻に束ねた柔和な皺を更に寄せ集めて破顔烈笑、早速本題を切り出してきた。

 「どうだい、女学館の方は。」

 何がどうかというのは昇格争いの事だ。内のクラブは去年、入れ替え戦にすら滑り込めず、リーグ戦二試合を残し一部から二部にストーレートで叩き落とされた。当然今年のお題目は一年での一部復帰。今現在、二部のリーグ戦は対戦相手が一巡して、女学館は昇格レースを三番手で折り返し。一着が一部へストレートイン、二着で入れ替え戦、三着は配当ゼロの草臥(くたび)れ儲けだ。勝ち点三差で摑んでいる二着の尻尾。これから迎える最終コーナーを前に、否が応でも力が入る処だが、

 「まあボチボチってとこッスね。」

 塩爺の笑顔にそう返すので今は精一杯だ。二部落ちして主力の大半が流出し、その穴埋めすら(まま)ならず臨んだ今シーズン。一年で一部に復帰なんてただの建前でしかなかった。それが蓋を開けてみると、下位チームとの対戦カードが先行する日程に恵まれ、開幕ダッシュに成功。首位をキープし昇格候補としての体裁を保ったが、昇格を争う当該チームとの対戦で(ことごと)く力負けし、程なく昇格圏外へ軟着陸。それでも未だ二位との勝ち点差は一試合分に納まっている訳で、入れ替え戦枠に喰い込める可能性は十分あり、予断を許さぬ状況ではある。

 「ここから一気に巻くってやっから、ドンペリでも冷やして待ってろよ。」

 位の、気合いの入った一言で塩爺とママを喜ばせてやりたいのは山々だが、舌の根は重く生返事が関の山だ。景気の良い放言で座を盛り上げようにも、甘く割っただけの酎ハイ一杯では酔いが足りない。内のクラブで夢を語るのは、闇夜でカラスを数えるより難しく、クラブの実情を吐露(とろ)する位なら、好みのAV女優を申告する方が増しだ。

 「カンクローはこっちには来ないのか。」

 「代表は向こうでやる事が山程あるんでしょ。遠征費も馬鹿にならないから、バス移動出来る処以外は先ず付いてこないね。」

 「もう監督はやらないつもりなのかね。」

 「二部に落ちた責任を取って辞めたんだから、内で指揮を執る事はないでしょう。もし、現場復帰する事になったとしたら・・・・。」

 何時も通り質問攻めの塩爺に、ママのツナサンドを頬張りながらのらりくらりと話の焦点と核心をスラロームする。カンクローとは女学館のクラブ代表で、サッカーを始めた中学時代、度を超した男勝りと癇癪(かんしゃく)持ちに、呆れた部活の先輩から下された蔑称だ。物心が付いた頃には御山の天辺で大将風を吹かし、処構(ところかま)わぬ武勇には事欠かず、A代表の御声も掛かった天性の運動能力を武器に、プレイングマネージャーとしてチームを九州リーグ六連覇に導き、女子サッカー辺境の地で独り気を吐いていた。三十路を(また)ぎ少し角が取れたとは言え、猛々しい性分に一旦火が点くと、天地を逆さに振った様な騒ぎになるとは聞いている。良い意味でも悪い意味でも内のクラブを象徴する存在で、カンクローが現役時代背負っていた7番は、女学館のエース番号として受け継がれている。

 福岡在住のサポがアウェイ戦に繰り出すのは経済的に厳しいと言う事もあり、女学館のホーム戦は福岡在住のサポに任せ、東京在住の俺が専らアウェイ戦全試合を独りで担当し、ドラムと横断幕一式を引っ張って全国を廻っている。

 先月、初昇格を果たしたシーズン以来、久し振りに女学館のホーム主催試合に参戦した。昇格争い、と言うより入れ替え戦枠争いのライバル、杉並との大一番。結果は0:4。内容は数字以上の惨敗。杉並とは新木場でのアウェイ戦でも1:3で破れてはいたが、その時は押し込まれていたなりにも、女学館の選手はリスクを背負ってチャレンジし、ゴールを奪う姿勢をみせていた。それがリベンジを果たすべきホームだと言うのに、運動量で圧倒され、玉際で弾き飛ばされ、ミスを連発し、全く手足の縮こまったサッカーで自陣に引き籠もり、マイボールになっても杉並のファールを(いと)わぬハイプレスに蹂躙(じゅうりん)され、裏を取られるのを恐れて攻め上がらず、一対一の局面で仕掛ける事もなければサポートの一つもなく、敗走に次ぐ敗走のワンサイドゲーム。しかも相手は、前日入りした丸一日、スポンサーの好意で福岡市内を周遊し、観光気分で試合に臨んでいたにも(かか)わらずだ。

 東京から何をしに来たのか全く判らない糞試合。それも昇格レースの生き残りを賭けた試合で、上のカテゴリーのクラブに練習試合でボコられる様な惨殺劇。しかし、勝負事の現場を追っ掛けている以上、長丁場のシーズンを通せばクソゲーの一つや二つは付き物で、蕎麦に添える薬味みたいな物だ。福岡で俺を待っていた本物のドス黒い失望は、そんなクソゲーの比ではなかった。

 試合当日のレベルファイブスタジアム、ホームのスタッフが会場の設営をしている様子を見て先ず愕然とした。入場ゲート前に折り畳みのパイプ椅子や机を並べ、チケットとマッチデープログラムを用意し、ポスターを貼り、様々な区画を仕切り、インフォメーションを掲示するGKコーチとユースの選手達。和気藹々(わきあいあい)とした手作りでの設営。経費の掛かる警備会社に警備を委託するなんて高嶺の花。ガムテープ、紐、油性マジックに紙。小学校の図画工作に毛が生えた程度の、最低限の資材、最低限の経費で取り(つくろ)う、最低限の設営。その後に現れた主務とユースのコーチも慣れたもので、手から手へと渡され繋がる役割の輪の中に、継ぎ目なく溶け込んでいく。女子のクラブならずとも、アマチュアレベルのカテゴリーなら、会場の設営と撤去はクラブスタッフとボランティアが総出でやる物と相場が決まっている。その多くはユースの選手達が駆り出され、試合に出た選手がテントを畳む事もあれば、経営規模の小さいJ2の場合、クラブの社長がゴールマウスを運ぶ事すらある。パッと見には有り触れた光景だが、そこには内のクラブの抱える宿痾(しゅくあ)が薄笑いを浮かべて(うずくま)っていた。

 四年前、最終節まで(もつ)れた昇格争い。入れ替え戦に突入した女学館の主催ゲームは、福岡の女子サッカーに携わる者達の想いの全てが結晶化し、新しい天体が生まれる瞬間の喧噪(けんそう)と白熱と光輝で(みなぎ)っていた。物販ブースを切り盛りする選手の父兄。クラブの顧問、強化部長、運営責任者、運営責任者代理を手弁当で受け持つ、県のサッカー協会、地元広告代理店、クラブの母体である女子校からの出向役員。タッチラインに居並ぶ地元テレビ局のカメラ。チームカラーで埋め尽くされたベンチシートのスタンド。地理的ハンデを乗り越え、全国リーグ参戦四年目にして迎えた祝福の絶頂。このクラブを中心にして人々が繋がり未来へ前進すると言う、それまでの実り少ない俺の人生の中で味わった初めての充足。奇跡を信じた瞬間だった。

 あれから四年。奇跡とはW杯特需同様、単なる突風でしかなかった。折り畳みテーブルの上に置かれた、B5サイズの貧相なマッチデープログラム。紙面の大半を占めるスポンサー広告の合間を縫って、申し訳程度に綴られた試合のプレビューと選手紹介。主催ゲームの体裁を整える為に用意された、新聞の折り込みチラシにしか見えない、半ビラのペラッペラの印刷物が、へし折れた成長曲線の残骸に見えた。入れ替え戦のスタジアムを覆った折り重なる歓喜や薔薇色の未来は、今や閑散としたエントランスホールの何処にも見当たらない。クラブグッズの物販は外注の業者が一人突っ立っているだけで、クラブの立ち上げ時に名を連ね、屋台骨を支えていた福岡の政財界に通じた背広組の姿はなく、GKコーチがアップを始めた選手達の元に戻ると、受付を担当するユースのコーチ以外、スタジアムのエントランスホールを立ち回っているのは、ほぼユースの選手と女学館の大学に新しく新設されたフットサル部の部員のみ。女学館の息の掛かった学生と選手以外は、市民ボランティアの存在すらなく、四年前、エントランスホールを仕切っていた選手達の父兄も姿を消していた。それは最早、部活だった。二部リーグに参加している、昇格意志のない高校や大学チームのホームゲームに毛が生えた程度の光景。東京在住で、日頃から一部リーグと一部昇格を争っている入間や杉並の主催試合を、そのセキュリティやホスピタリティを見慣れている眼には、クラブごっこの御飯事(おままごと)。コンビニの弁当を皿に盛り付けて出す学食の方が、未だ増しだ。今まで出来ていた事すら出来てない、昇格を口にする以前のジリ貧。世界を目指すと豪語していたカンクローの鼻息も、今や虫の息だ。

 W杯優勝以前の女子サッカーは、恵まれぬ境遇に抗う個人の情熱と努力で成り立っているクラブが珍しくなかった。女学館はその最たる物で、以前、クラブ代表として様々な役職を兼任し、遠征バスのハンドルを握り、睡眠時間を削ってありとあらゆる雑用をこなすカンクローの姿を、地元のテレビ局が取り上げた事がある。夢を諦めず全力で突き進む一人の女性と言う一点で編集し、演出し、脚色し、美化されたカンクローの日常。視聴者が感情移入し易いよう、アスファルトを裂いて芽を吹く雑草に見立てた、孤軍奮闘のミニドラマ。共感や激励を期待して放送されたその単発の映像は、結果的にクラブの限界を残酷に映し出していた。

 W杯優勝以後、世間からの認知度が飛躍的に上がると、女子サッカーは地元自治体やスポンサー企業の強力なバックアップで、競技インフラの整備や、クラブの法人化が急速に進んだ。家電量販店が親会社のシマノに至っては、未だ一部昇格資格がないにも拘わらず、既にクラブを法人化し、自前の練習場の隣には数棟の選手寮まで併設している。これから先、サッカーが好きと言うだけで経営基盤のあやふやなクラブは、更に目の粗い(ふるい)に掛けられる事になるだろう。一部に昇格する事は出来たものの、なでしこバブルの追い風にすら乗れなかった女学館は、ハードルの上がり続けるクラブライセンスの更新すらままならぬ状況になるだろう。

 しかも、昇格を争う入間や杉並が、ホームページで募ったボランティアスタッフで主催試合の要所を仕切り、街の有志がクラブの運営に携わる事で、人の輪の広がりが眼に見えるのに対し、女学館の主催試合は、カンクローの息の掛かった内輪の部員達を使い回しているだけで、クラブと言う殻の中に閉じ籠もり、引き籠もっている。地域密着を(うた)っていながら、市民からの協力を金銭的な物以外、部外者の内政干渉として拒絶し、ホームタウンから完全に孤立している。

 クラブとは組織だ。クラブを育てると言う事は組織を育てると言う事だ。組織とは人の集まりで、組織を育てるという事は人を集め育てるという事だ。それをカンクローは誰にもバトンを渡さずに、400mリレーを独りで走り切って勝ち抜き、勝利を独り占めしようとしている。チームプレーをする気なんて更々無い。組織のトップの仕事は事業戦略の立案と人材のコーディネートだ。集めた人材を適材適所に配置して育成し機能させる。その為に敢えて、自分の方が長けていたとしても、現場にはタッチせず部下に任せる。管理職の長が振るうべき辣腕は組織全体の舵取りで、自分がやった方が早いと、手際の悪い部下を押し退け、目先の仕事を(さば)いていては、人は育たず組織の発展はない。

 安っぽい演出を(ちりば)め、愚直を美談と言うエンターテイメントに擦り換えたローカル番組の中で、カンクローは人材と予算がない事を口実に、全てを自分独りの手で、強引なエゴでやり抜いていた。零細企業からステップアップ出来ない、叩き上げのワンマン社長が陥る過ち。プレーヤーとしては輝いていたカンクローの器で(まかな)える役職は、精々独り親方止まりだ。

 全国リーグ参入から昇格までクラブを支えてくれていた役員達が何故去っていったのか。何故代わりの人材が補充されないのか。その理由を尋ねて快く答えてくれる選手やスタッフはいない。今シーズン、クラブの役員名簿に登録されているのは、運営責任者を兼任するカンクローと主務、後は監督、GKコーチ、ドクター、トレーナーのみ。試合会場でユースの子達や学生が立ち回るのは枯れ木の賑わい。そんな尻窄(しりすぼ)みし続けるクラブは、二部に所属する16チームの中で唯一、リーグ戦の全てが有料試合だ。

 女子の場合トップリーグであっても所属する選手の(ほとん)どは働きながら競技を続けている。選手の中にはプロ契約をしている訳でないのに試合が有料で、プロの選手として見られ、プロのプレーを求められる事に抵抗を感じている者もいる。それを上から頭を押さえ付ける様に、大人だけでなく子供からも女学館は入場料を(むし)り取り、果ては経営の柱にしている、サッカースクールの生徒達ですら優遇せず、入場ゲートを(また)ぐとあらば容赦なく正規の価格で徴収している。日頃サッカースクールで指導してもらっている、選手達のプレーを観たいという、子供達の純粋な気持ちにまで付け込まなければならぬ程、クラブの懐具合は火の車で、後援会費もJクラブですらそうそうお目にかかれぬ高額設定だ。結局入場者数も入場料収入も激減し、総ては裏目に出るばかりで、誉める所が何もない。シーズン途中でコーチが離脱したのも、クラブや本人からこれと言った説明はなく、自転車操業から振り落とされたのだと、諦念と嘲笑の入り交じる巷説(こうせつ)の種にされる始末だ。

 じゃあ、地元のJクラブにレディースチームとして編入すれば良いと、外様(とざま)の連中はしたり顔で軽口を叩く。チーム名にJの冠を載っければ、トップチームのサポーターを取り込んで、泥船の底に空いた穴なんて直ぐ塞がる。そうやって動員を稼いでいる女子のクラブなんて、枚挙に暇がないだろう。産地や銘柄を張り替えれば事は足りると、まるで売れ残りの農作物の様なあしらいに、未だぞんざいな女子サッカーの立ち位置を思い知らされる。黒字を見込めない女子サッカーを受け入れる側にはそれ相応の基礎体力が必要だ。内と同じホームタウンのJクラブは、運営資金約5千万円の調達にめどが立たず、このままでは社員や選手の給与の遅配が起きる可能があると、つい先日報道された。債務超過のクラブはライセンスを剥奪されJリーグからの退会を余儀なくされる。内のレディースチームになれば良いと放言した、外様の入れ込んでいるJクラブだ。しかもそのクラブの現社長は女学館の元運営責任者で、一部に昇格した時の立役者だったのだから因果な物だ。

 抑も、全国リーグに参入する際、協会に納める準備金を親類に借金をして掻き集めたカンクローにとって、このクラブはただの私物ではない。カンクローの分身であり、剥き身のエゴその物だ。福岡の女子サッカーの振興なんて張り子のお題目。独力でクラブを育て上げ、その成功を独占したい、と言う私欲が人を寄せ付けず、元々いた人達まで追い払って八方塞がりになっているのに、自分がその内追い出されるのを承知の上でJのクラブの傘下に入るなぞ有り得ない。カンクローから女学館を取り上げる事は、種馬を去勢するに等しい。

 カンクロー個人のキャパの枠を越える事のない女学館は今、緩やかな死を迎えている。湖水に沈む名も無き石の様に、静謐(せいひつ)な一定の速度で、二部リーグから地域リーグ、地域リーグから県リーグへと降格し、そのまま世間からも(こぼ)れ落ちて、何時しか人々の耳目に触れぬ様になるだろう。最早、スタンドで女学館の試合を盛り上げた処で、死に馬に死に化粧だ。

 余計な事を考えながら、甘噛みのまま呑み込んだツナサンドが喉に(つか)えて、唯でさえ反吐(へど)が逆巻く胸糞を責め立てる。拳骨の様な食パンの塊を押し戻す、呑み下しようのないクラブの末路。咳き込む俺に塩澤ママがそっと麦茶とゆで卵を手渡し、放送ブースの隣りにある関係者席を指さした。

 「奈央子ちゃん、さっきそこに居たわよ。声掛けて上げたら。」

 屈託のないママの笑顔に罪はない。麻木の名を聞いて勝手に不貞腐(ふてくさ)れている自分が無様なだけだ。俺は麦茶を一気に飲み干して、邪念を振り払う様に吹き散らかした。

 「もう、内の選手じゃねえんだから。声を掛けるも糞もないッしょ。お互い積もる話がある訳じゃなし。そう言や、どんな顔してたっけってな感じッスよ。それに、レイズの連中が大勢見てる前で、レイズのお姫様に俺が(まと)わりついてたら、角が立つ処の話じゃねえし。」

 喋れば喋るほど襤褸(ぼろ)が出ると判っていても、振り(かざ)した太刀を納める鞘が見当たらない。血の気が上った額でゆで卵の殻を割ると、塩爺が俺の膝を軽く叩いた。

 「何意地張ってんだよ。ユースのアジア予選で負けて大泣きしてたの、お前だって見ただろ。励ましてやるくらいしろよ。中学生でリーグ戦にデビューした試合から、ずっと現場で応援してるんだろ。」

 「秩父の影森グランドでしょ。キャンプで炭起こしてる親子連れ以外誰も居ねえ、糞田舎の河川敷でやった試合。更衣室も何もなくて、選手が駐車場でアップしてた。オヤジが試合中、谷垣に行けぇええとか喚いてた。」

 気を紛らわせたくて卵の殻にカリカリと爪を立てる俺に、塩爺は眼鏡の縁から零れる(まなじり)に愉悦を滲ませて、

 「選手に命を吹き込むのがサポーターの仕事だろ。お前の一言は他の奴の一言とは違う。お前が口にする頑張れと、他の奴が口にする頑張れは意味も重みも全然違う。日頃から死に物狂いで応援して頑張ってる奴が口にする、声と言葉と心が一つになっている頑張れが、心に響かない訳はないだろ。」

 「ハン、どうせ彼奴(あいつ)に声を掛けても、ナヨナヨしながらモグモグ喋るだけで、何言ってんだか判らねえんだから。気を回すだけ無駄ッスよ。」

 「そんな事ないだろ。テレビのインタビューとか引き締まった顔で、しっかりした受け答えしてたぞ。麻木は勉強も出来るんだろ。」

 「まあ、理数系はね。」

 「お前を前にしたら福岡の選手はみんな緊張して上手く喋れないんだよ。そう言えば村里もお前に会ったら宜しく言っといてくれって言ってたな。あの子も口下手だから。今は初めての独り暮らしで大変らしいぞ。」

 不意に村里の名が飛んで、殻を掻く爪が白身に食い込んだ。

 「麻木だってきっとそうだろ。部活のサッカーじゃないんだから、大学の勉強との両立は簡単じゃないぞ。おまけに大学がレイズの練習場から遠いし、通うだけでも大変だろう。」

 「親元を離れて心細いとか、こっちに来て大変だってんなら、さっさと太宰府に帰って甘酒でも舐めてりゃ良いんッスよ。」

 「相変わらず、気になる選手の話になると、口が悪くなるなあ。麻木の方こそ、ちゃんと挨拶出来ないままレイズに行った事を、気にしてると思うぞ。」

 「フン、あいつが一番気にしてんのは、自分の顎がシャクレてる事ッスよ。予選で負けたのをナヨナヨ悩んで、そこら辺のコンコースをフラフラしてるようなら、俺がその顎を摑んで気合いを入れ直してやる。」

 塩爺の煽りにまんまと釣られて、気が付くと、卵の殻と薄皮と白身が親指を呑み込んで氾濫(はんらん)し、(めく)れ上がった黄身に走る亀裂が、整理の付かない胸の内を暴いていた。

 麻木も村里も元女学館の選手だ。二人とも移籍して福岡を離れ、それぞれ、一部リーグのレイズと千葉でプレーしている。育成年代では常に日の丸を背負ってきた二人の実力と将来性を考えたら賢明な移籍だ。福岡に留まっても、底の抜けた泥船の水掻きに追われるだけ。クラブ愛とか地元愛とか言う、義理やセンチメンタルと心中した処で、貧乏籤で鯛が釣れる訳でも、外れ籤が小判に裏返る訳でもない。震災直後の世界制覇。そんな漆黒の一寸先に(まばゆ)い光の世界が待っている何て事、女学館に限っては有り得ない。そんな奇跡が起こるだけの備えもしていなければ、下地もないクラブだ。勝ち目のないチームを懸命に引っ張り続けくれた二人には、実力相応の環境で選手としてのキャリアを(まっと)うして欲しい。五輪やW杯のピッチに立つ事が夢物語ではない、その資質が色褪せぬ内に。それが(かな)うなら多少後ろ足で砂を蹴立ててでも、更なる高みへと羽ばたいて欲しい。そう密かに思っていた。

 関東の大学に進学する。一昨年、高校三年で迎えたシーズンの半ばには既に、麻木の女学館退団は公然の秘密となっていた。ルックスと実力を兼ね備えた次世代のアイドルは、早稲田のアスリートコースを受験した事が新聞に載り、程なくして奨学金が受けられる筑波への入学と、レイズへの入団が内定した事がリークされ、なでしこサポの話題を瞬く間に支配した。ビッグクラブへ鞍替えする事を指弾する気など毛頭ない。どのタイミングで退団を発表するのか、「頑張ってこいよ。」と一声掛け、気持ち良く送り出すその時を、静かに見守り続けた。シーズン中の発表は早計で、大方、リーグ戦が終わってから、遅くとも、皇后杯の後に正式発表し、本人から退団の挨拶がある物と思っていた。処が、リーグ戦最終節、麻木はホームでのセレモニーで、

 「来シーズンも女学館の(ため)に頑張ります。」

 とスタンドに向かって本意とは思えぬ挨拶をし、固唾(かたづ)を呑んでいた衆目は煙に巻かれた。そして、迎えたシーズンを締めくくる皇后杯。ダントツの最下位に終わったリーグ戦のビデオを再生する様に、()(すべ)もなく緒戦敗退。シーズンのスケジュールが完全に終了すると、試合翌日の日曜日、(はか)った様にセッティングされていた後援会員と選手達との「感謝の集い」。サポーターや後援会員、スポンサーの前で直接、退団の発表と挨拶が出来る最後のチャンスだ。そこでも麻木は改めて、

 「来シーズンも女学館の(ため)に頑張ります。」

 と形式的で不可解な挨拶を繰り返した。筑波とレイズで本決まりなのに何故。根を張って肥大するばかりの違和感。透けて見える焦臭(きなくさ)いお家事情。それでも、会を開いたのが年の瀬で、移籍先との都合もあり、発表は年が改まってからなのだろうと、無理に納得しようとしていた。それを、日頃の杜撰(ずさん)なクラブ運営とは見違える、(いぶか)る周囲の憶測に尾鰭が付く間を与えぬ手際の良さで、脇差(わきざ)しに添えた小柄(こづか)が閃いた。

 

 

 《麻木退団、移籍先はレイズか》

 

 

 感謝の集いが開かれた翌日の月曜日、地元スポーツ紙の一紙が放った一報。同日の午後にクラブのホームページでも麻木の退団が発表された。何の事はない。麻木退団のスクープと引き替えに、その地元紙でのクラブの露出に便宜を図ってもらう為、カンクローが強権を振るい箝口令(かんこうれい)を敷いていたのだ。入念に仕組まれたXデー。支援者達の面前で「来年も頑張る。」と偽った次の日に、麻木は裏口からクラブを去っていった。カンクローは地元紙との取引がクラブの利益になると武者振り付いたのだろう。サポーターや後援会員の想いとメディアへの露出を天秤に掛けたんじゃない。算段したのでもない。快く送り出そうとしていたサポーターや後援会員、裏口を潜らされる麻木の気持なぞ、端から頭にないのだ。コンビニの雑誌に張られている、立ち読み禁止のテープの様に引き千切られたクラブ愛。カンクローにとってこんな事は、狡猾な詐術(さじゅつ)でも、煮え湯に毒を盛ったつもりですらない。鍵の掛かってない自転車は全部勝手に乗り捨てて良いくらいに考えているのだ。目先の損得にのみ明け暮れて、毎度々々下手を打っているのに、全く懲りる事がない。

 年が明け、地元テレビ局のスポーツ番組に、麻木が育成年代の代表選手として出演していた。動画サイトにアップされた、福岡に縁のあるスポーツ選手が一堂に会する正月のバラエティ特番。将来有望で華のある選手という事から声が掛かったのだろう。実際、錚々(そうそう)たるプロ選手が居並ぶ雛壇(ひなだん)にあって、清楚な恥じらいを振り撒くアマチュアの女子高生が最も輝いていた。番組MCが自身のSNSで絶賛したその笑顔は、番組の鮮度と彩度を一瞬にして跳ね上げ、溢れ返るスター性で出演者をも魅了していく。お屠蘇(とそ)気分の晴れやかなスタジオ。賑やかに飛び交う狂言冗語(きょうげんじょうご)。しかし、軽妙なトークでゲストの素顔を探る筈の番組なのに、麻木の所属クラブについては触れられぬ秘密の様に、一切説明されず、取り上げるのは終始一貫して、女子サッカーの若き代表選手としての話題のみ。地元福岡の有望株を育て上げたにも拘わらず、女学館の存在は黒い霧の中。内輪の物からしたら奥歯に物の挟まった、白々しい構成。MCのSNSから収録されたのが十二月四日なのは間違いない。その時点でレイズ行きは決まっていたのだ。放映日に合わせてこう言う処置を施したのだろうが、それならば代表のユニなりジャージなりを着させて出演させれば良い物を、態々、女学館のジョの字もないが、胸スポはバッチリ入っている女学館の練習着を着させているのだから、カンクローの考える事は一々しみったれている。

 俺は込み上げてこない真性の激情に、寂しさと情けなさを(くゆ)らせながら、テレビの中で輝きを増す麻木を()()めと眺めていた。帰省する気なぞ更々無い、何時も通りの独りで過ごす寝正月。趣味の悪い初夢に酒が進む。悪酔いでしか怒りを引き擦り(おこ)す事が出来ない。燃えさしの煙の様に漂う湿気(しけ)った未練。しかし、この麻木の退団ですら慎ましき序章でしかなかった。

 今年の二部リーグ開幕戦、試合終了後、一部二部合わせてリーグ通算100ゴールを決めたセレモニーの最後に、村里は祝賀ムードのスタンドに向かって突然退団発表をした。号泣しながら惜別の挨拶をする村里に何が起こったのか。

 都内で余所(よそ)の女子の試合を観戦中、メールでその一報を知った俺は、余りにも唐突過ぎて、スマホの液晶画面に整列した「村里退団」の四文字を、光学現象として認める事すら出来なかった。先刻、警備のトラメガが繰り広げた、鳴り物禁止と言う音声のゲシュタルト崩壊。その比ではなかった。朝起きたらベッドの中で自分が虫になっていても、ロケットで不時着したら猿の惑星で、みんな吹き替えられた日本語で喋っていても、奇とするに足りぬ、物事の因果関係や時系列が一切通用しない世界。理不尽や不条理と言う選別や注釈すら超越した、悪趣味な喜劇の貴賓席に拘束されて、俺は心のコンセントを引き抜かれた。メールの本文を、その字面を幾らなぞり反芻(はんすう)しても、文章の構成、単語の定義、字画の表象、フォントの実体が瓦解して、悟性を素通りしていく。帰宅後、ネットで村里退団を告げる後報を検索しても、吐き出される更新画面の記事は、頭蓋の外で舞い続け、事実を摑み取る処か、此処(ここ)が誰で、今が何処(どこ)で、己が何時(いつ)なのかも判らなくなっていった。

 二部の開幕戦の一試合をこなしただけで村里は福岡を去り、次の週末には移籍先の千葉で一部リーグの試合に出場。101ゴール目を決めた。幾らプロ契約の縛りのないアマチュア選手とは言え、何をどうしたらこんな事になるのか。

 事の起こりは、二部に落ちたシーズンオフ、クラブに届いた吉報だった。A代表のポルトガル遠征のメンバーに村里が選ばれた。新戦力発掘に重点を置いた人選とは言え、二部リーグから呼ばれたのは村里のみ。寝耳に水の抜擢(ばってき)は、降格して主力選手の草刈り場と化し、総てを失ったクラブに差した一条の光だった。福岡の女子サッカーに携わる数多くの人達の祝福を背に、村里はポルトガルに飛んだ。

 イベリアの真っ新な空に想い描くシンデレラストーリー。無限に広がる未来、天から舞い降りた贈り物を照らし出すラテンの太陽。しかし、ベルベットのリボンを紐解くと、それは空箱だった。ワンプレーワンプレーを祈る様にして視聴した国際映像の中で、村里が持って生まれた煌めきを放つ瞬間はなかった。カップ戦の初戦に先発するも、初顔合わせのメンバーとの呼吸も合わず、持ち味を出せぬままハーフタイムで交代。W杯優勝メンバーとの歴然とした実力差は如何(いかん)ともし(がた)く。その後、新加入選手の見極めと、システムの模索に比重を置き、毎試合ゴッソリと入れ替わるメンバーの中に村里の名はなく、大会の最終日、参加国の中で一番力が劣る中国戦で再び先発出来たものの、ピッチの中では終始、余所(よそ)の庭に迷い込んだ小猫同然で、TV中継の解説者が村里の独特なリズムのドリブルについて言及してくれていたが、これから二部でプレーする事になる村里の代表定着が、茨の道である事に変わりはなかった。

 そんな無慈悲な現実を突き付けた遠征の全日程が終了し、代表チームが解散する際、監督が村里に声を掛けたと言う。

 「代表で遣る気があるなら、一部でプレーしろ。移籍先の事なら俺に任せろ。」

 千葉サポの重鎮、黒い金庫番こと八千代さんが、村里移籍の一報を聞いてクラブに電話で確認した際、役員が説明してくれた処によると、その監督の働き掛けに手を挙げたのが千葉で、丁度、中学生のユース選手の為に残しておいた、トップ登録の最後の28番目の枠を充て、村里を一部に滑り込ませたとの事だ。巻き戻せば何度も見返す事の出来る、作り物のサスペンスならまだしも、こんな怪汰魂(けたたま)しい展開を生身に突き付けられたら、心も頭も付いていけない。モニターを擦過した現在と過去の玉突き衝突の連続に、スタンドの住人は事後の砂塵を頭から被り、俺は二部のドサ廻りと言う、振り出しにすら戻れない足許の悪路に、眼を落とすしかなかった。

 現役選手の一年は、無為(むい)(むさぼ)り続けてきた俺の人生の十年分以上に相当するだろう。代表監督が直々(じきじき)に移籍の世話をしてくれるなんて、塾から自宅まで毎日パトカーが送り迎えしてくれる様な物だ。(そもそ)も代表選出すら望外の天恵だったのだから、蜘蛛の糸が二本も垂れ下がる事はない。外野の眼を気にしてるようでは、代表でポジションを争うライバルを出し抜く事も、蹴落とす事もままならない。現にW杯優勝メンバーの中には、ゴール裏の応援なんぞ一切意に介さず、頭の中は自分がゴールを決める事だけと言う輩が(はばか)っている。人格が欠損している分、心にブレーキが掛からず、筋力やモラルのリミッターが解除され、個の限界をも踏み(にじ)る連中の凄味は、ムカつくが本物だ。非情とは力だ。読書と言えば聖書と言う、村里の様に愚直な女とは、住む世界が違う。人の情けは隙を生み、優しさと言うぬるま湯は何時しか泥濘(ぬかるみ)となって、未来へと踏み出す足を(から)み取る。世界を見据えた道程(みちのり)を突き進むには、その殻を突き破るしか道はない。後ろを振り返っている暇なんてない。本来なら大学を卒業した時点で、残留争いとは無縁のクラブへ移籍すべきだったのだ。これで良かった。そう頭熟(あたまごな)しに言葉を重ね、納得し、心を鎮めようとした。しかし、積み重ね、踏み固めた理屈の隙間から、ジットリとこっちを盗み見ている奴が居る。

 「村里、九月の代表戦呼ばれるかね?」

 それまで俺を(けしか)けて喜んでいた塩爺が、声のレンジを絞ってポツリと漏らすと、顳顬(こめかみ)の隅で(うずくま)っていた(しこ)りが、地邊田(じべた)に腹を擦り、(うつぶ)せのまま這い出してきた。

 「六月の佐賀の試合は、折角地元の九州なのに呼ばれなかったろ。七月の東アジア選手権も呼ばれなかったし。九月は長崎なんだから今度こそは呼んで欲しいよな。代表の試合で故郷に錦を飾るなんて最高の親孝行だろ。親戚とか友達とかも、みんな応援に駆け付けてくるんだろうし。移籍していきなりゴールを決めて、その後も立て続けにゴールを決めて結果も出してるのに、何で呼んでくれないのかねえ。」

 貴賓席を振り返り、渋い顔のまま固まっている代表監督を(うら)めしげに覗き込む塩爺のぼやき。その神妙な響きに吸い寄せられる様に、明るみに正体を現した疑念が、顔を伏せたまま更に()い寄ってくる。

 「九月の試合は又、色々選手を試すとか言う話だろ。」

 塩爺の一言一言を盾にして後を付けてくる、疑念の荒い息遣い。

 六月のヨーロッパ遠征のメンバーに村里の名前はなかった。ベアスタでの親善試合も協会の役員が選手選考に横槍を入れてきたと言う話で、七月の東アジア選手権はタイトルを獲りに行ったガチメンだった。しかし、九月の試合はリークされている処によると、初選出のメンバーが目白押しで、二部落ちした女学館から神戸と大阪に移籍した磯野と椿が、二部からも入間の葵が呼ばれるという話だ。そこに村里の名前はあるのか。()し、なかったとしたら。

 

 「千葉の役員の話はガセだ。あんなもんは後から都合良くこじ付けただけだ。」

 

 ()(つくば)っていた疑念が寝返りを打って()えた。吼えたのは俺だった。仰向けになって舌を出し、性根を曝した俺を前にして(ひる)む俺を、大の字のまま高笑いの俺が睨み返している。

 移籍後、新天地こそが自分に相応しい舞台である事を、村里はゴールと言う結果で証明し続けている。本当に代表監督が村里の移籍の世話をしたというのなら、六月と七月の代表の試合に呼ばない訳がない。本当に千葉の役員の話は事実に即しているのか。千葉が最後の28番目の枠を偶々(たまたま)空けていたと言うのも、出来過ぎた話で眉唾物だ。降格の決まった去年のシーズンオフ、村里の千葉移籍は水面下で既に確定していたのではないか。それを新シーズンが開幕するまで発表出来なかった理由があるんではないか。思い当たる節となると、焦臭(きなくさ)い話にしか突き当たらない。

 代表に招集された時にも、退団を知った時にも、真っ先に頭を(よぎ)ぎったのは、ユニフォームの胸スポンサーで、村里の勤め先でもある調味料メーカー、マルショーの事だった。女学館にとって足を向けては寝られない唯一無二の大口スポンサーで、一昨年からクラブとスポンサー契約を交わし、去年からは更に長年空位だった胸スポにまで名乗りを上げてくれた。そのマルショーに新卒の村里が入社すると聞いた時、新規のスポンサーがクラブをサポートする(ため)に、エース村里の雇用を保障してくれたのだと、女学館サポの誰もが思っていた。処が事実は真逆(まぎゃく)だった。

 大学卒業後、村里はクラブが運営の柱にしているサッカースクールで働く事を自ら辞退した。小学校からサッカー漬けの日々を送っていた村里は、交友関係の総てがサッカー関係で占められ、このままサッカーの中だけに閉じ籠もってて良いのかと言う不安を抱いていた。サッカースクールでチームメイト達と一緒に働いていては、自分の世界が広がらない。サッカー以外の世界が知りたいと、自分で求人情報誌を調べ、面接を受けに行ったのがマルショーだった。社員の福利厚生や社会貢献の一環として、スポーツ振興に常々関心を持っていたマルショーにとって、村里の履歴書に書き込まれていた、育成年代での日本代表と言う経歴は、山芋を掘っていたら金のトリュフが出てきた様な物で、社内は天を()く騒ぎだったと言う。

 村里は即採用され、(またた)く間に女学館とのスポンサー契約を締結。毎試合マルショーの社員が村里の応援に駆け付け、試合会場では観客に、練習場ではその見学者に、事業所で製造している調味料を配り、あらゆる形で支援に励んでくれていた。何より、衛星放送での中継すらない二部に降格し、広告効果が激減するにも拘わらず、今年も胸スポを継続してくれた。斜陽の一途を辿る女学館のスポンサーになった処で、何の見返りがある訳でもないのにだ。

 それ故に、村里の代表招集は一筋の光だった。本の些末な事ではあるが、(ようや)くマルショーに恩返しが出来たと、胸を撫で下ろした。

 「内の会社に日本代表が居る。」

 ただそれだけで、総てを御破算にする程の価値がある。勤め先の事業所がどれほど喜び、どれだけ熱烈にポルトガルへの遠征に送り出してくれた事か。日の丸を背負う村里を通じて、マルショーに携わる総ての人達も世界に繋がる夢を見る事が出来る、筈だった。

 煽るだけ煽った夢と希望は、奈落の底に叩き落とす為の助走路でしかなかった。代表監督の誘いを無下(むげ)にしてまで、クラブに残る大義があるとするなら、マルショーの存在こそがその筆頭。それを、厚い恩義に冷や水を浴びせるどころか、汚泥に頭から沈める様な突然の退団。しかも、開幕戦勝利のタイムアップ直後に。

 

 

 

  #######アルガルベ呼ばれるまえに千葉へ移籍する話はまとまってたんじゃないの?####### 村里の個人スポンサーのマルショーが胸スポをおりないように、移籍を隠し通してたに決まってる。麻木の時みたいに####### 開幕一試合だけやって移籍。究極のアリバイプレー####### どうせ全部カンクローの指図だろ####### 村里の代わりにレンタルできたあの子カワイイな####### 去年引退した堀内って埼玉のふじみ野にある、パステルとかいう劇団にいるらしいぜ####### 横田が今期限りってマジ?####### ハイ、今シーズン終了####### 昇格しなくていいから麻木の着てたユニくれ####### 完コピのレプリカ売ってくれって言ってるのに、クラブから全然返事ねえ####### 横田が中洲か雑餉のヘルスにレンタルされたら、ソッコーでシーチケ買う#######

 

 

 ネットを跋扈(ばっこ)する、好奇に眼の眩んだ書き込みの(つば)迫り合い。尾鰭の付いた憶測は何処までも遊泳し、懇意にしているサポから、

 「好き放題に書かれてるけど、良いの?」

 と言われても、クラブを(かば)う気にも、日陰者達を焼き払う気にもなれない。

 「便所の落書きを一々気にする暇あったら、南海トラフとか、朝鮮のミサイルとか心配してた方が増しッスよ。それに、陰口を叩かれるのって、俺は満更じゃない。卯建(うだつ)の上がらねえ連中から(ねた)まれるってのは、KINGの証じゃないですか。」

 と白を切り、腹の底で便所の落書きと共振する本心をネジ伏せた。開幕戦後に号泣しながら退団発表をした村里、今年のガイドブックの集合写真にクラブのエース番号7を付けて微笑む村里、代表のベンチで所在なげに戦況を見詰める村里、去年の千葉戦でたった独りしかいない正GKが負傷退場して、フィールドプレイヤーがゴールを守った試合中、磯野と怒鳴り合いの喧嘩をした直後、同点ゴールを叩き込んだ村里、もうどれが本当の村里か判らない。

 村里の退団と入れ替わって、損失補填の様に一部の大阪から選手が移籍してきたり、出入りが自由なはずのアマチュア選手なのに期限付きレンタルだったり、女学館と大阪が入れ替え戦をする事になったら、女学館はその選手を試合で遣えないとか、プロでも無いのに取って付けた決まり事ばかりで、村里の移籍には、女子の世界では有り得ない大人の事情と力学が働いたのは確かだ。それが代表監督の肝煎(きもい)りって奴なのかは、ロッカールームに入れない俺達には藪の中。ハッキリしてるのは、女学館のホームゲームにマルショーの社員の姿はもう無いと言う事。恐らく、マルショーが来年スポンサー契約を更新する事はなく、もう金輪際、女学館には関わり合いたくないと思っただろう。

 俺が応援しているクラブに、愛される資格はあるのだろうか。リーグ参入初年度、京都のアタッカー二人に手を付けた事が、(そもそ)も女学館のケチの付け始めだった。参入即一部昇格を狙った主力の引き抜き。「住む所も仕事もあるから。」と言われ、三顧の礼で招かれた二人は、福岡に着いた直後に、住む所も仕事も用意されていなければ、リーグ参入の準備で手一杯のクラブに、そんな用意が出来る訳がない事を思い知らされた。カンクローの口車に乗せられたのではなく、ハッキリと騙された驚きと怒りで、二人の内一人はシーズン早々にトレーナーを引き連れ千葉に移籍し、残る一人もシーズン終了後速やかに千葉に合流。二人はリーグで対戦する度に、眼の色を変えて女学館のゴールを蜂の巣にした。

 他にも父親が亡くなり落ち込んでいる選手に向かって、

 「お前の仕事はサッカーだろうが、メソメソしてないで気合い入れてプレーしろ。」

 とカンクローは面罵し、育成年代で日の丸を背負った事もある、地元福岡出身の有望株をクラブは失った。

 勝ちたい。昇格したい。ただその一点で選手を物の様に扱っていれば、自然とその(あしら)いはスタッフ、観客、支援者にも現れ、今では強引なやり方を繰り返してきたツケの返済に追われるばかりだ。クラブのプレー環境や実状が選手間のネットワークで筒抜けな以上、どんなにリクルートで美味い事を言っても、力のある選手は見向きもせず、世界を目指していた筈のクラブは、何処でも良いからサッカーを続けたいと言う選手の受け皿に成り下がっている。断腸の思いで退団発表をした村里の涙が幾ら健気で尊くても、カンクローのこれまでの凶状を洗い流してくれる訳ではない。

 無論、サッカーの、そしてスポーツの世界に巣くう巨悪と較べたらカンクローのインチキなぞ可愛い物だ。クラブ資金の横領、不正経理、マフィアとの癒着、審判の買収に、勝ち星の売買、薬物の乱用。国境を跨ぎ跳梁(ちょうりょう)する裏金と暴力。男子のプロリーグで(うごめ)く欲動とは熱量も総量もまるで違う。カンクローが下の者の頭を小突き当たり散らす事なぞ、月の巡りが悪いだけだ。いっそ同じ手を汚すなら、黒い花火を派手に水平掃射して、敵も味方も焼き尽くし、自分独りが焼け残ればそれで良い位の度量でクラブを牽引し、成り上がれば平伏(へいふく)もするが、サッカーしか遣ってこなかった、プレーヤーとしてズバ抜けていただけのカンクローには、そんな才覚なぞ望むべくもない。

 女学館はカンクローの個人商店だ。クラブの為にと全国を駆け擦り廻って応援し、クラブの実像に迫れば迫る程、その不揃いで埃を被った品揃えの雑貨屋は、落書きだらけのガタ付いたシャッターを下ろし、不貞腐(ふてくさ)れた(つら)で立ち塞がってくる。選手達がピッチで流す汗の尊い煌めきも、内のクラブにとってはスポーツ事業と言う上っ面を取り繕う為のボロ隠し。その薄い皮膜の内側は、今更後戻りする事の出来ないカンクローの意地でグツグツと煮え(たぎ)っている。女学館を応援するという事はカンクローを応援するという事。選手に良かれと心を砕き身を粉にしても、カンクローに利するだけ。そんな事なら、野良猫をファミチキで餌付けしたり、石の代わりに漬け物の上に座っていた方が増しかもしれない。

 俺はもう女学館を応援する理由を見失っている。一晩中遊び明かした後の、化粧が剥がれて(やつ)れた寝顔。射し込む朝日に、ガサついた地肌を暴かれて横たわる別人の女を前に、俺は途方に暮れている。見てはいけない物を見てしまったのか。客観的に言って女学館は応援に値するクラブじゃない。余所のサポは代表を追い出して仕切り直せと言うが、クラブの(あら)を嗅ぎ廻るだけで、俺に自らクラブを立ち上げて切り盛りするスキルもビジョンもなければ、例えカンクローの首を切り飛ばせた処で、代わりに生えてくる首なんて、この宇宙の何処にも無い。カンクローが居なくなれば、蜃気楼のオアシスは砂塵に帰すだろう。そんな泡沫(ほうまつ)クラブに俺はただブラ下がって騒いでいるいるだけなのだ。

 「もうそろそろ潮時何じゃないの?」

 穴の空いたバケツの底から、何時もの声が聞こえてくる。

 Jリーグが立ち上がった当初、福岡にJのクラブは未だなく、南九州を準フランチャイズにしていた横浜のクラブを観にいっていた。福岡を飛び出して東京に漂着したは良いが、何も手に付かず、酒の味を覚えた位で、自分自身何をしたいのかも判らない。そんな頃合いに降って湧いたJリーグブーム。ガキの頃から、家でゴロゴロしているか、外でブラブラしているかの浮き草に内も外もなく、無風の自室で湿気(しけ)ってる位ならと、右も左も判らぬまま、華やかに沸き立つスタンドの光と熱に向かって、真っ直ぐに飛べない夏の虫の様に、ジグザグと吸い寄せられていった。別段そこに、甘い樹液が染み出していた訳ではない。割高な売店の酎ハイを舐めながら、見晴らしの良いメインの指定席に、漠然とした若さを投げ出していた。

 学校の授業以外でサッカーなんてした事がなく、試合の見所も勘所も判らない。それなのに週末毎にスタジアムに通っていた。応援していたとはとても言えない。映画館やコンサートホールと違って、空が開け、芝が美しいスタジアムの方が新鮮だったのは確かだ。そして不思議と雑踏が好きだった。スタジアムを取り巻く喧噪に(まぎ)れる事で、唯ぼんやりと気が紛れ、スマホの落ちゲーで時を薄める様に、惰性で通い続けていた。

 それが親会社の一方的な都合で、同じ横浜をホームタウンに据えるライバルチームと統合してクラブが消滅。いきなりスタジアムの外へ叩き出された。その後、消滅に納得のいかないサポーター有志で立ち上げたクラブの後押しをする訳でもなく、そのゴタゴタの渦から押し流されて、藤枝から福岡に移転してきたJのクラブに乗り換えた。生まれ育った街のクラブを応援する。それがサポーターの有るべき姿だと、自分なりに仕切り直したつもりだった。処が、

 

 「水戸は手荷物検査はせんとやろ?」

 

 「やっぱ、三ツ沢は見易かね。」

 

 「何時の飛行機で帰ると?」

 

 「スタメン未だ出らんとかいにゃ。」

 

 アウェイゴール裏を飛び交う福岡訛りに、懐かしさや仲間意識の類は全く芽生えなかった。(むし)ろ、学生時分、級友に親を見られて赤面した、矢も盾も堪らぬ羞恥(しゅうち)に駆られ、自分でも驚いた。兎に角、体が受け付けない。上京して以来忘れていたこの馴れ馴れしさ。一々近過ぎる事で面食らう熱帯性の皮膚呼吸。パーソナルスペースを寸止めの距離まで一気に詰めてくる徹底したインファイトで、俺をクラブ愛と郷土愛の両コーナーに追い詰め、かと思えば、視力が許す限りどんなに離れていても声を荒げて呼び掛け、週末を彩る俺の酒精を掻き乱す。この守備範囲、幾らイチローでもバックネットに上がったキャッチャーフライにライトからダッシュはしないだろう。これが福岡の日常なのか?福岡ってこんなだったのか?突き付けられる物差しの目盛りの幅が、発散する基礎体温がまるで違う。

 気が付くと俺は、開門前の待機列やハーフタイムに福岡在住サポから話し掛けられると、甘ったるいクチャクチャと粘ついた語韻(ごいん)を訂正する様に、上京して覚えた、輪郭をクッキリと際立たせた滑舌と語尾で一言一言弾き返していた。審判や相手チームに、福岡訛りで上塗りされた汚物の様な彌次(やじ)が飛ぶ度に、ヒロイズムに酔いしれたウルトラスが品位の欠片もない諸行をスタンドで繰り返す度に、自らの出自を暴かれている様で()(がた)く、出身地という属性、福岡で過ごした記憶が、隔てた距離と時間によって抹消登録されていた物が、俺の毛穴と言う毛穴から蜂起した。

 バブル絶頂期の社会人デビュー。学生時代は惰眠を貪り、空前の好景気に何の苦もなく覚悟もなく、適当に選んだ会社勤めは程なく破綻し、辞表も書かずに放り出すと、後はもう無業流亡の日々。引き籠もりとかニートなんて言葉すらなかった時代。物臭(ものぐさ)の凡才では思い描ける様な夢もなく、何を遣っても上手く行かず恥を上塗りするばかり。狭い田舎町では居場所も逃げ場もないと、(あぶ)れ者の自意識は周りの眼を(いぶか)って勝手にささくれ、実家の冷や飯を蹴散らし出て行った。黄金の80年代に浮かれて育ったツケ。何処にでもある、世間を舐めていたシャバ僧の墓場。

 駅のホーム、役場の窓口、バイトの面接官、地元で吹き溜まっている限りあらゆる場面で鉢合わせする同級生に喰らった、説教と嘲笑。写真屋に列をなす晴れ着を見て気付いた己の成人式。眠れずに歩き続けた202号線。読み漁ったドストエフスキーとチェホフ。腫れ物を触る様な親戚の生温い優しさ。穀潰しと罵る母親。パニックを起こして駆け込んだ虹ノ松原の心療所。カウンセラーと繰り返した禅問答がフラッシュバックした。

 それ以来、スタンドから見える景色が変質し始めた。開け放たれた空の許、スタジアムの鼓動と酒精に身を浸していれば、後は取り立てて過不足無く、ダラダラとボールの行くへを眺めてさえいれば良かった指定席が、何時まで経っても名前を呼ばれない、総合病院の待合室から、拘束着のまま連行される被告人席へと様変わりしていった。スタンドの喜怒哀楽、一喜一憂が一々耳に障り、ゴールの度に抱擁する見知らぬ人々の激動が眼に余る様になり、選手達の鬼気迫るプレー、限界を目指し疾走する肉体の衝突に迄、ザラつく違和感を覚え始めた。スタンドとピッチが放つ白熱を頭から被って滴り落ちる雫の煌めき。それが夜中に目が覚めて聞く蛇口の漏水(ろうすい)の様に、不協和を奏でて増幅し、(よじ)れた神経を導火線にして、焦燥の火花が顳顬(こめかみ)を這い回る。福岡以外の試合に紛れても同じ事だった。スタジアムの喧噪と小気味よく共振していた知覚のチューニングが、狂ったのか元に戻ったのか。リミッターもノイズゲートも利かず、バランスの悪いプリセットを(いじ)るツマミなんてある筈もなく、スタンドを蛇行するウェーヴに押し流され、何時しか俺は、重量鉄骨と鉄筋コンクリートの躯体に浮かぶ、離れ小島に漂着していた。

 見覚えのある景色。同じ座席番号。しかし、そこは裏表が逆のTシャツの様に何もかもが(かす)れていた。映画の書き割りに閉じ込められた熱狂。スタンドを埋め尽くすレプリカユニやタオルマフラーが、張り巡らされた横断幕が、反復する色と柄の差異にプリントアウトされ、ワンプレー毎に巻き起こる悲鳴も歓声も溜息も、ゴール裏のチャントもコールも、鳴り物も手拍子も、場内放送が掻き鳴らすBGMも、中低域がザックリと削げ落ち、スッカスカにミックスダウンされ、散逸していく。

 座席で肩を並べても、コンコースで人の波に揉まれても、売店やトイレの列に連なっても、俺は誰とも交わらず、人の壁を擦り抜ける。数万人が集結するスタジアムで、俺は誰も知らなければ、誰も俺を知らない。地元で針の(むしろ)だった周囲の眼は無いが、俺も人を人として見ていない。選手ですら芝の上に点在する影でしかない。雑踏に紛れ、のめり込む程、断絶がより深く刻印され、エゴが先鋭に研ぎ澄まされて、冴え渡る。俺にとって弧は個は完全な同義語だった。静寂が瞑想の翼である様に、喧噪は孤高の階段だった。スタンドが熱狂すればする程、酒精の靄の中で俺の自意識は醒め醒めと煌めいた。のし掛かる鬱屈を激情によって焼き尽くすしかない癪熱(しゃくねつ)のウルトラス。御目当ての選手に欲情してヒステリーを引き起こす、自我を置き去りにしたライト層の肉体。そして俺は、角砂糖の前で死んでいる蟻だった。スタンドの有象無象なぞ唯の紙芝居。福岡を飛び出して(あて)()無く迷い込んだスタジアムライフ。ボールの行方を追った処で何が変わる訳でもない。請負(うけお)い仕事でダラダラと喰い繋ぐだけの日々。スニーカーの踵の様に踏み潰した未来。

 後半がキックオフされても席に戻らず、閑散としたコンコースを周回する俺は、再び心療所の松林を彷徨っていた。平日で誰もいない砂浜。予約した診察時間になり、屈曲して連なる松の枝のトンネルを潜ると、カウンセラーの顔はロカンタンの(うずくま)った(にれ)の木になっていた。ささくれた樹皮に挨拶をして綴る心象ノート。怪汰魂(けたたま)しい熊蝉の鳴き声に、離着陸するジャンボ機の爆音が交錯し、ノートの罫線に板付の曇天が広がっていく。団地のベランダから見下ろす公園の歓声、独り隣の学区に通った諸岡川の土手の道、ロイヤルの工場から漂う糖蜜の燻風、水不足の度にバケツを持って並んだ給水の列、ハンドルの()げた二十円のガチャガチャ、部屋の中にまで臭いが()せる屋台のチャルメラ、土曜日の午後に廻ってくる吉備団子売り、貯水池に潜む雷魚、米軍基地跡の肝試し、冬場の独楽(こま)回し、湯気を立てる餅突きの石臼、被害妄想に取り憑かれた母親の呪詛、ゴム紐で首から提げた団地の鍵、その紐が千切れて鍵を無くし途方に暮れた夕暮れ、オマエが産まれて直ぐ父親は死んだという嘘。

 

 

 「何ね、又、鍵ば無くしたとね。探してこい。今から探してこい。見付かるまで帰ってくんな。」

 

 「内の家を狙ろうとう奴の居るけんねえ。余所の奴は誰も信じたらいかんバイ。」

 

 「アンタの父ちゃんな、アンタに何もしちゃらんかったけんね。何も買ってやらんかったし、もう、何もせんかったとよ。」

 

 「あそこの泥棒息子とは遊ぶなって言いよろうが。」

 

 「四階に住どう男は気の狂うとうもん。嗚呼もう、恨めしかあ。」

 

 「ウチの母ちゃんば殺したとは、あの女やモン。ウチな絶対に許さんけんね。あの女の肩を持つんやったら出て行け。」

 

 「ニクジュウやもん。ニクジュウ。あれはもう、ニクジュウやもん。」

 

 

 真夜中に吼える母親の血走った眼。団地の子達とも、発達が遅く虚弱体質な自分自身とも馴染む事が出来ず、昼間でも部屋のカーテンを閉め切り、プラモデルや食玩を()で、テレビと会話して過ごした。物心が付いた時には既に、俺は独りで完結していた。卑小な自己愛を満たす事に没頭し、ぶ厚い繭の中で自家発電し続けた。母親の謳歌する人間アレルギーを、俺は忠実に継承し、完璧に実践した。目鼻立ちも(いびつ)な心も、俺は母親の生き写しだ。福岡のサポから馴れ馴れしく声を掛けられる度に、団地の大人や親戚が、俺に親切で馴れ馴れしいのが不思議だった事が甦り、家の鍵を首から提げていたあの頃の自分が身を(すく)め、小さな(しこ)りとなって(あばら)の溝に幼い爪を立て、次第に目の粗い(やすり)となって骨の髄を研ぎ始める。自分でも何処(どこ)までが真実で何処までが嘘か判らぬほど遠い原風景。団地の屋上に垂れ込める低い雲がジェット機の爆音を呑み込み連れ去っていく。落とした鍵を尋ねて独り来た道を辿る。諸岡川の土手が虹ノ松原の松林に繋がり、熊蝉の鳴き声でスタンドの歓声が漏れるコンコースに突き戻される。

 それから後はもう自分でも何をしているのか判らない。J1からJ2、J2からJFL、JFLから地域リーグとカテゴリーを滑落し、ローカル線からタクシーを乗り継いで、首都圏を超え地方の試合へと敗走した。サッカーなぞ打ち捨てて、もっと高く自由に飛んでいけば良いのに、偶々(たまたま)目の前にあった物を無我夢中で抱きかかえ、火事場を彷徨(さまよ)う罹災者の様に、俺は場末のスタジアムに(すが)り付き逃げ惑った。色褪せた粗末なベンチシートに縛られて糸の切れた凧にすらなれず、観客が五十人にも満たない会場を嗅ぎ当てては、ダートトラックを囲むスッカスカのスタンドの隅で、砂埃の舞う凸凹のピッチを(ざま)()ろと侮瞥(ぶべつ)し、への字に屈折し腐っていた。老朽化したコンコースや立ち見席のコンクリートに走る(ひび)を指で(なぞ)り、そこから芽を吹く夏草を(むし)り、塗装が剥げ錆の吹いた手摺りのガサついた手触りと交情し、山と空しかない景色に剥落したモルタルの(つぶて)を放っては、選手達の汗に背を向け、主審の腕時計とは別の時軸で、無駄に過ぎていく焦げ付いた今を仰向けに眺めていた。サッカーに携わる者達の掛け替えのない瞬間を虚仮(こけ)にして芽生える、粗悪な優越感でしか、自分の心を支える事が出来なかった。

 コンビニの袋を被った野良犬の様に何年も地方のスタジアムを這い回った。週末毎に、会場で、一握りしか居ない観客と只管(ひたすら)擦れ違い、俺の眼は炯々(けいけい)と孤独を睨み続けた。虹ノ松原の心療所で人間とか議論とかに飽き飽きしていた。それは復讐劇という下手な喜劇だった。そして、流れ流れて辿り着いた吹き溜まりに、それは(うずくま)っていた。日本のサッカーファミリーの末席の末席。後になでしこと呼ばれる、身無(みな)()、女子サッカー。そのリーグ戦。しかも二部の試合だった。

 

 「子供の蹴り合い。」

 

 当時から女子サッカーはそう揶揄(やゆ)されていた。止める蹴るすらままならず、ランダムなボールの行方に右往左往する乙女達のサッカーごっこ。風下のチームのキックは蹴った本人の足許にボールが押し戻され、160cmに満たないGKが守るゴールマウスは、クロスバーすれすれなら総てネットイン。蹴り損なったクロスが易々と吸い込まれて終う。相手選手と本の少し肩が触れただけで、バランスを崩しバタバタと倒れ、運動会レベルの走力でスピード感の欠片もなく、タイムアップのホイッスルが鳴った後は、毎試合泣いてばかりいる選手達。(およ)そサッカーと呼べる代物ではないアマチュアのアマチュア。選手の身内以外で観客と呼べる様な客はおらず、居てもストーカー予備軍の落人(おちゅうど)風情。初めて女子のリーグ戦を現場で目の当たりにした時は、男子の県リーグを観慣(みな)れていた俺ですら、それが公式戦だとは気付かず、前座の試合でもやってるのかと思っていた。

 そんな誰も見向きもしない女子サッカーの中でも、アウェーの遠征で福岡からやってくる女学館は、乗り捨てられたチャリの様に輪を掛けて見窄(みすぼ)らしく見えた。同族嫌悪の裏返しか、此奴等の後を付いていけば穴の底まで辿り着けると、()ちる処まで()ちていけると思ったからなのか、俺は女学館の試合に通い始めた。更衣室もなく、何処までがピッチで、何処からが原っぱか判らない草サッカーもザラの試合会場。選手紹介もFIFAのアンセムもなければ、声と(からだ)を張って応援する者もない。監督と選手達のコーチング、主審のホイッスルが虚しく響き、灼けたアスファルトに草花の種を撒く様に、不毛な汗が飛ぶ90分を、自らに科した罰の様に見詰めていた。埋め尽くされた観客と(ほとばし)る熱気で音と光に満ちた、男子の代表やJの試合とは懸け離れた、フットボールの荒野。空とピッチと選手とボールが放置されているだけの、語れる様な試合内容すらない空っぽの世界が、何処(どこ)までも広がっていた。

 このチームと自分と何方(どっち)がより惨めなのか競う様に、場末のスタジアムやグラウンドに繰り出し、ベンチシートや芝や土手の上で無情な睡魔に抗い続けた。そして女学館のリーグ参入二年目、京都でのアウェイ最終戦、一部との入れ替え戦枠を争っていた大阪との試合で、俺の崖っ淵のプライドは遂に破綻した。

 

 

 その日、朝一で運動公園内のスタジアムに到着すると、未だ開門していない入場ゲートから少し離れた、木製のベンチとテーブルに屋根を設えたテラス風の簡易休憩所で、中年の夫婦が何やら世話しげに準備をしていた。近付いて身を寄せ合う二人の肩越しに覗き込むと、広げられた3m×1m程の白い布地の上に、不揃いな絵や文字が踊っていた。

 

  《頑張れ女学館》

 

 鉛丹色の極太のゴシック体と、その周りに(ちりば)められたクラブマスコットの猿。インクジェットプリンターで出力してからアイロンで圧着した転写シートの台紙を、不器用に二人は剥がしていた。一体、何時間前からやっているのか。剥がし損ねて手足がもげる猿とゴシックの輪郭。俺の存在に全く気付かず、真っ新な布地に額を擦り付ける様にして(ひざまづ)き、無言で台紙を爪で掻いている二人の丸めた背中が、魂の救済を乞うエルサレムの礼拝と重なり、沈黙を守り続ける神の加護を信じ、勝利への祈りを捧げている様に見えた。試合当日、会場前で横断幕を作るのは珍しい事じゃない。Jの試合ともなれば、サポーター有志が集まって、ガチャガチャと賑やかに遣っているのを、其処彼処(そこかしこ)で眼にする。だが目の前で布地に(すが)る二人の姿は全く別物だった。作業とか言う行為を越えていた。台紙を掻く(かす)かな音が、聖句を暗唱する(つぶや)きの様に、開門前の静寂に染み渡る。滅私に透徹した想いの結晶が、女子サッカーと女学館の押し込められた糞みたいな暗室に、(ほの)かな光を灯していた。

 初めて人とは何者かを見た気がした。人とは眼を合わせずに擦れ違う影の群れではなかった。その崇高な儚さに俺は逡巡(たじろ)ぎ、覚束(おぼつ)ぬ手付きが差し伸べる尊さに魅入られた。選手の両親である事は間違いない。恐らくアイロンの圧着は昨日自宅でした筈だ。それも夜遅くまで。初めて作る横断幕で勝手がまるで判らず、朝早くから現場に駆け付け、最後の仕上げに掛かっているのだろうが、今日のキックオフは11:30だ。果たして間に合うのか。入場ゲートの前ではクラブスタッフが開門の準備を始めている。俺は時計に眼を遣るのが怖かった。そこへ不意に、俺の二の足を押し退けて誰かが声を掛けてきた。

 「手伝いましょうか。」

 俺は唖然(あぜん)とした。周りを見ても誰もいない。何故なら声の主は俺だった。二人を見下ろしていた筈の俺は、何時の間にか片膝を地に着けていた。

 「これ剥がせば良いんでしょ。」

 いきなり割って入ってきた無粋な(やから)に二人は戸惑いつつも、手を止めている場合でもなく、

 「お願い出来ますか。」

 奥さんが四つん這いのままで、土下座する様に頭を下げた。品のある丸顔に切れ長の瞳。

 「()しかして、湯元のお母さんですか?」

 ピンと来て左SBの名前を口にすると、

 「何で判んの。」

 甲高くパンチの効いた中にも、(ふく)よかな丸みを帯びたイントネーションに、切れ長の瞳が弾けた。その後はもう(せき)を切った様に思いの丈が(ほとばし)り、関西のオバはんのペースに呑み込まれていく。

 「ホンマにすみませんなあ。こんなん作んの初めてやさかい。何かもう、とっちらかってもうて、みっともないねんけど、何時来てもな、誰も応援してくれる人がいいひんから、せめて横断幕だけでもと思て、(こしら)えてみたんやけど、もう全然あまきせんわ。」

 新卒入社で半年程大阪勤務に回された事のある俺にとって、関西弁は戸惑いしかない新生活を更に混乱させた最悪の言語だった。馴れ馴れしい中にもキレが有る福岡の言葉に対して、こっちが用件を言い終わってもベタベタと纏わり付き、便所まで付いてくる様な関西の言い回しは、人生最初のカルチャーショックで、今の仕事先でも、関西から乗り付けてくる長距離トラックの運ちゃんは、不躾(ぶしつけ)な言動で何やかやと難癖を付けた挙げ句、最後は何時も「おおきに。」の一言で有耶無耶(うやむや)にし、大阪で暮らした頃の印象に泥を塗り重ねて走り去っていく。

 それが、湯元のママの口を介すると、まるで違った。それは裏も表もない裸の言葉だった。誰も応援してくれる人がいないと、手元に眼を落としたままカラリと言ってのける、市松人形の様に健気な横顔。飾りのない心から湯水の様に溢れ出る朴訥(ぼくとつ)とした包容力。人を恐れずズケズケと本音をぶつけてくるのは、人を信じて疑わぬ証だった。

 「今日はここで、内とこと大阪の試合の後すぐに、京都と入間の試合みたいやから。仰山見に来てくれたらええねんけど。お兄さんは今日何処(どこ)の応援で来はりましたん。」

 「まあ、俺は一応、出身が福岡何ですけど。」

 俺がそこで口籠もると、湯元ママは二の句を待たずに、晴れ晴れとした顔を上げ、悔悟(かいご)で支えた俺の胸の内を何の(てら)いもなく撃ち抜いた。

 「ほな、福岡から応援に来てくれはったん。ホンマおおきに。」

 俺は返す言葉がなかった。(いや)、俺は返す言葉以前に、元々言葉と言う物を持ち合わせてなかった。言葉は心だった。相槌の一つすら返せず、湯元ママの応援という言葉に串刺しにされ、俺は取り込むのを忘れた洗濯物の様に、(ほが)らかな微風に(なぶ)られた。

 「今日はホラ、長居の方でもJ2の福岡と大阪で試合しはる言うんでね、夕方の試合やから、その前にちょっとでもね、福岡のサポーターの人達にこっちに足運んでもろてね、同じ福岡やさかい内とこ応援してくれたらなあ思うてんけど、娘に電話でその話ししたら、ここから長居まで結構あるさかい、長居の方のキックオフ間に合お思たら、試合半分しか見られへん言われて、矢っ張りあれですのん、お兄さんも試合全部は見てかれへんの?」

 「そうっスね。前半だけ見てって感じですね。」

 俺はもう自分の言葉を制御出来なくなっていた。福岡のスケジュールも、J2のカレンダーもここ数年チェックした事すらない。手伝うと言い出したかと思ったら、今度は前半で上がると口走る。次に自分の口から何が飛び出すか判らない。

 「嗚呼(ああ)、せやねんなあ。」

 湯元ママの甲高い声は張りを失い、切れ長のキリリとした眼差しがくすんで指先に零れた。そして、台紙を剥がしながら静かに娘の事を話し始めた。今の仕事先の事から、以前所属していたレイズでリーグ優勝した事、東京の体育大学に送り出した時の事、陽に灼けて真っ黒になる迄ボールを追い掛けた夏休みの事、初めて試合のユニフォームに袖を通した時の事、一日も欠かした事のない練習の送り迎えの事、初めてサッカーボールを買って上げた時の事、サッカーを遣りたいと言い出した時の事を、取り留めもなく話し続けた。娘とサッカーを巡る想い出を何度も何度も噛み締める様に。一言一言が心に寄り添っていた。娘に寄り添っていた。サッカーの遠征で娘が地元に帰ってくる。どれ程心待ちにしたのだろう。正座してカレンダーを見上げる、市松人形の様な湯元ママの姿が眼に浮かぶ。

 何故、俺は女学館の試合を見に来たと言えないのか。何故、福岡出身に「一応」と付け足さなければいけないのか。応援という言葉に怯え、自分でも何を口走り、何を守りたいのか判らない。有りの(まま)の心で娘を想う湯元ママの、繭の糸を(ほぐ)す様に手厚い随想。特別な言葉は何もない母の言葉に触れただけで、個を偽装する(ため)の盾でしかない俺の言葉はズタズタになっていた。声にすらならない相槌を打ちながら、俺は積年の妄執を掻き分ける様に、布地を埋め尽くす台紙を剥がし続けた。心の(おり)に爪を立て、無我夢中で掻き毟った。

 キックオフ30分前に何とか台紙を剥がし終わると、横断幕を広げて持ったまま、湯元夫妻と俺の三人で一列に並んで入場し、アウェイ側のスタンドのフェンスに紐で固定した。近くで見ると襤褸(ぼろ)()()ぎだが、遠目には()(さら)のキャンヴァスに鮮烈な鉛丹のゴシックが図太く決起し、凱風(がいふう)飛檄(ひげき)(ひるがえ)った。他にも湯元ママは一人では抱え切れぬ程の紙袋を持ってきていて、中を見ると重箱や菓子折が詰まっていた。娘やチームメイトへのお土産だという。それも一緒に運び込むと、丁度選手達がピッチ上のアップを終えて戻ってくる処だった。湯元ママが慌てて紙袋を持ってスタンド脇の階段からピッチへと降り、その後をパパが追った。スタンドの下から甲高い声が飛ぶ。

 「オカン、作り過ぎやで。」

 ガイドブックの選手紹介に載っている、陽に灼けて真っ黒な以外、湯元ママと生き写しの顔が脳裏を過ぎる。半ば喧嘩腰の甲高い声の遣り取り。それと入れ替わる様にホーム側のスタンドで鳴り響いていた、ドラムとコールが仮仕舞いした。

 アウェイ側の隅に座っていても直ぐに判る、怒髪天を突く紺碧の(たてがみ)。横断幕を張り巡らし、自作のマッチデーを配布し、マレットを(ふる)って雄叫びを上げる、オールインワンの単独応援で、ホームアウェイの隔てなく大阪の全試合に参戦する、猛者(もさ)と呼ぶに相応しい、豪毅(ごうき)に傑出した現場の鬼が、今日もホーム側のスタンドに君臨していた。AGと呼ばれているのを知っている位で、その由来は(おろ)か、面識なんて当然無い。と言うより、スタンドの隅に滅している俺なんて、向こうからしたら路傍(ろぼう)の石にまぶした砂粒みたいな物だ。人と擦れ違うのを良しとしていた俺ですら、視界の外に押しやる事の出来ぬ、真っ青に染め上げた逆髪(さかがみ)と反骨心剥き出しの面構え。関東で開催される女子の代表戦にも皆勤し、なでしこサポの中核を担う、浪速の碧獅子(あおじし)を一度でも見たら、瞼の裏まで蒼くなる。これから始まる生き残りを賭けた90分。大阪が負けると一部昇格の望みが消え、逆に引き分け以上で女学館を昇格レースから完全に蹴落とす事が出来る。否が応でも力の入る試合だ。ホーム側スタンドの最前列に(そび)え立つ蒼い逆髪は、爆裂するその時を待っている。

 糞ッ、()りに()って今日の試合が大阪とは。これから繰り広げられるであろう、ホームチームとアウェイチームの残酷なコントラスト。俺はその明と暗を中和しようと頭の中で攪拌(かくはん)し、在る訳のない排水溝に総て押し流そうとした。しかし、掻き混ぜれば掻き混ぜる程、その惨めな格差は貪婪(どんらん)に泡立って膨れ上がり、頭骨を圧迫して軋みを上げる。キックオフまで5分を切った。京都対入間が第二試合に組まれている事もあり、百人にも満たないとは言え、普段の倍の観客が訪れている。湯元ママの行った通りだ。しかし、それは飽くまでホーム側の話しで、アウェイ側は閑散としている。本の数人オレンジのユニを着て座ってる輩が居るが、試合後選手に絡むのが目的の落人風情で、工事現場のカラーコーンを並べてた方が余っ程賑やかだ。

 頭の中が(まと)まらぬ内に、FIFAのアンセムが流れ始めた。蒼き血の滲む渾身のドラムが、ホーム側スタンドの打ちっ放しのコンクリートに響き渡る。たった独りの雄叫びとドラムが物の一発でスタンドを支配した。俺は震えていた。何故こんな処に来てしまったのか。何をどうして良いのか判らない俺は、藁にも縋る思いで脇に置いていたペットボトルに手を掛けた。しかし、中のお茶を飲もうにも、握力の抜けた指先がキャップの側面に刻まれた滑り止めの溝を()め、無意味でぎこちない動作を繰り返すだけだった。スタンドの下から現れた選手達が、陸上トラックに敷かれた花道の上を、二列になって真っ直ぐにピッチへと歩いていく。無風だった。アウェイスタンドに吹く風はなかった。TVや映画のヒーローの様にピンチを救う颯爽(さっそう)とした疾風。そんな作り話とは無縁の世界に怯え、俺は震えていた。碧獅子の激情に土足で蹂躙される、沈黙のアウェイスタンド。陽に灼けて色褪せたスッカスカのベンチシートが、白茶けた無力感に冒されていく。俺は雑巾を絞る様してにペットボトルを抱きすくめ、震えているだけだった。ピッチに横一列に整列する選手達。彼女達の眼にこの二極化したスタンドの光景はどう映っているのか。俺はその視線と正対出来ずに眼を背けた。そして、眼を背けたその先で、湯元ママがアンセムに合わせて懸命に手拍子をしていた。一瞬、震えが和らいだ。

 気が付くと俺は転写シートの横断幕の前に、ペットボトルを持って立っていた。写真撮影を終えて選手達が散らばっていくピッチ、陸上トラックを挟んだバックスタンドの芝生席、更にその向こうでスタジアムを取り囲む鬱蒼とした木立。それまで漫然と視界を埋め尽くしていただけの全景が今、気が遠くなるほど無謀で広大な空間に豹変し、ちっぽけな俺の前に立ちはだかっていた。逃げ場なんて何処にもない。俺が足許にペットボトルを置いて深呼吸をすると、過緊張で喉が締め付けられ、横隔膜が引き()った。

 意を決して(へそ)の下に力を入れると、いきなり声が裏返った。最悪だった。全身の毛穴が粟立(あわだ)って、氷結した恥辱が波を打って吹き出し、気力が腰を折って、決意が一瞬にして半壊した。真っ白になった頭の中を、寝惚け(まなこ)咀嚼(そしゃく)する乳牛の唾液の様に、赤錆(あかさび)色の後悔がだらしなく垂れ堕ちてくる。逃げ出したくても、膝から下が見えないヘドロに絡み取られて靴底の感覚を失い、最早(もはや)、自分の足ではなかった。躊躇(ためら)いは死を意味する。殺到する恐怖を、憎悪の炉心に叩き込み、その上に更なる恐怖をブチ撒けて火を放った。絶望は爆発だ。俺は頭上に挙げた両手を打ち鳴らし、出鱈目(でたらめ)な怒りに任せて福岡のコールを喚き散らした。

 陸上トラックに設置されたベンチの中から、女学館の控えの選手やトレーナーが振り返る。眼を合わせたら駄目だ。湯元夫妻の視線を背後に痛い程感じる。振り向いては駄目だ。正気に戻ったら負けだ。本の微かな(ほころ)びで、無謀な衝動の一切が崩壊する。この苦痛はそれを上回る激痛を浴びせて麻痺させるしかない。俺は見様見真似で福岡のコールを怒鳴り続けた。応援なんて初めてだ。それも独りで。何一つ判らない。瞬く間に喉が()れ、掲げた両腕に乳酸が溜まって、首筋から頬、耳の裏が灼熱し、冷や汗と()い交ぜの体液が、鉄砲水の様に額や背中、脇腹を駆け下りていく。それでも止める訳にはいかない。京都か入間かは判らないが、第二試合を待つサポが遣って来て、ドラムを貸そうかと言ってきた。

 「引っ込んでろ。」

 俺は国境無き医師団を水平掃射するテロリストの様に、その間抜け面を罵倒した。善悪なんて関係ない。俺が今乗っているのは、アクセルを弛めたらエンストする盗難車だ。(そもそ)も、叩いた事のないドラムなんて、どうやって扱って良いのかも判らない。俺はそのまま地声と手拍子で、次から次へと量産される恐怖を、憤激の断末魔に変換し続けた。既に喉は潰れている。(わず)か数分でガッサガサにささくれた渾身の福岡コール。声帯の炎症は気管にまで類焼し、酷使した事のない喉頭筋(こうとうきん)は、地声とは違う悲鳴を上げている。(かつ)てこれ程、声帯の(ひだ)に神経を意識を集中した事がない。それなのに、自分の喉から発しているのに自分の物とは思えない、ズダ襤褸の声。しかも、腹の底から振り絞って砲撃した途端、フェンスの先に広がる膨大な虚空に、余韻の欠片すら残せず吸い込まれ、ホーム側のスタンドから、蒼き雄叫びと絨毯爆撃の様なドラムの乱れ打ちが、容赦なく襲い掛かってくる。組織だって応援するのとは訳が違う。独りで、それも丸腰で応援するのでは、コール一つとっても全く手を抜く事が許されない。声が出ない時に誤魔化(ごまか)す余地が全くない。誰にも責任を押し付ける事が出来ないのだから、総ては自分に返ってくる。声が詰まり、掠れ、裏返る、その総てが裸でいるより筒抜けなのだ。チャントを歌っては駄目だ。手拍子を連続で打ちながら歌い続けるのは、コールと手拍子を交互に繰り返すのより倍疲れる。

 俺は不可逆的な喉の痛みに耐えかね、足許のペットボトルを手に取った。腕を降ろしただけで、肩から二の腕に掛けパンパンに張り詰めていた乳酸が一気に放流され、偽りの解放感から、もう二度と腕を上げたくない衝動に駆られる。感覚を取り戻した指先でキャップを剥ぎ取る様に(ひね)り上げ、飲み口にシャブリ付くと、流氷が炸裂する飛沫の(きら)めきに全身が狂喜した。乾涸(ひか)らびた舌尖(ぜっせん)から舌の根に突き刺さる、清涼な茶葉の苦味と甘味と旨味。喉の炎症した粘膜の襞を潤して染み渡りながら、食道を雪崩れ堕ちてきた氷河に、(ぞう)()は切り裂かれ、水分を取り戻した細胞は、逃げ場を失っていた潜熱を、ここぞとばかりに汗腺から噴き出した。内股を伝う失禁の様に決壊した汗。しかし、恍惚(こうこつ)に酔い()れる事は許されない。俺は冷徹な視線に手足を縛られたマリオネットだ。お色直しの暇なんてない。

 俺は再び声を張り上げた。潤した筈の喉は瞬く間に掠れ、振り上げた腕に乳酸と重力が再び獅嚙憑(しがみつ)いてくる。振り出しに戻されて、()た一から遣り直し。バックスタンド側の陸上トラックに置かれた、簡易スコアボードの時計が間接視野に入ってしまう。未だキックオフから10分と経ってない。前半終了までこの三倍以上の時間が残っている。ゾッとした。とてもじゃないが体力が保つ自信がない。だが、俺のコールに合わせて、湯元ママが手拍子をしているのが、背後から聞こえる。俺は吼えた。数珠繋(じゅずつな)ぎの恐怖を断ち切って、押し潰された喉笛を怒号で引き裂いた。女学館が押されていると言う以外、試合展開もほぼ判らない。ただボールに競り合う選手の名前を、疎覚(うろおぼ)えのまま連呼する。GKがセーブし、SBがボールをクリアし、FWが無茶振りなクロスに飛び込む度にコールした。知らぬ間に雨が降り始めていた。どれ位時間が経ったのか。後どれ位続けなければならないのか。スコアボードの残り時間を直視する勇気もなく、ペットボトルに口を付けると既に空だった。喉が潰れぬ様、腹から声を出し続けた所為(せい)で、腹筋と背筋に迄痛みが走り始める。早く前半が終わってくれ。それしか頭になかった。こんな物は応援でも何でもない。強くなっていく雨脚が投降しろ、転向してしまえと誘惑する。何もかもズブ濡れだった。見窄(みすぼ)らしく打ち(しお)れ、限界に怯える心と体。それを女学館で最も大きな背番号が切り裂いた。センターサークル付近で生き残った最後の狼の様に相手ボールをカットし、そのまま味方のフォローすら振り切るドリブルでペナルティアークの前まで持ち運ぶと、寄せの甘いCB二人のど真ん中を、垂直にジャンプしたGKのグローブを、左インフロントで完璧に撃ち抜いた。反対サイドの遠いゴール。何の前触れもなく、ボールを奪い遠離(とおざか)っていった背番号23。この世界を構成する9番目の素数が、天と地を引っ繰り返した。前半31分、村里のゴールで先制。風は吹いた。それは突風だった。背筋を這い回っていた悪寒は一瞬で焼き尽された。破裂した化学プラントを駆け抜ける烈火の様に、熱狂は戦慄となって毛細血管の隅々にまで連鎖し、雄叫びと魂が渾然となって、俺の中で(くすぶ)っていた不純物を浄火した。

 主審の長いホイッスルに痙攣の治まらない横隔膜が共鳴している。灼けた喉を湿らせたくても、舌が上顎に張り付いたまま、唾の一つも出てこない。降ろした腕は肩に引っ掛かっているだけで、壊疽(えそ)したも同然。雨は未だ降っていた。難破船から救助されたかの様にスブ濡れで襤褸々々の俺を、雨粒がしたり顔で慰める。先制ゴールの後の事は良く覚えていない。村里のコールを喚き散らした時点で、俺の精魂はほぼ完全燃焼していた。前半が終了した事に、ホッとする余力すらない。この後、残りの45分なんて想像だに出来ない。ロッカールームに引き上げてくる選手達。眼を合わせる事の出来ない俺は、敗者の背中をピッチに向けた。最後の仕事が待っている。囁くだけでも血の味がする喉を俺は振り絞った。

 「じゃあ、俺、これで失礼します。」

 それで精一杯だった。それ以上何も出てこなかった。湯元夫妻は席を立って、何度も何度も俺に頭を下げた。

 「ホンマ、おおきに、おおきにな。お兄さんの応援なかったら、あのゴールもなかった思うわ。ホンマ、おおきに。気を付けてな。」

 優しさが、感謝の言葉が錆び付いた鍵穴に射し込まれた。本の(かす)かに禁を解いた監獄の扉。俺はその隙間を狡猾に擦り抜ける濡れ鼠でしかなかった。別れを告げてスタンドの階段を踏み締める一歩一歩が、慚愧(ざんき)の茨に(さいな)まれた。入場ゲートを出て公園内のバス停に向かうと、自販機の脇の喫煙所で蒼い逆髪(さかがみ)が一服していた。

 「何や帰るんか。」

 素通りした俺の背中に檄が飛ぶ。止まり掛けた足を強引に踏み出し、聞こえない振りをするしかなかった。「これから長居に行く。」等と言い返したら、それこそ吐いた唾を呑む事になる。

 俺はバスに乗り、京阪線、市営地下鉄と乗り継いで、長居に向かった。誰の為のアリバイなのかも判らぬまま、岩礁に打ち上げられた海藻の様にシートにへばり付き、壊滅的な疲労感で身動きの取れない俺の頭の中は、村里のゴラッソと、湯元夫妻のはんなりとした関西弁と、逆髪の(くわ)え煙草が、制御棒を引き抜いた圧力容器さながらに渦巻いていた。浮わの空を擦過する車窓の景色と京阪の駅名。バスに乗る前にキックオフした筈の後半は、淀屋橋で乗り換える前には終わっていた。無限地獄の前半45分がチョットしたランチタイムであったかの様な、アッと言う間の一時間半。汗と雨水をしとどに吸った、俺の罪を(かくま)う気のない()(ぎぬ)に、体温と感情をジクジクと奪われながら、俺は長居に辿り着いた。地下道から地上に出ると雨は上がっていたが、その分、試合の方が土砂降りだった。女学院の後半45分を見捨てた報いとしか思えなかった。

 J1昇格に一縷(いちる)の望みを賭け、二万人を動員したホームチーム。関西という事もあり福岡からも多くのサポが参戦していた。スタジアムのある運動公園の周辺、コンコースの売店、イベントコーナー。久し振りのJの試合は、女子の二部を見てきた眼には、人と物で溢れ、試合が始まってもいないのに優勝した様な騒ぎだ。俺はその盛況を、玉手箱を開けてしまった浦島太郎の様に眺めていた。莫大なスタジアムの質量と造形。メインとバックを覆い被さる、無数の鉄骨で緻密に編み込まれた屋根と屋根。その区切られた雨の晴れ間を、千紫万紅(せんしばんこう)、無限の階調で喰らい尽くす、荘厳な西日。雨水を含んだピッチで煌めく華麗なパスサッカーと、咲き誇る桜のユニフォーム。夕闇に栄えるオーロラビジョンに刻まれた4:0のスコア。総ては玉手箱から立ち昇る淡い煙に見えた。

 糞みたいな試合だった。試合開始直後は、主審の笛を元気良く彌次(やじ)っていた福岡のウルトラスも、破れた金魚掬いの様な守備で、3点目を決められると完全に沈黙。勝ちに行っているのか、来期に向けて選手を試しているのかすら判らない内容で、福岡は終戦した。試合後の挨拶に来た選手達に、スタンドから怒りの声すら挙がらず、そそくさと身支度を始める福岡サポの(やつ)れた背中が、アウェイのゴール裏から拡散していく。俺は新幹線のダイヤを携帯で検索しようとポケットに手を突っ込んだ。すると、取り出そうとして誤って操作した液晶画面に、後半89分、女学院が追い付かれた事が、申し訳程度に表示されていた。

 帰りの新幹線、俺は車掌の怒号と殴打で眼を醒ました。車内の便所の中だった。何時用を足しに行ったのかすら覚えていない。それ程、呑んで、呑んで、呑み潰れていた。車掌に突き飛ばされる様にして東京駅のホームに降りると、敷き詰められた床のタイルに焦点が合わず、天井の梁が旋回していた。俺はホームに備え付けのゴミ箱に首を突っ込んだ。ガラッガラな喉を焦がす胃液の辛酸。読み捨てられたスポーツ紙と駅弁の容器が折り重なる懺悔室に、煌めく熱い吐瀉物を俺は暴き散らした。

 

 

 年が明けた。球春を迎え華やぐ運動公園の外周を、俺はドラムケースを抱えて、グズグズと周回していた。試合会場の陸上競技場は目と鼻の先だ。それなのにもう何周目か判らない。スタンドに足を踏み入れる勇気の無い俺は、新緑が囁き交わす木漏れ日の中で、切っ掛けを探し求め流離(さすら)っていた。ゴールデンウィークの初日。女学館対京都、13:00キックオフ。スタジアムが違うとは言え、奇しくもあの時と同じ京都での試合。当然、湯元夫妻も観戦に来るだろう。既に競技場は開門している。一旦入場したら、ドラムを脇に置いてシートに腰掛け、黙って試合を眺めているなんて出来る訳がない。新幹線の網棚にも入らない荷物を担いで、東京から来たのだ。やるしかない。頭ではそう言葉を組み立てるのだが、心と体がそんな片言の羅列を受け付けない。

 あの試合から数日後、リーグのホームページに、当日の試合写真が掲載されていた。ロスタイムの同点ゴールに歓喜の抱擁を交わす大阪の選手達をバックに、ピッチに崩れ落ちたGKの慟哭(どうこく)が轟く劇的な一齣(ひとこま)。今まで見てきたどのスポーツ写真とも決定的に違う迫真。絶対的当事者と言う原罪が、勝負の世界なら何処にでもに転がっている、在り来たりなコントラストだと、切り捨てる事を許さなかった。グローブの中に陥落したGKの横顔。フォーカスの外で弾ける大阪のセレブレーション。一枚のWEB写真の中で静止した天国と地獄。どんなに見詰め続けても、ピッチに平伏(ひれふ)したまま、決して立ち上がる事のないGK。

 あの日から、針も文字盤も振り子もない柱時計が俺に埋め込まれた。時を告げる事のない、記憶の彼方で永眠する沈黙の棺桶。一年前の静止画を()ぎる掠れた声と喉の痛み。心の隙間に()じ込められたあの時の続きが、今、眼の前でスタジアムに向かって伸びている。遊歩道の白皙(はくせき)が瞳の奥で弾けた。何やってんだ俺。獲物は眼と鼻の先。今更迷いようがねえ。蒲魚振(かまととぶ)ってる場合かよ。俺はドラムケースのストラップを肩に掛け直した。頬を突く怒気の入り交じった笑み。待ち草臥(くたび)れていた決意がコマ送り出来ない静止画を蹴散らして、動き始めた針の指す入場ゲートへ、その一歩を踏み出した。

 受付のスタッフを皮切りに、漆黒のドラムケースはスタジアムで擦れ違う人々の視線を独占した。もう逃げられない。地球の自転を逆さにしたって、昨日には戻れない。スタンドのアウェイ側に歩いていくと、湯元夫妻が俺に気付いた。あの日から約半年ぶり。長いハーフタイムだった。

 「今日は五月蠅(うるさ)いから帰れって言われても、帰らないッスからね。」

 ケースを開けてフロアタムを取り出すと、張り替えたばかりで傷一つ無いドラムヘッドを湯元夫妻は覗き込み、ダブルフィルムに映り込むその顔を輝かせた。ピッチ練習は既に始まっている。俺は雷雲から舞い降りた魔神の様に、スタンドの最前列に君臨した。今日は陸上トラックを挟んだピッチも、バックの芝生席も近くに見える。チューニングなら、スタジアムの外でまごついていた時に済ませてある。振るい上げたマレットが玻璃(はり)色の処女膜を突き破り、雄牛の様な身震いで黒塗りのシェルが唸りを上げる。(うら)らかな休日の午後を刻む晴れやかな号砲。丹波高地の山並みに木霊(こだま)する春の音連(おとづ)れ。左手のカンペで背番号を確認しながら、一人ずつ選手の名前をコールする。背後から援護する湯元夫妻の手拍子。シュート練習をしながら俺の事を指差す選手達。突然、京都の運営責任者と(おぼ)しきオヤジが走ってきた。まさか鳴り物禁止かと思っていると、(しか)めた笑顔で息を切らしながら、

 「もっと、真ん中でやって下さい。真ん中で。ささッ、どうぞどうぞ、遠慮せずに。どうぞ真ん中で。」

 足軽(あしがる)風情の無頼(ぶらい)が高じて、大名気取りの無礼講(ぶれいこう)。据え膳に(かん)の銚子まで付いて、振るうマレットも軽くなる。絶景だった。相も変わらず閑散としたスタンド。しかし、心が変わると景色も変わった。何故もっと早く出会えなかったのか。一鼓一会(いちこいゑ)の手応えに血が沸き声が躍る。余りの有頂天に、二対一で格下相手に取り零した事さえ気付かなかった。

 試合後、荷物の片付けをしていると、湯元ママが恥ずかしそうに手提げの中から小さな人形を取り出した。

 「これ良かったら、何かに使こうて。」

 携帯のストラップ用にアップリケを貼り重ね、一針一針手縫いで仕上げたクラブマスコットの猿。サポーターグッズにまで手の回らないの物販の足しに、自分で考え作ったのだという。受け取った手の中で、真っ直ぐに俺を見詰めるオレンジ色の女猿。稚児のお守りの様な朴訥で懐かしい手触り。娘を想い内職する小さな丸い背中が、ガラガラに涸れた喉の奥底に灯を(とも)(うずくま)る。携帯に人形を括り付けながら、俺はママに注文した。

 「来月十一日の大阪戦にも来んでしょ。だったら、後二つ作っといてもらえます。ドラムとバッグにも付けたいんで。」

 その日から総てが変わっていった。スタンドの最前列でマレットを振るい、怒発(どはつ)するフロアタムに合わせて声を張る。たったそれだけで俺の周りに人が集まってきた。選手の御両親は元より、どの会場に行っても運営責任者の方から挨拶に現れ、全く面識のない相手チームのサポーターや観客から差し入れを貰い、誰彼と無く「お疲れ様でした。」と声を掛けられ、身支度を終えて帰ろうとすると、スタジアムのグラウンドキーパーが車で駅まで送ってくれる。試合を重ねる度に、5m×1mから、5m×3m、そして10m×2mへと大きくなっていった手書きの横断幕の様に、人の輪は広がり、必要とされ、慕われ、(うやま)われ、人々が湛える憧れの眼差しが、俺を前へ前へと後押ししていく。憎しみが挫折した愛だと気付いた瞬間、たった独りで人類と永遠に戦い続ける、自分を甘やかしているだけの虚しいゲームは終わった。自分の人生が糞みたいにつまらなかったら、自分で創造すれば良い。サッカーで俺は生まれ変われる。そう思った。しかし、頂上だと信じ登っていくと、それは違う山だった。

 

 

 

 スタンドの微熱に予震が走る。艶情(えんじょう)を究める烈日のフォーヴィスムと、積乱雲が巻き起こす紫紺のキュビズムが色と形を失い暮れなずむ、夏の後仕舞い。揺蕩(たゆた)っていた観客の散漫な視線が、メインスタンドホーム側コーナーフラッグの脇に設けられた、西が丘の変則的な入場ゲートに前傾し、凝縮していく。GKコーチの後に続きレイズのGK二人がピッチに現れた。深紅のレプリカユニが婚姻色と攻撃色を血走らせて、重油の入り交じった赤潮の様にグツグツと発情する。総立ちで待ち構えるアウェイゴール裏を中心に立ち昇る、雷讃(らいさん)の拍手。焚き付けられてセンターラインを駆け抜けた二人の守護神が、タッチラインに沿って並び、先ずアウェイ側メインスタンドに一礼すると、くの字に倒した上半身を跳ね上げてゴール裏にダッシュする。普段ならここで選手を迎える煽りのドラムがロールする処だが、鳴り物はなしだ。それでもレイズの場合ゴール裏の頭数が余所とは桁が違う。千軍万馬の圧倒的な物量が声でスタジアムを支配する。数は力であり正義だ。導火線を伝う重低音の(とき)の声が、使命と野心、重圧と矜持、畏怖と昂揚、焦眉と決意で(みなぎ)るゴシックの背番号に鞭を入れる。赫き名門の守護天使、最後の砦を任された二人の早乙女(さおとめ)がゴールラインに爪先を揃え、西日を浴びて立ち見席に(そび)え立つ、赤熱と轟音の巌壁(がんぺき)と対峙する。深々と頭を下げ全身全霊の敬意をゴール裏に捧げると、藤井君の鬼気迫るリードが日常と理性を突破して、情熱が決壊する。赤銅の空に垂れ込めた粘着質の暑気を一掃する、怒号を帯びたコールの絨毯爆撃。その名を連呼され今一度頭を下げる第一GKに、更なる激励のコールが降り注ぐ。オーガナイズされた雄叫びと、火花を散らす手拍子に命を吹き込まれ、律動するスタジアム。都内の北の片隅で、公式収容人数7258人と謳っても、精々その半分の動員でパンパンになるサッカー小屋が一気に劇場化し、フェンスで仕切られた客席と舞台が、観客と演者が、その主客を逆転する。怒髪天を()く音圧で今宵の主役に躍り出るゴール裏。声は力であり正義だ。ここでは声を出し続けている限り、誰もが雄々しき援軍の志士として燃え盛る事が出来る。役職も序列も階層も成績も業績も年収も時給も資産も債務も賞罰も納期も返済期限も学費も養育費も医療費も住宅ローンも飛灰(ひはい)し、世間によって仕分けされ、判で押された属性から解き放たれ、ストレスと劣等感によって打ちのめされたチンケな自分を焼却処分し、現代社会を超越する事が出来る。此処はノートルダムの奇蹟御殿だ。

 藤井君が利き腕を水平に伸ばしてゴール裏を制し、更なる号砲を撃ち放つ。紅蓮の音塊が第二GKのコールに切り替わると、エレーラのGKもピッチ練習に現れた。鳥肌の様に笹並(さざな)み、総立ちになる常緑のレプリカユニ。レイズの鬼気迫るドスの利いたコールとは違う、歓喜を帯びた声援。流麗なパスサッカーで日本の女子サッカーを席巻し、牽引してきたクラブと合わせ鏡の様な、軽快で華のあるゴール裏。試合運営の手伝いが一段落付いたユースの選手達も合流し、先輩達にエールを送る変声期を終えてない黄色い声が飛び交う。パッと見、老若男女が思い思いに集い、程良くブレンドされたゴール裏が二つに割れている様にはとても思えないが、フェンス際の最前列でコールリードするイックンと、コンコース側最上段で声を張る鷲尾さんが、立ち見席の端と端でガッツリ距離を置いているのが遠目にも痛々しい。

 エレーラのGK二人がPAでキャッチングの練習を始めると、コーナーフラッグ脇の入場口から覗いた紅い影に、西が丘のレブカウンターがアイドリングからレッドゾーンに振り切れた。キャプテンの藤見を先頭にピッチに足を踏み入れるレイズのフィールドプレーヤー。真打ちの登場に色めくアウェイスタンドとは裏腹に、リーグ戦で残留争いに沈み、このカップ戦も既にグループリーグ敗退が決まって、監督が健康伺いを出した直後と言う事もあり、選手達の表情は硬く、応援に来た身内に手を振る処か、歯を見せて私語を交わす者すらいない。特に責任感の権化、キャプテンの藤見は、既に二三発殴られた様な形相で、足許を睨み付けながら歩いている。埼玉と北関東のサッカーエリートが集結し、(しのぎ)を削るユースからの叩き上げと、毎年欠かす事無く入団する新卒有望株が列をなす紅き精鋭。試合前の緊張感とは異なる重苦しい大気を纏う選手達にとって、ゴール裏への挨拶は十字架を背負って登るゴルゴダの丘だ。スタンドにぎこちなく頭を下げた迷える子羊達の悲愴を吹き払うのか、はたまた(いたづら)に炙り立てるだけなのか、怒濤のコール・アンド・チャントが極点に達し、スタンディングジャンプがモルタルを()ぜる。一人一人の咆哮(ほうこう)と過呼吸が折り重なり、酸欠の坩堝(るつぼ)と化したゴール裏のマトリクスに、鉄筋コンクリートで固めた西が丘の躯体(くたい)が、大蛇(おろち)の様に脈を打つ。アウェイスタンドを濁流する爆心。陥落寸前の西日が再び這い上がってきた様な灼熱の劇空間。

 そこに、この国の女子サッカーの源流と誰もが認めるクラブの翠玉(すいぎょく)が、平素な淡々とした足取りでピッチに現れた。現役のA代表とA代表経験者数人の後に続いて、ホーム側のゴールライン上に幼い少女達が並び始める。トップチームのユニフォームを着ていなければ、ボールスタッフを務めるのだと思われても仕方ない、中学生と見紛(みまが)う未発達な骨格。中には身長が150cmに満たない者すらいる、トップチームの半数を占めるユースと二重登録の選手達。もう見慣れた光景になってきたその陣容に、このクラブの抱える苦悩と、歴史に裏打ちされた底力が表裏をなしていた。

 女子サッカーのプロ化とグローバル化で拍車の掛かる、選手の海外移籍。その潮流に呑まれ最も割を食っているのが、自前で育て上げたワールドクラスの選手達を(よう)し、他を圧倒してきたエレーラだった。移籍金ゼロで流出していく選手を引き留めようにも、親会社の撤退で兄貴分であるJチームの赤字を補填する為、ホームゲームまで地方開催にして切り売りしている台所事情ではとてもままならず、草刈り場と化したクラブは、主力の抜けた数だけユースの少女達をトップに引き上げ、その穴を埋め続けた。

 小兵と呼ぶにしても幼すぎる選手達が、ホームゴール裏への挨拶を終え、ピッチへと散っていく。グループリーグを首位で通過し、消化試合となった最終節。何の気負いもなく、圧倒的なアウェイゴール裏の声量を背に涼しい顔でパス練習を始めると、少女達の魔法の足首から繰り出される放物線の一筋々々が、日本の女子サッカーの未来を担う虹の架け橋を描き出していく。不遇の時代を乗り越え練り上げられたメソッドによって、底光りする程に研ぎ澄まされた、止める、蹴る、運ぶ技術。繊細で精緻なタッチが、放たれたパスを金糸のショートベールで包み込み、微睡(ほほえ)むままにピッチに添えられた五号球は、魔法の足首に導かれ、再びこの星の重力から解き放たれていく。

 フットボールの総てがそこで完結していた。ボールの軌跡を追い、キックフォームをなぞっているだけで、眼が洗われる。クラブの理念と信念を黙々と反復する少女達。この国に男子のプロリーグすらなかった時代から紡ぎ続けてきた女王のタペストリー。技術やトレーニングを真似る事は出来ても、エレーラが費やした歳月を真似る事は出来ない。事実上の監督の辞任で混迷を極める、レイズの選手達の閉塞した硬いボール廻しに眼を移すと、メガクラブの紅き精鋭ですら、ちぐはぐな寄せ木細工に見えてくる。

 西日に透ける蜻蛉(かげろう)の様に、痩身の羽衣(はごろも)が流麗に(ひらめ)き、受け継がれた常緑の血潮が肌理(きめ)の支脈に満ちていく。思春期の残り香を(まと)う襟足とは裏腹に、淀みなく行き交う老練なまでに洗練されたパス。静謐なステップの一つ一つが先人達の永い影を踏襲し、ペットボトルを取りに行く所作すら気高く(まばゆ)い。スタメンの選手がほぼそのままA代表のスタメンだった数年前とは異質な凄味を放つこの学生チームは、女王の血統で貫かれた、エリートの中のエリートだ。筋金入りとはこのクラブにこそ相応しい。今は新興の神戸に水を開けられているが、少女達の体が出来上がった数年後には、陽は復た昇り、凱風に帆を張る事だろう。

 世界が違う。女学館と同じ競技をしているとは思えない。試合の勝ち負けに痺れる事はあっても、内の選手達のアップに痺れる事はない。何気ない仕草にすら刮目(かつもく)させられるエレーラの高みに、特別な努力や秘策のないクラブが、追い付ける日が来るのだろうか。去年、降格が決まった後の残り二試合。リーグ戦勝ち星なしで終えるのを免れる為、走り込みだけのトレーニングで、走り勝つだけのサッカーをゴリ押しした内のクラブに、理念も信念も未来もなかった。エレーラのアップを見ていると、あらゆる意味で溜息しか出ない。

 レイズにしても福岡とは苦境の次元が違う。豊穣な経済基盤とサポートを持つが故に課せられる絶対的な勝利。ただ勝っただけでは許されない煉獄(れんごく)に籍を置く気概が、レイズに携わる総ての人達を貫き、重厚な風格を築き上げている。御飯事(おままごと)の運営でクラブとしての(てい)をなしてない、水溜まりで足を()り溺れている雨蛙には、想像も出来ない高度で、レイズは天を()く巨人と戦っている。エレーラの(たえ)なる技も、レイズが背負う巨大な十字架も天の配剤。栄光を約束されたクラブにのみ許された試練だ。去年までこの二チームと同じカテゴリーで試合をしていた事すら、今ではもう信じられない。

 仕上げのシュート練習が始まり、青褪めた入相(いりあい)の空を突く照明塔に灯が点ると、国立の名に恥じぬワールドクラスのピッチが鮮烈なエメラルドに生まれ変わり、西日で塗り潰されていた電光掲示板に、対峙する二つのエンブレムが、エッジを立てて浮かび上がる。包み込む様な自然光とは趣きを異にした、整然と降り注ぐ無機質な燐光。暮れ果てる程に全身で感応する西が丘競技場。鏡の間を抜けて橋掛かり、浮き世から解かれ白州の間。天蓋の幕が揚がって(ひら)かれた、ここは月の世界だ。夢の様だと言っても別に大袈裟じゃない。女子の場合、トップリーグと言えども照明塔の使用料が払えず、酷暑の最中、真っ昼間のキックオフを余儀なくされていた頃とは隔世の感がある。先週も福岡の二部の試合は、日除けのない炎天下の中、暴発する汗にまみれ、熱中症でドロドロに溶解した意識の中、ドラムを叩きながら声を張り、揺らめくボールの残像を追い掛けた。同じ女子サッカーでも、ここにはチンチンに焼けたベンチシートも、風雅の滅した歪んだ大気の欠片もない。汗の引いた肌に夜気が忍ぶスタンドから、シュートが決まる度に上がるゴール裏の掛け声に、薄れ掛けた酒精を(くすぶ)らせ耳を(ゆだ)ねていると、どっちが(うつ)つで、どっちが幻か判らなくなる。タッチラインの白皙(はくせき)は眼に痛い程眩しく、アップに出てきた審判団のツイルブラックのユニフォームまでもが降り注ぐ蛍光を照り返し、選手達は銀幕の中を綺羅を振り撒き駆け抜けていく。女子サッカーのナイトゲーム程、光の尊さが身に染み入る事はない。ましてここは西が丘。この島国で天国に一番近いスタジアムだ。至高の舞台装置に五感が蒸留され、時が揮発していく。

 女学館の実働応援を初めて、周りが見える様になってから、(ようや)くこのスタジアムの素晴らしさに気が付いた。毎年、サッカーカレンダーが発表される度、女学館の次に西が丘のスケジュールをチェックし、足を運べる試合をカテゴリーに関係なくピックアップする。プロの試合だろうが、アマの試合だろうが、野郎の試合だろうが、女子の試合だろうが、ガキの試合だろうが、ジジイの試合だろうが、猿と犬の喧嘩だろうがお構いなし。ここは別格だ。国際規格のどんなメガスタジアムよりも、城北の外れにあるこのサッカー場は、好事家(こうずか)の寵愛を独占している。

 最寄り駅から徒歩10分足らずの良好なアクセス。コンパクトな造りで、余計な物が削ぎ落とされた清潔な設備と、フルシーズンフル稼働でありながら完璧なコンディションを維持するワールドクラスのピッチ。圧倒的な至近距離で試合を体感出来る、ラグビーのトライスペースをも廃した文字通りのサッカー場。活字にすると大方こんな具合のスタジアムガイドになるのだろうが、週末の午後このスタンドに満ちる贅沢な時間こそ西が丘の白眉であり、一般客がスタジアムに求める臨場感は、ここでは刺身のツマでしかない。宅地に紛れる様に建造された何の変哲もないグラウンドだ。メガスタジアムの纏う威容とは無縁の、これといった主張もなく佇むこの構造物は、鉄筋コンクリートの塊とは思えぬ程、安らかに弛緩している。ブラリと訪れて、肩肘張らず、広い空と芝の臭いに放心していれば良いニュートラルな空間。今日もスタジアムまで歩いて10分とかからない最寄り駅の本蓮沼からでなく、JRの東十条で降り、演芸場から十条銀座商店街へ道草を食い漂着した。ここでは人に揉まれて、息の詰まる試合なぞ端から観たいと思わない。空席の似合うスタジアムだ。スタンドを縦横に駆け抜け、立ち見席の手摺りで逆上がりをする子供達。スポーツ紙を頭から被ってシートに仰臥(ぎょうが)するオヤジ。スーパースターもスーパーゴールも最新の戦術理論も事件もドラマも奇蹟も必要ない。魂を天日干(てんぴぼ)しにして、一週間の(おり)(そそ)ぎ、微睡(まどろ)みに瞼を浸し、耳を澄ませば、後は頭を空っぽにして帰宅するだけ。そんな身の丈の止まり木が、今宵は胡粉(ごふん)を掃いて月に()し、轟くチャントは桟敷の謡い、ピッチに(あまね)く天女の(うたげ)。華やかに着飾った西が丘の夜会は小癪な奴だ。何処(どこ)をどう切り取っても絵になってしまう処が、湶さんに似ている。どんなに冷たく(あしら)われても心を許してしまう。

 セカンドGKの頭上を強襲したシュートが、クロスバーを直撃して夜空に舞い上がった。軽く天を仰いでシュート練習の最後列へと戻っていくレイズの10番。パンパンに埋まったメインスタンドに眼路(めじ)を返すと、日野さんのトークに聞き入るサッコちゃんの隣で、名門のエースナンバーを見詰める、湶さんの端正な横顔が蒼く燃えていた。

 

 「撫子(なでしこ)(つはもの)は、顔よき。」

 

 と言い切る湶さんはスタンドのお公家様(くげさま)だ。そのお眼鏡に適った光の君は、汗臭さを感じさせない涼しい痩貌(そうぼう)を微かに強張らせて、決定力という魔物と戦っている。今シーズン、開幕から決定機を外し続けた悩めるエースは、不振に(あえ)ぐチームのA級戦犯だ。格下の対戦相手にボールを支配はするものの先制点が奪えず、カウンターとセットプレーから失点と黒星の山を積み上げてきた。ゴールと言う花道から遠離(とおざ)り、FWとしての岐路に立たされている貴公子が放つ、力みがちで硬質なシュート。

 そんなゴールマウスから(うと)まれ、悶え苦しむ紅きハムレットに、湶さんはゾッコンだ。若武者の(さいな)まれる姿を視姦する糖蜜の様な愉悦。冷徹な眼差しはシュートの正否に一喜一憂する事無く、終世の(かたき)を付け狙うかの如く、瞬きすら忘れ、唯、一点を射抜いている。

 

  「 裏切られると

 

 

       殺してやる

 

 

         とか

 

 

        言っちゃうのよね。 」

 

 

 伏し目がちに呪詛(じゅそ)を吐く様も又、雅な人だ。思いが募る余り、スタンドとピッチを限る、腰丈にも満たないフェンスを飛び越え、日高川を渡る清姫(きよひめ)の如く大蛇と化し、逃げ惑う夏木を焼き尽くしても、その蒼き焔に俺は看取れてしまうだろう。蛇道に転生しても美しい物は美しい。情に溺れて人を(あや)めても、絶望の余り川底に入滅しても華があるのだから、美人にはお手上げだ。

 

  「男にはフラれた事がないの。」

 

 と湶さんが発しても嫌味はない。寧ろ、流石言う事が違うなと痺れてしまう。五感の中で最も視覚の発達した人類は、視覚によって心を満たす生き物だ。しかも、健全で優良な遺伝子を継承する為に、健全で優良な肉体に発情するのは生命の根元だ。美しい肉体を造形を求めるのは、本能に裏打ちされている。

 美しく産まれるとある程度の努力が免除され優遇される。これは歴とした差別で迫害だ。美醜が貴賤や優劣、物事の善し悪しにまで直結する。美しいと言う事は残酷なのだ。唯、有りの(まま)に輝いているだけで誰かを傷付ける。美しくない物を堂々と傷付ける位でなければ、本当に美しいとは言えない。それはこの世界が理不尽で残酷な証だ。宇宙を司る物理法則にとって不細工な奴の苦労なんて知った事じゃない。道理なんて人がでっち上げた方便の一つで、単なる気休めだ。不公平だからこそ、美しいという特権が成立する。人類が皆平等だったら湶さんは存在しない。人類が皆平等だったら他人と自己の区別もない。何もかもが均一でそれは無に等しい。平等なんて人間が作った言葉、戯言で文字の羅列でしかない。民主主義や共産主義、個人主義や合理主義、人権や少年法や体罰反対、言論の自由にジャーナリズム、集会の自由にLOVE & PEACEとジェンダーレス、精神分析や心理学と同様、不完全な人類の作った、欠陥だらけの不完全な考え方、無いよりはましな浅知恵で、全知全能の裁きを下す、魔法の杖なんかじゃない。

 容姿より内面を(とうと)ぶのは、持たざる者の(ひが)みで、此処が法廷だったら完全に偽証罪で欺瞞の極みだ。勝てない勝負を八百長呼ばわりしている暇があったら、勝てる勝負に人生をベットすれば良い。美しい物を讃えて何が悪い。綺麗な物を綺麗と言って何が悪い。醜い物なんて始めから言葉にも相手にもしない。そんなに美を崇拝する事が傲慢だというのなら、この星が生んだ総ての美を芸術を音楽を瓦礫の山にすれば良い。雪舟も、等伯も、淋派も、蕭白も、北斎も、国芳も、ボッティチェリも、ミケランジェロも、ルノワールも、モネも、ゴッホも、ヴァロットンも皆キャンプファイヤーにしてしまえ。序でに夜空に瞬く星屑も叩き落として、世界中の花と言う花を毟り取ってしまえ。この国の移ろう四季を愛でる機微も叩きのめして、万葉集も破り捨てろ。そして、あらゆる美の官能に不感症になれ。美しい物を見てビンビンに遡々(そそ)()つ竿と金玉を去勢しやがれ。良いか、例え其奴(そいつ)(まが)い物の硝子の玉でも、キラキラは俺の心を照らすんだ。素晴らしいじゃねえか。湶さんがスペシャルワンである限り、この糞みたいな惑星も満更じゃねえ。

 夏木は今夜もシュートを外しまくって途中交代するだろう。失意の貴公子に湶さんは母性を(くすぐ)られ、もし夏木のシュートがネットを揺らそうものなら、子宮の髄を撃ち抜かれる。どう転んでも夏木の総獲(そうど)り。俺みたいなモンゴロイドの吹き溜まりに、出る幕なんてない。フェンスとタッチラインで仕切られたピッチの上では、どんな落ち目のエースでも悲劇のヒーローだ。この七千平米強の聖域ではロバでも白馬に見えてくる。俺には夏木なんて、女に成り切れない女にしか見えないが、結局選手には敵わない。ピッチ練習を終えて選手達がロッカールームに引き上げていく。夏木がペットボトルを飲み干して投げ捨てた。夏木の足元に落ちたボトルが跳ね、湶さんの胸の内で()ぜる。夏木の受難劇に高鳴る鼓動。そこへ、

 

 

 「次の試合は何処よ?」

 湶さんの真剣な眼差しに塩爺の濁声(だみごえ)が被さってきた。

 「内は愛媛。」

 「アウェイか?」

 「まあね。」

 「行くんだろ?」

 「俺の代わりにやってくれる奴が居るんなら、こうしてゆっくり休んでいたいけどね。」

 「お前がスタンドにいなかったら、選手が便所の中まで探しに来るぞ。どうやって行くんだ。流石に愛媛じゃ夜行バスとかだと大変だろ?」

 塩爺の細めた瞳が目尻の皺に呑まれ、隣で微笑んでいるママのココマークがキラリと光った。

 「愛媛なんてイスタンブールのチョイ手前だろ。俺くらいビッグになると、この星が倍の直径でも狭過ぎるぜ。」

 松山空港からJRの特急で三時間も掛かる宇和島が来週の現場だ。飛行機とホテルは押さえてある。スタジアムや最寄り駅、前乗りするホテルとその周辺の下調べは付いていて、宇和島城を中心に栄えたと言う、過去形の城下町だ。名物に闘牛、鯛飯、養殖水産物があり、中でも真珠と鯛は日本で一、二を争う産地だった。しかし、今現在はその総てが衰退し全盛期の面影はなく、人口の流出に歯止めが掛からない、何処にでもある黄昏の地方都市だ。グーグルマップで宇和島駅周辺を散策しても、クリックする度に切り替わる静止画の中で、時代の流れまでもが静止していた。国の重要文化財で街のシンボルでもある宇和島城以外に求心力のある観光資源は乏しく。そのお膝元に(ひら)けた商店街も廃業した商店が軒を連ねているらしく、将来的には老朽化した大型アーケードの維持すら覚束ぬ事になるのだろう。隆盛を極めた80年代の遺産を切り崩して迎える、緩慢な死。リアス式海岸の狭間に貼り付き、引き潮に(くるぶし)を浸して立ち尽くす、海と山しかない街だ。

 アウェイの遠征、その大半は疲弊した地方都市を巡る旅だ。例え政令指定都市を冠していても、現地を訪れた実感として、半数以上は衰退の無限ループを周回している。空きテナントや幽霊ビルを養生(ようじょう)し、空元気の再開発で無理矢理、繁華街を取り(つくろ)ってるだけの駅前を幾つも見てきた。老廃物と血栓で詰まった毛細血管の様に(とどこお)った人の流れと、手入れが行き届かずそこかしこに綻びが目立つ街路が、市街地のど真ん中にグッタリと横たわっていて当たり前。それがプロの興行でない女子の、それも二部の試合ともなれば、地方都市のその復た更に奥に(ひそ)む、取り残された地域に足を踏み入れる事になる。無人駅からスタートするスタジアム(もう)で。タクシーの車窓を擦過する、緑に呑まれ土に帰る廃屋、廃道、休耕地。千切れた首の皮を何度も縫い直した、ブツ切りのインフラ。運行してるのかどうかも定かでないバス停の脇に(うずくま)る、赤茶けた昭和の残骸。宇和島なんて未だ増しな方だ。自治機能が及ばぬ、沈思に()した風景を見捨てて、先を急ぐ、(およ)そ旅とは呼べぬその行程。住み慣れた東京との落差にも軽い優越を覚え、そんな場末の現場にまで分け入る事が、女子サッカーを追い掛ける矜持の一つでもあった。

 だからこそ、先月の福岡の遠征はショックだった。福岡空港から地下鉄を乗り継ぎ降り立った博多駅のロータリー。そこで俺を待っていたのは、絶世を謳歌する瑞々(みずみず)しい新興都市だった。当日は博多祇園山笠の真っ直中で、博多駅の正面玄関にも飾り山が建ち、街が一年で最も賑わう時期だとは言え、その熱気を差し引いても、街の基礎体温が余所とは全く違った。眼に映る総ての物が堅調に新陳代謝を繰り返し、頽廃の翳る余地どころか、裏も表もない自らの力で、西が丘のピッチの様に発色していた。住吉通を行き交う小気味良い車の流れ、立ち並ぶ中層階のビルは、街の地熱を呼吸して夏空へと放ち、伸び伸びと生い茂る街路樹の間を、軽やかに前へ前へと進む人々の足並みが、この街を未来へと導いていた。駅前を駆け抜ける旺盛な瑞気(ずいき)に、一瞬其処が福岡だと判らなかった。初夏の陽射しを華やかに纏って現れた故郷は、街の鮮度に関して言えば、東京すらも凌駕していた。街が空に伸びていくだけで、其処に暮らす人々を置き去りにしている東京にはない何かが在った。

 ホテルに荷物を置いて、中州、天神と繰り出せば、仁和加(にわか)の御飾りや小唄を鏤めた沿道やアーケードに、飲食店から奔放で濃厚な豚骨スープや串焼きの臭いが流れ込み、交錯する喧噪も、東京の複雑で不協和な擦過音ではなく、随喜を帯びた大らかな息吹に溢れ、この街固有の文化とアイデンティティが咲き誇り、路肩の植え込みの中、自販機の裏側、タクシーの運ちゃんの肩口、何処をどう嗅ぎ廻っても不安の欠片すらなく、圧倒的な自信で漲っている。

 人口増加率で全国一を堅守する、若者達を惹き付けて放さない、都市機能と住環境と豊かな自然が混在するコンパクトシティ。街並みと新緑と大海原が、最高の立地で小さな箱の中に快適に集約されているその様は、西が丘に通じる処がある。全国の政令指定都市の中で、家賃や物価の安さもトップクラス。地産の農作物と魚介類も折り紙付きで、安くて美味い店しか存在しない、全国屈指のグルメタウン。都市部に空港が隣接している上に、格安航空の乱立で首都圏との地理的デメリットが霧散。自然災害のリスクが比較的低い事から、優良企業の本社移転が進み、若い人的資源の流入と共に加速するIT都市。見て見ぬ振りを決め込んでも、耳を突く「地方都市の勝ち組」と言う風聞(ふうぶん)。一昔前は「アジアの玄関口」と言ったキャッチコピーで、国際都市を血眼(ちまなこ)でアピールしていたが、今はもうそんな事を喚く必要もない。そこには再生しなければならない農村や市街地もなければ、創生しなければならない地域産業もない。国の補助金に頼った予算事業で、所得の再配をする必要もなければ、街の個性とか言う漠然とした抽象概念を捻り出し、具現化する必要もない。この眼で見るまで信じられなかったが、今の福岡は本物だった。九州と言う猿山で、大将風を吹かしてるだけの田舎侍と見下していたその街は、アーケードの屋根を()いて(そび)える飾り山の如く、背伸びをして張り合う気にすらなれぬ程、逞しく成長していた。懐かしさに甘える事すら(かな)わない。この街を飛び出し、見捨てた間違いを認めろと、飾り山の最上段で大見得(おおみえ)を切る武者人形。その燃え盛る隈取(くまど)りを、俺は地邊田(ぢべた)から見上げる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 「宇和島かあ、良い処なんだろうなあ。」

 塩爺が節くれ立った指を揉みながら呟いた。

 「どうせ、海と山しかない処でしょ。」

 「良いじゃない。お前んとこの田舎もそうだろ。確か自然の中で暮らしたいって人が、沢山移住してるって聞いたぞ。」

 「町がバラ撒いてるパンフには、フォトショップとかで弄った夕焼けの写真とかが載ってるだけで、牛がどんだけ臭えのかとか、一晩中何百匹も牛蛙が鳴いてて眠れねえとか、網戸にびっしりツマグロヨコバイが張り付いてて、それを掌よりデカい蜘蛛とかヤモリががパクついてるとか、軽トラに猪が突っ込んでくるとか、箱に詰めたミカンとか芋を持って、近所の婆が勝手に人の家に上がり込んでくるとか、町会の同調圧力の縛りが矢鱈(やたら)きついとかは書いてないんでしょ。」

 「そう言うのが全部懐かしいんじゃないのかよ。先月の福岡の遠征の時、田舎の方にも寄ったんだろ。」

 「あんな成人式にバンジージャンプやる様な処に行く位なら、神栖(かみす)のゴール裏にレイズのユニ着て飛び込んだが増しッスよ。」

 「ハハッ、益々(ますます)ムキになるなあ。」

 塩爺の剥き出した歯茎がガラガラと、崖っ淵の自尊心に上がり込んでくる。

 

 

 「あげなとこは遠足でも行かんばい。」

 

 「糸島は税金を米で払いよっちゃろ。」

 

 「瑞梅寺から向こうは、佐賀。」

 

 「糸島のテレビの電波は釜山(プサン)経由やけんね。」

 

 

 福岡市内の連中に揶揄(やゆ)されていた実家のある糸島も、今や福岡が誇るリゾートタウンとして、好況のお零れに与っていると言う。福岡の都心部に三十分の通勤圏内でありながら、大らかな自然に囲まれた住環境が見直され、肥沃(ひよく)な大地で育った味の濃い糸島野菜は今やブランド化し、県外からも買い物客が殺到。JAの直産市場や道の駅は全国でも屈指の売り上げを叩き出し、対馬の暖流と大陸棚が生み出す豊かな漁場に恵まれた糸島の港では、値札を書き間違えたのではないかと見紛う、激安と鮮度を兼ね備えた海産物が直売所に並び、二見ヶ浦周辺は絶景の夕陽に、絶好のサーフポイントとして名を馳せ、海岸沿いには小洒落たカフェやバル、牡蠣小屋が、下水管に群がる便所コオロギの如く湧き出し、国内有数の野外音楽フェスやら何ちゃらも定着して、月に一度打ち合わせで東京に出向く以外は在宅勤務で、後は糸島の食と自然を満喫するとか、脱サラしてオーガニック野菜の栽培がどうとか、自然と融和した芸術活動で何ちゃらかんちゃら、とか言った、トレンドの発信地になっているらしい。

 因果な物だ。既に福岡で産まれ育った時間を越えた東京暮らし。何も積み上げる事が出来なかった年月を尻目に、福岡市内ならまだしも、糸島までもが持て(はや)される時代がやってくるなんて。何をやっても上手く行かないのを、周りの人間や、(ひな)びた海と里山しかない所為(せい)にして、息苦しくて、辛気くさくて、何の変化もチャンスもない処だと、散々(さんざん)ッぱら悪態を吐き飛び出したあの頃の苛立ちも、今となっては、ポケットの中のレシートの様にクシャクシャで、何と書いてあったのか読み取る事すら出来ない。失った物の大きさを誤魔化(ごまか)す術もなく、「やっぱ福岡の方が良かったわ。」等と、ヘラヘラしながら帰れない今が転がっているだけ。

 そんな(ねじ)け者が地元福岡の応援で全国を廻っているのだから、本当に良い面の皮だ。地域密着、地域貢献を謳うサッカーの最前線にいて、生まれ育った街がブラジルよりも遠い存在なのだから、自己欺瞞って奴は素面(しらふ)じゃ出来ない。先月の遠征の時にも瑞梅寺川を(また)ぐ処か、福岡に来た事すら実家に知らせず帰京した。俺の現在地にとって都合の悪い場所でしかない福岡を応援する。整合性なんて始めからない。全国を廻っているのは幸せの青い鳥を探す為じゃない。そんな物は図書館で借りて読めば十分だ。

 (そもそ)も、今が盛りの福岡をサッカーで盛り上げる何て、満員札止めの劇場の前で呼び込みを遣ってる様な物だ。悔しいが福岡は余所の疲弊した地方都市とは決定的に違った。サッカーの遠征で飛び回っているのだから、当然何処に行ってもサッカーが地域振興の担い手として幅を利かせているのを見てきた。Jのクラブが誕生した事で、街に人々が集う場所が出来、砂漠に水を撒く様な予算事業では得られない効果を上げているのも、試合会場の盛り上がりで体感してきた。スポーツを通して地域が活気に溢れ、 豊かな社会形成に寄与すると言う、日本サッカーの理念に、スポーツの存在意義に触れた気になっていた。先月の遠征で博多駅を降り立つまでは。

 スポーツでの地域振興なんて(おの)ずと限界がある。冷めたスープに胡麻を振って湯気が立つのなら、誰も苦労はしない。疲弊した地方都市が本当に必要としているのは、サッカーや郷土愛という精神的モニュメントではなく、実業という物理的な大黒柱だ。人も企業も金も集まる今の福岡は遣れる事が幾らでもある。サッカーに(うつつ)を抜かす必要がない。寧ろ福岡の場合、サッカーの方が街の好況にぶら下がっていながら、それに見合った成績を出せずにいるのが現状だ。

 

 

 

 「来週が楽しみだな。」

 塩爺の言葉は重く、生返事でお茶を濁す事が出来ない。Jの後ろ盾がある愛媛に女学館が勝てるのは、恐らく次が最後だろう。同じ海と山しかない町でありながら、宇和島と糸島を隔てる明暗のコントラストは、クラブレベルでは反転する。Jの理念が霞む程の福岡の隆盛とは裏腹に、衰退の無限ループを周回する女学館。勢いだけで福岡から飛び出してきたと言う事に関しては、俺と女学館は似たもの同士だが、見捨てた町が持て(はや)され、応援しているクラブが虫の息なのだから、俺はさながら疫病神だ。

 場内アナウンスが両チームの選手を紹介し始める。運営側の手違いで、辞任したレイズの前監督の名前が読み上げられ、一瞬場内が騒然とした。悪気がある訳じゃないのだろうが間が悪く、誤報が訂正される事もない儘、選手入場を待つ無人のピッチに、レイズサポの苛立ちがチリチリと伝染していく。

 「ったく彼奴等、話になんなくて参ったよ。」

 コンコースの声に振り返ると、エレーラサポの岩井さんが手摺りに肘を着いて寄り掛かっている。なでしこサポの纏め役で、笑顔を絶やさぬ布袋様の何時になく険しい語気。選手入場の準備がある筈なのに、持ち場を離れてボヤいているのだから、開門前から引き擦るゴタゴタには何かある。塩爺とママに聞かせられない話だと(まず)い。席を立ち、ホーム側の喫煙所へ歩きながら話を促すと、

 「先週、レイズのトップのサポが日本平で揉めたじゃん。それで今度は、女子の試合でもレイズが何かやらかすんじゃないかって、話になったらしくてさあ。」

 「じゃあ、いきなり鳴り物が駄目になったのも。」

 「そう、ドラム取り上げれば大人しくなるとでも思ったんじゃないの。馬鹿だから。何で却って揉めるとか判らないのかねえ。ホラ、バックスタンドの虎ワイヤーで区画してる処あるじゃん。あれ緩衝地帯のつもりらしいよ。彼奴(あいつ)ら俺達の横の繋がりとか全然判ってねえからさあ。俺等が摑み合いの喧嘩とかする訳無いじゃん。試合終わったら皆で呑みに行ったりしてんのに。良く見たらレイズのクラブスタッフとかもやたら下に来てんだよ。リーグからゴール裏見張ってろとか言われたか何か知らないけど。だったら前もって上から厳戒令が出てるとか、俺達の処に言ってくれりゃあ良いんだよ。そうしたらそんな心配ないって説明すんのに。それを当日の開門直前にガタガタ言われたら、火のない所でも煙が立つぜ。」

 喫煙所へと降りていく階段に腰掛けた岩井さんの隣に座り、設置された灰皿の廻りで明滅する火影(ほかげ)に眼を凝らす。呆れ果てて、溜息も罵辞(ばじ)の一つも出てこない。岩井さんの言う通り、臭い物に蓋をする事しか考えてないリーグとクラブの対応は、ピンからキリまで的が外れている。なでしこのサポにやんちゃ目的で来てる奴なんて、耳掻き一匙ほどすらいない。それなのにゴール裏から鳴り物を取り上げるのは、蠅を叩いて虎を起こすのと同じ事。そんな事をしても噛み付かれないと思っているのだから、御目出度(おめでた)いと言うしかない。それもあんな下手な嘘を吐いてまで。(とど)()まり、連中にとってゴール裏は、対話の対象からはからは程遠い、理解不能で厄介な存在でしかないのだ。

 「それでさあ、鷲尾さんがエレーラのスタッフに鳴り物NGでお願いしますって言われて、判りましたって返事しちゃったらしいんだよ。」

 鷲尾さんがクラブの意向を汲み、折れる所は折れ、丸く収める気遣いの人で、そこが鷲尾さんの良い所なのは岩井さんも良く判っているのだが、鳴り物に命を掛けている河瀬君と、捏造ページを押さえた藤井君がチンチンに熱くなっている上に、イックンも大人しく「ハイ、そうですか。」と言うタイプじゃない。日没で人の()けた隣のテニスコートが、喫煙所の煙で霞むのを見詰めながら、岩井さんが声を落とした。

 「開門直前になって鳴り物禁止とか、トップの試合だったら口が裂けても言えない筈だぜ。どんな騒ぎになるか、そんなの考えりゃ直ぐ判んだろ。それを試合当日に一寸(ちょっと)言っときゃあ事足りるとか、適当な嘘で誤魔化せるとか思われてるのは、ヤッパ、俺達、軽く見られてんのかなあ。女の尻追っ掛けてるだけのキモオタとは訳が違うのに。幾ら今年、内のスタッフが総入れ替えで、未だ勝手が良く判ってないとか言ったって、やって良い事と悪い事があるぜ。リーグの顔色ばかり窺いやがって。兎に角、こんな舐めた真似されて黙ってたんじゃ、下の連中にも示しが付かない。」

 スタンドの気配から落ち着きがなくなり、吸い差しを揉み消して足早に喫煙所を後にする人達が、俺と岩井さんの横を駆け上がっていく。腕時計に岩井さんが眼を落とした。キックオフ5分前。これから試合が始まるという高揚感はなく、ザラついた手触りの固形物が鳩尾(みぞおち)(つか)えている。時計に落としていた岩井さんの瞳が夜空を仰ぐと、そこには十三夜の月が張り付いていた。

 「向こうが居る訳のない狼が出たって騒ぐんなら、お望み通り化けて出てやるしかねえぜ。」

 節が廻り、堂に入った岩井さんの生き生きとした台詞を盛り上げる様に、背後からFIFAのアンセムが聞こえてきた。腰掛けた打ちっ放しの階段が震動し、スタンドの発熱が尾骨に伝導する。選手入場がアナウンスされると、場所を異にする渾身のマレットが二本、満を持したドラムヘッドに炸裂し、一打(ごと)に怒気を発散しながら両クラブのチームコールをリードし始めた。コンコースに出て確かめなくても誰が叩いているのか音で判る。手前のホームゴール裏で跳ねっ返りの強いミッドタムはイックン。アウェイゴール裏であるにも拘わらず距離を感じさせない、ドスの利いたバスドラ紛いのフロアタムは河瀬君だ。この二人以外有り得ない。初めッから判っていた。特に河瀬君はドラムの出番がないからと、喫煙所で線香を焚いてる様な玉じゃない。

 「ここ(しばら)く、クラブともリーグともなあなあで、お互いネジが緩んでた処だから、これ位やって丁度良いや。じゃあ俺、そろそろ持ち場に戻るわ。」

 手筈通りに事が運んで、階段を駆け上がる岩井さんの頬は緩んでいた。無人の喫煙所に漂う微かな紫煙と残り香が、ドラムの音圧で一打毎に拡散していく。鳴り物なしだったアップの時とは明らかにコールのノリが違う。特に河瀬君の(ふる)うマレットは、一撃でスタジアムを呼び覚ます力がある。イックンは鷲尾さんに止めろと言われても、素知らぬ顔で叩いているのだろう。これで運営責任者の面子は丸潰れ。マッチコミッショナーに問い詰められ、平謝りに謝り、警備に電光石火の動員を掛ける筈だ。両ゴール裏のチームコールが、それぞれチャントに切り替わった。ピッチを挟んで相対するリードドラムが先を争う様に回転数を上げていく。

 金を払って入場し、リーグとクラブとスタジアムが認める範囲の中でやっている事とは言え、本来スタンドで鳴り物を使用したり、横断幕を掲示したりするのは客の越権行為だ。プロ野球の場合、応援団はほぼ登録制で球団が管理している。それに対してサッカーの試合は応援の自由度が高く、誰もが主体的に行動出来るのが大きな魅力だ。しかし、その解放区が何時しか独り歩きを始め、治外法権を()いてクラブの統制を拒絶して神聖化し、クラブの勝利の為に試合を盛り上げ、選手の士気を挙げると言う大義を隠れ(みの)に、族の集会と同じノリで様々な暴走が横行し、果ては内紛と分裂を繰り返してきた。(たち)の悪い常連客が居座って、新規の客を追っ払う居酒屋の様に、コアサポがライト層を閉め出して、動員の足を引っ張っている事もザラ。ゴール裏の肥大化したエゴは得てして、クラブを支えるのではなく、クラブの足枷(あしかせ)になっている。

 勿論、ゴール裏のチケットを暴力の免許証と勘違いし、ちんけな私生活の憂さ晴らしや、(いびつ)な虚栄心を満たす為の、勝手な自己表現の場として私物化しているのは、本の一握りの者達だ。そして、その一握りの中に、今や自分も握り込まれている。女学館の応援を初めて交友の輪が広がり、仲間内での役割が大きくなっていけばいく程、手を汚す事も増えてきた。どんなに俺は違うと吠えた所で、飼い犬も野良犬も鳴き声は同じだ。この期に及んで優等生面なんて虫の良い話しだ。Jのゴール裏と較べたら、運営を無視してドラムを叩く何て可愛いもんだ。今日の騒ぎにしたってJのウルトラスのとばっちり。そう割り切ってしまえば良いのに、喫煙所の闇が代弁する内なる声に、俺は耳を澄まして立ち尽くしていた。

 不意にエレーラ側のドラムが止んだ。階段を駆け上がってコンコースへ出ると、ドラムを取り上げられたイックンが、警備二人に両脇を抱えられて歩いていた。これと言った抵抗もせず、事務室に降りていく出入り口の前で俺に気付くと、軽くウィンクをして奥に引っ張られていった。時を待たずにレイズのドラムも鳴りを潜め、両ゴール裏は手拍子と声のみでサポートを継続していく。

 事務所に連れこんでも、ホームページを改竄した弱みを握られているのだ、河瀬君とイックンをマッチコミッショナーに接触させる訳にはいかない。運営責任者は二人をどう料理するつもりなのか。鳴り物のない応援が淡々と時を刻んでいる。ピッチでボールを追う選手達は、試合に入り込んでいて鳴り物が止んだ事になぞ気にも留めてない。

 塩爺達の処に戻っても気持ちは明後日に飛んでいた。降り注ぐ光の中、直ぐ眼の前のピッチで繰り広げられている選手達のプレーがやたら遠くに見え、試合展開や戦術を俯瞰する事もなく、球際の心技体が(しのぎ)を削る局面だけを、機械的に追跡していた。前半30分に、CKのボールが直接GKの頭を越えてネットインしてしまったレイズの先制弾も、狙いとはズレたボールに照れながら、チームメイトから手洗い祝福を受ける左SBの笑顔も、右から左へと擦り抜けていく。前半終了のホイッスルも、トイレや売店に向かう緩慢な人の流れも、ベンチメンバーのピッチ練習も、交代する選手のチェックをする第四審判の筋の通った所作も、後半のキックオフも、勝手に切り替わる静止画の連続で、ゴール裏の熱狂も俺の空疎な心象も、奥行きのない一枚の絵となって立て掛けてあるだけで、片付けるのを忘れた道路工事の看板でしかなかった。そのベッコベコで擦り傷だらけのブリキの板こそ俺の人生だ。俺は自分の人生を傍観している。

 

 

 

 「何で応援するの?」

 と聞かれた時には、

 「馬鹿だから。」

 と答える事にしている。便利な言葉だ。(ほとん)どの場合、この手の質問をしてくる時点で、相手は躰を張って応援する行為を小馬鹿にしているから、この主語を確定せずに先回りし、縦パスのコースを切った答えは効果的だ。質問した側は自分がその主語の上に足を踏み外してると気付かず、駄弁を連ね、吐いた唾を飲み続ける事になる。良い気味だ。将来を担保にしてまで遠征に私財を投じる程の熱いサポなら、そんな薄野呂(うすのろ)に喜んで応援の意義を啓蒙する処なのだろうが、俺はミイラ捕りを付け狙うミイラじゃない。待ってましたとばかりに、有りっ丈の美辞麗句でクラブ愛と地元愛をギフトラップして(そそのか)す位なら、湶さんに毒林檎を突き付けられて睨まれていた方がグッと来る。(そもそ)も現場の実働応援が必要かどうか何て、当事者なんだから常に自問自答している。それなのに、

 「Jリーグの応援とか所詮ヨーロッパとか南米の猿真似じゃん。イングランドのプレミアとか、アメリカのメジャーリーグ、NBA、NFLとか、オーガナイズされたスタンドの応援がなくても、天文学的な興行収益を上げて成功しているプロリーグってある訳じゃない。メジャーリーグの緊張感漲る静寂とワンプレーに爆発する大歓声のコントラスト。矢張り本場は違うよね。日本のプロ野球の応援なんて五月蠅(うるさ)いだけ。フィールドオブドリームには程遠いね。プレミアのサポーターとか試合中に即興で作ったチャントを、スタジアム全体で合唱したりするじゃない。監督やフロント批判とか、ライバルクラブへの挑発とか、捻りが利いててさあ。ああ言うのは猿真似の応援じゃ出来ないよねえ。」

 等と()たり顔で語る、外国気触(かぶ)れの売国根性に冒された小蠅が、年がら年中、ゴール裏には紛れ込んでくる。無論、

 「じゃあ、日本のサポーターを批判するチャント、今此処(ここ)で何か歌ってみろ。」

 と返し、節操のないスパムはワンクリックで配信停止だ。偏狭な欧米史観から抜け出せず、余所の国の話しを、自分の手柄の様に語る奴に(ろく)なのはいない。自分の産まれ育った国が有機的に創造した物より、余所の国から、特に欧米からほぼ無審査で輸入した既製品に、自分を知的に見せたくて飛び付くのは、(まやか)しの煌めきに目移りしているだけで、鍛え上げられた審美眼が無いからだ。甲子園の応援を目の当たりにした在日米人の多くが、野球に対する日本の情熱や文化に感服しているし、日本のサッカーファンはプレミアの客の様に試合を投げてサッサと帰ったり、黒人選手を猿呼ばわりしたり、スタジアムの内外で死者を出したりしない。余所の国から見たら、日本も立派な世界だ。TVゲームと海外サッカーを細分化し、ちまちまジグソーパズルをしてるだけの分際で、釈迦に説法も(はなは)だしい。応援は誰にでも出来る。現場ってのは真に平等なステージだ。音楽や文学もそうだが、実践を伴わぬ批評ほど虚しい物はない。他にも、

 「広島アジア大会から、代表の試合でウルトラスが本格的に活動し始めたとか言っても、日本の場合さあ、サポーターって言う存在の出所は、プロリーグを立ち上げる時に協会が担ぎ出した、耳障りの良いキャッチコピーからな訳じゃない。地域密着とか、スポーツで人生を豊かにするとか言う理念も、海の物とも山の物ともつかなかったサッカーの興行を、新しい何かに見せる為の一つの方便でさあ。実際、協会に先見の明はあったと思うよ。プロ野球との差別化の為に持ち出した、元々影も形もなかった、サポーターって言う目新しいアイデンティティに、皆が飛び付いてここまで来れたんだから。でも所詮、サポーターってのは施政者が(あつら)えた借り物、仕組まれた熱狂に踊らされてるだけなんじゃない?君達には、そう言う自覚とかってあるの?」

 と言った具合に、お前等は間違ってるから俺は正しいと、他人を否定する事でしか、自分を肯定する材料がない奴とか、素直に仲間に入れてくれてと言えない奴が、一々突っ掛かってくる。これはサポーターという属性が滋養に溢れている証だ。寄生虫にとって宿主は健全でなければならない。死んだ犬に蚤は(たか)らない。

 チームを応援するとは何なのか、スタンドでの真の応援とは何か。オーガナイズされた応援って必要なのか。そんな物に答えなんてない。何処までが雑音で何処からが音楽か、ストラトとレスポールは、エレキとアコギはどっちが良い音か何て、聞く方が野暮だ。プレミアや北米プロリーグの観客一人一人から自然発生する、成熟したリアクションによって醸成された、脚色や虚飾のない迫真の臨場感を持て囃すのは簡単だ。そんな物は雲が白い、烏が黒いと言ってるのと変わらない。ワンプレー毎に静寂と起爆を繰り返す、有りの(まま)のスタンドの豊穣な深呼吸に対して、オーガナイズされた応援は、自ら科した過呼吸に溺れ、連打されるドラムも、声を揃えたチャントも、ウルトラスが粗造するプロレス的煽りも、競技の本質を理解していないが故の過剰演出なスポーツ実況や、疲弊した地方都市の空元気な街興(まちおこ)しの異母兄弟でしかない。そう喝破する位の慧眼(けいがん)でなければ、例え背後から撃っても弾は当たらないし、猫の尾を踏む事すら出来ない。それに、応援のスタイルや定義や意義なんて、今や俺にとって大した問題じゃないのだ。

 実働応援は麻薬だ。人類が溺れ依存する文明の様に、激越な快感が俺を惑わせる。単独応援を主戦場しているともなれば、その中毒性は計り知れない。思いの儘にコールを繰り出して、ワンプレー毎に選手を鼓舞し、自分の声で、マレットの一打で選手を()き動かす、夢幻の実感を味わえる至福の90分。会場入りから始まる、観客、クラブスタッフからの歓待、試合後、選手の方から求められる握手、スタンドのリスペクトを抱え切れぬほど独占出来る優越感も格別で、一国の主になった気分だ。備忘録程度にアップしていたブログのアクセスは飛躍的に伸び、女子の代表戦でも応援の中核を担い、スタンドの人垣に(そび)えるサポーターのヒエラルキーを一気に駆け上り、その頂から更に、解き放たれたエゴは翼を広げ、狂おしく舞い上がる。

 一廉(ひとかど)の人物に生まれ変われた、(ようや)く本当の自分に巡り会えたという昂揚。行き場の無かった我欲が摑んだ、ゴール裏の栄進利達。その高見から望む絶景に眼が(くら)み、俺は何時しか打ち捨てた筈の自己愛に獅嚙憑(しがみつ)き、卑しさに押し流され、再び人を物としてあしらう魔道へと迷い込んでいった。どの現場に足を運んでも一目置かれ、この身一つでは(さば)き切れぬ程の溢れ返る交友の中で、俺は無意識の内に人を選別した。

 「アッ、うぃッス。」

 その一言で、躰を張って応援しない者達を、アウェイの遠征に参戦しない者達を、ゴール裏の力学から零れ落ちた者達をシャットアウトし、蚤や虱を潰した処で殺生には当たらないと、落人(おちゅうど)風情と眼が合えば、

 「オマエ等全員、銀河系から出て行け。」

 と弾劾し、各クラブのゴール裏を仕切るリーダー格とのみ肩を並べ、盛り場に繰り出しては、

 「俺の生中なら何時でも飲み放題だぜ。」

 と弾け続けた。そして何時しか、クラブと女子サッカーのサポートを口実に、スタンドで我が物顔で闊歩する優越感を虚栄心を満喫し、その地位を失わぬ為に、ゴール裏のやさぐれた伏魔殿(ふくまでん)で繰り広げられる(いさか)いや醜聞から眼を逸らして、スタンドを私物化し、(むさぼ)った。初めてマレットを揮った純粋な衝動は、絵日記の中の夏休み。女子の代表戦でゴールが突き刺さり、スタジアムがエクスタシーの土石流に呑まれ、隣り合わせた無名の観客同士が揉みくちゃになって抱き合い、人と物と空間と音と光の境界線を超えて、怒濤の日本コールへと一体化する永遠の瞬間すらも、自分の掌の上で転がしている気になっていた。生まれ変わったと思ったのは錯覚だった。俺はこの世界と自分自身を疎外したまま、独りで発情し続けているだけだった。何故応援するのか。そんな事を聞かれて、偉そうに答える身分では無い。サポ活は嘘を吐かなきゃ立ってられない、俺の()()い棒になっていた。そして、享楽的なスタジアムライフに(うつつ)を抜かした、建前だけの応援を密告する様に、招かざる客は(ひそ)やかに訪れた。

 

 

 「女学館が二部に落ちたのは、クラブを付け狙うハイエナ達の所為(せい)なんです。」

 

 

 クラブが運営しているサッカースクールに通う子供の父兄から、(にわか)には信じられない話しをダイレクトメールで打ち明けられた。クラブは乗っ取られようとしていた。余りにも荒唐無稽で、行き当たりばったりの朝ドラとしか思えなかった。去年のシーズン途中、サッカースクールの運営で提携していた、ルブランと言うスポーツビジネス企業が、内の社員を選手登録して試合に出してくれと行き成り言い出した。当然、そんな事が出来る訳がない。クラブはその意図が読み取れず、不審に思いながらも丁重に断った。するとルブランの態度が豹変し、様々な契約不履行を並べ立てて民事訴訟を吹っ掛け、クラブを捻伏(ねじふ)せに掛かったと言う。W杯優勝で知名度が上がった女子サッカー。その一部リーグに所属していると言う商品価値とは裏腹に、女学館はJクラブや自治体の後ろ盾のない零細なNPO法人だ。脇の甘いクラブ組織を見透かし、簡単に乗っ取れるものと思ったのだろう。相手は福岡のプロバスケットボールチームも配下に置く等、手広くやっている会社で、クラブ運営の実績を作ってから、会社を高く転売しようとか言う魂胆の香具師(やし)が仕切っていた。調べてみればJFAとも以前揉めていて、「スポーツを通し、心身の健やかな成長を促し、子供達の未来の可能性を拡げる。」等と綺麗事を(かた)る追い剥ぎでしかなかった。

 訴訟を起こされて()する智力も事務力もないクラブはただ狼狽(うろた)えるばかり、残留争いの渦中にあって、選手は対応に追われ練習する事すらも儘ならぬ状態で試合に臨み、黒星を積み重ねていった。降って湧いた訴訟に立ち向かい、返り討ちにしてくれたのは、スクール生の父兄の有志達で、中でも法律に明るく陣頭指揮を執ったのは、アウェイの試合にスクール生の小梅ちゃんを連れて応援に来る尾形さんだった。鳴り物応援をしている俺の後方に陣取り、奥さんと小梅ちゃんの三人で肩を並べ観戦する、尾形さんの包容力のある眼差しに秘した才智を垣間見、一廉(ひとかど)の人物であろうと想像はしていたが、まさか、今年になる迄、そんな事が起こっていて、クラブの為に身を粉にしていたとは露も知らず、俺は試合の合間に小梅ちゃんの遊び相手をする位で、後はピッチの中の事しか頭になかった。目先の勝ち点を計算するばかりで、人に言われる迄クラブの本当の窮地にすら気付かずにいたのだから、お里が知れる。

 地蔵組。日頃座って試合を観てるだけで、躰を張った応援をしない連中の事をそう呼び捨てている。ゴール裏の矜持が、淫らな奢りとなって舌を突く俗称だ。サインや写真を求めて試合後選手に寄生するサイン厨に、付け焼き刃の持論を展開して、崖っ淵の知性を(ひけらか)す事に血道を上げる戦術オタク。そんな試合を見学し、選手の尻を付け廻しているだけの奴等が何人束になっても、物の数じゃない。立ち上がって声上げ選手達を奮い立たせる。瞬間毎にスタンドで起爆し、勝利の手綱を鷲摑む。沈黙は罪だ。そうゴール裏の正義を振り翳し、地蔵組だ背広組だと十把一絡(じゅっぱひとから)げで見下していた。この世界でちょっと良い顔になって自惚(うぬぼ)れ、スタンドを貴賤の寸借(すんしゃく)で捉えていた。処がだ、

 恰幅の良い体躯でどっしりと席に腰を据え、軽く手拍子を合わせる程度で黙って観戦していた尾形さんこそが、海千山千の手練(てだ)れを相手に、智慧(ちすい)の限りを極めた座学で応酬し、返り討ち、本当の意味でクラブを支え、サポートしていた。

 クラブ乗っ取りの話をスクール生の父兄から打ち明けられた時、俺は完全に思考が停止した。閉鎖されて誰もいないスタジアムに独り取り残された様な錯覚。壊れたファミコンを直そうとケースを外したは良いが、密集する集積回路の造形と文様を目の当たりにして、頭の中が真っ白になった中二の夏休み。余りにも無力でちっぽけな自分は、その時から何も成長していなかった。学のない自分にはどんな訴訟を吹っ掛けられたのかすら理解出来ない。その訴訟を迎え撃つのに、何処の窓口で、どんな手続きをして、何の書類や資料を用意して、その費用を幾ら用立てしなければならないのかすら、皆目(かいもく)見当が付かない。実業の世界は天津神(あまつかみ)の住む高天原(たかまがはら)。スタンドの案山子(かかし)は棒立ちで、ただ悠然と流れる雲を首が痛くなるまで見上げているしかない。

 現場での実践こそが総てだと、自分の声がクラブと言う御輿(みこし)を担ぎ、引っ張っていると思っていた。しかしそれは、自分が何かの役に立っていると言う、自分の存在の証が欲しくて、そう思い込み逆上(のぼ)せていただけの事。所詮自分は宴席の太鼓持ち。スタンドのお飾りでしかなかった。ゴール裏で幾ら声を枯らした処で、下手が数撃つ誤爆の空騒ぎ。尾形さんは黙して語らず、座して山を動かしていた。世界は座学で動いていた。それこそが総てだった。

 

 

 

 スマホの着信が鳴った。ポケットから取り出すと、ボロボロに擦り切れたマスコット人形が、千切れかけた(くび)をストラップの紐で吊るし上げられながら、身悶(みもだ)える様に姿を現した。初めてマレットを握ったあの日、湯元のママからプレゼントされて以来、片時も離さず総ての現場で苦楽を共にしてきた。どれ程の勇気を与えてくれたか判らない一騎当千のマスコット。それが今では、片目を失い、手首が()げ、市中を引き回されて息絶えた罪人にしか見えない。マスコットの崩壊した表情を見詰めながらスマホを耳に当てると、岩井さんがいきなり用件を切り出してきた。

 「河瀬君とイックンが戻ってきてさあ、今、レイズのゴール裏の端の処に居るんだよ。バックスタンド側。」

 レンジの狭いスピーカーから聞こえてくるのは、平素な落ち着いた声色だったが、岩井さんが話を終える前に席を立ち、コンコースを駆け出していた。試合中に解放され、今スタンドに居る位なのだから、大したお(とが)めでもなかったのだろう。そうと判っていても、気が()いて仕方ない。五号球の行方に一喜一憂する観客の背後を縫って、スタンドの白熱に逆走する。コンコースがなく、狭い立ち見席で密集しチンチンに臨界しているレイズのゴール裏を通り抜けるのは(まず)い。コンコースのあるエレーラのゴール裏からバックスタンドに、大回りするしかない。放送ブースを横切ると、前方に紅いジャージが二つ眼に入った。真逆(まさか)と思う間もなく、女学館の8番からレイズの8番に転生した、麻木の端正な聡貌(そうぼう)に焦点が突き刺さる。少し(やつ)れた頬が女学館でプレーしていた頃のあどけなさを削ぎ落とし、大人びた色香が芽生え始めていた。一瞬の出来事で息を呑む間もない。麻木の拡散していた瞳孔も俺の視線を捉えて収縮し、頬に射す影が硬直して足が止まった。こんな処で俺と出会(でくわ)すとは思ってもいなかったのだろうが、こっちにしたって拍車の掛かった折りも折りだ。立ち止まろうか逡巡する事も、瞳の奥を探り合う猶予もない。心も躰も勢いが付いている。会釈(えしゃく)の一つも交わさず一気に駆け抜け、振り返ったら負けだと自分に言い聞かせギヤを上げた。

 脳裏に焼き付く、華やかで芯のある瞳。氷結した表情すら劇中の一場面の様に絵になる処は、湶さん同様、美の寵愛に浴している証だ。紅一つ引かぬ素の面差しが解き放つ可憐な光彩。内省的な所作を纏った、玉響(たまゆら)の愁いが果敢無(はかな)(うるわ)しい。

 初めて麻木を見たのが奥秩父で中一の時。将来性を見込んで遠征にも帯同させていたのだろう。当時、女子の二部の試合ともなると中学生が試合に出るのもさほど珍しくはなく、取り立てて可愛いという印象もなかった。その年、藤枝のショボイ方の競技場で今日の様な炎天下に組まれた清水戦では、

 「向こうが何か言ってきても、無視すれば良いから。」

 とカンクローからハッパを掛けられ後半から入ったにも拘わらず、相手選手と軽く交錯しただけで、ベッタベタに平謝りし、僅かな出場時間の中でキラリと光る処もなければ、試合の流れに上手く乗る事も出来ず、ロスタイムに迷い込んできた野良犬の方が、縦横無尽にピッチを駆け回り存在感があった位だ。

 あの日の藤枝は、バックスタンドの芝生席全面を怒濤の横断幕が埋め尽くしていた。観客が百人にも満たない、山奥の女子の二部の試合にも拘わらず、清水サポの張り出した、Jのトップチームと見紛うばかりの10mオーバーの雄々しきバンディエラの数々。山裾を(なぞ)り吹き下ろす熱風を(はら)んで波打つその様は圧巻で、一方的なベースボールスコアも酷暑も、アクセスの酷さも、麻木の凡プレーも霞んでしまった。身の丈を越える雄渾なゴシックの塊が横断幕に踊り、物質化したチームロゴが照り付ける太陽よりも熱く、俺は場末の英雄に痺れ、後は北京ダックの様に(ふく)(はぎ)が陽に焼けていた事だけを覚えている。

 無口で、ナヨナヨしていて、髪を短く切る度に旋毛(つむじ)が逆立ち、コスプレを着せられているみたいに女子の制服が似合わず、兎に角ナヨナヨしている癖に、結婚したい男性のタイプには“お金持ち”と書いて憚らない末生(うらな)りが、今では名門レイズとヤングなでしこのお姫様で、誰それの後継者だのと騒がれているのだから、何処までが(さなぎ)で何時から蝶だか、十代の選手は目利き泣かせだ。

 「アジア予選で負けて大泣きしてたの、お前だって見ただろ。励ましてやるくらいしろよ。」

 試合前の塩爺の嗄れた声がスタンドのコールと手拍子を迂回して脳漿(のうしょう)に滲み出し、側頭葉の皺を伝って滴り落ちる。

 去年日本で急遽代替開催されたU-20W杯。育成年代の大会であるにも拘わらず、なでしこバブルの余勢を駆ってゴールデンタイムに中継されたヤングなでしこの試合は軒並み高視聴率を叩き出し、日韓戦に至っては関東地区で最高視聴率25%を記録した。U-20W杯の壮行試合として組まれたU-20カナダ代表戦の視聴率で大コケし、周囲から浴びせられた嘲笑を振り払って釣り上げた二匹目の泥鰌(どじょう)。選手のビジュアル重視の番宣をゴリにゴリ押して賭に勝った大手キー局は、早速三匹目のドジョウを狙い、来年カナダで開催されるU-20W杯の放映権を買い占めた。ビジュアル重視の前宣伝は更に豪奢(ごうしゃ)を極め、青田刈りどころか早苗刈りの様相を呈した美少女達の競演の中心に、麻木が祭り上げられていた。

 マスコミが求めるのは誰もが一目見て判る、キラッキラのスターだ。若ければ若い程良い。いなければ、見てくれの良いガキにそれっぽいキャッチコピーをラベリングして出荷しておけば何とかなる。本物の見分けが付かない、メディアの垂れ流しを真に受けてる馬鹿にはそれで十分だ。スポーツ番組や朝の情報番組で繰り広げられる、密着取材と称した、日の丸アイドルのイメージビデオ。視聴者の軽薄な嗜好に同調し、脚色と編成を練る地上波の悲哀と、スターシステムの発射台にキャプテンマークで縛り付けられ藻掻く独りの女子大生。狂った歯車は既に摩滅し、軸を外れて坂道を転がり始めていた。

 U-17W杯で準優勝、去年のU-20W杯で三位の立役者が引き締める(まなじり)の先には、光輝くW杯。そうやって煽りに煽った挙げ句、来年の本大会でのグループリーグ敗退ですらケチが付く処なのに、アジア予選でまさかの終戦。W杯優勝以降、アジアでは総てのカテゴリーで、無敵の頂に咲き誇っていたなでしこの花が、無惨に散った。泡沫に帰した大人達の皮算用。余計な物をこれでもかと背負い込み、ピッチに平伏(ひれふ)して号泣する麻木。閉店間際に売れ残った刺身のパックを叩き売る勢いで、中継のカメラは容赦なく悲劇のヒロインが頬に刻む涙を追い回した。主要メディアから、飲み終わった後の缶コーヒーの様にポイされた若手有望株を、男女を問わずあらゆる競技と分野で見てきたが、まさか麻木にそのお鉢が廻ってこようとは。負けて帰ってきた後も、移籍二年目の今年、主力で稼働すると期待されていた麻木が、開幕当初からベンチにすら入れなかった状況を(いぶか)り、

 「アジア予選を控えてる麻木に怪我をされたら困るから、協会がリーグ戦に出すなと言っていたらしい。」

 とサポの口唇(こうしん)粘膜から内耳へと感染するデマゴギー。ゲスの勘繰りか真実の(やじり)か。予選敗退とレイズの低迷、監督辞任を肥やしに、醜聞はスタンドの地熱となって燻り続ける。

 

 「奈央子ちゃん、さっきそこに居たわよ。声掛けて上げたら。」

 

 御握りとサンドイッチを両手に持った、ママの優しい言霊(ことだま)が差し伸べる一筋の光。しかし、声を掛けると言って、一体何を口にすれば良いのか。俺は今の麻木を見て可愛そうだと思わないし、慰める必要もないと思っている。寧ろ、麻木の肥沃(ひよく)な挫折を(ねた)む事しか出来ない自分が情けなく、悔しいだけだ。

 初めて眼にした奥秩父から六年。相手選手と交錯しただけで平謝りしていた小娘は、熾烈な国際舞台と実業界の薄汚い荒波に揉まれ、苛酷だが貴重な経験をこの若さで積み重ね、選手として、独りの人間として一回りも二回りも成長し続けている。

 その年頃の自分と来たら、ジャンプの発売日まで後何日とか、ファミスタの発売日まで後何日とか、そんな事しか頭になかった。世間の厳しさを知らず、将来の(いしずえ)を築く時だと担任の先生に何度言われても、教科書を左団扇にヘラヘラしていた。

 元来、容姿の(ひい)でたお嬢様で、黙っていても廻りからチヤホヤされ、(ぬる)ま湯に浸かってもおかしくない境遇にありながら、幼い頃からサッカーに打ち込み、学業もトップクラス。同世代の仲間が遊び呆けている間も、平日は深夜日付が変わるまでサッカーと学業を両立し、週末は試合で大人達の中に混じって遠征に繰り出して、壱分壱秒を惜しみ真っ直ぐに人生を燃焼し続けてきた。アジア予選敗退という最悪で屈辱的な結果も、必ず今後の糧として血となり骨となる筈だ。彼奴(あいつ)なら大丈夫だ。何も心配する事はない。

 二十歳にも満たない麻木が(つむ)ぎ出した、華麗で重厚な経歴のペストリーに較べて、自らの手で引き千切ってきた、俺の襤褸雑巾の様な半生と来たら、疥癬(かいせん)まみれの野良犬と良い勝負だ。

 定職にも就かず、目先の仕事をこなすだけで手一杯の日々。疲れを引き擦って辿る家路の先で待っているのは、安い酒精のお慰み。晩酌で胃壁に血が廻り、軽く瞼を閉じたつもりが寝落ちして、気が付けば日付の変わった一時、二時。これと言った発見も研鑽もなく、この儘では駄目だと判っていても、半身を起こす事すら(かな)わない。本の酎ハイ一缶でも手を出したらハイそれまで。仕事から解放された後の限り有る、掛け替えのない今この時をフイにすると判っていて、どうする事も出来ない。苦い満足に浸る諦め。だらしない自分を誤魔化す為に酒精で濁した束の間の快楽。途切れた後に待っている永遠の自己嫌悪。灰に帰した焦燥を、自重に屈した瞼が再び覆って、惰眠に惰眠を重ね、昨日と何も変わらない無為な一日に(とど)めを刺す。

 この六年間で何を成したかと問われて、胸を張れる物は何もない。積み重ねた物と言えば酎ハイの空き缶と、スタンドでの大仰(おおぎょう)。天を()く志も、牙に例える様な野心もなく、そもそも自分が何を目指して生きていたのかすら、今では思い出せない。頓挫(とんざ)する様な目標や計画すら見失っているのだから、世界の舞台で打ち負かされ絶望の奈落に突き落とされるなんて夢の復た夢。這い上がる事も辿り着く事もなければ、酒毒に(たら)し込まれてその場に立ち尽くしている事すら出来ず、地邊田(ぢべた)に這い(つくば)って寝返りを打つしかない。

 選手達が学業や昼の仕事を終えてグラウンドに集合し、トレーニングをしている時間に俺は酔い潰れ、日付が変わって選手が帰宅した頃、微かに目覚めて、復た二度寝する。選手の絶え間ぬ努力に啓示を受ける事もなく、身を持ち崩す更年期の(やもめ)風情が、ストイックな生活を送り続ける選手達に声を掛け、励ますなんて烏滸(おこ)がましい。

 ピッチ上では今も、有りっ丈の光輝とスタンドの声援に祝福され、90分で魔法の切れるシンデレラ達が、一週間、己に課したトレーニングの集大成を賭して咲き乱れている。選手達は努力する事のなんたるかを知っている。これと言った覚悟もなく、成すべき事を成さず、自分の将来を直視する勇気もなく、怠惰で捨て鉢な生活を送っている自分に、足を止めるな、諦めるなと檄を飛ばして、選手に全力を強いる資格何てあるのか。自分自身の事すら儘ならぬ分際で、人の応援って何だ?俺は人の応援なんてしている場合なのか。選手にはチャレンジしろとか、撃たなきゃゴールは奪えないとか喚いておきながら、自分自身の人生はチャンスに足が(すく)んで不発弾の墓場だ。結局俺はブリキの太鼓を叩いてガヤを入れるしか能のない、永遠のモラトリアムでしかないのか。

 追い(すが)る積年の悔悟(かいご)を必死で払い除けながら、独りコンコースを駆け抜ける。酒精に絡み取られた膝が振り上げる度に鈍く重い。この程度で息が切れるのだから体は正直だ。陽の落ちたスタンドは夜風が素肌を(さら)ってくれるが、選手達の主戦場が高温多湿で囲われた密林の熱帯夜である事に変わりはない。夜行性の発動した牝豹(めひょう)のストライドで、選手達が切り裂く白熱のピッチ。俺が同じピッチの中にいたら、選手達の棚引く後ろ髪を摑む処か、その影を踏む事すら出来ないだろう。

 俺と擦れ違った麻木の瞳には驚きと畏怖が錯綜(さくそう)していた。「裏口から福岡を出て行った。」と、俺がガタガタ言っていたのも耳に入っているのだろうが、こんな心も躰もガタのきたオヤジに(ひる)むなんて麻木もどうかしてる。バックスタンドの長いコンコース。緩衝地帯の端で虎ワイヤを(いじ)りながら、手持ち無沙汰(ぶさた)に立っている警備スタッフの脇を抜けると、喫煙所へと降りていく階段に、ピッチに背を向け肩を並べて座る人影が眼に入った。岩井さん、河瀬君、イックン以外、喫煙所には誰もいない。

 「意外に早く出てこれたね。どうよ、娑婆の空気は?」

 三人の隣に腰を下ろすと、夜気に引いていた汗が一気に吹き出し、イックンの笑顔が弾けた。

 初めて警備に拉致られ、事務所送りにされたイックンは、未だ興奮が納まらず、運営責任者との遣り取りの詳細を、聞かぬ(そば)から捲し立ててくる。逆にこう言う事に手慣れている河瀬君の言葉数は少なく、軽く相槌を打つ程度で、同じ釜の飯を食い、(はく)の付いた若手の饒舌(じょうぜつ)を頼もしそうに横目で見ながら、一仕事した後の一服を味わっていた。二人に発破(はっぱ)を掛けた岩井さんは、未だクラブの態度に納得していないらしく、裏で糸を引いたその手を弛めずに、今後の事について舌鋒を揮っている。俺は聞き役に徹して、息が整い汗が引くのを待った。

 「俺はもう一歩も引く気はなかったんで、出禁覚悟で言ってやったんッスよ。日頃からハイハイ返事するだけの、蒟蒻(こんにゃく)だか寒天だか判らない様な連中に、これ以上舐められてらんないッスからね。」

 勝利の余韻が途切れぬ様に、イックンは切れ長の瞳を見開き、出禁出禁と連呼し続けた。クラブを相手に繰り広げた武勇。脚色も誇張も真実も、若さが激昂するサポ活への純粋な情熱に焼き尽くされて蒸散し、夢の中に頭からダイブする(こと)()が、岩漿(マグマ)の飛沫を上げて降り注ぐ。俺の眼を真っ直ぐ見詰めて放さず、動悸と汗の治まらぬオッさんの躰に、イックンは正面から容赦なく突進してくる。

 「告知を改竄した事はホームページで謝罪するって言ってるんで、まあ、そこは最低ラインやってもらわないと話になんないッスよ。こっちはクラブの為に体張ってんのに、上から一寸言われた位でヘコヘコしやがって。こっちは遊びでやってんじゃないんッスよ。俺等の鳴り物取り上げるって言うんなら、前もってこっちに筋通してからでしょ。抑も、得物を取り上げさえすれば、俺等の首に鈴を付けられるとか思ってる時点で(むかつ)くんスよ。」

 イックンの熱い講釈に河瀬君が煙草の火に眼を落としたまま小さく頷いた。ホームページでの謝罪はその場凌ぎに言っただけで、クラブの連中はそんな口約束守る気なんてサラサラ無い筈だ。ボヤ騒ぎをボヤで食い止める為に、嘘を嘘で上書きし煙に巻いただけ。そうと判っていて何も言わない(やま)しさを、背中を伝う幾筋もの汗の雫が(あぶ)り立てる。

 「この際だから他にもクラブの文句言ってやったんですよ。やたらホームゲームの地方開催が多い事とか。あんまり遠いと俺、行けないじゃないですか。そしたら、来年からはホームゲームを地方に売らないって約束してくれて。」

 自分の手柄を惜しげもなく披瀝(ひれき)するイックンの笑顔の向こうに、鷲尾さんの憂鬱が透けて見える。来年からはホームゲームを売らないのではなく、なでしこバブルも一息吐いて女子サッカーの試合を誘致する地方都市がないだけの事。それを(てい)よくイックンに利する様に言って退()け機嫌を取るのだから、敵も()る者だ。

 信じる道を独走するイックンの恐れを知らぬ危うさが、サポ活に迷いしかない自分には眩しく、今ここに居て三人と肩を並べているのも、惰性に流れた吹き溜まり。事務所での運営との遣り取りから、話はサポ活に関するイックンの持論へと展開し、その熱い理想と決意の数々が、俺の胸に空いた風穴を吹き抜けて、喫煙スペースの闇に吸い込まれていく。背後から他人事の様に聞こえてくる鳴り物なしのチャントと手拍子。視界の端でチラチラとこっちの様子を窺っている警備スタッフ。何もかもが白々しく、俺の存在を迂回していく。

 「内の運営に噛み付いた位で手打ちにしてちゃ駄目だ。俺達はただの賑やかしでやってんじゃないんだよ。一度みんなで協会に押し掛けてガツンと言わねえと。黙ってたら復た同じ事の繰り返しだぜ。結局彼奴ら俺達の事全然判ってねえし、判ろうともしてねえ。こんだけマジでやってんのに、火事場の野次馬みたいに扱いやがって。他のクラブのサポにも集合かけて徹底的にやるしかねえ。」

 夢を語るイックンを制して岩井さんが吼えた。(ほとばし)る義憤にイックンが連鎖し、河瀬君は吸い差しを足許に叩き付けると、飛び散る火沫を踏み潰して(とき)の声を上げた。

 「オウ、素人が手慰みでマレット握ってんのと一緒にされて堪るかよ。俺達は命懸けでやってんだよ。命懸けで。首に縄を掛けられて連れ回される、実のない生き方なんてまっぴらだ。あんな涼しい所でヘラヘラしてるだけの連中に、舐められて堪っかよ。90分でケリが付く予選リーグ戦とは訳が違うんだよ。勝つまで止めねえからな。負けるってのは(とど)の詰まり、くたばった時の事だ。」

 炸裂する気勢に、胸が締め付けられる。(いさ)めるべきか、(けしか)けるべきか、(はぐ)らかすべきか、目移りする打算と、それを定点観測する自分の中の他人。基本、ゴール裏の住人なんて暴力に習熟した人種ではない。ゴール裏で虚勢を張るのは、理想と懸け離れた自己イメージを修復したいからだ。自分が雄々しい存在である事を自他の胸に刻み付けたい。ゴール裏でウルトラスが繰り広げる蛮行は、俺の心の代弁者だ。

 俺は込み上げる溜息を(こら)え、闇を見据えた。協会からしたら、傾奇者(かぶきもの)の御乱心なんて諸経費の一つだ。今までにも協会の前に集まって騒ぎを起こした連中はいるが、どれも自己満足のパフォーマンス止まりで、背広組を高みの見物から引き擦り下ろす事すら出来なかった。世間はそんなに(やわ)じゃない。サポーターと言う言葉に収まっている時点で、釈迦の掌の皺をなぞっているに等しい。座学で尾形さんが女学館を守った様に、本当に必要な物は鳴り物でも声量でもない。実業の世界でのし上がり協会と肩を並べれば、連中は黙って耳を貸し(こうべ)を垂れる。金と力で世の中を動かす才覚があればスタンドで騒ぐ必要はないし、そう言うスケールで生きていたら、スタジアムライフよりスリリングで充実した日々を送っている筈で、サポ活なんてしないだろう。俺が本当に成すべき努力は、俺がサポ活に流れ着くまでに挫け、諦め、怠った、学業や実業にこそある。

 闇の向こうに息を殺して何かが潜んでいる。背筋を這う悪寒に汗が引き、鎮まり始めていた動悸が再び息を吹き返す。眼を凝らすと、不敵な気配の奥底から俺の声が反響してきた。

 

 「お前このまま、唯のサポーターで終わって良いのか。」

 

 老想化声と言う奴か。薬で飛んでる訳でもないのに、思念が物質化して聞こえる。

 

 「何時までこんなモラトリアムのヒステリーに付き合ってんだよ。」

 

 黄泉(よみ)の入り口で、(しん)(ぞう)を正義の秤で値踏みされる死者の様に、俺は最後の審判が下されるまでの永遠を(こら)えていた。虚栄を放ち、欲目を眩ませる光と違い、闇に偽りはなく、何処までも深い。サポ活を続けたその先に、何か当てがある訳じゃない。商売が軌道に乗っている岩井さんは未だしも、稼ぎ時の土日祝日に試合があり、正社員になるのを蹴って調理師を続けている河瀬君と、同じ様にサポ活を優先して新卒で入社した会社を辞め、バイトに毛が生えた程度の収入で生活はカッツカツのイックンには、俺以上に危うい将来が待ち構えている筈だ。それなのに宵越しの金を持たず、サッカーに(うつつ)を抜かし、ゴール裏の最前線から身を引く気なんて更々ない。地道に働いても、口に糊するだけで手一杯。身を固めて、家族を養い、細くて長い余生を構想するなんて及びも付かない。それならいっそ。

 ゴール裏には俺の様に、負け組の(きわ)まった奴等が、其処彼処(そこかしこ)蜷局(とぐろ)を巻いては(くだ)を巻く。この先、実が成らぬのを承知で、一夜限りの花を散らし、砕け散った硝子の、危うき絢爛(けんらん)を纏って演武する。遠征の連続で来月の家賃にまで手を出す、散財に次ぐ散財。日々閉ざされていく未来に、飲み干した酒杯を叩き付けて嘲笑い、酔歩に蛇行する帰り道。クラブの為、選手の為、日本サッカーの為と念仏の様に唱えては互いに暗示を掛け合い、立ち籠める疑懼(ぎく)を振り払う。選手と観客という主客を転倒させるスタンドの力学でサポ活を神聖化し、その光背でチンケな日常を、不都合な真実の影を掻き消していく。

 そんな無常に打ちのめされた負の境涯で、砂楼(さろう)の栄達を棄て切れぬ亡霊に、冷や水を浴びせて魔を(はら)い、サポ活と言う妄執から叩き起こすなんて、二重遭難するのが落ちだ。独房暮らしのこの俺が、隣の雑居房に忍び込んで何になる。俺がゴール裏に群棲しているのは弱者の生存戦略でしかないのに。

 

 「この儘じゃ、俺もお前も駄目になる。」

 

 その一言を口に出せず、闇に融け出して色も形も失い、ドス黒いタールの様に沈殿した心をゆっくりと掻き混ぜながら、俺は岩井さんに切り出した。

 「協会に行く時は言って下さい。俺も一緒に行くんで。平日とかでも時間作りますから。」

 コアサポの熱狂、その歓喜と涙には、逃避、倒錯、欺瞞の影が付き纏う。今更この程度の方便を放った処で、夕立に打ち水。黙して罪が軽くなるでもなし、ただ流されるまま闇に紛れていく。クラブの口車と同じその場凌ぎの言葉に、イックンが飛び付いた。

 「俺達の力見せてやりましょうよ。二度とすっ(とぼ)けた事出来ない様に。エラソーにしてるだけで、彼奴ら俺達が担いで盛り上げてやってる、ただの御輿じゃないですか。テメエ独りじゃ一歩も動けないお飾りの分際で、調子に乗りやがって。」

 打倒、共闘、革命、魂、命懸け、勇ましい言葉が三人の間を飛び交う。俺は嵐が過ぎ去るのを待った。濁流するルサンチマン。虚構に明け暮れる弱者の英雄譚。それは土砂降りだった。

 不意に背後で、スタンドの歓声がリミッターを振り切って爆発し、アウェイゴール裏で燃え盛る翼賛の岩漿(マグマ)が、一瞬にして掻き消された。絶頂と奈落の活断層に、乱高下する西が丘。レイズの沈黙を浮き彫りにする、エレーラのゴールチャント。そう言えば未だ試合中だった。ホームチームの同点弾が巻き起こす、何処か遠い出来事の様な騒ぎを背中で盗み聞きしながら、俺は誰にも訴える事の出来ぬ陰湿な自己弁護を弄り続ける。藤井君のリードが不覚にも一瞬凍結したレイズゴール裏の地殻に灼熱の(くさび)穿(うが)ち、不撓不屈(ふとうふくつ)のチームコールで、紅蓮の結界が強引に息を吹き返した。不整脈に揺れるスタジアムの躯体。尻の下に敷いた鉄筋コンクリートが混沌に身悶える。

 「誰だ、決めたの誰だ。」

 イックンが跳ね起きてスタンドを振り返り、雄叫びを上げ三段飛ばしで階段を駆け上がっていく。清流の水面(みなも)を跳ねる銀鱗(ぎんりん)の精彩。自軍のゴールに乗り遅れ瞬発するハムストリング。垂れ込めていた鬱屈と憤怒を切り裂き、コンコースの光の中へ消え去ったイックンの、炯々(けいけい)と血走った眼睛(がんせい)が、俺の網膜に破線を罫書(けが)き明滅している。恐れを知らぬ若き直情の余韻に痺れながら、その危うさに言葉を添える事すら出来ず、見送るしかない老兵の憔悴(しょうそつ)。爆竹の様な新陳代謝で今を燃焼し続けるイックンの、蹴汰魂(けたたま)しい(みち)無き(みち)の疾走の先に何が待ち受けているのか。蹉跌(さてつ)と皮肉に()えた俺の足腰では到底追い付けぬ、青春の奔流。俺にもこんな頃があったのか、今では思い出す事すら出来ない。

 河瀬君と岩井さんは後ろの騒ぎなど意に介さず、なでしこの未来と次の代表戦の段取りについて侃々諤々(かんかんがくがく)と遣っている。醒めやらぬスタンドの恍惚を透かして、試合再開のホイッスルが聞こえた。決勝ゴールを巡り転調する真夏の夜の夢。星降るスタジアムの奏でる珠玉の最終楽章。観客の胸で高鳴る奇蹟のフィナーレ。その光の攻防もこうして舞台の裏側に潜り込んでいると、総ては張りぼての中の出来事だ。喫煙所の茫漠は取り残された塹壕(ざんごう)の様に口を空け、闇が鉛の様に無慈悲な横顔で硬直している。後ろから誰かに襟を摑まれて引き擦り出される様に、俺はズルズルと腰を上げた。膠着した大腿筋が軋み、ほったらかしのポテトチップスの様に膝の皿が湿気った悲鳴をペリペリと上げる。

 ゴール裏を主戦場にする以前、誰とも交わらずにスタンドを彷徨(さまよ)っていた時は、独りで腐ってはいても、野良犬の死骸の様に、有りの儘に屍液(しえき)を垂らし、(はらわた)(うじ)に暴かれる、野晒(のざら)しの解放感があった。餓えてはいたが、貪婪(どんらん)ではなく、その屈折には外連味(けれんみ)があった。それが今では、同じ腐るにしても、賞味期限の切れた塩辛の様に、棚の奥の奥に自らを密封し、損壊して滅する処か、()えた臭いを放つ事すら敵わず、虚栄にくるまり、私欲に凝り固まっている。群れる事を拒絶し、世界を逆恨みして、呪詛(じゅそ)を並べ立てていた頃の方が、自分に正直だった気がする。檻の外を逃げ惑う狂乱。その過緊張に稲光(いなびか)る爽快と忘我の瞬間が、懐かしくさえある。光に浴する柄でもなければ、闇に安らぐ事も出来ない根っからの不調法(ぶちょうほう)が、サポーターとか言う良い子ちゃんの真似なんて、土台無理な話だ。今夜のレイズの先制点の様に、道端で拾ったダイヤの輝きはそう長くは続かない。

 フラフラと階段を上りコンコースに出ると、両ゴール裏が高らかにクラブの尊厳を唱い合っていた。張り出された横断幕の其処彼処(そこかしこ)に踊るPRIDEの(つづ)り。乱造されたゴール裏の常套句が頭骨で宙を舞う。何の心得も心構えもない矜持。日々の暮らしの中で(ないがし)ろにされた劣等感の裏返し。例えそれが満たされたとしても、誇りは(おご)りへの迷い道でしかない。

 この世に定型化したラブソングが溢れるのは、愛なんてないからだ。絆をスローガンに掲げるのも絆がないからだ。始めから其処(そこ)に在るのなら誰もそんな物、声高に謳わない。無責任なポジティヴソングが信じれば夢は(かな)うと連呼するのは、信念や努力には限界があるからで、夢と言う建前で意地汚い煩悩を美化する為だ。ガキが親や学校や社会に自由を訴えるのは、自分達が虚無という無制限な自由の真っ直中に幽閉されている事を、自由とは不条理の影絵でしかない事を、自覚していないからだ。自分探しに明け暮れるのは、自分の実体を、本性を直視するのが恐いからだ。君は独りじゃないと叫ぶのは、孤独とは社会の異名であり、孤独こそが人類の真実だからだ。言葉は虚しい。視覚と聴覚で折り重なる誇りとPRIDEが、J-POPのPVの様に感性を素通りしていく。俺に誇りなんて無い。初めから無いのだから、失ってすらいない。

 残り時間に反比例して過熱する、万雷の手拍子と絶唱。激甚する団塊の誇慟(こどう)が天を衝き、ゴール裏のリングで激突する、巨人と虚人のインファイト。コンクリートの雛壇で相克(そうこく)するミラーゲームは、俺の中で睨み合う俺と俺との代理戦争だ。夜空に焼き印された電光掲示のタイスコア。永遠に決しない輪廻のシンメトリーが突き付ける、空疎な既視感に俺は背を向け、緩衝地帯の虎ワイヤを潜ってコンコースを歩き始めた。

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