ジプシーサポーター   作:tsunagi

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第2話

 メインスタンドに戻ると、麻木が日野さんの席に出向いて挨拶をしている処だった。湶さんとサッコちゃんもその華やかな輪の中にいて、試合の最中であるにも拘わらず周囲の視線を独占していた。更年期の無粋なオヤジには近寄り難い、綺麗所が咲き揃う秘密の花園。テレビのインタビューやスポーツ誌の巻頭写真で眼にする麻木の姿が其処にあった。迫り来るカメラのアップ、突き付けられるマイクにも臆せず、(たお)やかに包み込む笑顔を、メインスタンドの枡席(ます)で何の(てら)いもなく振り撒いている。兎に角、溢れ出る煌めきの輝度が、その辺のコンビニでブラブラしている牝とは違う。湶さんとサッコちゃんだから話の輪が成立してるが、並の小童(こわっぱ)なら鉄板焼きのバターの様に物の二秒で蒸発している。ピッチでプレーしている選手達よりも直ぐ眼の前にいる筈なのに、まるで、何万光年も離れた別の銀河のお姫様だ。(あまね)く星屑を意のままに纏う、日本代表という肩書きが霞む程の才艶。峠を越えたなでしこバブルの切り札として騒がれるのも無理はない。

 日野さんに挨拶を終え、麻木は放送ブース隣の関係者席に向かった。貴賓席には代表監督が鎮座している。A代表招集も時間の問題の麻木だ。そっちにも挨拶に行くのだろうかと思い見ていると、コンコースで待ち構えていたサイン厨に、瞬く間に取り囲まれてしまう。当該チームのレプリカすら着ていない、選手と見たら手当たり次第に突撃し拿捕(だほ)する連中だ。試合観戦なんて二の次三の次。毎週、毎試合、同じ選手に何度でも、あらゆる隙を狙って紙とペンを突き付けてくる。日野さんとの会話中とは明らかに違う、硬質な笑顔で対応する麻木。そこへ更に、ズームレンズを単焦点レンズに取り替えながら、10Lクラスの機材バッグを肩から提げたカメラ小僧が現れた。高剛性マグネシウムボディの黒い奴を握り締め、サイン帳に俯いて嵐が去るのをジッと堪える麻木の顔を、サイン厨の肩越しに至近距離から無言で撮り続ける。捕獲した縞馬の内蔵に肩で仲間を押し退けながら喰らい付き、尾を振るハイエナの性根。無機質なシャッターオンが規則正しく等間隔に、麻木の強張った顔面神経に鋭角に降り注ぐ。そんなサインや写真を掻き集めて、何を埋め合わせたいのか、俺には想像も付かない世界だ。選手を追い回せば追い回す程、選手との心の距離は離れていく。そんな自明の(ことわり)を一顧だにしない視野狭窄(しやきょうさく)。その業の深さには寧ろ感服してしまう。

 俺は一瞬迷った。この乱れ飛ぶ小蠅の群れを追い払うべきかどうか。さっきコンコースで擦れ違った時の、麻木の怯んだ眼差しがフラッシュバックする。顔の売れたアイドル選手にとって、こんな物はゴミを分別するのと同じ、日常の本の一部。塵芥(ちりあくた)の類も含めて()らゆる物を惹き付ける今の麻木には、ミイラもミイラ獲りも、蚤か虱かの違いでしかない。態々(わざわざ)首を突っ込んで、下心丸出しの馬鹿面を曝す事もない。そんな卑屈な邪念を(まさぐ)っている内に、女性スタッフが割って入り、麻木は放送ブース脇の関係者席に促された。あれは確かレイズのマネージャーだ。上段の席に納まっても、カメラ小僧はコンコースから麻木を撮り続け、最終的に警備スタッフに連行されていった。その一悶着の間、他の選手と肩を並べて控えの座に甘んじる麻木の視軸は、ブレる事無くピッチの戦況に延びていた。カメラバックを提げて退場する卑小な背中なぞ眼中に無いその横顔は、既に確固たる意志によって武装されていた。

 俺が福岡の試合で応援していたのは、本当にこのお姫様だったんだろうか。声が小さくて何を話しているのかも、起きてるのか寝てるのかも判らないヒヨッ子だったのに。今、コンコースから見上げる麻木の引き締まった面差しは、余りに気高く、内に秘めた雪辱の狼煙で黙黙と骨身を焦がしている。もう只のお姫様じゃない。

 以前、ユースの日本代表監督が、CSのサッカー番組で語っていた。代表監督として初めて臨むアジア予選の直前、何の前触れもなく、突然全身に発疹が出来たと言う。現役時代は立ち上がったばかりのプロリーグで活躍し、A代表にも名を連ね、その明るい人柄と熱意から高校年代の指導に定評がある、ユースの第一人者を襲った体の異変。四十年に渡るサッカー人生の中でも初めての経験で、陽に灼けた肌を表裏の区別無く這い回る、血斑を鏤めた蚯蚓腫(みみずば)れに、

 「何これ、マジでヤバイ。」

 と(すく)み上がる以外、手の施しようが無かったという。アジア予選のプレッシャーが引き千切った、図太かった筈の自律神経。砕け散るまで思いっ切りやれば良いと言う、予選突破のご褒美の様な本大会と違い、負ければ総てを失う世界の切符を賭けた闘いに、エリート街道とは無縁の、草魂を地で行く、叩き上げた鋼の心と躰が初めて悲鳴を上げた瞬間だった。

 予選で敗退したら、その時点でチームは解散。アジアというカオスを潜り抜ける事によって摑み取る自信と、本大会で世界を肌で体感する機会を失うばかりか、予選後に組んでいる、本大会に向けた半年を優に越えるチームの長期強化プランまでもが、フイになってしまう。準備期間中の合宿や海外遠征を通して選手達が手にする智見は、サッカーの枠を越えて、必ず人生の糧になり、負ければ選手達の未来と可能性を奪う事になる。己の指導者としてのキャリア以上に、教え子達の人生を背負う重責。其の心労など想像だに出来ない。学生時代から、地区予選、全国大会、決勝戦と大一番を勝ち抜け、プロ初先発、開幕戦、チャンピオンシップ、国際Aマッチと様々なプレッシャーの掛かる舞台を踏んできても、飼い慣らす事の出来ない魔物。時には精神と肉体が拒絶し崩壊する程の鬼胎(きたい)。学校や会社に行くのが厭で腹が痛くなるのとは訳が違う。

 麻木にも試合前、そんな異変は起こるのだろうか。日の丸を背負い世界の舞台に立つ緊張とは如何(いか)なる物なのか。決戦のピッチに向かう時、人の心と躰はどう惑い、変容するのか。麻木も眠れぬ夜を数え、ロッカールームで震えているのだろうか。勝利への期待渦巻くスタンドが取り囲み、黒光りするカメラのレンズが居並ぶ、逃げ場もなければ身を隠す場所もない、衆人環視のピッチ。そこから俺達の居るスタンドは、どう見えるのだろう。周到な準備も尋常じゃない努力と節制も、たった一つのミスで水泡に帰す、運命の一戦。麻木はそんな死線を、若い身空で幾度も潜り抜けてきた。スタンドで独り声を張り上げるだけでビビっていた俺には、耐えられぬ未知なる極限。そこで人はどう深化し、精錬され、覚醒していくのか。そして何より、あらゆる苦難を乗り越え、勝利した瞬間の歓喜とはどれ程の絶頂に達するのか。

 スタンドの物見遊山(ものみゆさん)とは隔絶した世界を見詰める、麻木の引き締まった頬。端正な面差しはどれ程の修羅場と対峙してきたのか。透徹した眼差しは、生き恥を曝す様なアジア予選の敗退も、追い立てるマスコミも、節操のないサイン厨も貫通して、克服すべき課題の先にある、進むべき道を一心に見据えている。プロ契約でもないのに、膝の関節が変形し、歩行障害の後遺症を抱えるまで闘い続ける選手を、何人も見てきた。代表に昇り詰める鉄の女ともなれば、その決意や信念の強度はタンガロイをも打ち砕く。些細な言葉や擦れ違い一つで心が折れ、仕事も人間関係も長続きせず、果たすべき重責から逃れ、手当たり次第に夢と希望と可能性を放り出し、オサラバだけの人生を繰り返してきた俺なぞ、及びも付かない。

 同じスタジアムの中にいても、常緑の戦火と対峙して一歩も引かぬ選手と、他人の成功を見上げているだけの俺。ピッチを囲む鉄筋コンクリートの集積も、スパイクを履いたアテナには、守護女神として君臨する城塞で、俺には屋根のない監獄だ。見えている景色が、所属する階層がまるで違う。奥多摩のグラウンドで初めて見た時には、ランドセルを忘れたガキだったのに。それがこの六年で、女子サッカーの未来を照らす紅き明星だ。同じ歳月を過ごした筈なのに、俺は何一つ積み重ねる事なく、スタンドに囚われの身の儘、今も惰性で時を濁している。

 

 「こんな筈じゃなかった。」

 

 そんな言葉を口にする権利すらないのに、

 

 「あの小娘に出来て、何故俺に出来ないのか。」

 

 と(いき)り立つ愚劣。麻木の華麗なる成長を黙って見守れば良い物を、病的な妄執に呪われたこの性分。試合後、応援を感謝される事で、選手と繋がっている気になっていた。(やや)もすれば、選手と対等な気にすらなっていた。その烏滸(おこ)がましさに、我ながら呆れ果てる。

 スタンドで声を荒げている間は殿様気取りで居られても、気取っただけで本物の殿様になれる訳じゃない。上積みも無く、年々目減りするだけの給与明細。間借りしている散らかっているだけの寝座(ねぐら)、見下すか(へつら)うかの、浅薄で潤いのない人付き合い。疲れるばかりで達成感のない仕事。右肩上がりなのは酒の量だけで、後の総ては何から何まで尻窄(しりすぼ)み。そんなガッサガサに角質化した、露命を継ぐだけの日常以外、この流刑地に出口はない。一等星を目指して地力で輝き続ける新しい天体と、鬼界島の真砂(まさご)に没する落人(おちゅうど)。格差を超えた隔絶。今更何の接点があると言うのか。試合の遠征で全国を駆けずり回り、声を限りにその存在を叫んでも、お客さんはお客さん。選手が降り立つ煌びやかなステージの末席にすら辿り着けない。例え麻木の浴びるスポットライトの線量が、スポーツや芸能の世界に蔓延(はびこ)る虚飾と欲動の産物だとしても、人を()でる事を(ないがし)ろにして、クラブ愛、郷土愛、スポーツ愛の片棒を担ぐ自己欺瞞と較べたら、同じ嘘でも羽振りが良くて御機嫌だ。日の丸を背負って国際舞台で活躍し、引退後は指導者から、クラブの運営、協会の役員、タレント業まで、麻木の視界良好な未来と、残照の(つか)()でしかない俺の余生。その無惨に乱反射するコントラストが、(いびつ)に角張ったプリズムとなって、照明塔と宵闇の狭間(はざま)を転がり落ちていく。

 

 

 「オッ、五月蠅(うるさい)いのが帰ってきたな。」

 席に戻り腰を下ろそうとする俺の尻を叩いて、塩爺が吼える。

 「人を季節外れの不如帰(ほととぎす)みたいに言うんじゃねえよ。」

 「何処で油売ってたんだ。どうせ、鳩に混じってパン屑でも突いてたんだろ?」

 「寝惚けてんのかジジイ、未だ宵の口じゃねえかよ、(ふくろう)が啼くには早過ぎるぜ。」

 こんな流刑地だからこそ、湧き水を名酒に見立て、酌み交わす洒脱(しゃだつ)が身に滲みる。塩爺は俺の首に手を掛けて絞める真似をし、ママは静かにポットから麦茶を注いで渡してくれる。血を分けた父親とは、心療所に通っていた頃に一度、春吉橋の袂に呼び出し、十分程言葉を交わしただけ。俺が母親の胎の中に居る時には既に、余所の女の処に転がり込んでいた、と言うのは本当か問い質したら、有耶無耶(うやむや)(はぐ)らかし、

 「アラスカで死にたい。」

 とか火裂(ほざ)いてた事以外、後はどんな顔だったかも思い出せない。本当の父親に会えば、何か出生の秘密でも明かされるのかと思ったが、何もなかった。結局、実の父親と言うのも、誰かの肩書きでしかなかった。

 俺にとって塩爺とママとの邂逅(かいこう)は一夜限定の疑似家族。帰る所がある様な錯覚。(かな)わなかった人生の損失補填でしかないスタジアムライフ。しかし、この癖になる居心地すら、そう長くは続かない。昇格以前に終末医療の段階にある女学館が、それを許さない。

 女学館が全国リーグから降格したら、全国どころか九州リーグからも落ち零れ、リーグ戦での活動その物から撤退してしまったら。俺は何をどうしたら良いのだろう。フロントがギブアップして、ハイそれまで。新聞の片隅にも載らずクラブが解体する事なんて、女子サッカーの世界では在り来たりな結末の一つでしかない。

 そうしたら復た、余所に鞍替えするのか。例え草サッカーチームにまで堕しても、カンクローと心中して(みさお)を立てるのか。スタジアムライフから足を洗う丁度良い区切りなのか。移籍するとしたら、塩爺とママに何と言って説明したら良いのか。女学館の余命を宣告する勇気すらない俺に、女学館を棄てて、もっと羽振りの良いクラブでヨロシクやる何て、言える訳がない。

 「何ボケっとしてるんだ。(ふくろう)をつくねにするレシピでも考えてんのか。」

 紙コップの麦茶を見詰めて、琥珀(こはく)水底(みなそこ)に心を沈めている俺を、塩爺が覗き込む。俺は気付けに麦茶を(あお)り、口の減らないフリをした。

 「鼠の尻尾(つつ)いて喜んでんのとは訳が違うんだよ。宇和島の遠征の事で頭が一杯なのに、こんな付き合いで観に来てる余所の試合で、羊の勘定なんかしてられっかよ。来週、愛媛を絞って土産のジュースにしてやっから、楽しみに待ってろ。」

 「逆に絞られて、豚骨の出汁(だし)にされちまうんじゃないのか。」

 「そん時は、紅生姜の代わりに俺の腹を捌いて、(いつ)でにオヤジも叉焼(チャーシュー)にして載っけてやるよ。」

 「オイオイ、腹を捌くとは随分と物騒だなあ。残り試合どれも大切なのは確かだけどな。一つ負けた位でこの世が終わる訳じゃないだろう。」

 「二部のドサ廻りがこの世の終わりじゃなかったら、何が始まりで何が終わりなんだよ。一部の下で一生臭い飯喰ってる位なら、ケツの穴にロケット突っ込んで、銀河系からオサラバした方が増しだぜ。俺はなあ、流れ星なんだよ。(まばた)きなんかしてんじゃねえぞ。」

 ゴール裏の朱に交わって染み付いた張りぼての無頼。昇天する劣情と反転する躁鬱。自分で口にしておいて、その後味の悪さに舌が痺れる。本当の家族だったら、こんな時弱音を吐いたりする物なのだろうか。スクラップ同然の真実を打ち明けて、分かち合うのだろうか。塩澤夫妻は選手もクラブもサポーターも決して悪く言う事がない。女子サッカーに携わる総てを讃え、(ねぎら)い、(いつく)しみ、何よりこの世界を無条件に愛している。二人が其処にいるだけで、選手とサポが自然と集まってくる。俺もその穏やかな引力に摑まり、甘えている一人だ。どうすれば、そんな美徳が身に付くのか。こんな糞みてえな世界を許せるのか。

 塩爺の老成した象の様な眼差しに、心を見透かされるのが恐くて、俺は決勝点を巡るピッチの攻防へと顔を背けた。脚と気持ちの止まった方が遣られる、本来チンチンに熱い時間帯。それなのに、ボールの行方を漫然と眼で追っているだけで、心の照準は完全にブレていた。同点ゴールの熱狂は既に醒め、湶さんの視線で焼き尽くされた不発の背番号10は、既にベンチでペットボトルの水を只管(ひたすら)呑んでいる。ピッチサイドのカメラマンの肩口からは懈怠(けたい)が滲み始め、鳴り物なしの両ゴール裏は、消化不良な消化試合と言うエクスキューズを、声と手拍子で必死に振り払い、貴賓席の代表監督は眉間の皺を解く事もなく、収穫はゼロ。これが録画した試合なら早送り出来るのに、現場って不便だ。フットボールの神様は頬杖を付いてスマホでも弄ってるのだろう。秘蹟の欠片を(ほの)めかす事もなく揮発するピッチの白熱。未だ主審が腕時計に眼を落とす時間じゃないが、俺の頭の中はとっくの昔にタイムアップしていた。無風だった。降りた幕の向こうに気配と呼べる物すらない。そこへ不意に、胸が騒いだ。着信だった。

 女学館の応援を通じて、懇意にしている佐賀のサポからだ。何時も福岡の現場の様子を律儀に報告してくれるのだが、ここ最近は(ほとん)ど良い話を聞かない。今週末、女学館の試合は組まれてないのに、態々(わざわざ)メールをしてくる位だから、それこそ推して知るべしだ。

 

 

 「ビッグマックのやつ、今日もいつもの格好でユースの試合に来て、メチャクチャな歌を歌って、それで興奮してピッチの中に入ろうとするわで、もう大変でしたよ。入団希望者の父兄とかも試合を見学に来てたんですけど、あれじゃあ、自分の娘を女学館のユースに入れようとか思いませんよ。」

 

 

 文字に起こすと呆気ない。《何時もの格好、メチャクチャな歌》スマホの液晶画面に整列する小さなフォントは、厄介な現実を寧ろ優しく包み込んでいる。何せ実物の破壊力に言葉が追い付かない。不摂生を究める体重100kg超、肥満度57%の重力に打ち負かされた肉塊で現場を匍匐(ほふく)する異形の重戦車。それが女学館のホームゲームの応援を仕切る、自称リーダー、ビッグマックだ。

 ピントのボケたカピバラの様な容貌が醸し出す、散漫な知性と未成熟な自我。そして何より、脳天に頂く、条理を逸したモーゼの海割りの如き逆モヒカン。額のド真ん中からバリカンで一直線に刈り込んだ、叛逆(はんぎゃく)の活断層は「仕事先では絶対にヘルメットを脱ぐな。」と警備会社の職長を激昂させ、初対面の相手を壊滅的なビジュアルショックで、絶句の静寂に葬り去る。

 これだけでも既にチョッとした事件なのに、ミシンの畳み掛けで補修しまくった、()()ぎだらけで襤褸雑巾にしか見えないウッドカモの軍パンに、御贔屓(ごひいき)の選手の名前をデカデカとプリントした、ショッキングオレンジのTシャツをピッチピチに着倒し、真冬でも素足にサンダルが唯一の正装。それで試合当日のスタジアムだけでなく、平日も博多の繁華街を練り歩くのだから、毎日が自爆テロだ。Jから地域リーグに至るまで、全国津々浦々にクオリティの低いコスプレやら何やらで、現場の賑やかしに興じる巫山戯(ふざけ)たサポが存在するが、ビッグマックはその最底ランクで、本人は面白いつもりでやっているのだが、世間にとっては女子サッカーを付け回す、人類の失敗作だ。

 しかもこの視覚の暴力が途轍もない音痴なのだから、神の気紛れって奴は手が込んでいる。その破滅的音感は醜貌(しゅうぼう)に劣らぬ凄まじさで、ビッグマックがコールリードを取ると、どんなに頭では判っていても桁外れにズレているピッチに引き擦られ、まともにチャントを歌う事が出来ない。暴風雨に舞う木の葉の様に、()(すべ)がない。一応本人には稲妻の様な音痴である事を警告してはいるのだが、亀虫に体臭を指摘した処で、ペパーミントに生まれ変われる訳じゃない。天は何故ビッグマックに負の二物を与えてしまったのか。宇宙とは不思議の宝島だ。

 女学館のホームゲームとユースの試合に残飯の様な姿で現れ、左手に提げたスネアドラムを、右手に持ったスティック一本で力無くペシペシ叩きながら絶叫する様は、未開の熱帯雨林を邪術で(つんざ)く祈祷師にしか見えない。こんな状況が放置されているのは、単純になり手がいないからだ。福岡の現地に女子の試合を応援しよう、それも腰の据わった応援をしようと言う奴が居ないからだ。Jの試合には大挙して繰り出し躰を張っても、女子の試合に流れてくる事はない。ビッグマックは女学館と言う見捨てられた解放区、その皹割(ひびわ)れた荒野の裂け目に挟まっているだけの、応援に関する何の資質も権限もない、トランス脂肪酸の沈殿物だ。

 それでも以前は未だ増しだった。初めて皇后杯の緒戦で顔を合わせた時は、逆モヒカンでもなかったし、変なTシャツも着てなかった。栄養過多なホームレスと言うパラドキシカルなブー太郎で、悪夢の様に音痴ではあったが、年に数試合ブッキングするだけだし、まッ、良ッか、位に考え、その奇態を写真に撮り、ブログにアップし、その高カロリーなバディをビッグマックと名付け、茶化し、拡散していた。会場で出会(でくわ)す度に、ああでもない、こうでもないとポーズを取らせて、写メのシャッターを連射し、ビッグマックもビッグマックで、そのリクエストにハイテンションで応えていく。すると、何を勘違いしたか、回を重ねる毎にビッグマックの様子が可笑(おか)しくなっていった。ブログで我らがリーダーと囃し立て、ビッグマックの名が浸透するに従って、波に打ち上げられた海馬(とど)の様なビジュアルに、意味不明なオプションが付き始めた。髪の毛をアンシンメトリーに刈り上げ、片方の眉毛を剃り落とし、シャツの文字がデカくなり、言動も芝居がかって、スタンドでの態度も高慢になり、奇行が目立つ様になってきた。

 日給六千円。福岡の最低賃金で口に糊する日雇いのガードマンだ。チンチンにヘルメット焼けした赤褐色の鼻面と猪首(いくび)。薄弱を絵に描いた(なまくら)な眼差し。努力とは無縁の生き様を露呈した風采は、見てる此方まで気怠(けだる)くなる。卯建(うだつ)の上がらぬ半生を過ごし、人の注目を集める経験等なかったのだろう。リーダーに担ぎ上げられ、チョットした人気者気取りで、馬鹿にされている事すら理解出来ずに増長し、変質の一途を辿っていった。

 

 「今日は応援に来てくれて本当に有り難う御座いました。一度お会いしたかったんですよ。ブログ読んでます。本当に会えて嬉しいです。福岡ではユースの試合とかだと、誰も応援に来てくれないんですよ。矢っ張り、ドラムがあるだけで全然違いますもん。横断幕も凄いですねえ。全部独りで描いたんですか?何mあるんですかコレ。」

 

 先月の末、大阪の堺で開催された全日本女子ユース選手権に、女学館のユースを応援しに行った時の、選手の父兄の言葉だ。福岡では誰も応援に来てくれない。サラリと口にした一小節が、父兄の眼中にビッグマックが存在していない事を、話題にする事すら(はば)る事を裏付けていた。トップの試合でも、可燃ゴミで擬態した河馬(かば)の前を素通りして、選手は俺に挨拶に来る。ビッグマックが張り切れば張り切る程、それは間違った努力となって跳ね返っていく。

 

 「ユースの子達が気持ち悪がってる、と言うか、もう完全に怖がってるんですよね。去年引退して今年からユースのコーチをやっている本山の事が好きだから、ビッグマックはユースの試合に通ってるんだけど、やっぱりあの格好が格好だけに、思春期の子達には特にキツいですよね。本山は応援してくれてるんだから、ちゃんと挨拶しなさいとか言ってるみたいなんだけど。本当はコーチが選手を守らなきゃいけないのに。何だかおかしな事になってるんですよね。こっちの方は。」

 

 佐賀サポの(たま)りかねた愚痴を耳にする迄、俺はビッグマックを歩くゴミ屋敷くらいにしか見ていなかった。現場で見付けたら指を差して笑っていれば良い。そう考えていた。しかし、河馬(かば)海馬(トド)を掛け合わせた逆モヒカンが、女子中高生の練習試合に付き纏っているだけでも()まわしいのに、チューニングされてないスチューデントモデルのギターを、アンプ直刺しのフルゲインで掻き鳴らす様に、試合中、独り喚いているのだ。普通なら通報されている。観覧席とピッチを限る物のない、ユースの試合だ。本人は単独応援で武勇を奮っているつもりなのだろうが、結婚式の披露宴や告別式に街宣車がノンブレーキで突っ込んでくる様な物で、選手やその父兄からしたら、完全に危険水位を超えている。

 以前、千葉の試合を観に言った時、徒党を組んだ落人(おちゅうど)風情が、ユースの選手にサインを貰いネチネチと握手しているのを、その選手の父親が遠巻きに眺めていた。千葉サポの重鎮八千代さんが偏光レンズのグラサンを直しながら、

 「ああ言うのってどうなの。」

 と尋ねると、

 「俺が毛沢東か金日成なら全員死刑。」

 と瞬殺で吐き捨た。心理も生理も受け付けぬ、(ひそ)めた眉根に刻まれた憎悪の深甚(しんじん)。サポーターと称して愛娘(まなむすめ)に粘着する汚物の葬列。痛切な男親の横顔が西日を浴びて燃え盛っていた。

 「選手も選手の親も俺等みたいなビシッと筋の通ってる連中に応援してもらいてえし、現場で眼を光らしてて欲しいのよ。レプリカ着て応援してるって言われたら、邪険に出来ねえのに付け込んで、選手に纏わり付いてくる馬鹿がウヨウヨしてっからよお。選手の事をタダで相手してくれるホステスか何かと勘違いしやがって。それも相手は中学生とか高校生だぜ。そう言うおかしな奴等に睨みを利かせるのも、俺等の仕事の一つ。選手の親に俺等に何か出来る事ある?何かして欲しい事とかある?とか聞いても、今のままで良い。十分良くやってくれてるから、これからもこの儘、選手を見守ってて欲しいって言われるしな。こっちとら、危ねえ奴等から選手守る為なら、何時でも豚箱に戻る覚悟は出来てっからよ。」

 プレミアムモルツのロング缶をチビりながら、八千代さんが転がす巻き舌を、その時は漠然と聞いていた。

 

 

 先月の福岡遠征。女学館のホームゲームで俺を待っていたのは、無様な惨敗と凋落したクラブ運営だけではなかった。初夏の陽射しを浴びた雨上がりのレベルファイブスタジアム。サッカースクールの女生徒達が座席の間を駆け回って歓声を上げ、父兄が膝を並べて手弁当を広げ、スタンドから選手に声を掛ける親類や元チームメイト。空席ばかりなのが寧ろ開放的で、(すこ)やかな時を育む休日の午後。そんな平穏な倖せに対する皮肉の様に、奴とその仲間達はいた。

 ホーム側メインスタンドの端の端、石灰化した富士壺の様にこびり付く、五、六人の寄り合い所帯。女子の試合には付き物の見窄(みすぼ)らしい(すす)けたオッさん達の掃き溜め。そんなサポ活とは名ばかりの(つつ)ましい落ち武者部落を、自称リーダーの放つ熱量がデッドゾーンに叩き落としていた。(しばら)く会わぬ内に一段と凄味を増した、トランス脂肪酸の団塊。どぎつい鉛丹色を巻き付けたゲル状の堆積物は、チームカラーのTシャツを着て座っているだけなのに、遠目からでも其処だけがトリックアートの様に歪んで見える。今日も張り切って逆モヒカンに刈り上げてきた筈だ。眉毛もゴッソリと剃り落としているのだろうか。近付いて確認したくもない。諧謔(かいぎゃく)と自虐を履き違えたランドマークが超然と(そび)える、一般客と縁の切れた結界。それが女学館のウルトラスの実体だった。

 昇格を果たした四年前以来のホームゲーム。あの時は入れ替え戦が(あざな)う天と地の乱気流に翻弄され、スタンドの相関図なぞ眼中に無かった。ビッグマックの身形(みなり)もだらしないデブと言うだけで、未だこんなに酷くはなかったし、規格外の音痴に手を焼きはしたが、それもピッチ練習の間だけ。試合が始まればコールリードなぞ無視して喚き散らし、勝ち負けの結果以外何も頭に無かった。それが今、クラブに対する気持が醒めた分、総てが有りの(まま)以下に見えてしまう。

 闇の動物園にブラックアウトした一角。一旦、そう刷り込まれたら、最早それ以外に見えない。これはもうサッカーとは違う、何か別のウルトラスだ。荷物を引き擦ってスタンドに降り立った俺の眼を釘付けに、足をコンコースに釘付けにする魂の貧民窟。子供達の笑い声を断絶する魔の聖域。無尽蔵に卑語が世界を覆い尽す。俺の歪な心がビッグマックの醜態と同化して、己の影と独り相撲を取り続ける。枯れ枝の様な自我を守り抜く為、人を意地汚く罵る事しか出来ない、己の卑しさに負けた母親の血が騒ぐ。

 応援以前の問題だ。これが俺の仲間?真逆(まさか)。女子の応援にクラブ愛に燃える猛者共の連帯なんて初めから期待してはいない。Jのゴール裏の劣化コピーで当たり前。駄目オヤジのウルトラスごっこで構わない。死に馬にG1を制覇しろ何て誰も言いやしない。唯、クラブをサポートしているとか言うアリバイだけコソコソ作っていれば良いのに、()りに()って、あんなコレステロールと無恥を過積載した、異教徒の御神体を(たてまつ)るなんてどうかしてる。零落の一途を辿るクラブの道連れにしたって、趣味が悪過ぎる。

 胸元でピッチピチに引き裂かれた推しメンのプリントが動き始めた。ビッグマックがレベスタのエントランスホールを、コンコースを練り歩く。歓談に興じる家族連れの幸福な日常を切り裂き凌辱する、何かの着ぐるみかと見紛う重度の肥満体。スタンドを駆け巡っていた子供達は凍結し、運営の手伝いをしているユースの選手は見て見ぬ振りを決め込んで、父兄の眉間に稲妻が走る。トレードマークの逆モヒカンを地で行くモーゼの海割りで、ビッグマックの進行方向を避ける人々。「一応、クラブを一生懸命応援している人だから。」と言う免罪符の威光で、クラブの運営も、選手も、誰も何も言わない。何も言えない。サポーターと言う以前のあらゆる属性と本質の崩壊した、何物なのか分別不能な、明らかに場違いな、集客の足を引っ張る、駆除すべき害獣。存在その物がモザイクの限界に挑戦しているスタンドの異物。良く本物と下手物(げてもの)は紙一重と言うが、此奴は本物の下手物だ。奇異の眼を羨望の眼差しと勘違いして勝ち誇る、こんなパンツの穴の様な奴が居たんでは類が友を呼ぶばかりで、まともな客は一緒に声を出して応援したい何て思う訳がない。これではJのゴール裏を縛り上げる殺伐とした空気の方が、未だサッカーに対して真摯な態度に思えてくる。これは何かの間違いだ。こんなのと一緒に俺は今から応援するのか?有り得ない。黙認したらその時点で共犯者だ。本当の豚箱に叩き落とされる。

 息を継ぐ事すら叶わぬ悪罵の濁流。取り憑かれた譫妄(せんもう)に向かって毒吐(どくづ)く自分を、何処か遠くから眺めている。腐っている物を総て吐き出しても、未だ底を見せぬ苛立ちの源泉。奴の姿形も俺の言霊(ことだま)も際限なく下劣で、最早見分けが付かない。奴のパンツの穴から舌を出して笑う俺の本性。この儘だと先に破滅するのは俺の方だ。奴のパンツを頭から被って突き破り、小麦の種の様に眠っている己の良心を踏み(にじ)って騒いでいるのだから、どう考えたって、まともじゃない。延命治療に明け暮れるクラブと、蘇生手術の必要な俺。ホームゲームの()られも無い真実は俺を映す鏡だ。そう思い知らされた瞬間に粟立(あわだ)つ陰性の磁力。俺は鏡の底を覗き込む為、黄泉(よみ)の入り口と知りながら、ウルトラスゾーンに向かって歩を踏み出した。

 眉毛こそ剃っていなかったが、それでも間近で観る実物は流石に凄い。記憶の中で風化していたデブとは物が違う。百八の煩悩が一斉に水疱瘡(みずぼうそう)を引き起こした様な脂身の氾濫は、肥満と言うレッテルや俺の蔑視線すら(むさぼ)り、尊大なる粗相(そそう)(はべ)らせている。しかも、その自然の摂理を棚上げにして増殖する中性脂肪の頂に、例の逆モヒカンが突き刺さっているのだ。晩年のピカソですら此処まで制約と理解を拒む物は描けないだろう。俺は荷物を降ろすと、最初に軽く挨拶しただけで、後はもうビッグマックと口を聞く処か、視野に入れる事すら許せなくなっていた。この贅肉の暴君を担ぎ上げ、下品な勘違いに拍車を掛けたのは俺だ。浅はかな己の見識に心底腹が立ち、ガン無視する以外、気持ちを鎮め、その場を穏便に納める事が出来ない。ビッグマックを取り巻く他の面子にしても、見れば見る程、接すれば接する程、反吐(へど)が込み上げてきた。村里の退団について一体何が起こったのか、村里の勤め先だった胸スポのマルショーは何と言ってきているのか、自分達はどう考えているのか尋ねても、煮え切らない笑顔を返すばかり。それは俺が知らない真実を隠し持っているからではなく、

 「別に、好きな選手を追い掛けてるだけだから。そんな事言われても。」

 と言うだけの話し。奴等には今このクラブに何が起こっているのか、理解する事も、感じる事も出来なければ、例え知ったとしても、自分が入れ込んでいる選手のアルバイト先のシフトや、ブログにアップされる私生活、普段何処に行けば会えるのかの方が大事なのだ。自分の部屋が火事なのに、スナックを頬張りながら寝ころんでスマホを弄っている様な、気儘(きまま)で不可思議な、顔の無い男達。ビッグマックを基点に周遊し、その肥大漢の影に身を隠し、各々が持参した選手の情報や執着をトレードする、深海魚の亡霊。

 「“はるる”()に仙台に行ったらくさ、復た、来てくれたんですか、とか言われて、もう、どうしようかいにゃ。」

 去年までキャプテンだった堀内の事を、俺の嫁と騒いでいた奴が、堀内が女優になるとか逆上(のぼ)せて引退した途端、余所の選手に乗り換え、その新しいホステスの無責任なリップサービスを真に受け逆上(のぼ)せている。俺はフロアタムのヘッドを外して中から横断幕を取り出した。応援の準備に専念する以外、奴等のヌメヌメとした生態から逃れる術がない。

 売れ残りの割れた煎餅の様な面をした、ワレセンと呼んでいる男がやってきて、何時も通り独りで勝手に喚き始めた。折れた割り箸の様な腕をペラッペラの胸板の前に組み、一瞥でスポーツ経験も体力もゼロと判る独語症の男。雑誌や単行本で読み囓った受け売りの戦術論を、血の膿の様に垂れ流し、無観客のスタンドに向かってコーチングし続ける。

 「この前の京都戦で4-2-3-1を途中で3-4-3に切り替えたのは良かったっちゃけど。攻撃的でなかといかん3-4-3が上手くいかんかったとは、何時もの4-2-3-1との間にギャップがあったっちゃんね。この二つをスムーズに切り替えるとは、ヤッパ、難しかね。4-2-3-1は、4-3-3と中盤フラット型4-4-2の、中間の形なんやけど。4-2-3-1から4-4-2とか、4-2-3-1から4-3-3とか、4-4-2から4-2-3-1とか、4-3-3から4-2-3-1とかやったら、そんなに手間取らんちゃけど、4-4-2から4-3-3とか、4-3-3から4-4-2とかの切り替えは、そう簡単にはいかんバイ。これはもう大ゴトやもん。その中間の4-2-3-1が今、世界で一番流行っとうとも無理はなかね。それでくさ、3-4-3でも4-2-3-1と近い感じの奴とかもあるとよ。アヤックスとかバルサの中盤がダイヤモンド型の3-4-3とかは、3-3-3-1とか、3-3-1-3とか、3-1-3-3とか細かくゆうたら色々あるっちゃけど、監督がどうしても自分の3-4-3をやりたいとやったら、まず4-4-2から練り直さんといかんバイ。中盤フラット型4-4-2がチームに浸透せんと、監督の3-4-3は絶対に成功せんめえや。」

 崩落した数式の瓦礫の下敷きとなって、成仏出来ずにワレセンが這い回る、空論のラビリンス。此奴(こいつ)も人恋しさに啼く九官鳥の類だ。俺には見えない誰か、自分を否定せず、誉め讃え、認知してくれる、そんな居る訳のない誰かに向かって求愛し、倒錯し続けている。思考と肉体が世間と全く噛み合っていない。遭遇する度に数式の量が増え、症状が重くなっている。その内、自己と他者と社会と宇宙、過去と現在と未来、夢と現実、数式と言語が統合出来ず、区別が付かなくなって、俺は神だとか言い出しかねない。数式の鎖で(はりつけ)にされる受難劇。その幕は既に上がっている。

 ワレセンのカウンセリングなんて御免だ。俺は先ず10m物の横断幕を肩に担いだ。掲示場所の確認はしていない。クラブやスタジアムによって消防法やスポンサーの絡みで五月蠅(うるさ)い処があるが、取り敢えず、ベンチ前の手摺りにでもセットしておくかと思っていると、手を貸してくれなぞ一言も口にしてないのに、脂身を揺らして、バズッたラスボスがのっそりと擦り寄ってきた。

 「観客の邪魔にならない様に、ゴール裏に横断幕を張り出したいのに、クラブがゴール裏を開放してくれないんですよ。本当に困ったもんですよ。他のクラブは皆やってる事じゃないですか。全く、内のクラブと来たら。幾ら私が訴えても聞く耳を持ってくれないんですよ。」

 御自慢の逆モヒカンを逆立ててお冠のビッグマック。俺はその白々しい義憤を氷の様に見詰めていた。パンパンに膨れ上がった肥満体の曲面を、風呂上がりの様に滴り落ちるグダグダの脂汗。言葉を発すると復た一際奇妙な存在だ。汗で変色し、塩を吹いてピチピチに伸び切ったTシャツが、俺に助けを求めてくる。前倒しで梅雨が明け、鰻登りを地で行く暑気の最中に、この宇宙のゴミは人の心を凍えさせる天才だ。

 「じゃあ、あれは何だよ。」

 俺が顎をシャクって促すと、ビッグマックが振り返ったその視線の先で、杉並サポが自軍の横断幕をアウェイのゴール裏に運び込んでいた。昇格を射程内に収め意気上がる杉並のコアサポは十数人。女学館のホームのコアサポの倍。女子の二部だ。東京から福岡へ大挙して押し寄せたと言って過言ではなく、それだけでも圧倒されているのに、この体たらく。抑も、福岡在住の落人で女学館の横断幕を作って運び込んできている奴なぞ一人もいないのに、ゴール裏を開放するも糞もない。クラブにネゴシエイトして拒否られた何て駄法螺(だぼら)を、良くもまあ胸を張って言えたもんだと逆に感心してしまう。杉並サポがキビキビと横断幕をセッティングしていくのを遠くに眺めながら、俺は話しをはぐらかすビッグマックを、意識の外へ弾き出す事に努めた。

 「代表には事ある毎に、サポカンを開いて意見交換しましょうと言っているのに、それも全く開いてくれないんですよ。前も言った様に、私は後援会に入ってません。会費の金額で、会員を一般会員とプレミアム会員に区別するなんて、これは歴とした差別ですよ。私は絶対認めません。他にも色々と話したい事があるのに。一体、どうなってるんですかねえ、内のクラブは。」

 失点を取り戻せるつもりででもいるのか、ビッグマックの雑言は何時になく熱く、ゴミ箱か馬の尻が喋ってるみたいだ。せめて黙っててくれれば、見て見ぬ振りをするだけで済む物を。好きな選手はベタベタと誉め千切り、クラブの運営と代表には的外れな文句を垂れ流す。これがこの男の思考の総てだった。正義を盾にしてるつもりらしいが、綺麗事を隠れ蓑に、絶対に反撃される心配のない、安全な所から彌次(やじ)を放ち、威張り散らしたいだけの、飛んだ耳汚しだ。身を挺してクラブを助ける気もなければ、クラブへの失望を噛み殺し、アウェイを転戦する俺の忸怩(こうでい)なぞ知る由もない。その上、

 「ナイトゲームで照明灯の利用料が払えないとかで、一々試合後にスタンドで寄付を募るのとか、みっともない真似しないで欲しいんですよね。今年も入れ替え戦に廻る事になってから、遠征費がないとか言い出すんじゃないかと思って。あんな物はもう見たくないんですよ。どんなに頭を下げられても、私は絶対寄付なんてしませんよ。」

 もう、限界だった。物乞い同然の(なり)で、銭勘定は指の数だけの癖しやがって。

 「やったら、テメエの糞を婆ァにしたカミさんと、罰ゲームみてえなそのTシャツを質に入れて、金の工面ばしてやらんや。」

 怒りが罵声に着火しようとした瞬間、ビッグマックの背後に、クラブを訴訟問題から救ってくれた尾形さんの姿が見え、俺は間一髪で言葉を呑み込んだ。

 

 

 「東京から良く来てくれましたね。何時もアウェイでお世話になってばかりで。今日はホームゲームを存分に楽しんでって下さいよ。」

 

 

 奥さんと小梅ちゃんを連れて現れた尾形さんの快活な激励が、ビッグマックのグダグダな侮蔑を一瞬にして吹き払った。実業の世界で揉まれた、重厚な物腰から滲み出る、智力と胆力。品格と人徳が緻密に構築した本物の風格に、俺は改めて圧倒された。

 「向こうの連中は未だ、別件でガタガタ言ってきてるんですけど、なあに、返り討ちにしてやりますよ。」

 袖を捲った丸太の様な辣腕で、クラブにとって未曾有のトラブルを、尾形さんは軽妙に笑い飛ばしている。その隣で、女学館が乗っ取られようとしていた事なぞ全く知らされず、サウナに閉じ込められた海象(せいうち)の様に、首の汗をタオルで拭っている蚊帳の外のビッグマック。尾形さんと較べたら、俺もビッグマックも只の餓鬼だ。大人に成り切れずにスタンドで遊んでいる半端者だ。

 「今から横断幕を張るんですか?手伝いますよ。何時見ても凄いですね。コレ全部手描きでしょ。独りで全部描いたんでしょ。これだけの大きさの物を描こうと思ったら、場所を確保するだけでも大変じゃないですか。矢っ張り、手を掛けて作った物は違いますよね。迫力が全然違う。こういう物は業者とかに頼んで作らせても意味がない。業務用の大型プリンターで出力した横断幕は、幾ら綺麗に仕上がるとは言っても、所詮新聞のチラシと同じ印刷物ですよ。私もね、娘を教えてくれている先生の横断幕を作ろうかなと思ってたんですけど、これを見ちゃうと、業者に横断幕を発注した処で、業者が作った物を金を出して買うだけで、横断幕を本当の意味で自分で作った事にはならないんだなって思っちゃうんですよね。いやあ、本当に凄い。Jリーグのウルトラスの横断幕と遜色ないですよ。女子のチームの横断幕でこれだけの物は他に無いでしょ。」

 尾形さんに絶賛されても俺は戸惑う事しか出来ない。普段なら、この横断幕に見取れる余所のサポーターに幾ら誉められても、

 「俺の幕が凄いんじゃなくて、オマエ等が大した事ねえんだよ。」

 と笑い飛ばしている処だが、ドス黒い丁々発止(ちょうちょうはっし)を手玉に取る尾形さんの方が、こんな塗り絵のお遊び何かより遙かに偉大だ。

 奥さんと小梅ちゃんにも手伝ってもらってセッティングを始めると、スクール生の子達が歓声を上げて駆け付け、手摺りから身を乗り出して横断幕を覗き込む。初夏の陽射しに映える鉛丹の幕が一枚、復た一枚と広げられる度に、子供達は息を呑み、瞳が弾ける。あの日唯一の(まばゆ)い瞬間。横断幕をセットし終わると、尾形さんが神妙な面持ちで切り出した。

 「なかなか福岡に来られないじゃないですか。今度機会があったら是非一杯やりましょうよ。」

 社交辞令ではない改まった声の響き。その(うやうや)しい眼差しを何処かで見た気がした。そうか、そう言う事か。尾形さんの懐の深さが呼び覚ます交情。似てる。塩爺と。該博(がいはく)な尾形さんに対して、磊落(らいらく)な塩爺。その地脈は骨太の心根で通じ、がさつな声が、クシャクシャな皺が、大らかな体温が甦ってくる。俺は恐縮しながら、塩爺の前にいる時と同じ(くつろ)ぎと、拭い切れぬ気拙(きまづ)さを感じた。俺は尾形さんが思っている様な男じゃない。熱いコアサポ。そんな有名無実な肩書きで一目置かれ、期待される罪悪感。しかし、何時までも卑屈な己と乳繰り合っている余裕はない。

 時が来た。フェアプレーフラッグがスタンドの下から覗き、選手入場の準備が進む。俺は振り返って淀んだ大気のコアゾーンを見上げた。矢張り其処には、ビッグマックと愉快な仲間達がベットリと寄生している。逡巡している場合じゃない。分裂応援だけはしたくない。選手達にも尾形さんにも、そんな姿は絶対見せられない。屠殺場に出頭する豚の様に心を棄て、俺はその輪の中に足を踏み入れた。頭を雌に喰い千切られても交尾を続ける蟷螂の雄の様に、今は何も考えず我武者羅にやるしかない。

 コールリードをビッグマックに任せると、天性の音痴が矯正、改善されている筈もなく、後はもう全く応援の形にはならなかった。そうでなくとも、数で勝る杉並サポに、声量、統率された一体感、チャントのバリエーションで圧倒され、ネジ伏せられたホームの声援。ファールを厭わぬ杉並の選手達の強度にピッチを支配され、レベスタのドームが生み出す特有の音響効果で、屋根の鉄骨に乱反射し増長する、杉並サポの雄叫びにガラッガラのスタンドを支配され、ホームアドバンテージを強奪された。杉並の、杉並による、杉並の為の試合。女学館はホームゲームから完全に締め出されてしまった。それも本の数百人の客から、子供達から、そこそこなチャージを徴収していながらだ。

 ビッグマックはビッグマックでゴールを割られる度に一々沈黙した。スネアとスティックを持ったまま、脱力し垂れ下がってピクリともしない左右の腕。クラブの文句を放言していた時の元気は何処にもなかった。本来最も奮起し、選手を鼓舞しなければならないその瞬間に、意気消沈して正体を滅し、仲間達もそれに従った。無理もない。自堕落な肉体が物語る、逆風に押し流され続けた人生。図体がデカいだけで、窮地を打ち砕く武骨なぞ持ち合わせている訳がない。結局、後半の最後は、完全に声を失ったビッグマックを押し退け、俺がノンストップで声を張り上げた。何故こんな男に遠慮をしてしまったのか、後悔する暇もなく、試合は0:4で決した。最悪な結果。しかし、時間が来れば終わってくれるサッカーの試合は未だ増しで、生易(なまやさ)しかった。タイムアップなんて無い、落人達のふしだらな習性に較べたら。

 ホーム側バックスタンドのコーナーフラッグ脇で、背番号8、FWの結城が行き倒れになった子供の様に、大の字で腹這いに倒れている。只、芝生に()しているのとは訳が違う。ボールを蹴ってさえいれば、後は何も要らない、チーム壱のサッカー馬鹿。サッカーに関しては弱音どころか溜息一つ吐かない、サッカー愛の申し子が嗚咽(おえつ)する声すら失い、壊滅していた。心配して仲間が声を掛けても一切反応せず、時が死滅した様に全く動かない。凄絶だった。0:4と言うスコアなんて数字と記号の組み合わせでしかなかった。杉並の激しさにシュートを放つ処か、(くさび)の仕事さえさせてもらえず、潰され踏み躙られた90分。本当に打ち砕かれると人はこうなるのか。己を遺棄し、朽ち果て、いっそこのまま消滅してしまいたいのだろう。兎に角、全く動かない。クールダウンや片付けを終え、人の()けたピッチの彼方。打ち破れた光景の片隅に結城は突き刺さっていた。どうやったら彼処(あそこ)まで絶望出来るのか。こうなってしまうと、どんな優しさも相手を傷付けるだけで、他人の掛ける言葉なんて全く意味がない。俺は何も手に付かず、立ち尽くしていた。ビッグマックとその仲間達は結城の哀哭(あいこく)にすら気付かず、くっちゃべっている。そこへ、何の前触れもなく監督がピッチサイドから上がってきた。

 就任して以来、試合後スタンドに現れるなんて初めてだ。スタッフと混じってベンチの備品を運び、片付けの手伝いをしていた時の、惨敗を噛み締める鬼の様な形相とは打って変わった、静謐な面持ち。厭な予感がした。俺を見付けて真っ直ぐにやってくると、ビッグマックとその仲間達も呼び、最後の授業の様に語り始めた。

 「今日は本当に申し訳ありませんでした。総ては私の力不足による物です。今日の試合結果に関する責任は総て監督の私にあります。言い訳の余地はありません。その上でこれから話す事を聞いて下さい。私は選手に常日頃から、どんな相手、どんなカテゴリー、どんな試合で、自身と相手の力量がどうであろうと、上を目指して、ワンプレーワンプレー、チャレンジし続けなければならないと訴えてきました。監督として、独りの人間として訴えてきました。サッカーだけに限らない。人生の総てに於いて、前進し続ける意志を固持し、体現する事にこそ価値があり、それ以外に現状を打破する道はないと。チャレンジしないのならやる意味がないし、そんな事なら初めからやらなければ良い。それが判らないのなら、判る人材を外から連れてくるしかない。そう訴え続けてきました。しかし、今日の試合、見ての通りの有様です。対戦相手の気魄(きはく)に圧され、自分達のミスを恐れて、消極的なプレーの連続。否、消極的と言う言葉すら勿体ない。チャレンジ処かプレーする事を放棄して逃げ惑う。あんな物はサッカーじゃない。応援してもらう価値がない。この大事なホームゲームで、昇格の掛かった大一番で、応援しに来てくれた総ての人達の気持ちを裏切った。選手達は私の説いてるサッカーの根元的意義を理解し、実践してくれない。悔しいが私の言葉には限界がある。自分の言葉の軽さに、力のなさに幻滅しました。だからお願いです。君達から声を上げて欲しい。選手達の心に届く言葉で、今の儘では駄目だと伝えて欲しい。どんな状況にあってもチャレンジし続けなければならないと。選手が今日の様な不甲斐ないプレーをしたら、厳しい態度をとって欲しい。厳しい言葉を投げ掛けて欲しい。そうでなければ選手達の為にも成らない。今日の様な、応援してもらう価値のないプレーを続けていたら、本当に総てが駄目になってしまう。」

 対峙する者の胸倉を摑んで放さぬ、腰の据わった眼光。激情を捻伏(ねじふ)せる落ち着いた語り口と、褐色に灼けた精悍な肌から迸る、生身の迫力と苦悩。テレビの画面で成績不振の説明や、敗戦の弁を述べる、電解された音声や映像とも、試合の前後に掠める、「今日も宜しくお願いします。」「お疲れ様でした。」とか言った儀礼とも違う、捨て身の告発。監督の殻を破った、独りの人間が其処に居た。何の心の準備も出来ていない俺に肉薄する、裸の言葉。期待外れな自分自身と、貧乏籤でしかなかったクラブの限界を叫ぶ監督のSOS。酔った勢いで言ってるのではない。監督が俺達の目の前で(あお)ったのは劇薬だった。サッカーに取り憑かれた(おとこ)の修羅道に、俺は足を踏み入れていた。実家に愛娘を預け、単身赴任で地方の名も無きクラブを転籍し、何の後ろ盾もなく、毎年崖っぷちで指揮を執っている、殺気を帯びた監督の覚悟。

 俺にどうしろと言うのか。視野の片隅で結城は行き倒れた儘、総てを拒絶し微動だにしない。監督の正論が俺を責め立てる。監督の叩き付けてきた有りっ丈の想いに対して、打ち返せる物も、投げて返せる物も俺は何一つ持ち合わせていない。永遠に埋め込まれた、結城の死に体を引き剥がし、拳の様な言葉でその惰弱を叩き起こす。そんな権利が俺にあるのか。「次、頑張ろう。」「切り替えていこう。」そんな当たり(さわ)りのない言葉を掛ける事すら、今は恐くて出来ない、女学館という泥濘(ぬかるみ)の中で、誰も彼もが藻掻き苦しみ、打ちのめされていた。ビッグマックとその仲間達以外は。

 焦土と化した監督の生き様を目の当たりにしても、奴等はグッタリと、その場に群れ沈殿していた。弛緩した頬、グズグズに()けた瞳。瞼は辛うじて開いてはいるが、それはもう滑落する亀裂でしかなかった。ゼラチン質の微睡(まどろ)みをしゃぶる、だらしないその表情。俺はこの顔を、眼を知っている。

 俺の勤め先では元請けから紙で図面が送られてきた時、細部の原寸は三角関数や三平方の定理で弾き出す。CADで図面を管理する時代になっても、原理が判ってなければ話しにならない。処がそのイロハのイを説明をし始めると、ハローワークの紹介で中途採用された新人の大半が、この眼で俺をシャットアウトする。戸惑いでもなく、嫌悪でもなく、拡散した瞳孔から(ただ)れ落ちる白けた気分。早く終わってくれと訴えるでもなく、成り行きを傍観する余力すらもない、未来を阻止する、売れ残った(いわし)の様な眼差し。履歴書の最終学歴に大卒と謳ってあっても関係ない。学籍を金で買っただけで、中学高校で必修した数学の基礎すら儘ならず、中には習った覚えがありませんとまで言い出す、無資格、無経験、無気力、無体力の漂流物。職を転々としているだけで何も見出さず、始業時刻ギリギリに出社して、タイムカードを押しに来ているだけの、気配を消して会社にコソコソ寄生しているだけの抜け殻。俺も昔はこんな眼をして、所属している会社を世間を侮蔑し、しみったれた自己防衛に(ふけ)り、限りある若さを鈍磨していた。だからこそ、反吐(へど)が出る。

 日給六千円。赤黒く警備灼けしたビッグマックの額と頬に刻まれた、ヘルメットと顎紐の跡。赤灯を振るしか能のない、節も腱も血管も埋まるほどパンパンに肥え、赤子じみた手の甲。工事現場の最底辺で落ち穂を拾う最低賃金のパシリが、俺の隣でボンヤリとその思想と存在を完結している。試合も終わり一息吐いた筈なのに、駄々漏(だだも)れの汗にま(まみ)れ、腐食した貯蔵タンクの様に自重に負けた肥脂の塊。他の仲間はその背後に、富士壺の様に固まって息を(ひそ)めている。此奴等(こいつら)にとって、監督の哀訴は三角関数や化学構造式と同じ、意味不明で面倒でどうでも良い物でしかないのだろう。

 監督はサポーターに真のサポートを求めていた。しかし、誰からも声が挙がらない。身を切る様な言葉以前に、生返事の一つも漏れてこない。非情な温度差で区切られた沈黙の中、ワレセンが独り、組んだ腕を解かず、鶏ガラの様な躯を頑健に陽灼けした監督の脇に並べて、余計な数式を並べ始めた。フォーメーションや選手交代のタイミングについて斜に構えた質問や意見を繰り返し、総てを曝け出した監督に纏わり付く、壊れた戦術オタク。初めの内は丁寧に受け答えていた監督の眼差しから次第に、研ぎ澄まされた閃光と、ドスの利いた潜熱が奪われていく。そして、真逆(まさか)と思う間もなく、決意の結晶だった監督の瞳は、ビッグマック達の醸し出す薄汚れた倦怠に感染し、滑落する亀裂の底に溶け落ちていった。ワレセンの数式を浴びながら、適当に相槌を打ち始めたのは、最早、魂の漢ではなかった。徒労に打ち負かされ、燃え尽きた監督の鬼魄が、褐色の地肌と相俟(あいま)って敗戦国の焦土に視えた。監督の左右の瞳が在った処には今、二つの穴が空いている。その荒廃した空洞から外を覗き込むと、其処にはどんな世界が広がっているのだろう。監督の穴を通過した、見る為の物でない視線の先に俺はいる。恐らく、ビッグマック達と同じ、意味不明で面倒でどうでも良い物として。サポーターとか言う奇妙な連中の一人として。

 数式の止まらないワレセンを置いて、素通りする様に監督はピッチサイドへ降りていった。捨て台詞もなければ、引き留める素振りをする者すらいない。招かざる客が去り、コーヒー一杯で、開店から閉店まで居座る、他に行く処がない連中の溜まり場に逆戻りするスタンド。微かにホッとしている自分に気付いて、俺はゾッとした。数年振りのホーム参戦で見出したかった、マイクラブへの猜疑を振り払う切っ掛け。初めて単独応援した、あの時の昂揚を再生出来るかもと言う淡い期待がこの様だ。間接視野に深く抉り込む、行き倒れたままの結城。その脇に突き立つコーナーフラッグが、地の果てを印す標識に見える。永久凍土に閉じ込められた絶界。恐らく其処が俺と女学館の行き着く先だ。結城の小さな背中が暗示する、見捨てられた未来。その遙かなる荒涼が呼び覚ます、奇妙な懐かしさ。女学館と出会う以前、場末のスタジアムを誰とも交わらず梯子していたあの頃。緩やかな落下速度が(いざな)う偽りの安らぎが、試合後の疲れた身体に、そっと寄り添ってくる。廃線になった駅のホームで、来る筈のない列車を待っている錯覚。止め処なく漏れ(うつ)ろう随想。その片隅で何かがザラつき、割り込んできた。

 ビッグマックの背を盾にして隠れていた、顔の無い仲間達が首を(もた)げ、脱皮する幼虫の如くモゾモゾと(うごめ)き始めたかと思うと、湖の底に殺到するレミングスの様に、フェンス際の最前列に我先にと駆け降りていく。正体を無くしていた海綿体の(にわか)な充血。ピッチサイドとスタンドを繋ぐ階段を、覚束ぬ足取りで揺らめきながら誰かが上ってきた。真逆(まさか)、監督が戻ってきたのかと一瞬緊張が走る。しかし、俺達に監督が二の矢を放つ価値はないし、金魚の糞がビッグマックから鞍替えして、自ら矢の的になりに行く理由もない。奴等が群がる甘い蜜といったら、相場が決まっている。片足を引き擦るその足音で俺は気が付いた。

 階段を上がってきたのは、結城とツートップを組んでいたFWの横田だった。クールダウンは終えたのだろうか、ユニフォームも着替えず、手櫛一つ入れてない乱れ髪に絡み取られた、タイムアップ直後と見紛うばかりの憔悴(しょうすい)した面差し。身長170cm、グラビアから舞い降りた、サッカー選手には見えない、まろやかでボリュームのある扇情的な肢体と、亜麻色に揺らめくロングヘヤーで、チーム随一の色香を放つ、脂の乗った夏女が見る影もない。結城と共に杉並の獰猛な守備に捻じ伏せられ、惨敗のショックもあるのだろうが、それにしても何処か様子がおかしい。落人達に囲まれて階段の踊り場に立ち尽くした横田は、被災して焼け出された孤児か、入水しても死に切れなかった遊女の様に放心している。

 こんな試合の後だ、態々選手がスタンドに上がってくる必要など無い。男子の試合なら、怒りの治まらないサポの尻の穴に、火箸を突っ込む様な物だ。それなのに何故。監督が悲愴の告発で自爆したばかりだ。横田も又、吐瀉(としゃ)せずにはいられぬ、虫酸(むしず)まみれの真実に(さいな)まれて迷い込んできたのか。俯いた額を覆う、撓垂(しなだ)れて妖しさを増した乱れ髪の隙間から、虚ろな瞳が鈍い光を滲ませている。取り囲む落人を擦り抜けて、スタンドを彷徨(さまよ)うちぐはぐな視線。何かを求め漂うその切れ端が俺と交錯した瞬間、横田の瞳の奥に秘めた(ちい)さな(しこ)りが砕け、泣き疲れた様に真っ赤に焼け腫らした顔を伏せた。

 六月のアウェイ長野戦、何時も通り独りで横断幕のセッティングをしていると、試合前のアップでゴール前に現れた横田は、

 「絶対に昇格しますから。」

 とたった一言、脅しにも近い気魄で言い放ち去っていった。横田は今年で女学館を退団する。そう人伝に聞いていた。高校時代から絶える事の無かった怪我との闘い。試合後は何時も足を引き擦って、ロッカールームに引き上げていく。その膝は変形し、一生痛みが引く事はないと言う。所属していた名門クラブが消滅し、一度サッカーから身を引いた。しかし、体の怪我は癒えても、心の支えを失った横田を待っていたのは、無為に過ごす日々だけだった。そこへ手を差し伸べたのが、一部昇格を目指していた女学館だった。何故サッカーなのか。何故怪我を抱えてプレーするのか。その答えを横田は女学館で見付けた。サッカースクールでの子供達の指導を通じて、横田のサッカー観は生まれ変わったという。新しい一歩を踏み出す為の退団。最後の一年に賭ける決意で凝結していた(つぶ)らな瞳。それが今、粉々に打ち砕かれ、濡れそぼつ髪の茨に覆われて、光を失い眼窩(がんか)に没している。

 「済みませんでした。」

 横田の唇が微かにそう動いた。しかし、取り囲む落人達の熱気とワレセンの喚き始めた数式に阻まれて、掠れた声すら聞き取れない。横田の心神は完全に座礁している。それなのに連中はお構いなしだ糸の絡まったマリオネットにしか見えない、ワレセンの身振り手振りのアドバイス。隣では七三分けのオヤジが横田の頭を撫でながら、乱れ髪から覗く耳元に赤ちゃん言葉で慰め、横田の足許に屈み込んだ傴僂(せむし)は、膝の状態を頻りに尋ねながら、()れた長い足を淫らな視線で舐め回し、そこに根も葉もないクラブ批判を引っ提げて、ビッグマックが割り込み、残りの連中も思い思いに欲情を振り乱している。

 俺は余りのおぞましさに後退(あとずさ)った。横田は自分を取り巻き絡み付く魑魅魍魎(ちみもうりょう)をガン無視し、微動だにしなかった。今日の試合で犯した罪に対する罰を受けに現れた女を、(なぶ)り尽くす愚か者達。俯いた儘の横田の虚ろな瞳は、単に惨敗を謝罪しに来たのではなく、この俺に八つ裂きにしてくれと訴えていた。不甲斐ない自分を責め苛む事にしか救いを見出せず、落人達の解放区に迷い込んだ、極刑を志願する独りの亡女(もうじょ)。その絶望に付け込んで、一匹の雌に折り重なる発情した蟾蜍(ひきがえる)。矢張り此奴等(こいつら)は女学館という泥船に空いた、パンツの穴だ。この穴を塞ぐのが俺の仕事なのか。

 俺は底が見えない悪夢を見捨てて、掻き毟る様に横断幕を片付けた。一体このクラブは何処まで呪われているのか。結城は地の果てで土に帰り始めている。他の選手達もロッカールームで倒れた墓石の様になっているのだろう。昇格の目が消えて腹の虫の治まらないカンクローの売り言葉を、監督が安く買い叩き、その廻りでリーグ戦ごっこの後片付けをする、ユースの子供達の姿が眼に浮かぶ。マッチコミッショナーは今日の試合運営を、どうリーグに報告するのか。尻窄みの観客動員でスッカスカのスタンドにリフレインする、

 「応援する価値がない。」

 と言う監督の言葉。このクラブが放つ負の引力に巻き込まれて、何もかもが幻滅していく。そこへ、

 「お疲れ様です。」

 杉並サポが充実した表情で試合後の挨拶に現れた。今シーズンの遠征で最も気合いの入った試合での大勝。その余韻を噛み締めながらも、アウェイの現場と言う事もあり、浮かれた処を見せる事はない。後発のクラブでありながら、充実した組織力と機動力を誇る、女学館の寄生虫とは較べるべくもない、折り目正しきウルトラス。関東の現場でしょっちゅう顔を合わせている事もあり、気心も知れていると言うのに、そんな真っ当な姿が、今は嫌味にしか見えない。

 「勿体なかったですよね、前半終了間際の三点目。あれが無ければ違う展開だったと思うんですよ。立ち上がりから凄く飛ばしてたんで、内の選手達、後半はペースが落ちましたからね。あの三点目か無ければなあ。ちょっと余計でしたね。」

 と、気遣って言葉を選んでいるのに、

 「全部余計だよ。」

 その優しさに噛み付いた勢いで、俺はその儘スタンドを後にした。この場から逃れたい一心で力任せに引き擦る過積載のキャリー。ドラムと横断幕に押し潰されて、ベアリングが年老いた驢馬(らば)の様に悲鳴を上げる。エントランスホールを抜けると、瑞々しい初夏を謳歌する真っ新な空が、リーグの理念やクラブのスローガンの様に、真っ赤な嘘っぱちに見えた。スタジアムを頂く東平尾公園の高台。坂道が掻き分ける新緑の狭間を、空港の滑走路が横切っていく。そのギラついたアスファルトの動線を越え、御笠川を跨いだ先で霞む、小学校を卒業するまで暮らした板付団地。ジャンボジェットの爆音に振り返っては、東平尾の丘の稜線を眼と指でなぞった幼少の日々。その頃は未だ公園も整備されず、スタジアムの青写真すらなかった。アッと言う間の半生。遙かなる眺望。それを今こうして見返しても、“我が心の福岡”なんて何処にも見当たらない。何を遣っても手に付かず不貞腐(ふてくさ)れた日々を呼び覚ますだけで、現に今日も復た一つそれが増えた。二十年も前に此処を棄て出て行ったのに、その一度ケチの付いた物に、未練がましく擦り寄った俺が馬鹿だった。

 空港に辿り着いても、待っていたのは、勝ち点三と市内観光で福岡を満喫した杉並の選手達が、手荷物検査の列で上げる黄色い声。しかも、その輪の中心にいるのが、3アシストを決めた突貫小僧で、カンクローと喧嘩別れして女学館から出て行った上條なのだから、気が利いてる。俺は耳を塞いで構内を彷徨(さまよ)った。愉しい週末を過ごした人混みの賑わいが、総て杉並の選手達の笑い声に聞こえる。負けるとは、どの道こう言う事だ。

 東京へ戻る空路。窓の外で福岡市街の夜景がゆっくりと旋回する。地方の勝ち組が放つ実り豊かな灯火に、もうこれで見納めなのだと明滅する雑感。狭い座席にくるまって機体の微動に身を委ねると、報われる事のない疲れが染み渡る。結城は自力で立ち上がる事が出来たのだろうか。檻の壊れた闇の動物園は横田を解放したのだろうか。砕け散った硝子細工のチームを、監督は素手で掻き集めるのだろうか。カンクローはその内、尾形さんの恩を仇で返すのではないだろうか。乗っ取られて代表の首を()げ替えた方が、増しだったのではないか。幼き頃から母親に吹き込まれた、人の世を蔑む禍々(まがまが)しい忠告が、総て正しかったかの(ごと)き、女学館との泥仕合を予告していたかの如き、クラブを巡る()まわしき陋劣(ろうれつ)と応報。その阿鼻叫喚に共鳴している俺は、女学館に出会う遥か以前から、自分の内にこの原罪を宿し、育んでいたのだ。女学館とはこの俺の宿痾(ぺすと)だ。

 「にくじゅうやもん。にくじゅう。」

 窓硝子に反射する、母親に生き写しの細面が、硬直した死相で()えた(まじな)いを俺に吹っ掛ける。所詮サッカーも世間を映す鏡でしかないのに、サッカーで俺は生まれ変われる、とか逆上(のぼ)せた挙げ句、盃を交わした訳でもないのに、勝手に裏切られた気になってるのだから、独り(よが)がりにも程がある。そんな風だから、何処へ行っても、さよならを告げる相手すら居ないまま、白紙の履歴書だけを持って去っていく、余所者なのだ。眼下の灯火が途絶え、俺と女学館を流産した街が闇に呑まれると、俺はリクライニングに身を投げ、澄ました面で俺をシカトしている、アイボリーの低い天井を仰いだ。耳鳴りとユニゾンで機内を満たすジェットの呻吟(しんぎん)。脱力した四肢が重力に(たら)し込まれて、エコノミーのボソボソとしたクッションに羽交い締めにされると、後はもう、機内サービスの呼びかけに、首を(すく)める事すら出来なかった。

 

 

 

 途切れ途切れの輪郭線を伝って、聞き覚えのある(ざわ)めきが忍び寄ってくる。霞がかった白想に(ほの)めかす反復と階調の断片。その(さざなみ)が次第に語気を強めて高まり、主審の鋭利なホイッスルを合図に、荒削りな旋律と激甚なる鼓動が、胸倉を摑み合いながら、一気に怒鳴り込んできた。

 覇を競うチャントの応酬に一発喰らって、ジットリと握り込んだ液晶画面に引き擦り落とされる。ただの悪い夢なら眼が覚めればハイそれまでなのに、あの日のレベスタは、ストラップにブラ下がっているクラブマスコットの様に、心の何処かに引っ掛かったまま宙に浮いている。其処彼処が擦り切れ、頸の千切れ掛かったオレンジの女猿。小首を傾げて俺を覗き込む(つぶ)らな瞳は、(やつ)れたその身を顧みず、ズタ襤褸の追憶から保釈されて零れた苦笑いを、片言で慰める。

 ベリベリに強張った肩胛骨の裏側。首筋に浮いた汗を汗が拭い、酒精の切れた舌と喉が漆の様に粘付(ねばつ)いている。電光掲示板に眼を遣ると、既に後半40分。ここからが書き入れ時の西が丘は、息を吹き返していた。

 DFを背負ってターンする、二重登録のプリマドンナ。サイドチェンジの放物線が夜空に虹を掛け、GKのパンチングに星屑が弾ける。キャプテンマークの黄色いタクトが勝利への猜疑と妥協を振り払い、テクニカルエリアから火語(ひご)を放ち、監督は檄文のアリアを舌焼(ぜっしょう)する。ホイッスルを(くわ)えて選手達の影を擦り抜けるポニーテールの黒豹。シュートがクロスバーを掠め、思わず中腰になる人々。万雷の手拍子が運命の扉を叩く、千夜一夜のクライマックス。スマホを弄っている警備スタッフ、腕を組んだまま永久凍土に埋め込まれた代表監督、申し訳程度に席種を区画している虎ワイヤに、引っ掛けられたままのタオルマフラー、チラホラと紛れている欧州のクラブユニ、シートの下に落ちたマッチデーの背表紙までもが鮮やかに息吐いて、この試合を祝福している。暗礁にしがみついて、荒波に(なぶ)られているだけだった福岡のホームゲームとは、現場の純度が全く違う。交代カードを総て切り勝負に出ているレイズと、女王の遺伝子が発動したエレーラ。一瞬にして攻守が輪転する、エスメラルドと紅き金剛石の万華鏡は、まるで未来を覗き見ている様だ。

 レイズの藤見は足が痙攣しているのに、心配して駆け寄るチームメイトを逆に怒耶躾(どやしつ)け、マークに付く相手を指示している。消化試合の眼の色じゃない。元から心で五号球を鷲摑みに出来るほど気持ちの強かった選手が、名門チームの主将を務めているのだ。試合中、自分の肉体の変調になぞ構っていられない。西が丘に取り憑かれた魔女が足を引き擦りながら、GKへのバックパスに喰らい付いていく。俺は足が攣るまで走った事なんて一度もない。ましてや、軟骨が擦り切れるまで、骨格が変形するまで何かに打ち込む事なんて、これから先も一生縁がないだろう。GKが藤見を軽くいなして、CBの間に降りてきたボランチにパスを出すと、ターンしようとした藤見はオーバーフローした乳酸の泥濘(ぬかるみ)にバランスを崩した。その姿が、試合後に何時も膝を(かば)いながら引き上げてくる、女学館の横田と重なり、倒れまいと咄嗟(とっさ)に伸ばした、キャプテンマークを巻いた藤見の右手が、刈り揃えられた夏芝諸共(もろとも)、俺の(かし)いだ心を突き飛ばした。サッカーは美しい。それなのに、この星が産んだ宝物を、俺は汚し続けている。

 項垂(うなだ)れて盗み見る汗ばんだスマホの液晶画面。贔屓(ひいき)にしている佐賀サポが知らせてくれたサイトをチェックすると、落人達の断末魔が相も変わらず(せめ)ぎ合っていた。

 

 

 

 ###### あの土人まだいたの?  ###### きたああああああああ永久追放きたあああああああ  ###### ドラム叩きながらファビョってる時点でチョン確定  ###### やっぱ奇無知なんだ  ###### アホーターの鑑  ###### ドサ廻りだけやってろ  ###### 勝手に福岡に来んな   ###### 基地害包茎&童貞ネトウヨの仕業  ###### バ監督と佐賀にハネムーンですか ###### 

 

 

 

 コンビニの棚に並ぶ弁当やペットボトルの様に、二十四時間態勢で律儀に補充されていく負け惜しみ。俺は画面をスクロールし、排水溝を遡上(そじょう)する便所蟋蟀(こおろぎ)の様な、フォントの集積を読み飛ばしながら、ドブ板の主を追う。書き込んでいるのは皆、先月、杉並にボコられた現場で闇の動物園とは距離を置き、身を屈め、個々に散在していた落人だ。連中が投棄する誹謗中傷の元ネタは粗方(あらかた)俺のSNSで、関東に在住してるのなら、都内やその近郊のスタジアムを梯子している俺を徹底的にリサーチし、ある事無い事書き立てていても良さそうな物だが、足で稼いだスクープが一つもないのを見ても、俺がネットに垂らした蜘蛛の糸を、我先にとよじ登るクレイジークレーマーは、100%福岡定住者だ。飛語(ひご)のインフレは高止まりしてはいる物の、枯れ木の賑わいだったレベスタとは懸け離れた、濃厚で執拗な熱気で、ここは()せ返っている。現場では、息をしてるのかすら判らぬほど大人しい癖に、藪の中で活性化する蚊の様に、物陰から一斉に闇討ちするのだから、生き物って面白い。俺を扱き下ろす為に(ほとばし)る、知的武装すら脱ぎ捨てた、一糸纏わぬ裸の言葉が、恥部を曝して痙攣する、露出狂の恍惚でギラ付いている。

 ネットの陰口は蜜の味だ。初めてブログの掲示板を荒らされた時の官能を、俺は絶対に忘れない。備忘録程度に付けていた遠征記に、突然、書き殴られた日本語の残飯。

 

 

   ### オマエの応援で逆転出来たとか

 

 ### 勘違いすんな

 

     ### シネ

 

 

 それは偉大な一歩だった。自らを(おとし)めるだけの幼児退行した捨て台詞に、俺は眼を見張った。仮想空間の対岸で振り回す折れたサーベル。自分が真似したくても出来ない偉業に対する、赤裸々なアレルギー。お気に入りの選手のリスペクトを独占したい。その為には現場で体を張った応援をし、スタンドの絶対王者になるのが最短距離だ。現にそれを実践してヨロシク遣ってる奴が居る。それなのに、自分はそんな体力も気概も持ち合わせていない。惨めな現実を直視出来ぬ雑魚の御乱心。呑み込む事の出来なかった獲物を、蛇が吐き出す様に産み落とされた、消化不良の自己同一。ギタギタの胃粘膜にまみれて地邊田(ぢべた)を濡らす、他人の成功を認める勇気のない、反転した憧れの成れの果て。劣等感を頭と心で解体処理出来ない弱者の神経発作が、掲示板を掻き毟り、黒く塗り潰す。通りすがりの中傷や、軽率な悪戯書きの類では決してない。一言一句が呪いの血判。紛れもないアンチの誕生だった。

 死んだ犬に蚤は(たか)らず、マル査はホームレスをガサ入れなんてしない。アンチの執拗な攻撃は栄光の証だ。アンチにとって俺は超人だった。アンチがへし折り、剥ぎ取ろうとするまで、俺は自分に翼が生えている事に気付かなかった。上が在れば下が在り、下には更に下が在る。アンチの卑劣な自傷行為は、現場で選手や関係者から捧げられる感謝や称賛では味わえない、コクのある優越感で俺を魅了した。生まれて初めて、他者の屈折した敗北宣言によって、俺が勝者として存在する事が証明された瞬間だった。

 便所の落書きは、俺が遠征を重ね、ブログをアップする毎に筆圧を上げ、類は友を呼んで増殖し、クラブのホームページから、選手のブログ、2ちゃんに到るまで、女学館に関わるあらゆる掲示板に転移した。汚水の棒振(ぼうふら)の様に湧いて(ひし)めく狂言とヒステリー。顔のないコメントが講釈するレジスタンスの紙芝居で、俺は人に(あら)ずと喚き散らされ、名指しで、実名で、寸足らずの汚名を着せられては、フルチンになるまで切り刻まれる。

 それは不思議な感覚だった。まるで(はりつけ)にされた救世主の法悦。その三文オペラは俺にとって、単なる下衆(げす)の空騒ぎではなかった。何せ、俺に殴られた訳でも、面と向かって(なじ)られた訳でもなく、東京と福岡で物理的な接点がないにも拘わらず、奴等は俺にゾッコンなのだ。連中は俺の預言を待っている。俺の何気ない溜息にすら、アンチ共は速やかに発症する。試合前日の準備、開門前のスタジアムのスナップ、帰りの新幹線の駅弁から仕事の愚痴、俺が履いてるデニムの縦落ちに到るまで、逐一チェックして否定し、喰らい付いて放さない。アルミ缶を拾い集める浮浪者の様に、SNSに投影される俺の残像を断片を痕跡を掻き集め、俺の負の虚像を天まで届けと再構築しては、奈落の底に叩き落として破壊する。邪神に熱狂する異教徒の様に。

 連中は俺の総てが許せない。最早、俺の事を無視する事も忘れる事も出来ない俺の(とりこ)だ。俺の存在が奴等の自我に(えぐ)り込んで膨脹、圧迫し、意識を占拠して、制御不能の衝動で支配する。どんなに過激で凶悪な言葉を吐こうと、隷僕(れいぼく)のマゾヒズムに自発的な意志なぞない。憎しみの正体を知らない宿主は、愛欲と同じメカニズムで自我を見失い、脳に特定の蛋白質を注入された竈馬(かまどうま)が、針金虫に操作されて、魚の餌になる為、河や池に飛び込む様に、俺に前倒(のめ)り込み、前倒(のめ)り込まれていく。明け渡された自我に埋め込まれた俺の分身は、掲示板を埋め尽くすアンチの数だけ拡散して生い茂り、その背乗(はいの)りされたマリオネットとマリオネットが菌糸の様に絡み合うと、俺を扱き下ろす筈だったネットワークが、神経回路の様に連鎖して明滅しながら、俺の肉体を超えた新たな俺の自我を編成し、情報と人倫で混線した座標軸を走査して、独立歩行する。姿形を必要としない、俺以上の俺が其処に現れ、発動し、肥大していく。

 会社勤めを隠れ蓑に、本の数年前まで世捨て人同然の暮らしをしていた俺にとって、己とは死守すべき一握りの固形物だった。如何(いか)に身を固めて、外部からの干渉や攻撃を()退()け、堪え忍ぶのか。それしか頭になかった。己とは薄弱な意志が決壊するのを食い止める為の、殻であり、壁であり、盾なのだと信じていた。アンチが触媒となって限定解除するまでは。

 懲役紛いの仕事をサバイヴして帰宅すると、干涸らびた臓物をキンキンの酎ハイで(そそ)ぎながら、俺は毎晩、荒らされている掲示板を、一枚ずつモニターに張り出していった。同時多発的に折り重なり広がっていく、己の分身の波紋を眺め、自我に限界は無いと言う妖しい幻想に時を忘れ、生きた心地を取り戻した。自他を隔てているのは薄い素硝子の被膜だけで、一旦踏み砕いてしまえば、何処までも他者の自我に土足で乗り込んでいける。そんな愚考に心が湧いた。俺は正しかった。間違ってなかった、とすら思った。

 それが先月福岡に遠征して潮目が変わった。自らを呪って黄泉(よみ)の洞穴から漏れ出ずる亡者達の虫の息を、今の俺はもう嘲笑う事が出来ない。俺は気が付いてしまった。露出した恥部を振り乱して書き殴るアンチの表現衝動は、或る意味、純粋で偽りが一切ない情熱の結晶だ。幼稚な語彙も、へし折れた理屈と性根も、的外れな脅迫も、あるがままに排泄されて、生理の域に達している。掲示板の裏側で姿は闇に隠しても、心は闇まで曝している。選手や塩澤夫妻や仲間の前で、クラブやサッカーを愛しているフリをしている俺より正直で、奴等の憎しみには打算も脚色もなく、込み上げた物をストレートに吐瀉している分、腐った物を溜め込んでいる俺より遙かに健全で潔癖だ。湯気を立てて飛び散ったその反吐の煌めきが、今は只管(ひたすら)眼に滲みる。

 俺は画面をスクロールして邪気を払った。何時もの癖で、又、自分の墓を暴いて鬱勃起し始めていた。土にすら帰れない自分の亡骸に突き当たって、其処で行き止まりと判っているのに、ついつい掘り下げて潜り込んでしまう。本当に悪い癖だ。アンチ共の群棲する(かげ)の棲みかを駆け下りていくと、車座の中心でビッグマックは吠えていた。

 

 

 

 ### 私はあの男の横暴を絶対に許しませんよ。サポーターの風上にも置けない。完全にイエローカードです。大切な仲間を守るために私は戦い続けます。 ###

 

 

 

 座長の上げる狼煙に鬨の声を上げるアンチ共。あの男とは、仲間を護ると豪語する熱血漢を害獣指定した俺の事で、一人でも多くの賛同者を掻き集める為に奴も必死だ。俺に面と向かって、

 

 

 

  ### 皆が皆、お前みたいに何でもバリバリやれる訳じゃないんだよ。そんなにガチで応援したいんなら、男子の方で遣りゃ良いだろ。お前みたいなのがいると迷惑なんだよ。鬱陶しいんだよ。 ####

 

 

 

 と、言い放つ事も出来ず、スタンドのシートに擬態して生体反応を消している奴等を幾ら揃えた処で、自分の身を、地位を護る人の盾にはならないのに、御苦労な事だ。藁や木の枝で家を建てられると思っている豚は、狼の餌でしかない。生まれて初めて手に入れた、リーダーという名誉に浴していたいのは判るが、これ以上泳がせておく訳にもいかない。豚が遊べるプールはない。本当は今すぐにでも首に縄を掛けて、産廃か屠殺のトラックに引き渡したい処だが、俺はひとまず、ビッグマックが大切な仲間と呼んでいる男の方がどうなっているのか様子を見る為、別のサイトに飛んだ。何しろ、そっちの方が水辺の豚より厄介だ。身の危険を察知したビッグマックは、正気とは思えぬ代物に手を出していた。

 

 

 

 ### なぜ通報しない ### レベスタのナイトゲームの後に人気のないしげみに連れ込もうとしたりするらしい ### アウェイでも良く見かける代表戦にもいた ### おぞましいの一言 ### その内小学生の女の子とかさらっちゃうんじゃないの ### そいつの金玉にGPS埋め込んで監視すべし ###

 

 

 

 移動した先の掲示板も呆れるほど盛況だった。アクセスしているのは俺のアンチではなく一般のサポで、日に日に熱と量を増し、騒ぎがデカくなっている。書き込みの中に張られたリンクを覗くと、新たに発覚した案件が詳細に報告されていて、鎮火する気配は微塵もない。

 

 

 

 

 ##### 〈この男をスタジアムで見たら要注意〉

 

 先日私がベアスタで被害を受けた、女性サポーターに対し不快な行動を取る挙動不審な男の特徴です。多くの女性サポが迷惑しています。拡散希望。

 

 

・福岡在住

・26歳

・福岡サポーター(場合によっては余所のクラブのサポにも偽装する)

・レベスタを中心に福岡とその近県のスタジアム(特にベアスタ)に出没。

・眼鏡の上になぜか青いサングラスを重ねてかけている

・アゴがしゃくれている

・発育不良の茄子みたいな顔

・女性サポーターしつこく声をかけ、試合後スタジアムを出ても追い回してくる。

・周りからは「捨吉」と呼ばれている。捨てられた猿みたいにオドオドしているから。

 

 

とにかくしつこいです。試合と関係あることないこと、何かにつけて話しかけてくる。特に部活は何をやっていたのか、そのときのユニフォームはタンクトップ?ブルマ?とか聞いてきたときの鼻息は相当なものでした。

 

試合後、あれだけシカトし、邪険な態度をとり続けたのに、

「ホテルどこ?天神?博多?一緒に帰ろうよ。」と言ってきてビックリ。

 

「友達とこれから合流するんで。」と強い口調で断り走って逃げました。それでうまく撒いたなと思っていたら、博多行きの電車の中で、一緒に乗ってた友達の鳥栖サポが降りた途端、いきなりどこからともなく現れて隣に座ってきたときには、さすがに鳥肌が立ちました。

 

完全にストーカーです。変質者です。サイコです。

 

シカトMAXでメールうってるのに、下から顔を覗き込んで話しかけてくるから、「いいかげんにしてよ。」って車内に響くくらいの大きな声で怒鳴ったのに、ニコニコ笑ってて本当に異常です。まともな頭ならまずいなと思って立ち去るところなのに、そんな感覚のないこの男には全く通用しません。

 

幸い博多駅の手前の駅で降りていきました。博多のホテルまでついてこなくてほんとに助かりました。

 

私が受けた迷惑行為と同じ事を多くの女性サポに行った事実が次から次へと発覚しています。中にはスタジアムのある公園のしげみに連れ込まれそうになった女子サポもいるそうです。

 

福岡とその近隣のスタジアムに観戦に行く女性サポーターは試合後の一人歩きは避けた方が良いです。友達や知り合いと一緒か集団の中に紛れて帰るようにしましょう。あの男は本当にヤバイです。何かあってからでは手遅れです。身の危険を感じたらすぐに大声を上げて通報して下さい #####

 

 

 

 とてもじゃないが最後まで読み終える事が出来ず、俺はページを閉じた。存在その物が軽犯罪の青いサングラス。パンツの穴を地でいくモンゴロイドと言えば、心の底から認めたくないが、あの男以外有り得ない。現場でこれ位の事をやっていても不思議じゃない。初めて奴に遭遇したのは女学館の昇格初年度、トップリーグ初白星を飾ったアウェイの神戸戦。村里がセンターサークルの脇から叩き込んだ40mオーバーのFK。その伝説の一撃に掻き消されて、日陰者の残像は記憶の彼方に葬られていた。それが今、ネットのタレコミに炙り出されて、焦臭(きなくさ)く甦る。

 当日、枯れ枝の様に萎びた節々をガシャガシャと動かしながら、初期不良のC-3POがスタンドに現れた。三半規管と連携出来ない、フラフラと傾いだ体幹から繰り出される不審な挙動。代表のウルトラスグッズで身を固め、どういう(こだわ)りか知らないが、眼鏡の上から大振りのグラサンを掛けている。薄いパールグレーのレンズを合わせた青いフレームは、眼鏡のフレームとバッティングして当然据わりが悪く、髪を掻き上げながらズレ落ちるグラサンを頻りに直していた。復た一人、スタンドに迷い込んできた奇怪(おか)しな仲間。それが捨吉だった。挨拶も早々に手書きのメモを差し出し、しゃくれた下顎から零れ落ちる吃音混じりの幼稚な滑舌で、捨吉は一方的に話し始めた。

 「これ考えてきたチャントだから、今日これでやるから。選手のも全員分作ってきたから。ピッチ練習の時はこれで、選手入場はこれで、攻撃してる時はこれとこれとこれで、ゴールが決まったらこれで、ビハインドの時はこれで、後半のロスタイムに入ったらこれで、試合が終わって選手が挨拶に来たらこれで。それから・・・・」

 歌詞カードのつもりらしいが、何と書かれてあるのか(ほぼ)読めない。一応日本語の片鱗はある物の、メモ用紙の上で感性の煌めきも、繊細さの欠片もなく垈打(のたう)つ、無教養な黒い糸蚯蚓(いとみみず)。「書は人なり」という言葉を持ち出す事すら的外れなレベルで、取り敢えず捨吉が頭も体もポンコツなのは良く判った。

 新しく作ったチャントを歌わせるのに、手書きの紙一枚で済ませようとする奴は、絶対相手にしては駄目だ。当人が気に入っていると言うだけで一般性のない歌、覚え難いメロディー、ブレスにゆとりが無く、馬鹿みたいに音域が広くて高いキーが歌えず、同じフレーズを数種類の歌詞で繰り返す為に順序を間違い易いとか、そんな思慮の浅いチャントを粗造乱造するアーティスト気取りが、ゴール裏にはゴロゴロ居る。パソコンの内蔵音源で良いからボーカルと伴奏を打ち込み、USBメモリにコピーするなり、CDに焼いて持ってくるなり、ネットにアップするなりしてくれば貸す耳もあるが、スリーコードの一つも握れなければ、音叉でチューニング出来る耳すら持ち合わせず、ジャズとブルースの違いも、転調も変拍子もシンコペーションも知らない、音楽とカラオケを混同してる輩の、五線譜とは無縁の鼻ッ紙に、鼻歌をメモしただけのミュージシャンごっこに、愛想笑いを振り撒く義理はない。

 「そういうのは余所行ってやれ。」

 俺が速攻で却下し、フロアタムのセッティングに手を付けると、捨吉は逡巡(たじろ)ぎ、水鉄砲の様な玩具のトラメガをバッグから取り出して、震える手でああでもないこうでもないと、所在なげに弄り始めた。

 福岡のサポから、ビッグマックの前にリーダーを務めていた奴が、今名古屋の方に転勤していて、神戸の試合に来るらしいという話は聞いていた。その遠慮がちに話す素振りに何かあるとは思っていたが、盆暗(ぼんくら)にも程がある。(およ)そ人の上に立つ器じゃない。分数の足し算辺りで止まっている知能。思春期を空振りした貧相な骨格。大気に揺らめく薄弱な表情と奇矯な仕草。夜中に冷蔵庫の裏を嗅ぎ廻っている仔鼠の方がよっぽど落ち着きがある。名古屋に転勤とか言っているが、会社勤めをしているのかすら怪しいタマだ。

 試合中、捨吉が玩具のトラメガを振り回してコールリードを執ろうとしても、

 「今、それ処じゃねえんだよ。引っ込んでろ。」

 と、その都度土竜(もぐら)叩きの様に一喝し、俺は相手にしなかった。実際、村里のFKが炸裂した後は本当にそれ処じゃなかった。俺はノエスタで虹を見た。後半残り時間5分。23と圧着プリントされた背中から解き放たれた五号球が、開閉式ドームの屋根をなぞる様に弧を描きながら、七色に煌くのを見た。あの日はそれが総てで、捨吉なんてどうでも良かった。

 その後、福岡のJのウルトラスが、

 「捨吉と内とは無関係です。奴はウルトラスでもなんでもありません。」

 とブログで警告してるのを見付けて、帰福した捨吉がレベスタで女子サポに声を掛けまくっている事を知り、さもありなんとは思ったが、それ以上穿鑿(せんさく)する事はなかった。名古屋の転勤から戻ったとか言ってるらしいが、どうせトヨタの下請けの工場に住み込みの日雇いで飛び込んだ挙げ句、体良く契約を切られたのだろう。先月、レベスタで久し振りに顔を合わせた時は、

 「今日はヨロシクお願いします。」

 と二年前の神戸戦の時とは打って変わって、改まった態度で頭を下げてきた事もあり、少しは落ち着きが出てきたのかと思っていた。名古屋に居た頃の捨吉が偶に関東の試合に紛れ込んでいるのは知っていた。去年の皇后杯の決勝、神戸の手伝いをしている時には挨拶に来て、何やら構って欲しそうにしていたが、天皇杯とのダブルゲッターでケツが詰まっている分、現場は天手古(てんてこ)舞いで相手にしなかった。俺が女子の代表戦の裏方で立ち回っているのを遠巻きに眺めていた事もあり、どうやらそれで俺に対する見方も変わり、殊勝な態度を取るようになったらしい。一応釘を刺しておくつもりで、

 「テメエ、何しに来やがった。今日がどういう試合か判ってんか。女を引っ掛けてえんなら、百道浜(ももちはま)で蟻地獄穴でも掘ってろ。余計な真似してんじゃねえぞ。良いか、今日は一日大人しくしてろ。判ったや。」

 と突っ撥ね、後は一切口を聞かなかった。その甲斐あってか、捨吉はスタンドの隅で地蔵に徹していた。俺は試合中も試合後も捨吉の存在なぞ忘れていた。処が、

 

 

 「六月に鳥栖でやったなでしこの試合の時に、眼鏡の上に青いサングラス掛けてる変な奴が居たんだけどさあ、ニュージーランド戦。福岡の奴みたいなんだけど、知ってる?ネットで騒がれてる奴とそっくりなんだよね。」

 八月頭の飲み会で来月の代表戦の話しになった時、岩井さんが不意に切り出した。六月の鳥栖での代表戦は平日のナイトゲームで、俺は現場には行ってない。まさかと思う間もなく、隣にいた湶さんに飛び火した。

 「もしかして、あの気持ち悪かった人?ドラムやってる千葉の南ちゃんと内の中井ちゃんにしつこく絡んできて、本当にしつこいの。他にもゴール裏に来てた女の子に声を掛けてて。九月にもなでしこの試合あるでしょ。長崎で。それにも来るの?とか聞いてた。何、知ってる人なの?」

 網膜から血の気が引いて、視界が本当にブラックアウトした。女学館のゴール裏に出入りしている奴だとは口が裂けても言えない。ここまで重症だと知っていれば、先月のレベスタで現場の敷居を二度と跨げぬ様、蜂の巣にしていた物を。協会の不手際で、九月の代表戦は丁度二部の最終節と重なっている。代表の現場に行ければ捨吉を簀巻(すま)きにしてやれるが、女学館の試合に穴を開ける訳にはいかない。例え昇格の可能性が消滅し、最終節が消化試合になってもだ。

 底引き網の様な人生を送ってきたのだろう。容姿が無様で内面が卑しい、異性が拒絶する要素を総て兼ね備えた捨吉は、DNAレベルで不幸な男だ。これから先も劣化し続ける奴の人生と人格と病状が、このまま軽犯罪の範疇で留まってくれるとは、とても思えない。詰まったドブは(さら)わなければ溢れ出す。女学館の試合に出入りしているサポと名の付く奴等に、捨吉が危険人物として指名手配されている事をメールやSNSで尋ねても、村里と麻木の退団の時の様に煮え切らない答えしか返ってこない。捨吉がスタジアムの内外で猟奇の極みを演じている事を、連中は常日頃から目の当たりにしていた筈だ。何でそんな奴を現場から摘み出さないのか咎めても、

 「ウルトラスがブログで注意勧告してるから、それで十分なんじゃじゃないの。」

 等と、未就学児紛いの言い逃れを取次筋斗(しどろもどろ)に繰り返すばかりで、完全に他人事。俺がどんなに声を荒げても、SNSのアカウントが乗っ取られて今は連絡が出来ないと、シャボンの泡みたいな嘘を言い出す、人の形をした蒟蒻(こんにゃく)や、相も変わらず引退した堀内から乗り換えた“はるる”の話ししかしない、寝惚けたカナブンを相手では、ブラックホールとキャッチボールしているのと変わらない。それでもどうにか、捨吉の連絡先をビッグマックが知ってるらしいと嗅ぎ付け、厭な予感がしつつもメールを送り付けた。すると、

 

 

 

  ##### そう言う個人情報は教えられません。女学館サポーターのリーダーとして、私には仲間を守る義務がありますからね。#####  

 

 

 

 手の中の3ミリにも満たないメールの文字に撃ち抜かれ、眼の中で紅い星が飛んだ。捨吉の実態を知った時にはブラックアウトした網膜に、今度は血反吐の火砕流が殺到する。毛細血管のステッチが裂けて眼圧が悲鳴を上げ、鎖骨から頸動脈を駆け昇る熱暴走が、理性を焼き尽くしていく。これはもう無理だ。針が振り切って戻らない。自制不能な憎悪のパトライトが頭骨を攪拌(かくはん)し、戦慄がK点を突破した。

 「仲間って何だ、オイ。もう一度言ってみろ。その内、何しでかすか判らねえ変質者(かくま)って何がしてえんだ。捨吉を仲間って言い張るんなら、テメエも共犯だぞ、この豚畜生。」

 気が付くと俺はスマホに齧り付いて吠えていた。通話口の向こうにはビッグマックがいて、ハウリングしっ放しの怒気に眼が(くら)み、どうやってアドレス帳を開いたのかすら覚えていない。

 「全く品がない人ですねえ。幾ら怒鳴った処で、私は知りませんよ。女の人が追い回されて迷惑を受けたとか言ってますけど、じゃあ何故その子が警察に直接届け出ないんですか?その子が警察に届け出れば良いんですよ。本当にそんな事があったのなら、直ぐに通報するでしょ。おかしいじゃないですか。兎に角、私には関係ありません。」

 それは正に馬鹿の壁だった。逆モヒカンで新宿の歌舞伎町を練り歩く男だ。頭の中もその髪型と同じ活断層が縦走しているのだろう。天を衝いて聳える壮大な絶壁に幾ら訴えても、道理は虚しく木霊(こだま)するだけだ。紳士気取りで気丈に振る舞い、泥(まみ)れの品性に拍車を掛けるこの負け豚の生態に、意味も、法則も、真実も無い。理解しようとするだけ無駄だ。スタンドで喚いているチャントの狂った音程より条理を逸している。日本語を発音していると言うだけで、自分が何を口にしているのか、まるで判っていないこのパンツの穴を、小さな綻びから此処まで引き裂いたのはこの俺だ。

 「テメエ、正気で言ってんのか。」

 「正気も何もありませんよ。私は唯、正論を言っているまでです。貴方の暴言とは違います。」

 似非紳士の勿体(もったい)ぶった言い草に、激情は何時しか無情へと反転し、更々(さらさら)と蒼白していった。女学館の放つ負の引力が招き寄せる汚穢と凶事。終活真っ直中のクラブに我を忘れ、争乱の虜と化した俺。サッカーとは名ばかりの墓場の運動会。ネックの折れたギターに等しい、二束三文の世界に愕然とする。今更こんな掃き溜めのリーダーごっこを始末した処で、分別出来ないゴミが増えるだけ。枯れ木を剪定(せんてい)し、倒木を転がして何になる。そう判っていても、どうにもならない。自我を背乗りされて藻掻いているアンチを、あれ程嘲笑っていた癖に、主従は逆転し、気が付けばビッグマックと捨吉が、俺の頭骨を埋め尽くして膨脹し、そのヘルニアが頸椎から脊椎にまで達して(うず)いている。通話口の向こうでふんぞり返っているのが実体で、俺はその反響でしかないのか。この怒りの何処までが俺の感情で、振り上げたのが自分の拳かどうかも定かでない。擦り切れた顔面神経に連動して痙攣する右眼の下瞼。一つの体を奪い合う随意筋と不随意筋。「オートマの免許も持ってねえ第四階層に、手こずってんじゃねえよ。」と耳打ちする骨震動。乱高下する心拍。ヤバイ、本当に誰か居る、俺の中に、もう独り。横隔膜が急激に萎縮し、気管から食道へチンチンに灼けた鋼材の丸棒を捻込む様に、何者かがゴリゴリと込み上げてきた。

 「差し違えるつもりで言えや、この腐れ河馬(かば)。カラコンの脇に突っ立って、生保を待つしか能のなか分際で、人間面すんなや。捨吉とキサンの住所も言えや。興信所に金積めば、携帯の番号でケツの穴の皺の数まで洗い出せるっちゃけんが、手間執らせんな。糞みてえな格好で、どんだけ選手に纏わり付いたら気が済むとや。スクールの生徒も、ユースの子も、試合見に来た客も、皆気持ち悪がって誰も近寄らんめえが。これ以上クラブの足引っ張んなや。」

 

 

 

 

 

 スリープしたパソコンの(かす)かな駆動波に、カーテンの隙間から覗く鋭角な西日が突き刺さっていた。読み捨てられた書籍と、二三度袖を通しただけで飽きてしまった衣服の山。キーボードの脇に仰向けで朽ち果てている殴り書きのメモ。通話はとっくの昔に切れていて、スマホを握り込んだまま指の関節がギチギチに硬直している。我に返ったとはとても思えない、ささくれた余韻が拡散していく、死期を宣告された様な空漠。俺の部屋にそっくりだが、元々愛着のない場所だ。見覚えがあると言うだけで、安らぎの一つもない。狼藉の豚箱から追い払われて放り込まれた、乱雑な室内。頭の中も外も、何一つ片付いてない。取り敢えず、メモした番号に掛けてみたが、俺の話をビッグマックから聞いて、着信拒否にでもしているのだろう。捨吉は何度掛けても通話に出ない。

 その日から自称リーダーはSNSで俺の事を本格的に糞味噌に書き立て始めた。元々歯車の狂っている男だ。症状が悪化しただけの話しだが、これでもう後戻りは出来ない。俺の頭のOSも切り替わっている。何時かは自分の身の回りをドブ浚いする番も廻ってくるとは思っていた。コアサポが(はま)る泥沼。そこから足を引き抜いても、泥まみれの足で他に踏み込める場所なんてある筈もなく。クラブの為とか言う大義は既に沼の底。泥の船が泥に帰って、何処に沈んだのか見分ける事すら出来ない。総括の名の(もと)にお互いを外道と罵る、異端審問官同士の内ゲバ。端から見ればアルミ缶を奪い合うホームレスだ。後三年保つかどうかも判らない、黄昏のクラブを取り巻く、閉店間際の空バーゲン。下の下を曝し合う、ストリップ小屋の舞台から降りる事も出来ず、桟敷から飛ぶ奇異の眼を睨み返すしかない。

 

 

 

 ##### ルールを守らなければ、スポーツは、サッカーは成り立ちません。ルールを守れなければ、サッカーを愛する資格はありません。ヤクザまがいの脅迫に私は絶対に屈しません。あの男は断じてサッカーを愛するサポーターなどではありません。あの男から女学館を守るために、皆さん一緒に闘いましょう。 #####

 

 

 

 ビッグマックの安い撒き餌に、盛りの付いたアンチが群がっている。手当たり次第に書き込みをして賛同者を募れば、その内の誰かが俺を追っ払ってくれるとでも思っているのか。ビッグマックは未だ知らない。邪魔な物を始末すると言うのがどういう事か。その世界から叩き出すと言う事がどう言う事か。聞こえる。片足を引き擦る足音が。何処までも俺の後を付けてくる。擦り切れた雪駄(せった)の踵で砂利を蹴る、(みず)(はな)を啜る様な掠れた音が、何処にも辿り着けず、俺の空耳を付いて回る。

 

 

 

 

 

 去年、入間のコアサポが解体現場の足場から落ち入院した。町屋の救急病院に搬送されたと聞いて、仕事帰りに立ち寄った。恐らく解体屋の親方以外で病室に足を運んだのは、俺独りだけなのだろう。洗面所で頭を洗っている処を見付けて、背後から声を掛けた時、俺が何故其処にいるのか理解出来ず、(しば)し放心していた。

 雨で仕事が流れる事の少ない解体屋とは言え、日雇いの身分では口に糊するだけで精一杯だ。ボサボサの髪とガッサガサに焼けた肌。笑うと前歯は全部欠けていて、落ち武者という形容に一寸たりとも違わない。戸籍が在るのかどうか、本名があるのかすら怪しい男だ。毎朝公園の便所で歯を磨いてても不思議じゃない。冬でも裸足に雪駄で彷徨(うろつ)いているから雪駄。初めて会った時からそう呼ばれていた。足の甲は陽に焼けて黒光りし、踵はガサガサに皹割(ひびわ)れている。試合で負けた腹癒せに、スタンドから虎の子の雪駄を投げ付け、そのまま裸足で帰っていくのを、何時もみんなで笑っていた。直ぐに頭に血が上るタイプで 口が悪い雪駄の評判は良いとは言えなかったが、埼玉という土地柄、レイズの影に隠れて誰も見向きもしない入間を最前線で応援する雪駄に、共感する処はあった。病室のベッドに納まった雪駄は恐縮して挙措を失い、これと言って弾む会話もない。

 「俺は命懸けで、人生を総て賭けて入間を応援してる。俺は誰の指図も受けねえ。俺は御前等の犬じゃねえ。俺に首輪を付けるつもりなら、絞め殺すつもりでこい。」

 と吼え、毒を吐く雪駄の姿は何処にもなかった。病室内の他の患者と較べ、散らかった雪駄の身の回りに、親類が世話をしている様子はなく、虚勢の剥がれた雪駄を見るのは少し寂しく、見られる方も気拙かった筈だ。長居するつもりもなかったので、ゆっくり休んで、復た現場で会おうと言って席を立つと、ギブスで固められた片足を引き擦りながら階段を下り見送ってくれた。(しばら)くして退院した雪駄から連絡があり、昼飯を奢るからと言うので池袋で待ち合わせた。好きな物を食えと言うのでタイ料理屋でフォーを啜った。ここでも大して会話は弾まなかったが、不器用な雪駄の快気祝いに悪い気はしなかった。それが二ヶ月後、リーグ戦が開幕すると事態は一変した。開幕戦の現場で女学館がエレーラに0:5で虐殺されたショックで、酎ハイを(あお)り寝込んでいた俺の許に、レイズに0:5でチンチンにされた入間サポのゴンから連絡が入った。

 「雪駄の奴もう滅茶苦茶なんッスよ。幾らダービーでボコられたって言っても、兎に角酷い。手が付けられない。スタンドからベンチに向かって物は投げ込むわ、監督に土下座しろとか、辞めちまえとか喚き散らして。全然応援にならない。折角NACK5で開幕戦なのに、全部台無しッスよ。俺、どうしたら良いんッスかね。一緒にやっていく自信ないッスよ。」

 今年から入間の応援に廻る事になったゴンちゃんとは日頃から懇意にしている事もあり、泣き付かれて見て見ぬ振りをする訳にも行かない。話はその日の開幕戦の事だけに留まらなかった。雪駄は去年まで入間を率いていた監督に葬式の花輪を送り付け、特養ホームの解体現場で拾ってきた位牌に監督の名前を書いてスタンドに飾り、怒りに任せて選手に飲みかけの紙パックを投げ付けていた事など、現場での所業を洗いざらいブチ撒けられた。黙って聞いていた俺は、シーズン開幕前、今年から入間を応援するゴンちゃんの挨拶回りに付き合って、入間の練習を見に行った時の事を思い出した。ゴンちゃんが練習を終えた選手達一人一人に、今年から入間を応援する旨を伝え頭を下げると、地元出身で快速ウイングのエースが、

 「じゃあ、あの気持ち悪い人、もう来ないんですか?」

 と飛び付いて、笑顔が弾けた。嘘偽りのない笑顔だった。薄々感付いてはいた。選手の視界には雪駄が一切入っていなかった。俯き加減の硬い表情で雪駄の前を無言で通り過ぎていく選手達の葬列。クラブ愛、それは雪駄の片想いですらなかった。俺がクラブを支えていると言う矜持で増長したエゴが、何時しかその大義を盾に、クラブを、そしてサッカーその物を、私物化し、支配しようとする。光のない境遇に甘んじている鬱屈の捌け口に、少しでも気に食わない所があると、監督だろうが選手だろうが徹底的に打ちのめす。そんな奴等を何人も見てきた。雪駄は去年レイズとの試合で一般観客とも揉め、既に警察の世話になっている。ブッ壊れた心のブレーキは何処にもリコール出来やしない。現場の暴君に酔いしれる雪駄は哀れだが、ゴンちゃんのこれから先の心労を考えると、唯の聞き役に廻るだけと言う事は出来なかった。

 「次の試合何処とだっけ?」

 「エレーラです。」

 「場所は?」

 「駒沢です。」

 「だったら、俺ドラム持っていくから、ゴンちゃんコールリードやれよ。」

 話は決まった。通話を切ると、俺はドラムケースを開け、フロアタムに貼り付けている女学館のステッカーを、一枚一枚剥がしていった。本来、ガチなコアサポは余所のゴール裏でガチの応援はしていけないと言う不文律がある。当然鳴り物なんて(もっ)ての(ほか)。特に女子の場合は世界が狭く、誤魔化しが利かない。後で面倒な事になるのは判っていたし、現に色々な所に頭を下げて廻る事になったが、遣るしかなかった。

 葉桜が匂い立つ、春の盛りを迎えた駒沢公園。最高の観戦日和となった試合当日、ドラムを担いでアウェイの待機列に立っている俺を見付けて、雪駄は意味が飲み込めず、見舞いに行った時と同様に呆然としていた。厭な仕事には慣れている。無駄と判っていても、雪駄にはスタジアムに入場する前に話を付けておく必要があった。泥は全部俺が被れば良い。待機列から離れた、新緑が囁き交わす清々しい木陰の下で、ドブ浚いは始まった。

 「選手がオマエの事、気味悪いつって怖がってっから、もう入間の試合には来んな。」

 「選手って誰だよ。誰が言ってんだよ。」

 「そんなの言える訳がねえだろ。強いて言えば、全員だ。全員、オマエの事が気持ち悪いつってんだよ。自分の(なり)、鏡で見て見ろ。乞食みたいな格好で、試合の度に馬鹿みてえに騒ぎやがって。オマエの事が怖くて何も言えないだけで、クラブも選手も客もみんな迷惑してんだよ。」

 俺がそう言い放つと、雪駄の眼は泳ぎ、息が詰まって返す言葉が声にならない。

 「応援は俺達で遣る。選手の親とかから預かってる横断幕出せ。これからは俺達で管理する。」

 見舞いに来た時とは別人の俺を、雪駄は未だ量りかねていた。信じたくないと言う複雑な雪駄の表情が、俺の胸を(えぐ)った。殴り掛かってくれば警察に突き出して一件落着だが、気持ちの整理が付かない雪駄は、感情が決壊する遥か手前を彷徨っていた。

 サポ失格を宣告され、横断幕を取り上げられても、開門すると雪駄はノロノロと入場してきた。しかし、そこにはもう雪駄の居場所はなかった。雪駄の存在を完全に無視して、アウェイスタンドの最前列で応援を強行した。本の数少ない入間サポも俺達に同調し、ピッチ練習から全開で選手を鼓舞した。雪駄の玩具の様な8incのタムは、俺が持ち込んだ16incのフロアタムの敵ではなく、俺達の後方で雪駄が独り、何かコールをしようとしても即座に掻き消され、時間を追う毎に雪駄の声もタムも尻窄みになっていった。

 試合は0:3と言う数字の上では下馬評通りの結果だったが、その内容は全く違った。薄汚い罵声を廃した芯のある応援は選手達に届いていた。ペース配分を無視した激しい球際と、飢餓的なスプリント。スタンドの変化に一心不乱のプレーで応え、エレーラに喰らい付いた牙を一瞬たりとも弛める事はなかった。上位チーム相手に卑屈なプレーで自陣に閉じ籠もっていた入間は何処にもいなかった。その姿に、先週、()(すべ)無くエレーラに0-5でボコられた女学館の応援の時より、俺はマレットを振るう手に力が入っていた。

 試合が終わると、雪駄の心にも裏切られた事実を直視する余裕が出来たのか、淫らな虚勢で再び自分自身を雁字搦(がんじがら)めに縛り上げ、再び現場の暴君を演じ始めた。

 「オイ、ちょっと待てや、コラ。二試合で八失点って、オマエ良くそんなんでライセンス取れたなあ。」

 選手が揃うのを待っているチームバスの前で監督を捕まえ、試合中、鳴りを潜めていた罵声を浴びせ掛ける。しかし、それまでのツケが廻ってきた日陰者に、変わった潮目を変える力が有る筈もない。言い訳不能な惨敗を喫してはいても、新監督は毅然とした態度で、雪駄の悪足掻(わるあが)きを突っ撥ねた。

 「貴方の話はクラブと選手達から聞いている。今日チームが不甲斐ない結果に終わったのは、総て私の責任だと認めるが、貴方がこれまでクラブや選手達にしてきた横暴と、サッカーを冒涜する総ての行為に関しては、私は一切認めない。」

 血色の良い小麦色の肌に精錬された肉体の青年監督と対峙する、空爆から焼き出された様な、土方焼(どかたや)けで前歯のない雪駄。話す言葉は同じでも、まるで種属が違う。サポーターと言う幻想は残酷だ。サッカーを介せば総ての立場を逆転し、世間と自分自身を超越出来ると言う錯覚に溺れている雪駄は、GK出身で身の丈が180cmを優に超える年下の監督に、軽々と見下ろされていた。自分に掛ける魔法はあっても、他人に掛ける魔法はない。劣等感を辛うじて封印していた、なけなしの自尊心の鎖が、一歩も引かない監督の眼力で焼き切られると、解き放たれた自己否定の闇が全身に転移して、身も心も(むしば)まれ、腕力でも智力でも敵わぬ雪駄は、監督との身長差以上に小さく見えた。

 「もう、それ位にしとけよ。」

 バスの中に乗り込む監督を引き留めようとする雪駄に、俺が後ろから声を掛けると、

 「オマエは引っ込んでろ。余所の奴にガタガタ言われる筋合いはねえ。」

 声を張り上げる事で、感情を募らせ弱音を打ちのめすサポーターの習性に縋り、雪駄は何とか息を吹き返そうとした。しかし、総ては織り込み済みだ。

 「テメエと違って監督は忙しいんだよ。言いてえ事があんなら、前歯を全部入れて出直して来い。」

 言葉に詰まった雪駄の口元から、紫色に変色した歯茎が剥き出しになっていた。手間を掛けたくなかった俺は、ガードが下がった所をゆっくりと落ち着いて撃ち抜いた。

 「・・・・って、言われたんだろ。前キャプテン遣ってた根岸にも。彼奴、可愛い顔して気は強かったからなあ。」

 見えない角度から飛んできたパンチに、雪駄の眉根が狂おしく歪曲した。憎悪と苦渋が犇めく複雑な表情で、雪駄は鼻と鼻が触れ合う寸前まで俺に躙り寄った。この様子を見ていた顔見知りのサポが数人、手が出たら何時でも止められるように身構えた。紫外線に破壊されてシミが折り重なる、鋳物の様にガサガサの肌理(きめ)。胡麻を振った様に角栓の詰まった毛穴。失調した顔面神経にヒリつく頬と小鼻。至近距離で直視する深い目尻の皺や豊齢線には、敗北、悔恨、寂寞(せきばく)、屈折の歴史が克明に刻み込まれている。神が悪魔のグロテスクなパロディである様に、クラブの為と言う正義を盾に、強制執行に乗り出した俺と、クラブの為と喚いて増長し自滅した雪駄は、燃えるゴミと燃えないゴミほどの違いしかない。雪駄の壊滅した風貌。それは心の鏡に映る、サポーターと言う欺瞞の鎧を剥ぎ取った、もう独りの俺だ。この勝負、無傷で済む訳がない。

 「日雇いで解体やってんなら、瓦礫の山と一緒にオマエも片付けてもらえよ。どうせこの宇宙に、テメエの居場所なんてねえんだ。好い加減、往生しやがれ。」

 俺のSNSを荒らす便所の落書きと同じ劣情が、俺の腹の底から湧き出で、食道を縦貫し、迸る。出鱈目だと判っていても、理性を押し退けて口を吐く卑語が、不憫な雪駄の形相を突き抜け、救いようのない自分自身を打ちのめす。何故、怪我の見舞いになぞ行ったのか。病院の洗面台に頭を突っ込んで髪を洗っていた雪駄の、浅黒い背中を覆う吹き出物の一粒一粒が、俺の背筋に醒め醒めと広がっていく。見せかけの優しさなんて、所詮、気の迷い。余計な火遊びで、雪駄を火達磨にした犯人はこの俺だ。生焼けにならぬよう、死に水代わりに油を継ぐのが、せめてもの介錯だ。自重で沈下していくのを堪えるだけで精一杯の雪駄に、反撃の糸口なんて無い。何時しか俺の一方的な卑語も尽きて、無言の睨み合いが続いた。新緑の蒼香(そうこう)が小鼻を(くすぐ)る、爽やかな春の陽気。休日の午後を駒沢公園で過ごす、家族連れの歓声が遠くで弾ける度に、この敗者決定戦でしかない猿芝居を生々しく演出し、沈黙が罵声に酔って掻き消されていた内なる声を呼び覚ます。

 透明度ゼロの海面に口だけを出して何事か(あえ)ぐ、深層からの密告。不穏な漣を従え、筋金を突き立てた背鰭が、悠然とタールの海鳴りを切り裂き潜徊(せんかい)する。この胸騒ぎに耳を澄ますと、波間に覗く冥海の主に魅入られ、禁断の領域に引きずり込まれそうになる。復た一つ、備前水母かと見紛うゼラチン質の泡がぼってりと弾け、入水(じゅすい)した本性が成仏出来ずに息を継ぐ。その言葉に成らぬ擬音の飛沫を避けた弾みに、至近距離で対峙する、雪駄の死相に引き戻された。

 ガサついて生臭い鼻息を俺に浴びせながら、雪駄は未だ其処にいた。俺が内に秘めている闇を、この男は剥き出しにして生きている。以前、体調を崩し、医者に診てもらう金もなく、フラフラになって入間のホームゲームに雪駄が現れた事がある。世を捨てたのか、捨てられたのかも知れぬ、頼れる身寄りのない男のリアルに、俺は慄然とした。雪駄は選手の親に手弁当を分けてもらうと、土鳩の(はらわた)に喰らい付く野良猫の様に揚げ物を貪り、その後はベンチシートに横になって咳き込み続け、応援も儘ならず、塩を求めて熱帯雨林を彷徨う敗残兵の様に去っていった。帰る場所がある様にはとても思えぬその背中。どう高く見積もっても烏か野良犬の餌にしか見えない。本能とは非情だ。どんなに絶望しても腹は減る。雪駄は肉体と生理に押し流されるしかない魂の笹舟だった。哺乳類としての生命力なんて、余計なお世話。死に切れずに生き恥を曝す雪駄に較べたら、ビッグマックですら幸せな馬鹿に思えてくる。他人の幸せを逆光線で眺めているだけで、誰からも祝福されず、解体現場の砂塵にまみれ、何の転機もなく、中途半端なまま閉じていくだけの生涯。その不毛な荒野で雪駄も女子サッカーという宿り木に辿り着いた。運命の出会い。そう錯覚しても不思議はない。俺も女学館との出会いに運命とか言う言葉を当て嵌めていた。雪駄の気持ちは残酷なほど良く判る。その最良の理解者が今、雪駄から入間を奪おうとしている。身から出た錆とは言え、今度こそ本当に駄目かもしれない。雪駄をこの世に磔にしている生の欲動、死の恐怖すら、壊滅してしまうかもしれない。

 クシャクシャにして投げ捨てられた、外れ馬券の様な雪駄の形相が一瞬和らいだ。釣られて警戒が弛みそうになるのを堪え睨み続けていると、張り詰めていた憎悪が重力に負け、磁縛の解けた余白に、日雇いの草臥(くたび)れた労務者が独り悄然と突っ立っていた。仕事帰りか、それともこれからワゴン車で向かうのか。現場の搬入ゲートや、駅のロータリーを漂う山水母(やまくらげ)が、セレブが憩う行楽日和の駒沢公園に打ち上げられていた。諦念で糠漬(ぬかづ)けされた表情筋。主無きドス紫の歯茎から覗く半開きの闇。まるで顔に穴が空いているみたいだ。右肩下がりに傾いだ体幹が揺らめき、誰かに突き飛ばされた様に背を向けると、捨て台詞一つ吐かずに雪駄は歩き始めた。魔が尽きて我に返るのを恐れ、眼も耳も口も塞ぎ、感覚を削ぎ落として、此処じゃない何処かへと彷徨う、血まみれの心。勝者無き終戦。木漏れ日の中に消えていった雪駄が、己の末路を映す予知夢に見えた。

 雪駄は次節のアウェイの神戸戦に姿を現さなかった。その前日、女学館がアウェイの大阪戦だった事もあり、神戸の現場に顔を出した俺は、入間のゴール裏には回らず座って観戦した。万一雪駄が暴れる様な事があったらと思って足を伸ばしたのだが、残留争いのライバルでもある入間が、女王神戸を後一歩の処まで追い詰める奮闘に、戦慄する羽目になった。残留争いの裏天王山、アウェイの大阪戦、ロスタイムで何とか引き分けたは良い物の、既に首の皮一枚で繋がっているだけの女学館と較べ、開幕三試合がリーグの三強で勝ち点ゼロ、失点二桁とは言え、入間は手応えを摑み始めていた。次節、ゴールデンウィークの最終日に、埼スタ第二で上り調子の入間と女学館の直接対決。ノエスタの可動式屋根から覗く狭い空が、何処までも遠く感じた

 試合後、上りの新幹線の時間まで、三宮の飲み屋で一緒に呑んでいた入間サポに雪駄から連絡が入った。

 「俺これから音楽の道に進むから。入間からは手を引く。以上。」

 オンガクノミチと言うのが、何のマジナイなのかはさておき、俺とゴンちゃんは一先ずホッとした。態々首を突っ込んだ甲斐があり、その一報が大きな節目となった。大見得を切ったその後、雪駄は矢張りゴール裏に復帰したいと言い出して、入間のホーム戦に遣ってきた事があったが、一度根本から折れた心の芯は、断裂した靱帯同様、完全に復元する事はない。戻っても良くて八割五分。誰しもが新しいプレースタイル、新しい生き方を模索する事になる。雪駄も火の粉を散らす邪気が失せ、現場復帰を突っ撥ねられると、為す術もなくスタンドの躯体の陰と同化し、完全に姿を現さなくなった。取り除いた癌を供養する物好きなんている訳もなく。雪駄が入間に捧げた、血と汗と愛憎は完全に無かった事にされ、梅雨が明ける頃には、話題に上る事も、頭の片隅を()ぎる事すら無くなっていった。

 処が、リーグ戦残り二試合となったアウェイの新潟戦に、頭の緩い古参の入間サポが、雪駄を車に乗せて連れてきてしまう。残留争いも佳境に入り、一人でも多くの声援を選手にと思ったのだろうが、何処にでもそう言う、野性の熊と縫いぐるみの熊の区別も付かない馬鹿がいる。ゴンちゃんの話によると、雪駄は現場に着くなり、手元に二百円しか持ってないと言い出した。一部の試合だ。有料だと知らぬ筈がない。それならそうと先に言えば良い物を。何かあると、その時点で異変に気付くべきだった。チケット代を立て替えて雪駄を入場させると、試合開始のホイッスルを合図に雪駄は豹変した、と言うより発病し崩壊した。

 当の本人ですら何をしでかしているのか判っていないのだろう、雪駄はゴンちゃん達の仕切る応援には一切同調せず、入間のコアゾーンから離れた所で、大宮のチャントをいきなり喚き散らし始めた。大宮から派遣されてきた監督への当て付けのつもりなのか知らないが、全く意味が判らない。(およ)そ、新潟まで連れてきてもらい、入場料まで世話になった者の遣る事じゃない。雪駄は完全に壊れていた。意志と感情と行為が統合不能な、逆立ちしたゴミ箱。甦った亡者の怨念が自爆自演する支離滅裂な復讐劇。大宮のチャントの次には、オンガクノミチに進むと言って始めたトランペットを、吹けもしないのに出鱈目なピッチで吹き散らかした。新潟のホーム戦では、同じ鳴り物でもドラムと違いトランペットは禁止されている。注意されても止めない雪駄はスタジアムの外に摘み出され、それでも構わず外から吹き倒して、残留の掛かった一戦を妨害し、侮辱し続け、死に場所を探しているとしか思えぬ奇行を繰り返した。

 2:0で新潟に押し切られてタイムアップすると、雪駄はゴンちゃん達に締め上げられ、連れてきた古参のサポですら流石に激怒し、二百円しか持ってない雪駄を車に乗せず、新潟に放って帰ってしまう。チームに帯同していた入間のクラブ役員も、置き去りにされた雪駄を見付けると車を横付けにして、乗せてくれるのかと期待した雪駄に、

 「もう、ウチを応援しなくて良いから。」

 と吐き捨てて走り去り止めを刺した。

 その後の消息は雪駄のSNSでしか窺い知る事が出来ない。インディーズアイドルの追っ掛けを始め、

 「週末に天使達に会えるのは幸せ。」

 とアップしていたが、半年も経たぬ内に其処も出禁になっていた。恐らく俺と同じで、何処へ行っても揉めて飛び出してを繰り返してきたのだろう。これから先も、狼にすらなれぬ野良犬の様に死に切れぬ儘、人生の裏道を匍匐(ほふく)前進し続けるのだろう。

 至極の下種(ゲス)にて人に(あら)ざる者なれば。そう言い聞かせて、崖っぷちでたじろぐ落人の背中を突き落とし、或いは突き落とされるのを眺めてきた。ゴール裏で調子に乗って自滅する奴なんて、雨水の溜まった野積みの古タイヤに巣くう棒振(ぼうふら)の様に切りがない。身の程を知らず、腐爛瓦斯(ふらんがす)で膨脹したエゴはどのみち、汚臭を放って破裂する。俺も近い内にその落とし前を付ける時が来るだろう。選手や監督に当たり散らした雪駄も、変質を愛でるビッグマックも、

 「オマエは気持ち悪いから出て行け。」

 と平気で面罵する俺も、クラブを貪って自分の肥やしにしている、スタンドの亡者で有る事に変わりはない。

 「気持ち悪い。」

 と言うのも、言われるのも、

 「お疲れ様でした。今日も応援有り難うございました。」

 と言われるのも、ガン無視されるのも唯の差異。スタジアムから追い出されるのも追い出すのも、ネットに書き込むのもチェックするのも、クレームを付けるのも付けられるのも、勝者と敗者も、ヤクザと警察も、先生と生徒も、社長と社員も、王様と奴隷も、神と悪魔も、天国と地獄も、ホームとアウェイも、原発がある社会と無い社会も、人類が存続している地球と絶滅した地球も、単なる差違でしかない。女子の現場にしがみついている限り、俺は落人の亜種なのだ。現に今もこうして、蚤と虱のチンケな意地の張り合いから身を引けずに藻掻いている。高々、スマホの液晶の中で自滅しているだけのビッグマックの書き込みに、

 「あの売れ残りの腐れチャーシュー、どうしてくれようか。」

 と焼け石を投げ込まれた様に脳漿が煮え(たぎ)り、独り善がりな主観を振り乱して、無限の餓鬼道を輪廻する。一々あんなパンツの穴に首を突っ込み、ムキになって捻伏せた処で、自分の格を下げるだけ。そう言葉を組み立てて刷り込もうとしても、逆流する胃酸に喉を灼かれ、波を打つ鳥肌を伝って殺意が蠕動(ぜんどう)する。文化とか教養とか言った造り物を剥いだ生身の衝動。サポ活の慌ただしき享楽の影で押さえ込んでいた物の怪が姿を変え、このパンツの穴を突破口にして迸り、狭窄した視野を前後不覚に塗り潰していく。吹き荒れるビッグマックの薄弱な笑顔と、無秩序な音階のコールリード。その火山雷(かざんらい)に紛れて、初めて単独応援でマレットを揮った京都の春が、昇格を決めた小郡の陸上トラックを舞うカンクローの胴上げが、W杯優勝直後の華やかな喧噪が、代表戦の日の丸の準備が、ドラムを玩具にして遊ぶ子供達の笑顔が、勝っても負けても溢れ出る選手達の涙が、残業後、会社の倉庫に横断幕を広げて、独り黙々と仕上げた長い夜が閃き、燃え尽きていく。飛灰(ひはい)となって舞い上がる事すら出来ず、掻き消されていく。

 

 

 

 「じゃあ、俺達は帰るから。」

 滋味(じみ)(まぶ)した嗄れた声が止め処ない譫妄(せんもう)希釈(きしゃく)し、汚泥の様な原液の中から俺を引き擦り出した。見当識が混線して、自分と世界を統合出来ない。短絡した座標軸と時系列を揉みほぐしながら掻き集める五感。ズッシリと全身を覆う汗が気化して、膠着した躰の節々をジメジメと解晶していく。

 甦った光の片隅で、ゴール裏に挨拶を終えた選手達がクールダウンをしている。電光掲示板に幽閉された1:1のスコア。ゴール裏はキビキビと横断幕の片付けを、控えの選手達はピッチサイドのボトルを集めている。ホームチームの今後のスケジュールをアナウンスする事務的な場内放送。夢路を漂うチームフラッグと、(こうべ)を垂れるセンターポール。真っ更に放心したゴールマウスの白磁。兵達(つわものたち)が走り去った穢れ無き西が丘の夏芝。

 塩爺が患いのある腰を労りながら立ち上がると、陽に焼けた倒木の様な腕を俺の前にそっと伸ばした。立ち上がって広く厚い掌を握り締めると、塩爺は力強く握り返し、ゴツゴツと節くれた野太い指の、皹割れ逆剥(さかむ)けた肌がチクチクと痛い。

 「来週、頑張ってこいよ。」

 俺は疚しい胸の内を鷲摑みにされ、ズッシリと低く唸る塩爺の声に肩が竦むのを必死で堪えた。

 「お前の頑張れは、他の奴が言う頑張れとは違うだろ。」

 と言っていた張本人の「頑張れ。」が一番身に堪える。廻りのゴミを拾い身支度を終えたママが俺の背中にそっと手を添え、鼻先にズラしたグラサンから覗く上目遣いが、ココマークを舐める様に煌めいた。

 「気を付けて行ってらっしゃいね。お土産とか良いのよ。特に高い物とか。無理なんてしないで。気を遣わなくて良いから。特に高い物とかね。そうでなくても宇和島って言うとアレじゃない。アコヤガイに核を植え付けて養殖する、何って言ったかしら、人魚の涙とか何とか、炭酸カルシウムが主成分の。ええっと、ホラ。」

 「モンローの愛した誕生石だろ。」

 「そう、それそれ、ディマジオが銀座のミキモトでプレゼントしたのよ。襟足から胸元に掛けて0.5ミリずつ大きくなっていくグラデーションの。何って言ったかしら。クレオパトラがその美貌を保つ為にお酢に溶かして飲んでた・・・・、月の雫とも呼ばれてて、万葉集でも詠われているの。もう、此処まで出てるのに。どうして思い出せないの。日本で過ごしたハネムーン、二人の幸せだった日々は思い出せるのに。嗚呼、ディマジオ、優しかったディマジオ。全部私が悪いの。私の我が儘が。」

 感極まって星空を仰ぐママ。完全にモンローと自分の区別が付かなくなってる。俺はグラサンを直してやりながら、奥方の御乱心を()で、(たしな)める。

 「この前、代表がアメリカに遠征した時も、オードリーのティファニーがニューヨークでどうのこうのとか騒いでたんじゃねえのかよ。まあ、雀の涙なら適当に見繕ってやっから、三つ指付いて待ってろよ。」

 固唾を呑んでいたスタンドの気圧が、甘い吐息の様に(ほど)けていく。痛み分けのドローと言う軽く痼りのある余韻が、澄み渡る夜気に頬を寄せ、一抹の寂しさに艶を添える。ナイトゲームの終演。一夜限りの小宇宙が誘うエントロピーの清流。席を立ち一時の別れを惜しむ人々の足取りと眼差しが、途切れ途切れの輪郭線で絡み合う。

 式典を終えた王族の様に、悠々とコンコースへの階段を上る塩澤夫妻と入れ違いに、エレーラのゴール裏を早々に引き上げてきた岩井さんが、湶さんとサッコちゃんを引き連れて現れた。

 「どうするの?この後行くの?」

 口元で手酌を呷る真似をする岩井さんに、

 「レイズの方でしょ?まあ、河瀬君とか今日は叩けなかった分、呑まないと気が済まないだろうから、沈没しない程度には付き合おうかなあとは思ってますけど、湶さんどうするの。」

 「今日はどうしようかなあ・・・・・と思って。出来れば真っ直ぐ帰りたいけど・・・・」

 「へっ、真っ直ぐって、出待ちしないの?夏木に声掛けないで帰っちゃうの?」

 「うん、何て声掛けて良いか判らないし。」

 「そんなモン、ベンチで水ばッか飲んでないで、早く私を飲み干してとか言えば良いじゃん。」

 心の声を代弁され痛し痒しの湶さんから、しっとりと睨まれて心が(ほぐ)れた。こんな特効薬他にはない。

 「岩井さんどうするんですか?」

 「俺は良いよ、だって彼奴らと呑んでも金払わないじゃん。金なんて持ってる奴が払えば良い位にしか考えてねえからさあ。」

 岩井さんのボヤキが直球過ぎて、心がファンブルしてしまう。

 「じゃあ、岩井さん、湶さんとサッコちゃん送って上げて下さいよ。レイズの連中には俺が上手く言っておきますから。湶さん気分が悪くなったとか、サッコちゃん門限があるから、ソッコーで送って帰らなきゃ行けないとか。」

 「えっ、良いの?本当に?」

 湶さんの愁眉に色を添えていた邪気が弾けると、瞳孔が垂直にスリットし、牝豹の閃きがコンコースの手摺りを駆け抜けた。

 「だって、オマエ等と呑んでも疲れるだけだから先に帰りますとか、言えないッしょ。無論、差し出がましい口を挟まれる筋合ひ等勿い、と被仰付候者々(おほせつけられさうらはば)、其れ迄の事。所詮、足軽(あしがる)生兵法(なまびやうはう)(すべ)ては姬の御氣に()(まま)に。」

 夜烏(よがらす)下賎(げせん)な口三味線。叶わぬ恋の幕引きに、サポーターと人妻、二つの仮面の狭間から覗く(しと)やかな悲哀を(くすぐ)られ、湶さんは妖しく微笑んだ。

 「うふふ、()きに(はか)らへ。」

 「(かしこ)まつて(さうらう)。」

 主無き個別シートの点描がスタンドを(まば)らに塗り潰していく。真夏の夜の夢から剥離した観客の引き潮が、穏やかに合流するコンコース。天高く聳え、星と語らう照明塔の陰で夜が深化し、開いた本をそっと閉じる様に、西が丘が天然芝を囲む鉄筋コンクリートの塊へと、心地良く還元していく。放送ブース脇の貴賓席と関係者席を見上げると、代表監督と麻木の姿はもう無く、白茶けた雛壇に清楚で伏し眼がちな面影が(ひら)めいて、眼路を惹き留める。

 「奈央子ちゃんなら下に行って、用具の後片付けとかしてるんじゃないの。手伝って上げたら。男の子でしょ。」

 耳の裏を掠めるブリザード。湶さんに後ろから撃たれて弾けた心の欠片が、巻き戻しの出来ない今この刹那に突き刺さり、束の間の永遠に火を点す。

 「姫、御口(おくち)が過ぎますぞ。」

 「奈央子ちゃんの事、気にならないの?」

 「左様。」

 「でも、さっき、ずっと見てたじゃない。コンコースで囲まれてる時に。助けて上げれば良いのに。」

 「へっ、あっしの、事ですかい?」

 「そうよ。」

 「ケッ、コソコソ嗅ぎ廻りやがって、テメエ、ただの鼠じゃねえな。」

 「そんな口叩いてると、余所の鼠に奈央子ちゃん囓られちゃうわよ。」

 「試合に出れねえから、あんな処で変なのに摑まんだよ。まあ、俺が監督だったらあんな奴、足が三本生えてても使わねえけどな。湶さんの方こそ、御贔屓の赤い狐が余所の女狐(めぎつね)を摘み食いしてないか、チームバスの前で見張ってなくて良いのかよ。」

 「御構い無く。尻尾の数だけ気がある狐なら、那須の(いわお)に封じてやるわ。」

 掻き上げた湶さんの黒髪が夜風に流離(さすら)い、秀峰渓涙(しゅうほうけいるい)を奏でる。マリッジリングを外した紅差しから零れる(たま)()の調べ。主観と文学の境界を解体して、世紀末を華麗に切り取ったプルーストなら、この冷淡な小夜曲(さよきょく)瑠璃色(るりいろ)に採譜してみせるのだろうが、狐狩りのお供すら敵わぬ紐付きの番犬風情に、そんな小癪なスキルなぞ望むべくもない。エレーラのゴール裏を抜け、他愛もない軽口を叩き合いながらホームゲートの前まで来ると、湶さんは軽く小首を逸らし、流し眼でうっすら(なじ)る様に囁いた。

 「それじゃ後の事は宜しく。御達者で。」

 狡智に長けた俊敏な眦が、踏み絵を顎で指す様に、俺の肩口から鎖骨を斜行する。折り重なる赤と緑の人の波に紛れていくマキシワンピの揺らめき。サッコちゃんは日野さんの本を頭上に掲げて大袈裟に両手を振り、岩井さんは相変わらずコロコロとして憎めない。後何回、スタジアムで湶さんに「さよなら。」を言う事が出来るのだろう。ホームゲートを跨いで粗挽きにされた観衆が群衆へ、群衆から衆人へと粒状化し、本蓮沼の駅や赤羽行きのバス停で濾過され、道なりに沿って続くそれぞれの日常へ拡散し、浸透していく。

 湶さんが行ってしまうと、後はもう何をしたら良いのか判らない。試合後の見送りは何時も、(さなぎ)の殻に置き去りにされた様な錯覚に陥る。これと言って帰りたい場所もなく、後ろから追い越して遠離(とおざか)る、目的のある足取りを嫉む事すら出来ない。躰を張って応援した訳でもないのに、重力に負けて肩から腰へと撓垂(しなだ)れる、だらしない疲労感。サッカーやクラブと言う偶像を(あが)め立てるのも、サポーターと言う一本気な益荒男(ますらお)を演じるのも、辛い歳になってきたと言う事か。今日も塩爺とママの優しさに応えるので必死だった。俺も女学館も二人が期待している様な代物(しろもの)とは程遠い。ダイヤを模したガラスの球を幾ら磨いても、(いたづら)に擦り傷が増えるだけ。こんな事、長くは続かない。ガキの頃、作っては壊しを繰り返していたプラモデルの様に、週末のスタジアムライフも復た、何時しかこの手に掛け、潰えてしまうのだ。飽きた玩具を甚振(いたぶ)佚楽(しつらく)に疼く食指。自ら乞い求め手塩に掛けた宝物を、同じ手の中で切り刻む、糖蜜の様な眼差し。馬鹿の一つ覚えで繰り返す自咬自得(じごうじとく)。そりゃあ、手元に何も残らない訳だ。

 毒を抜かれた水母(くらげ)の様に活きる術もなく、後ろから押し流されてホーム側ゲートを潜り抜けると、選手の出待ちをする人垣で関係者専用の駐車スペースは既に賑わっていた。スタジアムのエントランス前では背広組のスタッフ達が、開門前の騒ぎ等まるで無かったかの(ごと)く談笑している。連中にとってはもう済んだ事なのだろう。事前告知の改竄をホームページで謝罪なんてする訳がない。こんな(ぬる)い連中でも、女学館の壊滅的な運営より全然増しなんだから、この宇宙は巫山戯(ふざけ)ている。お天道様が賽の目を世の(ことわり)としてるのなら、いっそ牛が馬を産む様に、女学館をF1のチームにでもして欲しい。どうせ何を遣っても無駄なんだから、鈴鹿のシケインをドリブルして、立体交差にヘディングしていた方が痛快でスッキリするだろう。

 スタンドの照明塔が背を向ける駐車場の薄暗がりを、鮮烈な深紅のラッピングが席巻している。10mクラスの巨漢を我が物顔で横付けにしたレイズのチームバス。大容量のトランクルームを全開にして、荷を積む控えの選手達を(はべ)らせている。ライトバンとワゴン車が一台ずつ待機しているだけのエレーラとは全く比較にならない。何時もの見慣れた光景だが、このJのトップチームと遜色のない豪奢な厚遇が、今は不振に喘ぐ選手達の肩身を却って狭くしていた。麻木もその中に混じって雑務に追われている筈だが、

 「手伝って上げたら、男の子でしょ。」

 爽玲(そうれい)にリフレインする女狐の皮肉に眼が(くら)む。こんな処でブラブラしてるのを、見たくもないし、見られたくもない。

 俺は足を止めずに、テニスコート脇の自販機へ飲み物を買いに向かった。安い酎ハイを呷って走り回ったツケが喉に来ている。レイズのゴール裏が片付けを終えて出てくるまでもう暫く掛かるだろう。束の間の休息は執行猶予の証。今夜はここからが本番だ。肝細胞の不良在庫を分解処分しておかないと、呑み交わしているのか殴り合っているのか分別不能な、ノーガードの酒盛りが待っている。岩井さんが帰ったからエレーラサポで合流する物好きは居ないだろう。先ずは何時も通り赤羽の中華屋で大テーブルを囲み、飲みホでガチャガチャやった後、出口のない二次会にダイブする。一番街の中に治まって、OK横丁の辺りをウロウロしている内は良いが、一昨年、プラザホテルの向かいに出来た立呑み屋に足を伸ばしたら、本当に無傷では済まない。二十四時間営業で、杯数無制限、泥酔客も断らぬ、赤提灯を並べただけのサファリパークだ。殊に鯨海酔候(げいかいすいこう)を地で行く河瀬君は、サバンナのど真ん中でエンストした様なこの手の店が主戦場で、心中(しんじゅう)出来る道連れのリクルートに余念がなく、巻き込まれたら地平線を目指して飲み明かす事になる。

 アセトアルデヒドが垂れ込める時間の概念が崩壊したカウンターで、クラブ愛とゴール裏の総括を迫られる、負のPDCAサイクル。遠征先でどんだけ馬鹿騒ぎしたのかを競い、手前味噌なサポーター論と、呂律(ろれつ)の回らない説教で袋叩きにする亜空間。曖昧(あいまい)な記憶と夢魔がゲル状に絡み合い、獅嚙憑(しがみつ)いた便座に散華する革命的敗北。想像しただけで胃液が喉で脈を打つ。復た、京浜東北線の始発に揺られて出社するのか。霞目に染み入る東雲(しののめ)の優しさ。車窓と二日酔いの頭を駆け巡る週明けの業務。

 駄目だ。俺はもう既にあの沈没船に呑まれている。余計な事は考えず、一番街のゲートを出たら、レイズサポの裏を狙って駅の東口を突破するしかない。そうだ、今の内にコンビニでスイカをチャージしておかないと。改札の前でまごついたら終わりだ。(つい)でにウコンも補充しよう。神は細部に宿る。俺は前頭葉に広げたエスケープマップに、一つ一つチェックを入れていこうとした。そこへ、

 「何で頭一つ下げられないんだよ。謝る気ゼロかよ。自分が何したか判ってんのかよ。」

 腰の座ってない罵声が、明後日の方角から、ぎこちなく割り込んできた。振り返ると、スポーツ科学センターとスタジアムを仕切る植え込みの脇で、エレーラのレプリカユニがゴシックのサポーターナンバーから不穏な気配を立ち昇らせて硬直している。どう見ても別れ話の(もつ)れとか、そんな艶っぽい類の物じゃない。物々しき仁王立ちで、腰から膝裏に提げたタオマフまでもが大仰(おおぎょう)に見得を切っている。

 とんだアディショナルタイムだ。ショートケーキに梅干しを載せた馬鹿の面を拝みに繰り出すと、何時もイックンと(つる)んでいる学生サポが一点を睨み付けている。日頃挨拶を交わす程度で名前も良くは知らないが、騒ぎを起こす様なタイプじゃない。罵声の主は他にいた。セーガクの背中に隠れて見えなかった男が、ネチネチと何事か(なじ)っている。試合中スタッフに連行されていったカメラ小僧だ。御自慢の一眼レフをセーガクの鼻先に突き付けている。レンズの保護フィルターを縦横に走る亀裂が暗がりに閃いた。

 「どうするの、これ?プロテクターの枠も曲がってて外れないし。マジで中のレンズまで逝っちゃってんじゃないの。幾らすると思ってんだよ。オイ、何とか言えよ。何時もの偉そうな態度はどうした。」

 釈放されたばかりで気が立っているのか。日頃から現場で煙たがられている事もあり、ここぞとばかりに紅潮して捲し立てるカメラ小僧に、セーガクの方は反撃の糸口が摑めない。恐らく、控えかユースの選手の写真を不躾(ぶしつけ)に撮っているのをセーガクが注意して、揉み合った挙げ句の果ての果て。良くある話とは言え、初期消火を舐めてかかると後で高く付く。これは未だ手に負える、勝負の出来る火事だ。開門前の騒ぎと違って、内輪で揉み消せる。こんな棒振(ぼうふら)(つつ)くしか能のない雑魚の遠吠えで消えていった奴を、何人も知っている。余計な物を巻き込む前に、種火の内にケリを付けるのが鉄則だ。開門前の焼け木杭(ぼっくい)に飛び火でもしたら、眼も当てられない。

 「大体、俺が何したって言うの。ねえ、そんなに写真撮るのって悪いの?ねえ、ねえ、そんなに悪いの?試合終わってるし、スタジアムの中でもないし。ねえ、ねえ、俺が誰かのスカートの中でも盗み撮りしたとかって言うのかよ?だったら今日撮った写真、全部確認してみろよ。ホラ、見てみろよ。」

 徒党を組んで行動する事の多いサイン厨と違い、このカメラ小僧は単独犯で、腹が据わってると言うか、変な処に芯がある。勝つまで喧嘩を止めない奴も面倒だが、カメラ小僧の様に喧嘩慣れしてないと、土鳩が縄張りを巡って殺し合う様に、相手が負けを認めても止めようとしない。狼の痛みを知らぬ飛べない鳥に捕まって、若手はもう限界だ。手が出たら、そこから後は止まらないだろう。試合後のスタジアムの外とは言え、人の眼も有れば警備の奴等も無駄に揃ってる。俺は二人の間に進み出て、若手の鼻先に突き付けられた一眼レフを取り上げると、カメラ小僧は一瞬怯んだもののスイッチを入れ直して吼え立てた。

 「何だよお前は、返せよ。器物損壊の証拠なんだよ。見ろよそれ、此奴が遣ったんだよ。器物損壊だ器物損壊。その証拠なんだよ。返せよ。オイ。」

 スタジアムに巣くってる者同士、向こうも俺の顔を知らない訳じゃない。面倒なのが来たと思っているのだろうが、お互い後の祭りだ。カメラ小僧とは呼んでいるが、近くで見るともう良い歳だ。こんなオッさんになってまで少女写真に没頭し、血道を上げるのも因果なら、それを黙って見過ごせぬ俺も因果の(とりこ)。魂の営為とは懸け離れた、ゴキブリ以上、カナブン以下が(いさか)う、最底辺の修羅の荒野に気が遠くなる。声を荒げて感情を募らせると言うサポーターの習性が、カメラ小僧には身に付いていない。日頃から(へそ)の下から声を出していないと、出る物は出ない。感情に追い付かぬ咆哮が、開門前の警備のトラメガの様に、単語から音素へと寸断し、蒸留された沈黙の激情が、ビッグマックや雪駄の断末魔にオーバーラップする。何時もの事だ。チャッチャと行くぜ。最悪俺が全部被れば良い。それが消えていった奴等の(とむら)いにもなるだろう。

 俺は軽く息を吐いて躰の力を抜いた。一発でピンのゾロ目が出せなきゃハイそれまでだ。南無三(なむさん)。カメラ小僧の足許(あしもと)に一眼レフを叩き付けた。周囲の視線がアスファルトを()ぜる衝撃の一点に集中し、お目当ての選手を待ち焦がれる、華やいだ空気が一瞬で静まり返った。根本から折れて集積回路が剥き出しになった望遠レンズと、マグネシウム合金の塊に堕した本体を蹴散らして一歩前に踏み出すと、生き肝を抜かれて顎の根の合わぬカメラ小僧が、何言か発しようと震える横隔膜で息を吸ったその瞬間に、

 「テメエ、差し違えるつもりで言えよ。」

 奥歯で怒気を噛み殺しながら、カメラ小僧以外には聞こえぬ様、その鼻先に吐き捨てた。たったそれだけの事で、小賢(こざか)しく跳梁(ちょうりょう)していたカメラ小僧の表情筋は垂直に落下した。赤銅(しゃくどう)から蒼白に反転した(まだら)な血色。後退(あとずさ)った靴底で散らばった破片が更に砕け、焦点を失った瞳は明後日を彷徨い、糸の切れた性根が震える唇から零れ落ちた。

 「すっ、済みません、でした。」

 こんな奴を相手に一瞬でも痺れた自分に腹が立つ。指一つ触れてないのに、茹で過ぎたアスパラみたいにフニャフニャ折れやがって。俺は安堵の色を(おくび)にも出さぬ様、アスファルトを煌びやかに飾り立てるアルミニウムとガラスの星屑を、下顎でしゃくり上げた。

 「片付けろ。」

 カメラ小僧は望遠レンズと本体だった二つの残骸を摑んで駆け出すと、人垣の途切れた先に広がる闇に同化して、正体を滅した。上擦っていた胸の鼓動が緩やかに治まっていく。(くるぶし)に漂うカメラの砕け散った余韻と、植え込みから微かに聞こえる秋の虫の声。一応ケリは付いた。それなのに、嵐が去った後の寂寥(せきりょう)とは程遠い、この残尿感。

 「アザーッス。」

 脇で見守っていたセーガクが屈託のない笑顔を炸裂させ、首を前に突き出す様にして小さく頭を下げる。悪い手本に焦がれる、汚れを知らぬ若さが俺の罪の数を指を折って数え上げる。

 「あんなのに手こずってんじゃねえよ。」

 セーガクがこれ以上俺の虚行に感染しない様、俺は踵を返した。処が、一歩踏み出したその先に、エレーラのジャージにバックパックを背負ったユースの選手が、母親と(おぼ)しき女性と並んで立っていた。まさかと思う間もなく、両手を膝の前に合わせて母親が深々と頭を下げ、ユースの子もぎこちなくペコリと頭を下げた。カメラ小僧が追い廻していたのはこの子か。パッと見、中学一、二年。エレーラが選ぶ子らしく小柄で線が細く、筋金入りのスポーツエリートにはとても思えない。ビードロ細工の様に潤んだ瞳は母親譲りだ。微かに八重歯が覗く、はにかんだ口元から溢れる幼気(いたいけ)な笑み。両親の手塩で清められ、真っ直ぐに育った気立てを証す、胸元まで伸びた飾る事を知らぬ無垢な黒髪は、宵闇に紛れても(なお)(すこ)やかな光貴を宿している。この子も麻木の様に美しくなるのだろう。順調に行けば、二、三年の内にトップチームで西が丘のピッチに立ち、天の配剤に(かな)えば、エリートの中の一人で終わらずに、日の丸を背負う事にもなるだろう。そして、容姿と実力を兼ね備えた、星のお姫様として商品化され、世間に骨の髄までシャブられてしまうのかもしれない。その手の嗅覚に秀でた元カメラ小僧が入れ込む位なのだから、初めて麻木を見た時、「旋毛が立ってるなあ。」位にしか思わなかった俺には察し得ぬ、非凡にして楚々(そそ)たる萌香(ほうが)があるのだろう。バックパックの肩ひもを弄りながら、上目遣いにチラチラと俺を見ている娘とは対照的に、母親は深々と下げた頭を上げようとしない。カメラ小僧と共喰いにも等しい泥仕合を演じた、何処の馬の骨とも知れぬ男に、甲斐甲斐しく礼を尽くしている。これじゃあ誰だって勘違いしてしまう。貴賤の天地が逆転し、絞り立ての蜜の様な優越が背筋に滴り、腰の窪みを伝ってケツの穴を舐める。疲れている所為もあるのだろう。俺の括約筋は震撼していた。足許に広がるカメラの残骸が一斉に粟立(あわだ)ち、躙り寄って爪先から踝へと這い上がってくる。此奴は相当にヤバイ。 故事の英傑にでもなったかの(ごと)き陶酔に、膝の(つがい)が外れそうになる。

しっかりしやがれ。これは罠だ。躓きの石だ。こんな霞を喰らって何になる。今更、人から認められ、必要とされ、感謝された位で(とろ)けてんじゃねえ。狼藉者が情に溺れた処で、血の臭いを嗅ぎ付けた鮫の餌食になるだけだ。自分が何者でも無くて何が悪い。瘋癲(ふうてん)の気概を見せやがれ。俺は込み上げる破廉恥な承認欲求を撲殺し、軽く会釈だけして親子の前を通り過ぎた。すると今度は、闇雲に舵を切ったその先で、赤いジャージが待ち構えていた。眼を奪う胸のエンブレム。麻木か?腰が砕け堕ちそうになるのを堪え、踏み止まると、チームバスの脇でジムバックを両肩に二つずつ抱えて、確か竹村とか言うレイズのSBが、俺を見詰めて立っていた。早合点したバツの悪さ。紛らわしい処に居やがって。紅い影が過ぎっただけで、麻木恋しさでそう見えたか。控えの分際で、片付けの途中に人の悶着を物見遊山(ものみゆさん)とは良い御身分だ。鞄持ちが気に入ってるなら、ホペイロにでもコンバートしてもらえ。俺は猛り合う内なる声を突き飛ばして睨み返した。それなのに、竹村は臆する事無く微かに頭を下げた。声は聞き取れず、ただ綻んだ口元が、

 「お疲れ様です。」

 と発していた。

 糞が。赤の他人を労うお人好しに、試合で務まるポジションなんてねえんだよ。後から来た連中に出し抜かれて、使いっ走りに廻される位なら、ペットボトルに下剤を盛ってでもスタメンを奪い返せ。俺は挫けそうな虚勢に額を何度も撃ち付けた。そうでもしないと、このベンチ外の聖母に(ひざまづ)き、改悛(かいしゅん)の情を自白して終いそうだ。

 気が付くと、選手の出待ちをしている人垣の連なる視線で、俺は野次馬の被写体に、衆望の編み上げる歪な虫籠の囚人に成り下がっていた。()し、他人が地獄と言うのなら、野次馬とは地獄のテーマパークだ。何奴(どいつ)此奴(こいつ)も、スタンドに(はべ)るその他大勢の癖しやがって。勝手に俺を品定すんじゃねえ。御前等のお眼鏡なんかに適ってたまるか。俺は誰にも限定されない。羞恥の楔で俺を磔にして、俺から俺を剥ぎ取れる物ならやってみろ。言語化されていない未整理の煩悶(はんもん)が、突き当たった単語を片っ端から毟り取って口に運ぶ。辻褄なんて二の次、三の次。奴等の好奇な眼差しは俺の自意識が乱反射した、疑心のブーメランだ。それを弾き返せるのなら何でも良い。俺には嘘が必要だ。人の痛みが麻痺する程の、もっとデカい嘘が。女学館、サッカー、サポーター、そんな物よりもっと派手で巧妙な嘘は、(まやか)しはねえのか。親譲りの人類アレルギーをテカテカに酸洗(さんあら)い出来る劇薬。どんな耐性も免疫も駆逐する似非化学の抗生物質。その副作用で最後の望みまで失明出来る呪いのタブレット。処方箋なんて要らない。真実が其処に在る限り、嘘っぱちに適量なんて無い。

 破戒の落下速度に俺は昏酔していた。開幕戦で移籍を発表する村里の号泣が、病院の洗面所で髪を洗っていた雪駄の背中の面皰(にきび)が、曲がった膝を引き擦りながら階段を上ってきた横田の乱れ髪が、瑞々しいレベスタの蒼い空が、自転車操業のカンクローの焦燥が、前半だけで逃げ出した初めての単独応援が、硬直した麻木の瞳が、コーナーフラッグの脇で行き倒れた結城の背番号が、現場灼けしたビッグマックの逆モヒカンが、ドラムを抱えて歩き続けたスタジアムの外周が、捨吉が持ってきた歌詞カードの薄弱な文字が、塩澤ママのお茶と御握りが、湯元ママの大らかな関西弁が、ワシントンへの転勤話をする湶さんのサバサバとした語り口が、尾形さんと塩爺の厚い包容力が、飛行機の窓外を旋回する福岡の夜景が、コマ送りで輪転する。そして次第に、雑餉隈(ざっしょのくま)の映画館街、日活ロマンポルノの立て看板、筑紫通りの一心亭、駄菓子屋の梯子、アサヒビールの工場見学、鹿鳴春のかた焼きそば、インベーダーゲームで埋め尽くされた喫茶店と、目眩(めくるめ)くラッシュは時を(さかのぼ)り、スライドショーのコマが欠け、途切れ途切れになって、立ち並ぶ鉄筋コンクリートのベランダと窓に木霊(こだま)するジェット機の爆音が、総てを掻き消した。

 

 

 突き落とされた追憶の井戸の底で、誰かが声を潜めて泣いている。足下に置いたランドセル。日の暮れた団地の片隅に立つ小さな影。土手の小道が夕闇に呑まれている。あれは諸岡川だ。ロイヤルの工場と浄水場の間にある、見える筈のない彼方の下原橋を見詰めて泣いている。団地の鍵を無くして部屋に入れず、土手の小道を自転車に乗り帰ってくる母を待って泣いている。湯飲み茶碗一つ割っても、鬼の様に殴り飛ばす親だ。鍵を無くしたと知れば、闇夜であろうが「探してこんや。」とがなり倒され、ブチのめされる。殴り疲れるまで殴られる。こんな目に遭うのは一度や二度の話しではない。「鍵を拾われたら、家のモンば全部盗まれて、そげん事になったら、どうすッとヤ。」何かに取り憑かれたあの眼の色。その理由が判らずに何時も怯えていた。空腹と肌寒さで震えている。叱られるのが恐くて、そして何より寂しくて泣いている。何時も待っていた。何時か本当の母親が、優しい両親が帰ってくるのではないかと。土手の彼方に灯りが点った。近付いてくる。母の乗った自転車か。大きくなる光に身を固くする。叱られるのが恐くて、でも、嬉しくて、涙が再び溢れてくる。光が大きくなる。赭い光だ。見た事のある赭だ。眼を凝らすと、赭い光が(うね)り、波となって押し寄せる。あの赭は確か、

 

 

 「あっ、先生、居た、居た。」

 テニスコートの脇を抜けて、ゴール裏の片付けを終えたレイズのコアサポが団体で現れた。駐車場の暗がりが原色の玉突き衝突で噎せ返る。(あか)(あか)が憚る鍔迫り合い。弾き出された彼の日の土手を辿る一点の燐火が、皮肉な笑みと擦れ違い、小鼻を抜ける微かな溜息に紛れた。こうなるともう斜に構えて感傷に耽る処の話しじゃない。ドラムを縛ったキャリーを牽きながら河瀬君が、口元で手酌を呷る真似をしながら、大股で近付いてくる。

 「先生、赤羽集合ね。」

 開門前の騒ぎは何処吹く風だ。瞬く間に緋いレプリカユニの渦に呑まれ、レイズサポの高カロリーな基礎体温に炙り立てられる。攻め落とした城の本丸に集結する隊列の様に、旗竿や横断幕を詰めたキャリーバッグ、有りと有らゆる紅い物量が駐車スペースを取り囲み、レイズサポの本陣と化していく。藤井君が飲み会に参加する人数を確認し、番頭格の山ピーが後輩のサポに弄られてキレている。始まった。サポ活の延長戦に開始のホイッスルや、ルールブックなんて無い。裁いてくれるのは何となく流れているその場の空気だけで、後は野となれ山となれだ。

 野次馬の眼も、サッカーと女学館に対する慚愧(ざんき)も、我が半生を彩る自虐史観も、土足で踏み荒らされて形無しだ。オイルの固着した歯車と歯車がぎこちなく噛み合い、錆を吹いたクランクシャフトが俺の中で軋みを上げ、脳血管に詰まった余計な考えを押し出し、何時もの粗野でムサ苦しい喧噪を、汗でふやけた肌が深呼吸し始める。背後から山ピーが俺の頸に腕を巻き、膝でケツを小突き上げた。

 「これはこれは、長浜の夜は女を替え玉、ラーメンは細麺、彼処(あそこ)は太麺のブリキ先生じゃありませんか。奇遇ですなあ。先生も行くッしょ。一緒に行くッしょ、赤羽。多分、何時もの中華屋だから、中華屋。」

 相変わらず下ネタ全開で、ベトナムから来たIT実習生みたいな面を擦り寄せ、ギロギロと俺を睨み付ける。何処も彼処もアドレナリンがアイドリング状態で、レイズと交われば、否が応でも緋くなる。

 「俺は良いけど、河瀬君とかどうなの?給料日前でしょ。持ち合わせとかあるの?」

 掌底(しょうてい)で山ピーの顎を下から抉り込む様に押し退けながら尋ねると、河瀬君は眼を細めて夜空を仰ぎ、明後日の星を指を折って数え始めた。リフレインする岩井さんのボヤキ。脱力した俺は、山ピーに掌底を後ろ手に捻り上げられ、再び余った片腕で頸をロックされた。

 「そんなモン、先生は最後のマハラジャと呼ばれた漢じゃないの。マハラジャが歩くと足跡が小判になるんだろ。持ち合わせならここにあるよ、ここに。」

 俺がケツに挿しているカイマンの長財布に膝蹴りを入れる山ピーは、これでもそこそこな会社のSEで、歴とした背広組だ。職場での胃酸が鳩尾(みぞおち)を突き破る程の重圧から解放されて、現場では圧力容器を突き破った中性子の様に弾けている。俺はスタンドでフル稼働しても、未だ騒ぎ足りない山ピーを振り解き、御仏の涙を(しゃく)(すく)って、慈悲の翠玉(すいぎょく)を振り撒いた。

 「まっ、出所祝いに、河瀬君の分くらいは俺が出すよ。山ピーは便所の蛇口でも(くわ)えてろ。」

 「ヨッ、流石、玄界灘の沈まぬ太陽。漢一匹。大明神。」

 星を数えていた指を止め、涙目で柏手を打つ河瀬君と、差別だ、ヘイトだ、オスプレイだとパヨクる山ピー。そこに、千葉の八千代さんからスマホに着信が入った。確か今日の試合は津山の筈だ。スピーカーの向こう側で、八千代さんのコールリードと酒灼けで潰れた声が爆ぜる。

 「先生、今何処(どこ)にいるの西が丘?俺ら今、中国道突っ切って、伊丹に着いた処なんだよ。これから羽田に飛んで、十時には上野に着くからさあ、ちょっと呑もうぜ。赤いヤクザの太鼓持ちもそこに居んだろ。」

 ちょっと呑もうぜとか言ってるが、レンタカーのハンドルから解放されて、プレミアムモルツを片手に、出発ロビーで既に寬ぐ、ジャージとサンダルが眼に浮かぶ。混じりっ気無しの麦芽100%なら、点滴に混ぜても御機嫌な人だ。死に神も避けて通る千葉のヤクザが、人の事をヤクザ呼ばわりして呑みに誘うのだから、この人の言う事は、メチャクチャか、ハチャメチャか、デタラメだ。

 「ったく、ヤクザは独りで十分なんだけどなあ。」

 フライングする腹の内に、黄色い方のヤクザが吼え、思わずスマホのスピーカーから耳を逸らすと、

 「若しかして、ヤクザから?」

 太鼓を叩いてる赤い方が同族臭に小鼻を()った。

 「そっ、羽田から上野に向かうって言ってるから、大統領で呑んでてもらえば良いでしょ。」

 「ンッ、大統領の盃で今夜は手打ちだ。」

 河瀬君のお墨付きで、赤羽経由、大統領行きが開通し、スピーカーの中で騒いでいる土建屋の社長にその旨を伝えた。五月蠅いのが増える度に、今夜のピースが埋まっていく。アルコールの引力に較べたら、太陽系の引力なんてパンツのゴムだ。未だ一滴も呑んでないのに山ピーはしつこく絡んでくる。

 「処で、中洲川端の毒蝮さんよお、例の綺麗所はどうしたよ。エエ、オイ、湶さん何処だよ、湶さん。サッサと出せよ。オイ。」

 「出せよって何だよ。大人しくポケットに入っててくれるんなら、とっくの昔に持って帰ってるよ。」

 「良いから出せ。俺のマラドーナはカテナチオなんだよ。」

 「知らねえよ。テメエのジュニオールくらい、テメエでナデシコしてやがれ。それが厭なら、婆ァのマンUか、犬のアーセナルにでも突っ込んでろ。兎に角、湶さんなら朝霞ナンバーのUFOで月に帰ったッつの。サッコちゃんとか門限あっから送ってかなきゃいけねえし。」

 「馬鹿野郎、そんなUFO、ササラモサラにしちゃれい。帰ったとか言って、本当はイタ飯屋で待ち合わせとかしてんじゃねえのか。それでその後は、ホテルで彼処(あそこ)をペペロンチーノかよ。それとも夜食は俺の棒ラーメンか?アン、どうなんだよ、博多スターレーンの黄色いブッチャーさんよお。」

 言い負かそうとした俺が馬鹿だった。この男の下ネタに限界はない。これ以上素面(しらふ)で付き合うのは無理がある。そう思っていた処に、千葉サポのミキさんにフラれたショックで、名古屋からレイズに移籍した駆け出しの雄大(ゆうだい)が、コンビニの袋を提げて現れた。何時の間に買い出しに行ったのか、こんな事だけは手際が良い。(うっす)らと結露を吹いた半透明のビーニールから、レイズのコアサポに配られるスーパードライ。雄大は俺の前に来ると、少し涙眼で最後の一本と一緒にレシートを差し出した。

 「ブリキさん、一応これ、俺、立て替えてるんですけど・・・宜しくお願いします。」

 出口のない留年生活を続けているとは言え、曲がりなりにも角帽(かくぼう)低頭平伏(ていとうへいふく)。邪険に出来ないのも計算ずくだ。

 「湿気(しけ)た面しやがって。(ぬる)くなる前に、さっさと寄越しやがれ。」

 缶とレシートを奪い取り、タブに指を掛けると、河瀬君が俺を背中から突き飛ばし車座のど真ん中にネジ込んだ。

 「先生、一言、頼んます。」

 藤井君は未だ向こうで飲み会の参加者の確認を取っているのに、河瀬君と山ピーはお構いなしに彌次を飛ばして、俺を急き立てる。酔えば忠臣、覚めれば移籍。この愛すべき魔物の球遊びには、壊れた人間の本能を修復出来る何かが在るのかもしれない。己の人生のエキストラにすらなれない俺には、お(あつら)え向きの幕間狂言(まくあいきょうげん)だ。灼け糞でスーパードライを掲げると、麦芽の泡沫が輝ける闇に破裂する。

 「それでは僭越(せんえつ)では御座いますが、日本女子サッカー界の更なる発展と、連日の殺人的猛暑の中スタジアムに駆け付けて下さいました皆様の御健勝を祈念して、乾杯の音頭とさせて頂きます。それでは皆さん、絶世を極める、この薔薇色の人生に、乾杯。」

 

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