記憶のオーバーロード   作:wash I/O

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第11話 鮮血帝との対話

 こんなに心地の良いソファーが愛妾(ロクシー)のところにあっただろうか?

 

 ジルクニフは微睡(まどろ)みの(なか)疑問に思う。

 決して粗末なものを与えることはないが、さりとて贅沢をさせることはないし彼女もそれを望むような女ではない。(うす)ボヤけた視界の中に、やはり見憶えのない優れた造作の調度品、見慣れぬ高い天井、そして……

 

 ……こちらを見つめる骸骨。

 

 いつかこのような日が()るかも知れない、とは思っていた。

 

 鮮血帝と諢名される自身のさして長くもない人生を振り返れば、犯すべからざる専権を侵され立腹した死神(グリム・リーパー)が予定を繰り上げて迎えに()る、ということがあっても決して驚くには当たらない。仮にそうであったとしても、狼狽するような無様な真似はしたくないものだ。

 

「体を起こしてもよいものだろうか?」

 

 意を決して骸骨に尋ねてみる。

 意外にも骸骨はこくりと頷いた。

 

 ジルクニフは横臥していた姿勢を見苦しからぬように正し、骸骨と対面するように腰掛け直して乱れた夜着を整える。

 

「……失礼した。

 貴殿が何者で、ここが何処か、尋ねても構わないだろうか?」

 

 体を起こすことを許されたことで、この骸骨が理非の通じない化け物でないことはわかった。もし、害意があるものであればとうに自分は殺されていて当然であるから、おそらくはそれもない。自分がここへ攫われるに際し、愛妾に害が及んでいないかはいささか気になるものの、それは今問うても仕方がないことであるし、彼女もそんな覚悟はとうの昔に済ませていたことだろう。

 

 骸骨は何も答えない。

 どうやら、こちらに何であれ仔細を明かすつもりはないようだ。探り出したいのは山々だが、ここは敢えてその意思に逆らう危険(リスク)を冒すこともあるまい。

 

 と、ここで、ジルクニフは対面する骸骨の口がやや開いていることに気づく。

 

「気分を害さずにいてもらえるとありがたいし、答えぬとあれば答えてもらう必要もないが……失礼ながら貴殿は何か驚いておられるようにお見受けする。間違っているだろうか?」

 

「いや……あまりに平然としているので……な。」

 

と骸骨。

 その存外気さくな応じ様にジルクニフは安堵しつつも訝しく思う。ともかく今は、こちらに叛意がないことを明確にすることだ。時間さえ稼げば何か逆転の機会が訪れるかも知れない。

 

「……おそらく貴殿は私が何者であるか承知の上でお招きいただいたものと思うが、立場上、どのようなことがあっても決して見苦しい姿は晒すまいと心懸けている……と言いたいところだが、種明かしをすれば、コレだ。」

 

と、ジルクニフは正直に身につけた首飾りを指差す。皇家伝来の精神防御の首飾りだ。

 

「私が魔法などで洗脳されるようなことがあれば大変なことになるから、肌身離さずにいる。」

 

 骸骨は身を乗り出すようにしてそれを見ていたが、やおら手を差し出した。

 

「……それはご勘弁願いたい。

 これを外せば貴殿を直視することが叶わず、醜態を晒すことになろう。

 

 身につけたままでよければ……検分は存分にしてもらって構わないが。」

 

 ジルクニフが謝絶すると、骸骨は差し出した手をさらに首飾りの辺りまで伸ばしてきた。さすがのジルクニフも息を呑んだが、ややあって骨の手の平がぼんやりと光る。

 

 当代随一の魔法詠唱者(マジックキャスター)として名高いフールーダ・パラダインを師父と仰ぐジルクニフは、自身は魔法の才を持ち得なかったが、知識については相応に備えている。

 今、骸骨が用いたのは無詠唱(サイレント)の鑑定魔法に違いない。鑑定魔法などそこまでして秘匿すべきものとも思えないが、この骸骨の守秘に対する考え方は徹底しており、ジルクニフは自身の最初の判断が間違っていなかったと確信する。いつもの調子でちょっとした会話の機微から相手の秘密を探る真似でもしようものなら、思いがけない逆撃を被るのは間違いあるまい。

 

 今は焦らないことだ。

 

 骸骨は、鑑定結果にさほど興味を持たなかったようで、再び椅子に深く座った。

 さて、これからどうしたものか、とジルクニフが考えていると、コンコン、と扉をノックする音がする。

 

 思わずそちらに目をやって、ようやくジルクニフは自分が恐ろしく端正な応接室で、同じく見たこともない豪奢な金糸銀糸に彩られたローブを纏った骸骨と相対していたことを認識した。

 いずれの調度品もまた超一級の逸品であることは疑いようもないが、彼を驚かせたのはそれらの品々よりも「失礼します」と台車(ワゴン)を押して入ってきたメイドと思しき女性のあまりの美しさの方だった。

 言葉を失ったまましばしメイドに目線が釘付けになったジルクニフだが、対するメイドは、決して人品卑しからずむしろ帝都の乙女の視線を感じない日のない彼に対して一瞥さえくれることもなく、骸骨と彼の前にそれぞれ一杯の珈琲を供すとそのまま黙って退出していった。

 

 骸骨に視線を戻すと、やはり手の動きでもって珈琲を勧められる。

 よもやここに至って毒殺などということはあるまい、とは思うが、果たして飲むべきか、飲まざるべきか。

 

 見れば骸骨は、両の手で(ソーサー)ごと持ち上げた珈琲を、何のお(まじな)いかはわからないが、自身の顔の前で水平方向にくるくると回している。

 ジルクニフ自身はどちらかと言えば他者にそれを強いる側であることの方が多いが、特に外交の場において各種儀礼のあるべきところがわからず、その場の上位者の立ち振舞をとりあえず真似てみる、ということはままある。それに倣ってジルクニフも骸骨の真似をしてみるが、なんとも言えない薫りが鼻腔を擽り、骸骨がそれを楽しんでいるのだ、ということはすぐに理解できた。

 

「あ、いや。付き合わなくていいぞ。

 この体だからな、飲めないんだ。

 遠慮せずにやってくれ。」

 

 意外な返しに本当に妙な骸骨だな、と思いつつも、あまりの薫りに勧められずとも試さずにはいられないと思っていたところだ。

 

「では、失礼して頂戴する……な、美味い!」

 

「そうか、よかった。」

 

「決して貴殿に阿ろうとするわけではないが、こんなに美味い珈琲を飲むのは初めてだ。」

 

とジルクニフは正直な感想を口に出す。珈琲で喉が潤ったせいか、勢い余っていつもの調子が出てしまう。

 

「それに、さきほどの……下女(メイド)だろうか?

 あんな美しい女性は見たことがない。」

 

「ああ、自慢の娘の一人(シクスス)だ。」

 

と骸骨。

 

娘子(むすめご)とは……いや、これは失礼をした!」

「構わんさ。」

 

 ……娘?

 

 あれが骸骨の……娘?

 

 しかも一人、ということは、他にも娘、息子がいるのだろうか。

 

と考えてジルクニフの脳裏に、骸骨の真意についての仮説が浮かぶ。

 

 自身を愛妾宅から造作(ぞうさ)もなく攫い出し、見たこともない豪奢な装束と調度品に囲まれ、皇帝である自分が飲んだことのない美味い珈琲を供する骸骨が、力づくで出来ないことなど何もないように思われるが、もしこの骸骨が力づくでなく自分を籠絡したいと考えているのであれば、真に血縁関係があるのかは定かではないが、美しい娘を充てがうというのはあり得る手段ではないか、と。

 

「私には多くの愛妾がいるが、貴殿の娘ほどの器量の者はいない。」

 

 咄嗟にジルクニフは、愛妾を多く抱える私に対しおまえが試みようとしていることは得策ではないぞ、という意図を込めてそう応じてみたが、骸骨には響かなかったようで反応がない。もう一押(ひとお)しが必要だろうか。

 

「正妃に王国のかの黄金姫を勧める者もあるが、今のところは正妃などというものを娶るつもりもないのだ。」

 

 やや危険か、とは思いつつも牽制してみる。

 

 が、これに対しては意外な反応が返ってきた。

 

「オレは、男女のことについてはどうこう言えるほどのものではないのだが……」

 

 ん?

 

「アレはやめといた方がいい。気持ち悪い女だった。」

 

 え?

 

「……貴殿はラナー王女をご存知か?」

 

「そんな名前だったか?

 この前ちょっとな……頭はいいが気持ち悪い女だ。」

 

 ここまで心が大きく動かされることを辛うじて(こら)えていたジルクニフも、これには大いに驚かされた。

 

 というのも、リ・エスティーゼ王国のラナー王女について自身の周囲にもその本質を見抜く者はおらず、しきりに婚姻を勧める彼らにうんざりしていたものだが、いくらジルクニフが「あれはトンデモない女だ」と窘めても、皆ジルクニフが正妃を娶らぬ口実に訴えているもの、と聞く耳をもたなかった。

 

 然るにである。

 人ならぬ目前の骸骨が、彼女について初めて自身とまったく同じ見解を示して見せたのだから、驚きを通り越してついに(こら)えきれず、ジルクニフはハハハッと声を挙げて笑ってしまった。

 

「……いや、失敬。

 決して貴殿の見解を笑ったわけではないのだ。

 

 不躾な物言いに思われるかも知れないが、貴殿とは気が合いそうだ。」

 

 対する骸骨も、何か感じるところがあったようで、フフと笑うと、

 

「そうだな。」

 

と言う。

 

 どうなることかと気を揉んだが、ひとまずたちまちに危害を加えられることはなかろう、と得心したジルクニフは、安全な帰還のためにはともかく骸骨の求めるところを満たすことが肝要であろう、と判断し、先手を打つことにした。

 

「思うに、貴殿は何か私に問い質したいことがあってここへ招いたものと理解しているが、合っているだろうか?」

 

 おそらくは望んで手に入らぬものなど何一つない骸骨が、自身をたちまちに害する様子もなく、飲み物まで供して何を欲するか。それはジルクニフだけが有する何らかの情報以外にあり得ない。

 

 思った通り骸骨は、こくりと頷く。

 

「貴殿の満足のいく答えを示せるか、は心許ないが、私に答えられることであれば承ろう。」

 

 すると骸骨は、改めて威を(ただ)しこう切り出した。

 

「おまえ、軍隊を動かしているよな?」

 

 

                    *

 

 

「軍隊?」

 

 デミウルゴスの報告に、アインズは素っ頓狂な声で応じた。

 

「左様で御座います。東方のバハルス帝国首都を発してリ・エスティーゼ王国に向かい進軍しております。その(かず)二万余。」

 

「二万……とは大業(たいぎょう)だな。」

 

 ユグドラシル時代、ナザリック地下大墳墓は一時(いちどき)に千五百人のプレイヤーによる襲撃を受けこれを撃退した経験を有している。あれも大概だったのに、その十倍以上の兵を擁する軍隊とは。無論、多くが百レベルのカンストプレイヤーから成ったかの千五百人と、こちらの世界の二万人とでは比較するのがそもそも間違っているだろうが、それでも二万人の兵士が行軍する様子はさぞ壮観だろう、とアインズは感嘆する。

 

「もっとも、実際に戦力となり得る重装歩兵は二千に届くか届かないか、といったところでしょう。他の大半は行軍中の諸々を供する輜重(しちょう)隊かと。彼らが戦わぬ、ということはないでしょうが、精々(せいぜい)戦場外縁(アウトレンジ)にて軽装弓兵となるのが関の山でしょう。ですが訓練はよく行き届いているようで、常備軍であることは間違い御座いません。」

 

 (こう)不幸(ふこう)かアインズは……この場合()()()()、と言うべきだが……戦争を経験したことがない。

 

 アーコロジーの相互補完が生存の大前提となったかの世界においては、戦争はまったく割に合わない行為であって、少なくとも鈴木悟の知識の範疇においてはそれは過去の歴史でしかなかった。実際には、アーコロジーからも締め出された被虐民による反撃は少なからずあったのだが、鈴木悟自身がそれに巻き込まれた記憶はないし、そもそもそういった行為は戦争ではなく()()()()()と呼ばれていた。

 

 ギルドの軍師ぷにっと萌えに嫌というほど聞かされた蘊蓄を通して、戦争と戦闘を混同しない程度の知識はある。戦闘が相手を打ち倒すことそれ自体を目的とするのに対し、戦争は政治的な目的がまずあって戦闘はその目的を達するための手段のうちの一つであり、かつ、その採り得る全手段に占める割合は存外小さい、といったことも。   

 また、シズ・デルタの創造主となるガーネットは軍隊(ミリタリー)マニアであり、彼を通じて仕入れた知識は、たとえば鈴木悟が生まれる少し前に欧州(ヨーロッパ)で起こった歴史上最後の戦争らしい戦争において用いられた軍服を元にした衣装をパンドラズ・アクターが纏っている、という形で影響を受けてもいる。

 だが、ぷにっと萌えにしてもガーネットにしても、彼らの知識は所詮は書物等を通じて得たものであり、(なま)の体験ではもちろんない。

 

 もっとも、自身の成り立ちの秘密に気付きつつあるアインズは、それについて偉そうなことは言えないのではあるが。

 

「いかがでしょう、アインズ様。よい機会で御座いますし、超位魔法の一発でもお見舞いし、御身(おんみ)御威光(ごいこう)をこの世界の者どもに知らしめるも一興、かと愚考いたしますが。」

 

 それはそれでなかなかに魅力的な提案のように思われたが、アインズは即応することを躊躇った。

 

 (せい)ある者を屠りたい、という衝動と共にある死の支配者(オーバーロード)である自分が言うのもおかしな話かとは思うが、人間の国であるなんちゃら帝国になんちゃら王国の人間を皆殺しにしたい、などという意思はきっとないのだろう。それは馬鹿のすることであり、労力(エネルギー)の無駄遣いだ。

 

 では彼らは何のために戦争をするのだろうか。

 ゲームのように領土を広げるため?

 

 何とかいう気持ち悪い姫は、王国をアインズに捧げる、などと言い出したが、あんな腐りきったガタガタの国などもらっても面倒なだけでどうしようもなく、だからアインズは歯牙にも掛けなかったが、それは帝国とやらだってそうだろう。いや、そうでもない理由があるのか?

 

「デミウルゴス。」

 

に聞いてみるのがいいかも知れない。

 

「はっ!」

 

「まずおまえの提案だが、気持ちは嬉しいが今回は却下だ。理由は……わかるな?」

「アインズ様がご出御なされば、たとえ一時的なことであったとしても、結果的にバハルス帝国、リ・エスティーゼ王国のいずれか一方を利することになりましょう。それをお望みにはならないものか、と愚考いたします。」

 

「……さ、流石はデミウルゴス、おまえこそ()が心を誰よりもよく知るものである!」

「お褒めいただき光栄で御座います。」

 

「……それでデミウルゴス。その……帝国とやらの狙いは何だと見る?」

「さて。人間種の考えは計りかねます。」

 

「……お、おまえでもそうか?」

「いえ、そういうわけでは御座いません。

 アインズ様もご承知のこととは存じますが、リ・エスティーゼ王国を攻め取ったとて益があるとは思えず、さりとて、私が内偵した限りにおきましては、バハルス帝国に強いてリ・エスティーゼ王国を滅亡へと追い込む動機があるとも思えません。ゆえに、この一見無意味な出兵の意図が計り兼ねる、という意味で御座います。

 

 強いて申し上げるとすれば……」

 

(お、やっぱり何かあるのか?)

 

「両国中間の要衝に、人間たちがエ・ランテルと呼ぶ街が御座います。この街が、どうしたことか過日不死者(アンデッド)の群れに呑み込まれるという変事があったようで御座います。」

 

「ほぅ?」

 

「私も事後に知りましたし、アインズ様がご関心を持つこともないと思われましたので特にご報告はいたしませんでした。いずれにせよ、リ・エスティーゼ王国が都市奪還の兵を出すというのであればわからなくも御座いませんが、あの愚か者たちに既にそのような余力はないでしょう。」

 

 一部知らなかった話があるとは言え、デミウルゴスの考えていることがほぼ自分のそれと一致しているのを聞いて、アインズはホッとする半面、それでは何のために戦争なんかするのだろう、という先程浮かんで以来頭を離れぬ疑問に対する答えが得られないことを残念に思った。

 

 やがて散会となり、アインズは自室で前以て約束していたアルベドと落ち合ってお楽しみ……実際のところアルベドはともかくアインズ自身は特に楽しんでいるわけでもないのではあるが……の時間を過ごしたのであるが、その間もこの疑問は頭の片隅に引っ掛かったままで、アルベドの嬌声が高まれば高まるにつれ、彼の好奇心もまた高ぶりを抑えることが出来なくなっていく。

 

 そして満足したアルベドがいつものようにすやすやと寝息を立て始めたのを合図に、ポンとアインズは手を打った。

 

「遠慮する理由はない。本人に訊いてみよう。」

 

 

                    *

 

 

「……貴殿においては、何かご不快があっただろうか?」

 

 腹は探るまい、と決めていたにも関わらず、ついついジルクニフは骸骨にそう問うた。

 

 思えば骸骨はラナー王女とどういった経緯(いきさつ)かはわからないが面識がある様子。決してあの気持ち悪い女に好意を持っているとは思えないが、それでも何らかの理由で骸骨が王国に(くみ)しており、先だって進発させた帝国騎士団を疎ましく感じている可能性は否定できない。

 

 あるいは、死都エ・ランテル事件の裏で糸を引いていたのがこの骸骨で、自分は虎の尾を踏んでしまったのだろうか。しかし……

 

「不快……だったらどうする?」

 

 しまった!とジルクニフは毒づく。

 こういった形に陥るのを避けるべく自らは問うまいと考えていたのではなかったか。

 

 二の句が継げなくなったジルクニフは、しばし沈黙を保った。

 

 だが、意外なことに骸骨は助け舟を出してきた。

 

「あぁ、誤解しないでくれ。

 おまえたちのすることに介入するつもりはないんだ。」

 

 そう……なのか?

 

「正直に言うが、見ればわかるとは思うが、オレは人間を含め生ある者を屠らずにはいられない存在だ。」

 

と物騒な告白。

 

 ゴクリ、とジルクニフは息を呑む。

 だが、続く言葉はあまりに予想したものとは違っていた。

 

「でも、おまえはそうじゃないだろ?」

 

 ん?

 何を言っているんだ、この骸骨は。

 

「それとも、そうなのか?」

 

 ……何ということを直球で、よりによってこの私に尋ねるのか、この骸骨は!

 

「……貴殿は私が世間からどう呼ばれているかをご存知だろうか?」

 

「いや。なんちゃ……帝国の皇帝、ということは知っている。」

 

「貴殿のような御仁からすれば失笑ものかとは思うが人呼んで鮮血帝、迸る鮮やかな血を好む皇帝、ということになるのだろう。」

 

(お、なんか格好いいな!)

 

 同時にアインズは不思議に思う。

 

 ここまで話してきて、目前にいる皇帝が非常に理知的で機転も利き、魔法の装備(マジックアイテム)の助けを借りてとは言えアインズの前で卒倒することもなく堂々と会話し続けていることには、驚きを通り越して感心すらしていた。

 しかもこの人物は先だっての王女とは違い、頭がおかしいからそうだ、というわけではないようだ。あの女ですら、最初はアインズの姿を見て恐怖に目を見開き、自身の意が通らぬことを悟った後は狼狽を隠さなかった。

 対してこの皇帝は、言葉遣いこそ丁寧だが決してアインズに阿ったり(へりくだ)ったりする様子を一切見せず、あくまでも皇帝として振る舞い続けている。

 

(これはなかなかどうして大した男じゃないか。)

 

 しかし、本人が言うには、彼は血を好む権力者だと思われているらしい。

 それはアインズが今覚えている印象とはまったくちぐはぐで噛み合わない。

 

「で……実際そうなのか?」

 

「私がこれまでやって来たことを思えば、他人からそのように見られることに抗弁するつもりはない。

 正直に言うと、貴殿の姿を見たとき、私の乱行に立腹した死を司る神が遂に鉄槌を下しに来たものかと思ったほどだ。今はそのようには考えていないがね。」

 

 骸骨からの応答が絶えたのに気づき、慌ててジルクニフは言葉を継ぐ。

 

「いや、すまない。貴殿の問いに答えるつもりが自分語りをしてしまい失礼した。」

 

 どうやらその言は意を得ていたようで、骸骨はそのまま手を振って続きを促す。

 

「貴殿が私に問いたかったのは、(せい)ある者を屠らずとも生きていける人間である私が、何故(なにゆえ)に無意味な(いくさ)をせんとするのか、といったところかと推察するが、合っているだろうか?」

 

 骸骨は黙ったまま頷く。

 ジルクニフは、しばしこれから語らんとすることを頭の中で整理するかの如く沈思黙考していたが、ややあってようやく口を開いた。

 

「貴殿ほど聡明な御仁に隠し立ては出来ないと思うので嘘偽りなく答えよう。

 一言で言えば、私には他に生きる術がないのだ。」

 

 ジルクニフは淡々と語る。

 

 先々代(せんせんだい)から始まった専制君主制の試みは一定の成果を収めたものの、既得権益を有した家門との調整にあまりに配慮を尽くしたこともあって内実は返って求心力の低下を招き、結果、対外的には強面の国家であるにもかかわらずその内部は互いに顔色を窺って意思決定が遅々として進まない、という矛盾を抱え込むことになった。

 皇帝候補の一人として生を受けたジルクニフは、このままでは帝国が内破することを確信していたが、それに対して積極的に打って出ることには躊躇いがあった。現状を変革し旧弊を打破するには、血を流さずには済まされないこともまた、彼には自明であったからだ。

 が、父帝が事故に見せかけた暗殺という形で身罷ったことにより、逡巡する猶予はなくなってしまった。今動かなければ、遅かれ早かれ自身も謀殺され、自惚れも甚だしい、と思いはするが、それをきっかけに確実に帝国は崩壊する。そう悟ったジルクニフは、速攻で実母、兄弟を含む潜在敵を粛清し帝権を掌握した。これはジルクニフにとってはとてつもなく危険な賭けではあったが、国家の停滞にうんざりしていた臣民は、この烈火の如く強い皇帝の登場を熱烈に歓迎した。

 とまれ、ジルクニフは賭けに勝ったが、その時点で欲しかったのは権力ではなくただただ身の安全だ。だが、一旦こうなってしまって、しかも臣民が自身を「親兄弟の血を啜ってでも帝位に至らんとした強者」と認知したからには、当面の敵がいなくなったので平穏無事に過ごしたい、などという主張が通らないのは明らかだった。少しでも()きを見せればそこから刺されるのはわかっている。となれば、彼には臣民が狂喜する()()()であり続ける以外に生きる道はなかったのである。

 

 隣国リ・エスティーゼ王国が放っておけば自滅に至ることには、もう随分と昔から気づいていた。ラナーが頭角を現した当時はその手腕に期待し、うまく力が拮抗すれば御の字、と考えた時分もあったが、その本性に気づいて希望は絶えた。

 無論、少なからぬ臣民もまた、滅びゆく隣国の弱さには気づいている。そして彼らは期待する。我らが鮮血帝は弱った王国を併呑するだろう、と。なぜなら、我らが皇帝は強い皇帝であるから、それこそが皇帝だから。

 だがこの論は、一見正論のように見えてまったく論外だ。帝国民八百万(はっぴゃくまん)に対して王国はややそれを超える。王国を丸呑みすれば人口だけでも帝国は倍に肥え太ることになるが、帝権を一つに掌握するだけでも親兄弟の血を流すなどという無茶が必要だったのに、さらに規模が倍になった国家を御すなどということは並大抵のことではない。しかも、既に滅びつつある王国を呑み込んだとて旨味などほとんどあろうはずもない。

 だかしかし、臣民は強い皇帝を切望し、鮮血帝が王国をその名の通り鮮血の雨を振りまいて蹂躙することを期待する。なぜなら、それが強い皇帝だから。

 

 嗚呼、救いのない同語反復(トートロジー)

 

「手立てがあるものならば、八百万(はっぴゃくまん)臣民に『王国など併呑したとて何もよいことはなく、むしろ諸君の被る害が増すばかりだ』と説いて歩きたいところだが、そのような手立ては現実にはない。

 さらに、こちらの方がより本質だが、ほとんどの人間は言葉を話しはするが本当の意味では言葉が通じない。彼らは目に見えて心地よいものに身勝手に(なび)くのみで、それはおまえにとって害のあるものだ、と言葉で説いても理解せず、ただただ目に見えて心地よいものを見せろと喚き立てるだけだ。そして、そういった(もの)たちをもまとめ上げることこそが皇帝の職務でもある。」

 

 アインズは、ただ黙って皇帝の独白に耳を傾け続ける。

 

「王国民も同じこと。私自身は、最善は王国民が腐りきったヴァイセルフ王家と連なる貴族を自ら打倒し、新たな王家なり共和制国家なりを樹立した上で帝国に服属なり朝貢の礼なりを執ってくれることだと考えているが、やはりこれも言葉では伝わらぬ。こちらから軍を進め、このままでは国が滅ぶ、ということを身を以て理解させねばならん。

 だがこれは諸刃の剣だ。帝国の下では生きることは叶わぬ、とまで思いつめられては死兵となってこちらに思わぬ損害を与えることにもなろうし、一度そうだと感じた者は敢えて我々と真っ当な関係を結ぼうとせず、逆に疑心暗鬼から無謀にも攻め込んでくることもあろう。

 だから私は王国民に対してはある程度手加減をせざるを得ない。手を替え(しな)を替え、私の真の敵とするところは、おまえたち一人一人ではなく、今おまえたちを取り巻く状況なのだ、と明に暗に理解させねばならん。が、これを臣下に『これこれゆえに手加減せよ』と命じれば、彼らは私を最早鮮血帝の名に相応しからずと判じて支持しなくなるだろう。だから私は、故意に部下に、そうとはわからぬよう失敗を犯させる形で手加減を実現しなければならない。」

 

 既にジルクニフの視線はアインズを捉えておらず、震える自身の手をじっと見つめている。

 

「すると彼奴(きゃつ)らは、今度は鮮血帝に失敗した臣下の粛清を期待する。期待されれば応えざるを得ない。おや、鮮血帝ともあろう御方が手柄も立てず敵を利した部下に寛大ではないか、などと侮られることは許されない。だから粛清する。すると彼奴らは言うのだ。あれは血を好む鮮血帝であると。

 

 こんな茶番は辞めにしてすべて放り出してしまおうか、と考えたことは一度や二度ではないが、その都度八百万(はっぴゃくまん)臣民の行く末が気がかりで思い(とど)まった。自分で言うのもどうかとは思うが、私が投げ出してしまえば帝国は再び停滞に陥り、遅かれ早かれ民草が路頭に迷うことになるだろう。

 

 否、それも綺麗事に過ぎぬ。

 

 私は帝国皇帝として生かされてきて他に生きる術がない。が、まだ朽ち果てたいと考えておらず幸いにして生きる術があるからには、そうして生きていくのが人間というものだろう。」

 

 不意にジルクニフの瞳が再びアインズを捉えた。

 

「貴殿は、貴殿が(せい)ある者を屠らずにはおられない存在だと言ったな。

 

 それが、そうせねば生きられない……貴殿を、生きている、と言ってよいものかどうかは存じ上げないが、そうであらねば存在できない、という意味で言っておられるのであれば、不遜ながら私も同類、ということになるかと思うが……

 

 いかがだろうか?」

 

 ようやく、アインズは何故自分が彼を招いて話を聞こうと思うに至ったのかを理解した。

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの円卓の間では、もちろんゲームとしてのユグドラシル攻略の会話が多く交わされたが、そうではない、現実社会(リアル)に関する会話も少なからず交わされていた。

 その中でも、アインズ、当時のモモンガ、すなわち鈴木悟の心に引っ掛かったもののひとつとして、アーコロジーの権力者に対しておこなわれたテロの報道についての雑談、がある。警察官として奉職していたと聞くたっち・みーなどを例外として、他の多くのギルメンたちは、何の疑問もなくそうした報道に喝采を送ったものだった。

 

 だが、当時の鈴木悟はそのことに少なからず違和感を抱いていた。

 

 確かに、アーコロジーの権力者に好感は(いだ)いてはいない。ああいう連中は許せない、と思うこともある。が、その人物はその人物なりの事情でそうあるはずで、テロという形で命を落としたり大怪我(おおけが)を負ったり、ときにその被害者が本人ではなく家族であったりすることを、無邪気に喜ぶのは果たしてどうなのだろうか、と。

 一方で、ギルドの維持を第一義に考える鈴木悟にとって、敢えてそれを直言して万が一にもギルメンたちの気分を害することは何を以てしても避けるべきことであり、実際、鈴木悟はそういった意見表明はしなかったのであるが、こうしてその違和感を思い出せるということは、何かの拍子にこの違和感をきっと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。

 

 でなければ、こうして思い出すことはないはずだ、と今のアインズは知っている。

 

 比べるのも馬々鹿々しいことではあるが、鈴木悟がそういった違和感を(いだ)いたのは、曲がりなりにもギルド長として、自身の思いを曲げてでもギルドを維持していかねばならない、という強い自負があったからだ。

 自分はギルメンたちの、引いてはギルド、アインズ・ウール・ゴウンに愛憎入り交じった視線を注ぐすべてのユグドラシルプレイヤーの期待に応えるべく、魔王ロールを演じきり、実際に非公式ラスボスだと思われていた。が、鈴木悟自身は魔王などには程遠い小心者(しょうしんもの)で、むしろ自身が周囲の期待を裏切ってしまうことに怯えていたくちだ。アーコロジーの権力者たちも、程度の差はあれ同様だったろう、と考えない理由はない。

 

 そして今、すべての軛から解き放たれたアインズには、実際に当代の権力者に、かつて自身の喉に刺さったままとなったこの疑問を問い質す自由がある。

 

 果たして、この者は打破されて然りの魔王なのか、それとも、かつての自分同様に心ならずも魔王ロールを演じる者なのか。

 

「……おまえにとっては辛いことを聞き出してしまったな。」

 

 アインズは、自分らしからぬことを言っているな、と自覚しつつも、そう言わざるを得なかった。

 

 目前の皇帝が()()()()()()()と共感する力は失って久しい。だが、周囲の期待に応え続けることだけに生きる意味を見出し、人間としての生を終えるその瞬間まで地下大墳墓の墓守を黙々と続けていたのはアインズとて同じことだ。

 そしてジルクニフが、()って喰うわけでもないのに生きる者を屠らずにはいられない存在だ、とアインズのことを理解しながらもこうして共感を示してくれたように、自分もそういう意味においてはジルクニフに共感することが出来ることを喜ばしくすら思う。

 

 オレは化け物になってしまったわけではないのだ。

 

 対するジルクニフは、何か吹っ切れたのか、カカカと笑う。

 

「皮肉なものだ。誰も私の真意を汲んでくれる者などいなかったのに、人ならぬ貴殿が私の心を汲んでくれようとは。むしろ感謝申し上げたい、長年の胸の(つか)えが下りたよ。」

 

 そして今のアインズは、シズが取り組んでくれている検証の結果待ちではあるものの、こうしてこの孤独な皇帝に共感することは鈴木悟だけでは到底叶わなかったこと、彼を含む至高の四十一人の思いに支えられているからこそ共感できるのだ、と確信している。

 きっとこの男にだって、自分のかつての、そして今の仲間たち同様に、どの程度まで彼のこの思いを理解しているかはともかく、支えてくれる仲間がいるのだろう。

 

 不意に、自分はこの世界においては破格の自身の力を使ってこの皇帝の覇業を支援してやるべきだろうか、という思いが浮かぶが、それはすぐに打ち消された。少なくともここまでの会話でこの男がそんなことを望む人物でないことは理解できたし、そんなことをすれば、この男本来の輝きを自身が奪ってしまうことにもなりかねない。

 

 第一、遠からず自分はこの男のことを忘れてしまうのだ。

 

 であれば……

 

「何か食べるか?」

 

「……はっ?」

 

「ご覧の通り食事をしない身なのですっかり忘れていたが、腹が減ったろう?

 何か用意させよう。望みはあるか?」

 

 本当に妙な骸骨だ、とジルクニフは思う。

 

「そうだな……鮮血帝の諢名を頂いてはいるが、実は血の滴る肉は好みではない。出来れば野菜中心の軽い食事を。加えて……」

 

「加えて、何だ?」

 

「さきほど馳走になった珈琲を今一度賞味できれば言うことはない。」

 

「……気が合うな、オレももう一杯欲しかったところだ。」

 

 

                    *

 

 

 翌朝、ジルクニフは何事もなかったかのように妾宅で目を覚ました。

 

「……夢?」

 

 ややあって、彼が最も信をおく愛妾ロクシーが下女(メイド)を伴って来室(らいしつ)する。

 

「結局、そのままお泊りになったのですね。あれほど子を産む女のところへ行け、と申し上げましたのに。」

 

 軍を進発させその報が大方(おおかた)帝都全域に周知された時分になると、会食を口実にロクシーを通して臣民の今回の進軍に対する反応を窺うのは、ジルクニフにとっては恒例行事(ルーティーン)になっている。昨夜もそうで、人肌恋しくロクシーに(ねや)を共にすることを求めたがにべもなく断られ、そのまま妾宅の寝室で独り眠りこけたものらしい。

 

「……(にが)い。」

 

 ロクシーに供される朝の珈琲は、彼にとっては何にも増して心癒されるものであったはずだが、今朝のそれはどういう訳か口に合わない。されば、あの骸骨に二度供された忘れがたい美味い珈琲は、夢ではなかったのだろうか。

 

 そしてふと不安が()ぎる。

 

 今回の出兵は、場合によってはリ・エスティーゼ王国の要衝エ・ランテルを埋め尽くしたという不死者(アンデッド)を駆逐することも念頭においている。かの骸骨との会見が夢でなかったとして、紛うことなく不死者であった彼の不興を被ることにはならないだろうか。早馬を飛ばせばまだ間に合うやも知れない。

 

 だが同時にこうも思う。

 

 ジルクニフに、おまえは(せい)ある者を屠らねば生きていけないわけではないのだろうと問い、それでも鮮血帝であらねばならぬこの身に共感を示してくれたあの骸骨が、死都エ・ランテルの黒幕などということがあるだろうか。かの御仁が関わったことであれば、そんな月並みな不死者の行為ではなく、もっと想像の埒外のことが起きていて然りではなかろうか。

 

 そして皇帝は覚悟を決める。

 

 もし、エ・ランテルの不死者と鉾を交えることがあの骸骨の逆鱗に触れこの命が奪われるとすれば、それはそれでいいではないか、と。むしろ()は、自分が本当の意味で鮮やかな血を好む者へと堕ちたときにこそ再び現れ、この限りある命を然るべく屠る者ではないのか。それを伝えるべく来訪したのではないか。

 

 それを思い続けること(メメント・モリ)が叶うなら、自分は鮮血帝に成り果てることなくこの生涯を全うできるやも知れぬ……と。

 

 

 

 帝国軍二万余は街道に沿ってリ・エスティーゼ王国領に侵入し城塞都市エ・ランテルに至ったが、常ならば待ち受ける王国軍はそこになかった。

 

 帝国軍は、死都と化したとはいえエ・ランテル周辺を王国が簡単に放棄するとは考えておらず、例年通り王国軍がエ・ランテル東方に陣取ることを前提していた。が、王国側はヴァイセルフ王家が急速に求心力を失い、王直轄領かつ今は不死者のみが闊歩する都市の防衛に王派閥、貴族派閥共に意義を見出(みい)ださなかったこと、それ以上に(かなめ)のレエブン侯爵がいち早く自領地エ・レエブルのみを守備する構えを見せたことから遂に出征の機会を逸した。

 

 もっとも、帝国側からすればこれは意外でこそあれ想定されていた幾つかのシナリオのうちの一つであり、帝国第二軍将軍ナテル・カーベインはそれに従って()()エ・ランテルの制圧を開始する。重装騎兵二千は街を埋め尽くす不死者(アンデッド)を半月かけて駆逐した。

 途中、何の(ゆえ)あってか「お母さん、お母さん」と喚きながら襲来する死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)に苦戦する一幕もあったが、帝国四騎士と並び称される雷光バジウッド・ペシュメルと激風ニンブル・アノックの奮闘で辛くもこれを撃退し、遂に死都エ・ランテルの解放に成功する。

 

 以て皇帝ジルクニフは「都市を不死者(アンデッド)に委ね奪還も試みぬリ・エスティーゼ王国にエ・ランテル領有の資格なし」を周辺諸国に宣言する。帝国が(かね)てよりカッツェ平野の不死者間引きに尽力してきたことは広く知られており、今回の出兵はその延長線上にあると後付で説明がなされた(てい)となるが、これに対して王国、スレイン法国ともに沈黙で応じたため、バハルス帝国によるリ・エスティーゼ王国東方辺境切り取りは既成事実と化した。

 並行して帝国は、エ・ランテル周辺に点在する村々に驚くべき迅速さで軍吏を派遣し、帝国()市民権の付与を宣撫すると共に、村に(とど)まるもエ・ランテルに移住するも、はたまた帝国領内へ移るも勝手と通達した。エ・ランテルには当面帝国第二軍団一万人が駐留し、かつ最低限の食糧等の配給が約束されたため、少なくない元王国民は再び(せい)ある者の街となったエ・ランテルへの移住を選んだ。

 

 この途上、トブの大森林に近い辺境中の辺境において、帝国軍吏の一分隊(いちぶんたい)小鬼(ゴブリン)の軍団に守備された砦を発見する。王国民接収に当たっては無理強いが堅く禁じられており、また、将軍カーベインの日頃の教導がよく行き渡っていたこともあって、この遭遇は武力衝突に至ることなくひとまず帝都に正しく報告された。

 皇帝は王国辺境に隠れたこの不可解な人間と亜人の共同体に強く興味を惹かれたが、屈強な防壁に囲まれた村の見張り塔に髑髏(ドクロ)をあしらった旗が掲げられている旨を聞くと、一時(いっとき)考える素振りを見せたが途端に関心を失ったのか、

 

「その(もの)たちがエ・ランテルに討って出て来るのであれば殲滅せよ。

 そうでないのであれば捨て置け。

 帝国は人間の帝国であって、亜人に庇護を与えるものに(あら)ず。」

 

と宣じたと言う。

 

 そのときのジルクニフの脳裏に、過日の夢とも(うつつ)とも言えぬ一夜があったことを知るものはいない。

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