悔い改めるときが来た、と申し上げねばなりません。
これからお話しする物語に登場する方の一部は既に故人であり、しかもその罪の重さ故に復活も叶いませんでした。その方々は復活を許されないことによって裁かれた方々であり、その罪を鳴らすことは私の本意ではありませんのでお名前は伏せさせていただきますが、私がお話しすることは誓って事実であり私自身が体験したことだ、ということは前以てご理解いただきたいと思います。
その夜、私は聖騎士団見習いとして行軍訓練に加わっておりました。
三日ほど前に長城を越えて丘陵に入り、日中に僅かばかりの仮眠をとって夜間はひたすら行軍する、というそれは厳しいものでしたが、その時点での私は、これも聖なるお勤めと信じておりましたので、不満を漏らすこともなく、ただただ遅れることはあるまいと必死に食らいついておりました。
問題の夜になって、俄に隊列前方が騒がしくなり私たちには弓と火矢と火口箱が配られました。まさか突如実戦になるとは思っておりませんでしたので内心私はおろおろとしておりましたが、こうなったからには心を決めてお役目を果たす他ないと、分隊長の指示に従ったのでした。いつの間にやら、私たちは亜人の小さな集落を囲んでおりました。亜人たちは寝静まっていると見えて物音一ついたしません。合図をするまで火口箱を扱ってはならぬ、と厳命を受けました。
どのくらいたったでしょうか、私たちのいる場所から集落を挟んで反対側で鬨の声が上がりました。後で知ったのですが、騎士団長率いる別働隊が陽動のために先行したものでした。いくつかの幕屋から山羊人の戦士たちが飛び出し、それで初めて私はここが彼らの野営地であることを知りました。彼らはごく僅かな守備兵を残して別働隊の方へと向かいました。別働隊は、一旦仕掛けた後は退却を擬態したようで、山羊人の集団はその後を追っていきました。
その気配がぎりぎり感じられなくなるくらいに離れたとき、分隊長が手信号で火矢の準備と即時の斉射を命じました。私は高鳴る鼓動を堪えつつ、とにかく落ち着いてお勤めを果たそうと言われた通りにいたしました。私たちの放った火矢はたちまちに山羊人の幕屋を炎上させ、集落は大混乱に陥りました。
燃え上がる幕屋の中からは次々と山羊人が飛び出して来ましたが、その多くは小さな子どもを抱えておりました。ご承知のこととは思いますが、山羊人にはその年に生まれた子どもたちだけを集めた集落でそれを養育する習慣が御座います。私たちが夜襲した集落がまさにそれだったのです。
その時点での私は、これは偶然に生じた不幸な出来事だと思っておりましたので、相手が亜人とは言え、子どもを連れて逃げ惑う彼らに次々と火矢を浴びせかけることには大変心が痛みました。が、分隊長は攻撃中止を命じては下さらず、逆に、もう火は用いずともよいから子どもを抱えて集落から逃げ出そうとする山羊人を狙撃せよ、と命じられました。
私の心は揺れました。
果たしてそんなことが許されるのだろうか、と。
これが聖騎士の勤めと言えるのだろうか、と。
ですが同時に私は、これは私の弱い心に悪魔が囁いているのではないか、とも思いました。
そのときです。
私は燃え上がる幕屋の炎に照らされて、悪魔が踊っているのを見たのです。
いえ……私が見たのは正しくは悪魔ではありません。ニヶ月ほど前に東方から亡命してこられた剣客で、剣術指南待遇で聖騎士団に迎えられ、切り込み隊長と呼ばれていた御方です。騎士団長同様に女の身でありながら、それはそれは強い御方でした。悪魔が踊っている、と申しましたのは、その御方が両手に聖騎士団の正規の装備とは異なる細身の剣を持ちながら、恐ろしい笑みを浮かべて山羊人の兵や子どもを抱えた母親を突いては蹴り、突いては蹴りを繰り返されていたからです。
「まだまだ終わりじゃないんだよー!」
そう叫びながら揺れる炎に照らし出された彼女は、まさに悪魔でした。
私は、そうであってはいけない、と思いつつも、もはや矢をつがえることが出来なくなっていました。私の弱い心に付け込んで聖騎士の勤めを疎かにさせようとする悪魔と、目前の炎の中で最早戦意を喪失し逃げ惑うばかりの山羊人を屠る悪魔。どちらが真に悪魔であるのか、わからなくなってしまったからです。
ですから、私は祈りを捧げたのです。
どうぞ、弱い私にお導きを賜れますように、と。
どうか、愚かな私にいずれがまことの悪魔であるか分別する力をお与えください、と。
するとどうしたことでしょう。
突如、集落の中央辺りに新たな悪魔が現れたではありませんか!
しかも、二体も!
*
(こんなの聞いてねーぞ!)
とクレマンティーヌは毒づいた。
死都エ・ランテルを脱して逃げ込んだローブル聖王国にて聖騎士団に客将待遇で迎えられた後、騎士団長自ら指揮する亜人絶滅作戦に従事すること数度、団長率いる本隊が亜人主力を引き付けている間に彼女率いる小隊が女子どもが残された集落を焼き討つという作戦が図に当たり、思う存分一方的な殺戮を満喫してきた彼女であったが、ここに来て想定外の乱入者を迎え進退極まった。
片や白銀の全身鎧の騎士かと思いきや、その胴から生える腕は計四本。兜の吹返しかと見えたのは左右に開く大顎。スレイン法国特殊部隊、漆黒聖典で多くの異形種との戦いを経験してきた彼女とて、見たことも聞いたことすらない蟲形の怪物。
もう一方は一見して見慣れた死者の大魔法使いとも思えるが、身にまとった金糸銀糸に彩られた豪奢なローブ、全ての指に備えられた恐るべき魔力を秘めると思しき煌めく指輪が、見つめるは恐ろしくも目を逸らすことを許さぬ不死者。
(殺らなきゃ殺られる!)
数多の死線を掻い潜ってきた彼女なればこそ、並の者ならば背を向けて一目散に逃げ出すこの瞬間に、生への一縷の望みをかけて咄嗟の一撃を放つ。
目指すは不死の魔法詠唱者。彼女の獣の直感は、従者に見える蟲の怪物がこの魔法使いの射線上には決して出て来ないと見抜き、自身と骸骨と怪物を双曲線を描いて貫く軌道へと豹のような靭やかな肉体を運ばせた。
(アレを打ち倒すことさえできれば脱出の筋もある!)
<能力超向上><超加速>!
切り得る最上の持ち札すべてを切って渾身の一撃を放つ。
彼女自身が骸骨に向けて放たれた必殺の矢であるかの如く。
然るに……。
「馬鹿な!」
骸骨の額を正確無比に狙った細身剣の渾身の突きは、驚くべきことに骨の指先で受け止められた。突き貫いた後に発動される予定だった、剣に込められた<火球>の魔法が発動するも、その力は知覚不能の結界に妨げられ虚しく霧散する。
<流水加速>!
それでも彼女は諦めることなく咄嗟にさらなる武技を発動し、左手の細身剣を、右手の指で彼女の刺突を受け止めている魔法使いにとって死角となるであろう右肩に突き立てんと振るうが、その切っ先は的に届く寸前に骸骨が交差させた左手でいとも容易く薙ぎ払われた。さきほど同様に剣に込められた<雷撃>が発動するが、それはひととき瞬くのみで何処にも達しない。
「魔法詠唱者など、スッといってドスッ……とでも思ったか?」
不敵に骸骨が笑う。
「無抵抗の亜人を遊び半分に殺めて喜ぶような腰抜けは脱兎の如く逃げ出すかと思ったが、最善の軌道で飛び込んで来たことは褒めてやろう。いい勉強になった。」
「な、舐めるなーッ!」
なおもクレマンティーヌは鋭い蹴りを放ちその反動で一旦距離を取ろうと試みるが、虚しくもその一撃は骨の手に掴み取られ、返って身の自由を奪った。
「この期に及んで背を向ける卑怯者であれば悲惨な最期をくれてやろうかと思っていたが、その蛮勇に免じて慈悲をくれてやる。美しいままに死ね。<死>!」
かくり。
糸の切れた操り人形のように、抗う術なくクレマンティーヌの体はどさりと地に墜ち、そのままピクリとも動かなくなった。と同時に、骸骨、すなわち死の支配者たるアインズの体を震えるような喜悦が襲う。
「ワハハハハッ、堪らんな!
特にこの手のクソを片付けたときは格別だ!」
嗚呼、この充足感を味わうべくオレは存在している、とアインズは確信する。
そこへ一本の<伝言>が届けられた。
(標的Aが戦域外から引き返し御身へ接近中。会敵までおよそ90秒。)
「あぁ、標的Bは今片付けたところだ。」
(……確認、他に想定外の脅威は御座いません。)
「了解した。引き続き哨戒を頼む。」
自分たちがこの世界においては破格の存在であることを自覚して久しいが、決してその世界に対して舐めてはかからないことは、アインズを始めとするナザリックの面々が共有する基本方針だ。
今回の狩りも、いつものようにデミウルゴスが仕入れて来た情報が発端となった。
曰く、アベリオン丘陵において二週間ほど前から亜人の未成年者が暮らす集落を狙い撃って焼き討ちする一団がある、と。以前からの情勢把握により、隣接する人間国家ローブル聖王国と丘陵に暮らす亜人連合の間に小競り合いがあることは理解されていた。
亜人種たちの多くは、主食にこそしてはいないがローブル王国の人間種を捕食することがある。彼らが住まうアベリオン丘陵に阻まれ、聖王国は海路を除き他の人間種国家からは孤立気味だ。対する人間種は、彼らが長城と呼ぶ城壁を丘陵に向かって建造し、海に面した肥沃な大地から亜人種たちを締め出して独占している。
アインズも、これが単に生存競争の過程で生じているものであれば強いて介入するつもりもなかったのだが、デミウルゴスの内偵により、これらの戦闘にはさしたる戦略的な意味がなく、これを指揮する聖騎士団長とやらの動機が彼女が盲信するところのいささか政治的立場の弱い聖王女に亜人討伐の華を持たせて誇ること、ただそれのみであり、付き従う副官は単なる快楽殺人者だということを知るに及んで食指が動いた。
かつてナインズ・オウン・ゴールが忌み嫌い、立ち向かった異形種狩りを想起したが故である。
嗚呼、憂き世に狩りの獲物は尽きまじ!
ややあって、アインズは純白の鎧を纏ったまたしても女が、自身に向かって来るのを認める。
聖騎士団長、すなわち標的Aだ。
ニグレドが監視したところによると、呆れたことに陽動部隊の指揮を放り出して単身駆け戻ったものらしい。突如指揮者に打ち捨てられた部隊は大混乱に陥っており、遅からず亜人の強者たちに悉く討ち取られるだろう、とのこと。
何コイツ、馬鹿なの?
アインズの感想を知ってか知らずか、駆けつけた女騎士は開口一番、
「我が聖剣サファルリシアが常にない鞘鳴りを起こすので何事かと立ち戻ったが、貴様こそが悪の権化、正義の刃を受けるが良い!」
と言うが早いかその聖剣を抜き放ち、屹と剣先をアインズへ定めた。
思わずアインズは苦笑する。
「狭量にして無知蒙昧な絶滅主義者、大局も顧みず仲間も見捨てる大馬鹿者が、よりによって正義とは笑わせてくれる。」
しかし女騎士、レメディオス・カストディオもまったく怯まない。
「聖剣がその輝きを以て貴様を指し示すことこそ、我に正義があり貴様が悪である証!」
と、今にも飛びかからんと構えを取り、鎧の各所がきゅきゅと締まる。
「ならば試してみるがいい。
おまえの言う正義とやらがオレに通用するものか、をな。
決死の覚悟で掛かってこい!」
アインズは両の骨の手を左右に開き、敢えてその胸を突いてみろとばかりに曝け出した。
下腹部に収まる真紅のモモンガ玉が怪しく光る。
「手出しは無用だ。」
三歩下がって控えていた蟲王に一瞥を送りアインズはそう告げたが、それを隙きと見たか、白の女騎士は一気に彼の胸元へと飛び込んだ。
聖剣サファルリシアの濁り一つない自ら光輝く刀身が、骨の身の、もしあるのであれば心臓が収まる辺りを一息に貫く!
*
確かに私は見ました。
騎士団長の聖剣が、かの不死者の胸を一息に貫いたのを!
愚かにも私は思いました。
正義の力はかくも偉大なのかと!
ですが、それは誤りでした。
その胸を聖剣に貫かれたまま、かの不死者は何事もなかったかのようにこう言い放ったのです。
「おまえの正義とやらはそんなものか?」
と!
*
「……そ、そんな馬鹿な!
聖剣サファルリシアは、如何なる邪悪なものも打ち倒す神聖なる御剣。」
深々と死者の大魔法使いの胸元深く貫いた剣の柄を掴んだまま、レメディオスは驚愕した。
確かに急所は突いた。だが、この余りの手応えのなさは何だ!
「冥土の土産に教えてやろう。
おまえのその認識は必ずしも誤ってはいない。
この剣のデータ量はオレを傷つけるに十分なものを備えている。
だが、オレが前もって魔法で読み取った剣の効果の但し書きにはこうあったぞ。
『振るうものが真に正義の使徒である場合に限る』とな!」
骸骨顔が不敵に笑う。
「あ、あり得ない!
私の戦いは常に正義の戦いだ、そうであるはずだ!」
最早無意味であるにも関わらず、レメディオスは虚しくも抗弁した。
返って来た言葉が彼女の心を抉る。
「おまえは自らが頼みとする聖剣すら信じないのか?
では、おまえの正義とやらは一体何なんだ?」
「私が……私こそが正義で、私の敵こそが悪だ!」
ここに至って前非を悔いるのであれば手心を加えてやろうかとも思ったが、そんな必要はない。
「そんなだから聖剣は鈍らと化したのだ。
おまえが亜人が嫌いだ、と言うのならまだ耳を傾けなくもない。
が……
女子どもを焼き討つ正義などあってたまるか、クソが!」
ガッと差し出された骨の手の平が女騎士の顔面を鷲掴みにする。
そのまま為す術もなく持ち上げられた彼女の両の足が虚しく空中にぷらぷらと揺れた。
「おまえには冥府で反省する機会すら与えん。
<真なる死>!」
レメディオスの魂がこの世界から完全に消失した。
アインズは深い酩酊にも似た陶酔を覚える。
嗚呼、今宵は何て素敵な夜なのだろう。
こんな夜は、いくら屠っても屠り足りないぞ!
ワハハハ……ッ!
*
確かに私は聞きました。
かの不死者が騎士団長の正義を問うた後、高らかに嗤ったのを!
確かに私は見ました。
騎士団長の命の炎が何ら為す術なく掻き消えたのを!
そして私は自身の最期をもまた覚悟したのです。
目の前に確かにある死が、ゆっくりと、ですが確実に、歩み寄ってくるのを感じたからです。
私の隊に逃げ出す者はおりませんでした。
聖なるお勤めを果たしたい、と勇気を振り絞っていたわけではありません。
私たちは、自分たちの信じた正義が目の前で虚しくも崩れ去るのを目の当たりにし、何も出来なかったのです。
そのときでした。
かの不死者の後ろに控えておられた御蟲様が、不死者の前に立ち開かられたのは!
御蟲様がこう仰せになるのを私は確かに聞きました。
「オ館様、今宵ハ既ニ興モ覚メマシタ。
元ヨリ愚将ニ従イタル勤兵ニ罪コレナク、ソノ一命ヲ助シ給ワランコトヲ。」と。
するとどうしたことでしょう!
かの不死者が禍々しくも神々しい緑色の光に包まれました。
そして、それまで周囲に濃厚に漂っていた殺気が嘘のように掻き消えたのです。
私は不死者の声を聞きました。
「よくぞオレを止めてくれた、感謝しよう。」
御蟲様はこのようにお返しになりました。
「オ館様ノ御心ノママニ」と。
そして御蟲様は、跪いて震える私たちにこのように仰せになったのです。
「汝ラハ、オ館様ノオ慈悲ヲ以テ一命ヲ助サレタ上ハ、ヨクヨク悔イ改メネバナラヌ。」
さらに御蟲様は、四つの非ずをお説きになられたのです。
「正義トハ、何人カニ示サレルモノニ非ズ。
正義トハ、己ノ心ニ従ウモノニ非ズ。
正義トハ、自明ナルモノニ非ズ。
正義トハ、不明ナルモノニ非ズ。
億劫ニ心労ヲ重ネ漸ク辿リツク境地ナレバ、
安易ニ口ニスルコト勿レ。」と。
そのとき私は悟ったのでした。
御蟲様が私の祈りに応えてご降臨くださったのだということを!
短兵急に正義とは何かを問う私を、
オーヤカ・タサマなる死の化身を顕現させることで戒めて下さったことを!
私たちは誤解していたのです。
正義とは聖王様から申し下されるものであると。
御蟲様は仰せになりました。
正義トハ、何人カニ示サレルモノニ非ズ、と!
私たちは誤解していたのです。
正義とは自身の中に宿るものであると。
御蟲様は仰せになりました。
正義トハ、己ノ心ニ従ウモノニ非ズ、と!
私たちは誤解していたのです。
正義とは誰の目にも自明のものであると。
御蟲様は仰せになりました。
正義トハ、自明ナルモノニ非ズ、と!
そして御蟲様は最後に仰せになりました。
正義トハ、不明ナルモノニ非ズ。
億劫ニ心労ヲ重ネ漸ク辿リツク境地ナリ、と!
ですから私は、正義とはこれこれである、とここで申し上げることは出来ません。
ですが、それは決して辿り着けないものではないのです。
御蟲様は仰せになりました。
正義トハ、不明ナルモノニ非ズ。
億劫ニ心労ヲ重ネ漸ク辿リツク境地ナリ、と!
ですから私は、
悔い改めた皆様と共に、
億劫の心労を重ね、そこへ辿り着かねばならないのです!
さぁ皆様、
真の正義とは何であるかを求める旅に出るのは、今なのです!
ご唱和ください。
どうか私たちを真なる正義へとお導きください、御蟲。
*
後に、顔なしの伝道師、として知られることになるネイア・バラハの最初の説教は、僅か十数名の聴衆に対してではあったが、大きな熱狂を巻き起こし、そして終わった。
彼女の象徴となる昆虫の複眼を模した目隠しはまだこのときはなく、噂の犯罪者瞳が剥き出しだったが実害はなかったようだ。かの目隠しは、見つめられるものを寒からしめるその瞳が伝道の妨げになったために用いられるようになった、と実しやかに語る者もあるが、それは真実ではない。いや、それも少しあったかも知れないが、とまれ、この最初の説教の時点で、福音の骨子は概ね完成されていたと伝わる。
ローブル聖王国聖騎士団々長レメディオス・カストディオの戦死は、そこへと至る経緯が不明瞭であったこと、また、ほとんどが新兵や見習い待遇であった部下たちが傷一つなく生前そのままの姿の彼女の遺骸を持ち帰ったこともあって、当初は、悲劇ではあるものの聖騎士団の美談として伝わり、ネイアを含む生還者たちを英雄として称える声すら上がっていた。
が、真相が明らかになるにつれ風向きが転じる。
レメディオスは、敢えてイサンドロ・サンチェスやグスターボ・モンタニェスといった歴戦の副将たちを遠ざけ、二ヶ月ほど前に東方より亡命してきた無頼の剣客を副臣とし、右も左もわからぬ新兵や聖騎士見習のみを引き連れて事実上の無断出撃を繰り返していたことが明らかになったからだ。
彼女が戦死に至った出撃が通算何度目に当たるかはついに明らかにはならなかったが、多くの証言から、長城建設以来長く聖王国では禁忌とされてきた、亜人の非戦闘員集落への夜襲を繰り返していたことはすぐに判明した。
加えて、彼女の妹であり最高位神官ケラルト・カストディオが試みた<蘇生>がまったく功を奏さないばかりか、その何度目かの試行において遺体が脆くも砂のように崩れ去るに至り、並行して、レメディオスは悪魔に魅入られて凶行に及んだものであり蘇生が叶わぬのはその罪故である、という噂が幾度となく発せられた箝口令にも関わらず王都ホバンスの方々で聞こえるようになる。
この時点で聖王国中枢の混乱は極みに達しつつあったが、そこにとどめを刺したのは聖王女カルカ・ベサーレスが友人でもあったレメディオスの名誉を守りたい一心で「この出兵は聖王女たる私が命じたものである」と誰に諮ることもなく公の場で発言してしまったことだった。
無論、彼女の近習たちは、それがあまりにも見え透いた空々しいまでの嘘であることに気づいていたが、元より聖王女に反目していた南部聖王国の貴族たちにとっては、望みもしないのに転がり込んできた政争の手札である。
だが、彼らには権力闘争に現を抜かす暇など与えられなかった。
幼年の亜人が暮らす集落ばかりを立て続けに襲撃されたアベリオン丘陵の亜人たちが黙っているはずもなく、長く部族連合を率いてきた豪王バザーに代わり、聖王国への雪辱を旗印に突如台頭した魔皇ヤルダバオトを名乗る亜人率いる大連合軍が長城めがけて押し寄せたからである。ヤルダバオトは極短期間でその地位を追われた……戦死したとも失踪したとも言われる……ため、その人となりはよくわかっていないが、靭やかな長い尾を持つ亜人であったとされる。
一色を欠いた聖王国の精鋭九色は長城をよく護り抜きはしたが、聖王国は目に見えて疲弊し、責を問われた聖王女カルカ・ベサーレス、騎士団長の妹ケラルト・カストディオは公の場に姿を現すことがほとんどなくなり、後に三十年の混迷と呼ばれる時代へと突入していく。
この不毛な対立の時代に終止符を打ったのは、求心力を失った北部王家、南部貴族に代わり急速に勃興した、顔なしの伝道師ことネイア・バラハ率いる『御蟲様を崇め奉る四つの非ず教団』であった。
三十余年の後、ネイア・バラハを中心とした悔悟の巡礼団が、彼らが神と崇める四つ腕の御蟲様を象徴するロレーヌ十字のみを携え、長城を越えてアベリオン丘陵へと向かい、果たせるかな亜人連合との歴史的な和解を成し遂げる。その際、ネイアは自身の命を差し出したとも、その真摯な姿勢を亜人たちに赦され歓待を受けた、とも言われるが真実は定かでない。
*
「私ハ、オ館様……イヤ、アインズ様ノオ役ニ立テテイルダロウカ。」
オン・ザ・ロックを右上腕に、コキュートスが呟く。
「どういう意味だね、コキュートス?」
ショットグラスの縁の塩を一舐めしながらデミウルゴスが尋ねた。テキーラを煽りながら答えを待つ。
ここはナザリック地下大墳墓第九階層のバー。二人がしばしばここで酒を酌み交わしつつ語らうのは、既に広く知られている。
「……アインズ様ハ、生アル者ヲ屠ルコトヲオ望ミダガ、私ニハソレヲ諫メヨト仰セダ。」
敢えてデミウルゴスは沈黙を保つ。
語りたいことは語りたい本人に語らせるのが一番だから。
「命ニ従ッテ私ハアインズ様ヲオ諌メスル。シカシ、ソウスルコトデアインズ様ハ恣ニ屠ルコトガ成ラヌ。何ラ自由ニナラヌコトナドオ在リニナラヌ御身デアルニモ関ワラズ、ダ。」
ことり、とコキュートスの節くれだった手に収まるグラスの中で氷が音を立てる。
「アインズ様ノ御命令ハ絶対ダ。ガ、私ハアインズ様ニ恣ニオ振ル舞イタダキタイトモ願ッテイル。何ガ正解デアルノカ、今以テワカラヌ。」
なるほど、如何にも生真面目なコキュートスらしい悩みだ、とデミウルゴスは得心する。
「キミのその有り様こそがアインズ様がお望みのことである、と私などは思うがね。」
「私ハ貴様ホドニハ知恵ガ回ラヌ。今少シ説明シテクレルカ?」
デミウルゴスはライムを一齧りし、ショットグラスを再び手酌で満たしながら友に応える。
「キミは武人だ。斬るべき者は斬り、救うべき者は救う。そうだね?」
「……ウム、ソノ通リダ。」
「その性向は、キミの創造主であらせられるところの武人建御雷様よりそうあるよう創造されたからで、また、推し量るは恐れ多きことなれど、武人建御雷様ご自身もおそらくそうだったのだろうね。」
「ソウダ、ト私モ思ウ。」
「同様に、例えばあの忌々しいセバス!」
とテキーラを一煽り。
「彼はアインズ様に対して不敬を働く者を唯一の例外に、見境なく人助けをしようとする男だ。まったくアイツと来たら皆に内緒で……いや、これはまだ伏せておこう。コキュートスも聞かなかったことにしてくれたまえ。」
「アア、私ハ何モ聞イテイナイ。」
「……結構。
さて話を戻すが、セバスのあの性向もまた、彼の創造主であらせられるたっち・みー様が定められたもので、やはり推し量るのも憚られるが、たっち・みー様ご自身もそのような御方だったのだろう。」
「……ウム、ソウ……ナノヤモ知レヌ。」
コキュートスは、デミウルゴスの叡智に全幅の信頼を寄せてはいるものの、どうにも話の筋が見えて来ずに困惑する。が、デミウルゴスは、それを知ってか知らずか、所持品からやたらと分厚い帳面を取り出し、何やら確認して話を続けた。
「これはアインズ様からご教示いただいたことで、誤りがあってはいけないからこうして確認させてもらったのだがね。
私の創造主であられるウルベルト・アレイン・オードル様は悪の在り方に拘り尽くす、まさに悪魔の鑑、悪魔の中の悪魔であらせられたわけだが、であるがゆえに、たっち・みー様のそのようなあり方に大層ご不満で、しばしばお二人は衝突あそばしたのだそうだよ。」
「ナント!」
至高の四十一人同士が相争うことがあろうとは!
斬るべきは斬るコキュートスからしてみれば、それは理解不能の異常事態だ。
「あー、コキュートス!
その吹き出す冷気を少し抑えてくれたまえ、ピッキーが凍ってしまう。
私としたことが言葉が足らず誤解を招いたようだね。衝突、と言っても、あくまでもそれは意見のそれであって、お二人が世界最凶の魔法と世界最強の剣で争った、ということではないからね。」
ふしゅー、とコキュートスが息を止める。
「そして、これまた恐れ多いことではあるが、ウルベルト様のそうした性向が私にも少なからず引き継がれているからこそ私はセバスに苛立ちを感じるのだ、と理解しているし、アインズ様もそのようにお考えだと仰せられた。」
「……ウム、ソレハ理解デキル。
ダガ、ソノコトト私ノ悩ミガ何カ関係スルノカ?」
「アインズ様が、何故に栄えあるアインズ・ウール・ゴウンの名をお継ぎあそばしたか、考えてみたことがあるかね?」
「……アインズ様ガソウ仰ルカラニハソウナノダ、ト理解シテイル。」
「それはそれで結構。だがね、これはあくまでも私が拝察申し上げていることに過ぎないのだが、アインズ様は恐れ多くもアインズ・ウール・ゴウン至高の四十一人すべての化身であらせられる。」
「……スベテノ化身?」
「その通り。アインズ様はかつてのモモンガ様がただその名を名乗っておいでの存在、ではないのだよ。
モモンガ様の慈愛。
ウルベルト・アレイン・オードル様の狡知。
武人建御雷様の武侠。
たっち・みー様の正義。
タブラ・スマラグディナ様の博識。
死獣天朱雀様の達観。
ぷにっと萌え様の智略。
ペロロンチーノ様の機知、などなど……それらすべてをその一身に宿しておいでの御方なのだ!」
「オォ、確カニ!
ダガ……ソノヨウナコトガ果タシテ可能ナモノナノダロウカ!」
「それは問うまでもない。
今我々の前に在る至高の主がまさに体現してくださっているではないか、そうは思わないかね?」
「……ウム、真ニ。」
「かようにアインズ様はその御身のうちに驚くべき多様性を秘めた御方だ。
アインズ様は、生ある者を屠らんと願われるとまったく同時に、護りたいとも、導きたいとも、慈しみたいともお望みだ。そして一見相矛盾するそれらすべてを恣に実現される御方なのだよ、わかるかね?」
「ムムム……安易ニワカル、ナドト申シ上ゲルハ不敬ヤニ思ワレルガ……貴様ノ言ウ通リヤモ知レヌ。」
「そしてこれまた恐れ多きことながら、我らもまた、至高の四十一人の御方々より幾分かの志をもったいなくも受け継ぐ身。そのような我々は、アインズ様の無限の多様性を具現為さしめる道具の一つに過ぎない。そして有難くもアインズ様は、道具としての我々に全幅の信頼を寄せて下さっている。」
コキュートスは最早黙って頷くのみ。
「ゆえに我々は、ただただ弛むことなく最善を尽くせばそれで良いのだよ。我々自身が、アインズ様の多様性のほんの一部に過ぎないのだから。そこに参与させていただけることを感謝こそすれ、悩むことなどないのではないかね?」
「オォ、貴様ノ言ウ通リダ!
私ノ不明ヲ恥ジ入ルバカリダ。」
「何も恥じ入る必要などないさ。アインズ様はそのように悩む我々もまた愛してくださっているのだから!」
「アァ、ソウダ、ソノ通リダ!
我々ハ何ト有難キ主ニオ仕エシテイルノダロウ!」
「では、我らが至高の主に乾杯しようじゃないか。」
互いの盃に酒を注ぐ。
「ソウダナ……我ラガ至高ノ主、アインズ・ウール・ゴウン様ニ乾杯!」
「至高の四十一人の化身、アインズ・ウール・ゴウン様に乾杯!」
二人はグラスを打ち鳴らし、一息に呑み干した。
コキュートスは、何処ぞで自身が神様扱いを受けていることなど露とも知らぬ。
*
「アァゥ、アインズ様ァ……モモンガ様ァ……!」
最近、狩りの後はアルベドと遊ぶことが多い。
昂った心を休め深く静かに考え事をするのに、アルベドの甘い体臭と甲高い嬌声が丁度よいからだ。
もちろん、一番面倒臭い仕事を淡々とこなしてくれているアルベドに報いてやりたいから、というのもある。
考えても仕方のないことだとは思いつつ、それでも時折思うのは、もし自分が死の支配者ではなく、曲がりなりにも官能的な器官を備えた存在としてこちらへ転移してきていたら、いったいどうなっていたことだろうか、という疑問だ。
今のアインズとしては、
(うわー、超面倒臭そー!)
としか思えないのだが、それはアインズの死の支配者としての本能が、ただただ生ある者を屠ることだけを求めているからだ。
もし、この身に人間がそうであるような肉欲が備わっていたら、いわゆるチンパンジー状態に陥っていたのだろうか。うーん、それはそれで面倒臭い、とアインズは思うが、きっとチンパンジー自身は自分がチンパンジーであることを面倒だとは思わないはずだ。いや、思っていたりするのだろうか。
あるいは、これも考えても意味のないことではあるが、自分ではない他のギルメン、それもどのような形であれアルベドの求めるところに肉体的に応じれる体を持った誰かが転移してきていたとしたら、どんなことになっただろう。
アインズは、ちょっとした茶目っ気からアルベドのフレーバーテキストを書き換えてしまったが、元々そこには「ちなみにビッチである」と書かれていた。よもや自分以外のギルメンが自分と同じいたずらをしたとも思えず、そもそもスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの使用には最低でもモモンガの同意を必要とするので、それをおこない得たのは自分だけだ。
だからアルベドはビッチのままでこちらの世界に顕現することになる。ビッチ、という言葉の解釈にもよろうが……そしてそれを解釈するのはいったい何処の誰なのか……単純に考えればその状態のアルベドは、相手は誰でもいいのだろう。決してアインズはそれを思い浮かべて勝手に嫉妬するほど愚かではないが、たっち・みーやるし★ふぁーに言い寄るアルベド、というのはあまり考えたくはなかった。
いや、ひょっとすると、ぶくぶく茶釜、やまいこ、餡ころもっちもちですら良いのか?
(うーむ、見てみたいような見たくないような……)
アインズは、アインズとモモンガの両の名を叫びながら自慰に耽るアルベドを、タブラ・スマラグディナに似て倒錯的だ、と感じているが、思えば彼女の体臭と嬌声が考え事に丁度いい、などと思っている自分も大概倒錯的である。
そして今のアインズは、自身の一部にタブラ・スマラグディナが含まれていると半ば確信しているので、この倒錯もまた彼に由来するのか、あるいは、元来自分はそのような存在で、アルベドという最適なパートナーを得たからそれが顕現したのか、もしくはその両方か、その場合、この関係は近親相姦の一種ということになるのだろうか……などと思いを馳せる。
こういった益体のないことを考えつつ、そもそも鈴木悟はこんな思索を好んでおこなう人間だった、とも思えないので、これをやっているのは、ベルリバーか、ぷにっと萌えか、死獣天朱雀か、はたまたウルベルト・アレイン・オードルか、と考えたところで、いささか飽きてきたのでしばし考えるのを止めにし、ただただアルベドの香りを楽しむことにした。
「おまえは本当にいい匂いがするな、アルベド。」
きっと……飽きたのはペロロンチーノに違いない。