向こうからやってくる守護者統括アルベドの姿を認め、リュミエールは不意に一つ前の脇道に逸れてかわしたい衝動を覚えた。
ナザリック地下大墳墓が見知らぬ新世界に転移して
それまで互いに会話を交わすことなどあり得なかった
本質的には、ナザリックの
その一方で、第一義的に彼らに期待されたのは外部からこの地下大墳墓の攻略を狙う
一方で、創造主である設定魔、タブラ・スマラグディナによって容量いっぱいいっぱいに書き込まれた偏執的なフレーバーテキスト、さらにはそこにモモンガの出来心から
「ごきげんよう、アルベド。」
「あら、ごきげんよう、リュミエール。」
廊下ですれ違う相手を見て態度を変じる、などというメイドにあるまじき失態を晒すことなく自然に挨拶をかわすことが叶ったのは、リュミエールの超一流ハウスメイドとして生み出された矜持の為せる技、ではなく、偏に面倒臭い女アルベドが、同時に、わかりやすい女だったからだ。
(腰の翼のぴょこぴょこに気づかなかったら、危ないところだったわ。)
こちらに何ら関心を寄せることなく後背へと立ち去っていくアルベドの気配を感じ取りながら、リュミエールはホッと息をついた。
あの様子からすると、耽美なる白磁の顔、いと眩しき最も情け深き慈愛の君、モモンガ様に自室に呼ばれているのだろう。少し羨ましくも感じるが、それ以上に、あの面倒臭い女に付き纏われるモモンガ様が気の毒に感じられて仕方がない。
否。
聞き及ぶところによれば、モモンガ様は自らアルベドに、モモンガ様を愛することを命じられたのだとか。とすると、モモンガ様自身も満更でもないのだろうか。至高の方々のお考えになるところは一介のメイドに過ぎないリュミエールの思い及ぶところではない、と理解はしつつも、そこに一抹の不安を覚える彼女なのであった。
*
「モモンガ様ぁ〜、失礼いたしま……あら、デミウルゴス?」
ナザリック地下大墳墓第九階層ロイヤルスイートのモモンガの自室に歩み軽やかに踏み込んだアルベドであったが、室内に面白くもない同僚の姿を認め、たちまちに怜悧な守護者統括の顔を取り戻す。
かたや第七階層守護者にしてアルベドと共にナザリックの双璧を為す智謀の将、
そういったものは、然るべきときまで溜め置き、熟成させてこそ、得られる実りも大きいというものだ。
「やあ、アルベド。遅かったね。」
モモンガに命じられるまま、カルネ村……小便
これが今朝になってモモンガから直接<
「あら、デミウルゴスも呼ばれていたのね。で、モモンガ様はどちらかしら?」
その問いにデミウルゴスが答えるよりも早く、モモンガがリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンによる転移でその場に姿を現す。
「すまないな、おまえたち。呼び出しておいて待たせてしまった。」
ほぼ同時に「何をおっしゃいます、モモンガ様!」と跪礼を執りつつ
「これは……パンドラズ・アクター。今、宝物殿から連れ出して来たところだ。顔を合わせるのは……初めて、だったか?」
ところどころ言葉を濁しつつそう紹介するモモンガを訝しく思いながらも、アルベドもデミウルゴスも初めて
ユグドラシルのキャラクタには漏れなく固有のエクサビット長IDが割り当てられており、いずれかのギルド、クランに帰属するプレイヤー、NPCのそれには、当代の如何なる高速演算装置を以てしても有効時間内には逆算不可能な電子署名が施されている。
ゲーム的には、
そして、モモンガが所有するところのギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンこそがこの公開鍵と対になる秘密鍵そのものであり、アルベドのフレーバーテキストに対して、モモンガを愛している、との書き換えを可能とした力なのであるが、システム内部の住民であり、かつ、その構造的な知識を欠く彼らには、知る由もないことだ。
「お初にお目にかか……」
「あー、挨拶はいい。本題に入ろう!」
アルベドとデミウルゴスに礼を執ろうとしたパンドラズ・アクターを何を思ってか押し
最初は固辞した二人だが、どうしてもと勧められれば断ることもできず、アルベドが守護者統括といNPC首座の地位からモモンガの真正面に座り、デミウルゴスとパンドラズ・アクターがその左右に着座する形を採る。
「数日自室に引き籠もった上に、今日は急に呼び出してすまない。」
と切り出すモモンガに、今度は三人がほぼ同時に「何をおっしゃいます、モモンガ様!」と席を立って騒ぎ出すので、このままでは話が進まないから、と、
「おまえたちにこんなことを言っても無駄だとは思うが。」
そう前置きしながらモモンガは言う。
「ナザリック最高の知恵者であるおまえたちに、相談しなければならないことがある。とても重要なことだ。いちいち礼を執るのは時間の無駄だから、今日は無礼講で、忌憚のない意見を聞かせて欲しい。」
元より
「まずアルベド、おまえに詫びねばならない。本当にすまなかった。」
再び腰を浮かそうとするアルベドを、モモンガは骨の片手を挙げて制した。
「おまえたちは大切な仲間たちが残してくれた子どものようなものであり、こちらに来て以来、何に代えてもおまえたちを守る、と公言していたにも関わらず、オレはおまえを置き去りにして逃げ出してしまった。情けないオレを
「モモンガ様、そんな……」
そう言いながら自分に対して頭を下げる
そう、あの村からの急な撤退に際しても、モモンガはこうであったではないか、と。
「言い訳するつもりはない。が、あのときオレに何が起きたのか、をおまえたちに聞いて欲しいんだ。その上で、これからどうすべきか、相談に乗って欲しい。」
アルベドのみならずデミウルゴスにも、
「一言で言えば……」
若干の躊躇いを浮かべながらモモンガはこう続けた。
「……快感、だったんだ。」
(はぁ?)
(はぃ?)
(……)
*
これをNPCたちに打ち明けるべきか否か、サトルは随分と悩み、結果的に数日自室に引き籠もることになった。
使える、と自身では確信している魔法が果たして本当に効果を発揮するものか実験するため、を口実に、非道な騎士に襲われる村人の救援にゲーム気分を引き摺ったまま出陣したサトルは、最初の犠牲者を手に掛けたその瞬間、自身に生じた情動に驚愕した。
こちらに来て以来、腹が減ることも眠くなることも、はたまたムラムラすることもまったくなくなっていることに気づいてはいたサトルであったが、そのことをまったく問題視はしていなかった。
元来、無欲な性格だと自認していたこともあるし、リソースマネージメントゲームとしての一面も有するユグドラシルにおいて、疲労無効や飲食不要はむしろボーナスであり、現状もまたその延長線上としか考えていなかった、というのが大きい。
ところが、である。
骨の手の平の上に儚い騎士の命の鼓動を感じた瞬間に覚えた高揚感、そしてその命をかくも容易に握りつぶした刹那に、モモンガの体を通して伝わって来た
それはまるで、長く無意識のうちに渇望していた幼い頃に死別した母の手料理の味、無能な上司の尻拭いのために強要された
そして、サトルの戸惑いとは裏腹に、モモンガの体は疑う余地もなくさらなるそれを貪欲に欲していた。
サトルが即時撤退を決断したのは、騎士たちの死骸から目を
この花を刈り獲りたい。
そもそもサトルは、騎士たちの一方的な暴力に義憤を覚えてこの介入を決断したのではなかったか。
だがしかし。
かの騎士たちとは比べようもない強大な力を有するモモンガの体もまた、反撃のしようなどあろうはずもない無辜の少女たちの命を、ただただ己の快楽のために貪ることを求めていたのだ。
「あのとき即時撤退を決断しなければ、オレは、騎士たちはもちろんのこと、村人たちも、ひょっとすると周囲の生あるものすべてを、
それを恐れて、サトルは無様にも逃げ出す他なかった。
絶対防壁たるナザリック地下大墳墓の自室に引き籠もり、それでも逃げ切ることが決して叶わぬ自らの体の欲するところに、怯え
「よろしいのではないでしょうか?」
「……へ?」
自身の内面に生じた口の
「申し訳御座いません、モモンガ様。不肖
とデミウルゴス。
ここに至ってサトルは気づく。
そうか。こいつらにとって、
むしろアルベドなんかは、
「モモンガ様に殺されることを感謝なさい。」
というノリなんだな、と。
「……そうか。」
と、サトルは一息つく。
やはり、話さないわけにはいかないようだ。
「今から重大な秘密を打ち明けるので心して聞いて欲しい。」
「……アルベド。アルベドは生まれたときから
訊かれた本人は、きょとんとした可愛らしい顔で、何を当然のことを?と言いたげだ。
「デミウルゴス、おまえはウルベルトさんが創造したそのとき以来、変わらず
「当然で御座います、モモンガ様。」
「……オレは生まれたその瞬間から
パンドラズ・アクターが、自分には振りが来なかったことに少し寂しげな、構って欲しそうな様子を視界の片隅で見せていることに気づかないサトルではなかったが、敢えてそれは無視して続ける。
「オレは、人間の母から人間として生を受けたんだ。」
「……ということは、モモンガ様はそこから
「何を馬鹿なことを言っているの、デミウルゴス。人間種から
「なるほどアルベド、私としたことが……
「モモンガ様は
(……そうか。おまえらの関心はそっちへいくんだな……)
より深い迷宮へと迷い込んだ眩暈を覚え、サトルは呼吸器を備えぬ体で嘆息した。
ひょっとすると、こいつらとわかり合うことは不可能であるのかも知れない。いっそのこと、彼らの期待する魔王ロールを演じ続け、モモンガの体の欲するところに任せて蹂躙を恣にするのが楽でよいのではないか。
「……よもや、とは思いますが」
と遠慮がちにデミウルゴスが言う。
「モモンガ様は人間種に対し
「不敬よ、デミウルゴス。かつてはどうあれ、今のモモンガ様は紛うことなき
「これは!失言でした、モモンガ様。お忘れいただければ幸いです。」
サトルがその問いに応じようとする前に、アルベドが言下にそれを否定し、さらなる勘違いを上乗せしてきたので眩暈が一層深まる。
人間に同族意識を持っているか、と問われれば、悲しいかな答えはノーだ。
かつてはいざ知らず……否、そもそもサトルがユグドラシルに没頭していたのは現実の人間社会に背を向けていたからであり、そもそも自分は人間性を欠いていた、と言うべきなのかも知れないが、少なくとも実験台として消費した騎士や、結果的に救うことになった村娘に対して、サトルは自室に迷い込んだ羽虫と同程度の認識しか持てず、その声色も表情もまったく思い出すことが出来ずにいた。
その意味で、アルベドの言は正しい。
一方で、彼女に村の防衛と村人の救済を命じたのは、想定外の撤退を余儀なくされたとは言え、一旦助けると決めた人々を自身の考慮漏れが原因で見捨てることがただただ悔しかったからに他ならず、サトル自身は、少なくともこの時点ではそこに深い意味を見出してはいなかった。
だが、このときサトルは一筋の光明を覚えた。
(こいつらは、こいつらなりに何とかオレのことを理解しようとしてくれている?)
会合を始めてしばらくこそ、いちいちに大袈裟な礼を執るがために議論が停滞しがちであったが、しばしば脱線が見られるのは変わらずではあるものの、アルベドもデミウルゴスも思った以上にサトルの内面に踏み込むような発言を、遠慮がちながらもしてくれている……サトルにはそう思われたのだ。
諦めるのはまだ早いかも知れない。
「失言を重ねることになるやも知れませんが、今のモモンガ様は直言をお望みと判断し、敢えて申し上げたく存じます。」
サトルは、デミウルゴスに見透かされたか、と鼻白む。
「……その通りだとも、デミウルゴス。間違っていようが構わない。思うところはすべて吐き出してくれ。」
「ではお言葉に甘えまして。」
と断わりを入れて彼は続ける。
「
(おぉ、そう来るか!)
「事実、一部例外となる者もおりますがそれらの多くは
モモンガ自身について言えば、
「モモンガ様が、そうでありながら慈悲深く聡明な御方であることは無論承知しておりますが、さればこそ、モモンガ様がご自身の衝動のままに生ある者を殺し尽くすことにお心を痛める必要はないのではないか、生ある者に与える死もまたモモンガ様の慈悲ではないか、と、かように愚考いたす次第です。」
「その通りです、モモンガ様。さぁ、再びご一緒して返り血の雨を存分に浴び、共に絶頂へ至りましょう!」
何だか最後に台無しな何かが加わったような気がするが、デミウルゴスの言は筋は通っている、とサトルは素直に感じ入っていた。
一方で、それは、彼が求めている答えとは違う、とも。
「デミウルゴス、よくぞ言った。おまえの言は正しい。だが、同時に間違ってもいる。」
とサトル。デミウルゴスがハッとした表情を見せるのを確認してサトルは続ける。
「オレの期待に応えて直言してくれた礼に、おまえたちの知らない真実を語って聞かせよう。ギルド、アインズ・ウール・ゴウン結成以前、すなわち、おまえたちが生まれる以前の話になる。」
おぉ!と三者三様のどよめき。
「アインズ・ウール・ゴウンの前身であったクラン、ナインズ・オウン・ゴールは、その名が示す通りオレを含めて九人から成るクランだった。そしてその行動理念は、当時ユグドラシルで横行していた人間種による異形種狩りから異形種を保護することだったんだ。」
「……なんと!」
デミウルゴスが驚きに宝石の目を見開く。
「……驚いたな、デミウルゴス。何故おまえが驚いたか当ててみせよう。悪のギルドたるアインズ・ウール・ゴウンのギルメンが救済事業をやっていた、なんて俄には信じられない、そうだろう?」
「……憚りながら、左様で御座います。」
「おまえは本当に聡明だ。誇らしくすら思うよ。その通り、アレは救済事業などでは決してなかったんだ。その意味で、おまえの驚きは正しいんだ。」
「申し訳ありませんが、おっしゃることの意味がよくわかりません。」
アルベドが心底不思議そうな顔をして首を傾げる。
それを制してサトルは続けた。
「別にオレたちは人助けがしたくてアレをやっていたわけじゃないんだ。ただ、少しばかりの強さを鼻に掛け、
それを意図して狙っていたわけでは決してなかったが、ナインズ・オウン・ゴールのこの
サトルにとっての、輝かしき黄金の日々だ。
「デミウルゴス、おまえはアインズ・ウール・ゴウンは悪のギルドだ、と言ったな。まったくもってそれは正しい。だが、おまえの理解は間違ってもいる。それは<悪>という言葉の意味、だな。」
「……<悪>の意味、で御座いますか?」
「そうだ、オレたちにとっての<悪>とは、少しばかりの強さを鼻に掛け、自分よりも弱い者を狩ってその強さを誇る虫好かない連中を、それをさらに凌駕する圧倒的な力で以て問答無用に踏み潰すこと、そしてそれを『正義の味方気取りか?』と問われれば『虫好かない連中を踏み潰してやっただけだ』と事も無げに嘯く、これこそが、オレたちアインズ・ウール・ゴウンの悪の精華だったのだ。」
その精神的な支柱としては、デミウルゴスの創造主となるウルベルト・アレイン・オードルの果たした役割が大きかったし、今語って聞かせたのもウルベルトからの受け売りであることにサトルは自覚的であったが、そのことをデミウルゴスに告げて喜ばせてやりたい、という思いを今はグッと呑み込む。
また脱線して議論が進まなくなるのは必定だからだ。
「おまえたちとこうして話してみて、ようやくオレ自身にもオレが何に困惑していたかがわかってきたように思う。
オレは、このモモンガの、
「しかし、アインズ・ウール・ゴウンの他の至高の方々は、既にナザリックを去られました。」
と、解を見出したと早呑込みして浮かれかけたサトルに、アルベドが
「かつてはいざしらず、今はモモンガ様だけが
「……確かに。アインズ・ウール・ゴウンの理念は理念として、至高の主たるモモンガ様がそれに拘束される、というのはいかがなものか、と愚考いたします。」
再び立ち込める暗雲に、サトルは既視感を覚え始めていた。
思えば、ギルド随一の博学で知られたアルベドの創造主タブラ・スマラグディナ、同じく、デミウルゴスの創造主にして煽動家かつ詭弁家として名を馳せたウルベルト・アレイン・オードル。
いつだったか彼らと何かで議論になって、それが何であったか今となっては思い出すことができないが、サトルがどうしても譲れないと感じる一線を守ろうとして、タブラとウルベルト相手に舌戦を繰り広げたことがあったような気がする。
あのとき、オレはどうしたんだったか。
ギルドの調和を守るのが第一、と自身の思いを呑み込んだんだっけ?
「モモンガ様、どうか
「いや、アルベド。国なんてものは下賤な人間の発想だよ。モモンガ様、
(やはりこいつらはオレに魔王ロールを期待してるのか……)
仲間たちの遺産であるナザリック、子どもたちであるNPCたちの思いを第一に考えるのであれば、やはりここはオレが折れて、こいつらの期待に応えてやるべきなのかも知れないが……
……本当にそうだろうか?
パン、パンッ!
そのとき、重苦しい沈黙を破る音がした。
何事かと音の源へ視線を向けると、これまでただ一人黙って話を聞いていたパンドラズ・アクターが、柏手を打ったものだった。
やおら彼は言う。
「統括
その肩が微妙に震える。本当は派手にポーズを取りたいのだが、着座命令が解除されていないためにそれが叶わない、などという彼の内面の葛藤については、他の三人は知る由もない。
と言うか、統括はともかく、誰を指して言っているかは自明だが、参謀なんて役職、ナザリックにあったか?
「……考え違い、とはどういう意味かしら、パンドラズ・アクター?」
「私もそこは聞き流せませんね、詳しく説明していただきましょう。」
アルベドもデミウルゴスも即座に異議を申し立てたが、パンドラズ・アクターに動じる様子はない。
「……あぁ、おまえも居たんだったな。」
自身の黒歴史ともいうべき自ら生み出したNPC、パンドラズ・アクターをこの場に招くかについて、サトルは最後の最後まで悩み続けたが、ギルメンの誰かから聞き齧った『三人寄れば文殊の知恵』という古い言葉を不意に思い出して、何かの足しになればと土壇場になって宝物殿から連れ出したに過ぎないものだったのは公然の秘密だ。
「……ずっと黙って聞いていたじゃないか。……そう、アレだ。あー、おまえも思うところを語ってくれ。アルベドもデミウルゴスも、思うところがあるだろうが聞いてやってくれ。」
いささか投げやりに、槍ならぬボールを渡す。
心做しか、本来表情のないはずのその口元に笑みが浮かんだように見えた。
「私は、この異世界転移以来ずっと宝物殿に籠もっておりましたので、状況をわかっていない、と言われてしまえば言い返す言葉もありません。」
「その通りじゃないの!」
「まぁまぁ、アルベド。モモンガ様もああおっしゃったことだし、少し彼の言うことにも耳を傾けてみようじゃないか。」
愛する
が宥めたデミウルゴスもまた、口元に薄い笑みを浮かべており、それはまるで獲物に狙いを定めた猛獣の如く、パンドラズ・アクターの論理に綻びがあれば即座に反撃に転じる構えであることは明らかだった。
が、当のパンドラズ・アクターは、それを気にするでもなく続ける。
「ですが、宝物殿に籠もっていた私だからこそ存じ上げていることもありますので、統括
「……伺いましょう。」
やや感情の赴くままに傾きかけたアルベドの思考の天秤が、自身に欠落した情報があることを知るや怜悧な方へ振り戻すのは、厄介ではあるが流石ではあった。
「ユグドラシルでの最後の日々をモモンガ様が如何にお過ごしであったか、ご両所はご存知ですかな?」
異世界転移以前、NPCたちは今のように自由に言動することが出来なかったし、そもそもそんな可能性すら考えたことがなく、与えられた持ち場で設定された待機動作を繰り返すのみの存在であったことは、アルベドもデミウルゴスも薄々気づき始めてはいた。
しかし、それについてはパンドラズ・アクターも同じではないのか?
「おそらくご両所は、至高の方々のお姿をお見かけすることがほとんどなくなり、それでもモモンガ様だけが時折銘々の持ち場を、物憂げに通り過ぎて行かれたのをご記憶なのではないか、と推察いたす次第。」
少しサトルは驚く。
転移以前の、ゲームのキャラクタでしかなかった時分の記憶もあるのか、と。
だが、考えてみれば、それは鈴木悟の肉体を失った自身もまた同じではある。
本来その器であったはずの、血の通った脳を失った記憶は、いったいどこに刻まれているのやら。
「私はずっと宝物殿におりましたので、足繁く出入りされるモモンガ様をずっと見ておりました……ところでご両所はナザリック地下大墳墓を維持するのに、一日如何程のユグドラシル金貨が要り用かご存知ですかな?」
ギルド拠点はその維持費として幾ばくかのユグドラシル金貨を要し、稼働させている
といったことは、もちろん知識としてアルベドもデミウルゴスも承知はしているが、その内訳までは詳しくない。が、ナザリックの荘厳華麗な威容を思えば、それが並大抵の額面でないことは容易に想像がつく。
「不肖私はナザリックの財政面の責任者を仰せつかっておる都合上、皆様よりも少しばかりこの方面に通じております。」
と謙遜してみせる
これは本当に謙遜であり、彼は宝物殿に所蔵されるすべてのマジックアイテムを始めとする価値ある宝物から金貨一枚に至るまでを悉く把握しているが、敢えてここではそのことは誇らない。
「ご両所に知っておいていただきたいのは、至高の方々が
ここに至ってパンドラズ・アクターは、躊躇いがちながらも恭しく礼を採って立ち上がった。
軍帽に片手を掛け、それを斜に構えて意味ありげに問う。
「それが何を意味するか……おわかりですかな?」
そこからの彼は、まさに怒涛のようであった。
「計らずも異世界転移を迎え、たちまちにユグドラシル金貨獲得の手段を持たない我々が、当面の金貨蕩尽を恐れることなくのほほんとしていられるのは、ひとえにユグドラシル最後の日々を、ナザリックを、我々を守るために孤独に戦い続けてくださったモモンガ様のお陰なのです。まず、それを統括
聞いておれば、ご両所は銘々に
しかし、モモンガ様ご自身の思いをないがしろにして、己の理想とする支配者の姿をモモンガ様に投影し、あまつさえその実現を声高に迫るに至っては、手づからに生み出された私としては最早看過いたしかねます。」
なっ!
と虚を衝かれてアルベドとデミウルゴスが腰を浮かす。
やおらパンドラズ・アクターは、演技であるならば迫真の、
「父上!」
「ち……ち……ち・ち・う・えぇ?」
モモンガが激しい緑色の光に包まれるが、最早誰もそれには気づかない。ただただパンドラズ・アクターの言に魅了される。
「父上、私は辛かったのです。
父上が私たちのため、至高の方々がお遺しになられたナザリックを守るため、ご自身の思いをひたすらに殺して戦い続けるお姿を見続けて!
できることならば共にお手伝いしたかった。
否、そんなことをなさらなくともよいのです、どうか心お健やかにお過ごしください、と声をお掛けできればそれでよかった。
ユグドラシルではそれが叶いませんでした。
それが、被造物として如何に心苦しく
骸骨の口をパカリと開いたまま、なおモモンガの姿は緑色の発光の中にある。
「父上は、もっと我儘であってよいのです!」
パンドラズ・アクターは、振り上げた手を胸の前に握りしめながら振り下ろしそう断言する。
「こちらへやって来て自由に言動出来るようになったと気づいたとき、何はさておき、私は父上にそのことをお伝えし、父上の思いをお支えする働きをしたい、と願いました。
ですが、父上にそうせよ、と命じられてもいないのに勝手に動き出すのも憚られましたし、幸い宝物殿の金貨、至高の方々が遺された個人資産、さらには換金可能な宝物の総価値含めて向こう百年は尽きぬほど御座いますれば、父上がそれをお望みになり、私の支えをお求めになるまで宝物殿にてひたすら自身の職務に邁進して時を待とう、と考えておりましたところへ、突如父上が参じられこの場へと私をお招きになりました。
当然私は、ナザリックの
一息置いて彼は言う。
「ですから、お考え違いをなさっている、と申し上げたのです。
何か、ご反論がおありですかな?」
驚くべきことに、アルベドとデミウルゴス、二人の紛うことなき悪魔は、その瞳に涙を浮かべていた。
「殺し尽くしたい、虫好かない奴らを踏み潰したい、大いに結構。
父上は恣に生を貪って構わないのです。
弱い物いじめは嫌だ、仰せの通りで御座います。
悪の華、アインズ・ウール・ゴウンの何たるかをこの世界に見せつけてやりましょうぞ。
全力を以てお支えいたしましょう、これぞ
これらの命題は互いに矛盾する?
それこそ何ものぞ!
我らナザリックの者にとって父上の思いこそがすべて!
父上の我儘を叶えずして我らに寄る辺なし!
先に動いたのはデミウルゴスで、力強くパンドラズ・アクターの手を取った。
「私はキミに心から感謝するよ、パンドラズ・アクター!
流石はモモンガ様が手づからに創造された僕。キミの忠言がなければ、私は自身の何たるかを危うく見失うところだった!」
そう叫ぶや、彼はパンドラズ・アクターを抱きしめすらしたのである。
ポッ、とその頬が朱に染まる。
対してアルベドは、滂沱の涙を溢しながら目前の
「
と。
「モモンガ様は、
「早速の独り占めはいけませんな、統括
「彼の言う通りだともアルベド。無論、女としての愛を捧げる役目は
「えぇ、そうね。
優しげに両肩に手を添えられて、アルベドは二人の信頼すべき同僚にそれぞれ微笑み返す。
嗚呼、ナザリックの
「どうか
再び
慌てて立ち上がり最愛の
「……あー、パンドラズ・アクター。」
「はい、父上!」
「その……何だ……おまえに……父上……と呼ばれてからな……何かとても大切なことを言ってくれているのはわかったのだが、どうにも意識が飛んでしまって思い出せん。すまんが、もう一度最初から話してくれるか?」
「……はぁ?」
そのとき、
「くふっ」
と微かな笑い声が起こったのをサトルは聞き逃さなかった。
声のした方に目を向けると、アルベドが変わらず愛らしい笑みを浮かべている。
もしや、と思い今度はデミウルゴスに視線を向けると、やはり優しげながらも几帳面な微笑みをたたえた彼の表情を捉えるが、その口元が、ほんの微かにではあるが不自然に歪んでいた。
(……
そしてこのとき初めてサトルは、主従の関係は一朝一夕には変わるまいとは思いつつも、こいつらと仲間になれるかも知れない、と思ったのだった。