記憶のオーバーロード   作:wash I/O

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第9話 黄金姫は稀人を夢見る

 この国がもう駄目だ、ということは物心(ものごころ)ついた時点では既にわかっていたことで、以来、どうやってここから、当人を含むすべての人にそうだと気づかれずに、愛する者(クライム)だけを連れて逃げ出すか、だけを考えて生きてきた。

 

 (こう)不幸(ふこう)か、愛する者すらそうだが、まっとうな知性を有した人間は周囲にはまったく見当たらない。国外にまで目を向ければ、一人や二人はいるかも知れないが、それは顧慮するに及ばないだろう。だから彼女は今日(こんにち)まで、生まれ故に保証された安穏な暮らしを貪りながら、ただただ最高の脱出の好機(タイミング)を窺い続けてきた。

 

 が。

 

 この数ヶ月で事態は急転直下を迎えている。

 

 元来行動の自由を持たず、また、軍や官吏への命令権を持たない彼女は、ほぼすべての情報を宮廷内の人事動向、使用人の何でもない噂話、気まぐれで取り寄せたように見せかけた文物などから演繹して得ているので、それぞれの出来事(イベント)詳細(ディテール)時系列(タイムライン)は決して正確ではないが、一見無作為(ランダム)に散らばっているかのように見えるそれらの点と点の間に潜在する見えない線をつないでやれば、自ずと答えは見えてくる。

 

 父王ランポッサⅢ世が偏愛した王国戦士長の辺境での謀殺。

 その事件を追った調査団長の怪死。

 不死者(アンデッド)の大群に呑み込まれ死都と化した城塞都市エ・ランテル。

 何者かに焼き討ちされて壊滅した麻薬栽培の村々。

 突如動向がわからなくなった王国の裏社会を牛耳る犯罪組織八本指(はちほんゆび)

 相次ぐ地方領主の変死と失踪。

 隣国スレイン法国で生じたと思しき政変。

 

 そしてつい三日前のことになるが、六大貴族の一角リットン伯爵が兄王太子バルブロ諸共に伯領の閑村(かんそん)で見るも無惨な惨殺体として発見され、最早好機を待つのではなく自ら掴み取るべきだ(Now get a chance!)、と決断するに彼女は至った。

 

 これらすべての事態……厳密に言えば、彼女は死都エ・ランテル事件だけは偶然時期が重なっただけで独立した事件と見做しているのだが……を裏で糸引く何者かの容疑者推定(プロファイリング)は既に終わった。

 

 八本指が消息を断った時点で異変に肝を潰した侯爵エリアス・レエブンが、王と最愛の息子を天秤に掛けた挙げ句病気療養を口実に自領に引き籠もったため、まとめ役を欠く宮廷は事実上の開店休業状態に陥っている。仮に彼がありもしない忠誠心(ちゅうせいしん)を取り繕うために立ち位置を堅守したとしても事態はさして変わらなかったろうが、とまれ、そのような状態の宮廷は戦士長謀殺に続く調査団長怪死事件に際して、大きな兆候(シグナル)を見落とした、と彼女は考えている。

 

 あの無能たちは、事件からの生還者の言葉のまま、カルネ村の魔女が戦士長ガゼフ・ストロノーフとその消息を追った男爵チエネイコを殺めたと結論づけたが、彼女はどうして彼らがそのような手口も動機も説明不能な仮説を受容できるのか、まったく理解できない。まぁ、だからこそ無能なのだ、ということになるのではあるが。

 

 そもそも戦士長殺害犯と男爵に対するそれが同一人物、とする前提がおかしい。

 戦士長を謀殺する動機は、むしろ彼を徒手空拳で辺境へ送り出した貴族派閥にこそあれ、魔女とされる人物にはあるまい。戦士長は、その活躍から敵対するバハルス帝国においてこそその知名度・評価共に高いが、国内では知る人ぞ知る人物だ。辺境の魔女が、どうしてわざわざ無名の一介の兵士を誘き寄せて殺害する必要があろうか。

 

 戦士長が辺境を荒らすバハルス帝国の騎馬の一団を討伐すべく出陣したのは、会食に際し父王が寵臣の身を案じて漏らしたので知っている。

 我が父ながら、こうも単純な頭脳でよくも国王が務まるものよ、と呆れる他ないが、現帝国皇帝ジルクニフ・エル・ニクスの人となりに少しでも思いを馳せれば、彼がこんなケチ臭い手段で仕掛けてこようはずもないことはわかりそうなものだ。そもそも帝国は王国東部の併呑を当面の戦略目標としているのだから、そこで民を虐げるのは本末転倒である。

 となれば、実働したのは不合理な動機から帝国による王国併呑を望んでいることを隠しもしないスレイン法国に違いない。バハルス帝国を偽装したのは、最悪作戦が成就せずとも王国と帝国の間の火種にさえなれば十分投資が回収できるからだ。

 つまるところ、王国戦士長を殺害したのはスレイン法国、並の人間にあの筋肉達磨が仕留められようはずもないから、実際に手を下したのはその特殊部隊六色聖典のいずれか。共謀したのか結果的にそうなったのかは定かではないが、彼を煙たく思っていた貴族派閥の援護射撃(いやがらせ)が功を奏した、といったところが真相だろう。

 

 では、男爵もまたスレイン法国の手にかかったのか。もちろん、そんなわけはない。

 スレイン法国の立場からすれば、男爵には戦士長死亡の報を一刻も早く王都に持ち帰ってもらいたかったはずで、それを妨害する動機はまったくない。しかも、生還者の報告によれば、王国では既に既成事実と化している戦士長の魔女による謀殺、を最初に言い出したのは他ならぬ男爵だと言うではないか。なぜあの阿呆どもはこんな話を安々(やすやす)()むことが出来るのか。いや、出来るからこそ阿呆なのだが。

 

 これはまったく話が逆で、男爵が魔女とやらに戦士長の死の責任を押し付けようとしたから逆撃を受けた、と考えたほうが筋が通る。

 

 では、男爵殺害犯は魔女か、というと、もちろんこれも真実からはほど遠い。

 戦士長殺害犯が魔女ではない以上、その犯人でない別の魔女がたまたま調査団が向かった村に潜んでいる、などという偶然があろうはずはない。魔女は、男爵が仮構した非実在の人物だ。しかし、男爵は実際に殺されており、殺害の目撃者もいる。

 

 ここまでは、人並みの脳みそが備わっていれば誰でも到れる結論だ、と彼女は思う。

 つまり、彼女の周囲の人間には人並みの脳みそすら備わっていない。

 無駄な頭に何が詰まっているのだろう。

 

 とまれ、ここからが彼女一流の推理となる。

 

 魔女説の衝撃(インパクト)が先行してそれ以上の詳細な吟味がおこなわれなかったため、公式にはこれ以上の情報は宮廷にはない。

 その一方で、これと前後してそこかしこから聞こえてくるようになった噂話の類の中に、不死者(アンデッド)を使役する魔女、さらには、悪徳役人に鉄槌を下す骸骨、などという(たわ)けたものがあって、彼女自身当初は何の関心も持たなかったものだが、よくよく考えてみれば、カルネ村事件と丁度ときを(おな)じくして<魔女>というキーワードが含まれること、すべてのバリエーションに<不死者>が登場するなど、奇妙な一致が見られる。

 

 無論、これらの噂話自体が男爵の法螺を源流にしている、と考えることも出来る。

 が、王派閥、貴族派閥ともにカルネ村にさらなる調査団を派遣することには否定的で……どちらも居もしない魔女が怖くて堪らないのだ……それが自身の権威を貶めるのを嫌って、戦士長が魔女に謀殺された一件自体は市井に対しては秘されている。

 とすると、噂話は生還者周辺から市井に広まったことになるが、ここで不死者が話に加わったとなれば、宮廷が生還者の報告から無視した不死者が、少なくとも生還者の主観においては実在した、と考えた方が筋が通る。

 

 そして、これこそが、不死者が生還者を見逃した理由ではないのか。

 

 魔女自体が虚構である以上、この不死者とやらは魔女が使役したものでなく、こちらこそが辺境に潜伏していた者だ。そしてこの不死者は、不死者にあるまじく、男爵の短慮で魔女として生贄に捧げられたおそらくは若い女性を助け、想定される王国からのさらなる追い討ちを抑制するため、男爵を処断した光景の目撃者を故意に生還させたのだ。

 

 だとすれば、この不死者……そういった怪物(モンスター)そのものではなく、不死者のように見える人物、である可能性を彼女は疑っているのだが……は、魔女嫌疑を掛けられた村人を助け、さらにその村に阿呆の巣窟である王国から追討がこないよう配慮を図るような存在、ということになる。

 

 そんなものがあり得るのか?

 彼女とて、最初は自身の仮説をいくらなんでも飛躍のし過ぎだ、と考えなかったわけではない。

 

 が、ここに俄に真実味を与えたのは、断片的に聞こえてくるところのスレイン法国で起こっているらしい政変である。

 

 スレイン法国の権力構造は、六百年前に降臨したと伝わる六大神にその源流を求める六つの派閥から成っているが、そのうち闇の神を奉じる一派が突如その力を増しており、しかもその理由が、闇の神が復活し、あろうことか直接出会って啓示を受けた者があるからだ、というのだ。

 

 彼女は、スレイン法国に伝わる神話を随分と収集し、慎重な資料批判(テキストクリティーク)を含めた研究を個人的におこなってきた。無論、信仰心からではない。これも現状からの脱出方法の一策として真摯に検討したものだ。

 最も信頼できる原典資料は、六大神が六派閥の由来を説明すべく創作された、とする常識的な判断よりも、実際にそれが何者であれ六大神が実在し六派閥の源流となった、という結論を支持する。彼女自身は真偽を判定する術を持たないが、法国に六大神由来を前提としないと到底説明のつかない常識外れの至宝がいくつか存在することは、どうやら事実のようだ。

 そして、そこに描き出される神は、超越的存在、というよりは、我々とは異なる世界から何らかの理由で迷い込んで来た、力こそ強大ではあるがその頭脳自体は我々とさして変わらないか、あるいはやや劣るとすら思われる稀人(まれびと)であることに彼女は気づいていたし、その可能性こそが彼女をこの研究へと(いざな)ったのであるが、あらかたの結論に至った際に彼女が感じたのは、どうして自分は六百年前にそこに生まれることが叶わなかったのだろうか、という強い憧憬だった。

 文献に登場する当時の人々は、ただただ神に救いと導きを求め右往左往したようだが、彼女からすればそれは愚かしい行為であり、相手が彼女が考えるような異世界から渡って来た人間、またはそれに近い思考様式を有する存在なのだとすれば、まず試みるべきことは、彼らのこちら側についての常識欠如を補完することを口実に取り入り、あわよくば自身の利益に叶うよう誘導することではないのか。自分であればそれが出来るのに、スレイン法国の祖たちがそれを試みた形跡は、少なくとも文献上には遺されていない。

 

 彼女が収集した資料の中には、六大神の姿絵(すがたえ)、として伝わる図像がいくらか含まれていて、もちろんこれも見たままに信じられるものかわかったものではないが、闇の神スルシャーナ、とされるそれは、写本された時代によっていくらかの変遷を経ているものの、基本的にはローブを纏った人骨として表象される。

 そして、単なる噂話の類であるならばともかく、一国の派閥間均衡にまで影響を与えている闇の神の復活譚と、カルネ村にて魔女が使役したとされる不死者(アンデッド)<髑髏(ドクロ)様>と呼ばれることの間の相関は、彼女に六大神時代に憧れた思いを呼び覚まさせた。

 

 スルシャーナ本人の復活か、よく似た別神(べつじん)か、はともかく、六百年前同様の降臨が今起きているのだとすると、同時多発する不可思議な事件の数々の背後にも、同一のそれが関与している可能性を疑わねばなるまい。

 

 なまじ<不死者(アンデッド)>というキーワードが目立つので、なにはさておき死都エ・ランテル事件との連関がまず疑われるが、彼女はそういった必然を感じない。

 ここまでの推理からすれば、髑髏様は不死者と認識されているが、垣間見える行動原理は我々の知る不死者とは随分と異なる存在だ。一方で、今なおエ・ランテルを埋め尽くしているのは我々がよく知る方の不死者であり、一旦これに気づいてしまえば両者を関係づける(ほう)がおかしい、とすぐにわかる。

 

 そして、死都エ・ランテル事件、という雑音(ノイズ)を省くと残る事件の共通点が見えてくる。

 

 麻薬栽培村の焼き討ち、八本指の行方不明は当然として、怪死や失踪を遂げた地方領主は例外なく悪い噂のあった者ばかりだ。中には外見を巧みに取り繕うことに長けていて、父王をして失踪した忠臣の捜索を命じた……そしてそれに応じる家臣は最早いない……者もいるが、その(もの)の実態が、むしろ悪い噂のあった者たちよりもより酷いものであることについて、彼女は各種の状況証拠から確信している。

 

 そして兄王太子(バルブロ)を含む虐殺だ。

 

 本件以降、王国政治は完全に麻痺してしまった。彼女自身、実行者に対してもう少しうまくやってくれなかったものか、と不満がないではないが、行為自体には諸手を挙げて称賛を送りたいくちである。我が兄ながら、殺したいと思ったことは一度や二度ではない。もっともその理由はあまりに知性に欠けて見苦しいから、というものなのではあるが。

 

 とまれ、件の不死者がカルネ村であらぬ魔女嫌疑を掛けられた者を義憤から救ったのであれば、以降の事件もすべて動機の点で共通していると見て取ることができる。そしてその実行者は、これだけのことをしておきながら、カルネ村からの生還者を起点として広まった噂……おそらくは当の本人が意図して広まることを許した噂……を除けば一切その行動の痕跡を遺しておらず、彼女を除いてその存在に気づいている者はこの国に皆無なのであるから、ただ人であろうはずはない。

 

 まさに、思い焦がれた稀人(まれびと)ではないか!

 

 ここまで読み解いて、彼女は賭けに出ることにした。

 

 おそらく残された時間は短い。

 彼女が恐れている事態は、革命である。

 

 寵臣と王太子をほぼ同時に失った父王は最早廃人同然。決して真っ当な動機からではないが、その父王をぎりぎりのところで支えていたレエブン侯も逃げ出した今、きっかけさえあれば王朝転覆はさほど難しくはない。王朝が倒れること自体は別に構わないしむしろ望むところだが、もちろん彼女は自身の命運が王朝存続と密接に結合してしまっていることは承知している。

 彼女自身は、民草の怨嗟の対象となることがないように、実際には搾取者である自身への怨嗟が兄たちを始めとする他の王族に向かうように、また、愚かで盲目な民が慈愛溢れる黄金の姫を敬愛するように、あらゆる努力を余念なく心懸けてきたつもりだ。だがこの努力も、辛うじて残るヴァイセルフ王家の権威が雲散霧消してしまえば意味を失うどころか、捕縛するのに危険(リスク)対価(コスト)が最も小さい彼女は、ただただポスト・ヴァイセルフ体制において名乗りを挙げたいのみの目立ちたがり屋たちからすれば格好の(まと)だ。

 自身もさることながら、最も案じられるのは愛する者(クライム)の身の安全だ。彼に対する彼女の偏愛は巧妙に隠されており当の本人を含めて多くの者は気づいていないが、それを匂わせることが相手を御するのに有利に働く場合はやや濫用したきらいもあるので、気づく者は気づいている。周囲の知能の度合いを極限まで低く見積もる彼女も、ここだけは楽観的に考えることができない。

 そして一度(ひとたび)革命ともなれば、怨嗟の対象となる王族の寵児は絶好の生贄の羊(スケープ・ゴート)足り得るのは自明の理だ。

 稀人(まれびと)の存在に気づかなければ、彼女は自分自身がそのきっかけになることでこのリスクを回避する……つまりはクーデター、ということになる……ことも真面目に検討したが、とにかく今の王国には駒がない。使嗾するだけなら彼女の思い通りにならない者はいないと思うが、動き出すだけで結果を出さないどころか、いつ裏切るかもわからない輩ばかりでどうしようもない。

 

 となれば、六大神研究に際して空想を弄んだように、稀人(まれびと)に取り入ることを目指すのは、一見夢想のように思われるが、実のところもっとも堅実な戦略である、と少なくとも彼女には思えた。

 

 そこで彼女は、彼女の数少ない切り札を切ることにする。

 

 王国の金剛(アダマンタイト)級冒険者チーム<(あお)薔薇(ばら)>のリーダーであり、彼女の親友、()()()()()()()()()()()ラキュース・アインドラを召し出し、哀れなカルネ村の危機を救いたいと瞳に涙を湛えて哀願してみせた。

 

 魔女の非実在を(あかし)する推理のみを開陳し、宮廷において、現状打破の窮余の一策として沙汰止みとなった王国戦士長および男爵殺害事件の本来犯人であろうはずもない村人の謀殺を諮り、以て主導権を握ろうとする一派があることを訴える。立場上その一派と直接事を構えることは叶わないが、これを看過することもできない彼女にできる唯一のことは、ただラキュースをカルネ村へ遣いに出し、王国公女が自身の荘園に魔女嫌疑を掛けられた少女を匿う準備があると伝えることのみ。そして荘園への来訪に際しては、少女を愚鈍な男爵から救ったと噂される()()()なる有徳(うとく)の人物の同行も歓迎する、と。

 無論『トグロ』というのは『髑髏(ドクロ)』に対する言葉遊び(アナグラム)であり、ラキュースに対しては、巷間噂される魔女が使役した不死者(アンデッド)はこの名が誤って伝えられたものと誤認させて自身の真意を隠す手立てであり、カルネ村の魔女であろうはずもない魔女に対しては、自身の恩人となる稀人(まれびと)に彼女の荘園への来訪を伝言せよ、との符牒となる。

 

 わかってはいたことだが、()()とはいえその言を疑いもせず逆に巧みに演じられた慈愛の精神に無邪気に感銘して見せたラキュースに、彼女は呆れを通り越して羨ましいとすら感じた。

 

 とまれ打てる手は打った。

 王都に不穏な空気が漂う中、著名な冒険者が辺境へ向かうのはどうしても目立つことが避けられない。そこで彼女は幾人かを通して真の出資者(スポンサー)がわからぬよう偽装を施した上で、冒険者組合に『死都エ・ランテルの現状調査』という依頼をかけた。表向きは<蒼の薔薇>はそれを目的に出立することになっている。その都合上、いくら早くとも<蒼の薔薇>がカルネ村に達するのは十日を要すると思われ、最短で彼女の目的が果たされたとしても、魔女と稀人(まれびと)が呼応するにはさらに一週間を要するだろう。

 

 あとはそれまで時間を稼ぐことだ。

 最悪の事態さえ避けることができれば十分だ。為には市井の愚か者どもの視線を逸らすものがあれば事足りる。何か噂を流すか。使用人(メイド)(アー)には(ベー)から聞いた、(ベー)には》(アー)から聞いた、と根も葉もないことを吹き込むことで遠回しに王都の世論を操作するのは、彼女にとっては手慣れた手技に過ぎない。問題はどういう話がいいかだが、以前であれば後々の収拾が面倒なので決して試みなかったものだが、ことここに至っては、エ・レエブルに不穏な動きありとレエブン侯に謀反の嫌疑を被ってもらうのはよい手かもしれない。

 あるいは、棚ぼたで王太子の座が転がり込んだ小太りの次兄(ザナック)に何か吹き込んで踊らせるか。いや、あれは決して聡明ではないが、救いようのなかった長兄ほど底抜けの阿呆ではない。あれとて王国がかなり危険な状況に陥っていることを悟っていなくはないだろうから、この時期に彼女から何かを仕掛けると真意を見抜かれることはないだろうが、却って藪蛇になる危険もある。

 

 やはりレエブン侯謀反の噂か……。

 

 とまれ夜も更けた。

 実際に動き出すのは明日以降となる。いろいろと忙しくも楽しい一日になりそうだ。そんなことを考えながら、とうに使用人も下がらせた応接室兼書斎を離れ、寝室の扉を開いて彼女は息を呑んだ。

 

 瞳が大きく見開かれ、息が継げずに表情が強張る。

 

 が、次の瞬間、彼女本来の蕩けた締まらない邪悪な微笑みがほんの一瞬だけ垣間見え、そしてそれはたちまちに常日頃の、黄金姫と称されるところの屈託のない笑顔に塗り隠された。

 

 そして、(たお)やかに屈膝礼(カーテシー)を執りつつ、望むべくもなかった稀人(まれびと)の来訪者に名乗りを上げたのである。

 

「お初にお目もじ仕ります。

 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフで御座います。

 

 いと高き御方(おかた)。」

 

 対するは。

 

 いったいどうやってこの場へ持ち込んだものか、王族である彼女も見たことがない見事な装飾を施された貴石(きせき)の椅子に悠然と腰掛け、これまたこの世のものとも思えぬ金糸銀糸に縁取(ふちど)られた豪奢な漆黒のローブを纏った、見紛うべくもない骸骨。

 その少し後ろに直立不動に後ろ手を組んで控えるは、決して華美ではないがやはり王国にあっては見たこともない仕立てのよい紳士服をこれまた見事に着流す白髪の老執事。

 

(……名乗らない?)

 

 礼を執ったまま少し頭を下げている彼女は、答礼の名乗りを聞いてその頭を上げるつもりでいたが、この稀人(まれびと)は公女たる自身が率先して礼を執っても返すつもりがないようだ、といささか不愉快を覚える。

 

 供回りとしてあるだけで彼女に対して特段の関心のないセバスはともかく、アインズは、

 

(表情の変化から挨拶まで全部デミウルゴスが予想した通りだなー。)

 

と感心して呆気にとられているだけなのだが、そんなことを知る由もないラナーとしては、早急に次手(じて)を考える。

 

 そしてやおら体を起こすと同時にわざとらしく手を合わせ、

 

「よいお茶がありますのよ。一献差し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

と首を傾げておどけてみせた。

 

 待つことしばし。

 

 骨の手が面倒そうに「行け」の動作を見せたのを確認し、ラナーは一旦自身の寝室を辞し、応接室の片隅に気さくな公女を演じるべく備え付けられた簡易の勝手(キッチン)へ向かう。無論、公女自ら茶を用意するのは口実に過ぎない。流石のラナーも、それを望んでいたとはいえこの唐突の訪問には驚きを隠し得ず、少しでも時間を稼いで対策を考えることが必要だった。

 

 魔法の湯沸かしで湯を用意しながら、ラナーは今垣間見た光景を反芻し分析を加える。

 

 まずは髑髏(ドクロ)様。

 前以て法国伝来の姿絵(すがたえ)で見知ってはいたが、実物と対面すると空恐ろしいまでの存在感で、大抵のことは意思の力で捻じ伏せることを旨とするラナーでも表情を保つことが叶わなかった。いささか礼儀知らずに思えなくもないが、自身稀人(まれびと)の世界の礼法に通じているわけではないのだからそこは問うまい。

 本人は当然として、あの大質量の椅子はどうやって持ち込んだものだろうか。侵入方法も含め魔法以外にはあり得ない。想定されていたことだが、かの稀人(まれびと)は恐るべき魔法使いであることはこれで確定だ。そして、事も無げにそれを為すにも関わらず、今この時点で自身が害されていないということは、少なくとも現時点であれにラナーをどうこうしようという意思はない。

 

 <蒼の薔薇>に託した来訪の誘いが早くも届いたであろうはずもないから、おそらく自身はいつからかこの稀人(まれびと)によって監視されていたのであろうことは想像がつく。

 そもそも、血統と伝統ばかりが重んじられ、それとはほぼ無関係に発露し陶冶に個人の弛まぬ努力を要する魔法、武技、異能(タレント)の類は王国ではとかく軽視されがちだ。ゆえに、彼女の住まう王宮の魔法的手段に対する防諜対策は完璧にはほど遠い。稀人(まれびと)なれば、それを突破して彼女の一挙手一投足を把握するなど赤子の手を(ひね)るも同然だろう。

 一方で、それが事実であるならば、この稀人(まれびと)は少なからぬ関心を自身に対して寄せていることになる。それこそ彼女の望むところであり、そこに思いを馳せ、ラナーは今は誰の目線もないことを幸いに、(よこしま)に北叟笑む。

 

 そして後ろに控える執事。

 一方が着座している以上、両者の間には明確な上下(じょうげ)関係がある。骸骨に人間の執事が従っているのは意外だが、あの執事の瞳は尋常ではない。少なくともラナーは、己の(あるじ)に対する反抗はもちろんのこと不敬の一つでもあれば即座に誅伐する、とあんなにも明確に語る目を見たことがなかった。故ガゼフ・ストロノーフ王国戦士長の強い意思を秘めた目も大概暑苦しく鬱陶しいと感じたものだが、かの執事のそれとは比較するのも馬々鹿々しいくらいだ。

 あのような目をした人間が果たして存在するものだろうか。そもそも主人の骸骨からして一見不死者(アンデッド)であって自身の知る不死者とは似て非なるもの。されば、かの執事も見た目通り人間であろうはずはない。つまり、こちらも稀人(まれびと)であると考えるべきだろう。

 

 はた、とラナーは思う。

 茶は骸骨のみに献じるべきか、はたまた執事にもか、と。

 

 結局、彼女は自身のものも含めて三組の茶器を手押しワゴンに用意して、馬々鹿々しくは思いつつも自身の寝室をノックして「失礼いたします」と押し入る。

 骸骨の手が届く位置にワゴンを押し進め、茶を注ぎながら「後ろの(かた)もどうぞこちらへ」と手近にあった椅子を進めた。

 

 執事はチラリと主人たる骸骨の様子を窺ったが、その頭蓋骨がこくりと頷くのを待って、着座することなくソーサーを左手に取って胸の前高からず低からずに持ち、音もなく後退(あとずさ)る。(あるじ)の手もソーサーに伸びたことを確認してから右手でカップの取手を軽く摘んでやはり音もなく持ち上げ、少しだけ鼻のまえでくゆらせた後一口飲んだ。

 薫りを確かめたとき、また一口飲んだとき、あの強い明確な意思を湛えた瞳がほんの僅かにではあるが緩むのを見て、少なくとも不興を買ったことはなかろう、とラナーは判じる。

 

 それにしても完璧な所作だ、とラナーは内心嘆息した。

 使用人、執事はおろか、王国のお高くとまった王族、貴族どもでも、ここまでの完璧な身のこなしで優雅に喫茶する者をラナーは知らない。

 

 対する骸骨の動きはいささか滑稽だ。

 両手でソーサーを音を立てながら持ち上げ、何を思ってか顔の前で水平にくるくると回している。稀人(まれびと)独自の所作だろうか、とも思うが、執事が彼女の目に叶う作法(ティーマナー)に準拠していることと噛み合わない。そして、骸骨はいつまで経っても茶を飲む様子を見せない。

 

「……何かお気に召しませんでしたでしょうか?」

 

 いかにも心配そうに、上目遣いにそう尋ねてみる。

 ここで初めてラナーは稀人(まれびと)の声を聴いた。

 

「この体だからな、飲めないんだ。」

 

 骸骨の姿は何かの偽装かと思っていたが、本当に骸骨なのか?

 

「これは……思いが及ばず大変な失礼をいたしました。」

 

「いや、こうして薫りを楽しむことは出来るし、オレはこれが気に入っているから気を遣うには及ばないさ。」

 

と骸骨。

 意外にも気さくな一面があるものだ。

 

「悪くない。馳走になったな。」

 

 そう言いながら、やや冷めて湯気を放たなくなったソーサーをワゴンに戻す骸骨を見つつ、そろそろ頃合いかと見定めたラナーは手札(てふだ)を切った。

 

「気に入っていただけてよろしゅう御座いました。王国の中でも銘茶の産地として知られるリットン伯領から献じられたものですのよ。つい先日、いと高き御方が手づから御成敗(ごせいばい)下さった者で御座います。」

 

 ラナーは良かれ悪かれ何らかの反応(リアクション)があるものと期待していたが、骸骨はまったく気にする様子もなく、ソーサーをワゴンに静かに、だが、やはりかちゃりと音を立てて置いた。

 

 実のところアインズは、

 

(……どの話だろう?)

 

 いちいち屠った相手の名前など憶えていないしそもそも獲物の行状以外には興味がないので、ラナーが言っているのが真に自身の狩りの結果なのか、濡れ衣を着せられているのか判断できずにスルーしただけなのだが、ラナーからすると骸骨のこの様子はとても不気味なものに思えた。

 

 しかし、ここまで来ては最早後戻りは出来ない。

 

「実は私の兄もその場に居合わせまして、無惨な(むくろ)と成り果てました。領民を(まと)に巻狩りを催すなどという愚行、いと高き御方におかれましてはさぞやご不興であったことと拝察いたします。お詫び申し上げてお許しいただけるものとは思いませんが、兄に代わり、謹んでお詫び申し上げます。」

 

 流石に実兄の死に触れるのにケロリとしているのもどうかと思い、さりとて、あまりに悲しげな顔をして抗議しているかのように受け取られても不味いので、ラナーは細心の注意を払って表情を調整した。

 

 どういう意味を持つものかわからないが、骸骨の口が少しだけ開く。

 

(領民を(まと)に巻狩り……あ、それは確かにオレだわ!)

 

の結果なのだが、そんなことはラナーの知ったことではない。

 

「おまえがやらせたのか?」

 

「……え?」

 

 不意に、まったく予期していなかった言葉を投げられてラナーは言葉に詰まる。

 

「おまえが兄か、あるいはその……伯爵とやらを唆して、あの巻狩りをやらせたのか?」

 

 何故そうなる!

 冗談ではない。何故私があの阿呆どもの罪で骸骨に断罪されねばならんのか!

 

 だがしかし。

 思えば、誰から見ても本人が考え決めおこなったように見せかけて、その(じつ)はラナーが巧みに、それをされた本人にも自覚がないように思考誘導を施したことは、過去を振り返れば両手の指では足りない。

 

 よもや骸骨は、そこまでお見通しの上でここへ乗り込んで来たのか?

 

 と軽いパニックに陥りかけるが、いや、そんなことはあるまい。もしそうであれば、骸骨は問答無用に私を成敗できるはず。それをせず、こうして謁見しているからには、何か他の目的があってのことに違いない、とラナーは自身の折れかけた心を奮い立たせた。

 

「いと高き御方は何故(なにゆえ)にそのようなお(たわむ)れを?」

 

と、敢えて笑顔で去勢を張る。

 

「……詫びるのでな。おまえに罪の意識があるのかと。」

 

(……この骸骨は社交辞令を解さないのか!)

 

 慌ててラナーは取り繕う。

 

「いえ、私が申し上げておりますのは、末席とは言え王族に名を連ねております私の管理不行き届きが、いと高き御方のお手を煩わせることに至っていたことで御座います。他にも、我が国を蝕んでおりました不行状の貴族、裏社会を牛耳る犯罪組織八本指を御成敗(ごせいばい)いただきましたことには、御礼の(もう)(よう)も御座いません!」

 

「……何故それに気づいた?」

 

(来た!)

 

 ようやくにして自身が望んだ問いが発せられたことにラナーは小躍りしたい気持ちに駆られたが、それをグッと(こら)えて、誇るでもなく、かといって卑下するでもなく、滔々と自身が一連の事件の背後に髑髏(どくろ)様が関わっていたことを見抜くにいたる推理を、ゆっくりと丁寧に、それこそ噛み砕くかのように開陳した。

 そして、それを可能にしたのは偏に骸骨が有徳(うとく)の士だからであり、王国の病巣を自身の兄も含めて悉く抉り取ってくれたことに深い感謝の意を示しつつ、その明確な行動理念があったればこそ、自分は事の真相に辿り着くことが出来たのだ、と強調する。

 もちろん、骸骨自身は意図されたカルネ村の一件を除いて一切手掛かりを残すようなことはしていないこと、推理の過程で自身が一歩たりとも王宮を離れていないことを付け加えることも忘れない。

 

 すべては類稀(たぐいまれ)なる自身の叡智を証明するため。

 

 この途方も無い力を有した稀人(まれびと)たちは、自分たちがこの世界の民草からすれば常軌を逸した化け物であることをよく承知している。ゆえに、直接の接触は可能な限り避けてきたはずだ。

 だが、いつまでもそうしてばかりはいられまい。どこかで人間なり亜人種の社会と接点を設け、関係を取り結ぶべきときが来る。

 

 その橋渡しをするためには、稀人(まれびと)の言動を理解でき、彼らに対してこの世界の常識を教示することも可能で、かつ、この世界の住人から既に一定の信頼を得ている、私のような人間が必ず必要になるはずだ。

 

 そして今、私は私にその力があることを証明してみせた!

 

 最後にラナーは改めて優雅に屈膝礼(カーテシー)を執って、恭しく告げる。

 

「いと高き御方、あなた様にこのリ・エスティーゼ王国を献じとう御座います。

 私には……私のみにそれが可能です!

 どうかお慈悲を以て、ご納受あらんことを。」

 

と。

 

 しかし。

 

「え?……いや、別にいらんけど。」

 

と、にべもなく骸骨。

 

「……えっ?」

 

「まぁ、せっかくいい頭を持って生まれたんだから、もう少しマシなことに使え。」

 

「……はぁ?」

 

「あ、これな。茶を馳走になった礼と夜分遅くに淑女(レディー)の寝室に押しかけた詫びだ。」

 

 ごそごそとどこからか小さな特に見栄えもしない白磁の小壺が取り出され、ことん、とワゴンの上に置かれる。

 

「な、何か、ご機嫌を損ねるようなことが御座いましたでしょうか?」

 

 さしものラナーも、常には決して見せない狼狽を隠せないが、対する骸骨の返答は身も蓋もなかった。

 

(くち)だけの人間に本気(マジ)になるほど狭量ではないさ。」

 

「……口だけ?」

 

 口だけの人間、とは何だ?

 私はどこで、何を誤った?

 

「……さて、用は済んだしお(いとま)することにしようか。」

「お待ち下さい!」

 

 ラナーは追い縋る。

 

「私はあなた様の秘密に通じているので御座いますよ!」

 

 危険な賭けであることは百も承知だ。

 だが、この好機を逃すことは彼女にはできなかった。

 

 しかし、やはり骸骨はまったく動じなかった。

 

「別に構わないさ。

 気が()れたと思われたいのならそうするもよし。

 おまえの言を信じる者がいたとして……

 

 おまえの言葉を鵜呑みにする程度の輩に、何が出来る?」

 

 唖然とする彼女に背を向け、<転移門(ゲート)>を開いた骸骨は、執事を伴い闇の中へと消えて行った。

 

「な……」

 

 ラナーはがくりとその場に膝をつく。

 

 そんな馬鹿な!

 あの骸骨は何を勘違いしているのか?

 私のこの才を捨て置くとは、いったいどのような了見なんだ!

 

 放心のまま、しばし彼女は呆然と骸骨が消えていった辺りに視線を彷徨わせていた。

 

 すると、突如さきほどの闇の穴が再び現れたではないか!

 

「嗚呼、いと高き御方!」

 

 再び縋るように呼び掛ける。

 

 だが、上半身だけを闇の穴から覗かせた骸骨は、その場に残されていた貴石(きせき)の玉座を指差し、如何なる魔法かそれを掻き消すと、再び闇の中へと消えて行き、そのまま二度と現れなかった。

 

 ややあって。

 

 ラナーは立ち上がり、ワゴンの上に残された小壺に目を止める。

 壺自体は、王都の(いち)で誰でも手に入れることのできる、良からず悪からずの品だ。

 

 蓋を開けてみると、中身は茶葉であった。

 

 まさか、と思いつつも、確かめずにはいられない彼女は、再び湯を沸かし茶を淹れる。

 一匙(ひとさじ)の茶葉をサーバーに移し、湯を注いだ時点でその芳香に心が揺れた。

 

 そして、さきほど自身は用いなかったティーカップに注いだそれを、恐る恐る一口含む。

 

 それは、骸骨に饗じた王国随一とされる茶葉が、飼葉かと見紛う代物であった。

 

「……美味しい。」

 

 その()も言われぬ薫りに堪らず湧き上がった羞恥心に頬を赤く染めながら、ラナーは生まれてはじめて心の底から悲しいがゆえに涙した。

 

 

                    *

 

 

「黄金姫は御意にそぐいませんでしたか?」

 

とデミウルゴス。

 

「……逆に聞きたい。おまえほどの者が、あの小娘の何がオレに響くと思ったんだ?」

 

とアインズ。

 

 ナザリック地下大墳墓に帰投したアインズは、今回の()()を勧めたデミウルゴスと反省会を開いている。

 

「これまでアインズ様がお手にかけた者どもは、概ね私の好みの者に御座いましたので、今回も御意に叶うものかと愚考いたした次第ですが、所詮は浅知恵であったようで、アインズ様に無駄足を踏ませましたことは大変申し訳なく思います。」

 

「……おまえ好み?」

 

「左様で御座います。

 

 己の性欲を満たすべくすべての歯を力づくに抜いた女たちを日夜慰みものにした野盗ども。

 麻薬漬けにした女性に春を(ひさ)がせて暴利を貪る破落戸(ごろつき)

 さらにその背後に、我らからすれば(かす)と評するのも愚かしいほどの脆弱な暴力で君臨する犯罪組織。

 それらに何ら手立てを講じることがないばかりか、己の依って立つ民を自身の享楽の狩りの獲物にせんとする王侯貴族。

 

 いずれも人間の真なる姿、愚かしさ、浅ましさ、(よこしま)さを体現した私好みの者たちであり、アインズ様はこうした輩を狩ることをお好み、と考えておりましたが……間違っておりましたでしょうか?」

 

 なるほど、そういうことか、とアインズは得心する。

 

 そもそもアインズがラナーのことを知ったのは、デミウルゴスが、

 

「アインズ様の存在に気づいた人間が御座います。」

 

と報告してきたからだ。

 

 リ・エスティーゼ王国は、デミウルゴスからすればアインズに捧げる人材の宝庫だった。

 

 実のところ、デミウルゴスはそれほど人間を馬鹿にはしていない。

 

 人間の中には、輝かしい高貴な魂を宿す者がしばしば現れることを承知している。そして、紛うことなき悪魔である彼からすれば、人間の魂が清らかであればあるほど、それを堕落させる喜びも一層大きくなる。

 

 いささか逆説的ではあるが、彼は高貴な魂を宿す人間を愛してすらいた。

 

 そんな彼からすれば、王国の実情は内偵を進めれば進めるほどに拍子抜けするほど堕落し切っていた。

 アインズが人を屠る喜びを切望する一方、無辜な人々の殺戮を好まないことは十二分理解していたので、正直なところ、もしそれに相応しい人間がまったくみつからなかったらどうしようか、自身が堕落させた上でアインズに捧げるか、否、それはアインズの望むところではないやも知れぬ、と人知れず悩んだこともあったほどだ。

 

 ではデミウルゴスがそんな王国の()()に失望したか、と言えばもちろんそんなことはない。

 

 デミウルゴスは、愚かで浅ましく邪な堕落した人間もまた愛している。そのような人間に助力し、堕落の底の底まで突き堕としてやれればどれほど気分爽快であろうか。

 現地勢力との直接の接触を堅く禁じられている我が身なれば、そのような自身の趣味に走ることは許されない。が、彼には特に不満などはなかった。なぜなら、アインズの欲するところを叶えることこそが、何にも増して彼を喜悦させることだから。

 

 ゆえに、王国民からアインズに捧げるに相応しい人材を抜擢することは、彼にとってはまさに趣味と実益を兼ねた天職だったのである。

 

 ラナーの存在に気づいたのは、人材抜擢の効率を上げるため王国権力層を動かす力学を分析している際、そこに僅かながら不自然な恣意的介入の気配を感じたからだった。

 王国の賞罰や人事は恐ろしく野放図であり、非効率窮まりなく一貫した主義、思想、目標、戦略といったものがまったく見出(みい)だせない代物だったが、その中にあって、おそらく普通の人間であれば決して気づきはしないだろうが、一見その無作為な傾向の中に埋没しているように見えて、実は大局的に見ると常に利益を得、護られている存在がある。

 

 それは、何の取柄も変哲もない一人の少年(クライム)だった。

 

 これに一度気づいてしまえば、そこから逆算して全てを裏で糸引く存在(ラナー)を導き出すのにさしたる労力は要さなかった。影の悪魔(シャドーデーモン)の一体を割いて彼女の専属とし、その言動を逐一記録報告させた結果、デミウルゴスは、王国民に敬愛され黄金姫との(ふた)()を持つ彼女がその名にそぐわぬ魔女の類であることを知った。

 人間にしておくには惜しいほどの慧眼。自身は王宮の最奥に隠れたまま、ただ自身の偏愛する男のためだけにその比類なき悪知恵を発揮するひたむきなまでの欲望。慈悲深き公女を巧みに演じつつも人を人とも思わず、その男に如何なる意味においても(あだ)なす者を排除するに当たっては手段を選ばぬその徹底振り。

 

 人間の業の深さを極限に体現してみせる彼女は、デミウルゴスのお気に入りの観察対象となった。

 

 この時点では、この観察は彼にとっては王国の内情を把握する実益を兼ねた趣味の域を出るものではなかったが、彼女が王国の名うての冒険者を呼び寄せ、アインズとの接触を図るに至って事態は急変した。

 

「アインズ様の存在に気づいた人間が御座います。」

 

 最も頼みとする部下からこの報告を受けたとき、アインズが真っ先に考えたのは、

 

(やっべ、どこでミスったんだ、オレ?)

 

だったのは言うまでもない。

 

 よもや(あるじ)がそんなことを考えているなどとは思いも拠らないデミウルゴスは、かの公女が安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)の類であり、推理から正解に辿り着いているだけでそれを証明して見せる手段を持たず、彼女の言を検証する術を持たぬ者から見れば思い込みが激しいだけの電波少女、であることをとうに看破しており、適切にもその旨をアインズに合わせて申し添えていた。

 

 が、俄にそんな少女……しかも王国公女だと言うではないか……の存在を信じることが出来ないアインズは、自身が何か自身の存在につながる証拠を残して歩いている、という疑心暗鬼に取り憑かれ、その少女に興味を抱いた振りをして自ら問いただすことを決心するに至り、こうしてアインズと黄金姫の会見が実現したのである。

 際してデミウルゴスは、少女がアインズの突如の来訪に対し、どのような反応を見せるかについてその多くを事前に予言して見せた。ご丁寧にも、彼女の心を完膚なきまでにへし折るであろう、王国製の茶壺に封じたナザリック謹製の茶葉まで土産に持たせて。

 

 結局のところ、自分のミスがあったのではないことを本人の言で納得したアインズはそそくさと帰ってきた。即席の玉座をうっかり消し忘れて、なかったはずのミスを自ら生みそうになったのはご愛嬌である。

 

「後学のために、何がお気に召さなかったのかご教示いただけますと幸いです。」

 

と、どこまでも真面目なデミウルゴス。

 

 そう問われると、アインズにもどう返していいものやらたちまちの返答に窮す。

 

 思えば、少女はアインズが王国の悪徳を掃き清めるべく行動していると思い込んでいるようだったが、アインズ自身にはそんなつもりは毛頭ない。ただただ時にどうしても、誰でもいいから屠らずにはいられなくなることがあり、同じ屠るのであればなるべくムカつく奴を屠ってやろう、と思っているだけ、と自分の中では説明付けていることではあるが、結果的にそのように見えることもある、というのは少女の言葉で気づいたくちだ。

 

 なので、こういう物言いはまるで自分が物事の正邪を判じる審判者になったかのようで本来おかしい、と思いつつも、さりとて他になんとも返しようがないので、苦し紛れにこう答えた。

 

「やらかす、のと、やらかしそう、なのは……

 同じじゃないよな?

 違うよな!」

 

 デミウルゴスは、内心「欲を(いだ)いて女を見る者は、心の中で姦淫した」との某聖句を思い浮かべたのであるが、元より(あるじ)の我儘のまま、こそが彼の望むところ。我が至高の主がそう望むのであれば、それはそうなのだ。

 

 教示を謝してその場を辞し、自らの居処(きょしょ)となる第七階層赤熱神殿に戻ったデミウルゴスは、転移以来欠かさず付けている日記に本日の新たな気づきを書き込む。

 

 

 モモンガ様は思想犯はお好みにならない。

 

 

 ん?

 

 と違和感を覚える。

 

 ふと思うところがあって一日前の日記を読み返すと、

 

 

 そろそろなので明日の私のために書き遺す。

 モモンガ様は尊くも(うるわ)しきアインズ・ウール・ゴウンの名を継がれ、今はアインズ様だ。

 

 

 とあって、悪魔は「私としたことが」と己の(ひたい)を打つ。

 (あるじ)の改名を度々失念し、こうして対策を施してもその御名(みな)を書き誤るとは何たる不敬!何たる不忠!

 

 そして、もしや、と思う。

 

「……なるほど、そういうことでしたか。

 何人(なんぴと)にも明かせぬこの悩みを慮って、あのような言い回しでご配慮くださるとは!

 

 やはりアインズ様はすべてお見通しであられる!」

 

 嗚呼、この上なく偉大で慈悲深く聡明な(あるじ)に仕える我が身の何と幸いなことか。

 

 デミウルゴスは次に予定している仕事の時刻までを、最近のお気に入りである魔法による映像記録を見て楽しむことにする。カルネ村事件後にアインズがセバスにお説教する一部始終をこっそり記録したものだ。優秀かつ信頼に足る同僚であることを認めるに吝かでないがさりとて忌々しくも小憎らしいあの老執事の、何が(あるじ)の不興を買ったのか向学のために拝聴するのだ、というのが大義名分だ。

 

 その割にはやたらと楽しげに笑い声をあげ、こともあろうに拍手まで打って喜んでいるのではあるが。

 

何時(なんどき)も新鮮な気分でこれを楽しめるのは素晴らしいことだ!」

 

 その日、第七階層赤熱神殿には、悪魔の哄笑と打ち鳴らされる拍手が鳴り響き続けた。

 

 

                    *

 

 

 いささか蛇足ではあるが、黄金姫の密命を帯びた<(あお)薔薇(ばら)>のその後の顛末についても見ておいて無駄ではあるまい。

 

 死都エ・ランテルへ向かうに際し、強行軍をおこなうと現地入りした時点で不死者(アンデッド)との遭遇戦にでもなった場合思いも拠らぬ遅れを取る恐れがあることから、彼女たちは一般的に五日とされる工程に敢えて六日を費やし、六日目の昼過ぎにエ・ランテル城下を覗き見れる地まで辿り着いた。

 噂通り、かつて王都ほどではないものの人々の活気に湧いた街はまったく人気(ひとけ)がなく、時折物憂げに彷徨う骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)を見かけるのみ。日暮れになって、それらが城壁から溢れ出たりはしないことを確認した後、一旦街から距離をとって野営した。

 

 七日目、今度は敢えて城壁内に侵入する威力偵察を試みた。

 総数こそ把握し切れないものの、個々の不死者は彼女たちからすれば大した相手ではなく、いくらか粉砕してはみたものの、その行為自体には特に益はない。また、その過程で不死者たちが何らかの上位存在から組織化されて操られている様子も伺えなかったことから、これらの都市を埋め尽くす不死者が、不気味ではあるが王国全体にとってのたちまちの脅威とはなり得ない、との結論に達する。

 

 ひとつ気になったのは、昼な夕なを問わず、時折何処からともなく「お母さん、お母さん」と哀願するかのような声が聞こえてくることであるが、その意味するところ(カジット)については終ぞわからずじまいであった。

 

 こうして、ラナーが予想したよりも随分と早い八日目の夕刻には<蒼の薔薇>の一行はカルネ村近くまで至った。ここまで野営続きだったこともあり、今夜は村のあばら家でも借り受けて、叶うものであれば湯浴みもしたいところだと呑気に構えていたのだが、本当の脅威が実はこちらに待ち受けていようとは、さしもの彼女たちも予想だにしてはいなかった。

 

 辺境の閑村(かんそん)と聞かされていた村は、要塞かと見紛う見事な防柵に取り囲まれており、しかも周囲に小鬼(ゴブリン)の軍勢が哨戒網を展開していた。

 彼女たちの力量からすれば、強行突破も隠密潜入も出来ないわけではなかったが、既に日暮れとなり村人たちの現状もわからないままに押し入れば彼らを危機に陥れる恐れもあり、止む無くもう一晩を野営で過ごした。

 

 開けて九日目、半日を遠目の観察に費やした彼女たちは、小鬼たちが理知的で極めて組織化されていることを確信するに至る。そして、防柵の中から現れた村人と思しき幾人かが、談笑しながらあろうことか小鬼たちと昼食を共にするのを目撃して、意を決した。

 ラキュースの英断により、完全武装解除して小鬼の一団の前に歩み出た彼女らは、王国公女からの言伝(ことづて)をカルネ村の魔女とされた人物に伝えたい、と正直に申し入れ、それは呆気なく受け入れられた。

 

 かくして、九日目の夕刻、ようやくにして<蒼の薔薇>は小鬼の軍勢から「エンリの(あね)さん」あるいは「エンリ将軍」と親しげに呼ばれる年の頃は十五六歳の、まだ少女と呼ぶに相応しい人物との会見に辿り着いた。ラキュースは、ラナーの言葉を真に受けてカルネ村に魔女など居ない、と信じていたので、この様子に大層驚くことになった。

 

 エンリなる少女が魔女と思えないのは確かだが、さりとて、ただの少女であろうはずもない。

 (なに)せ、外からは見えなかった防柵の中では、小鬼どころか人食い大鬼(オーガ)までもが村人と共に物見櫓の建設作業に従事していたのであるから。

 

 前代未聞のこの様子に度肝を抜かれた彼女たちではあったが、冒険者としての彼女にとっては依頼の達成こそが第一義である。そう考えたラキュースは、敢えてこの状況についての詮索は避け、エンリに対しラナーの言伝(ことづて)を一字一句過つことなく伝えたのであるが、対するエンリの返答はにべもないものだった。

 

「もう誰かの庇護を当てにする生き方はやめたので結構です。

 ()()()には、お気持ちだけいただきます、とお伝え下さい。」

 

「ラナー……?」

 

「……私、変なこと言いましたか?」

 

 自身王国貴族であるラキュースは、王国公女からの言伝(ことづて)であることを明言したにも関わらず、その名をあろうことか呼び捨てにするエンリに虚を衝かれたが、対するエンリはそのことにはもちろん、小鬼や人食い鬼(オーガ)が自身に付き従っていることについて、何ら疑問を抱いている様子はない。

 

 これは……革命?

 

 ラキュースも、いささか直情型でありラナーにいいようにあしらわれる類ではあるが、沈みゆく王国の命運に気づかぬほど愚かな人間ではない。当地で進行している出来事は、新しい時代の幕開けを告げる何かであるのやも知れず、むしろ彼女自身、許されるものであればその革命に参加してみたい、と憧憬すら(いだ)いたのであるが、立場上たちまちに叶うものではあるまい。

 ともかく依頼を完遂することだ、と、ラナーから預かっていた最後の言伝(ことづて)をエンリに伝える。

 

「……貴女がラナー王女の庇護を必要としない、ということは承知しました。

 ですが、トグロ……様にはその選択肢があることをお伝えいただきたいのですが。」

 

 しかしエンリは、

 

「誰です、それ?」

 

と返すのみで、ラナーの含意をまったく解さなかったという。

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