ナリタタイシンとズブズブの関係になるきっかけを作りたい。 作:石端釜麻呂
晩夏の空気を切り裂く蝉の声が、鼓膜を揺らす。遠くの木立の間にゆらりと立ち昇る陽炎は、ゲートが開くのを待つ時、胸に宿る想いに似ている。
いつの間にか、ぼうっと木々を眺めていたアタシの視線の先には、笑い合う少年と少女の姿があった。幼い頃のトレーナーも、そして『彼女』も同じ光景を見ていたのだろう。深緑に染まったこの山には、『彼女』の夢が眠っている。
かつて二人が何を語らったのか、アタシには分からないし、関係もない。アタシに出来るのは、勝利への執着心を燃やし続けることだけだ。誰に託すことも出来ない、自分を肯定するためだけの勝利へ。
目の前の「過去」に背を向けて、アタシは来た道を引き返す。アタシに必要なのは「未来」だ。昼下がりの太陽が、ワンピースの肩口から伸びるアタシの腕をじりじりと照りつける。
下腹の辺りで、粘つくような感情がふつふつと湧き出てくるのが分かった。一方で、思考は冷え冷えと冴え渡っていく。心臓の震えが全身に伝わり、周囲の空気をも震わせたように感じた。もうしばらくは、この緊張の中で生きていたいな、と思った。
「ウチに泊まるのはどうだ?」
そんな提案がトレーナーから出たのは、クラシック級8月下旬。灼熱のビーチでの夏合宿を終え、京都新聞杯への出走を目指して調整を重ねていたアタシの肺から出血が確認された直後だった。
ウマ娘にとって、肺からの出血は放置すれば競技生命が絶たれる理由になりかねない。出走取り止め、休養入りは当然の判断だろう。それでも、学園が出した休養を通告する書類を見て、溢れる涙を抑えることは出来なかった。
向けられてきた嘲笑や悪意を弾き返す夢が、また遠ざかってしまった。闘争心だけが空回りして、私はちっとも目標に辿り着けていないのではないか。そうも思った。仕方ないと慰めてくれるトレーナーや友人も、その時だけは疎ましくてたまらなかった。
しばらくは練習も禁止となり、学園で授業を受けた後、放課後は一人でゲームをしたり、部屋にこもっているだけの生活となった。トレーナーは気を遣っているのか、会っても復帰戦の話なんかはせずに他愛ない会話を振ってきた。ハヤヒデもチケットも、練習終わりや暇な時間には定期的に訪ねてきてくれて、少しは気が紛れた。
自分でもレースについては極力考えないよう努めていた。5月の皐月賞で1着を取って以来、日本ダービー、高松宮記念で2戦連続2着と惜しい結果が続いていたので、次走はそのリベンジも兼ねるはずだった。
今後のレースを考えれば練習なんて論外なのは分かっていた。それでも胸の内側でもどかしさが蠢くのがたまらなく不快で、虚弱な身体と不運を何度恨んだか分からない。
そんな自暴自棄な精神状態の最中だったアタシに、もうすぐ1年半の付き合いになる男は提案したのだ。
「ウチって……アンタの実家?」
「あぁ。前に言ったことあるかも知れないが、めちゃくちゃ田舎でな。呼吸器にも負担はかからないだろうし、何より学園と寮の部屋を行き来するだけの生活は退屈だろ?気分転換にもなるかと思ってな」
「アタシは良いけど……アンタの家族は大丈夫なの?」
「あの人達がダメと言う訳ないと思うけどな、軽く聞いてみるか」
そう言うとトレーナーは机上のスマホを手に取り、実家にビデオ通話をかけた。
「来てくれて全然構わないのよ!何にもない田舎なんだから、むしろこっちが申し訳ないくらいだわ~」
「大したもてなしもないだろうが、是非ゆっくりしていってくれ」
事情を説明すると、即座に許可が出た。
柔和な微笑みを浮かべたトレーナーの両親は、どちらも言われずとも親子と判断がつくような、トレーナーと似通った雰囲気を纏っていた。彼らの背後には、落ち着いた色合いの木造の柱や、古めかしい掛け軸が映っていた。想像以上に辺鄙なところなのかもしれない。
「タイシンさん、僭越ながらいつもレースは全部見せてもらってるよ。良い走りだ」
「BNWのレースは毎回、観てるこっちまでヒートアップしちゃうのよね~!」
「ありがとう、ございます……」
自分の走りが、誰かに熱を与えている。レース後の歓声や同級生の対応の変化からうっすらと感じていた事実を、改めて伝えられて、頬が上気するのが自分でも分かった。
「いきなりの話なんだぞ。土日は本当に空いてるのか?」
「タイシンちゃんが最優先に決まってるでしょ、予定が入っててもズラすわよ!あぁ、会うのが本当に楽しみ!我が子の担当するウマ娘なんて、実質ウチの子と一緒よ~!」
「何ならお前が帰ってくるより楽しみだな」
散々な言われようだ。当のトレーナーは慣れているのか、さほど意に介した様子もなく頭を掻いている。
「じゃあね、タイシンちゃん!ご馳走いっぱい作って待ってるから!」
「いや、体重管理だって一応やってて……!」
言い切る前に電話は切れた。画面の暗くなったスマホを机に戻すと、トレーナーは盛大にため息をついた。
「うるさそうな家だろう?」
「そりゃあ、アンタが育った家なんだから。でも仲は良いんでしょ?喧嘩とかもしなさそうだし」
「腹立てても飯抜かれるだけなんだけどな……じゃあ、金曜の授業終わりに出発するから、荷物はそれまでにまとめておいてくれ」
「学園の許可は取れるの?」
「外泊の届け出は俺が出しておく。布団とかはあるだろうし、着替えと最低限の身の回りのものさえあれば十分だと思うぞ」
「分かった。……ちなみに、アンタの家ってどんくらい田舎なの?」
「まずスマホゲームは出来ないと思え」
予想を超える解答だった。