「ここか……」
人里の外れ。繁華街から逸れた、いわば
新しい店の割には店内は少し古く、率直に言ってしょぼかった。
「ごめんください」
声をかけてみるが、返事はない。首をかしげて、もう一度、「ごめんください」と言い直すと店の奥、二階に続いているのだろう階段から「はーい!!」と大きな返事が響いてきた。慌てたようにドタバタと降りてきて、冴えない風貌の店主がひょっこり顔を出す。
「な、なんの御用でしょうか」
「ここ、お揚げ屋なんですよね?」
「ああ! そうです、うちこそがお揚げ屋です、伝説の油揚げ専門店です!」
「伝説……?」
伝説以前にそもそも、油揚げ専門店などという奇怪な店は寡聞にして聞いたことがない。豆腐屋ならわかる、だが油揚げのみを売りにするのは、些か商売っ気がないというか、最早売る気がないのではという域に達している。が、本日オープンした店の経営状況など気にしても仕方がないので、「まあいいわ」と話題を切り替える。
「お揚げ一つ、くださいな」
「はい、ただいまっ!」
忙しなく厨房へ向かっていった店主は、そのまま慌てて戻ってきて「こちらでお待ちを!」と店内の椅子に促した。買ってそのまま帰る気だったのだが、折角だからと藍は座った。小さな食堂のようになっているが、まさかこれは油揚げを買った人間のためのイートインスペースなのだろうか。小首を傾げていると、店主がお皿を抱えて戻ってきた。大豆と、香ばしいタレの香りが藍の心を掴んだ。
「お待たせしました、油揚げです」
拳を強く握りしめ、何故か感極まった様子の店主に藍は首を傾げた。
────────────
「店員さん、お豆腐一丁くださいな」
「へい、ただいまぁ!」
最早顔馴染みとなった老婦人に言われた品を渡すと、「ありがとうね」と微笑まれたので、「こちらこそいつもあざっす!!」とお辞儀して返した。今のお客でラッシュの時間は過ぎ、ちょうど閉店の時間である。肩を鳴らしながら大きく伸びをしていると、「お疲れさん!」と後ろから声をかけられた。店長である。
「うっす、お疲れっす!」
「いやあ、毎日毎日助かるよ」
「いえいえ、こちらこそ。店長に雇ってもらえなきゃ野垂れ死にしてましたよ」
ここは人里の豆腐屋。俺は幻想郷の外から迷い込んだ人間、いわゆる外来人だ。右も左もわからなかったところを、この店長に助けてもらったのだ。初めはすぐに帰る予定だったんだけど、一宿一飯の恩を返そうと働いていたら、何だかんだと馴染んでしまって、なし崩し的にそのまま暮らすことになって今に至る。
「よし、それじゃあそろそろ閉めちゃいますね」
夕暮れ時を過ぎれば、豆腐屋にくる客なんかいなくなる。黄昏時が過ぎ、夜の帳が落ちきるその直前に店じまいするのが恒例だった。が、店長は眉間に皺を寄せ、小さく首を振った。
「ダメだ、今日はまだ客が来る」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。そういやお前は、まだ会ったことがないのか。冬になると中々こなくなるからなあ」
「はあ」
俺が働き出したのはちょうど冬だった。春先になって、暖かくなったから来るということなのだろうか? 動物の冬眠のようだ、と見ず知らずの人に失礼なことを思った。
「予約でもされてるんですか?」
「いいや、勘さ」
「か、勘?」
馬鹿にしたもんじゃねえぞ。店長が不満げに口を尖らして言った。
「この土地で生きてきたが故についた悪癖かね、残念ながら外れたことはねえさ」
「そ──それって」
かつ、かつ。人里に訪れていた静寂を切り裂くように、足音は響いた。路地の隙間、そこに不思議なシルエットが映っているのが見えた。尖った帽子、耳のような突起、何より目を引く九本の尻尾。月明かりに照らされて、金色のその女は現れた。店長が小さくお辞儀する。
「どうも、いらっしゃいませ」
「お久しぶり。毎度閉店際に申し訳ない、いつものお願いできますか?」
「へい、油揚げ四個!」
女は店を見つめている。そして俺はそんな女を見つめている。端正な顔立ちの人である、優しげな微笑の中に、どこか妖しい魅力も感ぜられる。そして俺のことを店長が見つめていることにようやく気づいて、「は、はいただいま!!」と慌てて品物を用意しだした。
「もしかして、ちょっと前に噂になった外来人の?」
「へい、そうです。ここにもすっかり馴染んで、よくやってくれてますよ。最近では仕込みも手伝ってもらってます」
「ふむ。それはそれは、楽しみだ」
「お、お待たせしました!」
品物を手渡す。「どうも、また来ます」と手を振って、女は夜の闇の中に消えていった。それをぼーっと見ていると、神妙な顔の店長に肩を叩かれた。
「お前……さては惚れたな?」
「ほ、ほほほほほほ惚れたって」
「図星か」
すると店長は小さくため息を吐いた。
「悪いことは言わねえ、大人しく諦めろ。美しかろうが妖怪だ、触らぬ物に何とやら、 俺たち定命の者とは違うんだ」
「はあ」
そういうものなのか、と思った。先程もそうだったけれど、この世界のことに関して、店長の言葉が間違っていたことはない。ならばこの胸の高鳴りは無視して、今まで通り平凡に慎ましく過ごすべきなのか。否、転機はすぐに訪れた。
その翌日は定休日で、特に予定のなかった俺は、何となく鈴奈庵(貸本屋。静かだしあまり他の客がいないので、のんびりと本を探せる)で、面白い物はないだろうかと物色していた。そんな中、ある一冊の本の前で立ち止まる。
「『幻想郷縁起』……?」
名前から察するにどうやら、幻想郷に関わることを記した本らしい。昨日の出来事もあって、この場所への興味が増していた俺は、早速その本を借りて読むことにした。ぺらぺらと斜めに読んでいると、その内容のなんと荒唐無稽で胡散臭いことか。危険度だの人間友好度だの程度の能力だの種族とその特徴など、この地で多少生きてこなければ信じられないことばかりである。そしてざっくばらんに目を通していたその中に、ある項目を発見する。
「これは…………」
項目の脇の挿絵、そこに写っている導師服と立派な九本の尻尾で気づく。昨日の人である。目を皿にして内容を読む。
「『名前:八雲藍 種族:妖獣(九尾の狐) 二つ名:策士の九尾 危険度:高 人間友好度:普通』と。ふむ……」
よくわかんないけど、なんかすごい人らしい。あと妖しい魅力があるのはわかる。これが妖怪の力なのだろうか。やっぱりわからん。
「え、九尾の狐なのに式神なの? 大妖怪じゃないの? はえー……ん!?」
彼女の特徴を見ているうちに、ある一点が目に留まる。それは弱点ともいえる重大な情報、つまり──
「は、油揚げで釣れるの!?!?!?」
────────────
そんなわけで、苦節一年。店長改め師匠の元で修行を積み、晴れて油揚げ屋を開いたというわけである。うん、改めて考えると俺めっちゃアホだな? 師匠もしばらく「おまえは何を言っているんだ」って言って弟子入りさせてくれなかったし。当然の反応とも言えるけど。
「お待たせしました、油揚げです」
内心の喜びも感動もおくびにも出さず、密かに固く拳を握り締めるだけに留める。油揚げ屋を開き、無事
「これは…………」
興味深そうにお揚げを見つめる
「いただきます」
小さく口を開けて、パクリと一口。恐る恐ると言った様子で咀嚼した後、
「うっ……!」
「え、あの、お客さん……!?」
彼女の大きな瞳は細まり、雫が溢れ出している。泣くほど感動してもらえたのか……! と内心で小さくガッツポーズする。
「…………正直に言いましょう」
「はい」
「この油揚げはいただけない!!」
「ええええっ!?!?」
「お揚げの味自体は悪くない、というかかなりいい。今まで食べてきたものの中でも十本の指に入る。が、それだけにこの、隠し味とばかりにかかっているチョコチップがよろしくない! 多くかかっているところからは、ザクザクとしたお揚げにあるまじき不快な食感がし、軽くかかっているところは油でふやけ、へなへなとした不安な食感がする。しかも無駄に甘い。なんだこれは!?」
秒で全否定された。不味すぎて泣いてたってことですかァ!?
「いや、今のは不味くて泣いていたんじゃない。残念で泣いていたんだ。このお揚げからは作り手の、お揚げへの愛が伝わってくる。故に、それがチョコチップごときのせいで壊されてしまっているのが残念でならない!」
「こ、光栄なお言葉です」
「しかし一つだけ疑問がある。チョコチップをかけてみるという、お揚げへの新たなアプローチ自体は素晴らしい。が、一口でも味見したなら、この惨状にはすぐ気づけたはずだ。何故そうしなかったんですか!?」
「…………それは、その………………」
こちらを見つめるまっすぐな瞳。答えに薄々感づきつつも、そんなはずはあるまいと俺のことを信じ続けるような、黄玉の眼。正直に言おう、そう決意した。
「…………なんです」
「え?」
「油揚げが! 苦手なんです!!」
「なっ……!」
驚愕に満ちた表情。まさかそんなはずあるまい、のまさかの部分が飛んできてしまったのだから当然であろう。でも、と俺は続ける。
「油揚げが嫌いなわけではないんです。俺は……油揚げが好きな
「そうか……だからこんな優しい味になるのか」
彼女は聖母もかくやという慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。これが優しさの連鎖ってやつだろうか。素敵なことである。
「油揚げは何種類あるんだ?」
「今のところはそれと、ベーシックなやつだけです」
「専門店としてそれはどうなんだ……?」
「た、たい焼き屋とかも大体二品しかないしいいかなーって……」
話が違うだろ、と口を尖らされた。似たようなものではないだろうか。
「店員は貴方だけですか?」
「そうです」
「今までの味のチェックは誰が?」
「師匠です。とはいえこうして独立して同業他者になってしまったので、頼ることはないです……多分」
「ふむ」
何か考え込む様子の狐さん。個人的には彼女の胃袋を掴めなかった時点でもう店の暖簾を下ろす覚悟ができているのだが、どうも彼女には何か考えがあるらしい。
「どうだろう、私と取引をしませんか?」
「取引……ですか?」
「ええ。貴方の腕は本物だ、だが貴方一人では油揚げの善し悪しが判断しきれない。ならば協力者が必要なはずだ」
「協力者……!? それは、つまり──」
ゴクリと唾を飲んだ。狐さんはぽすっと己の胸元を叩いて、小さく微笑む。
「私を、アドバイザーとして雇わせていただけないだろうか?」
「そんな、願ってもない!!」
ガシッとその両手を掴む。虚をつかれたような彼女に、俺は「お代は弾みます! これからどうか、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしゃす!!!!」と叫んだ。
「あ、ああ。よろしく。それじゃあ、早速ですが──」
「何でしょう?」
「普通の油揚げを、持ってきてはもらえないだろうか?」
彼女は、肩を竦めて言った。
続くかもしれないし続かないかもしれない