「……どうですか?」
「うん、悪くはない」
此度の新作、季節に合わせた冷やし油揚げ(氷で冷やしただけのベーシックなやつ)に舌鼓を打って、彼女は頷いた。
「気も衒いもないが、それ故に間違いなく売れる。季節感は商売を行う上で重要な
「ですねえ。俺にはなかった発想です。これを活かせば秋には焼き芋油揚げとか、南瓜油揚げとか、いろいろ応用も効きますしね!」
「いや、それはどうかと思うが……」
呆れたような顔をした藍さんは、小さく首を傾げて追加の油揚げを頬張った。口に入れた瞬間、頬が少しだけ緩んだのを俺は見逃さない。
「……もしかして気に入りました?」
「うむ、美味しい」
流石、油揚げには誤魔化しを入れない女。満点の笑みが返ってきた。
「誤魔化し……あ、そうだ。ごま振りかけるのはどうですかね?」
「ん……白胡麻なら確かに、なくもないか……?」
「ごまなら何にでも合いますからね」
「前から思っていたが、貴方のその調味料への絶大な信頼は何なんだ……?」
「これは油揚げ屋になってから気づいたことなんですけど」
空いたお皿を洗いながら話す。
「料理って、要はいかに調味料で味を引き出すかにかかってるんですよね。お揚げであればどれだけ美味い出汁を作って、それをどこまで染み込ませられるかにかかってると思うんです」
「仮にも料理人として、それはどうなんだ」
空になった皿をテーブルのへりに乗せた藍さんは、そうだ、と手を打った。
「なら私が見せてやろう。素材の味を活かした料理を」
「……え?」
「普段食べさせてもらってばかりだし、たまには私が何か作ってくるよ」
つまり……手料理!?!?
*
「いらっしゃいませェェェェ!!」
「あー、うん。こんにちは」
翌日。朝十時(開店時刻)から忠犬ハチ公のごとく店先で待ち構えていると、きっかり二時間後に藍さんがやってきた。深くお辞儀した俺に彼女は苦笑いして「待っててもらえるのは有難いが、これではお客が入りづらいと思うのだけど……」と言った。
「いえ、これが意外と客引き効果あるんですよ。たぶん仁王立ちで直立不動だったのが功を奏しましたね。カーネル・サンダースとかドナルド・マクドナルド的なマスコットキャラクターに見えてたんでしょう」
「どちらも幻想郷にはないんだがな」
どうぞと入店を促し、彼女の専用席たるカウンターの最奥に案内すると、ぽんと肩を叩かれ、むしろそこに座らされた。
「今日は私が料理を振る舞うのだから、貴方にはそこにいてもらわなければ」
「む……では、お言葉に甘えますよ」
普段と逆の構図なので、なんだか変な感じだ。藍さんは手提げ袋から割烹着を取り出して羽織り、火の準備を始めた。
「とはいっても、ほとんどは出来上がっているのだけれど」
「先に食べていてくれ」と、手提げ袋の奥からお弁当箱が現れた。覚悟はしていたが、いざ憧れの人の作ったそれを目の前にするとこう……照れの念が。
「まだ時間がかかるからな、先に食べていてくれ」
「い、いただきます!」
藍さんが作業に突入したので、弁当箱の蓋に手をかける。開ければ中にはシンプルながらも彩り豊かな料理の数々。思わず生唾を飲んで、割り箸を割った。
「うおお……!」
まずはおかずの定番・唐揚げを口に運ぶ。一口噛んだ瞬間、にんにく醤油の旨味が口の中に広がる。といっても味が濃いわけではなくて、ほのかに香る程度。それゆえに、素の鶏肉の味わいが引き立っている。黒胡麻のまぶされた白飯を一緒にかきこむ。
次に箸を伸ばしたのは、副菜たる煮物ゾーン。和食を作る上で、こういった料理は繊細で難しく、実力差が現れやすい。お手並み拝見とばかりに里芋の煮っころがしをつまむ。めっちゃ美味い。柔らかいし優しい味わい。にんじんがね、めちゃくちゃ甘い。
「これ……めちゃくちゃ美味しいです!」
「そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」
小さく振り返って藍さんが微笑む。めちゃくちゃ見返り美人だ。それに垣間見えるうなじがこう、煽情的というか────っていやいや、俺のために料理してくれているのだから邪念は消えろ、と赤べこのごとくかぶりを振る。
「おまたせ、できたぞ。メインディッシュだ」
「おお……!?」
帽子を外した藍さんが、湯気の立つ皿を眼前に差し出す。どこか懐かしいというか、最早嗅ぎ慣れた香り。皿に乗って現れたのは、当店のメイン商品・油揚げだった。
「………………」
「いや、わかっていたとはいえ露骨に嫌そうな顔をされるとへこむな」
耳をしゅんと倒した彼女に、思わず「え、気にしないでください! 悪いのは俺なんで、完全に!」とカバーする。
「毎日作ってて慣れてきたとは思ってたんですけど、やっぱり苦手意識は早々拭えなくて……」
「それは仕方がないさ」
でも、と藍さんが続ける。
「いつまでも逃げていては変わらない。他の料理ならまだしも、油揚げが苦手なお揚げ屋には限界がある」
だから味わってみてほしい、と言われた。瞳は真っ直ぐだった。嫌がらせではなく、真剣に俺の──店のことを慮って言ってくれていることがわかった。だから、俺はお揚げに向き直った。
「…………」
「…………」
店内に沈黙が走る。先程とは違う意味合いで、唾を飲む。大豆の香り。気づけば、瞬きのうちにそれが目前に迫っていた。
「藍さん……!?」
「ほら、騙されたと思って口を開けてみろ」
シンプルに距離が近い。カトレアの花の香りがする。目の前に見える彼女の手。箸。あーん、という構図。それには流石に抗えない。
「はい、あーん」
「あ、あむ……!?」
とりあえず口に含む。その瞬間、唾液の味にすら嫌悪感を覚えて、微かな吐き気。こちらを見守る藍さんの不安そうな表情から、うっ、とえづきかけるのを堪え、逆流しかけていた胃酸を飲み込んで、微かに噛みちぎる。
「…………どうだ?」
「ん、む…………?」
思いのほか嫌じゃない。何故だ、と首を傾げて味わってみる。お揚げ特有の妙な甘さが来ない。どちらかといえば塩味──魚介系の出汁の味わいが強い。
「マスターがどうして油揚げが苦手なのか考えてみた。味噌煮込みうどんのお揚げは食べられる、ということはお揚げそのものの味付けの問題だろう」
「な、なるほど……!」
たしかに言われてみれば、俺にとって油揚げの嫌な点は皮に染み込んだ甘さだ。その点を魚介ベースの、甘味より旨味に振った油揚げなら、食べられる。盲点であった。
「とはいっても、作り直した出汁が口に合わない可能性もあったから、賭けではあったが」
「いえ……お腹いっぱいです」
その気持ちだけで、と笑う。ホクホクのお揚げを食む。まだ手放しに美味しいと頷くことはできなかったが、それでも、もっと食べたいと──そんな気持ちになった。
「……よかったら、今度レシピを教えてください。きっと看板メニューになりますから!」
「ふふ、こんなものでよければいくらでも」
甘い匂いと、美味しそうな匂い。それらに釣られて、その日の売れ行きはいつもよりもよかった。