「それじゃ、分かったわね」
何がなのよ──と顔を上げたアタシの顔は呆然としていたように思う。
言葉を発した当人であるミサトは、動じる色もなくアタシと──隣にいるバカシンジのやつを見つめていた。
「ベッドが一つ……」
アタシはぎこちなく、もう一度だけ、部屋の中を見回した。部屋の左寄りに設置されているのはネルフ構内の仮眠室に備えてあるような無味乾燥なパイプベッドではなく、優雅な調度といっていい、キングサイズのダブルベッドだ。
「どうして一つだけ、なのよ」
そして、枕の数を数えて、呆然とした。……こちらは二つだ。
「……」
ベッドが一つに、枕は二つ。
ベッドサイドの小テーブルにはご丁寧にティッシュペーパーの箱まで置かれている。そして、何やら、平べったいピンク色のパッケージの正方形のものが二、三枚。
ミサトは少しばつが悪そうな表情で、頬をポリポリと人差し指の先で掻きながら言った。
「まあ、そういうことだから……これからは毎晩、二人で仲良く、ね」
あ──
思わず、手を伸ばそうとしたアスカの鼻先で、空しく金属製の自動扉が閉じていく。
それは、自由な外界から遮断され、「彼ら」の思惑に沿った展開に我が身を委ねていかなければならない、過酷な運命を冷厳に示しているようだった。
「ユニゾン・ベッド」
前編
「じょ、冗談じゃないわよっ!!ふざけないでっ。どうしてアタシがこんな目に……」
「そ、そんなこと僕に言われても……」
血の気が引いているアタシの頭からは、先ほどくどくどと話されていたミサトの説明が左から右にすり抜けてしまっていたようだ。
たどたどしいながらも、シンジが今繰り返した説明を聞いて、ようやく正確な事情が飲み込めてきた。
当然だろう、こんなショッキングなことが、人道上許されていいはずがない。
ユニゾン成功のために、アタシの純潔を犠牲にしろ、だなんて。
そんなこと……。
そりゃユニゾンの訓練開始以来、二週間というもの、アタシとこいつとの息はまったくと言っていいほど合わなかったわよ。
でも、それはこのおどおどしたバカシンジが、優秀なアタシの足を引っ張りまくったから。
アタシには全然落ち度はないもの。
それなのに、
それなのに……
ここの不潔な大人たちと来たらっ!!!
身体を重ねれば、万事が上手く行く、ですって!
脳味噌に蛆が湧いているんじゃないの!?
◆
「息が合わないのは、二人の相性のせいではないのかな」
「レイを使うわけにはいかないのか」
「零号機の温存は至上命題だぞ、碇」
「しっくり行かないのは、ただの同居人という関係だからだ」
冬月副司令と碇ゲンドウとの会話だ。そのやりとりはユニゾン作戦を取り仕切る葛城ミサトを当惑させる。
「はあ……」
「思春期の──生まれも違えば性格も激しく異なる──そんな異性同士の呼吸を完璧に合致させるというのだ。尋常な手段では上手く行く方がおかしい、というわけだな」
碇ゲンドウの説明に補助線を引くように、冬月は分析した。
「尋常ならざる手段、が必要というわけですか。でも具体的には……一体」
「そうだな……古い考えと思われるかも知れないが、例えば男女の関係ができれば、また違うと思うのだが」
冬月はそう言って顎を撫でた。ミサトにとっては耳を疑う台詞だ。
「まさか!?……そんな馬鹿馬鹿しい……あ、いえ失言でした」
「無意味かね」
「……いえ、純粋戦理的には有効かと。エヴァの操縦は畢竟メンタルな問題ですから。両名の間に『特別な関係』が成立すればそれは当然のように、違った結果をもたらすでしょう」
ゲンドウが口元を組んだ両手で隠していたが、ニヤリとほくそ笑んでいるのが垣間見えた。
「……では決まりだな」
「無理矢理にでも成立させたまえ。両名の男女の関係を」
冬月が子供たちの世話は君の仕事だろう?と言わんばかりの態度で突き放す。
「そ、そんな、……あんなまだ中学生の子どもたちに、あまりにも非人道的です!」
「ネルフ本部が使徒に蹂躙され、サードインパクトが起これば人類は滅亡するのだ。人道的も非人道的もない」
本質的にはヒューマニストである冬月なのに、しかし、人類の切所というべき局面では冷徹に徹することが出来る。流石は冬月コウゾウと言うべきだろう。
「で、ですがっ……」
「そもそもこのチルドレン二名による連携作戦を提唱したのは確か、君のはずだ」
なおも食い下がるミサトに対して、ネルフ司令、碇ゲンドウの目が、冷たく光る。
「……作戦完遂のために、あらゆる手段を惜しまないでくれたまえ。もう我々にはあまり時間がないのだ」
冬月がそう釘を刺す。そう言われてミサトも従うしかない。彼女は軍人なのだから。
「……はっ」
◆
つまり……
アタシの口から言うのも口惜しいし、おぞましいんだけど、要するに、アタシとシンジを一つ部屋に寝泊まりさせ無理矢理にでも男女の関係にして、ユニゾンの成功率を高めようってこと……らしい。
男女の関係っていうと、つまり、その……要するに、エッチなことをしろってわけで……。より具体的にはシンジのアレをあたしのあそこに……。
もちろん未だ
だから、アタシは依然として、男の子の秘密に包まれたものについては漠然としか知らない。
それはもちろん、男の子のおち×ち×の名前ぐらいは知ってるけれど、心の中で名前を思い浮かべるだけでもはしたない!アタシはそう思うのだ。
だから、ソレが、シンジの下半身にも、きっと──もちろん──確かに──付いていることを意識してしまうと、アタシの心はどこかに漂ってしまいそうで不安だった。
ああ、もう、顔から火が出そうじゃないの。っとに、なんで、よりによってバカシンジなんかと……。
まあ、上記の碇司令、冬月副司令、ミサトのやりとりは、半分以上、シンジの説明から補完した、アタシの想像なんだけど……。
でも、きっとそう、絶対そうよ!!
こんな狂った結論に到達するのは、ネルフの高級幹部たちが、どうしようもない色ぼけになってるからだわ。
だから、こんな変態的な発想にたどりつくのよ!!
そういえば、あの司令──これが何と笑っちゃうことにシンジのパパらしいんだけど──なんかも相当なむっつりスケベっぽいから、そうね。リツコあたりとでも不倫してるんじゃないかしら。
っとに。大人ってどうしようもないわねっ!
ここから出られたら、アタシをこんな目に遭わせたネルフの幹部は全員ひねり潰してやる。……必ず。
もっとも、ここから無事に出られたら、の話だけど……。そう、無事に……。
ぐびっとアタシののどが鳴り、わき出してくる唾をぎゅっと飲み込む。
アタシの貞操、大丈夫なのかしら……。
横目でシンジを見ると、こいつの顔も青ざめている。いや、ほとんど血の気を失って真っ白になってるから、白ざめている、というべきかしら。
「……どうしよう、アスカ」
すがるような目つきでアタシに尋ねてきた。
どうしよう、ってどうすればいいのよ。こっちが聞きたいぐらいよ。本当に男のくせに頼りにならない。
だけど、意外だったわ。
シンジのやつ、アタシとヤれるからって鼻の下長くして喜んでいるかと思ったのに、そうでもないみたい。
同年代の男の子たちってみんなどうしようもないスケベだから、きっと、こいつもそうなんだと思っていたのに。
変だなあと思ってよくよく観察してみると、バカシンジの手がぶるぶるとふるえている。
──なんだ、こいつ恐がってるの?
あはは。
そっか、こいつも女のアタシと一緒で異性が恐いのね。
ちょっとだけ、親近感が湧いた。それに、とりあえず問答無用に襲われる心配はなくなったみたい。
よくよく考えればベッドが一緒だからって、その……エッチなことを絶対しなくちゃいけないわけじゃないんだし。
もちろんそんな事は、強制できるものでもないのよね。
シンジのことさえ上手く押さえ込めば、なんとか明日の朝まで無事に乗り切れそう。
そう思ったら安心して、ちょっとシンジのやつをからかう余裕も生まれてきた。
「どうしたのよ、バカシンジ? 震えているみたいだけど、何か恐いわけぇ?」
「だ、だって……」
「天国のママに怒られちゃうかな? 女の子と同じ部屋に一晩、いっしょの部屋にお泊まりするなんて」
うふふ、とからかうように笑ってみせると、シンジはムキになって怒り始めた。
「ち、違うよ。たかが、こんな事ぐらい……」
「たかが? こんな事ぐらい?」
アタシの眉が知らず知らずのうちにつり上がる。
「こんな事ぐらいってどういうことよ。アタシと同じ部屋で一晩過ごさなくちゃいけないのよ、アンタわかってるの。この事の重大な意味が?」
自分でも何でそんな勢いでまくしたてたのかはよくわからない。自分のことを軽く扱われたような感じがしたから?
そうかも知れない。……でもそれだけじゃないような気も。
「ア、アスカ……そんなこと言ってる場合じゃないだろ。僕たちこのままじゃ……」
シンジがうろたえながらも、話をそらそうとする。
「何よ、アタシたちこのままじゃ、男と女の関係になっちゃう、とでも言いたいわけ?」
「そ、それは……」
顔を真っ赤にしてうつむいてしまったところを見ると、シンジの心配は図星らしい。
アタシが心配するのは分かるけど、何で男のアンタが自分の貞操なんぞ心配するわけ!!
その様子からうぬぼれているわけでもなさそうだけど、だとしたら、アタシがシンジのこと無理矢理襲うとでも思っているのかしら。
侮辱だわ。たとえようのない侮辱。
生まれてきて十四年間、これは立派な
「ハン、お笑い草ね。ミサトたちがどう考えてるのか知らないけど、アンタとアタシさえその気にならなければ、こんな所に閉じこめられたってどうってことないじゃない。それってアンタの願望なんじゃないの? どうなのよ。アンタ、私のことを抱きたいんでしょっ」
「ち、違う……」
シンジは後ろめたそうに顔をそむけた。アタシは無用にコイツを追いつめていることに多少の罪悪感を感じつつも、畳みかけた。
「安心しなさいよっ! このアタシにはシンジ様のオンナになるつもりなんて、これっぽっちも無いんだからねっ!」
噛みつくように怒鳴りつけると、アタシはくさくさした気分を換えるために、シンジの顔を見なくて済む唯一の空間である奥のバスルームへと入り、鍵を内側から掛けた。
◆
「ねぇ、アスカ。いい加減、トイレ空けてよ」
シンジが哀願するような口調で、バスルームのドアを叩く。きっかり七分前からそうしている。
バスルーム内部は、西洋式にトイレと一緒になっているのだ。アタシは憮然とした表情で、そのトイレの上に腰掛けながら扉を見つめていた。ちょっと、お行儀悪いけど、あくまでも、単に椅子代わりにしているだけだからね。
変な勘違いはしないで欲しいわね。
「ううう~……もう駄目だぁ」
あ、シンジの声がせっぱつまってきたみたい。
腕時計を確認。八分ジャスト経過。
このぐらいが限界かしらね。
まぁアタシも最悪の事態を望んでいるわけじゃないし、シンジへのおしおきも(私の気が)済んだから、さっと扉を開けて出ていくと、シンジが随分と慌てた顔をして、入れ替わりに飛び込んでいった。
事を済ませ、シンジがさすがにさっぱりした顔をして私の前に戻ってくる。ちゃんと間に合ったのね。間に合わなければ、一生バカにしてやったところだけど。
アタシは腕を組みながら、ベッドに腰掛けてシンジを睨んでいる。
「よく考えれば、アンタをあのまま、バスルームに閉じこめておけばよかったのよね」
間抜け面したシンジに向かって言ってやった。確かにアタシの貞操を第一に考えれば、それが一番安全だろう。外から鍵など掛からないが、ベッド自体を動かして閉じこめるとか、手は無くもない。
ただそれではお風呂に入れないし、いざと言うときトイレも使えない。
度胸ゼロで、アタシに襲われるんじゃないか、なんてくだらない心配をしているシンジ相手ならあんまり心配しすぎるのも考えものよね。
それに過剰に意識しすぎると、かえってシンジの男の欲望を刺激してしまうかもしれないしね……
なるべく普通にふるまおう、そう思った。
シンジはきょろきょろと部屋の中を見渡して、
「さっきからずっと考えてたんだけど、この部屋から脱出することって不可能なの?」
アタシはため息をついた。
バカなりにシンジも考えてはくれているらしい。
だけど、コイツが思いつくことを、もっと深刻な不安を感じているもう一方の当事者、このアタシが考えないなんてあり得ることだろうか。
「アンタが考えそうなことくらい、さっきみんな調べてみたわよ。例えば、入り口のドアはね」
ぽけーっとしているシンジに、さっきざっと調べてみたことと以前から持っていた予備知識を組み合わせて、親切に説明してやる。
ドアは十三桁の暗号強度を誇る電子ロックによる施錠。偶然キーナンバーを当てるという天文学的に低い幸運(単純計算で一兆分の一だ)に遭遇するか、電気系統をショートでもさせない限り、開錠は不可能なのだ。
「言って置くけど、部屋の内部の電気系統はドアロックのと完全に独立しているから。ネルフ本部の主電源を殺らない限りは無理ね」
さすがに特務機関だ。前に停電騒ぎがあったこともあって、この方面に対するセキュリティーは伊達じゃないことをアタシも知っている。
「そうなの……」
シンジは悲しそうに納得すると、今度は視線を部屋の上方に向ける。
パネルをはめられた換気口が壁面に顔を覗かせている。パネルは簡単にはずせそうだ。
だが、現実はそう甘くはない。
「エアダクトはね、一メートル先でネズミ一匹しか通れない狭さになってるわ。そんな簡単に脱出できるんじゃ、軟禁の意味がないでしょ? 007の映画みたいには行かないのよ」
「そんなぁアスカ。意地悪ばかり言わないで助けてよ……」
「意地悪なんか言ってないわよっ!! こんな所、このアタシが一番抜け出したいんだからっ」
「ううっ」
「もう考えたってしょうがないわよ、アタシはベッドで寝るからアンタも適当に床で寝てよ」
「えっ。それってずるい……」
「なんですって。アタシの玉の肌が、床に寝たりして傷付いても良いって言うの!?」
ギンっと睨み付けると、シンジはようやく諦めたのか、のろのろと頭を振ると、枕だけ持って床にうずくまろうとする。
「電気はつけたままよっ」
「う、うん……」
大声でシンジを牽制しておいて、アタシはベッドにもぐりこみ頭から掛け布団をかぶった。
心臓がバクバク言ってる……
それは大きな声を出したから……ばかりではなさそうだ。
さっき、アタシは言ったよね。
二人がその気にならなければ、何も起こりっこない。でもそれじゃ……二人がその気になったらどうなるの。
もしも、アタシとシンジがその気になったら……
二人が一つに繋がってしまって、溶け合って、二度と離れられない存在になってしまったのなら……。
アタシの狭い入り口にシンジのモノが入れば、アタシはきっとそれを優しく、甘く、締め付けてしまうだろう。どんなにシンジを罵倒していたって、そうしない自信はない。たとえ、破瓜の痛みが甘さを打ち消したって、そんなものはいずれ快楽が打ち勝つという、時間の問題に過ぎない──
だってそれはきっと、とても気持ちが良いことなのだ。
だから人間が太古の昔から途絶えることなく続いてこれた。セックスはシンジのような男の子にとっても、アタシのような乙女にとっても、本当はとても気になる、いつしかやってみたい事なのだから──、
だからアタシは床に寝ているシンジを意識し続ける。
シンジの下半身についているモノの事など決して考えまいと努力する。しかし、そうやって努力をすればするほど、意識の中でのシンジや、男の子の身体の特徴的な部分が気になってしまう。
もう──、アタシの胸の鼓動は、ちょっとやそっとでは収まりそうもなかった。
だから、アタシはつい言ってしまう。
「アンタがアタシに対して何もしないと誓えるのなら──指一本触れないと誓えるなら、一緒のベッドで寝てやってもいい」
「いいの、アスカ──」
起き上がったシンジが近付いてくる。布団を剥ぐって、アタシのベッドの中に潜り込んでくる──。
アタシの貞操がユニゾンのベッドの上で、危うくなっていく。