「あ、セリちゃん。おかえり」
「ただいま」
帝都でいい感じのタイツを見つけて帰ったところで、寮一階の談話スペースに寛いでいるトワの姿が見えた。今日は早めに上がれたらしい。普段からこういう時間帯に寮で姿を見たいものだけれど、気質的に無理なんだろうなぁ。やっぱり私が補佐仕事を巻き取ってよかった。巻き取ることになったのが事故のようなものではあったとしても。
「そうそう、マキアス君がセリちゃん探して生徒会室に訪ねて来てくれたんだけど、連絡いってないよね?」
「マキアスくんが? 連絡先交換してないし、何も来てないねえ」
わざわざ生徒会室に来るだなんて何か用事でもあるのだろうか。そうだと知っていれば訪ねやすいだろう寮で勉強を続けていたのだけれど、まぁ今更考えても詮なきことだ。というかあれか、青い腕章をつけて案内していたから生徒会役員だと思われたのか。
「教えてくれてありがとう。私の方からもコンタクト取るようにするよ」
「うん、よろしくね」
1204/06/21(月)
授業が終わり、VII組の方へ向かおうかと荷物を纏めている時に、ふと最近見かける視線のことを思い出してしまった。緊急性でいえば、申し訳ないけれどマキアスくんの用事がわからない以上そちらを優先するべきかとため息をついてII組の方へ向かう。
けれど窓から覗いてもフィデリオの姿はなく、もしかして今日は休みだったろうか。となるとさすがに病人にするべき話ではないよなぁ、と一人考え込み決めあぐねてしまう。
「どうかしたかね、ローランド君」
「あ、ランベルトさん」
たまに馬繋がりで話すことがあった貴族生徒の方が私に気がついてくれたらしい。これはありがたいとフィデリオが今日いたか尋ねると、朝から最後まできちんといたという話が聞けた。ふむ。
「そうですか。助かりました。部室の方に行ってみますね」
「うむ、今度馬術部にも来てくれたまえ。君なら歓迎しよう」
「はい、ありがとうございます」
取り敢えず、この時間帯を逃して第一寮に行く羽目になるよりは写真部の部室へ行き、マキアスくんの為に第三へ向かう方が精神的にいい。そう判断して学生会館の方へ足を向ける。
本校舎の正面入口を抜け、学生会館に入って階段へ向かったところでサロンへ行くのだろう複数の貴族生徒が見えた。さすがに無理やり追い越すわけにもいかず、早く上がってくれないかと死角になる位置で待機しつつ気配が踊り場を超えたあたりでまた駆け出した。
生徒会室へ繋がる廊下の左手の部室は扉が閉まっており、どうかな、と思いながらノックをしたら中から返答。がちゃりと開けたら人影はひとつだけ。
「やあ、どうかしたかい?」
「フィデリオだけ?」
部室内の気配は気取れている筈だけれど扉を後ろ手に閉めながら一応の確認をすると、そうだね、と苦笑されながら肯定が返ってきた。
「そっか……学院に報告する前に一応フィデリオに伝えるのがいいかなと思ったんだけど」
私がそう前置きしたところで、彼の表情が剣呑なものになる。あ、これは。
「もしかして盗撮のことかな」
「やっぱり把握してたんだ」
「噂の域を出てはいなかったけど、君からその話が出たことで確信に変わった感じかな」
要らないお節介だったかもと思ったところでそうフォローされたので、まぁ意味のない行動じゃなかったのだと思っておこう。
「今はまだ被害者らしき人たちからの苦情はないんだけど、写真を流通させてるって噂がね」
「うわ、最悪」
思わず私がそうこぼすと、そうなんだよ、とフィデリオが申し訳なさそうな顔をするので発言の選択をミスったと後悔した。フィデリオは責任感が強いからそういうことを言ってはいけなかったのに、私自身の嫌悪を丸出しにしてしまった。よくない。
「いや、フィデリオが悪いわけではない、でしょう」
「それでも先輩として指導が行き届いていないってことだよ」
「んー、17歳にもなってたらその程度の判別はつくと思うけど」
無断で他人の写真を撮ってはいけない、それを他者に渡してはもっといけない、というのは導力カメラを扱う上で最低限のマナーだろう。それを先人たちが徹底してくれたからこそ、今私たちがカメラを持って歩いていても犯罪者扱いされないのだ。写真部の後輩くんはそれを理解していない。
「ああ、そうだ。セリは被害にあっては……いないかな?」
「視線感じたら即離脱してる」
「ということは何度かトライされてるのか、ごめん」
「いいよ。フィデリオが悪いわけじゃないからその謝罪は受け取れない」
「あはは、いつも通りはっきりしてるなあ」
そう笑うフィデリオの顔には苦労が滲み出ていて、ああ結構参っているなと伝わってきた。だとしてもこの謝罪を受け取ってしまえば、それは彼の非を私が認めることになる。それだけは無理だった。だってたまたま先輩だったというだけで悪くはないし、彼がこの件に関して加害者側で関わっていないということだけは断言出来るから。
「一応聞くけど、そっちで何とかできる?」
「うん、するよ。僕の後輩のことだからね」
言いにきた手前なんだけれど、後輩だからといってそこまでしなくてもいい気がする。それでもまぁそう在るのが先輩だという定義の話だろうからあまり突っ込まないでおこう。
フィデリオにも準備だの情報収集だのの時間が必要だろうから、あと一ヶ月は待とうか。それでも決着がつかなければ私も動いてしまうかもしれないけれど。正直気になるので。
「わかった。応援してるよ」
「うん、訪ねてきてくれてありがとう」
お互い軽く労いあって一階に降りると、購買のジェイムズさんと話しているクロウがいた。
「お、この時間にいるの珍しいな」
「まぁいろいろあって」
「そいや今日の晩どうするよ?」
「あー、結構いろいろ走り回りそうだから帰寮時間わかんないや、ごめん」
「じゃあ各自でってことで」
「うん」
クロウと晩御飯は正直出来るだけ一緒にしたいけれど、それはそれとしてマキアスくんが探してくれていたという話は疎かにできない。厳しいことを言ってしまった私に何か言いたいことがあるなら、それこそそれを受け止めるのが先輩の役目だろうと。
駆け足にならない程度の速度で本校舎二階奥のVII組に到着したところで、さすがに人は残っていなかった。どっか部活に所属してるかもしれないし、図書館の自習スペースで勉強をしているかもしれないし、選択肢がありすぎる。生徒会室に行けばマキアスくんの所属部活などを調べることは可能ではあろうけれどそれは流石に越権行為だ。ならば。
「ようこそ、セリ様」
第三学生寮へ赴くと、紫紺の侍従服を身に纏った女性────つい先日管理人となったクルーガーさんが迎え入れてくれた。ご丁寧に名乗った記憶のない名前まで添えて。
「あの、マキアス・レーグニッツさんはお戻りでしょうか」
まぁ自分もVII組に縁がないわけではないので、会長派遣のメイドの方であれば関係者である以上把握されていてもおかしくはない……ないか?と自問しながら流すことにした。何だかあまり深く考えてはいけない気がする。
「マキアス様でしたら現在はまだ帰寮されておりませんね」
「そうですか……」
ここから戻って行き違いになっても嫌だけれど、知らない学生寮で待つというのも何だか気が進まないのでトリスタの中央公園かキルシェのテラス席で勉強でもしていようかと思案する。
ARCUSの通信番号を管理人の方経由で渡すというのは、方法としてアリだとしてもわざわざ探してくれているという観点から対面で話したいことのような気がするので却下だ。私からそれをしたら用事を終わらせるために連絡先を渡したことになってしまうので、そのまま本人の意にそぐわぬ形で話させることになるやもしれない。
「もしよろしければこちらでお待ちいただけますが、如何なさいますか?」
「ああ、いえ、それには及びません」
思考に無理なく差し込まれる声。それでもやっぱり『自分の場所』ではないところに目的達成時刻も不明なままずっといるというのは思考が鈍りそうなので、辞退させてもらう。
踵を返したところで学生寮の扉の前に人が来た気配がし、帰寮者か、と一歩退いたところで鮮烈に光を反射する女性が現れた。金の髪に赤い瞳。アリサ・ラインフォルトさん。ああ、でもVII組ではファミリーネームを隠していたのだっけか。呼び方には気をつけねばなるまい。そんな機会があればの話だけれど。
「あら、お客様?」
「いえ、用事があったのですが目的の方がいらっしゃらなかったので帰るところです」
「はい、それではまたお越しくださいませ、セリ様」
丁寧な見送りのお辞儀に自分も誠意をもって返したところで、通り過ぎようとしたアリサさんが瞬間反転、振り返ってくる。それにすわ何事かと自分も反応してしまい、対峙したまま沈黙が落ちた。
「あ、あの」
「……はい」
「セリ・ローランドさんでいらっしゃる?」
「ええと、はい、そうです」
RF社のご令嬢に名前を知られていることなんてあるだろうか。ああでもARCUS試験をやっているという点ではそうかもしれないけれど、会長の子供であることと研究内容に携われるかどうかはまた別の話な気もするわけで。
そんなことに思考を巡らせていたらがつりと手を取られ距離を詰められる。ぬかった!と反射的に振り解こうとしたところで、光を通した紅耀石のような瞳が真っ直ぐと私を捉えているのが見えて少し心がふやけてしまう。
「あの、私、アリサ・ラインフォルトと申しますが先輩のARCUSの適性に関するレポートを読んで一度お話ししてみたいって思っていてお時間これからいかがですか!」
私を掴む手のひらから伝わってくる熱を帯びた興奮が、その言葉が嘘ではないことを裏付けてくる。……まあ、勉強をして時間を潰すにしても時刻不明なまま知らない場所で一人時間を過ごすのが憚られただけで、目的があるなら滞在もいいかと頷いた。
どうやら自分は後輩の光には逆らえない性質らしい。
そうして話す前に確認したところによると、アリサさんはもうファミリーネームを隠してはおらず、ロビーの談話スペースでARCUSの研究について話すことは特に問題がないようだった。よかった、これで初対面の方の部屋に招かれでもしたらどう接するのがいいのかわからなかったところだ。
そうしてARCUS適性者の妙な共通点について、どういう形で思考を詰めていったのか事細かに説明を終えたところで、は、とアリサさんが軽く息を吐いた。
「では最初は本当に些細な疑問から始められたんですね」
「そうですね。ARCUSの適性がある、と言われても正直ピンと来ていなかったというか、チームの面子を見ていてもあまり共通点があるようには見えなかったので」
クルーガーさんが淹れてくれた美味しい珈琲と、自家製のこれまた美味しいクッキーを頂きながらアリサさんとARCUSの話を交わしていく。アリサさんには紅茶が出されているので、どちらにも対応出来るように元々準備されているのだろう。珈琲の味ひとつとっても奇妙なほどにそつのない方だ。
「ARCUSの適性者を広げる取り組みは正直難航していましたが、先輩のレポートのおかげで内部の試験者数を増やすことにも成功して、本当に助かりました」
「ああ、いえ、自分が好きでやったことですから」
たまたまそれが研究の役に立っただけ、というのが私の見解ではある。のだけれど、ヨハン主任から頂いた手紙でもどんな風に研究が進めることが出来たのか書かれていて、完全な部外者というわけではないけれどいいのかなぁ、なんて笑ってしまった。
一介の学生のレポートをしっかりと読んでくれ、その功績を横取りせず、研究に反映させてくれる管理者の方が素晴らしいのだと思うけれど。
「それでも、そういう疑問を逃さず考えた方がいてくれたからこそ、私たちは日々進んで行けるんです」
アリサさんの真っ直ぐな言葉は、そういう研究者の方たちの考えを素地としているのだろうな、とじんわり感じられるもので、何だか勝手に心があたたかくなってしまった。
もし彼女が管理責任の立場になったなら、きっと仕事もしやすいだろう、なんて。
そう談笑していたところで、寮に近づく気配を察知する。これは。
「────」
「先輩?」
帰寮者を告げる扉の音とともに現れたのはやはりマキアスくんで、私を認識するなり驚いた表情が見てとれた。一瞬呆けた表情をした彼だったけれど、ぐっと何か覚悟を飲み込んだようにアリサさんと共にいる私の前へ。
立ち上がろうとしたら、そのままで、という手での制止をもらったのでその気遣いは飲むことにした。彼もいっぱいいっぱいなんだろう。
「こんにちは、マキアスくん。トワから探してくれていたって話を聞きました」
「ご足労おかけしました、先輩」
「え、え、どうしたの?」
私たちの間に何があったのか、四月のケルディック班であるアリサさんは直接には知らない話だ。レポートにも書かれていることではないし、雑談だとしても進んで話したいことではなかろう。
「……その、提出したレポートなどで察されているかもしれませんが」
「はい」
「相手を自分の知る"貴族"という枠に当て嵌め続け、それを諌めようとして下さった先輩に対しても失礼な態度を取ったことかと思います」
まぁ実際のところ確執のある二人がいる班だというのは理解して引き受けたので気にしてはいないのだけれど、私の認識がそうであることとマキアスくんが気にすることはまた別だというのもわかっている。
「先々月の実習の際、あえての厳しい言葉をありがとうございました」
「どういたしまして、でいいかな」
「助かります」
緊張していた表情が解け、向かいのアリサさんが席を詰めたところ少し迷ったマキアスくんへ手で促すと、会釈と共に座られた。
「いきなりびっくりしたわよ」
「ああ、すまない。先輩に会えたことで頭がいっぱいになってしまって」
「アリサさんごめんね。四月のパルム実習の際、最初の付き添いをしたのが私だったんだ」
その説明である程度のことは把握してくれたのか、なるほど、と頷きが。
「あ、もしかしてガイウスたちが言っていた教官補佐って先輩のことだったんですか?」
「そうそう。サラ教官が忙しそうだったから引き受けた形でね」
「忙しそう……まあそうなのかもしれませんが」
普段あんまりそういうあくせくした姿を見せない教官のせいか、マキアスくんが少し難色を示すのがわかりやすくて笑ってしまう。
「サラ教官はいわゆる模範的な方ではないかもしれないけれど、学べることは多いと思うよ」
なんなら実技訓練などで教官と戦える機会が通常のクラスより多いというのは、私にとって羨ましいぐらいで。一緒に戦うだけでもとても勉強させてもらえたけれど、やっぱり真正面から叩き伏せてやるという感情がぶつけられるのは脳によく響く。
「皆様、ご夕食の準備が整いました」
クルーガーさんの声が入ってきたところで、確かに食堂らしき部屋からいい香りが漂ってきている。もうそんな時間だったか、とポーチから懐中時計を引き出してみれば18時半。アリサさんとの会話が楽しくてかなりの時間を過ごしてしまったようだ。
もし可能だったら今度は敵性霊体への戦術リンクハックへの対処をプログラムでどのように対処出来るものなのか聞いてみたいけれど、とりあえずもうお暇するべき時間になっている。
「では私はこの辺りで」
「あっ、先輩」
立ち上がったところでアリサさんの慌てる声。振り返るとソファに座ったまま下がり眉で見上げられていた。
「その、もう少しお話ししたいので、よければ夕食まで一緒にどうですか?」
食堂からは美味しそうな香りがしていて先ほどのもてなしからも味は期待出来てしまうわけで、でもそれ以上に、それ以上に。
……後輩ってなんでこんなに可愛いんだろう。