1204/07/18(日) 自由行動日
図書館の雰囲気はいつ来ても好きだ。基本的に静かで、屋内の人口密度もあまり高くなく、おまけに夏でも少しだけ涼しい。司書のキャロルさんから、クロウ君に本の貸出期限が過ぎているから伝えておいてくれる?、とたまに言われるのが瑕ぐらいだろうか。
「あれ、セリ先輩」
二階の棚を眺めていて、探したいものの方向性的に閉架の方にも潜るべきだろうかと考えていたところで名前が呼ばれた。振り向いてみるとVII組のリィンくん。足捌きがたまに独特なのでわかりやすい気配の一つだ。八葉一刀流、いつか手合わせをさせてくれるだろうか。
「こんにちは、何か探し物? 図書館はそれなりに慣れてるからお手伝いできると思うけど」
「いえ、俺は生徒会の手伝いついでにすこし見回ってただけですね」
「君もトワに似て働き者だねえ」
「会長と比べたらなんてことないですよ」
一年生の彼から見てもトワの働きぶりはわかってしまうようで、あんまり良くないなぁと思案する。努力が目に見えることが悪いわけではないけれど、おそらくトワは見せないようにしているというところもあるので、それを超えて忙しさが見えているというのはどうも手が届いていないような感覚がある、という話だ。
「先輩こそ探し物ですか?」
「うん。ちょっと周辺の歴史書をね。でも開架されてないみたいだから地下かな」
私の言葉にリィンくんが僅かに首を傾げる。
「閉架書庫、入ったことない?」
「ない、ですね。結構な数の蔵書が一階と二階にあるので」
「大概それで事足りるようにキャロルさんがしてくれてるからね」
長いこと学院に勤めているキャロルさんは生徒にとっての需要をよくわかってくださっているようで、基本的なところは閉架書庫に入らずとも問題ないよう手を尽くしてくれている。それも季節ごと・流行ごとに入れ替えている棚もあるようで頭が上がらない。
けれど歴史書に関してはトマス教官が図書館で広げてしまい他の人間が借り損なう懸念からあまり表には出されていないという、なんともな話があったりするわけだけれど。去年は地下に籠る場所を作り始めたりもあって、キャロルさんとトマス教官の攻防をたまに見かけて助太刀したりもした。
「よければ閉架書庫案内しようか」
不思議そうな顔をしていたリィンくんにそう提案すると、ぱっと顔が明るくなった。
「いいんですか?」
「うん。VII組は特に実習の事前学習で入ることは想定されて……もしかして聞いてない?」
「聞かされてないです」
サラ教官らしいや、と二人で笑いながら一階へ降りてキャロルさんの許可もきちんと得て、カウンター裏の扉から事務室横の階段へ足を踏み入れる。本は湿気に弱いためかなり高価な蒼耀石に導力回路を反応させた作りになっていて、夏でもひんやりとしている。RF社の室温調整導力器とはまた別の技術だ。
「涼しいですね」
「大きなクーラーボックスみたいなものだからね」
夏は特に外気温との差が激しいので、出入りする際は汗が冷えて風邪をひきかねないから気をつけるように、と去年キャロルさんから何度も言われたものだ。
今日はたまたま人がいないのか誰の気配もまるでなく、こつりこつりと二人の靴音をうっすらと響かせながら棚で作られた壁の間を歩いていく。
「想像以上にすごいですね……」
「まぁ二百年の歴史がある学院だからねえ」
当時勤務していた教官の手記も残されているというのだから驚きだ。まぁその教官が貴族であったから、というのもあるだろうけれど。帝国で歴史を記録するのは貴族の義務であると同時に手記をつけるのは嗜み、のようなものだったそうだから。
「閉架書庫は目当てがあるだろう棚に来たらハンドルを回して、棚同士の間を開ける。もし棚が動かなければストッパーが働いているから誰かがいる可能性が高い、ということだね」
自分が教わったことをひとつひとつ丁寧にリィンくんへ伝えながら実践しつつ書架を動かしていく。まぁ聞くところによるとリィンくんも気配に敏いようなのでそれも合わせながら目視確認を徹底すれば事故はほとんどないだろう。……声かけじゃなくて目視なのは一部の人が没頭して返事をしなかった経験があるからだ。
「ここは稀覯本も多いからね、キャロルさんや各教官とも相談しながら使い倒すといいよ」
帝都にある国が運営する図書館はここの比ではないだろうけれど、あそこは職業と身分レベルで閲覧出来る情報に差があるから学院生のうちにここで情報の探索に慣れておくのがいいと思う。
「はい、ありがとうございます」
私はただの平民で、そんなところで重要情報を見ることは叶わないだろうからここへそれなりに入り浸っているというのもある。けれどリィンくんは男爵家とはいえ貴族だから、軍属にならなくてもそういう場で何かを探すということも今後大いにあり得るわけで。
その時にちらっとでも今日のことを思い出してくれたら、なんて。我ながらお節介な先輩だ。
結局彼は私の探した資料を上まで持っていく手伝いまでしてくれて、いろいろやることがあるという背中を見送ってそのまま図書館に腰を落ち着けた。
にゃあ、とどこかで猫の鳴き声がしたような気がして顔を上げると、目に入った窓はもう夕方の景色だった。時間を気にしなくていいからって没頭し過ぎてしまったか、と周辺諸国────レミフェリア、ノーザンブリア、ジュライなど帝国北方についてそれぞれまとめてある本を片付け始める。この辺りは持ち出し禁止なのでまた来るとしよう。
「すみません、こちら返却をお願いします」
「また来られますよね?」
「そうですね」
「わかりました」
つまりキャロルさんが除けておいてくれる、ということのようで。閉架書庫にアクセスをする生徒はそれほど多くはなく、その中でも借りる人間が少ない分野の書籍はこうして次にも持ち出しやすいよう予約書籍の棚に分けてくれるようになっていた。
優遇され過ぎかな、と思わないではないけれど、一年半の学院生活でそうしてもいいと思ってもらえているのなら嬉しいことだとも。
図書館を出ると、黒いワンピース──帝都でたまに見かける聖アストライア女学院の制服を着た人が校舎脇の道を歩いていくのが見える。珍しい、というより今までなかったことなので誰かの身内なのかな、と首を傾げた。その割にはそれらしき人影も見えないけれど。
まぁでも貴族子女がいる学校だからなぁ、と納得して小道を通り階段を降りたところで学生会館から出てきたらしきクロウとかちあった。
「なんかご機嫌だね?」
「ジェイムズが雑誌の懸賞で夏至賞の順位当てがあるって教えてくれてな。これで馬券が買えなくてもちったあ気が紛れるっつうか」
そういうのもあるんだなぁ、なんて思いつつ無邪気に話すクロウに笑いがこぼれる。
本当に馬券が目当てならクロウの話術を使えば馬券購入に手を貸してくれる人もいるだろうに、それでもその選択肢を取らないのだから案外と真面目というかなんというか。
二人でのんびり帰寮しに歩いていると、正門の方にリィンくんが見えた。
「よう、後輩。何してんだ?」
「クロウ先輩にセリ先輩……いえ、ちょっと人を探していまして」
この時間すらも歯痒そうな表情でリィンくんは落ち着かない様子で首の辺りを掻く。玉のような汗が顔や首筋に浮かんでいるから相当探し回っているんだろう。慌てているせいで普段の気配感知もたぶんうまく発揮できていないわけだ。
しかし、うん、人探し。何か引っかかるような。
「なんだ、VII組のお仲間か? それとも二年の女子辺りに告られてトラぶったのかよ?」
「クロウ」
軽口を言っていい場面じゃないだろうと肘で脇腹を小突く。
「いえ、俺の妹で学院生じゃないんですが……」
「へえ、妹なんていたのかよ? オレ様のカンじゃ、一人っ子っぽい気がしたんだが」
「……それ、は…………」
するとリィンくんは思っていた以上に翳りを見せて、ああこれはつまりそういうことなんだろうなと理解してしまった。おそらく血の繋がりはなく、加えてリィンくん自身は貴族の血を引いていない。
ハイアームズ侯爵閣下の御子息と盛大にやり合ったという噂は聞こえて来ていたけれど、血筋第一の彼からしたら"そういう存在が貴族面をしている"というのは許せないことなんだろう。例えリィンくんが一度もそういった貴族然とした行いをしていなくとも。帝国の血統主義はここでさえも根深い。
「ああ、それじゃあさっきの子か。帝都にある聖アストライアの制服を着た黒髪の子だろ?」
クロウが空気を変えるように発した一言で、なるほど、と私も合点が行った。ユミルから帝都近郊へ出てきている兄妹なのに、忙しい彼は妹さんと会ってはいなかったのだろう。それで業を煮やして由緒ある女学院から士官学院へ押しかけてきたと。
「ええ、多分それです! どこで見かけましたか!?」
「さっき学院裏手の道で白服と話してるのを見かけたぞ。ほら、あの偉そうな一年……ハイアームズの坊ちゃんだったか」
「あいつと……!? 先輩、裏手の道ってどちらの方なんですか!?」
縋り付くようなリィンくんの慌てふためきようにクロウと私は同時に踵をくるりと返し、二人でその背中を叩く。
「来いよ、後輩。見かけた方向に案内してやっから」
「一応こっちの性別もいた方がいいかもしれないから、私もね」
────万が一そんなようなことになっていたら、例え大層お世話になっている我らがハイアームズ侯爵閣下のご子息といえど手加減といったものは出来そうもないけれど。
過去の傷による己の感情がじわりと見え隠れして、溜まる唾液を嚥下しながら足を動かした。
三人で狭くもない敷地を懸命に縦断し、裏手に回ったところで普段人の通りは全くない旧校舎の方に気配があったので急いで向かうと、くだんの貴族生徒が所在なさげに辺りを見回していた。その場に先ほど見かけた女生徒の影はない。いないならいないで問題だけれど、それでも乱暴をされた子はいないのだと僅かばかりの安堵を得た。
「パトリック……!」
「お、お前……」
「おい、エリゼはどうした!? まさか俺の時みたいに絡んで恐がらせたんじゃないだろうな!?」
胸ぐらを掴む勢いで食ってかかるリィンくんを私とクロウは特に止めるようなことはしなかった。建前的には貴族同士の喧嘩に平民が入れるわけもないというやつで、本音として言えば怒られ慣れていない手合いから情報を引き出すならたぶんこういった恫喝が一番早い。
パトリック・ハイアームズは心外だと言った風に否定をするけれど、結論として妹さんの行方は杳として知れないままだ。
「どうやらこっちの方に来たのは間違いなさそうだな。お前らが毎月探索してるっていうその旧校舎はどうなんだ?」
「いや、ちょうど先ほど扉を施錠したばかりですが……」
クロウの言葉にリィンくんが返しながらその扉に手をかけると、ふわり、風が動く。
まるで彼を待っていたと言わんばかりに、その扉は誘うように軋みもなく内側へ開いた。
しっかり者のリィンくんが施錠した扉が開いていたということから警戒レベルを上げて入ったところで、悲鳴が奥の方から響き渡り全員で走り始める。
エレベーターはVII組が探索を終えて戻っていたなら地上階にある筈だというのに、下から迎えに来る風情で上がってきた。先ほどの悲鳴からいって迷い込んだ人がいるのは間違いない。
「エリゼ!」
走るリィンくんの後を追うと、後ろから残りの二人もエレベーターへ乗り込んだ。降るにつれ上位三属性の気配が色濃くなり、腰に帯びていた得物を二つとも抜く。するとクロウも同時に銃をその手に構えた。
「先輩……!?」
「下に何か"いる"よ」
そうでなくとも悲鳴があった場所に行くのだ。魔獣、魔物、悪魔、あるいは──人間。例えどんな存在であっても斬り伏せなければならない対象がいることは明白で。
エレベーターが降り切る前に先に飛び出したところで目に入ってきたのは巨大な甲冑。気配としては魔導器物のようなそれは、しかし私たちを一瞥することすらなくその巨大な剣を。
「エリゼえええええ!!!」
追いついたリィンくんは慟哭と共に私の横を駆け抜けていく。それは銀色の風のように。
異貌となった彼は、おおよそ人間の膂力では不可能だろう巨大な剣との剣戟を難なくと交わし、あろうことか圧倒していく。高位の猟兵は黒い闘気を纏うとは聞いたことがあるけれど、あの"赤"はそうじゃない。もっと、何か、危うい────。
「……っ」
一瞬放心しかけた自分に喝を入れ、戦闘に巻き込まれないよう女生徒の元へ駆けつけその身柄を確保する。すると胸を押さえてリィンくんは何かを抑制したいかのように吠えた。霧散する赤い闘気と共に髪色は黒へ戻り、眼前の甲冑を見据える。
瞬間振り下ろされかけた剣に、危ないと叫ぶ前にクロウが構えているのが視界の端に入り、言葉を飲み込んで今のうちだと戦線を離脱した。
「加勢するぜ、後輩ッ! パトリック坊やはセリと一緒に嬢ちゃんを頼んだからな!」
クロウの軽口に反論しながらハイアームズ子息がこちらへ走ってくるのが見えたので、その間に上着を脱ぎ畳んで枕にさせながら襟元を緩ませ呼吸・脈拍・外傷等の確認をこなしていく。外界のことは彼に任せておけばいいだろう。
「先輩、彼女は────」
返答をするのも惜しいと反応をしないでいると、事態を理解してくれたのか騎士剣を構える。うん、問題はない、と思う。おそらく最初の一太刀が入る前に私たちが到着出来たんだろう。地上に上がれたら即座にベアトリクス教官の元へ連れていくべきだろうけれど。
頭を切り替え足のポーチから取り出したARCUSのクオーツを切り替えアダマスシールドを展開する。これで万が一何かあってもエレベーターへ走る猶予ぐらいは稼いでくれる。あれが物理攻撃であってくれるなら、だけども。
そしてそのまま通信機能を立ち上げ、サラ教官へ。現状起こっていることを手短に伝え、ベアトリクス教官を待機させておいてほしい旨を伝達する。急いでこちらへ向かうとの言葉を貰い胸を一瞬だけ撫で下ろす。
最重要懸念点が一段落したところで視線を上げると、リィンくんとクロウが戦術リンクを繋げ魔導甲冑へ連携しながら相対しているのが見えた。ここで私が手を出せばあれの注意がこちらへ向く可能性が大いにある。だから、見ているだけしか出来なかった。
今の私では生身の誰かを護る盾には成れやしないから。
「────っ」
果たして、相対した二人は傷を負いつつも魔導器物を退け、甲冑の中身は光となって散った。通常残されることのないガワの部分は剣と共にけたたましい音を立て、床へ落ち着く。
それと同時に崩れ落ちる二つの影。
「ったく、こういう修羅場は半年前に卒業してるっつーのに……」
「はは……助かり、ました……」
技量を信頼していないわけじゃない。それでも、やっぱり未知の敵との戦闘は心配になってしまう。それに自分が加勢できないとなれば尚更。
けれど二人は軽い会話が出来る程度には意識と体力が残っているようでほっとする。
「にい、さま……?」
どうやらタイミングよく気がついたようで声に駆け寄ってきたリィンくんへ妹さんの介抱位置を譲り、数歩退いたところで、ぽん、と頭を撫でられた。言わずもがなクロウなわけで。
「お疲れさん。お前がいてくれて助かったぜ」
「いた意味があったようで何よりだよ」
血の繋がりはないだろうとはいえ兄であるリィンくんはともかく、意識のない女性を異性だけに任せる事態にならず本当によかった。瞬時のメンタルケア的な意味で。
労い合いながら仲睦まじい兄妹を眺めていると、いつの間にか起動していたエレベーターはVII組、教官、そしていつもの三人を連れて地下へ降りてきた。
そうしてベアトリクス教官の元へ妹さんに付き添うリィンくんを除いた全員で、ジョルジュの指揮のもと上手く分割しつつ台車などを使いながら魔導甲冑をエレベーターへ載せ、技術棟へそれらを運んでいく。
どこかでまた、猫の鳴き声が聞こえたような気がした。