1204/08/20(金)
帰り際にハインリッヒ教頭から頼まれごとをされてしまったのもあり、あまり学院に長居はせずまっすぐ帰ろうと正面玄関まで来たところで二階から降りてくるリィンくんとかち合った。
「あ、セリ先輩」
「リィンくんも今帰り?」
「はい」
途中までは同じ道のりなので、そのまま二人で正面玄関を抜け校門へ歩いていく。てくりてくりと坂道を下りながら、ここ数日気になっていたことを問いかけることにした。
「……クロウ、そっちのクラスではどうかな?」
「結構馴染んでると思いますよ」
「そっか。よかった」
よかった、と何事もなく言える自分で、助かったと思う。後輩に醜い自分を見せずに済んだ。まぁそもそもこれは最終的にクロウだけがどうにか出来る話だったので、私が怒っても落ち込んでも仕方のない案件だ。あんまり深く考えるのはよろしくない。
とは、分かっているのだけれど。
「でもたまに授業で寝てますね」
「何で単位落としたのかわかる行動だねえ」
それでも留年の危機の理由から考えると出ているだけマシなのかもしれない。いや後輩にそう言う姿を見せて平気というのもどうかな。リィンくんたちには是非反面教師として扱ってほしい。
「ミリアムさんの方はどう?」
二年VI組は用務員室の隣でVII組のほぼ真下に当たるため、今日ちょっとだけVII組の方から鈍い音と共に騒動が聴こえてきていた。おそらくあの特殊戦術殻・アガートラム────ガーちゃんと呼ばれる相棒と共に彼女が腕を振り回したか何だかといったところだろうか。
するとリィンくんは苦笑いして、いろいろ常識が違いますが何とかやっていきたいです、と。
「まぁ、政府筋からの編入でもきちんと試験は受けているみたいだし、学力方面は問題ないだろうけどねえ」
むしろそういう意味ならフィーさんの方が少し心配ではあるけれど、学年主席であるエマさんがついているのなら基本問題ないとも思う。サボっているという話もあまり聞かないし。
サボる方が教頭のお小言が多くなるだろうので、そういうのが面倒という話かもしれないけれど。あるいはサラ教官からサボるならもっと上手くやれと言われている可能性もある(あの人は誰に対しても無理に止めはしないと思う)。
「先輩もご存知なんですね」
「おや、私がVII組教官補佐だって忘れているのかな、リィンくん」
とは言ってもリィンくんとはそういう立場であまり交流したことがないので、頭から抜け落ちていても不思議ではない。
「ああ、いえ、ミリアムの書類は秘匿事項が多かったみたいなので」
「なるほど。でもサラ教官はそういったことに関してはかなり開示してくれるよ。情報を抱え込む味方は味方面した敵だってことだね」
最低限の判断材料さえもなければ、部下は上官の想定通りに動くことなぞありやしない。誤った情報を元に思考し行動した結果は、奇跡でも起きない限り間違った結論へ至る。それを避けると言うのが担任教官の務めであり、それを補佐するのが私の役目となる。部下に最低限の情報すらも開示しないことは、生徒の不利益に直結するという話で。
そしてここで言うところの生徒の不利益は、生死に関わることでもある。いくら事務作業が苦手なサラ教官といえどもそこを疎かにする人ではない。
「確かに。先輩が動くにもメンバーの正確な把握は必要ってことですよね」
「そうそう。でもその点でいえばトワが特にすごいよ」
「あ、聞きました。結局夏至祭の広場であった混乱の収拾を見事やり切ったって」
そう、トワは例の襲撃に対して的確な判断を下し続け、その勇気と叡智ある行動を讃え正式に政府から特別感謝状を授与された。自分一人ではなく、複数の方向からもたらされる情報を結合し、その場以外で何が起きているのかというのを把握する俯瞰視点に酷く長けている。
それを課外活動や生徒会の手伝いをすることで間近で一年間見続け、図らずともその集大成といってもいい指揮の元にいられた私はとても運がいい。
「君がトワを信頼した上で指揮下に入ることがあれば、きっといい勉強になるよ」
上官が何を考えてその命令を下したのか、それを即座に理解するのも前線で動く人間に必要不可欠な要素だ。そしてそれには、多少なりとも相手を理解することも必要で、その人物を信頼出来たならそれは更に加速する。
たしか一月か二月辺りに上級士官志望生は一年とチームを組んで指揮系統アリの模擬戦をやっていたこともあるから、そういうタイミングで組むこともあるかもしれない。トワがそれを志望すればの話だけれど。
「……セリ先輩って」
「うん?」
「トワ会長のことすごく好きなんですね」
面と向かってそう指摘されるとさすがに照れてしまう。でも、うん、否定する理由はない。
「好きだよ」
彼女がいてくれたから、私は今でもここに立つことが出来ているのだと思う。クロウとは全く別の軸で世話になりっぱなしだ。それはアンやジョルジュもそうなのだけれど、どことなく境遇が似ているトワには親近感を覚えているというか。
「お、浮気現場目撃しちまったか?」
「……笑えない冗談は剣で決着をつけてもいいけど」
第二と第一の寮分岐に差し掛かり、左に曲がりながらリィンくんに手を振ろうとしたところで玄関前のベンチに座る影からそんな声がかかった。言わずもがなクロウだ。
「クロウ先輩、俺はセリ先輩とはそういうのじゃ」
「あー、リィンくん焦らなくていい焦らなくていい。ただの軽口だって」
「なんだよ、ちっとくらい慌ててくれてもいいだろーに」
「私が君のこと好きなのわかっててそう言うのかなりタチ悪いから」
申し訳ないといった表情をするリィンくんを二人で見送って、二人で寮に入る。
「ああいう風に後輩で遊ぶのよくないよ」
「いやー、あいつからかい甲斐があるんだよなぁ」
後輩をからかうためだけに恋人を持ち出さないでほしい。私にも彼にも失礼だ。というか気質的に真面目な人ほどクロウの毒牙にかかりやすいんだろうなぁ。……あれもしかしたら自分もその部類に入るのか?と少し考え始めていや考えるのはよそうとかぶりを振って切り捨てた。
「で、何してたの? 荷造り終わった?」
「不用品をミヒュトのおっさんに押し付けてきた」
「かわいそう」
つまりちょっと疲れたから、と木陰で涼みながら一休みしていたのだろう。クロウの部屋は見た感じ物が多いので、そんなことをやっていたら終わるものも終わらない気がするけど。
教頭の懸念は残念ながら当たりそうだ。
「クロウー? 引越しの荷造り進んでるー?」
「ハインリッヒ教頭から様子見てきてくれないか、って頼まれちゃって」
あれから暫くして、夕飯前にトワと揃って二人で寮の二階奥にある部屋の扉をノックすると、気の抜けた声が了承するので一緒に部屋を覗いたところで顔を顰めてしまった。
「おう、進んでるぜ」
「……と言いながら、だいぶまだ物が残っているような」
持ち出し中の耐久とかほぼ考えなくていいのだから、さくさく重い物を下に、軽いものを上にという順番で入れていけば片付かないだろうか。ジョルジュから台車まで借りてきているというのに。
「ああ、その辺はこっちに置いておこうかね、って」
「えっ、駄目だよクロウ君! 荷物は全部持って行かなきゃ!」
「そうだそうだ。一人で学生寮の二部屋専有するつもりか」
そりゃあ十一月に帰ってくるというかなり短期な転寮だと面倒くさくて一部物を置いていきたい気持ちもわかるけれど、それでもやっぱり一人一部屋の原則は守るべきだろう。
「え~、別に今から編入生が来るでもなし、いいじゃねえか」
「だめだめ、友だちだからって寮則は守ってもらわないと」
むしろトワは友人だからこそちょっと厳しくなるタイプだよなぁ。それをわかっててクロウも言っているんだろうけど。むしろここでトワがその提案を飲んだとしたら二人して驚いてそれどころではなくなる気もする。
「……わーったよ」
しかしこうしてみるとトワとクロウは尋常でないほどに体格差があるのだけれど、一番最初に見た時から仲良さそうにしていたし、クロウもなんというか撫でくりまわしながらも大切にしているのが見て取れたので、何だかんだ相性良さそうだなぁと一人笑みがこぼれてしまう。
そういえば前にジョルジュにも言ったっけ。大切な人たちが、私に対する表情とはまたちょっと違う形で笑っている、それを傍で見ることが許されているというのに嬉しさを感じるのかもしれない。
「その代わり箱詰め手伝ってくれな」
「さ、トワ、帰ろうか」
トワの両肩に手を置いてくるりと身体を反転させる。
「え、いいの?」
「いいんだよ。一人でやらせておけば。元はと言えば自業自得なんだし」
ここで手を出したって何の意味もない。せいぜい一人で苦労すればいい。
薄情もの~!、と叫ぶクロウに、19時にご飯だからね、と言い残して去ることにした。全く。
「その表情を見るに、まだ終わってないね?」
時間通りに食堂へ降りてきたクロウに、野菜とベーコンをたっぷり入れたトマトソースパスタを出して隣に座って食事を開始する。指摘した表情は当たっていたらしく、ちょっとだけぐんにゃりとなるのでそこは少し可愛い。
「もう少し……か?」
あまり当てにならない気もする言葉を聞いて、小さくため息がこぼれる。授業中に寝ていると言う話も聞いたし、荷造りで徹夜させても仕方ない。あくまで私たち学院生の本文は勉学なのだ。
「食べ終わって食器片付けたら私も手伝うから、さっさと寝なよ。居眠りしたら出席点にカウントしない教官だっているんだから」
「……お前本っ当にお人好しだな」
そうかもねえ、と軽く同意しながらVII組の話を楽しそうにするクロウの声を聞きながら、晩の時間は過ぎていった。
「そうだ、この辺の荷物お前の部屋に置いてもらうとか!」
「名案みたいな言い方で私の部屋を使おうとしないで?」
「え~、でも直ぐ戻ってくるしよ」
「……ちゃんと回収しに来てよ?」
1204/08/21(土) 夕方
「部屋にあった大体の荷物はこれで運び終わったよね」
「おう、あんがとな」
夕方になって気温がマシになってきている中で更に台車も使ったとはいえ、結局寮内での荷物の移動は手作業になるわけでさすがに結構汗をかいてしまった。貼り付くシャツが気持ち悪くてジャケットを脱ぐのも許されたい。
ロビーのソファに二人で座りぐしゃりぐしゃりと髪を掻き混ぜられて、何かを言う気にもなれずされるがまま。うーん、やっぱりいいように使われた気がしてならない。
首元とネクタイを緩めてぱたぱたと胸元を扇ぐとクロウが背もたれに肘をつきながら見下ろしてきたので、何、と問いかけたら、見えねえかなって、と返してきたので軽く肩でどついておいた。やっぱり首元は閉めよう。
「クロウ様、セリ様、こちらをどうぞ」
「あ、すみません」
そんな風に寛いていたところにシャロンさんに珈琲を配膳され頭を下げる。綺麗なカップに口をつけると、やっぱり美味しい。
鼻腔をくすぐる香ばしさを楽しんでいると、外から帰寮してくる賑やかな気配が。すると予想通りリィンくん、アリサさん、マキアスくん、ミリアムさんが玄関から入ってきた。
「よ、お疲れ~」
「お帰りなさいませ皆様」
「ク、クロウ先輩にセリ先輩……?」
「どうして第三学生寮に……?」
まるでさも今までいたかのような寛ぎっぷりで出迎えるものだから、三人とも訝しんでいる。ミリアムさんはクロウと同じ編入生だからかあまりそういった節はないけれど、情報局の一員としてわりと動じないのかも。まぁそれはともかく。
「ああ、VII組へ参加するにあたってこっちに住む事になってな」
「ええっ!?」
「……さすがに突然すぎませんか」
「戦術リンクとの兼ね合いの要請だから、仕方なかったんだよね」
私が補足の説明を入れるとアリサさんは思い当たることがあったのか、なるほど、と直ぐに頷いてくれた。一年という長い期間ならともかく、三ヶ月という短い期間で戦術リンクを馴染ませるには行動を共にすると言うのが一番だ。それが寮生活ともなれば尚更。
「いやー、それにしてもシャロンさんの淹れたコーヒーは絶品ッスね。こんなことならさっさと参加しておくんだったぜ」
クロウは前から美味しい珈琲には目がなかったけれど、シャロンさんのは特に気に入ったらしい。だとしてもさすがに二年生が一年生に混ざりたいって言うのはどうかと思う。シャロンさんの珈琲が美味しいのは私も同意するけれど!あとお茶菓子も。
「ふふ、クロウ様ったらお上手ですわね。よろしければ先ほど焼きあがったお菓子も持ってまいりましょうか?」
「お、それじゃあお願いするッス」
ハートマークが付いていそうな勢いで頼むものだからちょっとだけ心がささくれそうになるけれど、シャロンさんに対抗しようというのはさすがにお門違いにも程がある。そもそもそういうつもりもない人にそんな感情を持っても空気を叩くようなもので意味がない。
……ああ、こういう自分は嫌だな。やっぱりちょっと疲れてるみたい。
「てなわけで、急になっちまったがこれからヨロシクな」
リィンくんから聞いていた通りクロウはもうすっかりVII組に馴染んでいるようで、それには本当に安心した。腫れ物扱いされないような立ち居振る舞いを敢えてしているのはわかるけど、それでも受け入れられるかはまた別の話だ。
だから、クラスに馴染めず授業にも出ず留年なんてことにはならなくて、本当に三ヶ月で帰ってきてくれそうだな、とも思えたというか。
「それじゃ、私はそろそろ帰ろうかな」
珈琲を飲み干し、傍らに置いていたジャケットに腕を通し前を閉めながら立ち上がる。
「シャロンさんの菓子食ってかねえの?」
「前にも頂いたからね。それに、美味しいからって食べすぎたら駄目だよ」
座りっぱなしのクロウの銀髪にさらりと手を入れて頭を撫で、みんなに軽い挨拶をしてから第三寮を後にした。
後でちょっと街道に出て、夜になるまで素振りして頭を空っぽにしようかと思案する。
……ここ数日で自分の心の弱さと狭さを痛感したので、もっと強くなりたい。
でもそれは、どうしたらいいものなんだろう。
1204/08/22(日) 自由行動日
何だか最近ずっと精神が乱れているし、エリオットくんに誘われていたこともあって七耀教会に顔を出すと普段はないピアノや譜面台が運び込まれており、既に楽しそうな雰囲気が構築されていた。
どこに座ろうかな、と席を見回していると、会場のセッティングの最終確認をしている男子生徒と目があった。吹奏楽部部長のハイベルだ。
「やあ、セリ。来てくれたんだ」
「お疲れさま、ハイベル。エリオットくんに誘われて。……その、腕は災難だったね」
視線を下ろすと三角巾で吊るされている右腕が目に入る。先月あった不慮の事故により、トリスタの夏の恒例行事である士官学院吹奏楽部による演奏会でヴァイオリンを弾くことは叶わなくなってしまったと聞いた。
けれど彼は私の言葉に少しだけ微笑んで、首を振る。
「確かに残念ではあるけど、だからこそ見れたものもあると思ってるよ」
え、と顔を上げてハイベルが向けた視線の先を辿ると、懸命に最後の準備をしている一年生たちが見える。ピアノの前に座り呼吸を整えているブリジットさん、フルートの指さばきを確認しているミントさん、奥でリィンくんと調音しているエリオットくん。
みんな緊張した面持ちではあるけれど、どこか和やかだ。
「後輩だけに任せることになってしまって申し訳ない気持ちはあるけれど、こうして内側と外側の間から彼らを見て支えて、送り出してあげられるのは今年の自分だけさ」
あわいにいる者だからこそ出来たことがあると、そんな意味で落とされた言葉には強がりによる虚勢ではない、確かな"力"が籠められていた。
「……ハイベルは凄いねえ」
今のはまるで司祭さまのお話を聞いているような心地になった。
でも、そうか。失敗ばかりを見ていてはいけない。その中でどう立ち回り、どう見届け、どう支えるのか。誰かの未来を考えて実行出来るのはその人物を知る人間の特権だ。VII組補佐という立場は、図らずとも私にその権利を与えてくれている。公私混同をしてはいけないけれど、それはキツく当たるというのももちろんながら、避けてしまうというのもそうだ。
私はとても未熟で、現実と自分の感情の折り合いをつけることが未だ不得意だ。それでも出来ないことを悔やみ続けるより、出来ることを探すというのは心構えとしていいと思った。
「さ、そろそろ始まるから席について聴いていってくれよ」
私の感情のなにがしかに気が付いているのかいないのか、さっきと変わらない風情でハイベルは笑って席へと促してくれる。その気遣いに感謝しつつ、とうに来ていたメアリー教官の隣に座らせてもらったところで夏の演奏会が始まった。
「すっごく良かったよ、エリオットくん!」
「そう言ってもらえて嬉しいです。来てくれてありがとうございました、先輩」
夏ということで楽しげな旋律から始まり、どこか清廉さと涼しげな音色を交えながら紡がれていった音楽は本当に楽しませてもらった。ここ最近の悩みを考えなくても良かったぐらいに。
トリスタ教会では士官学院生徒による演奏会が恒例行事になっているとは聞いていたけれど、そりゃあこんな演奏会をしてもらえるなら町の人も集まってきてくれるだろう。それに小さい場とはいえきちんと発表する機会があるというのは奏者としても得難い経験だ。目標があるというのは大きな心の支えになる。
「ううん、こちらこそ誘ってもらえて良かった」
ハイベルと今日話すことが出来てすこし気が楽になったし、もちろん一年生みんなの演奏も素晴らしかった。二年生に代わってリードヴァイオリンを担当するということできっと緊張しただろうに、それをやりきったエリオットくんには万感の拍手を送りたい。
まだまだ話したいこともあったけれど、町の人で彼に話しかけたい雰囲気を出している方もいらっしゃったので、私は吹奏楽部の面々に手を振って教会を後にした。
するとタイミングよくARCUSの通信音が聴こえてきたのでポーチから出して応答すると、アンから今日リィンくんにサイドカーの依頼を出すから立ち会わないか、というお誘いが。もちろん行くよと答えて技術棟へ走り出した。