1204/08/28(土) 早朝
今日からクロウが特別実習に行くので、ちょっとだけ顔が見たいなと思ってトリスタの中央公園のベンチでぼんやりとしていた。
列車の切符を取ったのは自分なのでVII組がどういうスケジュールで動くのかははっきりと把握しているのだけれど、早朝の空気で頭を冷やしてから会った方がいいと思ってこんな時間に出てきてしまった。いくらジュライが遠いからといってキルシェも開いていない時間だ。……さすがにちょっと早すぎただろうか。
だけど自分に出来ることを、と言ってももう今回の実習に関して自分が関われるところはとうに過ぎ去った。たとえ何があっても私が動くことはないだろう。
クロウのことを心配しているというより、クロウともっと時間を持ちたいという、これは実習とかそういうのは関係なく単なる自分のわがまま。いや今までがあまりにも近過ぎたから離れることに慣れるべきなのかもしれないけれど。こんな状態で本当に、人生の分岐で別れる日が来たときに自分が納得出来るのだろうか。
ううん、やっぱり思考が堂々巡りになっている気がする。
「あら、こんな朝早くにどうしたの?」
思考がよくない方向へ曲がりかけていたところでその声に顔をあげると、白い帽子から長い髪の毛を覗かせ、赤い眼鏡をかけた女性が私を見下ろしていた。こんな朝早くにどうしたの、なんてそれはこちらの台詞ではないだろうか。
「その制服、学院生さんよね?」
「あ、はい」
私が少し困惑していると、その人はひらりと隣に座ってくる。驚いて一瞬距離を取ろうとしたところで、懐かしい香りがよぎった。
「どうかしたかしら?」
「……エリンの花の香りが、したと思いまして」
「あら、わかる? そう、お気に入りの香りでずっと使っている香水なの」
春頃にイストミア大森林へ入ると手に入れられる薬草のひとつだ。花としても綺麗で、香りがよく、観賞用として手に入れる人もいるらしい。旧都の大聖堂から要請を受けて持っていくこともしばしばあった。
「それにしてもラベンダーのなかでも特にエリンの花だってわかるなんて、すごいわね」
「故郷の近くに群生していたので」
どことなく懐かしい香りに惹かれたのか、つるりと初対面の人にそんなことを喋ってしまう。するとその人は、あの森の近くなのね、と女の私でさえうっとりとするような微笑みをたたえて呟いた。あ、なんだか、この人は。
「それで、貴方はどうしてこんな朝早くに暗い顔をしていたのかしら」
────たしかに何かを考えていた筈なのに、思考は問いかけの中に消えてしまった。
「ええと、人を、見送ろうと、思って」
「遠くに行ってしまうの?」
「いえ、数日で帰ってくる予定なんですが」
そう、たったの数日だ。ジュライに行って、ガレリア要塞に行って、それだけ。それなのにどうしてか心が落ち着かないのだ。
「ズバリ、恋人でしょう」
「えっ」
「ふふ、どうやら当たったみたいね?」
くすくすといたずらっ子みたいに女性は笑って、私を真正面から見つめてくる。帽子のつばの下で、紫耀石が暗がりで光った時のような色。それこそ、エリンの花が夜に咲いた時のそれ。何もかにも見透かされてしまいそうで、ベンチに置いていた手をぎゅっと強く握りしめてしまった。
「愛し合うって、自分を捧げるばっかりじゃ駄目なのよ。こんな早朝から待つのもいいけど、彼が訪ねてくるのを待つのもいいんじゃないかしら?」
なんてね、と跳ねた声と共にその人は立ち上がる。
「お姉さんからのアドバイス、お節介だったらごめんね?」
ウインクをしてその場から立ち去ろうとするその人の手首を掴まえようかと思って、いや見知らぬ人間がしていいことじゃない、と私は持ち上げかけた腕をおろし、駅舎に入っていく影をただただ呆然と見送った。
開いて見下ろした手のひらには爪の痕。いたい。
「ああ、朝にクロウこっち来たんだ」
昼頃に購買で買ったパンを数個技術棟に持ち込んだら、バイクのメンテナンスでかアンもそこにいてなんだかんだ三人で昼食を取ることに。
「うん。オーブメントの調整で実習日はいつも朝から開けてるからね。セリがいなかったのが意外そうだったけど」
結局、見送りには行かなかった。言われた通りにしてしまったけれど、確かに何だか自分ばかり追いかけているような気になってしまって、そんな筈はないのにそんな気分になるっていうのは良くない精神状態だと判断して会うのは諦めたのだ。
自分がこんなことになっていることについて、うまく言語化も出来ないまま会うべきじゃない。むしろ実習があって助かったとも言える。クロウがいないこの数日で何とかどうにかしたいところで。
「……まあ、いろいろあって」
「フフ、セリもさすがに愛想を尽かしたかな?」
「別にそういうわけじゃないよ」
むしろ自分に愛想を尽かし気味というか。クロウのことは今でも好きだけど、一緒に卒業しようと言ったことが反故にされかかって、それについて何とも思っていないような風情で……、ああ、そう、たぶん悲しいのかもしれない。
別に謝られたいわけじゃないけれど、話題にもしないからその程度のことだったのかなって。
「セリは内側に溜め込みやすいからね、きちんと言葉に出すのが当面の目標かな?」
「……ジョルジュのそういう分析って当たってるからなぁ」
「いや、これに限って言えばセリがわかりやすいんだろう」
言葉に出す。言うは易しだけれど難しい話だ。私は同年代の人が街にいなかったこともあって、周りは年上ばかりだった。だから、その、自分の感情を発露する前にみんな察してくれてしまっていたのだ。人の厚意にあぐらをかいていたとも言う。
それでも以前よりは言えるようになってきてはいるんだ。アンとぶつかることで自分の要求を突きつけそれが通ることを知ったし、実習の目的を見据えて自分の意見を言うことも厭わなくなったし、誰かに迫られた時にしっかりNOと発することも出来た。昔の自分からは考えられないほど進歩はしている。でも足りない。
「でも結局のところわがままだから」
クロウが今やるべきことは卒業を目指してVII組で健やかに授業へ出ることで、私に構うことではない。というかそんな暇はない。だからそれを邪魔すると言うことは卒業までの道のりを阻害しているということに他ならないわけで。
「セリ」
アンの真っ直ぐな声音に顔をあげる。大抵こういう声の時にはとても大事なことを言うのだと経験則でわかっているので、背筋を伸ばしてその瞳を見つめ返した。
「恋人のわがままも聞けない男とは別れてしまえ」
「極論すぎない!?」
だけどさすがに反論してしまった。
「いいや。かわいいかわいい愛しい人間のわがままを自分だけが聞き自分だけが叶えられる、その権利が恋人だと私は思っているよ。クロウにその甲斐性がないとは思わないさ」
「まぁ、わりとセリからおねだりされたら聞きそうではあるけど」
「いやそれだと余計にわがままを言っては駄目なのでは?」
確かにクロウは私に甘いかもしれないけれど、身持ちを崩してまで甘くされても困る。
「それで再度単位を落とすならそれまでということだろう。……と言いたいが、セリはそれを気にしないでいられるタチじゃないか」
「残念ながら」
正直学力方面の単位落ちではなく、単純な出席点での不可を貰っているらしいので居眠りさえしなければ大丈夫だとは思う……のだけれど。トマス教官やメアリー教官あたりは何とかOKをくれるかもしれないけれど、ハインリッヒ教頭相手だとたぶん駄目。いやどの単位を落としたのか具体的には知らないけれど、一年生の必修だというので専門科目じゃないのは確定だ。
「全く、こんなにかわいい恋人を放っておくとは。私に鞍替えするのはどうかな?」
「今のは慰めだと受け取っておくね」
「まさか、私はいつだって本気さ。セリならいつでも歓迎させてもらうよ」
そんな軽口とともに飛ばされたウインクに関してははたき落としておいた。恋人を放っておく人間が駄目なら、恋人がいる人間を口説く人間も駄目だと思いますよアンゼリカさん。
1204/08/30(月)
「おはよう、トワ」
「あ、おはよう」
通商会議随行団との最終の打ち合わせもあってか、八時半過ぎに専用列車で帝都を出る予定のトワはほとんど始発と言ってもいい時刻にトリスタを出発すると聞き私も早起きをして食堂へ出てきた。
「今日明日が通商会議だよね」
「うん、私に何が出来るかわからないけど、しっかり勉強させてもらってくるよ」
ぐっと両の拳を握ってやる気満タンの姿を見せてくれるトワの熱に笑いがこぼれる。うん、トワのこういうところ本当に好きだ。
「トワならきっと出来るよ」
なんなら要求された以上の仕事をこなせるだろうとも思う。ここ最近ずっとクロスベル問題について勉強し直していたし、そうでなくとも事務作業に関しての手腕は学生の域を出ていると言ってもいい。だからこそ帝国政府もトワと強い繋がりを作るため、召集という形といえど本人の意思を尊重する形で提案をしたのだ。
「ありがとう」
ふわりと笑うトワは朝食を食べ終わったようで、後片付けは帰った私がやっておくよ、と食器を水につけて出発を促す。するとジョルジュも出てきていて、それじゃあ見送りに行こうかと三人で玄関を出た。アンがいないのがそれこそ意外だけれど、まぁ寮も違うしそんなものかな、と考えつつ他愛のない話をしながら駅に着いたところで。
「……アン?」
「やあ、遅かったじゃないか」
明らかにどう見ても旅行に行くのかという風情のアンが駅舎の待合ベンチに座っていた。
「アンちゃん、これから旅行?」
まあ貴族生徒は八月いっぱい休みではあるけれど、このあと二日という時に行くものだろうか。いやアンなら思い立ったが吉日を地で行くのも不思議じゃないな。
「いや何、私もクロスベルに行こうかと思ってね」
「は?」
とはいえその発言には思わず変な声が出て、人の少ない駅舎にうっすら声が反響してしまった。
西ゼムリア通商会議という大陸の西にとってほぼ初と言ってもいい国際会議の開催でクロスベルが極度の緊張状態になっているところに、貴族派筆頭面子である四大名門の人間がクロスベル入りすることが現地に何を思わせるのか、背負わせるのか、わからないほど愚鈍じゃないだろう。
「もちろん、私が個人とはいえ自治州入りすることの是非はあるだろう。それでも休暇が明日まであるということの意味を考えていた」
組んだ膝の上で両手を絡ませ、アンは喋る。
「通商会議の場に行くことなど無論叶いはしないが、トワがクロスベルで誰かを頼りたいと思った時、何の憂いもなく傍にいられるのは私だけだと気が付いてね」
それは、そうだ。クロウはVII組にいて実習中で、私とジョルジュは当たり前のように通常授業がある。その点だけでいえばアンは適役だ。学生にとってのスケジュール的な憂いはない。
「アンの突拍子もない行動はいつも通りだけど、今回は特にだね」
「フフ、何もなければクロスベル観光をして帰ってくるさ」
ため息を吐くジョルジュにウインクをするアンはいつも通りの表情で。つまり彼女も彼女なりにトワの身を案じて、自分に出来ることをしたくなったんだろう。それを私が否定するわけにはいかない。
「……トワはそれでいいの?」
「正直、アンちゃんがARCUSの通信圏内に居てくれるのは心強い、かな」
えへへ、と笑いながらトワが心の内をそう吐露するものだから、なるほど、と小さく頷く。心配されるトワ自身がそう思うなら。
「アン、気をつけて行ってきなよ。今から行くなら定期飛行船使うんだろうけど」
「ああ、鉄路ではすこし時間がかかりすぎるからね」
拳を軽く掲げると、アンもこつんと私のそれに自分のをぶつけてきた。
そうして帝都へ向かう二人を見送り、ジョルジュと一緒に寮への道を。あとはトリスタで教会で祈ったり、空いた時間にラジオ放送を聴くことしか出来ないけれど、きっとそれも無駄じゃない。
1204/08/31(火) 西ゼムリア通商会議・本会議日
四限にあったハインリッヒ教頭が受け持つ倫理政経の時間では、これも帝国の歴史に刻まれることになるだろうと帝国時事放送が流すラジオ放送で通商会議の速報を聞かせてもらい、放課後は技術棟に駆け込みジョルジュと一緒に会議の内容を固唾を飲んで聞いていた。
クロスベルは帝国と共和国を宗主国に据える自治州だ。その成り立ちはあまりにもいびつで、税収の大半はそれぞれに分配されている公的な記録があるほど。外貨が行き交う余地があるだけまだ何かがきっかけに動く可能性はあるだろうけれど、それでも大国に挟まれている自治州という点であまりにも立場が弱いと言わざるを得ない。
「……これは、通商会議というよりは自治州というパイの取り合いの様相を呈しているね」
「そうだね。宰相殿も共和国の大統領閣下も、自治州の治安維持機能の脆弱さを盾にしてお互いが合意できる落とし所を探しているのが露骨というか」
そもそも自治州の治安維持部隊に関しては自治州法で様々な取り決めがされている。例えばRF社の最新型戦車アハツェンのようなものを購入することは固く禁じられていたはずだ。配備出来て装甲車程度のもの。いくらクロスベルがその財力で以て最新型を配備出来るといっても戦車と装甲車では雲泥の差と言える。
政治的に弾圧している自治州が武力を持ったら歴史を鑑みると刃向かいかねない、その為にあらかじめ牙を抜いておく。そういった一方的且つ不完全な法制度を自治州成立の折に帝国・共和国両者から押し付けられたというのは、記録を丁寧に紐解いていけば明らかだ。
ジュライよりは成立が過去だからか、ある程度の資料を一介の平民の身でも押さえることができたのは僥倖だった。
「リベールの王太女や、太閤閣下は反対みたいだけどね」
それはそうだろう。いわばリベールやレミフェリアはクロスベルの外の外に位置する。帝国や共和国のようにクロスベルという財源に関わってはいない。関わっていたとしても、国のトップとしてそれを反対する立場にあったかもしれないけれど、取れるものを取るという姿勢の人間がいるからこそ大国が大国でいられるのだとも思う。
「レマンやオレドのように、法国が宗主国であればこういうこともなかったんだろうけど」
しかしそれは歴史的に見て無茶な話だ。そしてこれからも、二大国が金の卵を産む鶏をむざむざと手放す筈がない。アルテリア法国は七耀教会の総本山であり、また統治については現場に委ねているため、法国が宗主国を担うということは実質上の都市国家の成立とも言われている。クロスベルが法国を宗主国といただくには、歴史的にも地理的にも政治的にも、あまりにも壁が多すぎる。
「……それでも、これが私たちの国なんだよね」
この無茶苦茶な会議を見届けるのも、帝国民としての義務だろう。歴史というタペストリを紡ぐのが政治家だとしても、国家は政治家だけで成り立っているわけじゃない。それを支持する勢力・人間がいてこそ。そしてオズボーン宰相閣下は、陛下直々に伯爵位と共に宰相の地位を賜っているというのは、つまりそういうことに他ならない。
ガレリア要塞の見学時に、クロウへ宣言したことを思い出す。
────私は、自分の国を誇らしく思える日を諦めたくない。胸を張って帝国国民なんだって言えるようになりたい。
自分がそう言えるようになるには、何十年、あるいは死後何百年もかかるかもしれない。それでも、世の礎たれ、とこの士官学院を設立されたドライケルス帝の言葉を胸にその未来を望んで一歩一歩進んでいくしかないのだ。
茶々を入れる人間が誰一人としていないので、静かに会議を聴いていたところで、突如妙な音が断続的に走った。ジョルジュと二人で顔を見合わせる。
「これ……」
「ガトリング弾が防弾ガラスに叩きつけられる音、かな」
音だけでそこまで把握出来るのか、とジョルジュの分析に舌を巻く。
「破砕音はないし、地上からわざわざ襲撃というのは警備態勢的に考えづらいからガンシップとかだろうね」
「……そりゃ、国のトップが集まる絶好の場をテロリストが逃すわけもない、か」
帝国政府のトップである宰相殿や士官学院知事であるオリヴァルト殿下が参加されているのは重々承知している。きっと情報局は分析しきって手を打っているだろう。それでも私は、そんな前提を考える前にトワのことで頭がいっぱいになってしまった。
「……嫌な案をひとつ思いついたんだけど」
ジョルジュが暗く固い声で呟く。心情的にはこれ以上不安になると辛いけれど、自分にない視点はいつでも知りたいし学院生として可能性から目を逸らしては駄目だ、と視線で先を促した。
「こうも大胆に会議の場を襲撃したテロリストたちだけど、もし、もっとなりふり構わなかったらどうだろう」
なりふりを構わない。それは例えば、現場に入った戦闘員ごとビルを倒壊させるとか、そういう状況だろうか。しかし大陸最高峰のビルの倒壊に必要な火薬量をざっと計算するに、ガンシップ数台に積み込める量ではないのは直ぐに弾き出せる。つまりそういう物理的な話では。
「────あ」
「気が付いたかい? クロスベルの西には、それを実現させられるモノがあるんだ」
列車砲。現時点での人類の最高到達点とも言われている大量殺戮破壊兵器。
そうだ。仮にその主導権を奪取され、タワーの崩壊に巻き込まれたらまず助からない。200セルジュ先の都市を破壊することだけ考えられた兵器であることから、照準を合わせる機構に関してもある程度簡便に運用出来るようチューンナップされていることだろう。
そしてオルキスタワーのような地上40階建ての巨大なものが倒壊したら、市街に瓦礫が降り注ぐ。タワー内部にいないからといって安全では全くない。
もし、帝国解放戦線が帝国内部の権力と繋がっていたのなら、要塞襲撃も計画し実行できる資産と兵力があったのなら、それを狙うのは至極真っ当とも言える。
だからサラ教官はVII組を遊撃哨戒として充てたのだろうか。偶然ではないと言っていた。であるのならばガレリア要塞も主戦場だ。
「……トワ、クロウ、アン……三人とも無事に帰ってきて……」
どくりどくりと痛む心臓を無視し、ぎゅ、と握った両手を額を当て女神さまに祈る。
遠い遠い地にいる大切な人たちに私が出来ることなど、もうただそれだけだった。