1204/11/09(火)
「ここで大人しくいい子にしててくれや」
そう当たり前のように私の頭を撫でた黒衣の相手はどこかへ行ってしまった。
見渡してみるとどうも高級そうな調度品類で囲まれた部屋だった。この部屋だけで何十万ミラとかかっているのが分かってしまい改めて頭が痛くなる。
それに鍵はかけられたけれど、内鍵もついているから外に出ようと思えば出られるみたいだ。とはいえ、自分で自分の命の保証が出来ない状況だという自覚はあるので軽率な行動は控えるべきだと思った。
────どうして、なんで、そもそも君は。
いろいろ問いかけたいことがたくさんあったはずなのに、どれもこれも口から出ては来なくて、ただただ多少の軽口の応酬だけをしてしまった。それだけなら、本当に、私の知る"君"なのに。それでもあれはフェイクだったと言い切られて、なのにこんな風に直々に連れてこられてしまって、連れてこられた部屋はどう見たって貴賓室と表現出来るだろう場所で、私は一体どこに感情をおいたらいいのかまるでわからない。
そんなこともきっと見透かしているだろうに何も言ってくれない君を、恨めばいいのだろうか。……恨みだけでいられたら、きっと楽だったろうに。
取り敢えず、こんな風に立ち竦んでいても仕方ない。頬を軽く叩いて室内を見て回ろうと歩き出した。
入って直ぐ左のところにダブルベッド、目の前は一面ガラス張りでもちろん嵌め込み窓だ。応接セットとして部屋の中央にソファもテーブルもあるし、奥側の窓際にまた1セット足の高い椅子と机もある。右手の窓際にほど近い壁には書き物が出来る机と少しの本。
「……?」
そこから扉の方を見ると、角の方に棚が見える。そっと近付いて開けてみるとスタインローゼやら何やら、つまり酒瓶が入っていた。もしかしたらグラン・シャリネのような高級ワインも頼んだら出てきそうな気がする。というかこれは、備え付けのものなのか、部屋主の嗜好品なのか。いやそもそもここは誰の部屋?……私が貴族連合軍に食客扱いされる理由はないので、おそらく、"あの男"の部屋なんだろうと思う。同い年、ではなかった、ということ、なんだろうか。
立場も名前も嘘っぱちなら、そりゃあ年齢も嘘っぱちなこともあるだろう。やっぱり私の知らない誰かなんだな、と棚の扉を閉じてまた部屋の散策を再開する。
左手の奥まったところに洗面所にシャワー室、トイレは別。洗面所手前のクロゼットには一応吊るされたガウンと畳まれた寝巻きが用意されているけれど、ガウンのサイズを見るにやっぱり私向けのものでは無いだろう。
洗面所を出たところで壁際から風の動きを感じて見てみると通気口のようなものがあった。新造艦なのか、ダクトといっても綺麗に見える。
一瞬、ここを使えばこの部屋があるエリアからは抜けられるのでは?と思ったけれどそれをしたってどうしようもない。雲の上だから誰かの助力があるか、あるいは食料品などを地上から積み込むタイミングでなければ脱出は不可能だ。そして脱出したとして、自分に何が出来るのか。
「……」
そう言えばARCUSも没収されなかったな、とズボンの前に差し込んで隠していたそれを取り出す。導力を落としっぱなしにしていたのを立ち上げて、一応駄目元で三人のARCUSへ通信をかける。まずトワに、次にジョルジュ、そしてアン。しかし高度からして当たり前だけれど圏外。ARCUSの蓋にある通信番号はもう一つ刻まれているけれど、さすがにそこへかける気にはなれなかった。かかっても、かからなくても、きっと私は微妙な顔をしてしまうだろうから。
随分前にジョルジュに通信波で捕捉されたこともあるし、パンタグリュエル内にそういった装備がないとも限らない。導力はまた一旦落として、普段のポーチの方に入れておこう。学院には私物を置く場所がないから空でも身につけていたけれど役に立って良かった。
ソファに座り、腰から銃を抜く。普段訓練などで使っていたものよりずっと小さなものだ。基本的に挑発戦技を乗せることを前提として、攻撃力を犠牲にして命中精度を高めてもらったから、死ぬならこめかみより咥えた方がブレない分致死率が高い。
だけどあの男の言う通り、それでは意味がない。ここで命を落としても何の成果も得られはしない。加えて、これはあまりにもエゴだけれど、友人に作ってもらった銃で命を落とすというのはさすがにするべきじゃないと、そう。
教義に反して自死をするにしても得物が選べるならこれじゃない方がいい、と腰に戻した。
窓の方へ視線を向けると、ただただ変わらず、雲海が広がっている。雲の上ということは積乱雲とかに突っ込まない限り雷雨の心配はないんだろうか。まあ、寄港地が雨ということはあるだろうけれど。しかしどうにも雲というのは頭上にあるものだから、現実感のない光景に思えてくる。今ここに自分がいることまで含めて。
そういえば最初に降りた甲板はかなり上空であるにも関わらず、普段の服装のままでもあまり寒くはなかった。というかクロチルダさんも肩が出たドレスを着ていたし、そういう、戦術オーブメントに頼らない何かを行使しているのかもしれない。おそらくあの杖が私たちにとってのARCUSのような働きをしているんだろう。
そしてこの艦は見間違いでなければラジオ映像に出ていた白銀の250アージュ級戦艦だ。規模からいって貴族連合軍の旗艦かもしれない。というか、こんな大きさの飛行戦艦をほいほいと秘密裏に造れるとも思いたくない。……それでも、四大名門全体が関わっているのならあり得るかもしれないとも、考えてしまうけれど。
四大名門が関わっているといっても、サザーラント州は穏健派と名高かったハイアームズ侯爵閣下の領地だ。ティルフィルもそこに属している限り、そう大きな混乱はないと思う。思いたい。どうか、叔母さんや叔父さん、街のみんなが無事であってくれますように。
そう両手を握り締めたところで部屋の外に人の気配。程なくして、コンコン、とドアノッカーで来客が報された。……これ、私が出ていいのだろうか。
「セリ様、蒼の騎士様より頼まれ昼食をお持ち致しました」
あ、私が目的らしい。なら開けていいのかな。
ソファから立ち上がり扉を開けると、ワゴンを傍らに置いた黒と白を基調とした侍従服の女性がそこにいた。私がソファの近くまで退くと、ワゴンから銀色の蓋が取り付けられたお皿と珈琲がローテーブルへ乗せられる。当たり前のようにミルクポットまで。
「何がお好きかまだ分からなかったため、軽食をご用意させて頂いた次第です」
お皿から銀色のカバーが取り除かれ、現れたのは小さく正方形に切られ綺麗に並んだサンドイッチ。やっぱりこれも、平民の捕虜に出すには分不相応なものだ。
「……もしかして苦手なものがありましたか?」
「あっ、いえ、食べます。ちゃんと」
ドレスでも何でもない、着飾ってもいない女がここにいるなんてあまりにも場違いだろうに、それでもその方は食事を前にして固まってしまっていた私のことを案じてくれた。その心だけは今の私にだって伝わってくる。
「ただ、食事は一人で摂らせて頂けませんか?」
食事中は無防備になるから、現時点で誰かを傍らに置いて食べるというのは個人的に進んで行いたいものじゃない。すると彼女は、承知いたしました、と外に控えている旨と共にワゴンを押して出て行ってくれた。
そこでようやくソファに座り、じっとサンドイッチを見る。きっと美味しいと、思う。こんな場所に食事を提供しているシェフが作ってくれたものだ。きっと材料はシンプルでも今まで食べたことのないほど丁寧なつくりをしているというのは、もう食べる前から明らかで。
何をするにしても、食べなければいざという時に行動が起こせない。毒が盛られているということも現段階じゃないだろう。ひとつ、手にして、ちいさく齧る。どうにも最近空腹を実感出来ずにいたけれど、それでも無理矢理咀嚼して飲み込んだ。
……こんな風に義務感だけでご飯を食べるなんて、両親を亡くして以来だ。
長い時間をかけて、サンドイッチの表面が乾き始めるほどの時間をかけて、ようやくお皿の上を空にした。十日ほどの軟禁生活で胃が小さくなったのか、それともストレスか。わからないけれど、食べられる時に食べておくという精神を教わっていたのはこういう時の為か、と普段の心得に得心がいった。
一口だけ飲んだ珈琲にミルクを入れて調整し、一息。サンドイッチよりはまだ味がわかる。
────蒼の騎士様より。
ため息を吐いて、先ほど耳に入った言葉を脳内で反芻する。蒼い騎士人形を駆るから、蒼の騎士。帝国解放戦線なんてテロリスト名から打って変わって随分と気取った名前だと思った。
カップをテーブルに戻して膝に両肘をつき、両手をゆるく絡める。
彼は、帝国解放戦線のリーダー《C》だった。つまり、六月のことも七月のことも九月のことも十月のことも……八月の通商会議のことも、ぜんぶぜんぶ、最終的にはあれの決断だったということだ。トワを、殺そうとした、その組織の、リーダー。
要塞奪還班として動いていたのは知っている。それでも、オルキスタワーにはテロリストの実働隊も押し入っていて、列車砲の作戦だって完遂出来る可能性は万に一つはあった。それを天秤にかけて、トワが死ぬ可能性をわかっていて、なお作戦を実行した。それは、まず、間違いのない事実だ。
鉄血宰相を殺せるタイミングをずっと窺っていたのだろう。それにたまたまトワが同行していた。ただそれだけ。運とタイミングの問題。それでも、それが、どうしても理解ができなくて。
────オレにとってもお前は大事なんだぜ。
あの言葉も、徹頭徹尾嘘だったんだろうか。トワを、アンを、ジョルジュを、みんなを、自分と同じように大事な仲間だと思っていると、そう、信じていたのに。あんなはっきりとフェイクだと言い切られて。だっていうのに、私をこんなところまで連れてきて。あまりにも矛盾している。おかしすぎる。何を考えているのか全くさっぱりわからない。
答えの出ないことだとわかっているのに考えずにはいられなくて、だんだん口の中が酸っぱくなってきて、座っているのに頭がぐらぐらと回転しているような気がしてきて、さっき場所を確認したトイレに駆け込み、食べたもの全部を吐いてしまった。嘔吐きの最後にまた胃液が喉を焼く。
苦しさと、気持ち悪さで涙が出てきたけれど、でもそれ以上に、それ以上に。頭を撫でられた時、咄嗟に手を振り払えなかった。どころか嬉しいとさえ思ってしまった。まるで、今までと同じように君が笑ってくれるから。でもそんなことありはしない。あり得ないのに。
トワの命を蔑ろにした男を、それでも、今でも好きな自分が、ゆるせない。