1204/12/01(水) 昼過ぎ
不意に、普段聞き慣れない足音が気になった。
ここに来てから二十日ほど。外の気配はなるべく覚えるようにしていたから、通常この区画は限られた人のみが出入りし、兵士といったような入れ替わりが激しい部類の方々はこちらにはこないことが判明している。つまり存在を許されているものを極端に制限し、何事もその区画内で完結させられるようにする。それはセキュリティを堅牢にする上でかなり重要なものだ。
無論、ここが貴賓区画ということから招待客ということもあり得るかもしれないけれど、それにしては一人だ。そして明らかに訓練されている人間のもの。かと言って、たまに部屋の外の廊下を通っていく……あまり使いたい表現ではないけれど、化け物としか言いようのない方々の気配ともまた違う。あくまで人間の範疇。
そっと導力銃を机の裏から持ち出し、ブラジャーへ押し込みながら入口から死角になる場所、浴室側へヒールを脱ぎながら移動した。今日はクロウのリクエストによるドレス着用で動きづらいし、隠れたとしても足の鎖でどこにいるかは明白だろうけれど、それでも居場所を把握するための一瞬で稼げるものもある。
浴室前のクロゼットにあるパイル生地のガウンから腰紐を二本取り、置きっぱなしになっているベルトも手にし床へ。拘束道具を用意するに越したことはない。うっかりすれば自分に使われる可能性もあるけれど、私が敵意に対応した場合の反応として拘束するより殺害の方が高い。
そうして壁に肩をつき目を閉じて気配に集中──歩幅から推測するに175リジュ程度、そこから自ずと頭部の位置もある程度わかる。
「セリ様、リネンのお取り替えに参りました。こちらを開けてくださいませんか?」
この艦で私の世話役の人員はヒエリアさんが来てから以降、一度たりとも他の方に変わったことはない。また、他に誰もいない状態で別の方が入ったこともない。あまりにも毎日なせいで休みはとれているのか聞いてしまったほどだ。私を危険にさらさないために一人が担うことでそれを解決しているのです、と微笑んでいた人が私への紹介もなしに誰かへ仕事を振る筈がない。体調不良でダウンしているならその旨の連絡をくれる信頼がある。それがプロというものだろう。
息を殺し、相手の出方を窺っていると、鍵の開く音がした。
「セリ様?」
絨毯を踏む音がベッドの脇を通り過ぎ、こちらへ向かってくる。何がリネンの取り替えだ。音からして取り替え用の品を仕舞ったワゴンを押すこともしていなかったじゃないか。
覚悟を決め死角から飛び出し、その男を見る。
やっぱり服装は使用人だというのにそこにそぐわない
しかしそれで意識を落とさず構えようとしていたのが見え、咄嗟に銃身を掴み、自分の体へ回転を加えながらもぎ取り遠心力そのまま振りかぶって相手の頭へ。こめかみを砕く感覚が手に伝わってきたのを無視して振り抜き、昏倒した相手を見下ろした。完全に意識を失っている。ガンスリングで胴体と銃身を固定していない相手で助かった。
私を単なる蒼の騎士が囲う令嬢だと判断していたのか、相手の対応が鈍かったのは不幸中の幸いだ。
銃をローテーブルへ置き、一応呼吸を確認。生きていることを確かめたのちに先程放っておいたガウンの腰紐で両手首を縛り、口に猿轡を噛ませ、足の方は私物のベルトで固定だ。
拘束のためについた膝をそのままに、は、と息を吐いて両手を見下ろす。人を殺す覚悟が、こんな時でも持てないのかと。自分の愚かさと弱さに嘲笑いたくなるような、そんな気分だった。もう、傷付けることには逡巡しないのに。────と、感傷に浸っている暇はない。
直ぐにでもこの侵入者を引き取ってもらわねば。
一つ自分の胸を叩いてから立ち上がって、ここに来てから初めて、誰が訪ねて来たわけでもないのに部屋の扉を開けた。
「……おや?」
すると、そこには月の銀光を湛えたとしか言いようのない美しい髪色の女性が、執事らしき男性を伴って歩かれていた。薄紫のマントに白を基調とした軍服、ラマール領邦軍の色。銀の色に映える紫水晶のような瞳が私を見て、執事の方へ手で合図をしてからこちらの方へ。こつりこつりとヒールの音がやけに耳鳴りのように感じる。蛇に睨まれた蛙というのはこんな寒気がするのかもしれない。
「如何なさいましたか、お嬢様。そのような格好で」
中世の騎士のように恭しくその方は私に問うた。これは、たぶん、勘違いされているけれど、それを訂正する前に部屋の中のものをどうにかしたいという一心が勝ってしまった。
「あ、の、部屋の中に不審者が」
私の言葉を受けて即座に眼差しを鋭くしたその方は、失礼、と短く発して部屋の中に入り、執事の方と一緒に私もその後を追う……までもなく、部屋の入口で薄紫のマントが立ち止まっている。
「……これは貴女が?」
気を失いパイル生地の猿轡を噛まされている男を見下ろして言葉が投げられた。
「はい。咄嗟のことだったので手加減が出来ず」
「いえ、この状態を見れば生きているということそのものが手加減でしょう」
膝をついて男の様子を確認したその方はひとつ頷き立ち上がる。こうしてある程度落ち着いた状態で対峙すると背の高い方だとわかる。もしかしたらアンよりも。
「ああ、そういえば名乗っておりませんでしたね。私はオーレリア・ルグィンと申します」
オーレリア、ルグィン。名前が耳に届き、さぁっと血の気が引くのが分かった。ああ、どうしようもないほど身体が、心臓が、震え上がるに決まっている。トールズにいて、剣を選択して、その名を知らない人間はいない。
帝国の武門の双璧を誇ると謳われるヴァンダール流ならびにアルゼイド流の両方から免許皆伝を受けており、個人の武力だけを考えたら帝国最強とも噂される方じゃないか!
「────ルグィン閣下、丁寧なご挨拶痛み入ります。私はセリ・ローランドと申す者で、先程はお伝えし損なってしまいましたが、家格を持たない平民でございますれば」
本来であればルグィン伯爵閣下とお呼びするべきだけれど、爵位を自分から名乗っていない方に告げるのは不敬に当たるだろう。しかし、貴族である貴方に、そして何よりも武人の頂点の一人である貴方に、騎士のように振る舞ってもらえる理由はない。
「そうは言っても、貴女はいま、パンタグリュエルに乗艦し歓待されている御客人に変わりはないでしょう。蒼の騎士殿が大切にされている女性ともなればそれだけで我らにとっては十分です」
蒼の騎士の女。やはりそれはずっと、ここにいる限り永遠について回るのだろう。
「が、それ以上に、侵入者に対して的確な処置を施した貴女の行動と、それを研鑽し続けた努力に対し私は敬意を評しましょう」
思いもよらなかった言葉をかけられ、声は出さずとも驚いてしまった。感情の変動を隠しきれなかったことを当たり前のように見通してか、ルグィン伯爵閣下はゆるく笑う。
「トールズの後輩がこうして逞しく育ってくれているのは、私にとっても嬉しいことだ」
崩した言葉でそう告げられた。どくりと心臓が跳ねる。どうして私が後輩だと分かったのか、それはこの方の洞察力を持ってすれば何てことないことなんだろう。そう思わせてくれるほどの実力者であることは、肌できりきりと感じ取れる。
「さて、この男は私が回収しても?」
「はい、お願いしてしまってもよろしいでしょうか」
特に苦も無くルグィン伯爵閣下は男を肩に担ぎ、立ち上がると共にテーブル上の銃を持ち、待機されていた執事の方と共に退室の体勢を取った。けれど出ていく直前、ぴたりと止まり振り向いてくる。
「そういえば、その足の鎖。意思にそぐわないものであるのなら私が斬っても構わないが」
足の鎖。それは確かに指摘をしたくなるほどこの場に不釣り合いなものだろう。綺麗なドレスを着ているのに、慌てていたとはいえ裸足で、鎖が取り付けられた輪が擦れ足首は赤くなってしまっている。何度この鎖に消えてほしいと思ったかもう数えきれない。だけど。
「お気遣いありがとうございます。ですがご心配には及びません」
これは、クロウと私の問題で、それを第三者に解除してもらおうとは思わない。
提案を突っぱねるという無礼な行為が、閣下を否定しているわけではないということを伝える為に丁寧に腰を折る。
「そうか。無粋なことを言った」
「いえ、お気持ちは嬉しいです」
では行こう、と去っていく二人を見送り、扉に鍵をかける。
流石に気力をかなり消耗してしまったのでクロウのリクエストなんか知るかとドレスを脱ぎ、寝巻きへ着替えてベッドへ倒れ込んだ。服を着替える理性と気力があったことを褒めて欲しいぐらいだ。
肌がけのシーツにごそごそとくるまり、意識を落とす。
────ああ、今の私って命を狙われる立場なんだなぁ。なんて。そんなことを考えながら。
と、眠ろうとしてはみたものの結局安眠は出来ず、ヒエリアさんの気配でですら起きてしまったのでそのまま、クロウが帰ってくるまで待つことにした。
夕食の前にヒエリアさんと貴賓区画前にいるらしい警備の隊長の方が謝罪に来て下さったけれど、侵入した男が誰の手の者なのか、というのは教えてもらえなかった。とはいえ、この段階で貴族連合軍の重要人物である蒼の騎士……が囲う女を殺そうとするというのなら、間違いなく反対一派の者であることは明白だ。そして貴族派と対立するのであれば自ずとその立場は明らかになる。だけど証拠など出やしないだろう。
殺せたら万々歳だが殺せなくとも、こちらはそういう情報を持っているぞ、という牽制になる。それは蒼の騎士、ひいては騎神の動きが鈍くなるという遅効性の毒を混入させられたも同然だ。私の安否を気にしないではいられないよう。そういう意味で私はどんな立場であっても餌で、弱点で、何も出来やしないお荷物だ。
そんな自分に嫌気がさしながら月光だけの部屋の中でベッドの上で膝を抱え、顎を置く。
「ルグィン伯爵、格好良かったなぁ……」
大の男をあんな軽々と持ち上げ、颯爽と去っていった背中を思い出す。確か二つ名は、黄金の羅刹だったか。あれほど高貴な雰囲気を纏わせているのだから納得というものだ。
そして、目の前にしてありありと分かった。例えこれからずっと鍛え続けても私はあの域には達せまい。もちろん戦場での在り方がまるで違う。私はどちらかといえば正面から斬り結ぶのではなく、長引かせたり、あるいは不意をついて戦う。けれどルグィン伯爵はそういった手合いすらも真正面から斬り伏せていくのだろうという、そういう豪胆さがはっきりと見て取れた。
かといって貴族社会であの地位を保っているということは腹芸といったことが不得意ということもなかろう。うつくしく、つよく、芯のある方だった。
「まぁ、でも、閣下のように強くはなれなくても、歩みを止める理由にはならないか」
私は、私が求めるカタチを探りながら、それを実現させるために歩いていかなければならない。そのカタチは今よりもずっと、クロウと訣別をする可能性も含んでいる。だとしてもそれを選ばなければいけない日というのは来るかもしれないと。そう。
……本来であれば今もそうなのだろうけれど。
ため息を吐いたところで貴賓区画へ走って入ってくるよく知った気配。それに笑いながらベッドから降りて扉の前へ。がちゃがちゃと慌てたように解錠され、開いた扉の先には廊下の明るい光と、私の愛しい人。
「おかえり」
両腕をゆるく広げて出迎えれば、ぐしゃりとした表情でクロウは私を抱き竦めてきた。押し付けられた胸板から、コートやベルト越しだというのに多少走っている心臓の音が聞こえてくる。心配してたんだなぁ。
「……何にもされてねえって報告は受けてるけどよ、ほんとか?」
「うん。私でも対処可能なレベルだったし」
そっと離れて、棚からグラスを二つ。冷蔵庫から水差しを一つ。それらを持ってソファに座り、それぞれに水を注いでソファの隣を叩いた。座った相手にグラスを一つ渡すと一息で飲み干したので更に注ぐ。まぁ水でも飲んで落ち着いて欲しいし私は今でも生きているのでそんなに心配しないでもらいたい。『自分がここに縛り付けている』という意識がある限り無理だろうけれど。
「落ち着いた?」
「……ん」
私もグラスに口をつけて喉を潤したところでクロウは立ち上がり、ウイスキー瓶やらマドラーやら別のグラスやらを持ってきて、お酒を水で割りながら混ぜていく。叔父さんも似たような飲み方だったな。
「お酒好きだねえ」
「お前も飲んでみるか?」
渡されたグラスを思わず受け取ってしまい、すん、と嗅ぐ。懐かしい木の香りがしたような気がした。樫の木かな。そういえば叔父さんが昔、ウイスキーは樽で熟成させるし、その樽を作るためにうちの木を買い付ける業者もいるんだ、と酔っ払いながら話していたことがあったっけか。そう思うとちょっと愛おしくなる。
うん、と頷いてクロウにグラスを返した。
「受け取ったのに飲まねえんかよ」
「いやだって未成年だし。一緒に飲みたいなら来年まで待っててよ」
「一歳くらい誤差だろ」
と言っても無理強いする気はないようで、そのままグラスはクロウの口元へ。私も水のグラスを再度手にし、そういえば、と前々から気になっていたことを訊いてみることにした。
「前から気になっていたんだけど、クロウは成人してるの?」
「……あー、ま、一応な。ギリ成人してっから酒飲んでて悪いワケじゃねえよ」
「そうなんだ」
じゃあいいか。さすがに未成年だと言っていたら取り上げていたかもしれないけど、それなら本人の嗜好品として置いておこう。真実どうだかはわからないけれど、信じてもいいという気分になっている。……あれだけ手酷く裏切られたっていうのに笑うしかない。まぁわりとどうでもいい情報だからというのもある。
こつん、とクロウの肩に頭を預けると、隣からもいつものように返ってくる。
それでも、この温度を、重さを、暗闇に溶けるような愛しさを、手放したくないと誰よりも私自身が思ってしまったのだ。きっとこのままではいられないとわかっているけれど、傍にいたい。それを他でもない君が望んで、許してくれたから。
「そういえば、ルグィン伯爵に会ったよ。いや会ったというか、助けて貰った、かな」
「あー、お前好きそうだよなああいう強い女」
「……別にそこまでは言っていないのだけれど」
もちろん、クロウの指摘通り現状はかなり好意的に見てしまっているのでこれは照れ隠しだ。
「俺はちっと苦手だな。何もかんも見透かされそうでよ」
言わんとしていることはなんかわかる気がした。あの切れ長の眼差しは、鋭い洞察力は、目の前にした存在のすべてを丸裸にしかねない畏怖がある。そして丸裸にされたその先で、あの方が振るう大剣によって一刀両断されそうな。いっそ、そうされたいという破滅願望を相手に持たせることすらありそうな凛とした立ち姿だった。
「そうだね。でもそこまで含めて、あれだけ強く在れる方はそうそういないと思うよ」
この一ヶ月、私はARCUSを起動して魔獣と戦うことはおろか、武器を握ることすらまともに出来ていない。筋トレだって続けてはいるけれど運動に適した場所ではないのは確かで、日に日に鈍っていっている焦燥感がまとわりついている。もしこの戦いが長引いて、半年も続いたらいろいろなことを忘れていそうだ。強くなりたいのに、強くはなれない。
クロウはそんな私を求めているのだろうか。そうではないと思いたいけれど。
「セリ」
思考の淵に立ち尽くしていたところに名前を呼ばれて顔を上げると、手からグラスを抜かれ、顎を掬い上げられたと思ったら唇を重ねられた。なぞるような舌に身体が反応して、薄く開けた場所からぬるりと自分以外が入ってくる。さっき嗅いだお酒の匂いを纏った舌は普段と違って、すこしだけくらくらする。
押し込まれる身体を支えるように背中へ手を回したら、いつの間にかソファに寝転がされて。するりとショートパンツの裾から手が入ってきて、思わず胸板を押す。
「ここ、で?」
「……悪かねえと思うんだが」
高級なソファの上で、性行為。汚れでもつけたら頭を抱えるしかないから嫌だと首を横に振ったら、諦めてくれたのかクロウは身体を起こして、代わりにぐいっと横抱きに持ち上げられる。あ、やっぱりやめるっていう選択肢はないですよね。わかってた。
寝台の足側に纏められたシーツを一瞥もせず、ぽすん、と上に寝転がされ、クロウが覆い被さってくる。ふわふわとした銀髪が月に照らされて綺麗だ。私たちが肌を重ねるのは大体昼間だったり、そうでなくても小さな窓しかない寮だったから何だか新鮮な気がする。
「……いいか?」
スキンの箱を見せて来ながらちゃんと確認してくれるのが何だか可愛くて、嬉しくて、少しだけ笑った私は、いいよ、とその背中に腕を回してキスをした。