1204/12/13(月) Side:Rean
クロウの過去を聞かせてもらって、どうしてアイツがあれほどまでにオズボーン宰相を狙ったのか、ある程度は理解した。悪だと思って断じたわけじゃなく、ただひたすらに『自分が何を為したいのか』を突き詰めた結果なんだと。
呼吸を整えて、思考を纏める。ユミルの里にみんなを置いてきてしまったけれど、絶対に、どうあっても帰ると言ったからにはなるべく情報を集めて帰るべきだ。
客人として見張りがついていないなら、俺が艦内をうろつくことも想定内なんだろう。気を巡らせて辺りの様子を探ると各部屋に人の気配があるし、ひとまず隣の部屋から始めることにした。
部屋を出て右隣の部屋にノックをすると、入って来て頂いて大丈夫ですよ、とどこか聞いたことのあるような声が返ってくる。まさかと扉を開けた先には、蒼いドレスを身に纏った────セリ先輩が微笑みと共に立っていた。
「せん、ぱい」
先輩は近くにいたメイドさんに視線をやり、その人は俺を中央のソファに案内し、お茶の用意をしてから静かに部屋を出て行った。湯気の立つ紅茶に、綺麗なお茶請けの焼き菓子たち。それを挟んだ対面に先輩が優雅な所作で座り、しん、と沈黙が落ちる。何を言えばいいのか。どうしてこんなところにいるのか。何で、そんなものが裾から覗いているのか。
「久しぶり、リィンくん」
かけられた声に顔をあげると、たった一ヶ月半ほど前にも見た顔だって言うのにどこか印象の違う先輩が俺を見て、しかし明らかにほっとした表情を浮かべていた。
「見たところ身体的な問題はなさそうで良かった。心配だったから」
「はい。その、先輩、も、お元気そうで……」
パンタグリュエルの貴賓区画にこうして待遇の良い形で滞在しているっていうことは、つまりそういうことなのかと疑問が駆け巡る。
「リィンくんが持ってる疑問に、私は答えられる限りを尽くそうと思っているよ」
静かな声。まるで俺がここに来ていることを知っていたかのような。いや、どんな疑問を持つのかも理解されているかのような。それでいて、自分の疑問をきちんと言葉に出すことを求められている。それは俺が知っている先輩の姿とはっきり重なった。
「……じゃあ、まず、先輩も貴族連合軍の一人なんですか?」
「私自身は連合軍の人間ではないね。なるほど、まずはそこから話そうか」
鷹揚に頷いた先輩は、あの演説の日から今に至るまでを簡単に説明してくれた。
連合軍に学院が占拠される可能性を踏まえ、トワ会長とジョルジュ部長を学院から脱出させて自分は内外の手引き者として残留を選択したこと。そうして連合軍からの指示に従いながら学院の運営に携わる生徒会へこっそりと裏から関わっていたこと。その折にクロウが蒼の騎神で迎えに来たこと。そしてそれが学院の自由と引き換えだったということも。
「そんなの……まるで人質じゃないですか」
「というわりにはこんな贅沢させてもらってるから、そう言っていいものかどうかだけど」
あは、と笑う先輩の足元で、しゃらりと金属が擦れる音が鳴った。さっき見えたものは見間違いじゃなかったってことだと、理解が思考を殴ってくる。ぐ、と両手を握って先輩に視線を繋げると、柔和な瞳が俺の言葉の先を促した。
「人質じゃないって、言っても、じゃあ、足元のそれは何なんですか」
ドレスの裾から覗く鈍い色の鎖。ある程度の長さが見てとれはしたけれど、最終的に脚が固定された中央のテーブルへと繋がっているそれは、どう考えたって先輩の行動を縛るものでしかない。そして、クロウが先輩をここに連れてきたなら、それは。
「あぁ、うん、鎖だね。私、この部屋から出られないんだ」
当たり前のように言う。あんなに……あんなに自分の考えでいろいろ俺たちを助けてくれていた先輩が、諦めたようにそう笑うものだから、俺はどんな風に何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
「……それって、やっぱり、クロウが」
「そう。クロウがここに私を留め置いてる」
「そんな……」
クロウがセリ先輩を本当に好きで、大切にしているなんてVII組の中でもそれなりに話題にされていて、惚気を聞かせろとたまに囃し立てられて恥ずかしそうにしていた姿だって見てきた。それが、あの想いが、こんなところでこんな形に終着するものなのか。
「でもね、最終的には私が選んだことだよ」
少し冷めてしまっただろうティーカップにミルクを注いで、先輩がこくりと口をつける。
「クロウが何をしたのか、何をしているのか、何をしようと考えているのか、はっきりとは聞いていないけれど、ある程度は理解している……つもり。その上で私はクロウを今でも愛しているし、クロウもたぶん同じように。少なくとも、そう言ってはくれている」
言葉を綴っていく先輩は、きっとクロウの過去を知ってるんだと思った。それを前提として、クロウの傍にいることを選んだ。同情でも憐れみでもなく、ただ深い愛情のもとに。
「だからこれは私たちの問題であって、君が背負うものでは全くないんだ。でも心配してくれてありがとう」
「……先輩は、このままでいいんですか?」
だけどこんなの、健全とは言い難い関係じゃないか。学院の自治を交換条件に自分の身を捧げて、衣食の不自由はないかもしれないけれど、あんなに活動的だった先輩が広いとはいえたった一つの部屋に留められて。そんな。
「リィンくん」
名前を呼ばれていつの間にか下がっていた視線を上げると、ピシッと背筋を伸ばし、真っ直ぐな視線で、いつも通りの先輩の姿がそこにはあった。
「別にこのままでいいとは一言も言っていないよ。ただ私たちの問題だってだけで」
そうして先輩は困った風に笑った。
「灰の騎神の乗り手としてこんなところに連れてこられて、協力しろと言われている君に、これ以上考えることを増やしたくないんだよ。そのことだけは分かって欲しい」
「それ、は……」
確かにVII組のみんなと合流は出来て、革新派でも貴族派でもない第三の道を探って行きたいと話はしたけれど、個人個人に成したいことや身内の心配もある。結局これからどうしていくのか、どうしていったらこの内戦を終わらせられるのか、それらを叶えるための道筋すらもまだ具体的なことは何も話せていないままだ。
話し合いの最中にパンタグリュエルが来てしまったから。
「まずは自分たちのことをしっかり考えてね。緊急性の低い気遣いは二の次にするべきだよ」
マキアスが言っていたように、セリ先輩はかなりはっきりと物を言う。「君の刀のようにばっさりと斬られたよ」といつの日だったか笑って話していた。
今のこれがそれなんだろうと実感を伴って理解させられる。
「そうだ、もしリィンくんが隠れてこの区画から出たいと思った時用に教えておくね」
言いながら先輩は立ち上がり、小さな指先で招かれるままに部屋の奥へと進んでいくと、人一人が通れそうな通気口があった。
「方向、角度、聞こえてくる音からして貴賓区画からは確実に出られるルートだと思う。でもリィンくんは客人扱いだろうし、正面から出ていくのを止められることはないか」
「……いえ、脱出するなら俺たちが相手になるって、クロウに真正面から言われました」
「それは……困ったものだねえ」
先輩も、今この艦に残っている面々がどれほどの逸材なのか理解しているようで、どうしたものだか、といった風に眉尻を下げる。でもそれこそ、先輩の言葉を借りるなら俺の問題だ。数々の強敵だとしても……たとえ、あの力を解放せざるを得なかったとしても、貴族連合軍に協力することは出来ないと決めたならやり遂げるしかない。
席に戻って淹れられていた紅茶を飲むと、強張っていたどこかが緩んでいくのが分かった。紅茶を飲む余裕もないほどに混乱していたのかと改めて理解する。いやでも知ってる人が鎖で繋がれていたら混乱もするだろう。
「おそらく困る時間もない気もしますが、これから他にもいろいろと話を聞いてみます」
「うん、それがいいと思う。私に出来ることは少ないけれど、何かあれば協力させてね」
「ありがとうございます」
カップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がり、扉の方へ。見送ってくれる先輩に続いて鎖の音はしゃらりしゃらりと絶え間なく続いてくる。
「先輩」
「どうかした?」
ドアノブに手をかけたところで振り向いて、真っ直ぐとその姿を見据えて俺は口を開いた。蒼いドレスに身を包み、鎖に繋がれて、貴族連合軍旗艦にいるこの現状。それは、俺に口が出せるものではないのかもしれない。クロウとセリ先輩の間でしか解決出来ないものだっていうのは確かにそうなんだろう。
だけど。部外者が口を出さないといけないことだってきっとある。
「お節介と言われるかもしれませんが、それでも、俺は先輩とクロウを諦めたくはないです」
「……リィンくんらしいね。じゃあ、余裕があった時にでも気にしておいて」
呆れられたかもしれないけれど、やっぱり俺は、後顧の憂いなく仲睦まじく寄り添える日々が二人の未来にあって欲しいと、そう願ってしまうんだ。大切な人たちだから。
リィンくんが部屋を去り、張り詰めていた緊張がほどけ、深く息を吐くと共にソファへ座り肘置きにもたれかかる。本当はベッドに倒れ込みたいぐらいだったけれど、ドレスを借りている身としては変な皺をつけるわけにはいかないと、こんな時でも辛うじての理性が働いた。
私とクロウの関係性をどうにかしたいと言ってくれた彼の言葉はあまりにも真っ直ぐで、眩しすぎた。そして、リィンくんなら本当にどうにか出来てしまうかもしれない、だけどどうにかなんてしないで欲しいと、そう考えてしまう自分が嫌だった。
だって、この鎖はクロウが私を欲してくれた証のようなもので、同時に生命線の役割を果たしている。確かにどれだけの不自由を強いられているのかなんて数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだけれど、だとしても、それはクロウと私の間だけで解決する話にしておきたいのだ。
仮にリィンくんの言葉でクロウがこの鎖に手をかけるのなら、私はそれを絶対に是とはしたくない。……面倒なヤツだなんて自分が一番よく分かってる。
後輩の、それも男の子に嫉妬するなんておかしな話だ。
しかし私は彼のような立場にはいられない。VII組のように、真正面に立つ資格も今はない。ただただ与えられる安穏としたこの環境にいたいと願う愚かな自分が、本当に、嫌になってしまう。
────それでも。あの乾いた愛しい人の傍にいたいと選択したことに、後悔はないから。
今の服装で出来ることなど限られているので軽い作業をして、リィンくんが置かれているこの状況から下で何が起きているのか逆算していこうと、それなりの時間を思考に耽っていたところで急ぎ足の気配がして席を立った。ヒエリアさんではないし、リィンくんともう一人、誰か。
何にせよこちらに向かってきているのが明白な足音なのでノックされる前に扉を開いた瞬間、リィンくんの後ろに美しい金色の髪の女性が見えた。
けれどそれを問うよりも前に、誰かに気付かれる前に早く中へ、と二人を中に招き入れ静かに扉を閉める。そして振り向いた部屋の中央にはリィンくんに寄り添う、長く美しい金色の髪を一房だけ赤いリボンでまとめ、緋色を白いフリルで縁取った可愛らしいドレスに、夏の空を思わせる透き通った青の瞳の女性。
────間違いない。帝国の至宝と謳われる、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下だ。
「すみません、先輩」
「いきなりごめんなさい」
「いえ、皇女殿下へのお手伝いが出来ると言うのであれば、帝国臣民としてこれほど嬉しいことはありません。このような形ではありますが、御目通りが叶い嬉しく思います」
蒼いドレスの裾を上げ、ヒールを履いた足を引き、膝をつく。ドレスを着用した淑女の礼ではないけれど、私はそういった存在ではそもそもなく、今でも心は士官学院生なのだ。すなわち、この国の君主とそこに連なる方々を間接的であれ護る者。
「それで、先輩」
「通気口だね。開けてあるよ」
「助かります!」
リィンくんから脱出が阻まれる可能性がある、と聞いていたのでもし必要となったら一瞬のロスもしたくないだろう、とあらかじめ開けておいたし、ヒエリアさんも部屋に近付かないよう言い含めておいた。役に立ってよかったと心の中で頷く。
とはいえまさかリィンくんがこのような尊い方を連れてくるとは露ほども考えていなかったので、驚いたかといえば大層驚きはしたけれど。
そして二人を通気口のところまで案内し、ああそうだ、と内心一人呟いた。
「リィンくん、出来れば伝言だけ頼まれてくれないかな」
「はい、何でしょうか」
「もしトワかジョルジュに出会えたら、『約束守れなくてごめん』って。それだけで伝わる筈だから」
私は学院の内と外を繋ぐためにあそこへ残ったし、脱出を促した二人もそのことの重要性を理解してくれたから私を残していってくれた。不可抗力だったとはいえ自分の仕事を途中放棄したことには違いない。一応ロシュに道具と情報は残していたけれど、身の安全を最優先に、とも告げておいた。だから今あそこがどうなっているのか私にはまるでわからない。
パトリックくんとセレスタンさんが残っているのならおかしなことにはなっていないだろうという信頼は多分にあるけれど。
「わかりました、必ず伝えます」
タイミングが合えばでいいからそんなに気張りすぎないで欲しいな、と思ったけど、でもそれを言うのも酷な話か、と飲み込んだ。気を張っていなければこんなところで、このような方を連れて脱出だなんて出来ようもないだろうから。
「みんなによろしく、リィンくん。そして、ご無事をお祈りしております、アルフィン殿下」
「ええ……あなたにも女神の加護がありますように」
「もったいないお言葉です」
私の足元を見てか、殿下が痛ましい表情で手を組みそう言葉を告げてくださった。必要があればリィンくんが説明をしてくれるだろう。
そんなやりとりをした後、通気口へ潜り込む二人を見送り、私は暫くその場で女神さまへ祈ることにした。どうかこの高度3000アージュの絶空の世界で、彼らへ助けが差し伸べられますように、と。
そして願いは無事聞き届けられたのか、九月の学院の空に見たあの紅き高速巡洋艦がパンタグリュエルに並航する形で現れ出でたのだ。そして一瞬だけ見えた艦橋の奥に、彼らの姿もあった。どうして皇族専用艦のそんな場所にいるのか、問いたくもあったけれど今の私にそれは叶わない。
だから、今はただ無事を喜ぼう。あとはアンも健やかでいてくれるといいのだけれど、こんな状況で大人しくしている筈もないか、と思わず苦笑をこぼしてしまった。
ま、それも信頼の証の一つということで。