1204/12/17(金)
「セリちゃん、ちょっと部屋から出てお茶してみない?」
私の足首から鎖が消えたことを(もしかしたら当の本人よりも)喜んでくれたスカーレットさんからお茶会に誘われたのは、一時間ほど前のことだった。
ドレスを選び、靴を選び、ヘアアレンジまでされてしまい、何でこんなことにと思う暇もなく、あれよあれよとラウンジの一角で美味しそうな焼き菓子や摘めるサイズのサンドイッチなどと対面しているのが現在だ。
「それにしても、本当に良かった」
しみじみとスカーレットさんが言うので、見ず知らず且つ一応敵だと断言した私に対してそこまで心配してしまうほどあの状況は異質だったんだな、とぼんやり紅茶に口をつけながら思考する。……そう、敵では、あるのだけれど。どうもそういうことを感じさせないというか、気にしていない風情で少し混乱してしまう。
とはいえ相手がそういう対応をしてこないなら持てない敵愾心なんてその程度のものだし、同陣営ではないからといって場所問わず噛み付くと言うのはよろしくない。それに裏の世界には敵であってもお茶をするというなんかそういう作法があったりする可能性だってある。世界とは不思議なものなので。
「一ヶ月以上つけていたので、ないとちょっと不思議な気がしますけどね」
「ない方が圧倒的に長かったんだから、すぐまた慣れるわよ」
それもそうだ。
爪に見慣れない色が乗った指で小さなサンドイッチを口に運び首の動きで同意する。
「そういえば昨日からランニングしてるって聞いたんだけど」
「ああ、甲板でですね。何せ鈍りに鈍ってしまったので。どこかの誰かさんのおかげで」
いくら部屋としては大きいと言っても運動が出来るほどではない。毎日これから100から150セルジュほど走らないと失った体力は戻ってこないだろう。それもいつまで続けることになるのかはわからない話だけれども。
何だかちょっと監視されている雰囲気もありはするけれど、特に実害はないので仕方ないかと諦めている。慣れてきたら許可を取って剣を振るのもアリかもしれない。
「それでも、ここに残ったのね」
「はい。脅されたとか、懇願されたとか、そんなこと一切なく、徹頭徹尾私の意志で」
リィンくんへの対抗意識がないとは言わないけれど、それだって私の中にある感情だ。クロウはことあるごとに私を置いていこうとするけれど、もう諦めて欲しい。君が好きになった相手はしつこい人間なんだってことを。
もちろんクロウがこの恋人関係を継続したくない、というのであれば悲しくはあるけれど解消するつもりはきちんとある。だけどそうじゃない。そうではないのだ。それぐらい、人の感情に疎い私にだって分かってしまう。
私は君の愛情を疑わないのだから君も私の愛情を疑わないで欲しいのに。でも親しい人が亡くなって、すべてを断ち切ってこんなところまで来てしまったから、新しく出来てしまったそういう立場の存在をどう扱っていいのか困っているというのもうっすら伝わってくる。だからもうこれは言い続けるしかないんだ。
「スカーレットさん」
「どうかした?」
深い湖面のような瞳を真っ直ぐに見ると、ゆっくり微笑まれる。穏やかな表情。帝国解放戦線に入る前は、こんな表情でいつもいたのかもしれないと、そう思わされた。そしてそんな人の人生を全て塗りつぶして行ったのがあの鉄血宰相なのだろうと。
私を案じてくれるのも、きっとスカーレットさんにとっては『当たり前のこと』なんだろう。私が敵だと言ってもこうして顔を見に来てくれる。クロウの女だからというよりは、私個人を気にしてくれているような風情があって。やっぱりやさしい方なのだと思う。
「その、ずっと心配してくれてありがとうございます。クロウのことは……今でもいろいろ考えますけど、とりあえず対話するところから始めようって話せて、こんな感じです」
ゆるく組んだ両の手の甲を見せて笑う。そこに見える私の爪は蒼──海都のような、あの騎神のような色で飾られていた。クロウが一昨日丁寧に塗ってくれたものだ。お前のここに俺の色をずっと塗りたかったって、そう告白されてしまって、暫くぶりに素直に照れてしまった。
「……前にね、リーダーに苦言を呈したのよ。『あんな子をこんなところに連れてきて、遊びにしては趣味が悪いわよ』って」
遊びかどうかはともかく、趣味が悪いというのは同意せざるを得ない話だ。
一方的に裏切りを押し付けて関係を解消した恋人を、これまた一方的な交換条件で引き取りに来て、それどころか鎖で自室に繋ぐという。仮にクロウが貴族だったら恋人を鳥籠に入れたがる趣味があるのでは、と懸念が発生してしまうからそういう地位がある人間じゃなくて良かったと不謹慎ながら思ってしまうほどで。
「そしたらなんて言ったと思う? 『本気だから連れてきてんだよ』ですって」
「……本気だからってしていい仕打ちだとは思いませんけどね」
「フフ、それは確かに。でも、貴方の居場所を聞いて、どうしようもなくなって、正気じゃなくなるくらい、本当に好きなんだなって。さすがにお手上げしちゃったわ」
クロウが私のことを好きでいてくれているなんて、今はわかって、いる、けれど。それはそれとして他の人からそういう話を聞くと際限なく照れてしまう。
「あたしが会った時は確か16か17で……その頃から妙な迫力があったものだけど、貴方のおかげで年相応なところを見られたというか。ああ、人を好きになることが出来るんだ、ってね」
つまり。スカーレットさんは、組織のリーダーとしてクロウを認めていたと同時に、もしかしたら、弟のようなものだと思っていたのかも知れない。だってあれだけ綺麗にネイルをしている人が頼まれたからといって、リーダーだからといって、自分の爪に触ることを許すというのはなんだか不自然だ。
私だって最低限ではあるけれど自分で施すからわかる。自分の命を預ける指先を他人に預けることの意味を。
「スカーレットさんって、クロウのことを大切に思っているんですね」
私が思わずそう口に出すと暫しの沈黙の後に、よくもそうハッキリと、なんて呆れたように笑われてしまった。
「ま、大切かどうかは一旦置いておくにしても、目的を達成した後でも真面目なリーダーの不器用な矜持に付き合おうと思う程度には、それなりにね」
目的。鉄血宰相の殺害。言葉からしてあの日を境に大多数が脱退したのだろうけれど、それでも残ることを選択したということで。それはやっぱり、そこに至るまでの情を築くほど近しい間柄だったと言うことなんじゃないかな。あまり人の感情を推し量って押し付けるのはよくないけれど。
「……そういえば、その、気になったんですけど」
「うん?」
「16の時のクロウってどんな風でした?」
少し声を潜めて問いかけたら、一瞬真顔になったスカーレットさんは次の瞬間肩を震わせて思い切り笑い始めてしまった。そんな変なこと言ったかなあ!
「いえ、そうね、気になるわよね」
「……言えないようなことでしたら、別に」
「ああ違うのそう言う意味じゃなくて。うん、出会った頃のリーダーね、一言で言えばやさぐれてたわよ」
やさぐれ。私が知っているような平和な不良学生という側面じゃなくて、本当に、裏の世界的な意味でのことだとはさすがに理解した。
「まぁ16でパトロンを手に入れて帝国解放戦線を立ち上げるような精神状態だもの。決して健全と言えるものじゃないわ。それでもあたしたちはその熱に魅せられてここまで走ってきた。年下の、男の子とも言える子を頭に据えてね。そのことに後悔はないのだけれど」
クロウの周りには人が集まる。それは学院で生活をしていれば自ずと見えてくるものではあったけれど、どうやら昔から人たらしの素養があったようだ。
「どう? 怖くなった?」
「……怖くないって言ったら、たぶん嘘になります。でも、クロウが歩いてきた道に血溜まりがあるとわかっていても、私は向き合いたいと願ってここにいますから」
何度遠ざけられても、クロウの心に私が有ってくれるのならそれに応えたい。出来れば都合の良い存在としてではなく、対等な立場の人間として。
「それならあたしから言えることは何もないわね」
そう言ってくれたスカーレットさんと二人で笑いながら、平和なお茶会はクロウを話題にしつついろいろなところへと及んでいった。
「────」
「セリちゃん?」
そんな平和な会話の中に、不意に誰かの気配が引っかかる。顔を上げたところで死角になっている通用口の壁際から金の髪に翠耀石の瞳を持つ貴人──ルーファス・アルバレア公子が出てきた。
その姿を確認した瞬間、思わず立ち上がって両腕を腰の後ろに回し気をつけをして、しまった。私の行動に驚いたのかスカーレットさんが私と公子を見比べている。どうしよう。癖って怖い。
「おや、ローランド君。息災なようで何より」
「ルーファス理事……いえ、ルーファス閣下もご壮健そうで何よりです」
「理事でも構わないよ。君はトールズの生徒であるのだし、私もまたそれに変わりはない」
「そう、ですか」
楽にしてくれたまえ、といった手振りをされたので、少し体勢を改め真っ直ぐと見る。しかし考えてみればアルバレア公爵家は四大名門筆頭とも言えるわけで、この船に乗ってきても全くおかしなことではない。
「あの、その節はいろいろとご配慮いただきありがとうございました」
去年あった例の猟兵崩れの事件に関して、あれ以来顔を合わせることもなかったから言えていなかったけれど、時間もあるのか無視もされなかったのでちょうど良いと腰を折る。助けられたというのは確かだから。
「いやいや、私の方こそ、あれはいい話だった」
「ご謙遜を。わたくしなどいなくても、どうとでもなりましたでしょう」
「それでも、だよ。士官学院生の育ちを見るのは興味深く、楽しくもあるものだからね。これは本当のことだよ」
「では、その言葉はありがたく受け取らせて頂きます」
これほど立場のある人であれば私の記事を私の意向など関係なくどうにでも出来たろうというのは確かだし、領邦軍に引き渡した猟兵崩れをどうしたのかという話も結末を例の特別実習で知ってしまった。
それでも私のことを(ある程度意識操作が入っていたとはさすがにわかっているけれど)尊重してくれたという事実はある。
「フフ、それにしても彼と君が恋人同士だったとは。世界とは面白い」
「……そうでしょうか?」
その言葉が何か変だな、と思ったところで、そうか学院への手引きをしたのはこの方なのか、と合点が行ってしまった。もちろん、裏口入学といったことではないだろうけれど、学院長などに気付かれないよう何重にもくるんだ便宜を図ったのだろうということは想像に難くない。
学院という狭い狭い世界において、上層部に協力者がいないとどうして思えたのだろうか。そしてこの方は、クロウが"そう"であることをもちろん知っていた。
生徒個人のパーソナリティに興味がなく、人間関係の移り変わりを知らなかったというのは本当なのだろうけれど。
「時に、進路の方は考えているのかな」
いきなり話が飛んだせいで、へ、と間抜けな声が出た。
「卒業後のことについてだよ」
「……いえ、その、まさかこんな場で進路の心配をされるとは思いませんでした」
反政府組織と繋がっていた貴族連合軍旗艦パンタグリュエルの貴賓区画の片隅で、公爵家長男次期当主筆頭という重鎮ともあろうお方に、平民である自分の進路を訊かれるだなんて予想を誰が出来るだろうか。少なくとも自分は出来なかった。
「そうかね。例えば君なら帝国時報からお誘いがあってもおかしくはないと思うが」
「……」
まるで現状を見透かしたかのように言われたものだからそれが表情に出てしまったのか、ふふ、と笑われてしまった。
「ああ、もしそういうことがあるのであれば私から進言したわけではないよ。ただ君が行ったことを考えればそういう未来もあり得るだろうと」
順当な推測の結果だと言う。それはそうなんだろう。この方が私を帝国時報に推薦する理由は欠片たりとも見当たらないし、それに公爵家の進言があってのオファーなら私に選択肢があるような勧誘にはなる筈もなく。
「……わからないのです。自分が、何を為せるのか。何を為せば良いのか。為したいことはあるのですが、その為に帝国時報に入ることが必要なのかどうかも」
だから、思わず、そんなことを。まるで真っ当な進路相談のようなことを。
「為したいことがあったとしても、それに囚われ過ぎてしまえば自身に為せることを見失いかねない。君が今まで何と向き合って来たのか、よく考えるといい。無論、物事の良し悪しもね。────ああ、時間だ。では息災で」
ルーファス……理事は、そう会話を切り上げて階段を昇り、奥の部屋へと歩いていった。
想像以上にきちんと返答をもらえてしまい、混乱の極みの最中にいるところへ、とりあえず座ったら?、とスカーレットさんの声が聞こえてくるまで私はずっと立ち尽くしてしまった。