1204/12/19(日)
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「────っ」
「お、なかなかええ反応するやん」
いつものように甲板で走っていたら、死角から一閃。何とか避けたところで軽妙な言葉と共に革のジャケットを着て色硝子の眼鏡をかけた男性が出てきた。肩に担ぐは大型のブレードライフル。それをいとも簡単に片手で操りきる腕力と膂力がそれだけで理解させられてしまう。
「……西風の旅団」
「ほう、その名が出てくるか」
「フィーさんから少しだけ聞いたことがありまして」
ブレードライフルの方の横へまたも一人現れる。浅黒い肌に筋骨隆々のその方は特に武装はしていなかったけれど、こちらも只者じゃないことだけは理解した。そして二人の左胸元に刺繍されている碧い風切り鳥の紋章、かつて大陸北部で活躍していたという高位猟兵団の証。
会話をしながら跳躍し後ろへ下がりつつ、影を見失わないようしっかと視線は揺らさない。
「……それで、いきなりどういうつもりですか。甲板で運動している存在が目障りというわけでもないでしょう」
「ハハ、まあ、ちーっとばかし気になってな?」
言いながら好戦的に得物を振り回すその姿に私の肯定など必要ないことが分かったと同時に、猟兵団っていうのは頭がおかしい人ばかりなのかもしれないという気にもなってしまった。いや何だかんだやっぱりカタギの仕事ではないし当たり前かもしれないけれど。
「ではこちらは回避に専念させてもらいますが、それでよければ」
武器もない徒手空拳でブレードライフルに挑もうなんて気はさらさらないけれど、仮に武器を持ってきていたとしても砕かれていた可能性がよぎった。それはそれとして高位猟兵団の方が試合ってくれるなんてことそうそうないし機会が向こうから転がり込んで来たのであれば、きっと楽しんでおいた方がいい。
明らかに手加減されているとはいえ、それでも得物を振る鋭さは一級品だ。眼鏡のおかげで視線のフェイントをされることはないけれど黒い革のジャケットのおかげで筋肉の移動が見えづらくなっているから、それを見切って次の行動を定めていかないといけない。加えて殺気がない分、逆に避けるのが難しい。
私が必死に避けているというのに、この程度はお遊びということだ。ちくしょう!
「ようついてくるやん」
「どう考えても手加減中にそれ言いますか!」
「うん、せやから速度上げてこか」
「!」
藪をつついて蛇を出したかもしれない。いや、明言されなくても徐々に速くなっているのは分かっていたけれど、それでも改めて言うということは今までの比ではないってことだ。
汗を拭いながら体勢を整え、よろしくお願いします、と構えた自分は一体どんな顔をしていただろう。
「ん、まあこんなとこか」
「ありっ、あ、とう……ご、ざいま、す」
感謝の言葉すら満足に出せないほど体力を削り切られた。というか私がその時点の体力で全力を出した場合どの程度なら避けられるのかというのを全て見切られ、そのギリギリを延々と突いてこられた。だっていうのに相手は息一つ切らしていない。相手の力量を見極め、手加減をし続けるというのはそれこそ相当の労力が必要だと思うのだけど。……化け物すぎる。
「すまなかったな、うちのゼノが」
「セリ様、水とタオルをどうぞ」
いつの間にか来ていたらしいヒエリアさんが駆け寄ってきて、水の入ったグラスを差し出してくる。膝についていた震える手を叱咤して落とさないよう一気に呷った。運動後の水は最高。
「いやー、ちょっと前に騎神の手ェに乗ってお話してる嬢さん見てな。ええ脚しとるなって」
「……それで、いきなりこんなことを……?」
「オレらも若干時間空いてしもたし、まあ単に走っとるよりはええ時間になったんちゃう」
それは確かにそうだ。たとえ数十分だったとしても何倍も勉強させてもらった。それに現役の猟兵の方に、イケるイケるまだイケる、とチリつくような挑戦をさせられ続けたというのは自分の限界を知る意味でも大層良かったと言わざるを得ない。自分はまだあんなに動けるんだと。
「しかしお礼出来そうなものが何もないんですよねえ」
「別にこっちから構ったんやし別に気にせんでも……ああ、せや。フィーのこと知っとるなら聞かせてもらったり出来ひん?」
「え、ああ、その程度のことでしたら」
たしか西風の旅団は団長の死亡後、フィーさんを置いて離散し、一人になった彼女をサラ教官がトールズ士官学院へ迎えたと聞かされている。故にそういうことなのかと勝手に思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。少なくとも、フィーさんの名前を出すときに柔らかくなったのは事実だ。
「ふむ、であればラウンジの方に昼食を用意させよう。部屋に招いたとあらば蒼の騎士が駆け込んできてしまいそうだからな」
「あは、そうですね」
冗談だったかもしれないけれどクロウなら本当にやりかねない。
それなら取り敢えずシャワーを浴びて、ラウンジに出向いて、そうしてやっぱりまずは自己紹介からだろうか。
西部への出撃を終わらせ、なるべくここには帰ってくるようにしてるわけだが、今日は特に一人でいたくねえと夜中になろうと自室へ戻って来た。とはいえ案の定セリはもう寝てる時間だ。コートと手袋を脱ぎ捨て、バンダナも放って、適当にズボンも上も取っ払って、シャワー浴びるのもめんどいとベッドへ倒れ込んだ。
セリの方へ顔を向けると振動で睡眠が阻害されたからか眉間に皺が寄ってるのが見えて、思わず可愛いと笑っちまう。それが最後の引き金になったのか瞼が上がって視線がこっちに向いた。
「今日、黒竜関の方でゼリカが親父と機甲兵でやり合ったらしいぜ。タイマンで」
「……やっぱりアンがじっとしてるわけないよねえ」
ふにゃふにゃとしながら的確な言葉が返ってくるもんだから、そうだな、と同意する。トワもジョルジュもゼリカも、リィンもVII組の面々も、どいつもこいつも走ることを諦める道を知らねえ。そんな真っ直ぐな奴ら。
そんで、そんな奴らの前に、アイツは汚名を濯ぐと言わんばかりに立ちはだかった。
「……泣いてる?」
どうも変な顔をしちまったのかいきなりそんな言葉がかけられ、泣いてねえよ、と短く返す。
「そ。泣いてるなら胸貸してあげようと思ったけど要らないね」
「……泣いてる」
肌かけのシーツをめくり、有無を言わさずその胸に頭を預けた。すると引き離すこともなく、さらりさらりと髪の毛に指が通されていく。頬や腕で感じるやらかい身体。もしかしたら、しあわせなんてのはこんな形をしているのかも知れねえと錯覚しちまうほどに。
「どうしたのか訊いてもいいやつ?」
「……《V》が、ヴァルカンがな、今日死んだ」
「……帝国解放戦線の幹部の方だっけ」
「ああ」
セリと一緒にいる時に部屋に一回だけアイツが訪ねて来たことはあったが、衝立でお互い姿は見えなかった筈だ。その程度。そしてガレリア要塞急襲作戦の一人でもあった。だからか悼む言葉は落ちてこなかったが、それでよかった。
許せないことがあったとしても死を詰ることはしないヤツだって分かってるから。
「仲間が亡くなったとしても、降りることは考えていないよね」
「まぁな。それが始めた人間の責任ってもんだろ」
《V》の前に《G》だってその命を落としてる。今更この流れを止められるワケもねえ。それならその結末がどんな形になろうとも、俺は付き合うべきなんだ。
「……本当、クロウって案外と律儀だね」
ほんのちくりとした言葉に、すこし疑問がもたげた。今まで怖くて訊けなかったこと。それが頭を覗かせて、俺の胸を突いて出た。
「……なあ、俺がこうだって知って、ここまで着いてきて、お前は後悔してねえのか?」
頭を撫でる指先が止まり、ああやっぱり問いかけるべきじゃなかった、と悔いかけたところで小さな笑い声が落ちてくる。
「それがさ、びっくりするほどしてないの」
思った以上に明るい声で言われて、俺の方が驚いちまった。
「トワとジョルジュと行かなかった時、君の手を取った時、帰ってきた時、この選択を後悔するかもしれない、って考えないではなかったよ。その結果殴られはしたし、いろいろ他にも酷い目には遭ったけど、今ここでこうして君の傍で味方面出来てるのは嬉しいんだ」
「味方じゃなくて味方面かよ」
「うん。だって、味方にする気、ないでしょ。情報共有しない味方は敵だよ。だから仮初め」
朗らかに、何でもないかのようにお前はそんなことを言う。俺がこれからのことを何にも話しちゃいないって看破しつつ、それを責めもしない。ンなことを言わせるつもりなんてなかったってのに、だけど、そう言ってくれたことが嬉しくて、つよくつよく抱きしめる。
相反する感情で頭がごちゃごちゃになって、ああやっぱり俺はお前が好きなんだって、そんなことしかわからなかった。
「ま、そうは言ってもいつか本当に味方になれたらいいとは思っているよ」
ゆるく頭が撫でられて思考がとろりと溶かされそうになっていたところで、はっきりとその言葉が耳に届く。こんな男の味方になりたいって思ってくれてんのか。
「私は両親を亡くしはしたけれど、それでもとても平和に生きて来られた人間だと思う。だから君の人生の話は、私には最終的に理解は出来ないかもしれない」
「……」
「それでも私は君のこれからに関わっていきたいなって。迷惑かもしれないけれど」
「んなことは……」
そもそも、こんな状況に落とし込んでる奴が何を迷惑だというんだって話だ。たとえ迷惑だとしても受け入れろレベルのもんだと思うが。……いや、人間一人の人生の話をしてんだ。そういう妥協とか譲歩で話すもんじゃねえとコイツは考えてんだろう。真面目だから。
────碌でもねえ人生を歩んできた自覚はある。ガキの時分で故郷を捨てて、犯罪に手を染めながら生き長らえて、パトロンに出会って反政府組織を立ち上げて、大勢の人間を殺した。帝国の重鎮もこの手にかけた。どう考えたってマトモな終わりがある筈もない。たとえ貴族連合軍が国の中枢を掌握し、俺のしでかしたことが犯罪として認められず英雄として祭り上げられたとしても。
好いた女を裏切るとんでもねえ野郎だと自覚しながら告白して、それで大怪我するような羽目にも陥らせて、それでもたった一人──お前がそう望んでくれるなら。
「なあ、この戦が終わって、指輪贈ったら受け取ってくれるか」
「……贈るから結婚してくれとかじゃなくて確認からというのはあまりにも及び腰では」
ぐうの音も出ないほどの正論だ。しかも顔を隠しながら言うこっちゃねえかもしれない。だけどこわいんだ。散々な目に遭わせておいてどの面下げてだが。
しかしセリは、俺の頭をまるで自分の心臓の音を聴かせたいかのように強く抱き寄せた。とくんとくん、と生きた音がする。
「────君は、自分の行為に罪があると考えている?」
「……ないとは言わねえよ。大勢の人間の命を敵味方問わず奪ってきたのは確かで、そいつは帝国の貴族制が強固なものになったとしても消えるもんじゃない」
血の流れない革命なんて綺麗事を抜かすつもりは毛頭なかった。そもそも貴族連中が結果的に伝統再興の革命に仕立て上げようとしてるだけで俺自身にご大層なモンがあったわけじゃねえし、つまりは単なる私怨で、自分が計画したことで大勢の人間が死ぬことになるなんてことも分かった上で走り続けてここまで来たんだ。後悔がないことと罪があることは両立する。
「それに、トワを殺してたかもしれないのも事実だ。たとえ奪還面子にオレがいてもな」
こいつから、あいつらから、大切な人間を一人奪いかねなかった。目的のために見捨てた事実は歴然と今も俺の横にある。改めてそれを告げると、ふっ、と軽く笑う音が聞こえた。
「わかった。そこの見解が一致しているのなら、君のその言葉を受けようと思う」
「────」
まさか、この真面目が服着てるようなヤツが俺の提案を受け入れてくれるとは思っちゃなくて顔を見る。そこにはうっすらと笑みを浮かべたまま、俺の頭を撫でるそいつが。
「一緒に罪を雪ごう。戦争が終わって、もし離れることになっても、何年でも待ってるから」
お前に罪なんてないのに、お前が引き取るもんでもないのに、お前の時間を費やすほどのもんでもねえってのに、それでも、俺と一緒にいる選択をしてくれるっていうのか。
「私もね、君を愛してる」
今まで何度となく囁かれた言葉が、また響く。
嗚呼、どうしようもない。
1204/12/20(月) 早朝
不安定なクロウをゆっくり寝かしつけて、私も寝た筈だったのだけど、不意に目が覚めてしまった。カーテンの隙間から見える光は早朝のもので、たぶんまだ五時にもなっていない。
どうしようかな、と思いを巡らせたところで体を起こしてみる。随分と深い眠りに入っているのかクロウが起きる気配はなくて、ああそれなら、とベッドを抜け出し、服を多少着替えて、用意していたのに使われなかったシーツを一枚ストールがわりに肩へかけ、早朝のしじまの中へ歩き出した。
朝の甲板は思っていた以上に陽光を反射していて少し目に痛い。手でひさしを作りながら進んでいくと甲板の端に蒼い影。
「随分と早いな。眠れなかったのか?」
「そんな感じ。ごめん、眠ってた?」
私の気配に気が付いていたのか、驚いた風もなく尋ねられ素直に頷いた。
「休眠機能はあるが、今は霊力が足りている。完全な待機状態だが眠ってはいない」
「そっか」
軽い応酬をしながら足元の柵に背中を預けて座ろうとしたところで静かに手を差し出される。優しい方だな、と昨日……正確には一昨日のように腰を預け、小指に乗るような形で足を下ろしながら上を向いた。
肩から羽織り、足元へ落ち、オルディーネの指の間からこぼれるシーツが光を受けながら風に揺らされて綺麗だ。
「きっともうすぐ、大きなことが起こるんだ」
「クロウがそう言ったのか?」
「ううん。クロウは戦争について何にも話さないよ。表のことも、裏のことも。私に知らされるのは終わった後の出来事だけ」
「……それは」
言い淀むオルディーネがあまりにも人間らしくて、私は笑ってしまった。
「そう、きっと私を守るためだと思う。でもさ、ここまで巻き込んでおいてそれはないって気もするんだよ」
ただ守られたいがためだけにここにいるわけではないのに。きっとここにいつもの三人がいたらみんな、過保護にも程があるだろう、と呆れながら口を揃えて言ってくれる。それぐらい、クロウは私を大事にしすぎている。まるで壊れやすい陶器の人形かのように。
「巻き込むなら最後まで巻き込んで欲しいのにな」
婚約を申し込まれはしたけれど、クロウは私を戦場へ連れていくことを是とはしないだろう。たとえ他でもない私が願ったとしてもきっとクロウは叶えてはくれない。対等になんて扱ってくれていない。それでも私がクロウの言葉を受けたのは死んで欲しくないからだ。戦の渦中へ飛び込むということは死が身近にあるという状態で、私への約束が生への楔の一つになればいいって、祈りのように。
「────だが、我が起動者にはおそらくそなたが必要なのだろう」
「……」
いつの間にか下へ落ちていた視線を上げ、陽光に照らされる蒼いその顔を見ると、表情が変わるわけではないのにどこか自信があるようにも見えた。
「そなたがここに来てから、ここにいると知っているからか、戦闘効率は明らかに上がっている。それは紛れもないことだ」
「驚いた。あなたにそんな風に言ってもらえるなんて」
「事実を伝えているに過ぎない」
その言い切りように、ああ今までずっと長くクロウを見て来たんだろうな、と心の奥深いところがあたたかくなった。カイエン公に出会わなければ内戦を引き起こすことは出来なかった反面、そうでなければクロウはオルディーネに出会うこともなかったというのは、少々複雑な話ではあるけれど。
「……クロウのことはきっと私より知っているんだろうね」
「確かに私は起動者と深く繋がっているが、それでも人間同士の繋がりというものは侮れまい──その証拠に、迎えが来た」
オルディーネが視線を遠くにやったのを見て、私もそっちの方へ向けると甲板の端っこ、艦内へつながる扉のところに確かに見慣れた影が小さくある。
そうして相手もこちらを視界に捉えたのか、思っていた以上の速度で近づいて来て直ぐにオルディーネの足元まで。バンダナすらつけず、本当に簡素な格好で。
「おっま、え……こんなド朝に、ベッド抜け出してンなところにいるとか」
「えっ、これ浮気カウントされてるの?」
「いや、さすがにする気はねえよ。ただ、ちょっと目が覚めたら隣にいた筈のヤツが部屋のどこにもいねえとか何の悪夢かと思うだろ」
「あー、うん、思う、かも? いや思わなくない?」
鎖も無くなったんだし早朝の散歩ぐらい許して欲しい。やっぱりクロウは過保護がすぎる。
「いいから、ほら、帰るぞ。気持ちよく二度寝しようぜ」
そんな風に腕を伸ばしながら当たり前のように言うものだから、何だかちょっと反抗心がもたげてしまった。
「やだ」
「は?」
「二度寝するならここでする」
ぎゅっとオルディーネの指に抱きついてそう言うと間抜けな顔をしたクロウが見える。ほらね、私が断るだなんて一切思ってなかったって顔だ!
「いや、あぶねーだろ」
「雲の上であり、雨による脅威はないな」
「そういう事じゃなくってだな!」
ああ、もう、とクロウが頭を掻いて嘆息する。膠着状態。
「……何が悪かった。直せなくても善処くらいは……出来る……かもしれねえから……」
歯切れの悪い言葉だが、しかし言い切らないあたりがある種の誠実さとも言える。こと、この男に限っては。確約しないのが誠実だなんてちょっと笑ってしまうけれど。
婚約の予約を提案されはしたし受けはしたけれど、でも結局私がいろんなことを知るのは全てが終わってから何だろうって思ってる。君の人生に関わりたくて、君も私の人生に関わりたいと言ってくれているのに、その実そんな行動は見せてくれない。それが寂しい。
所詮私は表の人間でしかないと言われているようで。
だけどどうにも自分の考えがまとまらず言いあぐねていると、オルディーネの稼働音と共に地面へ近くへと下ろされた。
「わっ、ちょ、オルディーネ!」
「……さんきゅー」
オルディーネの指の間を縫うようにクロウが私へ手を差し出してくる。陽光で綺麗に照らされたその紅い瞳には抗えず、そっと横抱きにされるがまま部屋へ帰ることになった。ずるい。
「そんで、何か言いたいことでもあんのかよ」
ぐずる私をベッドに放り投げ、あやすように背中を叩きながらクロウはそんな事を言う。
だけど私がどうしても思考を纏められなくて黙っていると、あろうことかこの男は少し困った顔をしたのだ。かわいい。心底、かわいい。違うそんな場合じゃない。
「……お互いの人生を預け、預けられたいって言うには、隠しごとが多すぎると思うんだよ」
「そいつは……」
「うん、私がどれだけ言い募っても話さないと君が決めたなら意味がないとも分かってる」
裏のことに私を巻き込みたくないというクロウの意図もさすがに伝わってきている。加えてこうと決めたことを成し遂げるポテンシャルは存分に知らされてもいるわけで。
そんなモノを折る方法は今の私にはない。
「だから、ジュライでどんな風に過ごしてたのか、代わりに教えてくれたら手打ちにする」
「……何があるでもない、平凡で退屈な話だぞ」
「それは私が決めることだ」
「ああ、そだな」
さらりさらり、髪の毛をいじりながら、クロウは昔々の話をし始めてくれた。
「両親を早々に亡くしてた俺は祖父さんに育てられてたんだが、これがまた茶目っ気のある人でな。勉強もそうだったが、カードから始まってチェスだのダーツだのそういう遊びも教えてくれた……謂わば師匠みたいなもんだった。たまにイカサマまでされてよ、見抜けない方が悪いなんて言われて、弟分のスタークってヤツと一緒に手元を研究したこともあったっけか」
「海が近い国なんだよね」
「おう。釣りはもう飽きるほどやってたが、まぁ海ってのは面白いもんで一日もおんなじ表情がねえんだよ。だから隙あらばバケツと釣竿持って出掛けて、晩飯引っ提げて帰るのもよくあった」
「それで晩御飯作ったりして、お祖父さんを待ってたりしたの?」
「毎日忙しそうに、でも国のことで頭悩ませてる祖父さんがすげえ楽しそうだったから、俺も支えたいって思ってたかんな」
「その頃のクロウ、見てみたかったな。絶対可愛いよね」
「アルバムとかは残ってねえからなあ。ま、現時点の俺で勘弁しといてくれや」
「……いやまあ今のクロウくんももちろん可愛いし格好いいし好きですけどね」
「照れながら言うのやめろ俺も照れるだろ」
「あとこっちに来て驚いたのはサウナとか風呂文化があんま浸透してないとこだな」
「……サウナ?」
「蒸気で部屋をあっためてそれで汗を流すっつうか。風呂好きなら気にいると思うぜ」
「へえ。そういえばリィンくんも温泉好きだったよね。北の方って山もあるし盛んなのかな」
「そいつはあるかもな。あとは温泉──特に塩泉て呼ばれるのもあって、薬効が高いってことでその筋の観光客もそれなりにいたな」
「そうなんだ。入ってみたい」
「と、まあ、こんなところか」
ジュライの文化や、クロウの交友関係など、どんなことで遊んでいたのかなんてことまでいろいろ、半生にまつわる話を終えたところで、けほ、とクロウがむせる。長い間話していたせいか喉が渇いたのだろう。
「お水持って」
「いや、いい。ここにいてくれ」
私がシーツから抜け出そうとすると、クロウの胸元に抱き込まれる形で阻止されてしまった。
「どこにも行かないよ?」
「それでも」
ジュライのことを話させてしまったから、ナーバスにしてしまったのかもしれない。ねだったのは自分なのでこれはさすがにどうこう言う権利はないなと言葉を飲み込んだ。
「……どこにも行かないから、せめて置いていかないで欲しいな」
してくれるわけもないと分かってて、困らせると理解してて、言う私は意地が悪いんだと思う。
「俺は……あいつを戦場で待つつもりだかんなあ」
"あいつ"。あぁ、やっぱり妬けてしまう。君の心を掴んでやまない男の子。騎神の起動者として相対するこの時代唯一の相手。私では何がどう転がってもその視線に晒されることは許されない。
「……私、やっぱりリィンくんが羨ましい」
最後の最期まで、対峙できる、その立ち位置。
最後の最期まで、見てもらえる、その場所が。
「おいおい、ヤローを羨んでくれるなよ」
笑いながらそっと小さく、目尻にキスが落とされる。
それが妙に物悲しくて、私は心の中で泣いてしまった。ばかやろう。
【補足】「婚約の予約」は誤字でも重複でもないです。