「くやしいなぁ…」
そうは思っても、涙を流す余力もなく、レイは戦場の片隅で倒れていた
瞼が重い。今目を閉じたら…と、頭では分かっているのに
ゆっくりと狭くなっていく視界が心地よく、諦めに身を委ねてしまいそうになっていた
「お姉ちゃん?」
「え…? きみ…は?」
閉じかけていた視界に差し込んだ影
体を揺すられて、それすら億劫で
張り付きそうになる瞼を何とか開くと、見知らぬ少女に覗き込まれていた
「わたし? わたしはしずく、しずくだよ?」
年の頃は10を過ぎたかどうか
夜空のような黒髪と、月のように輝く白い肌
菖蒲を孕んだ深い瞳が、吸い込まれそうなほどに綺麗だったのを覚えている
「えっと…ちが、そうじゃ…なくて」
「?」
問われて答えて首を振られる
何が違ったもんかと、少女…しずくが不思議そうな顔をするのも当然だ
頭がうまく働かない、私だって別に名前が聞きたかった訳じゃないのに
なんで? どうして?
キミみたいな女の子が、こんな戦場の只中にいるのかって思うけど、それも違う
「あぶない、よ。早く向こうに…ね?」
お腹に力の入らないまま、震える唇でなんとか優しい声を作る
腕をあげようとして、それもままならず、指先がピクリと動いてそれっきり
「お姉ちゃんは?」
「私は、少しお休み…。ごめん、一人で行けるよね?」
「・・・」
唇に指を当て、しずく は何処か遠くを見つめていた
すでに向こうも戦火に包まれているのかと、レイが不安に思っていると
「休んで、それからどうするの?」
「ははっ…。きっついこと言うなぁ、キミは」
子供ながらの残酷な質問だと思った。戦って、戦って、それでもダメで
守れなくて、助けられなくて、動かないといけない場面で動けない
休んだ後に待っているものは何もなく。それを思えば乾いた笑いしか出てこない
「ねぇ、お姉ちゃん? もう一度、世界をやり直してみたくはない?」
「なに、それ? 魔法みたい」
「魔法? ええ、そうねっ。だって、わたし、魔法使いのお使いなんだもの」
「ふふっ…。そっか、魔法使いのお使いか」
笑ってしまう
あまりに無邪気過ぎて、冗談とすらも思えない
子供がヒーローごっこをしているような
少なくとも この子にとってはそれが真実なのだと分かってしまう
「ほんと…。もう一度、出来たら良いけど」
「うんっ、いいよ。まかせて、お姉ちゃん」
大きく頷くと、しずくは立ち上がっていた
これで向こうにいってくれるなら、レイが安心を吐き出していると
しずく はその場で、天を仰ぎ見たまま声を上げていた
「ウェイクアップ! ファフニール! コード・メテオニス発動! 承認!」
それを魔法の呪文と言うには余りにも機械的すぎた
少女の前に浮かび上がる5枚の札。それが連鎖的に輝きを増すと次々に天へ昇っていく
流れ星
薄れるレイの視界に映る流星群。それは、瞼の裏に焼き付くほどに綺麗だった
ー
不思議な場所だった
光源も無いのに暗くはなく、夜でもないのに星空が広がっている
石造りの神殿にも思える建物は、その見た目に反して冷たさはなく、いっそ快適でさえあった
まるで宇宙に浮かんだ箱庭みたい
空の上の上。子供心に興味を抱いた事はあったけど
いざ目の前にしてみると、見知った星座も見つけられずに
レイは一人、宇宙への興味よりも、知らない場所に放り出された不安の方が強くなっていた
「ホームシックかい?」
「いえ…そういうんじゃない、けど」
破滅の美神・ルイン
ふと現れた女神に、レイは外から中へと視線を戻した
それは流れる砂のように白い髪をした女性だった
一見、赤いドレスに目を奪われてしまうが
顔を上げたが最後、魅入られたように見つめ返してしまう
中性的な顔立ち、砕けきったその口調が彼女の立ち位置をあやふやにこそすれど
その美しさは、同性であるレイからしても暴力的にも思えた
未だに信じられない。最後の記憶、あの流星群の後、この女神様が世界をひっくり返しただなんて
まるで簡単に、砂時計を動かすみたいに言うものだから
それを信じるのにも少々時間がかかってしまった
「どうしてもと言うなら。向こうの自分を殺して入れ替わればいい」
そうした人は少なくはないというように、女神は肩を竦めてみせた
「やめておきます。それをしたらきっと…私は、また奇跡に頼ってしまう、と、思うから」
「懸命だね」
そして、そうした人の末路は大概がロクでもないものだと言うように微笑んだ
「どうして?」
親しみやすい女神の微笑みに釣られたのだろうか
不思議なほどにすんなりと、レイはわだかまっていた疑問を口に出来ていた
「君を助けた理由? それとも君の世界を滅ぼした理由のほうかい?」
おどけた様でレイの疑問に先回りをする女神
道化じみた仕草に覚えそうになる苛立ちもしかし、その美しさの前に霞んでしまう
いや、違うか…
そうでもされないと、彼女が本気で美しさで着飾ったら
私なんか恐れ多くて声もかけられない気がして
そう思えばこそ、苛立たしいその態度は、性質の悪い友人を前にする程度には落ち着いていた
今度機会があったら聞いてみよう
それ、わざとやっているんですかって?
それはきっと適当にはぐらかされるのだろうけど、彼女を知るには丁度いい
けど今は、少しだけこの女神を驚かせてみたくなっていた
何食わぬ顔をして隣に立つ女神に向き直る
スラリと伸びた長身、自分より高い位置にある顔を見上げて問を重ねる
「あんな女の子を巻き込んでる理由です」
それが、レイが思いつく限り、この女神の表情が変わりそうな問いかけで
大凡それは正解だったのか「驚いた…」つぶやいた女神は目を丸くして、レイを見下ろしていた
「いやさ、この期に及んでまだ人の心配ができるんだね」
くつくつと、口元を抑えて女神が笑う
ああいっそ、お腹を抱えて下品に大笑いでもされた方がマシに思える程
綺麗がいちいち目の毒になる女神だった
「…」
茶化す女神に無言で返す
内心の不満と答えの要求。下手な言葉を重ねるよりも、眉間に皺を寄せるが早く
レイの態度を受け取ったルインの笑いは、遠からずに息を潜めていた
「デュエリスト。君も見ただろう?」
たった一言、それだけで納得が出来てしまう
しずくの前に浮かんだ5枚の札、そこから伸びる奇跡が眩しく
今もレイの瞼には焼き付いているほどに
魔法使いのお使い…
ああいっそ、ただの使い魔だとか言ってくれれば
私の独りよがりな感傷で済んだのに。つまり彼女はこう言いたいわけだ
「利用して…」
「否定はしづらい。が、勘違いしないで欲しい。これでも親心くらいはあるつもりだ」
「親心?」
「愛ってやつさ」
「愛…ねぇ」
疑うか…。しかし、そんな猜疑心は、思い浮かべた しずくの笑顔に否定された
この女神とあの魔神。二柱を追いかける少女の笑顔は紛れもなく本物で
「だからさ、こんなお願いもしたくなる」
そう言って、微笑む女神の口からでた言葉は、なんの変哲もないお願いだった
「やっては、みます。身の振り方が決まるまで…ですが」
保留にも等しい努力義務
それが、女神のお願いに対する私の答えだった
「結構…。それとコレは返しておこう」
立ち去りかけたレイに、なんとなくで放られたのは一振りの刀だった
咄嗟に、反射的に、自然と手で掴んだそれは、驚くこともなくレイの手に馴染む
重量のバランスも、見覚えのある傷だってある
新品でも造物でもない。受け取ったそれは間違いなく私が使っていた閃刀でしか無かった
「バカにして…」
「誠意だよ。せめてのさ?」
「ふんっだ…」
我ながら子供らしく鼻をならしたもんだが
受け取った女神の誠意は、驚くほどにレイの不安を和らげてくれるものだった
ー
立ち去るレイの背中が見えなくなった頃、デミスは深く息を吐き出していた
「ぬぅ…」
「不満かい?」
結局、一言も発さなかったデミスに、ルインは呆れながらも問いかける
「害にならんとも限らぬ」
「そうかい? 必要なことだと思うけど?」
「心など、下手に育てた所で」
「ああ、そういう。てっきり、レイの事を気にしてるのかと思っていたよ」
「良い、些事である…」
もとより歯牙にも掛けてはいないと
レイを見送っていたように見えたデミスの視線は、その実、背中すら見ていなかった
瑣末事と、事象に興味を待たない この魔神が、ここ最近で抱いた興味の対象
どちらが大事かと言われればまあ、ルインにとっても頷けるものではある
「だが、私達に言われるままというのも。それはそれで不憫だろう? 不幸でなくてもさ」
「ぬぅ…」
唸る魔神に、微笑む女神
ここにきて「親心」だと嘯いた女神に、魔神は返す言葉がなくなっていた