腐りゆく世界   作:彼岸花ノ丘

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飛び立つ時

 第二校舎の屋上にSOSの文字を書く作業は、急ピッチで進められた。『救世主』である雪男も遠慮なく労働力に換算し、本を運んでもらう。

 それと同時に、紅葉は別の労働力の確保を試みる事にした。

 夜空が囲っていた女達だ。SOSを書く作業は雪男と海未に任せ、紅葉は菜之花と共に体育館へと向かった。勿論、救助を呼ぶ事の説明をするためでもあったが。

 体育館では、女達六人が身を寄せ合っていた。昨日から夜空が帰ってこないと涙ながらに訴えてくる彼女達に、事実を伝えるのは良心が痛むが……隠しておく訳にもいかない。

 彼に殺されかけた事、目論見、そして末路――――全てを明かした時、女達から紅葉に向けられたのは敵意だった。特に翡翠と名乗っていた女子の感情は激しいもので、本当はアンタが殺したんだというハッキリとした罵りも受けた。

 この反応自体は紅葉にとって想定内。命の恩人を殺されれば、誰だって似たような反応を示すだろう。紅葉だって、例えば雪男に海未が殺されて、雪男から海未に襲われたと説明されても、絶対に信じないのだから。

 そのまま喧嘩別れにならなかったのは、菜之花のお陰だ。彼女が文字で必死に説得してくれた事、そして自分が『乱暴』された事を明かしてくれたため、女達も判断に迷い始めたのである。

 結局、「保留にする」という形で話は纏まった。後できっちり問い詰めるという意味の宣言であるが、それで紅葉は構わなかった。話せば分かる、なんて甘っちょろい夢など信じてはいないが、もっと詳細に説明する義務はあると思っているのだから。

 かくして六人の女達も共に行動するようになり、総勢十人で作業を開始。本でSOSの文字を作り上げ、後は待つだけとなり――――

 太陽が真上で輝く、ほんの少し前にヘリコプターがやってきてくれた。

 

「いやはや。このまま来ないかと思っていたが、どうにかなったな」

 

「だねー。まぁ、そうなったらそうなったで、今まで通りに暮せば良いでしょ。むしろ賑やかになって良かったんじゃない?」

 

「……………っ!」

 

 「私もそう思う」という菜之花の書いた文字も見て、「暢気だなぁ君達は」とぼやく紅葉。実際問題近所のコンビニや自販機にある食糧だけで、何時までも暮らしていける訳もない。学校内にある備蓄食料も有限。合計十人とはいえ、毎日飲食すれば遠からぬうちに尽きる物資だ。

 とはいえ万が一の事態に直面しても、それはそれとして受け入れられる心のタフネスはあるに越した事はない。強く否定する事もなく、紅葉は小さく笑う。

 ……やがてヘリコプターは、学校の屋上に下りてきた。

 やってきたヘリコプターは、報道ヘリのような『小型』のものではない。前と後ろにプロペラがあり、機体は非常に大型だ。一度に十人以上は乗れそうな代物である。自衛隊が保有しているヘリコプターに、このような見た目の機体があった事を紅葉は記憶していた。

 機体が大きければ、当然浮かぶためにより大きな浮力が必要となる。ヘリコプターが降りてくると、強烈な風が紅葉達に吹き付けてきた。紅葉達の傍には同じくヘリコプターを待つ雪男と女達六人がいたが、彼女達は顔を顰めながら耐えている。紅葉と海未は菜之花を守るように立ち、ヘリコプターを注視する。

 屋上に着陸したヘリコプターからは、二人の人物が出てきた。

 どちらも銃を持った、迷彩服姿の男。物々しい姿であるが、今この瞬間において、極めて頼もしい姿であるように紅葉は感じる。

 

「陸上自衛隊です。救助に来ました……救助者は此処にいる全員ですか?」

 

 淡々とした、けれどもハッキリとした質問。

 身分を『証明』するものではない。けれども紅葉は、彼等が本物の自衛隊員であると、直感的に信じた。

 

「はい、私達が知る限り、此処にいるのが全員です」

 

「了解しました。このヘリにて全員を輸送します。ただし、その前に全員の身体検査は行いますが」

 

「身体検査……」

 

 自衛隊員から告げられた救助の条件。

 考えてみれば、当然である。噛まれた人間はゾンビとなるのだから、噛まれた人間を避難場所に連れ込む訳にはいかない。

 そしてその検査は、恐らく厳しいものであろう。ああだこうだと言い訳したところで、誤魔化せるものではあるまい。

 

「なら、最初に言います。私、噛まれてます」

 

 だから紅葉は正直に、その事実を伝えた。

 瞬間、自衛隊員二人は素早く銃を構える。銃口が自分の方を向くという経験に、紅葉は予測していた展開なのに血の気が一気に引いた感覚を覚えた。

 構えただけで撃たなかったのは、まだ紅葉が人間的に振る舞っているためか。または現れたゾンビ達が、頭を撃っても死なないタイプだからか。

 或いは、慌てて射線上に入ってきた海未と菜之花がいるからか。

 

「……危険です。その方から離れて」

 

「他の皆様はこっちに! 検査後、ヘリに乗ってください!」

 

 紅葉のカミングアウトにより、自衛隊員達は他の生存者に距離を取るよう指示。夜空の取り巻き女子六人と、雪男は困惑しながらもその通りに行動する。

 従わなかったのは海未と菜之花の二人。海未は大声で、自衛隊員達に反論した。

 

「こ、この人は大丈夫です! 確かに噛まれたけど、でも除草剤を使って……」

 

「除草剤? まさか……」

 

「……自衛隊でも、除草剤の有効性は確認しています。ですが、現時点で噛まれた後に回復した方は確認されていません」

 

 キッパリと断言され、海未は言葉を失ったように口をパクパクさせる。菜之花も何か言いたいようで紙にたくさん書いていたが、いずれも無視されていた。

 そうこうしている間に、六人の女達と雪男は他の自衛隊達のチェックを受けたようで、次々とヘリコプターに乗っている。まだヘリコプターは飛び立っていないが……風で運ばれた臭いに引き寄せられてゾンビがやってくる可能性を思えば、あまり長く地上にはいられないだろう。

 抵抗する海未と菜之花が置いていかれる可能性がある以上、あまり粘る訳にはいかない。

 

「もう良い、二人共。私だけ残れば済む話だ」

 

「もみっちゃん!? 何言ってんの!? ここまできて……」

 

「第一校舎内のゾンビは大体一掃したんだ。今、一人で生活するのは難しくない。君達だけでも避難しておけ」

 

「……!」

 

 ぶんぶんと菜之花は首を横に振る。どちらもヘリコプターに乗ろうとしない。

 自衛隊員二人の表情も曇ってきた。雲行きが怪しい。彼等とて生存者は全員助けたいだろうが、しかし二人を助けるために七人の身を危険には晒せない。最悪、海未達は置いていかれるのではと紅葉も思い始めたが……

 

「私も、彼女の救助を行うべきだと判断する」

 

 海未と菜之花以外にも、紅葉の救助に賛成する。これは話が面倒臭くなりそうだ、と思ったのも束の間、違和感を覚える。

 今、賛成したのは誰だ?

 

「隊長! ですが……」

 

 答えを教えてくれたのは、紅葉に銃を突き付けていた隊員の一人。

 ヘリコプターから下りてきた年配の男……彼が救助部隊の隊長らしい。

 まさか隊長が出てくるとは思わず、紅葉はポカンと呆けてしまう。その間にも自衛隊員達は言葉を交わす。

 

「規定では、噛まれた者は如何なる理由があろうとも救助は許可されていません」

 

「ああ、そうだな。だがその前に、一つ確認したい事がある」

 

 隊長の男はそう言うと、紅葉の傍までやってきてしゃがみ込んだ。

 

「この足の布、解いても構わないか?」

 

「……ええ。大丈夫です」

 

 隊長から問われ、紅葉はそれを受け入れる。彼は優しい手付きで紅葉の足に巻いてある布を解いた。

 露わになる、噛まれた傷跡。

 一目で分かる特殊な傷に、自衛隊員二人は更に緊張感を高めた。対して、一番緊張しないといけない隊長は、にこりと笑いながら頷く。

 

「噛まれたのは何時?」

 

「大体二十四時間前かと思います」

 

「成程」

 

 驚いたような、感心したような、隊長の反応。彼はしばし紅葉の傷跡を眺めると、立ち上がり自衛隊員二人の方を振り向く。

 

「ゾンビに噛まれた場合、どれぐらいでゾンビ化するか答えてみろ」

 

「現在判明している時点で、死亡した場合は三十分以内に。生存した場合でも二時間から四時間以内とされています。平均を大きく超えた例でも六時間が限度です」

 

「そうだ。彼女の言葉が正しければ、その平均超えを大きく上回っている。傷の断面が乾いてきている事を考えれば、これは事実と見るのが妥当だ。そしてそれだけの時間が経っていながら、予兆である意識の混濁などが見られない。確かに、治ったと考えるべきだ」

 

「……それでも規定違反です」

 

「規定違反で、折角の『可能性』をみすみす捨て置くのが正しいと? 俺は思わないな」

 

 隊長と隊員達が何やら言い合う。海未と菜之花はおどおどした様子で、互いの顔を見合っていた。

 紅葉は冷静にその話を聞いていた。どっちの方針に纏まるのか、それを知るために。

 

「責任は俺が取る。良いな?」

 

「……了解」

 

 最終的に、隊長の決断が優先されたらしい。

 海未と菜之花の身体チェックが行われ、ヘリコプターに乗せられる。紅葉も連れられていき……ヘリコプター内に搭乗。最後に乗った紅葉は、窓際に座る事となった。

 先にヘリコプターに乗っていた、六人の女性達と雪男から視線が集まる。噛まれているという事への不安、戸惑い、恐怖などの感情が含まれている事を紅葉は察す。

 それでも批難や嫌悪の感情が向けられないのは、少し予想外だったが。

 

「もみっちゃん、良かったね」

 

「……! ……………!」

 

 海未と菜之花に至っては、素直な喜びを表す。

 紅葉も笑みを返す。胸のうちに湧き出す、複雑な想いを隠したままで。

 

「離陸します」

 

 紅葉が乗り終え、機体後方の扉が閉まり、自衛隊員達が全員戻ってきたら、ヘリコプターはすぐに離陸を始めた。

 大きな機体はふわりと浮かび上がる。飛行機にすら乗った事のない紅葉には、全くの未知の感覚だ。少し、落ち着かない。

 紅葉は無意識に、視線を外に向ける。

 外には、校舎が見えた。

 自分達が今まで暮らしていた場所。過ごした期間は、一月に満たない程度だ。けれどもその中での日々は、一生分の経験だった気がする。

 

「(本当に、色々あったな)」

 

 一人で学校に逃げ込んだ、不安な夜。

 妹と交わした会話。

 海未との初遭遇、そして共同生活。

 二人でやった食糧探し。

 ゾンビ研究と退治方法の発見。

 ゾンビに襲われていた菜之花との出合い。

 生存者達との接触、交流。

 そして夜空との対決。

 大まかに纏めても、これだけの出来事があった。細かなものを含めたら、中々に長いお話になるだろう。勿論、忘れてしまった事や、意識していなかった事もある。罪も犯した。全てを語るなんて出来やしない。

 だけど十分に、『思い出』だ。

 

「……耽るには、まだ早いか」

 

「もみっちゃん?」

 

「独り言だよ」

 

 海未から尋ねられ、しかし紅葉はそう言って濁す。海未も追求する事はなく、話は終わった。

 そう、思い出だ。

 けれどもまだ、終わりではない。

 むしろこれからが本当の――――

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