疾れイグニース!   作:阿弥陀乃トンマージ

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第1レース(1)それは触れないでくれ

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「はあ……」

 

 赤茶色の髪でのやや小柄な体格の少年がトレーニングウェア姿でベンチに座り俯く。

 

「おはようございます!」

 

「うおっ⁉」

 

 元気の良い声が響き、少年は驚いて顔を上げる。そこにはショートカットで眼鏡をかけた、そばかすが特徴的な女の子が立っていた。女の子は笑顔で話しかける。

 

紅蓮炎仁(ぐれんえんじん)ジョッキーですね!」

 

「そ、そうですけど……貴女は?」

 

 炎仁と呼ばれた少年は、女の子に尋ねる。

 

「私は黒駆環(くろがけたまき)と言います!」

 

「黒駆……って、もしかして……?」

 

「はい、黒駆厩舎の黒駆環太郎(くろがけかんたろう)の孫です!」

 

「せ、先生のお孫さん……その恰好は?」

 

 炎仁は環の服装を指差す。自分と同じようなトレーニングウェア姿である。

 

「はい、私はJDRA、ジパング中央競竜(けいりゅう)会の厩務員課程を修了後、厩務員として黒駆厩舎に務めた後、今年から晴れて調教助手になりました!」

 

「は、はあ……」

 

「年始のあたりからちょっと体調不良が続いておりまして、顔合わせにも参加出来ませんでしたが、すっかり元気になりました! 本日から同じ厩舎の一員として、よろしくお願いしますね!」

 

「あ、はい……よろしくお願いします」

 

 炎仁は環の元気の良さに若干気圧されている。

 

「本日はもう調教終了ですか?」

 

「え、ええ、自分の担当分は……もっとも、まだ一頭しか任されていませんけど……」

 

「そうですか! 私は後何頭か残っています!」

 

「た、大変ですね……」

 

「大変ですが、やりがいを感じています!」

 

「やりがい……ですか?」

 

「はい! 私は日本一のドラゴンを育てたいんです!」

 

「! 日本一の……」

 

 炎仁が環のことを、驚きをもって見つめる。環は笑顔で頷く。

 

「幼いころから競竜、『ドラゴンレーシング』に魅せられて育ってきましたから、気が付いたら、そんな夢を抱くようになりました!」

 

「夢……」

 

「まあ、私が相変わらず厩務員や事務員も兼ねるような人材不足の弱小厩舎ですが……夢を見る自由は誰にだってあるはずです! 違いますか⁉」

 

「え、ええ、おっしゃる通りだと思います……」

 

「む……」

 

 環が突然黙り込む。炎仁が首を傾げる。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

「……笑わないんですね、私の夢を聞いても」

 

「いや、笑わないですよ。夢を叶えるチャンスは誰にだってあると思っていますから」

 

「!」

 

「まあ、新人ジョッキー、新米騎手の自分が偉そうに言えることじゃありませんが……」

 

「……ということは紅蓮さんにもなにか夢があるんですか?」

 

「え、ええ……あなたのように大きな声では言えませんが……」

 

「分かりました!」

 

「は、はい?」

 

「無理に聞き出そうとは思っておりません! 夢の実現の為にお互いがんばりましょう!」

 

 環が右手を差し出す。炎仁は慌てて立ち上がり、握手をかわす。

 

「が、がんばりましょう、黒駆さん」

 

「私のことは環で構いませんよ」

 

「え?」

 

「先生と同じ苗字だから色々ややこしいでしょう?」

 

「そ、そうですね……よ、よろしくお願いします、環さん」

 

「お願いします! それでは失礼!」

 

 環はにっこりと笑って、その場から離れる。残された炎仁は呟く。

 

「俺の夢か……とてもじゃないけど言えないな。でも……」

 

「でも……何?」

 

「うわあっ⁉ ま、真帆⁉」

 

 やや青みがかったロングのストレートヘアーでおでこを出しているのが特徴的な女の子が炎仁の後ろに立っている。体格は炎仁と同じくらいだ。

 

「そんなに驚くことないじゃない……」

 

「いや、驚くだろう。いきなり後ろに立っているんだから……」

 

「声をかけようと思ったら、女の人と楽しげに話しているからね」

 

「楽しげにっていうか、終始テンションに圧倒されていたけどな……」

 

「でも、顔がにやついているわよ」

 

「え? なんというか、ちょっと元気をもらった感じがするからかな……」

 

「その役目は私がやろうと思ったのに……」

 

 真帆と呼ばれた女の子はぷいっと唇を尖らせ、横を向いて小声で呟く。

 

「え? なんだって?」

 

「なんでもないわ」

 

「そうか? そういえば、調教の方はもう終わったのか?」

 

「ええ」

 

「もう何頭か任されているんだろう? 流石だな、紺碧真帆(こんぺきまほ)の名前はもうすでに有名だぞ」

 

「それは竜術競技で得た知名度でしょう? 競竜騎手としてはまだまだだわ」

 

 彼女、紺碧真帆は竜術競技で金メダルも狙えるほどの逸材であったが、幼なじみの炎仁に触発されるようなかたちで競竜騎手に転向し、世間を驚かせた。

 

「いやいや、騎乗技術を褒めている記事を読んだぞ」

 

「話題作りよ。それより、この後はなにか予定あるの? 食堂にお昼食べに行かない?」

 

「ああ、その前にうちの厩舎の竜房に寄ってもいいか?」

 

「ええ、構わないわ」

 

 炎仁と真帆は竜房の方へ向かう。ここは茨城県にある美浦トレーニングセンター。ジパング中央競竜会の東ジパングにおける一大調教拠点であり、広大な面積を誇る。はじめはあまりの広さに迷うこともあったが、騎手となって数ヶ月の今はすっかり慣れて、迷わず竜房が並ぶエリアに到着する。

 

「お、こちらも早い昼飯か……」

 

 炎仁の視線の先には、紅い竜体をしたドラゴンがむしゃむしゃと食事をしている。

 

「『グレンノイグニース』、元気みたいね」

 

「ああ、それはな……」

 

 炎仁がイグニースの体を優しく撫でる。真帆が尋ねる。

 

「今朝も乗ったんでしょう?」

 

「ああ」

 

「なにか気になることでもあるの?」

 

「いや、さっき環さん……うちの厩舎の調教助手さんと話をしたときに色々と思い出してさ……初心というかなんというか」

 

「初心?」

 

「騎手になって、賞金を稼いで、稼いで、稼ぎまくって、借金を返済すること! そして晴れてじいちゃんの残した牧場、『紅蓮牧場』を取り戻す! ……だよ」

 

「そういえばそうだったわね……まさかデビュー戦、スタート直後に落竜するなんてね」

 

「そっちは直ちに忘れてくれ!」

 

 炎仁はイグニースや他のドラゴンたちも驚かさないように、声を抑えて叫ぶ。

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