86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
朝8時、レーナは噴水広場の前で約束の相手を待っていた。
昨日の戦闘の後、結局レーナはスピアヘッド戦隊に再同調する事は出来なかったのだ。
吐き気がするほどの恐怖が襲う中、何度も自分を叱咤激励しながらも、結局は叶わなかった。
そこでまずは、シュタット少佐が放った言葉の真意を確かめる事にしたのだ。
彼はきっと、何かを知っているに違いない。
でも、本当はそれを言い訳にして、先送りにしているだけなのだという事を、自覚はしていた。
「遅いですね……」
あまり眠れなかった為、瞼に隈が出来ていないか確認する為にも、何度か目を擦る。
それでも、きちんと身支度を整えてこれたのは、ミリーゼ家の令嬢としてのプライドだろうか。
それとも、いつも着慣れている軍服だったからだろうか。
……しかし、何故デートにシュタット少佐は軍服で来て、などと言ったのでしょう。
「お待たせしました!」
その非常識な疑問も、リードが現れた時にはレーナの頭の中から吹っ飛んだ。
車を運転して現れたのは、自分と同じく軍服姿の少佐だ。
それはまあいい。
けれど、運転している車の方には唖然とさせられた。
この第一区を行き来する車は高級車で占める中、リードは塗装が剥げかけた荷台付きの小型トラックでレーナの前に現れたからだ。
「すみません、ちょっと収穫を手伝ってまして、遅れました」
リードは慌てて降りてきて、レーナの為に助手席を開ける。
しかし、お世辞にも綺麗とは言えない座席にはいくつも葉っぱが落ちていて、リードはさっと手で払いのけた。
「え、ええと……」
今日はデートの目的で、呼んだのですよね……?
と、問いただしたくなったが、レーナは言葉を飲み込んだ。
いくら自分にこういった経験がないとはいえ、これはさすがにないだろう。
助手席のシートの席は綻び、足元にはごみが散乱している。
それにリードの言った収穫とは、後ろの木箱に入れられたリンゴの事だろうか。
荷台には他にも瓶やら、何やらよくわからない荷物が所狭しと乗せられている。
まさかシュタット財閥の御曹司が、こんな車しか持っていないという事はないだろう。
もしかして、昨日真っ向から意見を対立させた自分への嫌がらせなのではないだろうか。
ほんとに、なんなのだろうか、この人は……。
思わず固まっているレーナに、リードは声を掛けてきた。
「どうしました?……彼らの墓に彫る名前でも悩んでいましたか?」
片頬だけを釣り上げる、歪な笑い顔と共に。
レーナはむっとして、戦いに赴く様な面持ちでトラックに乗り込んだ。
「遅れたお詫びと言ってはなんですが、これをどうぞ」
運転席に座ったリードは、赤く熟れたリンゴを一個差し出してくる。
「い、いいのですか!?」
どうぞ、どうぞと差し出されたリンゴを、レーナはあたふたと受け取った。
自然の果物を食べられる事など、滅多にないのだ。
大抵は、食料生産プラントで合成された形だけ似せた偽物だ。
ごくりと、唾がなるのも当然だった。
市場に流したら一体、一個いくらになるのだろうか。
「そんなに畏まらなくてもいいですよ。シュタット家の敷地に生えている木から採ったものですから」
「こんなに採れるものなのですか?」
後ろの木箱を見る限り、かなりの数だ。
「昔からリンゴは医者いらずと言うでしょう?シュタット家は、代々医師の家系ですからね。戦前から庭はリンゴの木だらけなんですよ」
じゃあ遠慮なく、とも言えず。
レーナは後でどう食べようか悩みつつ、大事そうに座席に横に置いた。
トラックはリードの運転で、首都の街並みを移動し始める。
一応、軍籍であるレーナも講習さえ受ければ、免許は貰えるのであるが、乗る予定がないレーナは取っていない。
「あの、シュタット少佐」
「リードで構いませんよ、同じ階級ですし」
「いえ、シュタット少佐の方が先任ですから」
本当は、そこまで馴れ合いたくないというのが本音だ。
こちらの気持ちを知らずか、レーナの固い口調をリードは気にした様子はない。
「それで、今日はどちらに向かわれるのですか?」
レーナは一番聞きたい事よりも、まずは目的地を訪ねた。
彼と話しをするにせよ、どこかきちんと向き合える場所でしたかったからだ。
こうも狭い社内だと、何かと落ち着かない。
「少佐は第一区を出られたことは?」
質問には、質問を返された。
「一応……ないですけど」
「じゃあ、いい機会ですね。今日は84区まで行く予定なので」
「84区って……まさか」
「ええ、ミリーゼ少佐はヴァンデュラム社を調査されたかったのでしょう? 許可はすぐにとれたので是非とも行ってみましょう」
レーナがお願いしたのは昨日なのだが、もう彼は動いてくれたというのだろうか。
しかも、彼自ら運転して直接現地に乗り込もうというとは。
予想だにしていなかったデートの目的に、レーナは動揺する。
「あの、許可とは、誰に取ったのでしょうか?」
「俺です。だって俺の会社ですから。いやー、正直あの場でOKしても良かったのですが、その前に少佐と議論をしたかったもので。すみません」
「っ……そうですか」
いたずらを成功させた子供の様な顔で笑うリードに、レーナは眉根を寄せ、苛立ちを隠せれない。
そして、気が付いた事がある。
リードの雰囲気が昨日会った時とは、大分違うという事に。
口調も違うし、砕けているというか、どこか自然体に感じるのだ。
「その事については感謝しますが、その。あまり遠くは困ります。いつレギオンの襲撃があるかわかりませんし……出来るだけ管制室から離れたくないのです」
レーナは口ごもりながら、色々な意味でやんわりと行きたくないと伝えた。
敵に備えるという理由の癖に、自分から彼らに同調する事すら出来ていないのにだ。
それでも、襲撃があればレーナは取るものも取らず同調するつもりではあった。
「今日はレギオン襲撃予測の可能性は低いのでしょう?それに、一応俺から隣の戦区に応援を要請しておきましたから」
「あれはシュタット少佐が!? 私がいくらお願いしても動いてくれなかったのに……」
朝、頼んでもいない応援要請の受諾が隣の隊から来ているのにレーナは驚いたのだ。
あれを少佐がやってくれていたとは。
「持つべきものは友というものです」
リードは微笑し、言葉を続ける。
「それに……もしもの時もアンダーテイカーがいるならば、何も問題ないでしょう」
「っ……」
レーナはリードの含みがある言い方に顔色を変え、横を向く。
リードの軽薄な笑みは、姿を消していた。
「やはり……少佐はあの声の事をご存知なのですね。一体……あれは」
戦慄したレーナの声に、リードは初めて気遣う様な声を出す。
「ミリーゼ少佐。昨日眠れてませんね。まさか俺が質問したその日に、あの声を聞くとは……間がいいというかなんというか」
レーナは信号が赤の間、リードがじっと自分の顔を見ている事に気が付き、慌てて正面に視線を戻した。
「あの声については向こうについてから話しましょう。きっとその方が理解が早いと思いますし。……それに聞くならば、直接彼に聞いたほうがいい」
「それは……わかってはいるのですが……」
レーナの逡巡に対し、事情をわかっているのだろうかリードはそれ以上何も言わなかった。
そうなるとレーナも、話題がなくなり、とりあえず目下の目的を案ずる事となる。
「少佐は、何故私がヴァンデュラム社を調査したいのか……ご存じなのですか?」
「ええ」
レーナは少し血相を変えてしまう。
知っていて、現地に行こうとしているのだとしたら、今すぐ彼を止めた方がいいのだろうか。
彼らの為にとなるのならば、今ここでハンドルを奪って事故でも起こした方がいいのかもしれない。
本気でレーナが手に力を入れ始めた時、リードの言葉がそれを止めた。
「ラグア・イリノスという人物に会いたいのでしょう?」
「どうしてそれを……」
あれ、自分は彼にその名を告げただろうか。
疑問が大きくなる前に、彼は驚くべき事を言ってきた。
「俺は彼の事をよく知ってまして、実は管制システムの改良をこっそり依頼したのも俺なんですよ」
「え……?」
どうして少佐がそんな事を……。
それではまるで……。
「向こうにつけば彼に会えますから、それも向こうについてからのお楽しみとしましょう」
と言い終えた所で車が止まった。
どうやら第一区の区画の端に到達したようだ。
前方には検問があり、通行する車の一台一台を憲兵が調べている。
勝手に区間内を移動したり、危険なものを持ち込まない様にする為のものだ。
ライフルを担いだ一人の軍人が、リードの方に近づいてくり。
「あれ、先日ぶりです、少佐殿~」
髭を生やした一等兵が、その凶悪そうに見える相貌を崩してリードに話し掛けてきた。
「やあ、軍曹」
一回りも上の年齢の軍曹にリードは、気さくに会話をし始める。
「また、大荷物ですか……。一応仕事としては全部確認しなきゃならん事になってるんですがね」
「固い事を言うなよ、今日もいいだろう。特別に先日の負け分は俺のおごりでいいぞ、どうだ」
「そうこなくっちゃ。次回もお願いしますよ」
何の話かわからないレーナは、じっと黙ったままだ。
しかし、自分の話題が出ると、さすがにじっとしてはいられなかった。
「少佐ー、今日は女連れですか? まさかデートじゃないでしょうね?」
「違います!」
呆れた声の軍曹にレーナは全力で否定するもリードは、まあ、そういう事だと肩をすくめるだけだ。
それから、リードが身分証を渡したので、レーナもそれに続く。
軍人ならば区画間の移動も、比較的容易い。
身分証の確認の間に、リードが不思議そうに首を捻ってきた。
「あれ、俺デートって言いましたよね?」
「これは、絶対に、違います!」
リードの軽口に、レーナが赤い顔で否定をする。
どう考えても内容が、デートとは無縁の存在だ。
自分が想像するのは……もっと、こう……。
そこまで想像した所で、ようやくレーナはぷすぷすと鎮火したのだった。
「どうして俯いてるんです? もう、検問は通過しましたよ」
レーナは第一区を出たという感慨もなしに溜息をついた。
それにしても、リードは顔が利くのだなと、レーナは改めて感心する。
列になっている検問も、対した時間も掛からず通過出来てしまった。
「そう言えば、先ほどの軍曹の負け分とは、何の事なのでしょうか?」
「ああ、ポーカーです」
気になった内容は、まさかの賭け事だった。
「奥さんにどやされるだろうに懲りない奴なんです……何故か、弱い奴こそやりたがるんですよね。まさにカモという奴です」
にやりと笑ったリードの言葉に、レーナも釣られて笑ってしまった。
どかかで聞いた様な気がするセリフだ。
「ま、これが友というものです」
それだけは絶対に違うと思ったレーナであった。
あれ、思ったより話が進みませんね。