86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
第一区以外の街並みを見るのは初めての事だったが、レーナにとって特に目新しいものはなかった。
変化したものといえば、旧貴族の名残を残す豪邸がなくなり、ごく一般的な住宅が立ち並んでいる所か。
あとは、通りを歩く人の数が第一区よりも多いと感じたぐらいだ。
「……」
二人の間に会話はないが、気まずい訳ではない。
ただ、余りレーナがリードと話したい普通の話題がないだけだ。
となると、やはり口を開けば彼らの話になる訳で。
「昨日はありがとうございました。……少佐は気付いていたのでしょう? 彼らを人扱いしながらも名前すら聞いていなかった私の馬鹿さ加減を……」
あのリードの言い回しは、皮肉でもなんでもなかった。
ただ、議論の相手として選んだレーナが、その土俵に立つ資格すらないと諭すものだったのだ。
「そういうつもりでは……。と、まさか……彼らに名前を聞いたのですか?」
リードは驚いた声を上げる。
「はい、スピアヘッド戦隊22名分の本当の名前を教えてもらいました」
彼らの名前はきちんと似顔絵と共に、レーナの記憶に刻まれている。
しかし、その中の二名の声を、もう二度と聞く事は出来なくなった。
その事に、覚悟はしていたはずだが、やはり胸が抉られるように痛みを覚える。
「大抵の者は、今更聞いて何になると、目を背けるでしょうに。どうやらミリーゼ少佐、俺は貴方を見誤っていたようだ。謝罪します。……その上で」
ふいにリードの声が、真摯に気持ちを込めたものに変わる。
「俺は貴方を尊敬します」
「そんな事は……。私は知ろうともしないで、嘆いていただけの愚か者ですから」
あの時ですら、ただ卑怯者でいたくない、という自分本位の考えだっただけだ。
シンと比べれば、自分が背負おうとしているものなど、わずかなものでしかないだろう。
自分は未だ、二人の死と向き合うのに苦しんでいるというのに。
そこにリードが、ぽつりと語り始める。
「無知は罪ではありません。幼子が物を知らないからと言って怒る道理はないでしょう? ただ……知る事が出来て、やれる事があるのに、それをしようとしない奴は……」
リードの最後の言葉は、小さくなって聞き取れなかった。
だが、何を言おうとしたのかはレーナは、理解する事が出来た。
怠惰な豚。
"白豚" そう彼らに言われるのは残当。
そう揶揄されて当然の行為を、我々は犯してきて、今もなおその罪を重ねているのだ。
見て見ぬふりをする者も、同罪であるはずなのに。
その事を今の共和国の人々は、国家の礎たる理念もろとも失ってしまっているのだ。
「それにしても、彼らに名前を教えてもらえるとは。きっと、貴方は信頼されているのでしょうね」
リードの声に、どこか憧憬が秘められている様に感じるのは気のせいだろうか。
「いえ……」
レーナは首を微かに振った。
その頼りない信頼は、彼らを守ろうとしたり、共に戦ったりした先人達がいたからこそだ。
自分はまだ、何も成せてはいない。
「そうあろうと努めています。……努めていました」
今の状態では訂正する以外、選択肢はなかった。
「……少佐は、名前を聞かれた事はあるのですか?」
レーナは半ば期待せず、リードに訊いてみた。
恐らく、エイティシックスなどの名前を知りたくはないし、教えるつもりもない。
そんな返答が返ってくると予想していたのだが、思いもよらぬ答だった。
「いいえ……。俺は……彼らに名前を聞く資格はありませんから」
絞り出すように声を出したリードに、レーナは拳を握りしめた。
彼が放った内容の真意を考えるよりも、リードの言葉に納得する事が出来なかったのだ。
これから数多くのエイティシックスを監獄に送り、虐殺をするという計画を発案をした彼が。
よりにもよってその彼が、自分には資格がないなどと、訳のわからない事をほざいたのだ。
いっそ彼らを罵る言葉を吐かれた方がレーナも、呆れただけで済んだだろうに。
「どうしてそんな事を……っ」
言えるのだ。
それは逃げではないか。
彼こそ、もっとも名前を聞くべき責務があるはずだ。
「マンゴネル戦隊!! 少佐が最後にハンドラーをされていた部隊の名前です!それは覚えていますよね!?」
思わず叫んでしまった。
昨日の少女の声が脳内で木霊する。
あれほど綺麗な声で歌っていた彼女が吐いた毒が、レーナの胸に沸き起こる。
「ええ……」
まるで同調した際の彼女の意思が、レーナに乗り移ったかの様だ。
レーナ自身、自分が抱える苛立ちを彼にぶつけてしまっていると自覚しながら、なおも言葉は止まらなかった。
「今、その一人の生き残りの少女がスピアヘッド戦隊にいます!」
「知っています。俺が彼女に戦隊移動の通達をしましたから」
リードの口調は固かった。
「迎撃砲を不正利用し、彼女の部隊を壊滅させたのは貴方なのでしょう!? それでも少佐は彼女の名前すら知ろうとも思わないのですか! 資格などという言葉で逃げて……知ろうとしない事は罪ではないのですか!?」
一息で言い放ったレーナは荒い息を繰り返す。
そしてリードがどう反応したのか、確認しようと視線を向けた。
「俺は……」
だから、その時になって初めて気が付いたのだ。
正面を向いたままの彼の横顔を。
まるで、泣き出すのを悟られまいとしている子供の様な顔だ。
何かを耐えている様な表情でもあった。
「彼女の名は、ヘカ……っ」
言おうとした言葉が遮られる。
リードがハンドルから片手を放し、伸ばした手の平をレーナに向けてきたからだ。
「彼らの名前を言わないでもらえますか? お願いですから……」
リードから今まで聞いたことがない、悲痛な声が滲み出ている。
レーナはようやく、自分が衝動で何を言ってしまったのか自覚し、唇を噛んだ。
―――自分に彼を責める資格などない。
彼を糾弾すべき立場なのは彼らなのであって、自分は違うのだ。
自分も結局は、彼と同じ体制側につく、白豚なのだから。
「っ、少佐!前を!前!!」
その時、停止している前の車に激突しそうになっている事に、レーナは気が付いた。
衝突まであと僅か。
レーナ自身、話す事に必死になっていて警告が遅れてしまった。
しかし、リードが急ブレーキを踏み込んだ事により車は、前方の車の残り僅か数センチ手前で停止する。
後、少し警告が遅れていたら事故になっていただろう。
レーナは逸る心臓を押さえながら、リードを見る。
「……すみません」
その言葉が何を意味しているのか。
リードは全く慌てた様子もなく、一声だけレーナに告げてきた。
運転中はこの話題はやめようと考え、また自分は絶対に運転はしないと誓ったレーナであった。
しばらく無言のまま、幹線道路を移動する。
次に口を開いたのはリードだった。
「……マンゴネル隊の壊滅は俺のせいです」
ぽつりと吐き出された言葉は冷たく、重い。
「あのクソ共が、勝手に戦線を放棄するなど予想もしていなかったんです。……いや、片手落ちでハンドラーをしていた俺のせいでもあるか……」
そう言えばレーナも聞いたのだった。
自慢げに職務放棄を酒の肴にしてた彼らの話を。
しかし、シュタット少佐の口から、こんな悪態が出てくるとは意外だった。
「同調で気付いた時には戦線は崩壊。管制室に飛び込むも、マンゴネル隊は一人を残してほぼ包囲され、壊滅状態でした。だから、せめて彼女一人だけでも救うには、迎撃砲を使用するしかなかったんですよ」
「では、迎撃砲のシステムエラーというのは……」
「俺の仕業です。正規の手順を踏んでいる時間などなかった。無理やり以前仕込んだバックドアで砲撃統制システムに侵入して、発射したんですよ」
彼が言っている事は本当の事なのだろうか。
だが、自分にこんな手の込んだ嘘を彼が吐く理由はないはずだ。
「まあ、俺の仕業だと誤魔化すのに、だいぶ骨を折りましたけど」
自嘲する様に鼻を鳴らしたリードは、しらばくぶりに頬を歪めた笑みを見せる。
「実は数年前、迎撃砲を使える様に働きかけたのは俺なんですよね」
「少佐が?」
聞いたことがない話だった。
「では、ここで質問です。戦争がなくなって一番困るのは誰だと思います?」
そこで、リードは生徒に問題を出す先生の様に、声を弾ませた。
「軍人……でしょうか」
「確かに、今の軍はただの失業対策にすぎませんからね。戦争が終わると大勢の人が職にあぶれるでしょうね。ですが、それ以上に困る人達がいるんですよ」
そこで、リードは車を停止させた。
またも、前の車が停車したからなのだが、今度はゆっくりとしたものだった。
「例えば共和国工廠……つまりは、軍需産業です」
共和国工廠……RMI。
今やレギオンに対する装備、弾薬、戦闘機械……戦争に関する全てを生産する企業だ。
「彼らは戦時下で急速に、この国家に根を下ろし、今や国政すらも左右する大きな存在となっています。そんな彼らが戦争が終わるからと言って、今の利潤を放棄して、軍縮をおいそれと受け入れると思いますか?」
「それは……」
あまり考えた事はなかった。
レーナにとって、そういう政治事の話は遠い世界の事だったからだ。
真面目にパーティーに出たり、令嬢として生きていたならば、そういう世界に足を入れていただろうが。
「そこで、当時そんな彼らのお偉方に迎撃砲の使用を俺がご注進したんですよ。わざと弾薬の嘘の使用期限を申告していまえばいいとね」
リードはどこか投げやりな言い方だ。
「ついでに今なら軍から割高で、弾薬再装填作業も引き受ければいいと。彼らは目の色変えてましたよ。まあ、そりゃそうでしょうとも。巡航ミサイル一発で目玉が飛び出る額ですからね」
片手をひらひらと、札束の様に躍らせていたリードの手が止まる。
「まあ、幾つか政治的なやり取りでもあったのでしょう。俺の目論見は見事叶いましたが、あの時は浅はかな考えでした。結局、迎撃砲も使う側がクソだと効果がないどころか有害だったのですから」
ハンドラーがわざとプロセッサー毎、レギオンを吹き飛ばすなど日常茶飯事。
でも、少なくとも少佐はその様な意図ではなかったのだ。
となると、彼に謝らなくてはいけない。
「あの、先程は不確かな事で糾弾してしまいした。申し訳ありません」
「いえ……所詮は俺も、その金の亡者の一員ですからね」
その時、後ろからクラクションを鳴らされ、リードは車を発進する。
「この道路、どうしてこんなに渋滞してるか知ってますか?」
「そういえば随分と込んでいますが、いつもこんなものなのでしょうか?」
「まさか、今、中央まで続く幹線道路の拡充工事をしているからですよ」
拡充工事……。
何の為にだろうか。
「終戦の時の軍事パレードの為ですよ」
リードは、レーナの疑問に答えた。
レーナは工事をする作業員を横目に見ながら、リードの話を聞く。
「お偉方はジャガーノートをずらりと凱旋式に並べて、民衆に誰のお陰で生き延びれたか見せつけたいそうで」
「え、でもジャガーノートには……」
「勿論、彼らは乗せないでしょう。今の技術でも真っ直ぐ進むぐらいの自動化技術はありますからね」
それはまたもや我が国らしいとしか言いようがない。
「ちなみに工事にはうちの企業が関わってまして、かなり儲けさせて貰いました」
リードにレーナはきつい視線を向ける。
それに動じた様子はなく、リードは首を竦めた。
「……少佐は一体、何がしたいのですか?」
どうしても答えて欲しかった質問に、リードは答える事がなかった。
曖昧な表情を浮かべ、一度だけ耳を指で押さえる仕草をしただけだ。
ただ、それだけだった。
矛盾している。
彼の言動がわからない。
片やエイティシック達の虐殺行為に加担し、片や一人のエイティシックスの為に、迎撃砲を無断使用する。
管制システムの改良に関わり、国家の隠蔽にも金儲けの為に関わっている。
何がしたいのか見えてこない。
ただ、一つだけはっきりと気が付いた。
彼は、今日は一度も彼らをエイティシックスと呼んだ事がない事を。
思ったよりぐだぐだ会話回となってしまいました。
次こそは、話を進めれるはず!