86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
「お待たせしました。どうぞ、飲むと落ち着きますよ」
レーナは湯気の出ているカップを受け取った。
あの後、乗り物酔いが治らなかったレーナは、博士がいる部屋まで戻ってきたのだ。
椅子に座り、飲み物の香りを嗅ぐと、確かにだいぶ気分が落ち着いてきた。
「紅茶……ではないですよね。変わった香りですね」
「昔、祖父が極東からの移民だった方に茶葉の苗木を譲ってもらったそうで。その際、育て方と発酵のやり方も。それを、うちの使用人の一人が大層大事に育ててまして……。ああ、これはお茶というそうです」
タニヤ准尉……カイエにも飲ませてあげたいな。
そう考えながらレーナは、少し苦みがありならも甘味を感じるお茶を冷ましながら口をつけた。
リードも対面に座り、先程きちんと剥いてきたリンゴが乗った皿をテーブルに置く。
そういえば、もう昼を回った頃だろうか。
食欲をそそられるのだが、傍に置かれたプラスチック爆薬の様な物体が気になり、手を出せなかった。
「どうして、あの訓練装置を共和国は活用していないのですか? きっと新兵の生還率を格段に向上させられるはずです」
「ええ、埃を被っていたあれを発見した時、俺も量産と配備を具申しましたが、当然のように却下されました」
「どうして……」
「リソースの問題です。あの訓練装置の製造には、大体ジャガーノート1000機分を製造するのと同コストが掛かりまして、当然生産設備も、もう残ってはいません。……上にはプロセッサーなどいくらでも代わりがいるのだから、訓練など無駄だとにべもなく言われました」
「おかしいです、そんなの……」
レーナの悲痛の声に、リードも同意見なのだろう。
カップを握るリードの手には力が込められ、白くなっていた。
「そこで腹いせに、中央の士官学校近くのゲームセンターにこの廉価版をばらまいたんです。だいぶ性能を削いだせいで、本当に子供の玩具になってしまいましたが」
それを自分が発見したわけだ。
「それで少佐が釣れて、今こうして楽しいお茶会を出来ているというわけです」
餌に食いついた魚みたいに言わないで欲しいのだが。
レーナはコップ越しに、リードを睨んだ。
その意図を誤解したのか、リードはさて、と前置きする。
「そろそろ本題に入りましょうか。少佐がスピアヘッド戦隊、いえアンダーテイカーとの同調で聞いたあの声についてです」
リードはカップを置くと、レーナを真正面から見た。
こちらをまるで意に関していない博士がキーボードを叩く音が響く中、レーナは自分が唾をのみ込む音がいやに大きく聞こえた。
「俺も彼のハンドラーだった時、あの声を聞きアンダーテイカーに尋ねました。一体、あれは何だと」
リードは過去を思い出すように、視線を下げる。
そして一拍置いた後、リードは底冷えする声で告げる。
「あれは……亡霊の声だそうですよ。そして彼はその声を聞く異能を持っていると」
そしてレーナは、衝撃の事実を聞かされる事となった。
レギオンの活動時間が残り二年弱というのは、間違いである事。
その中央処理装置の代わりとして、人間の脳を代用している事。
今、減少している様に見えるレギオンの観測数は欺瞞である事。
「ミリーゼ少佐も、後できちんと彼に確認したほうがいいでしょう。今はさらに実情が変わってきているかもしれません。確実に悪い方向に……」
「その事を、……上層部に報告はしたのですか?」
到底信じれない情報に目を白黒させながら、レーナは思案する。
だとしたら、今の現状を変えなくてはいずれ……。
「ええ、軍需産業が喜びそうな報告はいくつか。しかし、その情報の出所は伏せましたから、大抵の上層部は戯言だと切り捨てました」
確かに、証拠がなければ誰も信じてはくれないだろう。
それならば、別の手も。
「何故です? 彼の能力を国のプロジェクトとして……」
「本気ですか……?きっとこの国は、また金の卵を産む雌鶏を殺す事でしょう」
腰を浮かしかけていたレーナは、すとんと座席に戻る。
彼の事を思うなら伏せていた方がいい、と言ったリードはお茶を飲み干した。
「っ、……そう、ですね」
実験送りにされ、解剖されるかもしれない。
それは戦場で死を迎えるより悲惨な未来に違いない。
「少佐。この戦争、共和国は負けるでしょう」
それからリードは、まるで他人事かの様にぽつりと告げた。
「どうしてですか? 今からでも変えていけば……」
「……全ては先ほども言ったリソースの問題です。共和国は徐々に機能不全に陥っているのですよ」
リードはそこでナイフを取り出すと、プラスチックだと思っていた物体を切り分け、一欠片を口に運ぶ。
よほどまずいのか顔を顰めながら、わざわざレーナの分も切り分けてくれた。
「ギアーデ帝国との戦争の始まりから9年……その間、この国は鎖国状態の様なものです。資源といえば85区と前線基地までのわずかな土地のみ。そんな中、中央では贅沢を享受し、一方戦争の為に、毎年およそ10万機のジャガーノートをロールアウトしていますよね」
確かに、共和国は資源に乏しい。
それなのに中央では、毎年革命祭を行い、旧貴族はなおも昔の生活を維持している。
合成食料に文句を言いながら、政府への不満を言うものも大勢。
しかし、それもレギオンが停止、共和国が元の領土を取り戻せすまでの話だと、民衆は考えているはずだ。
「今ジャガーノートに一体何機不良が発生していると思います?……足りないんですよ。鉄もアルミも、何より機械部品とその中枢となる半導体。特にレアアースといった資源が」
ジャガーノートの悪名は、ハンドラーをやっていれば嫌でも耳に入ってくる。
ナイフで抉れるほど柔い装甲、脆弱な脚部、これもリードが言った事が関係しているのだろう。
「通称スカベンジャーと呼ばれる自動機械が、戦場で壊れたジャガーノート、果てはレギオンの残骸からも資源を回収していますが、それでも明らかに足りていない」
リードが皿をこちらに押し付けてきたので、レーナは仕方なくプラスチックだと思っていた合成食料を手に取った。
「プロセッサーがいなくなるか、ジャガーノートを生産出来なくなるか、どちらも時間の問題です」
86区の戦死者は、毎年生産されるジャガーノートの生産数と同数。
どちらが尽きても、共和国は戦う武器を失う。
「うっ……」
レーナは合成食料の味に、口を抑えた。
しかし吐いてなるものかと、慌ててお茶と一緒に飲み込んだ。
「そのクソまずい合成食料にも如実に現れています。初めは、戦場でしか食べられていなかった物が、強制収容所に、そしてついには85区外周部まで」
リードがもう一個勧めてきたので、慌ててレーナは首を振った。
「生産プラントも発電設備も中央が独占し、余剰がなくなれば当然後回しにされる場所は増えるという事です。特に外周部と中央の格差は激しい。中央は見て見ぬふりをしていますが、政府への不満は次第に高まってきています」
そこでリードが、じっとレーナを見ているのに気が付いた。
「特に白系種の中で、ミリーゼ少佐の様に旧貴族の血を引く白銀種は目の敵にされていますから、少佐も軍服を着ていなければ、今日襲われる危険性もあったんですよ」
そうか、そういう意味でも軍服を……。
レーナが感じたあの敵意の視線は、余所者だから向けられたものではなかったのだ。
同じ旧貴族でもリードは純血ではないのか、白系種に近い。
それでも、ここでの関係を築くのに、どれだけ苦労があっただろうか。
「俺はいわゆる賄賂という奴でなんとか受け入れてもらっています。特にこの地域は病院が少なく医療品の配給も少ない。後ろの荷台の幾つかはうちの病院からくすねてきたものなんですよ」
リードはレーナの表情を読み取ったのかそう答えた。
「ここ84区はまだましな方です。工場があり、働き口がありますからね。しかし、他の地域はもっと治安が悪化している場所もあります」
リードはレーナが食べなかった合成食料をつまむと、一気に飲み込む。
それから、皿を回して、今度はリンゴの方を差し出してきた。
「つまりはレギオンに滅ぼされずとも、いずれ共和国は内部から崩壊するという事です」
レーナはリンゴに手を伸ばす。
かつて楽園で、知恵の樹になっていたとされる果物を。
果たして、今自分に語り掛けてきている彼は神の子を誑かした蛇か、それとも……。
「そうはならないと、私は信じたいです」
一口齧ったリンゴは瑞々しく、とても甘かった。
こんな話を聞いていなければ、きっと至福の時を過ごせただろううに。
「……そうですね。それにそんな杞憂よりも、レギオンの襲来が先なのは確実でしょう」
リードは食べ残った合成食糧を、博士のデスクにと運んで行った。
その動きにすら気が付いていないのか、博士はなおも端末に向きなおったまま。
放っておいたら、飢え死にしそうな人だ。
「しかし、人の脳構造を手に入れ、高い処理能力を獲得したはずのレギオンでも、あるロジックには縛られています」
「ギアーデ帝国の敵を倒す事……でしょうか」
「そう。その為にレギオンは戦略を変化させる事はあっても、目的を変化させる事はない」
リードもリンゴを食べ、咀嚼音をさせながら続きを話す。
「つまり、幸か不幸かレギオンは俺達を包囲して、じわじわと飢え死にさせる様な戦略は取らないでしょう。いつかは、確実に俺達を討ち滅ぼす大攻勢が始まります」
大攻勢……。
その為に、襲撃を減らし、戦力を温存し、余剰戦力の構築。
一度の総攻撃の為の準備期間が、まさに今だという事か。
「その日は近いです。予測では三年以内。……目を背けていても必ずその日は訪れる」
「少佐はそれを知って……」
「ええ。ハンドラーでは、戦場の一人は救えても、大局は変えられません。だから、ハンドラーを辞めてこっちに専念したかったのですが、やり手のいないハンドラーはなかなか辞めさせてもらえず、最後はマンゴネル隊の様な結果になってしまいました……」
それでも、と切り出したリードの声は、決意を滲ませたものだった。
「俺は、俺達はその日の為に、少しでも手を尽くしています」
その後、レーナはリードの協力者と交流を深める事になった。
同じく昼食を食べに来た彼らは、合成食料をプラスチック爆薬だと、笑いながら不味そうに食べていた。
様々な人がいた。
第一区で技術者をしていたが、政府の技術非開示に疑問を持ち、辿り着いた者。
博愛主義者でエイティシックスも同じ人間なのだと、義憤に駆られ参加した者。
実際に、家族や友にエイティシックスがいて、今の現状を変えたいと思った者。
改めて、レーナは一人で戦っていたわけではないのだと、実感する事となった。
そうして気付けば、ずいぶんと時間が過ぎ、夕暮れとなってしまっていた。
机に突っ伏して眠る博士と、なおも整備を続ける彼らにお別れを告げる
荷台が空になった車に戻るも、工場は今もなお休む事無く稼働が続いていた。
朝と違いだいぶ空いた幹線道路を車は進む。
定期的な振動を感じつつ、次第に暗くなる空を見ていると、レーナが今日得た情報が次第に整理させていった。
そして、リードと再び車内にいると、嫌でも朝感じた矛盾にも辿り着いた。
「シュタット少佐、貴方の行動は矛盾しています」
今日レーナが見てきたリードは、彼が隠してきた本当の姿だろう。
「大攻勢が始まるのなら、86区の彼らを監獄に送るなど愚の骨頂です。戦力の低下を招くのですから。それにグラン・ミュールも……あれはレギオンに対し、有効的な防御手段のはずです」
リードが発案者となっていた計画の全てが、今日聞いた話を矛盾する。
「ええ、俺はあえて、朝言いませんでした。しかし、今日真実を聞いた後では、少佐も理解出来るかと思います」
リードはハンドルを握ったまま、人差し指を立てた。
「では最後の質問です。大攻勢の際、レギオンはどんな戦略をとるでしょうか?」
「……物量作戦だと思います。そして、こちらが全方位に部隊を展開している以上、どこか一方向から一斉に仕掛けてくるはずです」
「正解です。しかし、それではもう一手足りない」
何が足りないというのだろうか。
レギオンの攻勢パターンを見るに、自分の推測に間違いはないだろう。
「少佐もご存じでしょうが、昔の国家間の大戦時、大艦砲主義というものがありました」
「はい、士官学校で習った事を覚えています……それが?」
「とにかく大口径で遠距離から狙い撃ちする……かつてあった列車砲が最たる例ですね。しかし、航空機の登場、特にロケット技術の進歩でそれは廃れていきました」
そう、すでに過去の遺物だ。
「しかし、再び空の時代は終わりました。阻電攪乱型が空を覆いつくす今では戦闘機も迎撃ミサイルも無用の長物です。しかしそれは航空戦力の保有をロジックで禁じられたレギオンも同じ事」
レーナはそこで自分の心臓が早鐘を打つのが聞こえた。
と、いう事はつまり……。
「歴史は繰り返します。おそらくレギオンは超長距離砲を建造しているでしょう。我々が手の届かない位置から壊滅的な大打撃を与える為に。大攻勢はその後です」
リードが言っているのは、あくまで仮定の話に過ぎない。
本来なら、ただの機械に過ぎないレギオンは、そこまでの戦略的思考を持ち合わせないはずなのだ。
しかし、奴らが人の高度な思考能力を手に入れたという話を聞いた後では、絵空事とは思えなかった。
「グラン・ミュールなどただの薄い壁でしかない。大攻勢の足止めぐらいにしか役には立たないでしょう。なら、こちらのタイミングで、先兵もろもと爆破出来る方がいい」
リードはそれから、人差し指を下に向けた。
「この幹線道路の拡充もその為です。レギオンを誘い出す場所として最も最適になる様に設計しました。この下には地下空洞も同時に建設し、ある振動を与えるだけで簡単に崩壊する様にしています」
それもリードの計画に賛同する人が関わっているのだろう。
一体、どれだけの人が彼の計画に携わっているのだろうか。
「それらの時間稼ぎの間に、全プロセッサーに85区内での戦闘を要請します。それしか、共和国が生き残る術はありません。……それでも試算では、守り切れるのは精々第9区まで、最悪の場合は第3区すら守り切れるか怪しい」
レーナはそこで、ようやく思い至った。
自分が義憤にかられ、極悪非道の計画だと非難したものの本当の狙いを。
「で、では、監獄は……」
「86区の人達を保護する為です。上層部には、処刑場としてのガス室が入った図面を提出しましたが、実際は俺の手のかかった協力者が建造に携わっています」
レギオンの大攻勢の予測は3年以内。
そして、監獄の建設完成予定は1年後。
処刑が実施されない事に上層部が疑問を抱く頃合いとしては、ぎりぎりのタイミングだ。
「彼らはいざという時の保険です。応じてくれないプロセッサーもいるでしょうが、同胞が生きていると知れば、戦ってくれる者も大勢いるはずです」
保護……。
ものは言いようだが、それはあまりにも卑怯なやり方ではないか。
「そんなやり方で、彼らは答えてくれるでしょうか……?」
「それしかありません。前に言ったでしょう? 我々に精々出来るのは、人質を取り、背中に銃口を突きつける事だけ、と」
リードの引き攣った歪んだ笑みに、レーナは押し黙るしかなかった。
それからゆっくりと口を開く。
「リードルフ・シュタット少佐。貴方は……何者なのですか?」
レーナは聞かざるを得なかった。
彼がどうしてこのような計画に至ったのか。
誰もが周囲の人から否が応でも影響を受けてしまうものだ。
汚れた家庭環境で育てば、片付けが苦手になる様に。
堕落した思想に触れれば、気付かない内に己も同様に染まる様に。
しかし、それでも転機が訪れる事はある。
嘗て自分が前線に赴き、感じた戦場の姿、出会った人。
自分がショーレイ・ノーゼンから影響を受けたように。
レーナは、今なら彼が答えてくれるのではないかと考えた。
きっと彼は自分を信頼して、あの場所に案内してくれたのだ。
レーナが中央に密告する事がないと確信して。
それでも、自分も秘密裏の計画に賛同するのならば、もっと彼の事を知る必要がある。
「そう、ですね……ミリーゼ少佐にはお話ししましょう」
走る車内の中、誰にも聞かれる心配のない場所。
ゆっくりと、リードはその重い口を開いた。
「俺は……リードルフ・シュタットという人物ではありません」
レーナは耳を疑った。
この人は、何を言っている。
「ましてや、アルバでも、エイティシックスと呼ばれる彼らでもない。ただの……」
リードの銀瞳の色合いが青く変化した気がした。
「―――裏切者です」
いい所で終わらせる為に長くなりました。
そろそろ、主人公の正体に感づかれた人もいるのではないでしょうか。