86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
「裏切り者……、 どういう……?」
いや、それよりもその前に彼は何と言った?
レーナは急に、隣に座る同乗者に恐怖を覚える。
得体の知れない何かを相手にする様に。
「昔話をしても?」
しかし、その相手の声はごく普通で、落ち着いた声色だった。
だから。
え、ええとレーナは戸惑いながら返事を返す。
「元は俺はギアーデ帝国の生まれなんです。父はある貴族の血を引く傍流の家系だったらしいのですが、当時の記憶は朧気ですね」
そういえばリードルフ・シュタットの母、マリアンナ・シュタットの事は以前調べたが、父親については記録にはなかった。
その人の事だろうかと、レーナは一瞬思うも、先程彼が自身を否定した事を思い出す。
「5歳の時、父は俺を連れ立って、俺の……病気の為に遠縁の親戚を頼って共和国に移住しました。意外とこの国の医療技術は発展しているんですよ」
そこで、リードは片手で耳を抑える仕草をした。
「そこで父は、共和国でも指折りの名医だったハウツマン氏を頼ったのです」
ハウツマン・シュタット。
数年前、自殺したリードの祖父。
……何故彼は、祖父である人の名前をそう呼ぶのか。
「そして9年前あの日、戦争が始まりました……」
共和国歴358年。
大国ギアーデ帝国が始めた周辺国家への侵略戦争。
「父は戦場に駆り出され、俺は7歳の時、強制収容所に連行されました」
「なっ……」
強制収容所……!?
彼が?
では彼はエイティシックス……!?
「で、ですが!その髪も瞳も!白系種にしか……」
「髪は毎日染めてるんですよ。瞳の色は特殊な薬品を注射して変えています。肌は元々、色白だったので」
対向車線の光に照らされる彼の髪も瞳も、アルバのそれにしか見えない。
いや、でも瞳の色が確かにさっきは……。
「俺の本当の名前はヨナ。ヨナイス・ラングレイといいます。年も実はミリーゼ少佐と同い年なのですよ」
その名前は彼、いやヨナに、何故かとてもしっくりくるものだった。
それもそうか……彼の本当の名前だからだろう。
それに年齢。
19にしては、幼いと前々から感じていたが、そういう事か。
「強制収容所からどうやって……?」
何故、強制収容所に連れていかれたエイティシックスである彼が、今現在リードフル・シュタットとして生きているのだろう。
到底、信じる事が出来ない告白だ。
今日一日、彼に付き合い、その多くの秘密を知らされていなければ、戯言だと一蹴してしまう程の。
「……俺が強制収容所にいたのはたったの一年でした。それでも無限に感じる様な地獄でしたよ。食料は貰えず、いつも飢えてて、喉の渇きから泥水を啜り、いつ死んでもおかしくない状態の日々。俺は収容所のバラックの中にすら入れてもらえませんでしたから」
「そんな……収容所には配給があったはずです。……それにどうして子供であった貴方がそんな目に……」
レーナは苦虫を嚙み潰すかのように話す彼に、動揺した声を上げる。
「耳も聞こえず、まともに喋れない子供など何の役にも立たないでしょう?」
「耳……?」
「ええ、俺は幼い頃の病気で、耳が聞こえなくなったんです。今では治療の甲斐あって聞こえるようになりましたが。ついでに当時、俺はある事情あって言語能力が未発達だったんです」
それで最初に会った時、彼の発音に違和感を感じたのか。
彼の話し方の特徴を、訛りと勘違いしていたのだ。
「前線で兵士になれる訳でもなく、後方で仕事が出来る訳でもない。……強制収容所は無駄飯食らいを生かしておくほど、余裕がある場所ではありませんでしたから」
「そんな状態で、どうやって生き延びたというのですか……?」
レーナには想像もつかない凄惨な日々だろう。
今まで家族に愛されて、普通の生きてきた7歳の子供が味あうには、あまりも残酷すぎる。
「父が頼った遠縁の親戚には同い年の幼馴染がいたんです。彼女が俺の事をずっと守ってくれていたんです。あの時までは……」
そこで彼は、優し気に緩く頬を緩めて、微笑みを浮かべた。
レーナが出会って、初めて見る表情だ。
しかし、最後の言葉を告げる時にはその表情は掻き消える。
「俺はハイツマン氏に助け出されました。あの地獄の様な強制収容所から……たった一人だけ」
悔恨を、懺悔を告げる様に彼は声を絞り出す。
一人だけ、という事は……守ってくれたという少女は……。
レーナは、その事を尋ねるなど出来るはずもなかった。
「何故、ハイツマン氏は貴方を助けたのですか?」
だから、代わりに一番気に掛かった質問をする。
当然の疑問だ。
アルバの中でも、特に移民に対し排他的であった旧貴族一員であったハイツマン氏は、何を思い彼を助けたというのだろうか。
「彼は孫を探していたんです。一人娘であるマリアンナ・シュタットの息子。一族に望まれた子ではなかったリードルフ・シュタットを」
今まで、リードルフ・シュタットと名乗っていた彼はその名を他人事の様に語る。
改めてレーナは、彼はその名の人物ではないのだと実感する事となる。
「望まれた子ではない、というのは……?」
「マリアンナが結婚した相手は有色種だったのですよ。当時のハイツマン氏はそれを許さず、自分の娘と生まれたばかりの子供を一族から追放しました」
家柄や、格式。
時代にそぐわない旧貴族であるならば、到底認めれなかったのだろう。
レーナはそれが自分の事のように、胸に鈍い痛みを感じた。
「彼女はリードルフと一緒に有色種が多い地域で暮らしていたそうです。しかし、戦争が始まり二人がいた地区は戦火に吞まれてしまいました。その時になって、ようやくハイツマン氏は後悔したのでしょう……」
行政区85区外の地域は、今は廃墟と化している。
85区内に逃げ延びれた人が、どれだけいただろうか。
「娘を、そしてせめて孫だけでもと探し回ったそうです。医師として、いくつもの強制収容所を伝染病予防という名目で」
リードルフは当時10歳。
もし、生きていれば面影から探しだす事は可能だったのかもしれない。
「しかし、いくら探しても見つけ出す事は出来なかった。ただ、代わりに、最後の強制収容所で俺を見つけたんです。……呆れた事に、俺はその時、無邪気にも本当の祖父母が迎えに来てくれたなんて思っていたんですよ」
リードは微かに首を振ると、小さく自嘲した。
「俺は病院暮らしが長かったせいで、耳が聞こえないどころか、文字すら読めなくて……あの頃は戦争の事も、収容所の事も何一つ理解してなくて……その手を取りました」
彼は、まるで救いの手を取るべきではなかったというう風に。
ありったけの後悔を滲ませた声で言った。
「俺は彼の患者でしたから、面識があったんです。それにあのままだとまず間違いなく死んでいたでしょう。だから、助けてくれたのでしょうね。収容所からこっそり連れ帰った俺を、ハイツマン氏はリードルフとして育ててくれました。……祖父母は本当に良くしてくれましたよ。教育を与えてくれて、普通に話せる様にもしてくれた」
いくら治療で耳が聞こえるようになったからといえ、後から言語能力を獲得するのは並大抵の努力ではなかっただろう。
「実は祖父が軍の伝手で、レイドデバイスを手に入れてくれたのですよ。そのお陰でもあります」
そうか、聴覚の同調。
耳が聞こえなくても相手が聞こえている音で、自分の出している声を確認する事が出来る。
「……何歳の時に貴方は、この国の実情を知ったのですか?」
子供であった彼は貪欲に知識を吸収したに違いない。
そして、いつかは自分が何者で、どうしてあそこにいたのかに辿り着いてしまうはずだ。
「俺がはっきりと周りの事がわかったのは2年後でした。10歳の時になってようやく俺は何が起こったのか、自分が何者かわかったのですよ。ちょうど、リードルフが13歳として、中等部に通わなくてはならない年でもありましたし」
そうか、戸籍上リードルフとして生きるには年を偽らなければならなかったのか。
そして彼は全てをわかった上で、アルバしかいない学校に通ったのだろう。
それは……どんな苦痛だっただろうか。
彼の家族を死に追いやった人達と、自分を偽りたった一人で生きていく人生は。
―――恨みはなかったのだろうか。
「前に……ハイツマン氏が服毒自殺したという記事を読みました。教えて下さい。何があったのですか?」
だから、この事はどうしても聞かなくてはならなかった。
到底、その死と彼が無関係なはずはないと思ったからだ。
その答え次第で、レーナ自身の命が危ぶまれようとも。
「……恩返しがしたかったんです」
「え……?」
予想だにしない彼の声とその内容に、レーナは呆気にとられるしかなかった。
「……助けてくれたお礼にと。あの時、俺は愚かにも本当のリードルフがどこにいるか探し出してあげようなんて考えたんです」
どうしてそれが、あんな結末に……?
と疑問を投げかける前に彼は口を開いた。
「生憎、俺はある事情……能力のお陰で、人並以上に時間だけはあったので、プログラムを弄るのが得意になったんですよ。そして見つけてしまった」
「生きて……いたのですか?」
「いえ。……軍のデータにクラッキングして見つけたのはマリアンナの死亡報告書でした。彼女はアルバですから、一応身元不明の遺体として、検死に回されていたんです。そしてその身体的特徴と、幼少期の治療の痕跡が彼女と完全に一致していました」
「それは残念……です」
「ええ……その報告書によると、マリアンナは軍の一人が誤射により一緒にいたエイティシックスの子供もろとも撃ち殺してしまったそうです。強制収容所に連行しようとした所、母親が庇ったせいで、驚いて二人を撃ってしまったと長ったらしい兵士の言い訳と共に、当時の状況が書いてありました」
「そんな事って……」
二人は戦争を生き延びていたのだ。
あの戦場をだ。
きっとその後、彼女は父であるハイツマン氏に助けを求めていただろう。
もし出会えていれば、ハイツマン氏は二人を受け入れていたのだ。
愛情を持ち、血の繋がった孫を匿ったに違いない。
それなのに……、子供を無理やり引き離そうとした同胞によって殺されてしまった。
そんな悲惨な事はないだろう。
「……それを伝えた夜、祖父母は自殺しました」
彼は背筋が凍るほど冷たい声で、淡々と告げた。
レーナはぞくりと、言い表しようのない感覚に襲われ、思わず大声を上げてしまう。
「どうして……っ!」
「さあ、……どうしてでしょうね? 今頃になって自分達がただの代償行為として、汚い色付きの子供を育てている事に気が付いたのか。それとも……」
彼の続きの言葉は、小さくなって聞き取れなかった。
ただ、陰影を濃くしたその表情は、同い年とは思えぬほど苦悩が刻まれていた
「何れにせよ、俺は彼らに娘と孫の二度目の死を与えてしまったんです。一度は受け入れらていたのかもしれない……でも、もう一度は耐える事が出来なかったのでしょう」
そう告げた彼の声は微かに震えていた。
主人公の名前がようやく決まりました。