86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
そう言い終えた後、彼は一度堪えられない様に、大きく深呼吸をした。
「それから俺は、医道を志すべしというシュタット家の家訓を破り、軍に入りました」
「何故、軍に? 」
別にシュタット家であるならば、屋敷から出ずに引きこもる手もあったはずだ。
その方が安全のはずだ。
わざわざ危険を犯してまで、何故この国の中枢に……。
「俺は家の財産を継いだのですが、後見人などの厄介事がありまして、身の安全の為にも早く一人前になる必要があったのですよ。それに軍人になれば、強制収容所に行けると、同胞に会えるとも考えました」
そこで彼の視線が、声色が一段下がった。
「そして……俺はそこで真実を知りました」
「っ……」
軍に入ったのなら嫌でも耳に入っただろう。
この国がひた隠しにしている、無人式自律戦闘機械に人が乗っているという真実。
それを聞いた時、彼は同胞の扱いについて何を思ったのだろうか。
レーナが視線を向けると、彼は片頬を引き上げ、引き攣った笑みを浮かべていた。
「俺はその事を知って、少しでも彼らの役に立とうとハンドラーを志しました」
そして、事実彼はハンドラーになったのだ。
ハンドラーとして、再び同胞と声を交わしたのだろう。
なら、その後は……。
「彼らに自分の事を話されたのですか?」
「一度だけ……。最初に着任した部隊の戦隊長に、愚かにも、俺は自分の正体を打ち明けました」
彼は歯をぎりっと噛み締め、嘲る様な声を出す。
「俺は彼に、嬉々となって自分がどんな体験をして、どんな思いで、この場所に辿り着いて、どんなに役に立ちたいかを語ったんですよ……」
最初に同胞と声を交わした時、彼の胸に沸き起こった思いは何だったのだろう。
年を三つも偽り、自分の名も姿さえ、隠す生活はどれだけ苦痛だったか。
どれだけ、打ち明けたかった事だろうか。
「そして……俺は裏切者と罵られました。少佐の事を笑えない程、俺は大馬鹿者だったんですよ、どうしようもないほど」
裏切者……。
そこでレーナは、彼が息を漏らして笑っている事に気付く。
たが、それが自分自身を嘲笑う笑みである事は間違い様もなかった。
「どうして裏切者、と……」
「決まっているでしょう。同じ有色種でありながら、アルバと同様に、壁の中でのうのうと生きてきた俺は彼らからしたら裏切者でしかない。しかも、その事を自覚もせず、共に戦おうなど、どの口が言えたものか。俺は彼らの思いなど知ろうともしなかった。……ただ、縋ろうとしたんです」
「でも、……それは貴方はどうしようもなかった事のはず。何も知らない貴方に選択肢はなかったはずです。そうでしょう……!?」
レーナは否定したかった。
あの話を聞いて、誰が彼を責められるというのか。
子供だった彼に、耳も聞こえなかった彼が何を出来たというのか。
「だったら、正体を明かして戦場に赴き、共に戦えばいい。そうしないのは、結局は俺が卑怯者だからですよ」
彼は憎しみをありたっけ込めた様な声を上げた。
レーナはそこで、ようやく思い至る。
他の誰でもない彼自身が、一番彼を責めているのか。
「その後、彼は他のアルバに俺の正体を言いふらしてやると告げ、同調を切りました。……しかし、その日の戦闘で彼は……戦死しました」
彼は笑う様な泣く様な、判別つかない歪んだ表情を浮かべた。
「俺はその事に、心底ほっとしたんですよ」
「っ、それは……」
「彼が死んでくれて……誰にもばれる心配がなくなって、安堵したんです」
別に彼は、その戦隊長の死を願ったわけではあるまい。
ただ、結果としてそうなっただけなのだろう。
でも、彼の心に決して消える事のない咎を残したのだ。
彼が感じたものは人としてなら、否が応でも誰もが持ち合わせているものなのに。
「……その時、俺は逃げだそうかと考えました。見て見ぬ振りをして、目をつぶろうかと。この壁の中でリードルフとして、ただ怠惰に生きていこうかとも思いました」
しかし、彼はそうしなかったのだ。
だから今、彼は私にその秘密を打ち明けている。
シンとの出会いで、レギオンの大攻勢を知り、それに備え、今も準備を進めている。
「貴方は何故、戦えたのですか……?」
レーナは自分が出すべき答えを求めていると自覚しながらも、言葉に出さずにはいられなかった。
同胞に裏切者と罵られ、たった一人自らを卑怯者と自覚しながらも、前に進めるその意思。
それをどうやって彼は得たというのだろうか。
「約束がありましたから」
「約束……?」
「帰ってくる場所を守ると……、そう彼女と約束しましたから」
彼は優しげな笑みを、初めて子供らしいと思える顔をした。
「少佐。俺は何も同胞の為に、義憤に駆られて動いてるわけではないのですよ……それに。共和国に対しても、それほど恨みを抱いているわけでもありません」
「そんな事あるはずありません……!だって、貴方の家族も、友人も、生活も全て奪ったのは共和国なのですよ!」
レーナは彼が言った言葉を否定する様に、声を張り上げる。
復讐するには十分な動機のはずだ。
「恨みを抱くには遅すぎたのですよ。当時の俺からしたら、アルバより収容所の大人達の方が恐ろしかったくらいで……。それに俺は命を助けられ……罪を重ねすぎました」
「罪って何がですか……生き抜いた事がですか!?」
それを罪だというのなら、共和国はとうの昔に地獄行きだ。
「俺はハンドラーだったのですよ。俺の、ただの個人の願いの為に、彼らに戦えと命じ、今まで何人を死地に送ったか」
「で、ですが、貴方は彼らを少しでも救おうとしていて、今もしているじゃないですか!」
彼が動いたからこそ、多くの事が変わったのだ。
迎撃砲も管制システムも、ジャガーノートの改良も。
全て彼がいなければ成せなかった事のはず。
罪と言うのなら罪でもいい。
だが、その罪を洗い流せるほどの成果を彼は成し遂げたはずだ。
「結局全ては、約束を守り、彼女に生きていて欲しかっただけですよ。……俺がヨナとして残されたのはそれだけでしたから」
生きていて欲しいといっても、その人は……。
もし収容所で生き残っていたとしても、いずれは戦場に送られるはずだ。
プロセッサーとして……。
「その人の名前を聞いても?」
レーナが知っている人の中に、もしかしたらその人物がいるかもしれない。
「……・ナハト」
彼が言い淀みながら告げた名前は、聞き取る事が出来ない。
彼を見れば、何度も音を出さずに口の形を変えていた。
「実は、知らないんです。どうやら、彼女の名前は長く、俺には発音が難しかったらしくて……」
彼が耳が聞こえない時に出会った二人。
そうか、彼はその子の声も名前も聞いた事はないのか
「レイ、だったのかリアだったのか……。何度も何度も口の形を教えられた筈なのに、もう、覚えてもいないなんてな……」
彼は悲しげに自嘲して、首を振る
どちらにせよ、残念ながらレーナには心当たりがない名前だった。
そして レーナは再び矛盾に行きあたってしまう。
「どうして、朝は彼らの名前を言わないで欲しい、と言ったのですか……?」
聞く資格がないという真意は、彼の話を聞いてわかった。
でも、聞かないと彼女が生きているかどうかすらわからないはずだ。
「名前は相手に覚えていて欲しいから名乗るのですよ。彼らは裏切者などに、名前を憶えていて欲しくはないでしょう。俺も偽りの名前を名乗りたくはない……」
「では、彼女をどうやって……!」
「……強制収容所の解体を目指したのは彼女を探す為でした。もし、生きていればいつかは、見つけられるはずだと。そこにいなければプロセッサーとなっているか、それともすでに……いないか」
だとしたら彼の願いは……。
彼の意思はどうなるのだろうか。
彼も立ち止まって、しまうのだろうか。
「どちらにせよ、俺はリードルフの皮を被って生きる薄汚い裏切者です。彼女が生きていようと死んでいようと、俺はこんな姿を見せたくはない……」
「っ貴方はよくやったはずです。誰がそこまで出来たと思います?貴方だから出来たのですよ。全ての事情を知ってから6年。たった6年でここまでやってのけたのですよ!それを……」
誇ってもいいはず……。
言おうとした言葉をレーナは飲み込んだ。
その事を声に出すことなど出来るはずもなかった。
―――それが一番、彼を逆に苦しめてしまうとわかっているから。
そのまま、互いに無言のまま数時間が過ぎ、車はようやく第一区に戻ってきた。
ミリーゼ家の近くの道路に止め、レーナはゆっくりとした動作で車から降りる。
運転席側に回り込むと、彼は窓を開け、先ほどまでの表情とは打って変わり、今日初めて会った時と同じような笑顔を浮かべてきた。
「今日のデート、楽しかったですよ」
「だから、違いますって……」
からかってくる彼はいつものリードルフその人だ。
仮面を被り、正体を隠した偽りの姿。
そこでレーナは、はたと気が付く。
「少佐の事は、これからもシュタット少佐とお呼びした方が?」
「是非そうしてください。前線に送られるなら本望ですが、まだ絞首刑にはなりたくありませんから」
あ、でもとヨナはにやりと笑みを浮かべる。
「二人だけの時には、ヨナと呼んでくれてもかまいませんよ」
その言葉に、レーナは一瞬絶句。
それから顔が赤くなるまで時間は掛からなかった。
それはまるで、愛しい男女の仲の様ではないないか。
「そんな事しませんっ!」
「ははっ、冗談です」
にっとヨナは笑う。
散々からかわれるレーナであった。
案外こういう所は、彼の素なのかもしれない
「ミリーゼ少佐、忘れ物です」
そこでヨナが、レーナの席の横に置いてあったリンゴを投げてきた。
朝に貰ったまま置き忘れたままだったのだ。
レーナは今度はしっかりと受け止めた。
すると、さっきは言えなかった言葉がレーナの中から沸き起こる。
何か伝えなければ、彼は消えてしまいそうで、潰れてしまいそうで。
だから、あの約束以外にも、寄る辺となれるものがあるのなら。
「私も……私も戦います。だから、少佐も最後まで共に戦いましょう」
レーナは決意を秘めた口調でそう言った。
それにヨナは、静かに返答を返す。
「ええ」
ヨナは軽く手を振って別れを告げた後、車を発進させる。
ふと、バックミラーを見ると、レーナはレイドデバイスを起動する所だった。
彼女は逃げずに戦う事を選んだのだ。
しかも、すぐさま有言実行とは彼女らしい。
「最後まで、か……」
ヨナは呟いた。
―――最後とは、いつの事を彼女は指していたのだろうか
この国にとっての最後。
彼らにとっての最後……。
今日、終ぞ彼女は気付くことがなかった。
どこにも有色種の姿が見えない事に
別に知ろうとしないかったわけではないはずだ。
ただ、思考の常識の範囲外だっただけだ。
それだけ、彼女は優しいのだ。
共和国をまだどこか信じているのだろう。
そして、それを伝えていないスピアヘッド戦隊の人々も。
「あの事を伝えたら……流石に彼女も」
逃げ出してしまうだろうか……。
いや、……きっと恨まれ、罵られる事だろう。
だが、今は協力者として、彼女にはいなくなって欲しくはない。
彼女になら自分が最後を迎えても、後を任せられる。
―――自分の最後。
それはきっと、どこにも行く場所がない裏切者に相応しい末路だ。
主人公、あんまりレーナをからかいすぎると後でシンに殺されそう……。
あと、すみません。
主人公のぐだぐだ過去話に、だいぶ掛かりましたね。
もっと上手く纏めれたら良かったんですけどね。
今回もだいぶモチベがやばかったです。
後で修正するかもしれません。