86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
「おや。シュタット君、もう行ってしまうのかね」
ヨナは後ろから声を掛けられた。
時刻は昼過ぎ、場所は第三区のカジノ。
いくらか稼ぎ、大いに損をし、同じ様に騒ぐギャンブラーと混ざり、宴もたけなわといった所だった。
声を掛けてきたのは、ヨナが自分の手札に賭けた全額を勝ち取った相手だ。
「今日は負けすぎました。次回はお手柔らかに」
二つの意味でよく腹を肥やした大企業の社長相手に、柔和な笑顔を浮かべ、ヨナはその場を後にする。
外に出ると、どんよりとした曇りが広がっていた。
風も吹きすさび、ヨナはコートを前で合わせ帽子を目深に被った。
それから自然と、足はある場所にと向かっていく。
賭け事は必要な行為だ。
普段明るみに出せない資金を密かに動かしているヨナにとって、ギャンブルで散財する御曹司というのはいい隠れ蓑なのだ。
しかし、それでも次第に誤魔化しようがない程、シュタット家の財産を使い果たしてきていた。
その事を親戚や経営陣が追及してくるのは時間の問題だろう。
そうなれば、出自の怪しいリードルフについて調査が入り、今までの様な活動は難しいかもしれない。
「ま、それもそうなったらだ……」
ぽつりと呟き、一人の少女の姿を思い出す。
例え自分がいなくなっても、後を任せられる人物。
ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐。
数日前、自分の正体を明かした一人。
協力者は大勢いるが、彼女にだけはほぼ全ての事を話したつもりだ。
他の協力者には、秘密にしている事も多い。
何故なら多くの者が耳を傾けたのは、シュタット家の力あってこそだ。
政府が発表しているレギオンの二年後の停止は、嘘偽りだと唆し、自分の財産を守る為に計画に協力を取り付ける。
シュタット家の者が言うのならと、信頼して手を貸してくる者が多いのは祖父母の人徳があったからだろう。
しかし、その発案者が実は、血の繋がらない全くの赤の他人で、しかもエイティシックスだったと知ったら彼らは何を思うだろうか。
「はは……」
乾いた笑いを零した所で、ヨナは足を止めた。
目の前にはごく一般的な住宅が広がっている。
その内の一軒。
かつて、ラングレイ一家が暮らしていた場所だ。
9年前の戦時特別治安維持法により、その家は政府に徴収され、数年前まで白系種の共和国民が住んでいた。
それをヨナが手を回してその家を、ついでに目立たない様に、すぐ隣に隣接する数軒を買い上げたのだ。
門扉に手を掛け、中に入る。
父はほとんど財産を持たずにこの国に来たので、本当はこんな家に住めるほどの暮らしを送れるはずではなかったはず。
しかし、それに援助を申し出てくれたのが隣に住む遠縁の親戚ナハト家だったのだ。
父と二人で暮らしていた事を思い出す。
母はヨナが3歳の時に亡くなったから、この国に持ってこれたのは写真だけだった。
その写真もすでにないが、綺麗な青い目をした女性だった事は覚えている。
そこで自分とリードルフはよく似ていると追憶する。
その境遇が。
リードルフの父親が、母親の一族に受け入れられなかった様に、自分の母親もまた父親の一族に受け入れられなかったのだ。
父は母との結婚の為、一族を捨てた。
そして、母と生まれたばかりの自分と三人で暮らしていたそうなのだが、母は数年後、病気で亡くなってしまった。
まだ幼い子との生活に、父は困り果てたのだろう。
あれほど二度と戻るまいと決めていた一族に手を借りる事となり、条件として一族が決めた相手と再婚する事になったそうだ。
その継母の事を自分は、本心から毛嫌いしていた事を覚えている。
何故なら、何一つとして覚えていないからだ。
相手も同じ気持ちだったのだろう。
ただし、毛嫌いという段階ではなく憎悪であったが。
母は花が好きだった。
自分も母が摘んできた花を花瓶に挿しているすぐ傍に行き、その花の香りを一緒に匂うのが好きだった。
そして、その意志を継いだ父が花壇の手入れをよくしていたのを覚えている。
いつだったか、継母がその花壇で花を掘り起こし、キッチンに入っていくのを目撃した。
そして、その日。
俺は夕食で出されたスープを飲んで、その後、急に倒れた。
ひどい高熱だったそうだ。
生死を彷徨った結果、俺は聴覚を失う事となった。
父は当然、継母を疑った。
それを一族は察していたようだが、体面を気にしたのだろう、大事にする事はなかった。
そして父は連邦を出て、共和国に移住したのだ。
勿論、俺の治療の目的もあったのだろうが、あの一族が住まう土地にいたくなかったのが本心だろう。
自分にとっては、その時は父が全てだったから、当然喜んで付いて行った。
―――そしてあの子と出会ったのだ。
吸い込まれそうな大きな黒い瞳をした、綺麗な黒髪の少女だった。
ヨナはレンガで出来た生垣に沿って歩きながら当時の事を思い出す。
あの子は何度大きな声で叫んでも、俺が反応しないので、平手打ちをくらわしてきたのだった。
ああ、今思い出しても酷い。
まあ、その後両親に怒られたのか、泣き腫らした目でその子は謝りに来て、仲良くなったのだが。
あの子と初めて出会った時、生垣はその一箇所だけ崩れていた。
だが、住んでいた人が直したのだろう、今は綺麗に修理されている。
それは他の場所も同じだ。
二人で作った秘密基地も、二人で身長を競い合って削った柱の傷も。
全て痕跡を残してなるものかといえるほどの執拗なリフォームによって消え去っていた。
懐かしいと思えるのは、雰囲気くらいなものだ。
ここには、何も自分が存在していたと思えるようなものは残っていない。
名前すらもそうだ。
強制収容所から助け出された時、自分が覚えていたのはヨナという名前だけで、実は家名すらまだ覚えていなかった。
祖父場は名前すらもを忘れさせようとしていたようだったが、自分は忘れる事はなかった。
その後、フルネームを知ったのは祖父のお陰だったが。
医師としての矜持があったのだろう。
彼は自分が受け持っていたエイティシックスの患者のカルテを、持てるだけ全て自分の書斎に隠していたのだ。
それを偶然発見した事により、ヨナは自分の名を知る事となったのだ。
しかし、残念ながら幼馴染の方は超優良健康児だった為、カルテは存在しなかった。
出生証明書も個人番号も、果ては公共料金の請求先も、エイティシックスに関わる全てをこの国は抹消したのだ。
いかに残りやすいデジタルデータとはいえ、物理的に破壊されてしまってはどうしようもない。
だから、ナハト家の名を知ったのはさらにその後だった。
軍に入り、倉庫で古い記録を漁っているとあの子の父親の名前を見つけたのだ。
カビの生えた倉庫だけは、さすがに誰も手を付ける気すら起きなかったのだろう。
テオドーア・ナハト
彼は元々共和国軍人で、何度か勲章を授与された事のある程の人物だった。
写真に写った軍服を着た彼を、ヨナは覚えていたのだ。
とても優しく強い人だった。
だから、帝国の侵略に対し、真っ先に戦車隊を率い、立ち向かったのだろう。
戦死した記録もなかれば、死体もない。
当然、共和国軍に属してたという存在すらも。
それでも、ようやくその一家の名を知る事が出来たのだった。
「どうだ。ちゃんと約束、守ってるだろ……」
答える人は誰もいない。
しかし、嘗てあの子と帰る場所を守ると、指切りをして約束した事を忘れはしない。
二人の父親が戦争に行ってしまった後、必ず彼らが帰ってくる場所を守ろうと誓ったのだ。
その誓いは、強制収容所に送られても毎日交わしていた。
声が届かずとも、分かりあえたたった一つの想い。
―――あの場所を守ろうと、いつかあの場所に帰ろうと。
その誓いは未だ果たせれていない。
帰ってきたのは一人だけ。
迎え入れた者は誰一人としていないのだ。
しかし、もしも強制収容所で彼女が生き残っていたなら、きっと監獄で出会えるだろう。
あそこでは脱獄防止の名目で、収監する前に顔写真を撮る仕組みにしてある。
きっとわかるはず。
一目見れば彼女だと、わかるはずだ。
その時は生きていた事に安堵し、彼女を影から見守ろう。
そして、それを喜びその後を生きよう。
奪った命の為に、贖罪の日々を過ごそう。
では、もしすでに彼女はあの時、死んでいたとしたら……。
その時はお墓を作り、みっともなく泣き喚こう。
懺悔し、あの時に一人だけ助かった過去を呪い、絶望を抱えて生きよう。
そして、もし彼女がプロセッサーとして、今も戦場にいたとしたら……もしくは、もう戦場で朽ち果てているとしたら……。
自分のこの姿を見て、彼女がヨナだと気が付く事はないだろう。
だから、正体を明かす事なく、甘んじて差し出すものを全て受け入れよう。
出来ることならその時は彼女に、もしくは彼女と共にいた者にして欲しい願う。
ーーーどちらにせよ、その結末は近い。
「彼女は今、何を見てるんだろう……」
ヨナは自問する様に声を漏らし、空を見上げた。
例え、手の届かない遠く離れた場所にいるのだとしても……。
空だけは同じものを見ていたい。
轟音。
耳障りな飛翔音を立て、遥か彼方からの砲弾が地面に着地し、地面を抉る。
機体のすぐ傍に着弾し、その余波に煽られようとも動きを止める事はない。
そして微かに耳が捉えた音にリアは一瞬、曇り空に意識を向ける。
『長距離砲兵型だ。砲撃来るぞ』
シンの警告で、全機一斉に散開行動に移る。
第四小隊率いるリアは木々の隙間を移動しつつ、砲撃を回避する。
並外れた反射神経で着弾の隙間を縫い、迫る戦車型に反撃の砲弾を撃ち返す。
『あー!もう!ほんっとに邪魔ッ!』
クレナの怒声に賛同する声を上げたいが、その暇すらほぼない。
『てゆーか、これ隣の隊の長距離砲兵型まで撃ってきてない!?いくらなんでも多すぎでしょ!』
セオの苛立ちを混じらせた声に、ライデンが感心を含ませた返答をする。
『学習したんだなぁ。俺達が向こうの進路呼んで、待ち伏せてるって』
ただでさえ厄介な黒羊相手に、こちらを炙り出そうとする戦略。
隠れている遮蔽物を長距離砲撃で潰して、誘い出そうとしているのだ。
そこにのこのこと、出ていけば戦車型の120ミリ滑腔砲の餌食というわけだ。
『うへぇ、俺らみたいなアルミの棺桶に大盤振る舞いだなあ!嬉しすぎて涙でそう!』
余裕の笑みを零すハルト。
だが、その実それほど余力があるわけではない。
集中力を刻々と削る砲弾の嵐。
一瞬の判断の後に、通り過ぎる砲弾。
ただ掠っただけでも、戦死を意味する無慈悲な攻撃だ。
判断を誤れば死。
それもこちらは衰える事のない機械の身体ではないのだ。
いずれ疲労は蓄積し、限界に達する。
『こちらも、迎撃砲さえ使えれば……っ』
ハンドラーの悔し気な声にリアは舌打ちをする。
機体を急旋回させ、制限を解除した姿勢制御を無理やりねじ伏せ、僚機を置き去りに森を抜ける。
『キルシュブリューテ、西側の牽制をお願い。私は前に出る!』
『無茶だ!ああ、もうっ!』
カイエの警告を無視し、戦車型の射線を斥候型を盾にし、身を隠す。
砲撃と同時に、再び旋回移動。
近接猟兵型を高周波ブレードで仕留めた所で、再びの砲弾の嵐。
後方から再び長距離砲兵型の攻撃だ。
戦車型の優先攻撃対象を自機に代え、連携を乱そうとするも余りに多勢に無勢だ。
機銃を搔い潜る術を持たず、リアは木々を盾に一時撤退する。
『こちらブラックドック。スノウウィッチが足を取られた、援護を頼む』
『了解。第四小隊は後退しつつ、第五小隊と合流を。ガンスリンガー、その間の牽制行けるか』
『まかせてッ!』
沼地にでも嵌ったなら、ファイドが引っ張り上げるまで時間が掛かる。
その間の戦域の維持を別の隊が引き受ける必要があった。
『第四小隊、了解っ……』
シンの命令で、リアは悔し気に砲撃しつつ後退を始めた。
この状況では、誰かが前に出なければ中衛の負担ばかりが増えていく。
そして限界はすでに訪れていたのだろう。
『バーントテイル!』
戦車型に狙いを定め、疲労の為か周囲が疎かになっていたレッカのすぐ傍に砲弾が落ち、機体が中破する。
『第六小隊、誰か行けるか』
『砲撃で今すぐには難しい』
『この地形……今だとっ』
同小隊員も砲撃で釘づけにされている中、リアが叫ぶ。
『私なら行ける!』
『ダメだ、第四小隊が今抜けたら戦線が崩れる』
シンの命令に、一瞬だけリアは動きを止めた。
そこにアンジュの、ダイヤの行動を制止しようとする声が届いた。
『待って、ダイヤ君!』
『大丈夫』
ダイヤはレッカの機体がある河原に砲撃の中、救助に向かう。
しかし、その目前で砲弾が掠め、自身の機体も横転してしまった。
『ぐっ……!』
『ブラックドック!そこを離れて下さいッ!』
レーナの必死な声が意味するのは迫る自走砲の軍勢だ。
機体は動かせず、重機関銃の銃弾には限りがある。
結果は明白だった。
『ブラックドックッ!』
レーナの悲痛な声が上がる。
おい、主人公。
お前の長い語りのせいで話が進まんじゃないか!