86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
「絶望と希望は同じものだよ。望むけれど叶わない。その表と裏に違う名前がついているだけだ」
大講堂の扉に手を掛けたヨナの耳に、カールシュタール准将の言葉が届いた。
そして扉が開けられ、二人の視線が一度すれ違う。
彼の隠そうともしない疑念を滲ませた瞳に、ヨナは無表情で会釈して通り過ぎる。
ある程度、彼は勘づいているのだろうな。
こちらの水面下での動きを。
だが、まだ共和国を害するほどではない、今は共和国に利があると考えているからこそ見逃されているのだろう。
まさか、自分の正体まですでに露見しているとは思えないが。
「外にまで声が届いていましたよ、ミリーゼ少佐」
聖女マグノリア像の足元。
命令書を抱きかかえたまま、レーナはしゃがみ込んでいた。
「シュタット少佐……」
レーナは立ち上がり、一瞬ヨナを縋る様に見た後、体を震わせて拳を握る。
彼には問い詰めねばならない事があった。
「何故……教えてくれなかったのですか……。彼らの、スピアヘッド戦隊の存在意義を。いずれ来るとわかっていたこの特別偵察任務の事を!」
レーナは特別偵察任務の命令書を、ヨナに叩きつける様に見せつけた。
レギオン支配域最奥への無期限の長期偵察任務。
そこには、決して帰る事を許されぬ決死行が記載されている。
「私が気が付かない事を嘲笑っていたのですか!? 知る事が出来たのに、知ろうともしなかった私には、その罪すらも背負う資格などないという事ですか! 」
レーナは込み上げてくるものを抑えられない様に、首を数度振るう。
気付けなかった……のだろうか。
いや、無意識に信じ込もうとしていたのだろう。
5年従軍すれば、自身と家族に市民権を与えるという共和国の嘘偽りを。
第一区、それどころか前に訪れた八四区にすら、有色種の住民をレーナは誰一人として見かける事がなかったというのに。
レーナは白銀の瞳を揺らし、ヨナから視線を逸らす。
これ以上、彼を見ている事は出来なかった。
共に戦う仲間だと、信じていたのに……。
「違います、ミリーゼ少佐。俺は貴方を尊敬しています。その矜持を、そしてその優しさを」
ヨナは一段だけ階段を降り、レーナに近づいた。
「だから、貴方に教えなかったのは最後まで戦って貰いたかったからです。もし、彼らの行きつく先の果てがその任務だと知っていたなら、貴方は彼らと戦えましたか?」
「そんな事、出来る……訳がありません……」
知らなかったからこそ、嘗て彼らに尋ねたのだ。
任期満了後の未来でやりたい事はないのかと。
あまりにおめでたい質問に、今でも自己嫌悪で吐き気がする。
知っていたのなら厚顔無恥にも……死なせないなどと、言わなかった。
「特別偵察任務を撤回させて下さい。シュタット少佐、貴方なら出来るはずでは!?」
レーナは最後の頼みとばかりに、一歩踏み出し叫んだ。
彼ならきっとなんとかしてくれるはずだと。
そう信じられるだけの事を、彼は今迄なしてきたのだから。
「不可能です。先ほど准将にも却下されたでしょう」
だが、無情にも否定される。
「それは共和国の馬鹿げた自己保身の為です!けれど、貴方は違うはず!」
レーナはほとんど懇願する様に、胸に手を当て掻き毟るように握った。
だが、次に信じがたい言葉をヨナは口にする。
「……かねてから俺はスピアヘッド戦隊の特別偵察任務行きを上申してきました」
「どうして……そんな事を……っ!」
裏切者と、自身を蔑むほど苦しんでいる彼が何故、同胞を死に追いやる事をするのか。
到底、理解など出来ようはずもなかった。
「生き抜く為です」
そう答えたヨナの言葉は短く、迷いがなかった。
「いずれ来たるレギオンの大攻勢で、共和国は壊滅するでしょう。以前、言ったはずです。第三区すら守れるか怪しいと。……そして例え、共和国が存続出来たとして、その後はどうなります?」
「なんの話を……」
それが彼らと、どう関係があるというのだろうか。
今話すべきなのは共和国の未来などより、死に瀕している彼らの事ではないのか。
「自動工場を、生産プラントの大部分を失った我々はただ生き残るより、凄惨な結末を迎えるでしょう。しかし、対するレギオンは違う。彼らはすぐに軍勢を再生産し、今度こそ我々の息の根を止めに来る。それは避けられようのない未来です」
だから、とヨナは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「彼らにはレギオンの支配域を抜け、生き残っている人類の勢力圏に、共和国の救援を要請してもらいたいのです」
「生き残っている人類……そんなものは」
いない、というレーナの思考を、ヨナの確信に満ちた言葉が否定する。
「存在します、必ず。そもそも、何故レギオンという強大な武力を有していたはずの、ギアーデ帝国が四年前滅んだと共和国は考えたのですか?」
それは帝国の管制無線が四年前にぶっつりと途切れたからで…。
理由など、観測も出来ない遠く離れた地の話で分かるはずもなかった。
「最悪なのは帝国は故あって隠れ、ただ身を潜めているだけという事でしょう。逆に、最良は帝国が他国の抵抗により討ち滅ぼされたという事。しかし、そうであるのなら、何故レギオンは今も停止していないのか……」
「それは、レギオンは暴走していて……」
だから、シンにはレギオンの声が聞こえるのだ。
レギオンはすでに帰る国のない亡国の軍勢だから。
「ええ、暴走せざるを得ない事情があったのでしょう。というのも、もし帝国が健在なら、すでに死に体の共和国よりも他の強敵がいるからこそ、レギオンは止まらないとも考えられます。逆にすでに帝国が滅んでいるのなら、それを成した者がいるはず。もしかすると、その過程でレギオンを停止させる方法が失われてしまったのかもしれません」
ヨナの語る言葉は推測でしかない。
だが、確固たる確証があって口に出している様に、彼の瞳は微動だにしなかった。
「どちらにせよ、人類は生き残っています。俺達は一人ではありません」
「……だから彼らに、そんな任務を行わせる為に、少佐は裏で手を回していたと?」
それも実現不可能な任務をだ。
レギオンの支配域を抜けるなど、今の共和国の全勢力をもってですら不可能かもしれない。
それだけの事を成せと、非情にも彼は言うのだろうか……。
「ええ、軽蔑されたでしょう。まさに裏切者の誹りを受けるに相応しい行いだ。俺は彼らに死ねと命じておきながら今更、生き抜く為に協力してくれと頼むのです」
ヨナは血が出そうな程拳を握りしめると、歪んだ笑みを浮かべる。
「旧国境を超え、レギオンの支配域のその先。少しでも阻電攪乱型の隙間があれば、ジャガーノートに搭載した救難信号で、救援要請を彼らに届けてくれと」
「救難信号……まさか、あれも少佐が」
ただの囮機能しかならないと思われていた装備。
それもヨナが仕込み、本来の使用目的はそれだけの為だったのだ。
「……この数年、俺は秘密裡に特別偵察任務についた部隊にその依頼をしてきました。……辿り着ける見込みがほぼないとわかっていながら。だが、アンダーテイカーであれば、彼の異能をもってすれば、それが可能なはず」
シンのレギオンの声を聞く異能。
それがあれば、戦闘を避け、レギオンの勢力圏の隙間を抜いて進めるはずだ。
そうヨナが安易に考えすぎているとレーナは思い、反論が口から出た。
「それは……無理です! 彼は……自分のお兄さんを討つ為に戦っているのですよ! きっと逃げずに立ち向かう方を選ぶはずです。それに、なにより超長距離砲も、あの新型も……どうする事も出来ません」
レーナの言葉は次第に小さく、弱くなっていく。
先日の戦闘で得た情報は当然、詳細な報告書を上に提出した。
だが、上層部は誰も確認もせずこの重要な情報を切り捨てるだろう。
その対処など、誰も動こうともしないはず。
「わかっています」
でも、彼はそうではないと信じていた。
だから、
「それは俺がなんとか対処します。彼には、彼らには辿り着いてもらわないと困りますから。別に共和国はどうでもいいですが、今も必死に生き抜いている人達の為に」
その言葉を信じて、レーナは吐き出したい感情を飲み込んだ。
今は作戦の成否を考えまい。
彼らが無事に辿り着けるかも考えまい。
他に手はなく、彼らに縋りつくしか生き残る術がないという事も……。
―――まずは対処すべきなのは、目の前の敵だなのだから。
カールシュタール准将の言葉をレーナは思い出す。
絶望と理想は表裏一体。
彼が語った理想は、いずれ絶望にと変わってしまうかもしれない。
でも。
「ああ、彼らが旅立つ前にスピアヘッド戦隊の負傷者は俺が手を回して引き取ります。近々、86区の人達を監獄に移送する準備の為に、強制収容所に簡易の病院を建てる予定ですから。感染症予防の為と銘打ってですけど。そこなら少しはまともな治療が受けられるでしょう」
信じよう。
今まで九年もの間、絶望に飲まれず、ただ一つの約束を信じて戦ってきた彼を。
その彼が未だ理想を捨てていないというのなら、自分も共に罪を被り、戦おう。
この残酷な運命に抗ってみせよう。
「少佐。……彼らが辿り着ける、いえ、他の人類が生き延びてる可能性はどれくらいなのでしょうか」
ただそこで、何故こうもヨナがここまで確信をもって話せるのか、そこだけが気になった。
同じ壇上に降りてきた彼は、聖女マグノリア像を眩しそうに見上げている。
「99.9%です。……といっても、別に見てきた訳でも、何かしらの筋から情報を得たという訳でもありませんが」
「では、どうして……」
その疑問にヨナは視線をレーナに戻し、軽い笑みを浮かべる。
「考えてみて下さい。そもそもレギオンの機体制御のAIの元となったのは、連合王国が開発した人工知能”マリアーナ・モデル”です。嘗て帝国の仮想敵国でもあったイディナローク家の頭脳を有する連合王国が、ただの有象無象のレギオンに後れをとるとは思えない。それにレグキード征海船団国群。船団からなる国を持つ彼らに地を這うレギオンがどれだけ攻め込めたものか」
レーナも地理で周辺国家のあらましは習ったが、すでにそれらの国も共和国は滅びたものとして扱っているのだ。
確かに、共和国はそう振る舞わねばならないのだろう。
有色種をエイティシックスとして迫害してきた共和国は例えレギオンに勝利したとしても、再びその国と国交など結べるはずもないのだから。
「まあ、こんなものはちょっとネットを漁れば誰かが書き込んでる様な情報です。今更言うのはなんですが、それらしく聞こえても、どちらにせよ確証はありません」
そこでヨナは軽薄な笑みを消し、答える事のない聖女にただ真摯な表情を見せる。
「ただ、信じているだけですよ。人類は案外捨てたものではないと。……あの子が俺を決して見捨てなかった様に……」
最後の言葉はレーナには、とても優しく愛おしむ様に聞こえた。
「それにもし、こんな下劣な国家しか残されていないというのなら……」
それから、一呼吸置いたの後にヨナは口を開く。
「―――人類など滅んだほうがいい」
そして冷たく、凍えるような声でそう告げた。
"彼を守ってあげるんだ。私が帰ってくるまでの約束だ"
父は強い人だった。
そしてとても優しかった。
同じ夜黒種の黒髪黒目をもって生まれた私を、父は先祖返りだといって誇らしげにしていた。
そんな父を見て育ったからか、自分も同じ様に強くなれるのだと信じていたのだ。
だから。
あの子を守ってあげれるのだと思っていた。
帰る場所を守るという約束を、守り切れると思っていた。
―――必ず、父は帰って来てくれるのだと信じていた。
「……ア、リア」
こちらを呼ぶ呼び声と、体に掛かる振動でリアは目を開ける。
カイエが眉を下げ、心配そうな表情でこちらを見ていた。
「だいぶうなされていたようだが、大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
夢の残滓はすでにない。
過去の大切な記憶など、今ではほとんど色あせて思い出せないからだ。
カイエから隠すように目元を手で拭い、リアは体を起こした。
「ほら、いい天気だ。見事に晴れたぞ。どうだ、すごいだろう。私のてるてる坊主の効果は」
窓の外には昨日の雨とは違い、晴れ渡った空が広がっている。
そう言えば昨日クレナに懇願され、おまじないとして全員分のてるてる坊主を外に干したのだったか。
「すごい、すごい」
おざなりに答えて、リアはすばやく着替え終わり、次にまたもや髪を梳かそうとして空を切る。
カイエと同室のリアは、いつも朝起きた後お互いに髪を梳かし合っていたのだ。
「習慣というのはなかなか恐ろしいものだな」
そう苦笑してカイエが隣にやってきたので、リアは櫛で彼女の長い黒髪を梳かす。
その後は、いつもの様にポニーテールに括って仕上げる。
「よし、完成!」
いつもより念入りに整えて上げた。
すると嬉しそうにカイエは尻尾を振って答える。
そこに猫の鳴き声。
「おや、珍しいな。シロがリアがいる時に部屋に入ってくるなんて」
すり寄ってくる小猫をしげしげと見るリア。
こんな風に近寄って来たことなど殆どないというのに。
「もしかして、お別れのつもりなのだろうか」
カイエの言葉で恐る恐るリアは手を伸ばし、初めてのその小猫の柔らかな頭を撫でた。
「じゃあね、馬鹿猫」
そして軽く小猫の手と触れ合うと、小猫はすぐに出ていってしまった。
カイエが一度柏手を打つと、腰に手を当てる。
「さあ、出発の準備をしよう。今日はアンジュが食事当番だし、きっと朝食は豪勢だろうな」
そういえば良い匂いがここまで漂ってきている。
「私はクレナとレッカの所に行ってくるが、リアはどうする?」
「もう少しだけここにいる。最後だしね」
カイエは微笑んで頷くと、ポニーテールを翻して出ていった。
今日が特別偵察任務の出立の日だ。
通達を受けて、本当はリアは一度脱走してみようかとも考えた。
それとも、死を偽装してみようかとも。
「そんな事出来る訳ないのにね……」
いくら復讐の為とはいえ、自分に仲間を見捨てて行く事など出来るはずもない。
最後まで彼らと共に行こう。
自分の生き方はその後だと、以前決めたのだから。
それに……このまま放っておける訳がない。
静かになれば、シンとの同調がなくても聞こえてくる父の声。
お父さんをあのままにはしてはおけない。
帰りたいと、最後の思念を伝えてきているのだ。
だったら。
帰りたくても、帰ってこれないというのなら。
「……迎えに行こう」
4月中に書き終えれるかなと思ったけれど無理そうですね。
まあ、GWは暇ですからいいですけどね。
感想、評価、批判等貰えると、頑張れそうです。