86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
堕落と怠惰を絵に描いたような軍人達が、今日も国軍本部で宴会を開いている。
酒の入った濁声と嬌声が響く中、カツカツと規律正しい軍靴の音が一際響く。
その音と共に翻る髪に混じるは一房の鮮血の赤。
レーナの表情はひどく険しい。
先程は上官の毎度毎度の叱責を受け、それを軽く受け流してきた所だ。
だが、何もあの無能の言葉を真に受け、今の表情を浮かべている訳ではない。
「大尉、各戦線の損耗率と、戦域拡大の件についてですが」
レーナに付き従う部下が報告してくれているレギオンの攻勢に関する報告が芳しくないからだ。
次々に報告される内容は、レーナの眉根をさらに寄せるものだったが、彼らにはただ礼を言い、その労をねぎらう。
彼らはレーナに賛同してくれている者達だ。
現状を好しとせず、来たるべき時の為に今の在りようを変えるために協力してくれている。
彼らもずっと思う所があったのだろう。
―――今の軍の姿に、そしてエイティシックスに戦う事を押し付けている事に。
そんな彼らとて育ってきた環境故、エイティシックスと呼ばれる彼らに対する差別意識はある。
それでも同級生に彼らがいた事や、近所に住んでいた過去を持つ者が大勢いるのだ。
未だ諦めの境地に至らず、熱意を持って行動をしている。
きっと、それは若さというものなのだろうか。
などと、自分の年齢を棚に上げ思考に没頭していた所、向こうから男の軍人が歩いてきた。
「シュタット少佐」
書類に目を通しながら歩いていたヨナはレーナの呼び声に気が付き、顔を上げる。
ヨナは軽く手を上げ、足を止めた。
それから近くの柱に近づき、その壁に背を預ける。
「では、引き続きよろしくお願いします」
レーナも部下に調査の継続の依頼をし、ヨナとは少し離れた壁際に立ち、軽く腕を組んだ。
部下たちは、怪訝な表情でヨナの方を一瞥しながら通り過ぎていく。
「相変わらず慕われてますね、ミリーゼ大尉」
ヨナは視線を交す事なく声を掛けてきた。
「ああ、それともこう呼んだ方がよろしかったでしょうか、鮮血の女王」
「やめて下さい。少佐に言われると背中がぞくりとします」
ヨナの口の端に浮かんだ笑みに、レーナは嫌そうに表情を歪めて答える。
どうやらその仇名は、レーナの否応なく定着してしまったようだ。
まあ、黒く染めた軍服に髪を染めるという奇抜な格好をしていればさもありなんだが。
「さしずめ彼らも女王の家臣団の一員といった所ですか」
ヨナは未だこちらを何度か振り返っているレーナの部下達に目線を遣っている。
彼らは、ただ単にレーナの事を案じているのだ。
ヨナの正体を知らない彼らにはレーナとヨナは相反する敵対者という立ち位置に見えるのだろう。
だが、実際はヨナはレーナの協力者、いや共犯者といった所なのだが。
それに実の所、彼らが協力してくれているのはヨナの行動があっての事もあるのだが。
ヨナが士官学校の近くにばらまいたゲーム機。
あれの真意に気が付き、レーナに接触してきた者も少なくない。
その責を彼も少しは負ってほしいと思うが、残念ながら表立って活動するのはレーナの役割だ。
そしてヨナはレーナの心情など意に介した様子もなく、喉の奥で笑っている。
「背、伸びましたね」
そこでレーナは己より高くなったヨナの顔を横目で仰ぎ見た。
確か、初めて会った時はほとんど同じ位の身長だったはずだ。
「まぁ、俺も二十歳になりましたからね」
ヨナは平気で嘯く。
リードルフ・シュタットが存命だったならば二十歳。
しかし、真実は違う。
彼、ヨナイス・ラングレイの実の年齢は三つも下で、嘗てはその差は如実に体格に現れていた。
だが、ヨナも遅めの成長期を迎えたのだろう。
すでに、その年齢の差をほとんど感じさせる事はない。
「そうですね」
レーナも誰が聞いているかわからないこの場所で、わざわざその事を訂正する事もない。
それにしても、相変わらずのヨナは平然とこの場に佇んでいるなと改めて感じる。
髪を染め、虹彩を変えているだけで、堂々たる仕草で、コロラータがアルバの軍の中枢を闊歩しているのだ。
八年もの間、見事に周囲を欺き続けているとはいえ、レーナも舌を巻くほどの豪胆さだ。
今も知り合いだろうか、通り過ぎる同僚に気さくに声を掛けている。
臆する事なく、自分のやると決めた事を成している。
ただ一人、今も戦い続けている。
―――きっと、彼は強いのだろう。
自分もそう在らねばとレーナは思い、組んでいた腕に力を込めた。
それから、レーナはヨナの少佐の階級章に目を向けた。
耳に入った噂によると、年齢さえ満たせば中佐に直ぐに昇進するだろうということらしい。
戦時でもないので異例の出世だが、背後にはある功績が隠れている。
「降格の件は庇えなくてすみませんでした。権限が落とされれば多少やりにくいでしょう」
「いえ、気にしていませんから」
そんなに恨めしそうな目をしていただろうか。
だが、実の所あまり昇進に興味はない。
地位と名誉ばかり追い求めるあの上官ではあるまいし、ハンドラーが続けて居られる現状で十分であった。
それにどの道、階級に関わらず軍規違反をしていただろう。
「……あれから一年ですか」
降格の話題が上がると、忘れられない記憶が蘇る。
レーナは窓の外を、遠くに広がる空を見上げていた。
「……ええ」
一年。
彼らが共和国を去ってから立った時間。
「彼らは……辿り着けたでしょうか」
ほとんど呟くようにレーナは小さく声に出していた。
あれから、あっという間に時は過ぎ去った。
すでに補給物資は底を付いているであろうし、通常の道程ならばすでにかつてギアーデ帝国があった地域までシン達は辿り着けているはずだ。
―――生きているのならばの話だが。
「そうであってもらわねば、……困ります」
ヨナもレーナに返答をするというよりは、自分に言い聞かせる様に呟いた。
「ですが……」
レーナの顔に影が差す。
その続きを言う事は憚られた。
二つの想いがレーナの口を閉ざさせた。
彼らが信じてくれた様に、自分も信じなくてはならないという想い。
それから、彼についている嘘を。
「時間は掛かるでしょうね」
ヨナはレーナの事を気にした様子はなく、淡々と答える。
「救援が来るにしても、少数で敵陣を潜り抜けるのとは訳が違う。比べるべくもないでしょう」
例え、シン達が生き延びて救援を生き残った人類に求めていたとしてもだ。
救援をこの共和国に送って貰える保証などどこにもないし、例え来たとしても共和国までレギオンの支配域を蹴散らし、大部隊を率いての行軍となれば、さらに多くの時間は掛かるだろう。
「どちらにせよやるべき事は変わりません。……生き残らなければ」
大攻勢始まる前に救援が来るのであれば、それまでの間。
例え来なくとも、自分達の力だけで最後の時まで。
ヨナの言葉にレーナが深く頷いた所で、レイドデバイスが起動した。
『キュクロプスよりハンドラー・ワン』
レーナが受け持つ戦隊の戦隊長からの報告だ。
どうやらまた、哨戒中に敵部隊を発見したらしい。
『わかりました』
どうやら最近、前線基地の間近にレギオンが勢力を伸ばそうとする傾向が見られる。
こちらの戦力を伺っている様な動きだ。
戦線を拡大される前に、早急に叩かなければならない。
レーナはヨナに別れを告げ、管制室にと向かっていった。
「ペンローズ大尉、お邪魔します」
数回のノックの後、返事があり、ヨナはアネットの研究室に足を踏み入れた。
レーナとの別れの後、ヨナは当初の目的の場所にとやってきたのだ。
「頼んでいた同調設定の調整の件ですが」
「ああ~、あの事~」
嫌そうに椅子にもたれたままアネットは、声を漏らした。
気怠げな視線の目元は疲労の跡が濃く残る。
その事に気が付いていない風にヨナは、懐から記録媒体を取り出すと、アネットに渡す。
「一応、俺の方でも素案は作ってきたのですが」
「あんたね、個人の特性に合わせた同調設定がどれだけ大変か知ってる。それなのに次から次へと無理難題を……」
フォルダを開いたアネットはしばらく愚痴を垂れ流していたが、その言葉が立ち消える。
「はぁ!? 同時同調対象者の拡充と構築……確かに、それなら負担は減るけど」
羅列されたプログラムをいじりながらアネットは悩み声を上げる。
それから顔をあげ、眼鏡の奥の視線がヨナとかち合った。
「あなたの脳を弄らせてくれたら、今すぐにでも完成出来るかもよ」
「冗談はよしてください」
「冗談に見える?」
マッドサイエンティストな凄惨な笑みを浮かべたアネットに、ヨナは手を前に突き出して拒否する。
彼女ならやりかねないし、なによりこれから検査を受けるというのに安心していられない。
「嘘よ。さっさと検査するから。行って行って」
ヨナはアネットに追い立てられ、定期的に受けている検査の為、検査室に向かう。
軍服を脱ぎ、検査用の服に着替える間、ふと視線を感じた。
「あの、大尉。……何か?」
「……な、なんでもないわよ」
アネットが慌てて視線を逸らすのに、ヨナは首を傾げ自分の身体を見下ろす。
時間が空いている時に鍛えてはいるので、それなりに引き締まってはいるが、そう珍しくもないだろう。
「……シュタット家の……もしかして玉の輿?……ああ、でもあいつ、本当は……だし」
何やら小声でぶつぶつと呟きながら、頭を抱えているアネットを無視し、ヨナはさっさと検査装置に横になった。
「ねぇ、まだハンドラーをこっそりと続けてるの?」
「いえ……最近はその時間もなくて」
「そ。その方がいいと思うわよ……長生きしたいなら」
検査が終わるまでの間、アネットと短く言葉を交す。
ヨナは以前から、管制室をこっそりと仕込んだプログラムで管制状況を確認し、ハンドラーとして介入する事を繰り返していた。
焼石に水かもしれないが、それでも救えた命もあっただろう。
だが、時間は有限で過度な同調はヨナの脳を確実に蝕んでいたのだ。
特に、一年前の出来事の後、ヨナの脳の状況はアネット曰く、廃人一歩手前だったのだ。
それから回復したものの、ここしばらくは別の事で忙しく、レイドデバイスに触れる時間すらなかった。
検査が終わった後、アネットが声を掛けてきた。
「そうだ。アップルパイ焼いたんだけど、食べていかない? あなたから貰ったリンゴで作ったんだけど」
「へ、へえぇ~」
ヨナの口の奥に、甘みと苦みが同時に襲い来る味覚が呼び起された。
あれは一体、いつの記憶だっただろうか。
「後でレーナとお茶会をする約束してたから、その前に味見させてあげるわよ」
冷蔵庫に向かおうとしたアネットの動きを止めたのは、鶏を絞め殺した様なヨナの声だ。
「なによ、その声」
「何でもありません。ただ……」
ヨナはいつもの様に頬を歪めて無理やり笑みを作っている。
「婚約者を逃したくないのなら、料理以外の所で勝負をされては?」
「………」
空気が凍るとはこの事か。
「ねえ、それどういう意味?」
アネットの詰問にヨナは、ふっと観念した様に一度息を漏らす。
それから、大きく息を吸う。
「すみません!俺、用事を思い出しました。女子会に居座る勇気はないので、どうぞ、お二人で俺がいない間に、俺の事を扱き下ろしといてください」
上着を引っ掴むと、ヨナはアネットが口を挟む隙を与えず飛び出していった。
「もう、逃がした」
軽い舌打ちと共にアネットは、閉じた扉を睨みつけた。
今度、ほんとに解剖してやろうか、と真面目に検討したくなる。
全く、こっちは一年前から婚約者なんて探してもいないというのに。
そんな気持ちではなくなってしまったのだ。
それこそレーナから聞かされた話で、そんな事にかまけている暇もないほど、忙しくなってしまったという事もあるが。
それに誰かさんが息つく暇なく、無理難題を持ちかけるせいでもある。
アネットはヨナの検査記録に目線を向けた。
凡そ、普通の人間とは思えないほどの数値を示している。
演算能力、神経伝達速度は異常なほど高い。
だが、それだけではあの異能の能力の説明はつかないのだが。
まあ、それは今に始まった事ではない。
このレイドデバイス、シンや彼の一族が持っていた他者の声を聞く異能も理解が及ばないものばかりだ。
それでもなんとか活用して自分は研究者として、これから起こるレギオンの大攻勢に備えなければならない。
自分が生き残るために。
それにもしお互いに生き残っていればいつか、彼に、シンにあの事を恨んでいるか聞く為に。
だから、その為なら……。
アネットはヨナが持ってきたデータに、目線を向けた。
「この事、レーナは知っているのかしらね。……それにしてもよくこうも恐ろしい事を考えるわね、あのお坊っちゃんは……」
いや、恐ろしいというのなら自分もその対象か。
自分も彼の計画に賛同し、その協力をしているのだから。
共犯者として。
オリジナルとなると、会話文書くの苦手すぎて、地の文ばかりで話が進まなくなりますね。