86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
レーナが司令部の建物を出ると、ヨナが待っていた。
彼はゆっくりと降る雪を眺める様に、灰色の空を見上げている。
レーナは掛ける言葉を、暫し失った。
溶けて消え去っていく雪に、彼の姿が重なる。
そのまま見失ってしまいそうで。
「お待たせしました。行きましょう」
僅かな動揺を滲ませながら、レーナは声を掛けた。
ヨナは一拍遅れて首肯を返し、二人並んで瓦礫の町並みを歩み始める。
崩壊した建物が立ち並ぶ通り。
この場所は、ついこの間まで戦場だったのだ。
美しかった首都の姿は見る影もない。
何もかもが蹂躙された。
それでも。
仮設テントや、通りに共和国の人々の姿が見える。
他にも救い出された有色種の人もいる。
広場で集まって遊んでいる子供達の姿が。
あの戦場で守り抜けた人達がいるのだ。
―――ああ、無駄ではなかった。
その事がレーナの心を暖かくも、ひどく揺さぶる。
だから、きっとこの気持ちを。
彼も同じ想いを抱いているのだろうと思ったのだ。
横目で彼の表情を盗み見る。
でも、彼の表情は何も語らない。
喜びも、悲しみすらも一切の感情を読み取れない。
何か大事なものが抜け落ちてしまったようで。
共に戦っていた嘗ての彼とは別人の様だ。
ふと、気が付いた。
レーナに気が付き、親しく手を振ってくる人がいる。
だが、並び歩くヨナに気が付くと、その手を止める。
その表情に、一様に浮かぶのは困惑よりも嫌悪。
そうか。
傍から見るならば、共和国に今更与するコロラータ。
虐げられてきた同族が、主人に尻尾を振っているのを見せられているのと同じだ。
その想いを図ることはレーナには出来ずとも、その行いが意味する事を知っている。
特にプロセッサーである者達の表情は険しい。
彼らの多くは気付いていないのだろう。
彼が最前線で指揮を行い、最後にはジャガーノートを駆り、共に戦っていた事を。
その正体を表す訳にいかなかった故に。
―――誰も数多の同胞を救った英雄の姿を、名さえも知る事はない。
「……ミリーゼ大佐?」
ヨナが怪訝そうにレーナを見ている。
どうやら何度も呼び掛けられていたようだ。
慌てて没頭していた思考を打ち切り、顔を上げた。
「あ、すみません。何でしょうか?」
「いえ、ミリーゼ大佐はこれからどうされるのでしょうかと」
ヨナは曲がり角で立ち止まる。
どうやらヨナがレーナにお供するのはここまでの様だ。
「はい。これから母に挨拶だけして、準備が整い次第、直ぐにでも連邦に発つつもりです。」
「連邦ですか……」
ヨナは空を見上げ、少し目を細める
嘗て帝国と呼ばれていたかの地は、彼の生まれ故郷だ。
その事に彼が何も思わない筈がない。
「……ヴィレム准将が言った事を気にされているのですか?」
顔に出ていたのだろうか。
気にしていないといえば嘘になる。
レーナでさえ彼の内面は判らないからだ。
何故、彼が未だ共和国の軍人であり続けるのか……。
―――だって、彼が探していた人は……もう。
「今更、……あの国に帰りたいとは思いません。どうやら祖父母は帝国崩壊の際も生き延びたと聞きましたが、再会したいとも思いませんよ」
「ですが、……この国にいても今の様な仕打ちを受けるばかりです」
レーナは語気を強めた。
でなければ本当に彼は贖罪……いや、ただ自分を罰する為だけにここにいるようなものではないか。
何故、そんな道を選ぶ必要があるというのだろうか。
「……まだ、放り捨てては行けない人達がいますから」
ヨナは少し笑みを浮かべて、小さく答えた。
「ミリーゼ大佐もその一人の内ですよ」
「っ……私が共に戦って欲しいと言ったからですか」
レーナの後悔を滲ませた言葉に、彼は柔らかく微笑んだ。
「ええ……。もう余り役には立てないかもしれませんが」
違う筈だ。
違った筈だ。
だって、彼が今迄も戦ってきた意味は……!
―――生きる目的。
それを失った人がどうなるのか。
絶望しかない人の行き付く先は考えたくもない。
だから。
もし、その進む先に再び希望を得られるのなら……。
自分が彼らから受け取った様に。
レーナは一度目を瞑り、歯を噛み締める。
それから顔を上げて、まっすぐ彼に向いた。
「あなたはこれからも必要な人です。―――ヨナ!」
レーナにヨナは初めて名前を呼ばれた。
本当の名だ。
呼び捨てにされた名を聞くのはひどく久しぶりで。
―――それこそ幼き頃、両親と共に過ごしていた日々以来。
「いつだったか、二人だけの時はそう呼んでも構わないとおっしゃいましたよね」
呆気に取られ呆然と口を開くヨナ。
それにレーナが口元に指を当て、くすりと笑う。
一本取ったとばかりに。
「まだまだ、これからしなければならない事があります。部隊の隊員の編制と訓練、装備並びに備品の整備などなど。休む暇がない程、山のようにあります」
レーナは手を伸ばす。
「ヨナ。貴方がいたからこそ、この局面を乗り切る事が出来ました。貴方の行動があったから今こうして私達は向き合えています。たくさんの人達がまた明日を迎えられます」
―――今度は迷わなかった。
「誇っていい筈です。例え、誰がなんと言おうと貴方の行いを私が否定させません」
「それは……」
ヨナの顔は徐々に歪んでいった。
何かをこらえる様に。
否定するように首を何度も振り、レーナの手を取る事はない。
「連邦の方に聞きました。何故共和国まで救援に来る事が出来たのかを」
レーナは否定したい。
ヨナが抱えてしまっているものを少しでも癒せるようにと。
「連邦の勢力圏まで、きちんと救難信号は届いていたんです。特別偵察任務に送り出した彼らはちゃんと約束を果たしてくれたのですよ」
それでも……。
その救難信号を出した人は、誰も辿り着けなかったと伝えられたのだ。
救助の手は届かなかったと。
だから、そこが。
その場所が彼らの行き着いた先だ。
「貴方の行いは無駄ではなかったんです」
レーナの声が震える。
それを言葉に出す事は、つまり見送った彼らの終わりを認める事だったから。
それでも、その先に。
再び、進むためにも告げた。
「だから。彼らが行き着いた場所まで共に行きましょう。そして彼らが辿り着けなかったその先に、最後まで」
「大佐、俺は……」
ヨナの声も同じく震え、その蒼穹の様な瞳は滲んでいる。
「レーナで構いません。長い付き合いじゃないですか」
そこでレーナはむすっと頬を膨らませる。
思えば随分と他人行儀な付き合いを続けてきたものだ。
もうニ年以上の付き合いになるというのに。
「……レーナ。ありがとうございます」
ヨナはゆっくりとだが、手を伸ばす。
それからレーナ差し出した手を握った。
レーナに笑みが差し、安堵の表情を浮かべる。
確かに交わされた約束の筈だから。
「でも、余り親しげにしていると、どやされそうで……はは」
「はい?」
レーナは首を捻るが、ヨナには苦笑いをされて誤魔化された。
ヨナは後ろめたそうに、罪悪感を滲ませながら視線を逸している。
どこか少しだけ楽しげにも感じるが。
「………」
レーナの胸がずきりと傷んだ。
罪悪感。
あの日、彼らから手紙を受け取った日から、私も裏切り者となったのだ。
きっと真実を告白すれば、自分は楽になるだろう。
だが、言うつもりはないし、言う事は出来ない。
―――彼と同じく罪を抱えながらも、前に進もう。
「ははっ、はははは」
突然、ヨナが笑い出した。
見れば笑いを堪えきれなかった様に、肩を震わせお腹を抱え始めた。
「な、何が可笑しいんですか!?」
人が深刻に悩んでいるのに笑い出すとは。
だが、その人を食ったような笑い方は、確かに以前の彼のものだった。
「い、いや。レーナはもっと人を疑う事を覚えた方がいいっ」
「何の話ですか、全くもう」
ヨナは目尻に浮かんだ涙を拭い、ようやく笑いを収めた。
「防衛戦の最後。あの戦場に綺麗な花が咲いていましたよね」
「ええ、余り覚えていませんが、そういえば一面赤い花だったような……」
同時にあの場所で出会った機体の搭乗者との会話も思い出す。
彼は無事に原隊に復帰できているのだろうか。
「道中、暇な時間もあるでしょう。たまには戦術教法ばかりではなく、植物図鑑でも開かれてはどうです」
ヨナは一人で歩いている。
未だ寒さは厳しいが、時折空は晴天の兆しを見せている。
大きな雲が地面に影を作り、その下をヨナは渡りきった。
その表情はひどく穏やかだ。
部隊の編成、装備の準備も全て整った。
全て連邦に行く前にレーナに託されていた事だ。
困難はあるのは承知していた。
元々癖ありのプロセッサーです達の意見を纏めるのだ。
口八丁で誤魔化し、何とか体制を整えた。
後はこれから来る彼が上手くやってくれる事だろう。
何の心配もいらない。
「……またまた死に損なったな」
自然と独り言が漏れた。
そう言えば命を預けていたバルトアンデルスに対面を果たしたのだった。
確かに拳銃を渡し、その報酬をくれてやったつもりだったのに。
"貴方には、私よりもずっと前に先約の奴がいるのよ"
などと訳の判らない事を言われ、断られたのだ。
結局の所、また死に損なったということだけだった。
ついでに言えばヴァンデュラム社の皆は連邦に保護された後、兵器の整備と開発の仕事を任され始めている。
ランドル博士もあんなガラクタに囲まれている生活から、最新設備が整った場所に移れて幸せだろう。
シュタット家の方は一筋縄ではいかないではいきそうもない。
共和国にいれば、危険が迫ると伝えても聞く耳を持たない者が大半だ。
勿論、覚悟を持ち自身の意志で留まると云うのならば、何も言うことはない。
だが、それがもし自分の為だと言うのなら耐えられる自信はない。
だから、理由さえなくなれば……。
自分がいなくなれば、ルイーゼ達が狙われる心配もなくなる。
そう……自分さえいなくなれば。
立ち止まった。
目的地に着いたからだ。
久しく訪れる事が出来なかった場所。
でも、ようやく来る事が出来た。
「最後までか……」
自嘲が口から漏れる。
やはり彼女は詰めが甘い。
だから、ああも騙されるのだ。
―――最後とは何時の事かは聞かれなかった。
彼女は彼らが行き着いたその先に進むと告げた。
それは誓いだ。
彼女は強くなった。
彼らとの出会いが全てを変えていった。
もう彼女は大丈夫だろう。
きっと彼らとの再会を果たせば、折れる事なく進み続ける事だろう。
じゃあ、俺は。
俺を支えていていたものとは何だったのか。
―――あの時の約束に他ならない。
きっと彼女も、あの場所に帰る事を願っていた。
進む先には何もなかったのだ。
ただ、帰りたいだけだった。
それだけを望んでいたのだ。
そして、帰りたい場所とはここに他ならない。
だが、この場所も等しくレギオン蹂躙された。
彼女が住んでいた家は砲撃も受けたのだろう、二階部分は完全に崩れ去っている。
自分の生まれ育った家もレギオンの戦車型が倒れ掛かり、斜めになりながら彼女の家に支えられている始末だ。
綺麗に整えられていた庭は見る影もない。
奇しくも生け垣だけは、直されていた箇所が崩壊し、あの頃の様に一部が崩れ落ちている。
足を踏み入れた。
膝を折り、崩れ落ちる様に地面に手を尽く。
ふと左を見れば崩れた生け垣はから、彼女の家が見える。
幼い頃の自分と同じ目線。
だが、何もかもが違う。
過去と同じ様に振る舞っても、過去には戻れる訳もない。
どれだけ足掻こうとも失われたものが、元に戻る事はない。
あの時の約束は果たされる事は……ない。
約束を果たすべき相手は既にいない。
連邦が保護したエイティシックスの名簿にも彼女の名前はなかった。
つまり、既に彼女はどこかで人知れず散っていたのだ。
なんの為に……。
戦う意味など、こうしてとうに消え失せていたのに。
ただ、それにみっともなくも縋りついていただけだった。
彼女はいない、守るべき場所も失った。
―――どこにも行く場所もなければ、帰る場所もない。
「……ああ」
問い掛けのない静寂に、応えを返す。
腰の拳銃の重みが、ひどく重く感じ取れた。
みんな、騙しすぎィ!
一番の被害者は誰でしょうね。
何か、一人勝手に死にそうな奴がいますが。