86-エイティシックス- どこに行き、どこに帰るのか 作:ぺこぽん
レーナがアネットへのおごりで、財布がだいぶ軽くなった数日後。
夜の自室にて。
日課となったプロセッサー達との定時連絡の為、パラレイドを起動した。
『――に刻む、本当の世界で……っ!!』
聞こえてきたのは女性の歌声。
それも透き通った、胸の奥に響く、本当に――綺麗な声だった。
その歌が、ぷつりと止んでしまう。
『戦隊各位、今日もお疲れ様でした』
『お疲れ様です。ハンドラー・ワン』
アンダーテイカーがいつも通り、最初に応じてくれる。
しかし、歌が再び聞こえてくる事はない。
『あの、先ほどの歌声は誰が……?』
『ああ、ウルフスベーンだが、……っと、別にいいではないか』
キルシュブリューテが答えてくれる。
その際、誰かが飛び付いて邪魔をする様な音がしていたようだが。
もしかして、ウルフスベーン本人だろうか。
『先ほどは歌を中断させてしまい、すみませんでした。もし、よかったら今度、聞かせてもらえませんか? とても素晴らしい歌声でした』
『…………』
レーナへの返事は、パラレイドの同調を切断される事だった。
ウルフスベーン。
彼女はスピアヘッド戦隊の中でも、特にレーナと関わりあいになろうとしない相手だ。
『すまない、彼女は恥ずかしがり屋なんだ。だが、いつか聞いてやって欲しい』
『ええ、是非』
代わりに答えたキルシュブリューテに、レーナは首肯した。
『ではアンダーテイカー。まずは今日も補充物資の納入日についてなのですが……』
事務的なやり取りがしばらく続く。
その間、カイエは背中を何度も、執拗に引っ掻かれていた。
犯人は、猫の様に爪を立てているリアだ。
「どうして言っちゃうのよ。カイエの馬鹿……!」
カイエに対し、リアは小声で文句を言う。
全く時間を気にせず不用意に歌っていたのは、リアの方なのだが。
リアは気分の良い時には、無意識に歌いだす癖があるのだ。
カイエは同じくパラレイドを切断し、どうどう、とリアの手を押さえた。
「それは……リアの歌は、もっと大勢の人に聞いてもらうべきだと、私は思うんだ」
「そうそう、声だけは良いんだから。声だけは」
隣でトランプで遊んでいるハルトが、何度も執拗に頷く。
リアがその頭を叩き、積み重なっていたトランプタワーは崩れ去った。
「何すんのさー、馬鹿猫」
カイエとクレナは協力して、床に散らばったトランプを拾い集め、混ぜ始める。
「確か、幼馴染に歌っている時の姿が好きだと言われたのだろう」
ハルトがカイエの言葉に、片眉を上げた。
「姿って……歌声じゃなくて?」
「……また、勝手に人の思い出を」
ハルトの疑問を無視し、リアはカイエを恨みがましい目で見つめる。
「別に、ただ癖になってるだけだから……」
花の世話をする以外は、特にやりたい事もないのだ。
だから、口ずさんでいるだけ。
両親が教えてくれた歌。
あの子に歌ってあげた歌。
今でも、唯一覚えている幸せな記憶の残滓。
それをなぞり、一時の現実逃避をしている様なものだ。
「そろそろ本気で痛いぞ、リア。あ、こらお前まで」
そこで、ソファに仔猫が飛び乗り、リアに並んでカイエを引っ掻き始めた。
普段は仲が良くないリアと仔猫だが、ご同類と思われているか、偶に真似をしだすことがあるのだ。
「ほら、行こ」
見かねたクロエが仔猫を抱きかかえる。
それから、ごく自然に、と本人が思っている動作でシンのそばに歩み寄り、同じソファに腰掛けた。
仔猫はすぐにシンの膝下に移動する。
リアも気が済んだのか、トランプ遊びに加わる事となった。
いつの間にかハンドラーとの話題は、お互いの生活環境や料理、近況報告にと移っていた。
特にハンドラーの最近の話になると、全員の笑い声が上がる事となった。
管制システムの開発者と連絡を取ろうとしたら、徒労に終わった苦労話だ。
『んなもん、ハンドラーの仕事の範疇じゃねえだろう。ご苦労なこった』
ライデンが呆れた声を出し、苦笑する。
他の皆も同様の意見だろう。
『そんなに頑張ったアピールしても、誰も感謝なんてしないからね』
『いえ、これはハンドラーとしての職務ですから』
セオの辛辣の言い方にも、めげないハンドラーである。
努力が、頑張った者が必ず報われると信じている声。
理想を追い求める志。
もし、エイティシックスの行き着く先を知ったとしても彼女は、今のままでいられるのだろうか。
『まあ、先日はその管制システムのお陰で、私は命を救われたわけだから、余り大きな声では笑えないな』
カイエは残り一枚になった手札を持ち、おそらくジョーカーを持つハルトに手を伸ばす。
思い出すのは、二日前の戦闘の事。
先行した第4小隊が、危うく湿地帯に突撃する羽目になる所だったのだ。
それを未然に防いだのが、ハンドラーの警告と詳細な地図データのおかげだった。
他にも数多くの場面で、管制システムは隊員の命を救う結果となっていた。
確実に部隊員の、さらに機体の損耗率が減少する結果に繋がっている。
『しかし、おもちゃとはな。それであなたはそのおもちゃ会社とやらを覗いてみたのか?』
『まさか。私には遊んでいる暇はありませんから』
ジョーカーを今度はカイエから取ってしまったリアが、慌てて高速で手札をシャッフルしている。
『そりゃ、ご苦労な事で』
セオが呆れたように肩を竦めて、スケッチに戻る。
『俺達なんて、暇な時はずーっと遊んでるっすよ』
ダイヤが、壊れたラジオを一旦置いて、伸びをした。
『皆さんは、普段は何をして余暇をお過ごしなのですか?』
カイエが一番に上がり、残りはハルトとリアの戦いとなった。
ハンドラーの問いにカイエは、部屋の中を見渡す。
『そうだな。天気が良い日などは、外でサッカーなどをするが、今は私は、ファルケとウルフスベーンの三名でババ抜きを、ラフィングフォックスはスケッチ、ブラックドックはラジオの修理、スノウウィッチは編み物、ヴェアヴォルフはクロスワード、アンダーテイカーは読書だな』
いつも通りの風景だ。
『そういうハンドラー・ワンこそ。軍とはいえあなたも休日くらいはあるだろう。その時は何を?』
『えっと……』
言い淀む声が返ってくる。
『戦域管制の技術向上や、戦術予報を立てたり……もちろん、友人と食事に行く事もありますよ。……偶にですが』
『あんた、俺らが戦死する前に過労死しちまうぜ』
ライデンのからかう声。
それに、シンが珍しく軽く笑った。
『あまり戦場に囚われすぎては駄目ですよ。それに休息も仕事の内です、ハンドラー・ワン』
カイエも同意見であった為、忠告してあげる気になった。
『あなたはその、あれだな……』
『な、何でしょうか? キルシュブリューテ』
前に処女と言われた事を、まだ気にしているのだろうか。
ハンドラーの声は、警戒を含んでいる。
『ワーカーホリックという奴だな』
『わ!?わーかー?』
ハンドラーが戸惑った声を上げている。
『じゃあ、僕らの方はどうなるのさ? 強制児童労働に超過勤務だよ』
セオの突っ込みに、違いねぇという笑い声が部屋に沸き起こった。
『ええと、だな、私が知ることわざに袖振り合うも他生の縁というものがあるんだ。前にも言ったが、ハンドラー・ワン。あなたは悪い人ではない。だから私はあなたの事をもっと知りたい』
それは本心からの言葉だった。
リアが嫌そうな顔を浮かべているのは、決してババ抜きで負けたからではないだろう。
『これは別にあなただけに限った話でもないのだがな』
カイエは普段、秘めている想いを声に出した。
『きっと、私達はもっとお互いの事を知るべきだと思うのだよ。知らないからこそ、恐怖を抱き、不要に恐れてしまう』
戦場を知らない新兵が、敵を知り、いずれ戦闘で震えを知らなくなる様に。
名前も知らなかった隊員同士が、一つの想いを胸に抱く事になる様に
色付きと呼ばれる人種がいなくなった後に生まれた共和国の子供達が、もし私達を見たらどう感じるのだろうか。
『別にそれで、今の私達の現状が変わるとまでは思わないが、何か変わるものもあって欲しいと思う』
『そうですね。そうなって欲しいと私も思います』
『と、言うわけで、明日にでも街に行って、共和国内の様子でも教えて欲しい。あなたが見て感じた街や人々の様子を。ずるいぞ、するのはこっちの話ばかりで、あなたとは戦場の事ばかり。まったくもって、花の十代の女子が話す内容ではないな』
『ですが、もしレギオンの襲来があれば……』
『確か今日貰った戦術予報では、レギオンの襲来の可能性は限りなく低かったはずだが?』
日々精度が上がってきているレーナのレギオン襲撃予想だ。
それでも偶に外れることがあるが、
しかし、シンがいれば何も問題はない。
『……それはそうですが』
まさか自分が立てた戦術予報が役に立たないとは、言えまい。
『では、明日はお休みだな、ゆっくり休んで欲しい。お互いの事をもっと知るために』
『わかりました。ありがとうございます、キルシュブリューテ』
『……ああ、ハンドラー・ワン』
カイエの返事は少しだけ遅れた。
お互いに知り合う、その最初の第一歩は何だろうか。
それは、両親に厳しく躾けられたカイエにとっては当然の事だ。
初対面で、もし顔を合わせていればするであろう当然の行為。
だが、ハンドラーとプロセッサー。
その仕組みに当てはめられた時から歪な関係は、それを許さないのだろう。
記号で呼び合う存在。
それは 仕方のない事だとわかっていながら、少し悲しさを覚えていた。
もし死んでも、記憶に残るのは記号だけ。
だが、
『ですが、もし何かあったらすぐに連絡を下さいね』
その事に気づき、さらに私達に深入りすれば、この深窓の令嬢は傷つくのだろうな。
だから、あえてカイエは何も言わなかった。
気付かないならいっそ、そのままで。
それが、きっとがお互いの為なのだろうから。
『もっと、楽に生きたほうが良い、ハンドラー・ワン。あなたは私達とは違うのだから』
結論ありきで途中を書くと、結構迷走しますね