一人の少女が暗闇にうずくまっていた。
「知らない知らない知らない知らないしらないしらないしらないシラナイシラナイシラナイ━━━━」
彼女の周囲には何もなかった。濁りきった目をかっぴらいて、耳をふさぐ彼女はそれに気付かない。いや、気付けないのだ。ただひたすらにそう呟き続けてしまうから。
彼女の奥底に宿った小さな歪み。どこかの悪魔にそれは拡げられた。もともとじりじりと心を侵食していたそれはこれによって勢いを増した。気付けば歪みが正常となり、正常が歪みになっている。
そんな少女の前に、僕は立っていた。
「香菜?」
どう呼んだって彼女はこっちを向かない。むしろ、拒む力が強まる気がする。鎖がさらに増えて透明な壁が作られた。
目の前の壁に触れる。僕達を守り、時には僕達を追い詰めた虹色の壁はその大部分が黒に染まっている。まるで、ヒカに聞かされた香菜の状況のように。
この場では僕はスキルを使えない。だから聖剣も手元にない。香菜も例外ではないのだが、香菜の精神空間だからこんなことが起こってもおかしくはないそうだ。
「なにをすればいいんだろう?」
彼女に認識されることすら叶わないのに、なにが出来ると言うのだろうか。そして、こうなってしまった彼女をどうすれば救えると言うのだろうか?
「や、ダメだ。弱音を吐くな」
口が勝手に言葉を紡ぐ。
「烈火正義は勇者だ」
そうだ。僕は勇者で皆を守らないといけない。
「烈火正義は強い。なんせ、あの朱里の一人息子だ」
そうだ。僕は勇敢でかっこいい母さんの息子だ。なら、前を向かないと。
「正義!そして、お前は一人の男だ!好きな子ひとり助けられないと、男の名が廃るぞ!!」
一瞬、父さんが見えた気がした。
視線をさ迷わせた僕の手元になにかが握られた。
「聖、剣?」
どうして、いや、これはつまりそういうことだ。頭にイメージが沸いて来る。それに従って、剣を振り上げた。
「≪聖剣≫」
香菜と僕を隔てていた壁は砕け散った。その余波は鎖にも及び、何本もの鎖がサラサラと消失していった。
「香菜」
ゆっくりと、その場を動けない香菜に近づいていく。
「いや…いや!」
鎖が増えて香菜を包み込もうとした。
「≪聖剣≫」
だから消した。そして、香菜の顔を無理矢理あげて視線を合わせる。
「っ…!」
怯えたような顔をして、鎖のついた腕で耳元に手を伸ばそうとした。
「ダメ」
押し倒すように腕を掴んで地面に固定した。
「教えて、香菜。香菜はどうしてそんなに逃げようとするの?」
「……私が、嫌いだから」
香菜の目が水を溜め込みはじめた。
「皆からたくさんもらった物を全部仇で返してしまう私が!力はあるのに、皆を守れない私が!お母さんの自慢になれない私が!だいっきらいだから!もう近寄らないでよ!私なんかに構わないで!私なんか生きる価値すらない!ねぇ!もう殺してよ!消えたいよ!」
懇願するようにそんなことを言う。
「ふざけるな!」
激情が溢れ出す。
「僕は君に何度も助けられた!熱を出したときも!父さんを失った時も!ずっとずっと、君は僕を助けてくれた!君の笑顔が!僕を前に向かせてくれた!」
息継ぎなんて後回しだ。
「死ぬなんて許さないからな!ちからづくでもやらせない!僕は君がいないとなんにも出来ないんだ!君が言ったんだろ!仲間のいない勇者なんてありえないって!!」
あの時を思い出す。思えば、この気持ちもあの時に生まれたのかもしれない。
「僕には君が必要だ!大好きな君が!僕には!!必要だ!!!」
鎖が、はじけ飛んだ。