少女の微睡、泡沫の夢。   作:かなしいな

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少女、手当を受ける。



※ズレ始めた所が見えるお話です。

(呼び方がバラバラになってしまいますが、時系列的には夢の生地に辿り着いた後だと思って頂ければ。)


少女の常識、夜の非常識。

ふわり、くあり。

本人からすれば大口で、他から見ればあまりにも小さく開けられた口から漏れた欠伸が、夢の虚空に溶け消える。

幾度目かの死を越えた少女は、ヤーナムへと戻る前に少しの休息を取る事とした。

 

元より記憶を失った事で見るもの全てが新鮮そのものであり、つまりは全てが情報量の塊となる。

死を経る度、夢を出入りする度に少女の肉体的疲労は回復する。

だが精神や頭脳はそうも行かず、眠気という形で少女を引き留めていた。

 

────最も疲労の蓄積を促しているのは、この状況への恐怖なのだろうが。

器として扱う都合上、幾つかの認識を麻痺させてはいるが、元の精神が脆弱だとここまで不安定になるか。

 

ただ休むと言っても、この夢で娯楽になりそうなものは限られる。

ならばじっと待ち、本来の意味での休息を取る事に専念するかと言われれば、この好奇心の塊にそれを強いるのは酷と言うものだ。

恐れ知らずな訳では無い、だと言うのに首を突っ込みたがるのは、この夜と相性が良いとも言えるだろう。

 

さて何処へと足を動かした少女は、工房の内に幾つか本が置かれていたのを思い出す。

記憶通りなら積まれる程度には数があったそれの中に、ひょっとすれば少女の知的好奇心を埋める何かがあるやも知れない。

そう思い立ち行動し始めた少女を、盛大なアクシデントが襲った。

言ってしまえば、ただの不注意なのだが。

 

階段を上り扉を潜り、そうして工房の中に入った少女は本を漁り始める。

その中で見付けた一冊に興味が湧いたようで手に取り、何処で読もうかと腰を上げて振り返った際。

左足の小指に激痛が走る。

 

「ぃぎっ!?」

 

傍にあった棚の脚に激突した事でじんじんと痛みを訴える小指に、少女は思わず屈み込む。

確認の為であろうその行為によって突き出された腰が棚に激突する事までは、きっと考えていなかった。

 

「ひぐっ!?」

 

仰け反った少女の顔面を迎え入れたのは、扉付近の蝶番。

金属製のそれに強かに打ち付けられた額から血が滲む頃には、都合三度の激突を受けた少女の体は真後ろに倒れ、後頭部を強打していた。

まさか夢の中で気を失うとは、器用な狩人もいたものだ。

 

「うぎゅっ…」

 

────人形の目の前で自害するような奴らよりはマシか。

 

 

 

「ぅ、んん…?」

 

後頭部に感じる筈の床の硬い感触は無い。

否、そもそも頭に感じているのは後頭部の鈍痛と、そして額に添えられた布地の感触のみ。

てっきり地面に倒れていると思っていた体が起こされ、座らされている事に気付いた少女は、ようやくまともに光を取り込み始めた瞳をきょろきょろと動かす。

 

「…お目覚めに、なられましたか」

 

頭上から聞こえて来る人形の声は平坦だが、同時に酷く不安なようにも聞こえる。

声の方へと顔を向ければ、合わせた瞳は想像よりもずっと近くにあった。

どうやら少女は人形の膝に座らせられ、その体に寄りかかって眠っていたらしい。

 

「ご、ごめんなさ────」

 

横抱きのような姿勢に一瞬固まりつつも、"このままではいけない"と腰を浮かす。

だがそれを制するように、人形は今も少女の額に当てられた布を抑えた左手を決して動かさない。

どころかずっと少女の背中を支えていたのであろう右腕は決して動かさぬまま、その手先だけを太腿に乗せ無理やり座らせてしまった。

 

「────…あ、あの…人形さん」

「なんでしょうか」

「えっと、もう下ろしてもらっても…」

「まだ血が止まっていませんので」

 

断固とした意志が見え隠れする雰囲気に、狩人は返答、もとい反論を呑み込み

 

「……はい」

 

力無く、だが額の布がズレないように項垂れる事はせず、返事をするしか無かった。

とは言え動けないとなれば手持ち無沙汰が酷くなる一方で、人形に話すような、話したいと思えるような話題も持ち合わせていない。

そんな少女の頭に、妙案が一つ浮かぶ。

今まで浮かばなかったのが可笑しく思えるような、当たり前の考えが。

 

「血が止まってないんですよね…?」

「輸血液をお使いになられますか?」

「あ、い、いえ。それはちょっと勿体ないですし」

 

必要最低限、瞳だけを動かして周囲を見る。

起きたばかりで纏まっていなかった先程の観察と違い、思考によって明確な目的を持って動く瞳は、残念ながら目的の物を見付ける事は叶わなかったらしい。

となれば当然、自分より詳しいであろう者に聞くしか無い。

 

「ここって、救急箱とかあります?」

「応急手当用のものが、確か。」

「あ、じゃあそれで…えと、手伝って貰っても」

「私は貴女の世話役ですので。…では、これを抑えて待っていてください」

 

言外に了承し少女に布を預けた人形は、まるで割れ物を扱うようにそっと少女の体を持ち上げ、椅子に下ろして歩いて行く。

言われた通りに受け取った布をそっと抑えながら人形の姿を目で追う少女の前で、人形は両開きの棚を開き、一番上の段から木製の箱を取り出した。

掠れてくすんだ十字架が描かれているそれは、記憶の無い少女でも一目で救急箱だとわかる。

持って来た箱を傍に置き、人形は箱を開く────事は無く、もう一度少女を抱えようと腕を伸ばした。

 

「えっ、ちょちょ…」

「…?どうか、なさいましたか」

「今なされようとしてるんですけど…」

 

得心が行かない様子の人形に、少女は抱える事の必要性を聞く。

やはりと言うか何と言うか、今回の人形は常の狩人に向けるものとはまた違う感情のようなものを抱いているらしい。

他の狩人とは一線を画す少女故か、或いは積み重なった周回の末に人形の方に変化が顕れたか。

 

説得、或いはほんの少しの抵抗とも言える会話で人形は少女が抱えられる事を良しとしない事を理解したらしく、ただ狩人達の要求を呑むだけの世話役らしからぬ様子で箱を開いた。

正に渋々と言った手付きに、抵抗した側である少女の方が申し訳なくなり始めた辺りで、手当が開始される。

 

「少し、痛むかもしれませんが」

「だ、大丈夫です」

 

そう言って目を閉じる少女の額に、薬剤が塗布されたガーゼが当てられる。

傷を刺激しないように、だが薬自体は確りと効果を残すように慎重に行われる手当。

また暫く箱から物を取り出す音が鳴り、少しした後に別のガーゼが当てられた。

薬剤が塗布されていないそれは、傷口を保護する為のものだろう。

少女が疑問を抱いたのは、その固定方法。

 

「え、あの…そんな酷い怪我でした?」

 

くるくると巻かれる包帯に、少女はいよいよ疑問を呈した。

対する人形は、事も無げに返答し、包帯を巻く手を止めない。

 

「ヤーナムでの怪我は、夢に入った時点でその全てが洗われます。ですが、夢で負った怪我はその限りではありません」

「ここで怪我して向こうへ行っても、怪我は治らない…って事ですか?」

「はい。ですので少しでも悪化の可能性を────」

「…ひょっとして、さっさと輸血液使うべきでした…?」

 

人形は口を噤む。

"怒らせてしまったのだろうか"と的外れな心配を始める少女は、人形の変わらない手付きに段々と申し訳なさを感じ始める。

だがどうやら今回ばかりは、人形が上手だったらしい。

果たして今まで少女が上手を取った事があるのかと問われれば、少々返答に困るが。

 

「貴女が輸血をする度に、恐怖している事を知っています」

「…えっ」

「以前私に問われた、他の狩人様方は針を怖がっていなかったかという問とは、また別の恐怖を」

 

事実だ。

少女は輸血をする度に、輸血液に対して、自身の肉体に対して恐怖している。

それは、少女の中に僅かに残った常識によるもの。

"人間の傷の治りは、こんなに早くは無い"

ヤーナム外の人間からすれば、それは当然の事だ。

 

血の医療を受けた者の殆どが、意志による肉体への影響が顕著になるという、ある意味では副作用のようなものを抱える。

"獣の爪牙によって傷付けられた肉体が、直後に巧く反撃をして気を持ち直す事で修復する"

狩人達の業であるリゲインは、その最たる例だ。

だが、だからこそ、少女は恐怖する。

"狩人になった事で、自分は人間をやめたのだ"と。

 

「…まぁ、はい」

「きっとこの傷も貴女がヤーナムへ戻り、そしてまた輸血液を使えば消えてしまう。或いは使わずとも、一度夢へ戻れば洗われてしまうのでしょう」

「なのに、こんなにしっかり手当するんですか?」

「だからこそ、なのです。」

 

人形の声音には、強い意志のようなものが感じられる。

人形である以上、人のような強い自我があろう筈も無い。

とは言え"人形だから"で済ませ、自我が芽生える事は有り得ないとして捨て置くのは、愚かであると言えるだろう。

少女への想いは、人形に成長を齎したのだ。

 

「貴女の恐怖が、少しでも和らぐように。貴女が、自分の傷を覚えていられるように」

 

頭の包帯を巻き終わった人形は、切り離した包帯の束をまた少し伸ばして少女に問う。

 

「ですので、この包帯を巻かなければならない場所を、教えて頂けますか?」

 

最初の傷、罹患者の獣に切り裂かれた左脹脛に、大胆なまでに包帯を。

二箇所目の右肋の辺りは、夢であり世話役の前とは言え裸体を晒す事は憚られたのか、肩の辺りに処置を。

掠り傷に絆創膏、擦り傷にガーゼ。

そうして少女の両頬にも幾つかのガーゼが貼られた辺りで、やっと少女は安心出来たようで。

 

「ありがとうございます、人形さん。もう、大丈夫です」

 

首やら腕やら、言ってしまえば四肢の全てに巻かれた包帯は、真新しい白だ。

途中でぺろりと捲られてしまった装束の下にある、白く薄い腹にも、もっと白い包帯が巻かれている。

狩人の肌と、左手首に巻かれたリボン以外の殆どを、包帯が隠す。

これらが土の茶色や泥の黒、そして血の赤に汚れるのは、きっと夢を発って直ぐになるだろう。

或いはこの包帯すら"身に付けた装束"の一部として認識されるのなら、夢へ戻る度に白を取り戻すのだろうか。

 

見れば救急箱の中の包帯も、すっかり少なくなってしまった。

見もしない内に補充されてしまうのだろうが、少女にとってはそれすら惜しい。

自分が居た痕跡、傷付いていた痕跡、手当を受けた痕跡。

それら全てが消えてしまうという想像、妄想が脳裏に過ぎる度に、少女は身震いしてしまう。

 

けれど今は、互いの記憶に残るというだけで、身動きをする度にこの包帯が服と擦れるというだけで。

少女はどうにも、満たされてしまう。

えも言われぬ安心感に身を委ねている内に、人形は救急箱を片付けてしまったらしく、次に少女が顔を上げた時には既にその細い体を抱き上げていた。

 

手当が始まる前は、抵抗していた行為だが。

"今の自分は怪我人だ"、"少し休憩が必要なんだ"

そんな気分でいる今は、この待遇も悪くないと、そう思えているようだった。




少女の包帯

少女の体、その至る所に巻かれた包帯。
目を覚ました時点で腕に巻かれていたものとは違い、全てが真新しい。

手当の後に夢を出入りしても、包帯が消える事は無かった。
頬に貼られたガーゼも、鼻頭や指に貼られた絆創膏も。
今やその全てが、仕掛け武器とはまた違う方向性で、少女の存在を人間たらしめている装束なのだ。
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