1限目の授業を終えて次の準備を始める生徒達。周りと同じように教科書などをロッカーから取り出し、自分の席へと着いた祐は視線を感じて横を見る。するとこちらを見つめていた春香と目が合った。
「どうかした?」
「えっ、あの…そ、そうだ!さっき逢襍佗君少しの間教室に居なかったでしょ?」
「ああ、うん。少し留守にさせてもらいましたけども」
明らかに今思いついた話題を出す春香。そのことに気付きながらも、祐は触れないことにした。
「その時にね、C組に転入したっていう留学生の子が廊下を通ったんだ。凄く綺麗な子だったよ」
「それはそれは、この時期に転入とは珍しいね」
その子のことならよく知っているし、この前うちに泊まったよなどと言う筈もなく初めて聞いたかのような反応をする。この件に関して無駄な騒動を引き起こす言動は慎むつもりだ。その姿勢は普段からとった方がいいと幼馴染達が聞けば答えただろう。
「だよね。どこの国から来たんだろう」
「バビロニアとかじゃない?」
「ば、バビロニア…?」
「やだなぁ天海さん、軽い冗談っすよ」
「そ、そうだよね…あはは…」
(バビロニアってどこだっけ…?)
出てきた言葉は聞いたことがあったような気はするが、詳しくは思い出せなかった。現代日本においてバビロニアなどそう聞く言葉ではないので仕方がない。
「てかバビロニアってどこだっけ?」
「逢襍佗君も分かんないんだ…」
相変わらず適当な祐に春香は苦笑いをする。しかしこうしてどうと言うことはない世間話をする時間は、春香にとって少し楽しみなものでもあった。麻帆良祭から忙しそうだった祐も普段通りに戻ってきているように思える。その部分も心配していたので、こうして話していると改めて一安心できた。
「あっ、遠坂さん。バビロニアってどこにあるか知ってる?」
「へ?」
春香が一人そんなことを考えていると、偶々近くを通りかかった凛に急に祐が話し掛けていた。突然質問されたのとその内容に凛は気の抜けた返事をしてしまう。隙を見せてしまったことを誤魔化すように急いで咳払いをした。注目を集めていたわけではないので、周りには見られていないようだ。
「えっと…場所は今で言うイラクの南部だけど、王国として存在していたのは古代の話よ。明確な年代は分からないけど遥か昔に無くなってるわ」
「そうなんだ。ありがとう、俺全然知らなかったよ。遠坂さんは博識ですな」
「それはどうも…」
「こちらからは以上です」
「あ、うん」
満足した様子の祐は頬杖をついてぼーっとしだした。残された春香と凛はなんとなくお互いの顔を見る。
「その、やっぱり自由ね彼」
「逢襍佗君の面白いところだと思うよ、うん」
お互いに浮かべたのはぎこちない笑みで、話に出ている当の本人は呑気にペンを回していた。自分の席へと戻りながら凛は改めて祐に視線を向ける。今はどういった経由でそうなったのか、祐が春香にペン回しを教えているところだった。
(怪しいとは思っても未だ収穫は無し。なにか尻尾を出してくれればいいんだけど)
祐のことを暫く観察していたがこれと言った情報は掴めていない。とはいえ目を光らせているのは教室内くらいで、それ以外でも後をつけているわけではない。彼の秘密を暴きたいのなら、もう少し強気に出る必要があると最近は思い始めていた。それ程苦労はないと考えていた当初の予想とは違い、祐は以外と強敵である。
(絶対に何かある。隠しているものがなんなのかは…まるで分からないけど)
「随分見とれてるな、遠坂」
一人真剣な顔つきになる凛の後ろから声が掛かった。ため息をついてから後ろを向けば、想像通りの顔をした綾子が瞳に映る。
「変なこと言わないで、そんなんじゃないわよ」
「それにしては熱心に見つめてたようだったけど?最近多いぞ」
にやける綾子に冷めた視線を返す。そういった類のものではないと分かっているくせに、彼女も中々に人が悪い。
「あんな変わった人なら、誰だって目で追っちゃうでしょ」
「そんなもんかねぇ」
意味ありげな言い方をする綾子。思うところはあっても、この話を長引かせない為に敢えて凛は反応しなかった。
「因みにさっきはなに聞かれたんだ?」
「バビロニアがどこにあるのか」
「なんだそれ…」
「こっちが聞きたいわよ」
四時限目の授業が終わり、待ちに待った昼休みがやってくる。ララにとって初めての昼休みということもあって、昼食のお誘いは後を絶たなかった。ならみんなと一緒に食べたいというララの一声で、最終的にはC組全員で昼食をとることになる。弁明はしたものの大半の男子勢からお許しを得ていないリトは肩身が狭かった。
本日は美柑に作ってもらった弁当があるので購買には行かず、食べ始める前に水道で手を洗おうと廊下に出るララ。そこで先程B組で発見できなかった大きな背中を見つけた。
「清潔!消毒!殺菌!」
「うるせぇな!?」
「迫真過ぎるだろ…」
何やら激しく手を洗っている祐。隣にいるのは正吉と純一である。ララは笑顔を浮かべると、静かに祐の背後から近づいた。三人とも接近に気付かず、祐が手をハンカチで拭いている隙をついてララが両手を伸ばして目隠しをした。
「だ~れだ!」
突然のことに純一と正吉は固まり、祐も一瞬動きが止まるがすぐにニヤリと口角を上げた。
「簡単すぎるぜ、まる〇め君だろ?声で分かるよ」
「ちげぇよ」
「祐、わざとやってるでしょ」
「ブッブ~!」
手が離れたことで振り返る。そこには不正解だったことが不満そうなララが頬を膨らませていた。
「む~!もう私の声忘れちゃったの?」
「ごめんごめん、冗談だよ。ちゃんとララさんだって分かってた」
「ほんと?なら許してあげる!」
そう言って祐に抱きつくララ。祐は苦笑いを浮かべるが、純一と正吉は真顔でこちらを見ている。素直に恐ろしい。
「おい祐、その子C組の留学生だよな」
「どういった関係か教えてほしいんだけど」
「初対面です」
「「嘘つけ!!」」
「まぁ聞いてくれ、正直に言うとララさんとは知り合いの知り合いってかんじ。それ経由でここに入るってなった時に少しお手伝いしたんだよ」
色々と端折ってはいるが一切嘘は言っていない。流石隠し事が多い男、こういった物言いに慣れている。
「本当か?」
「それにしては距離が近い気がするけど」
「それは彼女の性格からくるもんだ。俺達は出会った日数で言えばまだ一週間も経ってない。ね、ララさん」
「え~っと…うん!まだ一週間未満!」
指で日数を数えながらララも頷いた。祐はともかくとして、この少女が嘘を言っているとは思えない。二人はその部分に関しては納得することにした。
「そうだララさん、紹介するよ。こちら俺の友人の純一と正吉だ。純一は写真でも見たことあったよね?」
「祐とリトの幼馴染の人だよね、始めまして!ララって言います!よろしくね、ジュンイチ!マサヨシ!」
「「よろしくお願い致します」」
(おおう…)
(なんという破壊力…)
美少女にいきなり名前呼びをされるというあまり味わうことができない経験に二人は震えていた。なんとか話も無事纏まりそうだと一息ついた時、別の方向から視線を感じてそちらに目を向ける。教室のドアから少しだけ顔を出した和美とさよがこちらを凝視していた。いや、よく見ればその少し下に風香と史伽もいる。祐はここで真顔になった。
すると音もなく教室内へ戻っていく和美達。祐がどこかを見つめていることに気が付いたララ達もその視線を目で追う。全員が同じところに向いた瞬間、A組の教室から生徒達が雪崩れ込んできた。
「なんて手の早い男なんだ!」
「私達を散々弄んだくせにまだ飽き足らないの!」
「逢襍佗君の浮気者!」
「いきなり出てきてなんだお前ら!?」
矢継ぎ早に祐へと恨み言のようなことを言うA組達。これには祐も困惑を隠せない。
「明日菜・木乃香・刹那さん・茶々丸さんだけでなく祐君まで!?この子…どこまでもな奴だぜ!」
「ハルナさん何言ってんの?」
朝の騒動に居合わせていない祐にはハルナが言っていることはさっぱりである。
「ユウはA組のみんなと友達なの?」
「ううん、基本このクラスは俺の敵ばっかりだよ」
「なんだと!」
「騙してたんだな!僕たちを騙してたんだな!」
「何故ややこしくなるようなことを言うのか」
明らかに荒れるであろうことを言った祐に純一は冷静に指摘した。先の発言は間違いなくこの場を収めたい者の発言ではない。
「待て風香ちゃん!君のことは敵だと思ってない!」
「じゃあ僕のことどう思ってるんだよ!」
「幼児」
「このやろうっ!」
「デアッ!」
風香の怒りの拳が腹部に突き刺さった。感情のこもった素晴らしい一撃に、後ろで古菲と楓が感心している。
「なにすんだ!こんなのDVだろ!」
「そのネタは先程ハルナがやってました」
「私の発言をネタ扱いするな」
「まさかのネタ被りとは…俺も焼きが回ったか…」
「アホかこいつ」
自分の席から眺めていた千雨が呟く。祐にはしっかり聞こえていたので視線を送ると目を逸らされた。
「このネット弁慶メガネがよ…」
「んだとゴラァ!」
「お前はA組と喧嘩したいのか」
これまたしっかりと悪口が聞こえていた千雨が珍しく戦いに参戦する。胸倉を掴まれる祐を見ながら正吉が言った。
「なにすんだ!こんなのDVだろ!」
「もしかして気に入ってるのかな?」
「逢襍佗君気に入ったネタ擦るとこあるからね」
「冷静に分析されると恥ずかしいんでやめてください」
円の疑問に答えたのは美砂だ。意外とよく見ている。そのまま千雨を筆頭に何人も祐に攻め込んでいった。
「あ~…また逢襍佗君やられちゃってるよ」
「うふふ、祐君が関わるといつも賑やかね」
「賑やかなのはいつものことのような…ちづ姉なんか嬉しそうじゃない?」
「あら、そうかしら?」
麻帆良祭最終日の出張メイド喫茶然り、祐とA組が関わると基本乱闘騒ぎになる。その様子を見ていた夏美の言う通り、A組と戯れる(?)祐の姿に千鶴はどこか嬉しそうな様子だった。鉄板と呼んで差し支えない展開だが、この流れが好きなのだろうか。
「やめろ君達!離れないと近い奴からキスしていくぞ!」
そう言った瞬間周りにいたA組が一斉に教室へと逃げていく。こうするのが目的だった筈なのに、祐は思った以上のダメージを受けた。
「くそっ!想像以上に胸が苦しい!」
「だ、だってねぇ?」
「いきなりキスとか恥ずかしいし…」
ドアから顔を覗かせて珍しくしおらしい態度を見せる裕奈とまき絵。他の避難したクラスメイトも大なり小なり似たような雰囲気だ。この反応は祐が思っていたものではなかった。
(想像してたのと違う…)
「じゃあ私とキスしよう!」
今まで祐とA組の乱闘を楽しそうに見ていたララが立候補した。それを聞いてどよめきが起きる。
「あの子マジ⁉︎」
「ヤバいよ!エッチな逢襍佗君が断る筈がない!」
「絶対舌入れる気だよ!」
「出たな怪人ポルノ男!」
「ハレンチが過ぎるぞ!」
「お前らは失礼が過ぎるぞ」
よくもここまで矢継ぎ早に罵倒が出てくるものだと一周回って感心してしまう。だが今はそんなことよりララを止めなければならない。
「ララさん、キスするにしてもこんなのとしちゃ駄目だよ」
「その通りだけど自分で言うのか」
「僕もその意見には同意だ」
「うるせぇ!お前らは黙ってなさい!」
正吉と純一に釘を刺してから再度ララを見る。彼女は首を傾げていた。
「え〜、でもユウがするって言ったんだよ?」
「あれはそう言えばみんな逃げていくからと…ねぇ、説明すんの凄く辛いからやめていい?」
ギャグを丁寧に説明させられているような感覚に祐は耐えきれそうになかった。
「私はイヤじゃないよ」
「……」
ララの反応に言葉が紡げなくなる。彼女の何が一番困るかと言えば、言っていることが全て本心だと伝わってきてしまうことだ。
「逢襍佗君が固まってる」
「どう反応していいのか分かんないんじゃない?」
「意外と初心なのかな」
「可愛いとこあるじゃん逢襍佗君」
「すみません!外野は静かにしてもらっていいですか!」
これはなんたる辱めであろうか。今まで好き勝手生きてきたバチが当たったとでも言うのなら、せめてもう少し別の形で償わせてほしい。
「ちょっと待った!私も別にイヤじゃないわよ!」
「ハルナ⁉︎」
「突然何を言ってるのですか貴女は…」
右手を綺麗に垂直に上げ、教室からハルナが出てくる。そしてこの行動はハルナ一人では終わらなかった。
「せっ、接吻の経験はありませんけど…私もイヤではありません!」
「さよちゃんも行ったぞ!」
「出遅れてしまったカ、私も行こう」
「超りん!」
「あらあら、ならせっかくだし私も」
「ちょっとちづ姉⁉︎」
「負けないよ〜!チアリーディング部として参加するしかないよね!」
「チアは関係ない」
「なんだこの流れは…」
クラスメイトの大半はいつものノリだと思っているが、何人かは違和感を覚えていた。祐に巻き込まれないようにと傍観に徹していた明日菜達に謎の焦燥感が生まれる。
「う、ウチらどないしようか…」
「ど、どうって…私には関係ないし」
「そ、そうです。いつものおふざけに参加する必要はありませんわ」
「こ、ここは最後まで静観一択かと」
「それでよろしいのですか?」
『!?』
周りとは一歩引いた立ち位置でいようとするが、全員もれなく動揺が見える。そんな彼女達の死角からぬっと顔を出したのはザジだ。相変わらず気配を消して人の後ろに立つところがある。
「びっくりした、ザジさんか…」
「それより、今のはどういうことですか?」
「皆さんはここにいる方達よりも逢襍佗さんとの関係が深いと言っていいでしょう。それは付き合いの長さであったり、秘密を共有しているなどの経緯からくるものと思われます」
いつもの無表情で語るザジを明日菜達は黙って見つめながら、しっかりと話に耳を傾けていた。
「しかし、今の状況に胡坐をかいていてはそのアドバンテージも意味をなさなくなってしまうでしょう」
「それは…つまり?」
「彼に興味を持ち、その距離を縮めようとしている方は少なくない。そうしようとする理由は様々ですが」
次に出てくる言葉を固唾を呑んで待つ。この範囲だけ異様な緊張に包まれていた。
「このままいけば、皆さんが追い越されてしまう可能性は充分にあります」
ザジが四人の後ろに雷が落ちたかのような錯覚をするほど、彼女達の表情は驚愕に染まっていた。ただこの反応は今の奇妙な雰囲気に影響されているところが多分にある。
「例えば今あの場にいるララ・サタリン・デビルークさん。彼女はこの短期間で恐ろしい程逢襍佗さんとの距離を縮めています」
「そ、それは確かに」
ザジの言う通り、ララは異常な速さで祐との関係を構築しているように思える。彼女の性格からその行動原理は下心とは無縁だろうが、その行動力には目を見張るものがあった。
「彼女以外にも御覧の通りです。その進みは少しずつではありますが、決して無視は出来ない」
「ララさんはまだよく分からないけど、パル達は単にいつものノリなんじゃ…」
「そうお思いになりますか?」
「ザジさん近い…」
先程のように顔を近づけてきたザジから恥ずかしさで顔を逸らす明日菜。そのまま謎の立候補をしているクラスメイトに視線を向ける。そう言えば今になって思い出した。怪獣事件が終わり、祐達が帰ってきた時にハルナが言っていたことを。
『前から薄々思ってたけど…祐君て、結構いい男ね』
「……」
「明日菜?」
「マジかも…」
「ほえ?」
あの時は特に何も考えず流してしまった。だが今こうしてザジに言われると、あの発言はそれなりに重大なものだったのかもしれない。そのことを知らない木乃香は明日菜を不思議そうに見ていた。
「では、私も失礼します」
そう言って歩き始めたザジは、あろう事か手を上げて教室から出た。
「ザジさんだ!ザジさんも来たぞ!」
「あの二人って関わり合ったっけ?」
「私は喋ってたとこは見てないかな…」
想像以上に騒ぎが大きくなってしまった。気が付けばB組からもこちらを観察する視線が飛んできている。最早祐に退路はない。一度深呼吸をすると両頬を叩いて気合を入れた。
「分かった…ここまでされて逃げるなんてことはしない。俺も覚悟を決めた!」
決意を固めた祐が声を出す。周囲の冷静な者達は今までの経験から判断するが、こうなった祐は大抵碌な行動を取らない。
「それでは!今から私目が一人一人に丁寧な接吻をしていくということでよろしいですね!」
「いいわけないでしょ…」
学生ではない大人の女性の声に振り向く。居たのはこめかみに青筋を立てている麻耶だった。所用で一年の廊下を通っていた彼女は少し前からこの場を見ており、始めは黙っていたがもう流石に介入せずにはいられない。
「これは参りましたねぇ…」
「こっちの台詞です!逢襍佗君!一緒に教員室に来てもらうわよ!」
あっという間に腕を掴まれて連行される祐。抵抗はせず、死んだ目をして歩いていくその姿は宛ら逮捕された犯人であった。全員が困惑しながらその背中を見送る。祐を少し不憫に感じた純一は、横にいるララが嬉しそうな顔をしているのに気が付く。初対面の美少女に話し掛けるのは勇気がいるが、それ以上に気になった。
「えっと…デビルークさん?」
「ララでいいよ!どうしたのジュンイチ?」
「いや…なんだかラ、ララさんが嬉しそうにしてたから」
緊張しながらなんとか名前で呼ぶ。聞かれたララは笑顔のまま素直に答えた。
「ユウっていろんな人に大切に思われてるんだなって分かったから。それが嬉しいの!みんなユウが好きなんだね!」
驚いた顔をした純一。同時に様々な思いが彼の中で生まれる。しかし一番に思ったことを口にする。
「そうだね。何かあってもみんなそう思い続けてくれたら…僕も嬉しいな」
含みのある言い方にララは違和感がした。その姿を含め、自分の席から事の成り行きを見ていたエヴァ。これ以上の何かは起こりそうもないと茶々丸お手製の弁当を食べ始める。それぞれがその場から動き始めた中で、最後まで参加することはなかった明日菜達に珍しくエヴァから声を掛けた。
「今回は見ているだけだったな」
振り返った四人の内、むっとした顔の明日菜がエヴァに近寄る。
「エヴァちゃんだってそうでしょ」
「私はいつものことだ」
表情を変えず食事を続けるエヴァに明日菜の不機嫌度合いは増していく。そこでエヴァが弁当から明日菜に視線を移したことで目が合う。いつ見ても吸い込まれそうな程美しいエヴァの瞳に、場違いな羨ましさを感じていた。
「まぁ、これもある意味変化の結果か」
「なんの話よ?」
「大なり小なり変化があったということさ、お前達の中でな」
今の話の流れから、エヴァが祐と自分達に関することを言っているのはなんとなく察しが付いても、それ以外のことはてんで分からない。明日菜達が思考に耽っているところでエヴァが笑った。
「まぁ、ゆっくりやっていけ小娘ども。急いだところでいい結果には繋がらんだろう。それで間に合うかどうかは知らんがな」
「あの、先程からいったい何を…?」
「それも含めて自分で考えた方がいいぞ」
その言葉を最後にエヴァは昼食を再開する。この様子では聞き直しても返ってきそうにないと、渋々ながら明日菜達も昼食の準備の為に戻っていった。
「お前もな、朝倉和美」
バレないように聞き耳を立てていた和美の肩が跳ねる。エヴァにはお見通しだったようだ。
「あ、あはは…バレてたか。えっと、私はあくまで第三者兼記者として」
エヴァの瞳がこちらを覗く。それだけで考えていた言葉が喉から出てこなかった。
「そうかい」
姿勢を戻したエヴァの背中を暫く見つめ、頭を振って和美は自分の席に戻っていく。弁当に入っていた唐揚げを口に入れると、その味の良さにエヴァは何度か小さく頷いた。
部活動も終わり、女子寮で夕飯を作る木乃香。本日早めに帰ってきたネギは洗面台で手を洗っている。入れ違いでリビングに戻ってきた明日菜はなんとなく木乃香の隣に立って料理を見た。
「つまみ食いしたらあかんよ?」
「しないわよ!てかしたことないでしょ」
「そうやったっけ?」
笑いながら木乃香は料理を続けた。この部屋に広がる夕飯の香りが鼻腔をくすぐる。上手く言えないが、この香りと暗くなった空が醸し出す雰囲気が明日菜は好きだった。
「ねぇ、木乃香」
「なぁに?」
優しい表情でこちらを見る木乃香。少しの間視線を合わせ、明日菜は微笑んだ。
「ごめん、なんでもない!」
「なんや明日菜、思わせぶりやなぁ。ドキッとしてまうよ」
「はいはい」
笑い合ってから明日菜はカーペットに座ってテレビを見始めた。そこに帰宅後のルーティンを終えたネギもやってくる。
「今日は早めね」
「はい、滞りなく進んだので」
「そっか」
「そうだ明日菜さん。今日C組にデビルークさんが転入されましたけど、お話はされましたか?」
「えっと…まぁ、うん。一応」
(何かあったみたい…)
(間違いなく何かあったな)
ネギとカモは明日菜の反応からすぐに察した。ララに関しては学園側からは元より明日菜達からも話は聞いていたので、直接会ってはいないがデビルーク星のお姫様という点も含めて知っている。昼休みにちょっとした騒ぎがあったとは耳に入れたが、詳しく話そうとはしない雰囲気の明日菜を見て今は追及しないでおこうとネギは思った。
「僕も会ってちゃんと挨拶したいです」
「そうね、関わる機会は多くなるかもしれないし。まぁララさんは素直で優しい人だから、あんたともすぐ仲良くなれるでしょうね」
方向性の違いはあるがネギも素直で優しい性格だ。きっとララとの相性は悪くないだろう。そもそもララは誰とでも仲良くなれそうな性格ではある。
「是非俺っちも挨拶を」
「あんたはあんまり近づくんじゃないわよ?」
「そんな姐さん!?あんまりじゃないっすか!」
「だって変なこと教えそうだし」
「ひ、ひでぇ…」
ショックを受けた様子のカモを苦笑いをしながらネギが優しく撫でた。明日菜からすればカモはララの教育によろしくない気がしてる。本人は気が付いていないがすっかりお姉さん目線だ。
「明日菜~ネギく~ん、お料理運んで~」
「「はーい」」
呼ばれた二人はキッチンから料理をテーブルに運ぶ。明日菜が二往復目に取り掛かろうとした時、木乃香が手を洗いながら言った。
「ウチはゆっくり行こうって思っとるよ」
「え?」
振り向いて木乃香を見る。手を拭いて木乃香も顔をこちらに向けた。
「エヴァちゃんやないけど、急いだってしゃあないよ。この気持ちがなんなのか、ウチもまだよう分からんけど…少しずつ分かっていけたらいいなって」
木乃香は言いながら胸に手を置いた。一度視線を落とし、明日菜も自分の胸に手を添える。正直に言えば気になる。今抱えているこのもやもやはなんなのか、時折祐に対して感じる苦しいような気持ちはなんなのか。恐らく木乃香も同じなのだろう。もしかするとあやかや刹那も、そしてそれ以外の人達も。
自分のことの筈なのによく分からないのは、とても奇妙な感覚だ。それでも木乃香の言う通りなのだろう。急いで答えを探そうとしてもきっと上手くはいかない。時間を掛けてでもしっかりと理解していきたいと明日菜は思った。
「うん。私も…私もちょっとずつ分かっていきたい。なんか、それが一番の近道な気がする」
「先に分かったらこっそり教えてな?」
「そっちもね」
「お二人ともどうかされたんですか?」
話していた二人にネギが首を傾げている。少し笑ってから料理を手に取った。
「ううん、なんもあらへんよ」
「そうそう。ほら、さっさと運んじゃお」
不思議に思いながらネギも料理を運ぶ。テーブルに座っていたカモは意味ありげに明日菜と木乃香を見ていた。
(これはこれは…お二人さんの中で心境の変化があったって感じか。本当にちょっとしたもんのようだが)
「なぁなぁ、ネギ君て好きな子とかおるん?」
「へぇ!?な、なんですか急に!?」
「ぷっ、なによ『へぇ!?』って」
「だ、だっていきなりそんなこと聞くから!二人とも笑わないでくださいよ!」
いつものように温かい空気が流れる。未だ答えは不明のままだが、明日菜と木乃香は少しだけ胸のつかえがとれたような気がした。
麻帆良学園都市と外を繋ぐ橋に祐はいた。何をするでもなく下に流れる湖を眺める。少しずつ誰かの足音が近づいてきているが、振り返ることはなかった。
「少ししゃがめ」
「第一声でそんなこと言う人は不審者で間違いない」
「こんなところに一人で居る奴が言えたことか。早くしろ」
聞き慣れない声だ、恐らくご丁寧に魔法で変えているのだろう。しかし態度はいつも通りなことに笑いながら、後ろにいる相手に合わせる為しゃがみ込んだ。すると両目を手で覆われる。
「誰か当ててみろ。言っておくがふざけた回答をしても罰があるからな」
「怖すぎんだろ…」
夜に背後から脅されたら普通はトラウマものだ。お互いを理解しているからその心配はなくとも、罰は受けたくないので真面目に答える。正解は始めから分かり切っていた。
「こんばんは、エヴィ姉さん」
「ふむ、あまり面白くないな」
手を離し、言葉通りの表情をエヴァはしていた。
「自分からやっといてそりゃないでしょ」
「やったことがないから試してみたかったんだよ。しかしお前に対してこれはやはり無意味だな」
「まあね」
立ち上がって防護柵に寄り掛かると、エヴァは隣に移動した。
「今日は随分と大人気だったじゃないか」
「勘弁してよ、いじりに来たの?」
横目で確認するとなんともいい笑顔だ。教室前でやっていればそれは見られて当然かとため息をついた。
「どんな気分だ?」
「そりゃ好意的なこと言ってもらえて嬉しくない奴なんていないでしょ」
「嘘ではないようだが、それだけだったらお前はここには来ない」
「くっそ…駄目か…」
悔しそうな祐にエヴァは軽く笑って指をさした。
「真実を織り交ぜられるようになったのは成長だな。まだ詰めは甘いがそこは評価してやろう」
「あざ~す」
不貞腐れた態度に笑みを深くした。この顔を見ていると、よく同じような表情をしていた中等部時代の祐を思い出す。
「祐、昔から余計なことまで考えるのはお前の悪い癖だ」
「それは自覚してるよ。でも、これって余計なこと?」
普段と違い、祐のエヴァに対する口調が嘗てのものに戻っている。少し感情的になっている証拠だ、この姿を祐は滅多に見せない。それを自分に見せていることにどうしようもなく愛おしさを感じてしまうのは中々の親バカならぬ姉バカを発揮しているとは思うので、にやけそうになるのを堪える。
「余計なことさ、他人の感情だぞ?いくら気にしたところで好きなようにはできない。やれる方法はあるがお前はそれが特に嫌いだろう」
「そりゃそうだけどさ…少し、踏み込み過ぎた。優しさに甘えて調子に乗ったんだ」
「はっきり言ってもう手遅れだ。今更距離を置いたところであいつらは突っ込んでくるぞ」
「あの能天気どもの純粋さに惹かれたお前なら、それはよく分かっている筈だ」
正にぐうの音も出ないとはこのことだ。彼女達の優しさ、そして純粋さに惹かれたからこそつい近づき過ぎてしまった。様々なことを考えれば、それなりに距離を保つべきだったのに。
「こっちを向け」
声に反応すれば両頬に手を添えられた。少し高めの体温が伝わる。よく知る温もりにこれ以上ない安心を感じた。気が付けば膝を折り、お互いの額を合わせる。単純過ぎだ。自分のことながら呆れても、彼女からは離れられない。
「迷ったのならとことん悩めばいい、そして自分の答えを見つけろ。迷いの先にお前だけの答えがある」
「お前は最後に必ず進める奴だ。お前には自分自身を導く光がある」
近すぎるお互いの瞳を見つめ続ける。どちらもその瞳に映しているのは目の前の大切な相手だけだ。
「どんな速度でもいい。進め、痛みを背負ってでも。光が導く心のままにな」
「光が導く、心のままに」
エヴァの言葉を静かに繰り返す。ゆっくりと瞼を閉じて、その言葉を自分の中に溶かしていった。開かれた目を見てエヴァは微笑む。
「簡単には見つからないさ、下手をすれば見つからないまま死ぬ奴だっている。そして痛みは付いて回る、いつだってな」
祐は力強く頷いた。それに満足そうに頷き返して両手を離す。
「お前自身はこんなにも分かり易いというのに。アルコ・イリスも同じであれば良かったのだがな」
「謎な部分は全部そっちに盗られたのかもしれませんね」
「ぬかせ」
軽く祐の額を叩いた。いつもの調子に戻ったようだ。口調まで戻ったのは少々残念な気もするが、仕方ないと思うことにしよう。
「さぁ、優しい姉を送っていけ。特別に手を握らせてやる」
「ありがたき幸せです。身に余る程の」
しっかりと手を握り、エヴァの家へと歩みを進める。いつもより、お互いの手を握る力は強かったような気がした。
エヴァの家の前で祐は足を止める。エヴァは祐の顔を覗いた。
「泊っていってもいいぞ」
「そうしたいのは山々なんですけど、明日も学校ありますから」
「そうか」
「土曜日にまた行かせてください。その時は泊りで」
「仕方ないな、いいだろう」
手を離して向かい合うと祐は頭を下げた。
「ありがとうございます。またお世話になっちゃいました」
「貸し一つだな。とは言えもう数えるのもやめたが」
「はい、俺も覚えてません」
「調子のいい奴め」
双方にとって心地よい会話を交わし、祐は一歩引いて手を軽く上げた。
「それじゃ、おやすみなさいエヴィ姉さん」
「ああ」
背を向けて自分の家へと歩き出す。そんな背中に何かを思い出したようなエヴァの声が掛かった。
「そうだ祐」
「はい?」
「愛してるぞ」
振り向いた顔のまま止まった。エヴァはあっけらかんとした表情で、祐が次第に困惑を見せる。
「このタイミングで言います?」
「最近言ってやってなかったからな。充分伝わっているとは思うが、偶には言葉に出してやろうと思ったんだ」
「えぇ…まぁ、ありがとうございます」
困り顔のままお礼を言っておく。するとエヴァが耳に手をかざした。何を意味しているのかが分かった祐は頭を掻く。自分から言うのはいいのだが、催促されるとなんとも気恥ずかしいものだ。
「あ~…はい、俺も愛してます」
「知ってるよ」
「なんなんすかマジで!」
祐の反応に大きく口を開けて笑うエヴァ。今日はなんとも気分がいい。チャチャゼロではないが、久し振りに酒でも飲むかと考えていた。
その変化は気が付かない程些細なものかもしれない。しかし確実に変化は起きた。進んでいく、世界も・全ての次元も・そこに生きる者も。そして、そこに宿る心も。
一番好きな章は?
-
序章・始まりの光
-
幽霊と妖怪と幼馴染と
-
たとえ世界が変わっても
-
消された一日
-
悪魔よふたたび
-
眠りの街
-
旧友からの言葉
-
漢の喧嘩
-
生まれた繋がり