Arco Iris   作:パワー系ゴリラ

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目処

バートジー島で始まった戦闘は激しさを増していた。まだ僅かな時間しか経過していないにも関わらず、周囲の地形は大きく変化している。

 

バッサールの薙ぎ払いを態勢を低くして回避したバゼットは、勢いを乗せた右フックを人体で言う脇腹に打ち込む。高い威力を感じさせる音が響くものの、ノックバックをさせたことしか視覚的には感じられない。

 

瞬時に体制を立て直したバッサールが右の掌をバゼットに向けた瞬間、二人の間を七天七刀が通り抜ける。バッサールは接触寸前で身を引いたが、追従してくる切先に避けることはできないと両腕で防御をした。腕を切り付けたことによって生まれた火花が周囲を照らす。距離は取れたがバッサールの両手に傷はあっても切断することは叶わなかった。

 

「断ち切れなかったか…!」

 

少し悔しさを滲ませるように呟く火織を見てからその刀を確認するバゼット。何度か拳を打ち込んだことからバッサールの強固さは自分も充分に理解している。そんな相手を斬りつけて尚、火織の持つ刀に刃こぼれは見られない。どうやら相当の名刀なのだろうと思った。

 

「認めるのは癪ですが恐ろしい強度の装甲です。このまま真正面から打ち続けるのは最適解ではありませんね」

 

「同感です」

 

二人はバッサールを見つめながら会話をする。防御の姿勢を解いたバッサールも二人を見た。

 

「成程、強いな。お前達のような者がこの星には大勢いるのか」

 

「どうでしょうね」

 

否定も肯定もせずバゼットは質問を軽く流した。これに関してはどう答えても良い方向には向かないと思ったが故の解答でもある。

 

「貴方から確かな意思を感じました。感情があるのですね」

 

火織は構えを解かないまま聞く。どういった意図かは本人以外は分からないが、バッサールは素直に答える。

 

「ある、だがお前達とは構造が違う。戦闘に不要なものは持ち合わせていない。だからこそ、完全に壊れるまで戦闘を続行できる」

 

戦っている相手がこちらの攻撃を受けてもなんの素振りも見せないというのは様々な意味で気分が悪いものだ。しかし自分の不利な情報を与えないのは戦闘では理に適っていた。受けたダメージを視覚的に感じさせないのは相手に焦りを誘発させる手段となり得る。

 

「壊れるまで…死を恐れていないのですか」

 

「その感情は戦闘の邪魔だ。我々は自身の命に価値など見出していない」

 

可能な限り何か情報を引き出せないかと会話を続けようとする火織だったが、バッサールの返答で眉間に皺を寄せる。先の発言は強がりなどではなさそうだ。言葉通り、自分の命など本当になんとも思っていないらしい。敵としてはどこまでも面倒な相手である。

 

「さぁ、続きだ」

 

しゃがんだバッサールは地面を蹴り上げ跳躍し、そのまま滞空して二人に砲撃を仕掛けた。

 

「飛ぶのは卑怯ですよ!」

 

「同じ条件で戦う必要はない」

 

降り掛かるレーザーを回避しながらバゼットがバッサールを非難する。しかし返ってきたのはご尤もと言えるものだった。空中に留まられたとなればバゼットの手数は極端に減る。やり様が無いことはないが、彼女の本領は接近戦なのだ。それに切り札を出すには早すぎる。そこで同じように避けていた火織が前に出た。

 

「私が叩き落とします!」

 

七天七刀に手を添え、抜刀の構えを取る。すると空中にいるバッサールを囲むように空間を切り裂く衝撃が飛んだ。感知はしたが避けることは叶わず、バッサールが攻撃を受けて地面へ落下する。

 

(居合い斬り…いや違う、僅かに線が見えた)

 

その動きにバゼットは抜刀術かと考える。しかしバッサールの周囲に糸のようなものが一瞬映ったように見えた。どのような細工なのか気にはなっても今重要なのはそこではない。

 

落下してくるバッサールの真下に滑り込んだバゼットが拳を握るとそこに光が灯った。バッサールは両腕を交差して体当たりを行おうとする。心情的にはこのまま打ち合いたいが、この好機を逃すわけにはいかない。バゼットは僅かに身体を反らせるとバッサールの上腕と胸の装甲の僅かな隙間に手刀を突き刺した。

 

落下の勢いも相まってかバゼットの手刀は右腕と胸の結合部上半分を貫き、体勢を無理やり作り着地したバッサールに休むことなく追撃を行う。負傷した影響で電流が走るバッサールの右前腕を両手で掴むと身体を捻って左肩に担いだ。

 

「セイヤー‼︎」

 

勢いを乗せて大きく振りかぶり、互いの背中を合わせた状態で一本背負いを行う。投げ飛ばされて生まれた遠心力と本来は曲がらない方向に負荷を掛けられたことにより、辛うじて繋がっていた右腕をバゼットの両手に残してバッサール本体は大きく吹き飛んだ。

 

破損した右腕の両端を持ち、まっすぐ伸ばした肘関節に膝を叩きつけて真っ二つに折る。必要以上な行動に思えるが、相手は未知の存在。念入りに無力化するのは当然である。

 

「やはり関節部分は装甲程の強度とはいかないようですね。そして、関節の構造も人間に近い」

 

右腕の残骸を投げ捨てながら呟く。俊敏且つ滑らかに動くには、それに伴う関節の柔軟性が必要不可欠である。いくら強固な肉体を持っていたとしてもそこは変わらなようだ。ならば活路は見えた。

 

「見たところ掌が主武装なのでしょう。もう片方も取ります、手伝ってください」

 

「…分かりました」

 

火織の性格上、どんな状況であれ相手を痛めつける行為を嬉々として行うことは出来ない。それでも分別は付いている。今この場で自分がやらねばならないことは理解していた。意識を切り替え、バゼットの隣に並ぶ。

 

「戦闘続行、可能」

 

立ち上がるバッサールは片腕のみとなっても退く姿勢が見られない。左の掌からレーザーが飛来すると、二人は左右に分かれて走り出す。両腕でも捉えられなかった相手を片腕のみで捉えられる筈もなく、二人は瞬時に間合いを詰めてきた。再び宙に上がろうとしたが、先程同様周囲から襲いかかる斬撃にその進路を絶たれる。勝敗は、間もなく決まろうとしていた。

 

接近したバゼットの蹴りがバッサールの左膝を打ち抜く。この関節は後方に曲がるようにできていない。従って軋む音を響かせながら左脚全体が振り抜かれ、前のめりに姿勢を崩した。即座に左腕を掴み、バゼットの肘固めが極まる。

 

「今です!」

 

「ハァッ!」

 

上空から降下してきた火織が七天七刀を振り下ろす。刀身は見事に左腕の付け根を斬り裂き、遂にバッサールは両腕を失った。だがそれは同時に拘束から解かれたことも意味する。腕を欠損したことなど意に返さず二人から距離を取ろうとしたが、跳躍したところで左足首をバゼットに捕らえられ、隙を逃さず続けて膝裏を狙った火織の一撃に今度は左脚の下半分を失う。斬り上げられた衝撃を上手くいなす事は叶わず、空中で回転しながらバッサールは地面に落下した。

 

「降伏を、貴方はもう戦えない筈だ」

 

最期通告だろう、切先を向けながら火織が告げた。そんな火織に何も言わず、バゼットは静かにバッサールを見下ろす。倒れていたバッサールは上体を起こした。

 

「戦闘続行可能、しかし敗北の可能性大。シークエンスを移行する」

 

言い終えたのと同時、バッサールの全身が発光する。装甲の下から差す光と大きく鳴り響く起動音に二人が予想した行動は一つだった。

 

「自爆するつもりですか!」

 

「失礼します!」

 

「なっ⁉︎」

 

走りだしたバゼットはどういったわけか火織へ体当たりするように自分ごと崖から飛び降りる。予想外の行動に火織は対応できず、二人はそのまま海へと落下。着水する瞬間、眩い光と爆発音が響き渡った。

 

程なくして二人は水面から勢いよく顔を出す。先程まで居た場所を見ようとするバゼットに火織は不満げな視線を向けていた。

 

「…いきなり何をするんですか」

 

「爆発を避けるにはこれが最善だと思ったので。それに貴方、私の勘違いでなければ奴に手を伸ばそうとしていませんでしたか?」

 

気まずそうに火織は目を逸らす。返答はないが認めたようなものだ。バゼットはため息をついた。

 

「まぁ、私がどうこう言うものではありませんね」

 

それだけ言うとバゼットは崖を軽やかに登り始める。顔に付いた水滴と余計な考えを振り払う為、火織は軽く頭を振ってバゼットの後を追った。登りきると周囲を見回す。地形は戦闘時よりも更に大きく変化しており、爆発の威力を雄弁に物語っていた。

 

火織よりも先に念入りに周りを確認していたバゼットはその場から歩きだす。火織はその背中に声を掛けた。

 

「どちらに?」

 

「奴の破片がないか周辺を探します。手ぶらで帰りたくはないですから」

 

短く答えて足早に離れていくバゼット。火織は一度視線を落としてから再度バゼットを見た。

 

「ありがとうございました」

 

「…なんです、急に」

 

歩みを止め、振り返ったことで見えた表情は少し訝しげだった。この反応も仕方ないかとは思いつつ、最後まで言わなければと続ける。

 

「成り行きとは言え協力をしていただきました。最後は少々乱暴でしたが…感謝します」

 

「……」

 

軽く頭を下げる火織の姿にバゼットは頬を掻いた。なんと言うか、非常にやりにくい。こんな仕事をしているからだろうか、素直な人物に会うことも少なければ感謝を告げられることも殆どない。慣れていないのだ、善意に触れることには。

 

容易に信用すれば都合よく利用される。簡単に心を許せば、行動に迷いが生まれる。それでは駄目だ、己の役目を考えれば他人に近づくことは余りにリスクが高い。それは充分に理解している。しているが、彼女を無視して立ち去る程冷たくなりきれていない。甘いのは自分も同じだったかと心の中で自嘲した。

 

「こちらも感謝します。見事な腕前でした」

 

ここで終わればいい別れ方になるかもしれない。しかし彼女は自分とは違う組織の人間だろう。きっと自分達は相容れない、もしまた会うことがあるならば…そう考えて続いた言葉は突き放すようなものだった。

 

「ここで貴女に出会ったことは、なかったものとしておきます。そちらも、そうした方がいいでしょう」

 

「もし次に顔を合わせる時があるのなら、その時は今度こそ敵同士になります。貴女とは、もう会うことがないよう祈っておきます」

 

静かにその場を去るバゼット。火織はやるせなさを僅かに含んだ瞳で彼女の背中を無言のまま見送った。

 

お互いの立場など知る由もない。それでもこの場で出会い、戦ったとなれば裏の世界に身を置いているとは想像に難くなかった。血生臭いこの世界では味方でないのなら敵となる。分かりきっていることだ、何度も経験してきたのだから。

 

それでも無心ではいられない。火織はこの世界に身を置くには善人すぎた。バゼットが最後に言ったもう会うことがないよう祈っている。これが貴女とは戦いたくないと言っているように聞こえたのは都合よく受け取りすぎなのだろうか。

 

世界が優しさで溢れていると思う程世間知らずではない。今の混沌とした世界情勢なら尚更だ。それでも思ってしまう。

 

巡り合わせとは、出会いとはもっと温かいものであるべきだ。

 

 

 

 

 

 

東京湾の水面からゆっくりと何かが浮上する。現れたのは先程バゼット・火織と戦っていた者とまったく同じ姿をした存在、バッサールだった。海から全身を出して水上に留まるバッサールの両目が輝く。

 

「他の二体は、消滅したか。予想以上の星だな」

 

そう言うと更に上昇し、風を切り裂いて一直線に飛んでいく。己も向かわねばならない。強き力の集まる目的地へ。

 

 

 

 

 

 

落下予測地点に向かう為、部室のドアを開けた祐の目に映る人物がいた。少し先の壁に寄り掛かり、こちらに視線を向けている。それはクラスメイトの遠坂凛だった。

 

「あれ?遠坂さん?」

 

不思議そうな顔をする祐。凛は申し訳なさそうに笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「ごめんなさい、廊下で珍しい組み合わせを見たのもだから。気になっちゃってつい後をつけてしまったの」

 

それ以外の思惑もあるが言ったことは本当だ。廊下で話す姿を目撃した凛は三人を尾行し、生物工学研究会の部室までやってきた。途中室内の声が聞き取れないかと最善の注意を払って近づいても、物音一つ聞き取ることはできなかった。壁に耳を当てたというのに何一つだ。どう考えてもおかしい。だがこれはある意味凛にとって絶好の機会だ。

 

「珍しい組み合わせ…確かにそうかも。でも俺個人は結構二人と仲良いんですよ」

 

「あら、そうだったの」

 

祐がそんなことを言っていると超とララが後ろから出てくる。二人の視線が凛に向かう。

 

「おやおや、B組の遠坂サンではないカ」

 

「B組?じゃあユウと同じクラスだ」

 

「こんにちは超さん。それと、デビルークさん…ですよね?」

 

超とはボーリングの時を境に顔を合わせる機会は何度かあった。対してララは存在は知っていてもこうして顔を合わせるのは初めてである。

 

「初めまして!私ララ!よろしくね、B組の人!」

 

「え、ええ…よろしく。遠坂凛です」

 

目の前に迫ってきたララに両手を握られて挨拶をされる。スキンシップが少々激しいとは風の噂で耳にしていたが、噂に違わぬ激しさであった。凛は思わず気圧される。

 

「リンだね!うん、覚えた!リンはどこに住んでるの?」

 

「えらく急ね…」

 

ララと凛を見ていた祐の制服の裾が引かれる。それに反応して引いた相手である超に耳を近づけた。

 

「遠坂サンはここで何を?」

 

「俺達の組み合わせが珍しくて、気になって見にきたんだって」

 

「それはそれは」

 

祐の返答に超は笑顔を浮かべてから凛の様子を窺う。ララから飛んでくる質問の嵐に凛はたじたじといった状態で、超の視線には気付いていない。

 

「本格的に探りを入れ始めたのカナ」

 

「かもね」

 

小声で話していると祐の表情が変わる。この顔は恐らく何かを感じたのだろう。そしてその『何か』とは良いものではなさそうだ。

 

「…向かってきたのか」

 

呟いた祐は超に視線を向けると、それだけで察してくれたのか頷いてみせた。超に頷き返す。向こうから来るのなら迎え撃つまでだ。

 

「リンも一人暮らしなんだね、今度行ってもいい?」

 

「えっと、私は構わないけど…別に珍しいものなんて」

 

凛が助けを求めてララから祐に視線を移す。しかしそこに彼の姿はなく、一瞬のことに目を丸くした。

 

「あ、あの…逢襍佗君は?」

 

「あれ、ほんとだ」

 

凛と同様に辺りを見回すララ。超は手を後ろに組んで質問に答える。

 

「急用ができてしまったらしいヨ、所謂家庭の事情というやつネ」

 

「そうなんだ。ユウ忙しいんだね」

 

「彼は中々に多忙だヨ」

 

「…はぁ」

 

凛はララから一旦脱せたことやその他諸々も含めてため息をついた。彼はいつも気が付くとその姿を消している。あれだけ目立つ見た目なのに気配すらなく。その時目があった超から笑みを向けられる。見えた笑顔に含みを感じ、凛の表情は変化した。

 

 

 

 

 

 

空を高速で飛行するバッサールの動きに迷いはない。しかし前方に強い光が降り注いだことで動きが止まる。眩い虹の光が、そのを進行を防いだ。目の前の光景を黙って見つめるバッサール。暫くして光を振り払い、中から姿を表したのは戦闘スーツに身を包んだ祐だった。

 

「そこで止まれ、理由なくこの先に進ませるわけにはいかない」

 

バッサールは祐の姿を観察する。間違いなく、今の光はあの時のものだろう。これを不特定多数の存在が持っているものとは到底思えない。そうであるならば、自分が最重要任務を負ったことになる。

 

「お前が虹の光を持つ者だな。私が当たりを引いたか」

 

「どういう意味だ」

 

「私はバッサール。この次元、この星の戦士と戦うために来た」

 

静かに人差し指を祐に向ける。祐の瞳はツインアイ越しにバッサールを射抜き続けていた。

 

「この星から宇宙を、次元さえも揺るがすエネルギーを我々は観測した。巨大生物を消し去ったあの力、お前の持つ光だな」

 

思い当たる節はある。事実少し前に巨大生物を宇宙に飛ばして始末した。あれが巡り巡って新たな火種をもたらしたようだ。愛穂はああ言ってくれたが、エクレル星人が自分に言っていたことが否定できなくなってしまった。

 

「俺がお前を呼び寄せたのなら、その責任は取らなければならないな」

 

「そうしてもらおう。戦士よ、ここがどちらかの死に場所となる」

 

両掌からレーザーを発射して攻撃を開始する、祐は飛来するレーザーを避けることなく手刀打ちで叩き割った。中心から二つに裂かれたレーザーが空に消えていく。一瞬で距離を縮めた祐が左の拳を突き出し、両腕で防いだバッサールを後方へ吹き飛ばした。続け様に光弾を右手から発射する。バッサールは身体を捻って姿勢を整えながら、迫り来る砲撃を回避した。それから双方空中を飛び回り、相手へ遠距離攻撃を放ち続ける。

 

今この場で繰り広げられているものは正に三次元戦闘と呼べるものであった。重力を完全に無視した動きは現実離れしており、遠くから見ればどこか美しさを感じてしまいそうになるが実際行われているのは殺し合いだ。そこにそれ以外のものはない。

 

青空に戦いの光が瞬く。そしてお互いを捉えんとする光が正面から衝突し、大気を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

「はーい皆さん、席に着いてくださ〜い」

 

昼休みが終わり、五時間目の授業を行う為教室に入ってくる小萌。既に準備が済んでいたり自分の席に戻る一年B組の生徒達を見ていると、一つの席が空いている事に気が付いた。その席が誰のものか知っている小萌は隣の席の春香に尋ねる。

 

「あれ?天海ちゃん、逢襍佗ちゃんはまだ戻ってきてないのですか?」

 

「あ〜、えっと…なんでも急な家庭の用事ができてそっちに行っちゃったみたいです」

 

「急用ですか、う〜ん…逢襍佗ちゃん大丈夫ですかね」

 

昼休み終了直前突然超から声を掛けられ、祐の現状を伝えられた春香が若干気まずそうに答えると小萌は心配そうな表情を浮かべた。いつも元気な彼だが、最近何かと家庭の事情で遅刻や休みを繰り返していると聞いている。もしや問題等抱えているのではと考えつつ、授業は行わなければならない。

 

「心配ではありますが授業を始めないといけませんね。さぁ、切り替えていきますよ」

 

周りが小萌の指示通り教科書のページを開く中、凛は不満気な表情のまま席に座っていた。完全に煙に巻かれてしまい、消化不良もいいところである。とは言え何も進歩がなかったわけではない。今後も探りを入れる上で重要になるであろうものには目星が付いた。

 

「超鈴音…ね」

 

誰にも聞こえないよう小さな声で鍵となる人物の名前を呟く。ただし凛はまだ知らないが、相手に目を付けたのは何もこちらだけではなかった。

 

 

 

 

 

 

本日の授業、そしてホームルームも終了した麻帆良学園。既に夕日が顔を出し始めた教室から生徒達が出ていく中、本日の日直だった純一から当番日誌を麻耶が受け取り内容を確認している。

 

「あの、高橋先生?」

 

「ん?何かしら」

 

どこか険しい顔をする麻耶に、純一は緊張しながら聞いた。対して麻耶は純一の硬い表情に不思議そうに返す。

 

「あ、いえ…なんというか…難しそうな顔してたので、不備でもあったのかなと」

 

「ああ…ごめんなさい、日誌に何か問題があるわけじゃないわ。大丈夫よ」

 

そう言って日誌に視線を戻す。これが理由でないとなれば思いつくものは一つだ。

 

「はい、ご苦労様。橘君も下校して大丈夫よ」

 

「祐のことですか?」

 

自分で言っておいてなんだが、いきなりすぎたかもしれない。麻耶は少し驚いた表情だ。

 

無意識のうちに顔に出てしまっていたことを反省しつつ、麻耶がため息をつく。

 

「担任だもの、色々考えることはあるわ。今度しっかり話をするつもり」

 

「…高橋先生、祐は普段あんなんですけど本当は」

 

「失礼します」

 

言葉の途中で教室に誰かが入ってくる。二人が声のした方を見れば、そこに立っていたのは他ならぬ祐だった。

 

「祐…」

 

「すまん純一、話の途中で」

 

「いや、それはいいんだけど…」

 

挨拶もそこそこに祐が麻耶の前に立つ。無言でこちらを見つめる麻耶に向かって真面目な表情で頭を下げた。

 

「連絡もせず、いきなり欠席してしまってすみませんでした」

 

頭を下げ続ける祐を見る麻耶の表情は苦々しい。そばにいる純一もこの場の息苦しさを否が応にも感じていた。

 

「逢襍佗君、この後時間あるかしら」

 

「はい」

 

「そう、なら教員室に来てちょうだい。少し、話したいことがあるから」

 

「分かりました」

 

「先に行ってるわね」

 

祐を通り過ぎて麻耶は教室を出ていった。その背中を見送った純一は続けて祐に視線を向ける。目があった祐は純一の顔を見て苦笑いをした。

 

「そんな顔すんなよ。黙って学校からいなくなったら、怒られて当然だ」

 

「そうだけど…理由があったんだろ?」

 

「その理由を説明できないんじゃあな、どう思われても文句は言えんて。寧ろ出会い頭に怒られなかっただけ、高橋先生には感謝しないと。自分が悪いとは言え、みんなに見られながら怒られるのは出来れば遠慮したいし」

 

純一はそこで気が付いたが、教室の外にはこちらを心配そうに見ている正吉と薫がいた。今日はこの後遊びに行く予定があり、純一の用事が終わるのを待っていたのだ。それ以外にも廊下にはホームルームを終えたばかりの生徒達が多くいる。確かに自分に非があったとしても、この状況で説教を受けるのは遠慮したい。

 

「さて、それじゃ俺は行くよ。また明日な、純一」

 

純一の肩を軽く叩き、返事を待たず祐も教室を後にする。純一は掛ける言葉が見つからず、黙っているしかなかった。祐は続いて廊下にいた正吉と薫に手を上げて挨拶すると二人が近寄ってくる。

 

「おい祐、大丈夫なのか?」

 

「よく分かんないけどさ、サボったわけじゃないんならちゃんと理由言ったほうがいいんじゃない?」

 

「そうするよ、ありがとね二人とも」

 

短く会話を交わして祐は歩いていく。純一も二人に合流するが、結局その後祐には声を掛けられなかった。

 

 

 

 

 

 

職員室に着いた祐は麻耶の元まで来ていた。部活もある影響で、職員室にいる教員はそれ程多くない。

 

「逢襍佗君、貴方の家庭環境が…色々と複雑なのは私も知ってるわ。麻帆良祭頃から大変なのもね」

 

担任である麻耶は祐の両親が既に亡くなっているとを知っている。親戚関係でも様々な問題があるとも。ただし、親戚共々に関しては祐が便宜上ついている嘘だ。騙していることに良心は痛むが、それくらいしか案が思い浮かばなかった。

 

「それでも何も言わずにいなくなったり、何故そうなったのか伝えてくれないと私もどう動いていいのか分からないの。デリケートな問題なのは重々承知しているけど、もう少し教えてくれることはできない?」

 

きっとこれは最大限考慮してくれたものなのだろう。麻耶からはなんとか祐の力になろうという気持ちしか感じなかった。祐の抱えている問題は軽々しく口にできるものではないのだろうとは麻耶も察している。しかしこのままでは祐を庇うことができない。今の状態では教師として、そして担任として最近の彼の行動を見過ごし続けるには限界があった。

 

「勝手に周りには言わないって約束するわ。もし教えてくれるなら場所を変えましょう」

 

ああ、自分は担任にも恵まれたと改めて思った。麻耶の表情からは心苦しさも伝わってくる。相手の為にとった行動だとしても、踏み込んでしまったことに申し訳なさを感じているのだろう。受け持つ生徒であっても家庭の問題に干渉することは、言ってしまえばリスクの高い行為だ。怪我をしたくないならそこから距離を置くのが最も無難で、最も楽だ。それでもこうして歩み寄ってくれている。彼女の優しさが祐の罪悪感を強くした。

 

もう、認めてしまおうか。秘密を明かしても、麻耶はきっと約束通り自分の中に留めてくれるだろう。近右衛門やタカミチ、愛穂も祐の秘密を知っていて、担任である彼女がその中に加われば格段に動きやすくなる。祐は一瞬そう考えた。

 

だが麻耶は一般人だ。魔法使いでもなければ、危険と隣り合わせの警備員(アンチスキル)でもない。自ら非日常は求めず平穏を好み、平和の中で生きることを望む女性なのだ。そんな彼女が祐の秘密を知ればどうなるか。恐らく平和から遠ざかることになるだろう。

 

間違いなく祐に協力してくれる。そうなれば担任であるが故に、祐と接する機会が多い大人の一人として学園とは関係のない問題の対処にさえ追われることになる可能性が高い。もしかするとそれでもと麻耶は自分との関係を改めないかもしれない。そんな余計な荷物を彼女に背負わせるのか、時に厳しくも生徒のことを考えてくれる優しい彼女に、今もこうして見捨てないでいてくれようとしている人に。

 

己に都合のいい選択を取るなら、麻耶をこちら側に引き入れるべきだ。秘密を知ってもらい、力を貸してもらえばいい。楽な道だ、自分にとっては。選択肢はこれ以外にない、楽な道を望むなら。

 

誰であっても面倒な選択などしたくはない筈だ。しかし目の前の彼女は、自分にとって一番楽な道を選ばなかった。それは偏に相手を思っての結果で、ある意味自分を犠牲にした行動だ。ならば自分はどちらを選ぶべきか、そう考えれば答えは決まった。

 

楽な道は選ばない。潮時なのだろう、現在の身の振り方を改める時が来たのだ。いよいよ自分自身が戦いを呼び寄せる段階に突入した。今がいつか来るだろうと考えていた『その時』なのかもしれない。

 

大切な思い出は、既に数えきれない程ここで貰った。これだけあれば大丈夫だ、進んでいける。今の生活を手放したくなどないが、全ては守れない。ならば取捨選択を必ず迫られる。温もりの中で生きる時間を終えてでも、自分の一番の望みを叶えなければ。

 

「ありがとうございます、高橋先生」

 

頭を下げる祐に麻耶は驚く。程なくして頭を上げたことで見えた祐の顔は、麻耶が今まで見た中で最も真剣味を帯びていた。その顔に少し期待する、話をしてくれるかもしれないと。

 

「こんな面倒な奴を見捨てないでくれて、感謝してもしきれません。貴女は僕なんかには、勿体なさすぎる先生でした」

 

「ど、どうしたの急に…」

 

照れ臭さよりも動揺が勝り、呆気にとられていた麻耶に祐は続けて口を開く。

 

「だから、もう嘘をつくのはやめます」

 

「え…」

 

「今まで認めてきませんでしたが撤回します、僕はどうしようもない問題児です。こんなに優しい先生の頭を悩ませる、男の風上にも置けない奴です」

 

「な、何を言って」

 

聞こえてきた言葉の意味が理解できず、麻耶は思わず聞き返す。自分の体温が冷めていくのを感じた。嫌な予感がしたせいかもしれない。

 

「親戚関係で忙しいと言ったのは全部嘘です。本当は、ただサボってました」

 

祐の発言に固まっていた麻耶の表情が徐々に変化していく。鋭くなっていく視線が祐に突き刺さった。

 

「麻帆良祭の時の話は本当です。でもその後、家庭の事情ってことにすれば有耶無耶にできると味を占めてサボりの常套句に使ってました」

 

「…麻帆良祭以降は、全部そうだって言うの?」

 

「はい」

 

気が付けば麻耶の目は明確な怒りを含んだものに変わっていた。当たり前だ、彼女の好意を無駄にしたのだから。何発もらっても黙って受け入れる心構えでいる。

 

「それじゃあ、学校を抜け出した理由はなに?」

 

「色々欲しいものがあったんです、その瞬間を逃すと買えなくなるんで。最近は転売とか酷いですからね」

 

拳を握りしめた麻耶は椅子から立ち上がる。全身に力が入っている影響でその身体は震えていた。祐はまっすぐ向けられる視線に正面から向かい合う。一発目が飛んでくるかと思ったが、麻耶は大きく息を吐き出して身体から力を抜いた。溢れ出そうとする感情を押し留め、ゆっくりと椅子に座り直す。その目は、もう祐に向けられていない。

 

「今回のことも含めて、貴方への対応と処罰はこれから考えさせてもらいます。今日はもう帰りなさい」

 

幻滅か失望か。どちらもだろうし、それも当然だと祐は再度頭を下げる。

 

「はい、失礼します」

 

こちらから視線を逸らし続ける麻耶をそのままに、背を向けて職員室を後にする。窓から差し込む夕日が自分の影を長く伸ばしていた。

 

「逢襍佗君」

 

背後からの麻耶の声に足を止める。麻耶は悩みながらも重い口を開く。僅かな希望を込めた瞳が祐の目に映った。

 

「本当に…本当に嘘なの?本当にそんな理由で、嘘をついたの?」

 

「本当です。それに、これからもその嘘は使っていくつもりでいます」

 

救いようのない奴だと、他人事のように自分を馬鹿にした。よく考えずとも次から次に出てくる言葉に、元から素質はあったんだなとも思う。こちらの方がお似合いかもしれない。

 

無言で椅子に座ったまま向きを反転させ、麻耶はデスクに肘を置いた。もう話すことはないと、そういうことだろう。こちらに向けられる複数の視線に気付かないふりをして、祐は職員室から出ていった。

 

扉が閉まった音を聞き、麻耶は額に手を当てて俯く。確かに手の掛かる生徒ではあった。それでも人として好ましく思える部分も多分にあったのだ。祐に対して一種の信頼があったからこそ、少なくないショックを受ける。だからこそ失望に似た感情が生まれた。しかしその感情を向けている相手は何故か酷く曖昧で、どちらに向けてとは断言出来ずにいる。

 

幸運と言っていいのか、今この職員室にいる数名の教員は祐のことをそれなりに知っている者しかいなかった。そのうちの一人である小萌がすっかり肩を落とした麻耶に近づき、その背中を摩る。そしてもう一人、一連の流れを少し離れた場所から見ていた愛穂はその場を後にした。こちらも、あの問題児に話を聞く必要がある。

 

 

 

 

 

 

そう遠くない内に生徒思いの教師には周囲から同情が寄せられ、やりたい放題の問題児には軽蔑が向けられていくだろう。どれだけ間違っていると言われても今この時、自分はこれが最善だと思った。結果は、すぐに自分の身を持って知ることになる筈だ。

 

「色々準備、始めないとな」

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