空は完全に暗くなった。陽が射さなくなったことで気温が一段と下がったように感じるが、そんなことは無視して明日菜は並木道を走る。目指すのは祐の家だ。
『祐が高橋先生に嘘をついたんだ。今まで学校を休んだり抜け出してたのは、単純にサボってただけだって』
先程の話を思い出す。祐が麻耶に話した理由が嘘だとは明日菜は元より純一も分かっていた。真実を言わず、自分が苦労していると伝えないのは如何にも祐らしい。そして同時にこうも思った、納得できない。祐はきっと今回もみんなを守る為に動いた。なのに周りから悪く思われるのは納得などできるわけがない。
自分の正体を明かすわけにはいかないと思ったのかもしれないが、だとしてもわざわざ自分を悪く言う必要なんてない筈だ。どうせ嘘をつくのならもっと都合のいい嘘をつけばいい。苛立ちを募らせながら、その脚は速度を上げていた。
暫くして祐の家に着くと迷うことなくチャイムを鳴らす。しかし待っても反応はなかった。耳を澄ませても物音一つ聞こえないことから、どうやら家には居ないらしい。
「ったく!どこにいんのよあいつ!」
居ないのならばと電話を掛けようとする。スマートフォンを取り出したところで、後ろから声が聞こえた。
「随分苛立ってるな、周りに人がいたらビビってるぞ」
振り向くとそこにいたのは祐だ。明日菜は無意識に鋭くした目つきをそのままに、乱暴な足取りで近づいていった。それを見ても祐は表情を変えずその場に留まる。お互いの距離が拳一つ分となった。
「純一から聞いたわ、高橋先生に言ったこと」
「耳が早いね」
「なんであんな嘘ついたの」
視線が重なった状態が続く。明日菜達にはしっかりと伝えるつもりでいた。考えていた順番とは違うが、向こうから来てくれたのならこのまま説明するとしよう。
「詳しく話すよ、初めからそのつもりだったし。ただ長くなるから上がってきな、寒いでしょ?」
返事はせず、明日菜は背を向けて玄関へと向かう。ポケットからキーケースを取り出し、そのうちの一つを鍵穴に差し込んで解錠すると家に入っていった。祐はバレないように小さくため息をついてから後に続く。
家に入ると既に明日菜はテーブルの前に座っていた。その正面に祐も腰を下ろす。改めて向かい合う形になった。
「さて…どうしてそんなこと言ったかだけど、俺の今後の活動方針が決まったからだ」
「今後って…」
純一との通話中以上に嫌な予感がする。家の前で会った時から祐の顔が真剣だったことも、その考えに拍車を掛けていた。
「まず、単刀直入に言う。明日菜、俺は学校を辞めて戦いに専念することにした」
瞬間、頭に血が上った。全身が熱くなる感覚を覚えながら明日菜が立ちあがろうとする。それと同時か一瞬早く、明日菜の腕を祐が掴んだ。
「色々と言いたいことがあるだろうけど、今は聞いてくれ。頼む」
本当はすぐに詰め寄って馬鹿なことを言うなと叫ぶつもりだった。それでも祐の手から伝わってくる体温が、自分の意識を冷静にさせていく。気に入らない、本当に。今も感情が昂りそうだというのに、素直に座ってしまったことも、全てが気に入らない。
祐はそっと明日菜から手を離し説明を始める。今日の出来事、そして今後のことを。
夕飯の支度をする木乃香は部屋の時計に目を向ける。普段よりも明日菜の帰りが遅いのが理由だ。そこでキッチンに置いておいたスマートフォンにラインが届いている事に気が付く。送信相手は他ならぬ明日菜だった。内容を確認している時、洗面台から出てきたネギが木乃香に声を掛ける。
「明日菜さん遅いですね、何かあったんでしょうか?」
「ああ、ネギ君。今気付いたんやけど、明日菜からライン来とったわ。ちょっと遅くなるかもしれないから、先にご飯食べててって」
「そうですか、新聞配達が忙しいんですかね」
「誰か休んだら二人分回ることもあるみたいやからねぇ。明日菜はそういう時率先してやるから」
「姐さんも困ってる人はほっとけない性分っすからね」
カモの言ったことに木乃香とネギが同意する。ただし困っている人を無視できないのはこの二人も同じだが、それを指摘するのは野暮かとカモは何も言わなかった。
「明日菜は先に言うとったけど、ちょっとだけ待ってよか」
「はい、みんなで一緒に食べたいですからね!」
「そのバッサールっていうのは、別次元から?」
「多分な。もっと外の宇宙って可能性もあるけど、次元の話もしてたから別次元の可能性が高い」
祐の話を聞いた明日菜は腕を組んで考える。別次元からの侵略、確かに大問題だ。あまり現実味がないが、他人事ではない。自分は直接体験していなくも、この次元は多次元侵略戦争に巻き込まれた次元なのだ。今度もこの国、延いては自分達が被害を受けないなどと甘い考えはできない。
「いつ頃かなんて想像もできないけど、奴らは必ず仕掛けてくる。本格的になってからじゃ遅い、動くなら早い方がいい」
「それは、そうかもしれないけど…それとこれとは関係が」
「あいつらは虹の光からこの次元に目を付けたんだ、知らない顔はできない。最悪俺を狙ってくる可能性だってある」
否定したいがそうもいかない。現にその侵略者がそう言ったのなら、奴らは虹の光を無視しないだろう。明日菜は会ってもいないバッサールに強い怒りを覚えた。余計なことを言って大切な幼馴染を傷付けて、挙句に訳も分からない戦いに巻き込むなと。
祐の気持ちも理解はできる、その考えも。以前エヴァが『祐が逃げても世界は祐を逃がさない』と言っていた。残念ながらこうしてその通りとも言える出来事が起ころうとしている。来るのがほぼ確定している脅威に対処する為、早い段階で備えることは何も間違ってはいない。それでも素直に認めることはできそうになかった。
「でも…だからってみんなの前から居なくなる必要はないでしょ!」
「居なくなるなんて言ってない、学校を辞めるだけだ。住む場所だって変えないし、時間が合えば今みたいに会えるよ」
「学校辞めてどうするのよ!」
「知り合いの魔法使いを頼ってもいいし、警察の超常犯罪対策部にもお世話になった人がいる。次元は違うけど時空管理局にも。その人達に掛け合えば正式に事件に関われると思う。事件への対処、俺はそっちを中心にしていく」
自分でも感情的なことしか言えていないのは分かっている。それに反して祐は冷静に理由を述べた。前々から考えていたのだろう。今思ったことをそのまま口に出したところで、言い負かされるのは目に見えている。そう理解していても口は閉ざせない。
「なんでそんなこと祐がやらなきゃいけないの!あんたは何も悪いことなんてしてない!責任なんか取ろうとしなくたって!」
「間違ったことをしたつもりはないよ。けどそこに至った過程がどうであれ、少なくとも今回に限っては俺が呼び寄せたで間違いないんだ。責任はある」
明日菜の心は悔しさで満ちていた。代案を提示できないこともそうだが、自分はこれ程必死なのにどうして当の本人はなんともなさそうなんだと温度差で悲しくなる。自分は、自分はこんなにも…
「あんた言ってたじゃない!今凄く楽しいって!この生活は奇跡みたいなものだって!なのにそんな簡単に捨てちゃうの⁉︎来るかどうかも分かんない…よく分かんない勝手な奴らの為に!」
「来るよ。きっと、それ以外の奴らも」
祐は確信をもって断言する。そんなこと分からないだろうと返せればどんなに楽だったか。彼の勘の良さを、それを身をもって体験したことを今日ほど恨めしく思った日はない。
「寂しくないの⁉︎みんな、みんなあんたのこと…嫌いじゃないんだよ⁉︎なんだかんだ言っても一緒にいて楽しいと思ってるのに!」
「…寂しくないわけないだろ。学校も、みんなのことも好きなんだから」
「じゃあなんで辞めるなんて言うのよ!もっと他の方法が」
「あるのか?他に」
思うままに感情をぶつけていた明日菜の動きが止まる。祐の瞳が真っ直ぐに自分を見つめていた。
「俺は、これが一番なんじゃないかと思ってやってる。出来ればみんなとは離れたくない。でも周りに隠れながら戦うには限界がある。このままやっても今の生活はそう長くは続けられないし、奴らは必ず攻めてくる。だから今の内に生活を変えようって決めたんだよ」
「学校を辞めれば動き易くなる。辞めたら確かに会える時間は減るけど、会えないわけじゃない。この街で暮らしていれば、生きていればみんなには会える。これが最善じゃないか」
拳を強く握る。唇を噛み締め、目に涙が溜まり始めた。言い返したい、なのに言葉が出てこない。自分はどうしようもなく無力だ。
「分かったわよ…」
ゆっくりとその場から立ち上がる明日菜の目に溜まっていた涙は流れ出した。その顔を見て罪悪感に押しつぶされそうになる。そうしたのは他ならぬ自分だというのに。また大切な人を泣かせてしまった。
「そんなに戦いたいなら戦えばいいじゃない!学校も辞めたいなら好きにすれば!どうせ私が何言ったって意味ないんでしょ!もう自分の中で答えは決まってるんだもんね!」
説明はすると言ったが相手の意見を聞く気など更々ない、そういう意味だろう。まったくもって痛いところを突いてくる。言い訳のしようもない。無言で視線を下げる祐を見て、明日菜の涙はより勢いを増した。
「あんたなんか…あんたなんかもう知らないわよ!バカ‼︎」
祐を通り過ぎ、勢いよく玄関を開けて明日菜は走り去った。数秒前が嘘のように室内を静寂が包む。祐は肩を落とし、左手で前髪をかき上げた。もっといいやり方が、伝え方があったのだろうか。ただし今更考えたところで遅すぎる。起きたことは変わらない。
一度この色々と足りない頭を物理的に吹き飛ばそうか、少しはマシになるかもしれない。本気でそう考えた。
どれだけ気持ちが沈んでいようとも時間は待ってくれない。今後のことを伝えなければならない相手は多く、祐は自然と重たくなる足を動かして家を出る。まず向かったのはエヴァの家だ。
慣れ親しんだ道を歩いていると早くも目的地が見えてくる。意外だったのは、ログハウスの入り口前に設置されている階段にエヴァが座っていたことだ。その姿を見て祐は一度立ち止まる。エヴァも祐に気が付き、その場から立ち上がった。止まっていた足を動かし、ゆっくりとエヴァの元へ進む。
「こんばんは、姉さん」
「ああ祐、来ると思ったよ。ただ、想像してたよりも早く来たな。先にジジイのところへでも行くと思ったが、いい心掛けだ」
そう言いながらエヴァは笑顔を見せた。僅かな月明かりに照らされた彼女は、普段以上に美しく見える。
「どうして、俺が来るって分かったんですか?」
「お前がまた抜け出したと小耳に挟んだ。その後担任に呼び出されたとも。そいつには嘘を話したそうだな」
「全部ご存知のようで…」
思わず苦笑いを浮かべる。ここまで筒抜けとは思っていなかった。
「教員同士だ、タカミチにもその話は届く。それ経由だよ」
「ああ、なるほど…」
「なにせ私は保護者も兼任しているからな、お前の」
笑顔のままエヴァが祐の頬に左手を添える。その状態で瞳を覗かれた。
「決めたのか?」
「出て行くわけじゃなくて、学校を辞めようかなって。そうして戦いに集中しようと思ってます」
「ほう、この地に残るとは。これまた予想外だ」
言葉通り意外そうな顔をする。しかし同時に興味深そうでもあった。
「こっちの方が俺もいいし、みんなもまだ納得してくれるかなって。実際は一人目から駄目でしたけど…」
明日菜のことを思い出し、祐の表情に影がさす。それだけでエヴァはなんとなく察することができた。頬に当てていた手をゆっくりと下ろす。
「相変わらずお前の周りは耳が速いようだ。まぁ、いい」
腕を組んで祐を見る。なるべく出さないようにしているのだろうが随分と堪えているようだ。必死に傷をひた隠そうとするこの姿を見ていると、よろしくない感情が沸き起こる。今すぐ抱きしめて自分に溺れさせ、より強く己の存在を祐の中で大きなものとしたい。逆に滾る若さをぶつけられ、こちらが余裕を無くすというのも…それはそれで悪くない。
だが、まだ速い。まだ祐は根を上げないだろう。それでいい、周りから差し伸べられる手を限界まで取らず強くあろうとする、またはなろうとするその姿も愛おしい。温かい想いに囲まれながらも、戦いを捨ててそこに身を浸しきることなく進もうとする。それが逢襍佗祐という人間だ。どうしようもなく不器用で、完璧などとは程遠い。大切なものの為と険しい道を選び、結果その大切なものを傷付ける。そして誰よりも、自分が傷付く。
お前は本当に
「さぁ、他にも伝える相手がいるようだ。私は問題ない、次のところに行くといい」
あっさりと終わったことに祐が少し呆ける。油断している祐の表情を見てエヴァはその首筋に噛み付き、勢いのまま自室に連れ込みたい衝動を人知れずに抑えた。今自分から手を出してはならない。ここで本能に身を任せては台無しになる。最高の状況を作る為には耐える事も必要なのだ。
「知っているだろ祐。お前がどんな道を選ぼうと、その隣に私が居るならそれ以上は望まない。少し前にも言ったが、お前は心のままに動けばいいさ。結果は、後から勝手についてくる」
「俺がいつか麻帆良を離れることになっても、それは変わらない?」
エヴァは思わず吹き出してしまった。何を聞くつもりかと思えば、そんな分かりきった質問をしてきたからだ。
「馬鹿な奴め、なんの為にお前と命を繋いだと思っている。もう二度と離れない為だ」
「
「…うん、そうだった。馬鹿なこと聞いたね」
祐は片膝をつき、エヴァと目線を同じにする。双方何も言わなかったが自然と相手の手を握り、互いの額を合わせた。
「他の人達にも伝えてくる。ありがとうエヴィ姉さん」
「いつものことさ。それとその呼び方、すっかり板についたな。存外悪くないと、最近はそう思えてきた」
「気に入ってくれた?」
「どうかな、慣れてきただけかもしれん」
少し笑顔を見せた祐はそっとエヴァから離れて立ち上がり、背を向けて歩いていく。離れていく背中をエヴァは見つめていた。
「さぁ、どう動く若造共?お手並み拝見だ」
それは祐を取り巻く者達へ向けたものだった。祐は自分の答えを出し、選んだ道を進もうとしている。それに対してそれぞれの答えを必ず出さなければならない。奴らの覚悟を確かめられる機会がやってきた。
「ここで動けないようなら、隣に立つなど土台無理な話。ひとまずの振るいに掛かるには丁度いいやもしれんな」
既に見えなくなった祐の姿。それでもエヴァは祐が進んだ方向から視線を外さなかった。
「祐、辛いだろうな。ここでの生活を誰よりも愛していたのは、他でもないお前なのだから」
ああ、やはりお前は素晴らしい。全てを正しく行うことなど、全ての者に認められるなど不可能だ。それを分かっていながら失敗に、すれ違いに心痛める。どれだけ壊れていてもお前のそれは動いている。止めてしまえば、迷いなど捨て去れる。しかしお前は絶対にそうはしない。最後まで、抱えたままで歩いて行く気なのだろう。
祐、確かにお前の力は希少なものだ。見れば誰もがその力に興味を惹かれる。私とてその一人だ。だが自信を持って言いきれる、お前が力を失ったとてそんなもの私には関係ない。これは経験上お前もよく知っている筈だ。そんなものがなくても私はお前を愛している。
お前をお前たらしめるものはアルコ・イリスではない。お前がいるからこそ、そこに力が宿る。お前の存在がアルコ・イリスを生むんだ。
お前こそが、私の光だ。
学園での用事が想像以上に長引いてしまったあやかは、早歩きで寮へと続く夜道を進んでいた。千鶴と夏美には連絡済みだが、二人からはもう少し待っていると返信があり、申し訳ないと思う反面その心遣いが嬉しくもあった。
そんな時後ろから足音がする。どうやら急いでいるのか走っているようで、なんとなく相手を見ようと振り向く。街灯の少し心もとない灯りでも自分の横を通り過ぎたのは明日菜だと分かった。彼女が忙しないのはいつものこと言えばそうだ。しかし一瞬目に映った表情はとても見過ごせるものではなく、あやかは急いで明日菜の手を掴む。
「明日菜さん!」
左手首を掴まれた明日菜は立ち止まるが、顔は前を向いたままだ。その姿にあやかは表情を険しくする。
「バイトが長引いちゃって急いでたのよ。悪いけど離してくれる?木乃香とネギが待ってるから」
こちらと目を合わせることなくそう言った明日菜の手を強く引いた。強引に身体の向きを変えられ、明日菜の顔があやかに見られてしまう。今も明日菜の瞳は潤み目元は赤く、頬には涙の跡が確認できた。
「明日菜さん、貴女…」
「なんでもないから。ほんと、なんでも…」
今更こんなことを言っても無駄だと分かっているが誤魔化そうとする。顔をそらせてあやかを見ないようにしていると、掴まれていた手首からあやかの手が離れた。そして今度は、明日菜の手が握られる。
「嘘が下手なのは知っていましたけど、ここまでとは思っていませんでしたわ」
続けてもう片方の手にもあやかの体温が伝わった。弱っているからかもしれない。普段なら振り解くことなど造作もないが、今だけは出来そうになかった。つい、その手を握り返してしまう。
「普段が普段ですから。そんな顔をされて心配にならないわけがないでしょう?」
いつもと違う優しい声に口を結んで涙を我慢するがそれも長いことは保たなかった。自分より背の高いあやかに抱きつくと、そっと抱きしめられる。もう涙を堪えるのは無理そうだ。
「どうしよう…私、また祐に…」
「大丈夫です、ゆっくりでいいですから」
泣きながら必死で伝えようとする姿はとても痛々しい。明日菜の様子と出てきた言葉に不安を覚えるが、今はそれを押し殺して震えている背中を優しく摩る。
「委員長…このままじゃ、祐が居なくなっちゃう…!」
祐が居なくなる、そう言われてあやかは血の気が引くのを感じた。今すぐにでも詳しい話を聞きたいと決して小さくない焦りが心を支配するが、それでもとあやかは明日菜を落ち着かせようとした。今口を開いてしまったら自分も冷静ではいられなくなる。そんな確信めいたものがあったからだ。
日中の喧騒は鳴りを潜め、静まり返る麻帆良学園。学園長室の大きな窓ガラスから外の景色を眺めている近右衛門は聞こえる足音に振り返った。
律儀なところがあると知っている。必ず話をしにくるだろうとは思っていたが、実際来たことに少しほっとしていた。扉の前で足音が消えたのを認識し、先に声を掛ける。
「開いておるよ、入りなさい」
「失礼します」
間を開けずに返事が聞こえると扉が開かれた。現れた祐の顔を見てため息が漏れそうになる。この顔は決意した顔だ。簡単にはいかないことをそこで悟った。
「夕方ごろに黄泉川先生が駆け込んできてな、話はワシも聞かせてもらった」
「そうでしたか…では、改めてお伝えさせていただきます」
背筋を伸ばし、まっすぐこちらを見つめる祐と視線を交わす。普段であれば和やかな空気となる2人でも、今この時は普段通りとはいかなかった。
「別次元からの侵略…しかも虹の光を観測したからだなんて…」
寮近くの公園にあるベンチに座り、あやかは明日菜から何があったのかを聞いた。話に出ていた正体不明の侵略者に強い苛立ちを覚えたのは、奇しくも明日菜とまったく同じ反応であった。
「最悪ですわ…そんなことを言われたら祐さんが気にしない筈がありません」
自分達が知らないだけで、他にも色々な事情が積み重なって祐は学園を去る決意をしたのかもしれない。しかし今回の一件が止めをさしたと見て間違いないだろう。あやかは強く手を握る。
「とはいえ祐さんも祐さんです!そんな大事なことを相談もせず決めるだなんて!些か勝手が過ぎますわ!」
「ちょ、ちょっと委員長」
見るからに熱くなっているあやかはベンチから立ち上がって怒りを露わにした。先程はつい泣いてしまった明日菜も、その姿を見て動揺しつつあやかを落ち着かせようとする。
「だってそうでしょう!本当に大変なことがあったら、辛いことがあったらちゃんと言うと約束した筈です!なのに先に答えを出してから報告するなんて…そんなのは、そんなのは卑怯ではありませんか!」
明日菜は顔を伏せる。その様子にあやかは気まずさを感じ、口を噤んだ。
「あいつが私達に相談してくれないのはさ…結局、私達は頼りに出来ないって思ってるからなのかもね」
すっかり気落ちしてしまった明日菜が呟く。自分で言ったことだが辛いのだろう、口を開くたびに気持ちがどんどん沈んでいるようだった。
「少し修行したって言っても私は素人だし、実戦って呼べるのも夢の時の一回しかしてない。それだって最後は祐が解決して…そんなだから」
「戦う力が乏しいから、祐さんは私達を信頼していないと?いくらなんでもそんな」
「じゃあ、委員長はなんでだと思うの?」
明日菜の瞳があやかに向けられる。縋るようにも見えたそれは、自分の考えを否定してほしいと訴えているのかもしれない。
自分達が戦いにおいて素人だから、祐は信頼してくれていない。そんなことはないとあやかは本心から思っている。ではどうして何も言ってくれないのか。その答えは祐と2人でした会話の中にあるような気がした。
「それは…祐さんは、自分で問題を解決しなければならないと思っている…からだと思います」
「……」
明日菜は黙っているがしっかりとあやかの話を聞いている。あの時の会話をよく思い出しながら続きを話す。
「麻帆良祭前夜に祐さんと話していた時、明日菜さん達が来る前のことです。こう言っていました。今まで周りに沢山助けてもらったから、その恩を返したい。その為に自分は成長しなければならないと」
「誰かに助けを求めることを、極力したくない。強くなりたいから。私には、そう言っているように聞こえました」
話し終えたところであやかは明日菜の様子を窺う。始めからこの話を聞いても納得など出来ないだろうとは思っていた。現に明日菜は拳を強く握って俯いている。それに、納得していないのは自分とて同じだ。
「強くなりたいって。そう思う気持ちは分かるけど…分かるけど!起きること全部あいつ一人でやらなきゃ駄目なの⁉︎」
一度は沈んでいた明日菜だったが改めて感情が昂る。この怒りの対象は祐のようでいて、その実別の何かにも向けられたものでもあった。
「私達には困ったことがあったら必ず話せって言ってるくせに!いざ自分が困ったら何にも言わずに自分でなんとかしようとして!そんなのおかしいじゃない!」
「…ええ、その通りです」
「いつもいつも困ってる人を助けておいて!自分が誰かの力を借りるのは納得できないわけ⁉︎沢山の人が力になりたいって思ってるのに!」
「……」
明日菜の言ったことはあやかも思っていたことだ。この状況に明日菜は傷付いている。そしてきっと、祐も傷付いている筈だ。それが分かっているからこそ余計に明日菜は辛いのだろう。
どうしてか、自分の目にも涙が滲み始めているのに気が付いた。溢れないようにと必死で堪えようとする。
「力があったら…強い力がある人は絶対戦わなきゃいけないの⁉︎自分の生活は大事にしちゃいけないの⁉︎」
「なんであいつばっかり大変な目に遭うのよ!もういいでしょ!あの時充分すぎるぐらい苦しんだんだから!」
この世界で起きる事件、戦い。自分達は関わっていなくても連日、幾つもの場所で起きているだろう。どうしようもない理不尽がこの世界には溢れている。
確かに祐は自らそこに向かう。それでも、あちらから降り掛かることも少なくない。そうした積み重ねが祐を走らせている。自分は無関係だと、背を向けることを許さない。力があるならば、事件に気付いたのならば戦わなければならないと思わせている。
本人の意思だけではない。まるで何かが祐に戦いを強要しているようだと、心のどこかで明日菜は感じていた。
「あいつは!祐は都合のいい神様なんかじゃない!ただのバカで…ただの優しいやつなんだから!」
再び涙を見せる明日菜を同じように抱きしめる。ただし先程と違うのは、あやかも泣いていることだ。そうなったのも、今の明日菜の気持ちが痛い程理解できるからこそだった。
「何が正解なのよ…どうするのが一番いいの…」
あやかにもそれは答えられない。あやか自身もその答えが見つけられていないのだから。今はただ、同じように涙を流すことしか出来なかった。
「参ったな…こりゃまた随分拗れてるみてぇだ」
明日菜達から少し離れた一際大きな木の上で集音マイクを使用し、双眼鏡を覗いているのはカモだった。明日菜の帰りが遅いことがなんとなく気になり、散歩がてらに周囲を探索しているとこの現場に行き着いた。
祐の身の回りで起こる問題は、巡り巡ってネギにも大きな影響を与える。あれだけ懐いているネギのことだ。この話を聞けばまず間違いなくショックを受けるだろう。その点も含めて自分はどう動くべきかと頭を悩ませる。
「さてどうする。まず姐さん達は兄貴達に話すのか、それとも黙ってるのか…」
「盗み聞きとは褒められた趣味ではないな、オコジョくん」
後ろからの声に心臓が飛び跳ねそうになりながら振り返る。そこには自分と同じ場所に立っている真名が居た。カモが居たのは人1人が乗っても折れないと思える逞しい枝だが、とは言っても乗れば振動くらいは起こす筈だ。にも関わらず振動どころか気配すら感じなかった。目の前の人物に恐ろしさを感じるも、知らない人物ではなかったことには安心する。
「な、なんだ…龍宮の姉さんか。心臓止まるかと思いましたぜ」
「相手に気付かれないのも仕事の内でね」
軽く笑って答える真名を見て、相変わらず油断できない人物だとカモは思う。魔法関係者である真名とは既に自己紹介済みだ。ネギ達には話していないが、小さな仕事を何度か依頼したこともある。お世辞にも安いとは言えない出費を被るが、その分腕は確かだ。
「というか、その感じだと聞いてたのは姉さんも同じじゃないっすか」
「私は仕事を始めようとしたところ、偶々聞こえた声に耳を澄ませただけだ。この時間帯に神楽坂達が外に居るとは私も予想していなかったよ」
「そうですかい…」
正直真名の発言は疑わしい。だが相手に腹の中を探らせない人物なのは重々承知している。深く言及したところで得るものはないだろうとこの話は終わらせることにした。
「しかしこれは思わぬ話を聞いてしまったな。あいつが学園を辞めるつもりとは」
「まったくっすね。それにこの話、間違いなく荒れるだろうぜ」
「そうだな」
それだけ言うと真名は木から飛び降りた。危なげなく地面に着地してこの場を離れようとする真名にカモは呆気に取られる。少しして我に返ったカモも真名を追って急ぎ木から降りた。
「ちょちょちょ!待ってくれ龍宮の姉さん!それだけですかい⁉︎」
「触らぬ神に祟りなしと言うだろう?仕事でもないのに、自分から厄介事に首を突っ込む趣味はない」
歩く真名に追従してカモは走る。当の真名は表情も変えずに進み続けていた。
「いや、そりゃ確かにそうだろうが…ダンナとは姉さんもそれなりの仲だろ?」
立ち止まった真名は振り返ってカモを見る。向けられた感情の起伏が乏しい表情にカモは固まった。
「まぁ、友人ではあるだろうな。だがそれだけだ、特別深い仲というわけでもない」
冷たい反応と言っていいのだろうか。以前した真名との会話で理由ははぐらかされたものの、祐と真名がお互いを名前で呼び合っているのはカモも知っている。そこから二人は親しいと考えていたが、真名はどこまでもビジネスライクな人物なのかもしれない。思うところはあっても、それにどうこう言う権利は流石にないとカモは口を閉ざした。
「辞めるというのなら好きにさせてやれ。あいつも考えなしに決めたことではないんだろう」
「本当に辞めるなら、別れの挨拶くらいはするさ」
歩き出した真名を今度は黙って見送った。協力を期待していなかったと言えば嘘になる。少々、甘く見過ぎていたのかもしれない。そう思ってもため息をつくぐらいは許してほしい。
「……はぁ」
カモは大きなため息をついた。
場所は戻り学園長室。祐は改めての説明を終え、それを聞いた近右衛門は目を閉じて思考に耽っていた。どちらも口を開かず、室内は静まりかえっている。そんな状態が暫く続く中、先に動いたのは近右衛門だった。
「この話を他の者達には?」
「ザスティンさんと師匠に。それと、来る途中で会った明日菜にも」
「…明日菜君はなんと言っておった」
「納得はしてくれませんでした。最後は喧嘩別れです、俺が言いたいことだけ言ってしまったから」
「ふむ」
近右衛門は長い髭を撫でた。言いたいことは多分にある。それでも一番に聞きたいことがあった。
「祐君、いったい何を焦っておる」
元から静かだった学園長室が一段と静まり返ったように感じる。祐の表情に変化はないが、近右衛門が言ったことに疑問や否定を出さないということは即ち自覚はあるということだ。
「確かに祐君の言う通り、奴らが攻撃を仕掛けてくる可能性は極めて高いじゃろう。対策は早いに越したことがないのも間違いない」
「じゃがそれだけではないと、わしはそう思っておる。何かが君を焦らせ、強行を促しておる。違うかな?」
近右衛門は自分の真実を伝えている数少ない人物の一人であった。だからこそ誤魔化しは効かない。元から全てを伝えている相手だ、聞かれたのなら本心を語るしかない。
「仰る通り、かもしれません。焦っていないと言えば嘘になります」
「正直このままでいたらまた同じことになるんじゃないかって、最近はいつも考えてて。だから、どうするのがいいんだろうって悩んだ末の答えです」
近右衛門は僅かに俯いた。予想していたと同時に違ってほしいと思っていた祐の答えに遣り切れなさを強く感じる。事情を知っている者として、こう言われては返す言葉を探すのも簡単ではない。
(やはりまだ…いや、忘れられるわけもないか)
はっきり言ってしまえば、現在祐がこのように生活できているだけで奇跡なのだ。あの時の姿を知っている者なら誰もがそう考えるだろう。エヴァを始めとした者達の献身的な支えと、何より彼自身の努力の結果が今だ。これ以上を祐に求めるなど、余りに無慈悲なのかもしれない。
危険と知りながら今の道を進む祐を近右衛門が強く止められない理由はここにあった。本当の孫のように思っている子だ、誰が好き好んで戦わせるものか。しかし心配だからと押さえつけてしまっては、またバラバラになってしまうかもしれない。もうあんな姿を見るのは御免だ。それに奇跡とはそう何度も起こるのもではない。恐らく、次はないと考えるべきだろう。
近右衛門は机に厳重に隠してある書類を思い出した。この瞬間を見計らったかのようなタイミングで届いた書類。我ながら何の確証もない考えだとは思う。だがどうにも無関係な気がしなかった。
これではまるで、世界が祐を戦わせようとしているみたいではないか。何か大きな意思が、祐を争いへと導いているような。もしそうなら、これ程ふざけた話はない。
「学園長」
祐の声に思考の海へと沈んでいた近右衛門の意識が浮上する。自分がよく知る青年の真剣な表情を、どこまでも痛ましく感じた。出会った時の彼は、こんな表情を浮かべることはなかった。当時が幼かったということもある。しかし今もまだ16歳だ、こんな責任を負うには早すぎるだろう。
それでも世界は慈悲もなく、彼に決断を迫っていた。
「僕は、麻帆良学園を退学して戦いに専念します」
先程の説明で分かっていたことだ。それでもこうして改めて口に出されると、どうしようもなく近右衛門は悲しくなった。恨むべきは完璧な打開策を持たない非力な自分か、それとも彼に戦いを強要する世界か。
確かなことは、どちらを恨んだとて何も解決しないことだった。