「明日もちゃんと来いよ!」
「急用ができたら教えてね!」
「ふらっと居なくなるのはナシだからな!」
「またね〜」
本日のホームルームが終わり、それぞれが部活や家へと向かう放課後。クラスメイトの面々が祐に声を掛けていく。
「しかと心得たぜ。さぁ、誓いの抱擁を交わそう」
「寄るんじゃねぇ!」
「調子乗んな!」
「さっさと帰れ!」
「変態オヤジ!」
両手を広げて近づこうとする祐に態度を180度変えて罵倒を浴びせたクラスメイト達は教室からそそくさと退散した。祐は振り返り、こちらを見ていた薫と向き合う。
「馬鹿なの?」
「馬鹿ではない」
「いや馬鹿でしょ」
両手を広げたまま佇む祐の姿が可笑しく、薫はクスッと笑った。やはりこのクラスに彼は必要だ。居てくれないとどうにも物足りない。
「私今日はバイトだから行けないけどさ、暇な時またどっか遊び行きましょ」
「いつでも待ってるよ。それはそうと一回抱擁でも」
「こっちくんな痴漢!」
足早に祐の前から去っていく薫。その場には悲しい背中の祐だけが残った。そんな彼を麻耶は呆れた顔で見ている。
「先生、僕は素敵な学友に囲まれて幸せですよ…」
「そうね、熱い友情を感じるわ」
軽く流して麻耶は職員室に向かおうとする。教員にはまだまだやることが残っているのだ。ドアの前にきたところで振り返り、祐と視線を合わせた。
「逢襍佗君も気をつけて帰りなさい。あと分かっているとは思うけど、何かあったら私にもちゃんと連絡すること」
「はい、勿論です」
「よろしい」
教室から出ていく麻耶の背中を見送ってから祐は机の上に乗せていた鞄を手に取る。するとそこでこちらも帰り支度を終えた凛が祐を見て軽く手を上げた。
「また明日ね、逢襍佗君」
「うん、また明日」
短い挨拶だけ交わして凛は帰っていった。祐も特に何か言うこともなく、近づいてくる純一と正吉を迎える。
「なんか珍しいね」
「しかも名指しときたもんだ。祐、お前なんかしたのか?」
「思い当たる節は何も。もしかしたら遠坂さんも気にかけてくれてたのかもね」
「まぁ、そんなもんか」
今日は普段以上に様々な人達から声を掛けられた気がする。心配を多方面に掛けたことは申し訳ないと思いつつ、心からありがたいと思う一日だった。
自分も誰かに大切だと思われている。そこから目を逸らすことはもうしないと決めた。祐にとっては中々に困難だが、少しずつ慣らしていくしかないだろう。受け入れ、向き合っていく道を選んだのは他ならぬ自分自身なのだから。
夕方、自室へと向かう明日菜とネギの手には食材の入ったエコバッグが握られていた。暮れかかる夕日が照らす通路を横に並んで歩いていく。
「学園長のお話ってなんでしょうか?」
「さぁね。ちょっと前だったらどうせお見合いの話だったろうけど、最近は色々あるから分かんないわ」
明日菜は昼過ぎに木乃香から今日は用事があって帰りが遅くなると伝えられていた。近右衛門から呼び出されたとのことだが、詳細は木乃香も分からないらしい。
「それにしても姐さん、自ら夕飯の支度を買って出るとは珍しいじゃないっすか。何かあったんですかい?」
「別に、ただなんとなくよ。まぁ、もしかしたらこれから木乃香の帰りが遅くなることも増えるかもしれないし、慣れておいた方がいいかもとは思ったけどね」
「なるほど、一理あるっすね」
カモからの質問に明日菜は正面を向いたまま答える。当初木乃香は夕飯の支度をしてから用事に向かうつもりだったのだが、明日菜が今日は自分達でやってみると言ったのだ。そうしてくれるのはありがたいが、正直心配な気持ちが強いので木乃香は本当に大丈夫かと何度か聞きいた。すると段々明日菜が不機嫌になりそうだったので素直に任せることにしたようだ。
「僕もやってみていいですか?経験がないので、せっかくだから挑戦してみたいです」
「そうね、3人できるなら色々自由が効きそうだし」
「遂に姐さんの花嫁修行が始まるんすね」
「馬鹿言ってんじゃないの。あんたも材料にしちゃうわよ」
「生意気言ってすみませんでした…許してください…」
「お願いです明日菜さん、カモ君を食べないで…」
互いに抱き合ったカモとネギが明日菜に懇願する。その身体は恐怖で小刻みに震えていた。
「冗談に決まってんでしょ!本気でビビんないでよ!」
自宅に戻ってから特に何をするでもなく、部屋で寝転がっている祐は天井を見つめる。一人でいる時、祐はこうしてただじっとしていることが多い。学園での騒がしさは形を潜め、只々時間が過ぎ去っていくのを感じているというある意味抜け殻のような状態だった。眠気などないが静かに目を閉じる。そうすれば当然視界は閉ざされ真っ暗になった。
暗闇は好きだ、嘗てエヴァと共にいた時を思い起こさせる。一人では彼女の温もりを感じられないのが残念だが、それでも心が落ち着いていく。
静寂に浸っていた祐の耳にチャイムの音が届き、感応するように瞼が開いた。身体を起こし、玄関へと向かう。程なくしてドアに手を掛けて来客を迎える。ゆっくりと広がる外の景色と共に現れたのは、少々意外な相手だった。
「木乃香?」
「こんばんわ〜、家事代行サービスです〜」
「…はい?」
「なんちゃって」
ついていけない祐に木乃香は笑顔を向ける。そしてその両手には、食材の入ったエコバッグがあった。
「よし、準備はいいわね!」
「はい!」
(ただ料理するだけだってのに随分力んでんな…)
台所に立ち、それぞれのエプロンを身に付けた明日菜とネギは気合いを入れた。二人が確認する為の調理方法が映されたスマートフォンを支えているカモは若干呆れている。
「にしても肉じゃがとはまた庶民的な。姐さん好きでしたっけ?」
「うん?私はそれなりかな」
「それなり、ですか?」
「特別好きなわけでもないって反応っすね」
「なんか今日は肉じゃがって気分だったのよ。ほら、始めるから上から読んで」
床に座っている祐が台所に目を向けた。そこには鼻歌を奏ながらバックから食材を取り出す木乃香がいる。未だによく状況が飲み込めていない祐は自宅にいながら落ち着かない様子だ。突然やって来たと思えば、夕飯を作りにきたとのこと。何故こんな急にと思うが、かと言って追い返す選択肢などあるわけがないので今の状況になった。
(俺何かしたか?いや、ここ最近色々やらかしはしたけど…)
思い当たる節ばかりで逆にどれが理由なのか分からない。ただなんの理由もなく、そして事前連絡なしで木乃香が家にやってくるとは考え難い。何かがある筈だ。謎の緊張感に包まれながら、立ち上がって木乃香に近づく。
調理という観点ではあまり使われていない自宅の台所に、エプロンを着けている木乃香の後ろ姿が見えるのは現実味がなかった。何故か祐は足音を立てないようそっと進んでいる。
「祐君お腹すいとる?」
「うおっ!」
「ひゃっ!」
祐は突然声を掛けられたことに驚き、木乃香は祐の声が真後ろから聞こえたことに驚いた。振り向くと驚いた顔の祐が立っている。
「び、びっくりしたわ。足音も聞こえんかったし」
「ご、ごめん。無意識に気配消してたかも…」
向かい合ったところで祐の視線は木乃香の手に移る。彼女の手には洗い途中のじゃがいもがあった。
「じゃがいも…そういえば何作ってくれるか聞いてなかった」
「んふふ、なんやと思う?」
言いながら木乃香は僅かに右に寄った。空いた場所に祐が進み、置いてある食材に目を通すと玉ねぎやにんじん牛肉などが確認できる。
「……肉じゃが?」
「せいか〜い」
木乃香は水洗いを再開しながら笑顔を浮かべた。祐はなんとなく隣に立ったままその作業を見つめる。
「祐君煮物好きやろ?特に肉じゃが」
「そんな話したのもう随分昔なのに、よく覚えてるね」
「ウチの頭脳はまだまだ若いもん」
「そりゃそうだけど、こんなこと覚えてくれてるの木乃香くらいだよきっと」
「ん〜、案外みんな覚えてそうやけどね」
祐は目の前にあった玉ねぎを手に取る。こうして野菜に触るのは久し振りだ。最後に料理と呼べることをしたのは、五月達と共に家の前で朝食を作った時だった気がする。そのことを思い出し、やけに懐かしく感じた。
「俺も何かやるよ、偶には手先を動かさないと」
「じゃあ玉ねぎ剥いてくれる?」
「任せい」
祐は慣れた手つきで包丁を使用してから玉ねぎの皮を剥いていき、一つ剥き終わった玉ねぎを木乃香が水で洗う。するとその上から新たに剥き終わった玉ねぎを祐が重ねてきた。
「あ、お邪魔しますね」
「も〜、横入りはあかんよ」
「すまない、でもスピードが命だから」
「ウチの方が先や〜」
「待って待って!スピードが命だから!」
弱い力でお互いを押し合いながら一つの水道を取り合い始める。どちらか片方が終わるまで待てばいいだけなのだが、それでも二人は暫くじゃれあいを続けた。
「これって剥いてから洗った方がいいの?」
「一応先に洗った方がいいと思います。たぶん…」
「洗っちゃだめなことはないし、それでいいか」
ネギと話しながらじゃがいもを持つ明日菜は、もう片方の手でたわしを掴んだ。
「じゃがいもってたわしで擦るんですか?」
「分かんない」
(大丈夫かよ…)
「冷蔵庫すっからかんや」
「失礼な、鶏肉とか諸々あるよ」
「鶏肉とブロッコリーくらいやん」
「いいじゃん、冷蔵庫の中がジャングルみたいで」
「どこらへんがジャングルなん…?」
食材を煮込んでいる間、木乃香は台所周りを探索していた。ここだけでなく部屋にも置いてある物は必要最低限で、生活感があまり感じられないというのが正直な感想だ。祐が元々あれこれ欲しがる性格ではないことは知っているが、それにしてもこの家には娯楽が少ないように思える。
「祐君って暇な時とか何しとるん?」
「え?なに、会話に困った感じ?」
「ちゃうよ…ゲームとか漫画とか全然あらへんなって思ったから」
「ああ、そういうこと。そうだなぁ…何もしてないね」
「何もしてないって、何も?」
「うん。天井見つめたり、目を閉じてぼーっとしたりはしてる」
「退屈やないの?」
「特には」
「……」
祐の回答に木乃香は考え込む仕草をとった。取り敢えずその様子を祐は黙って窺っていると、暫くして木乃香が顔を上げる。
「そんなら、ウチが暇な時とかラインしてええ?」
「え?…ああ、うん。全然構わないけど」
「じゃあじゃあ、電話とかは?」
「いいっすけど…」
「迷惑やない?」
「それはまったく思わない」
最後の質問は自信をもって断言する。どちらもしてくれるのならいつでも歓迎だ。しかし今の会話からどのようにこの結論に至ったのかは疑問が残る。
(焦ってる、けど何をだ)
木乃香は何かを焦っている、これは恐らく間違いない。こうして夕飯を作りに来てくれたのもそれが関係しているのだろう。
「ほんならこれから沢山お話できるわ。祐君面白いこといっぱい知ってそうやし、楽しみや」
「そんな期待値上げてくれるな、つまらん男だよ俺は」
「祐君くらい面白い人、中々おらへんて」
「顔のこと言ってる?」
「あっ!またマイナス思考や!」
「えっ?ここで10分も待つの?」
「そうしないとちゃんと柔らかくならないし、味も染み込まないみたいですね」
「めんどくさ…」
「そんなこと言わないでくださいよ明日菜さん…」
順調とはいかないまでも、なんとか調理を進めていた明日菜とネギ。だが手の掛かる慣れない工程に、明日菜は早くも疲れ気味だった。
「木乃香って毎日こんな面倒なことやってくれてたのね」
「そうですね、自分でやってみると大変さがよく分かりました」
「作るもんにもよるんだろうが、それにしたって毎日違う献立だからなぁ。手間掛けてくれてるんすね」
こうして料理を改めて作ると、毎日請け負ってくれている木乃香のありがたさを痛感する。前から彼女に感謝はしていたが、少し労いが足りないかもしれないと明日菜は思った。
「そう考えると、やっぱり僕達も出来るようになった方がいいですよね」
「……なんか他の方法で役に立てることないかな」
「逃げちゃいけねぇな姐さん」
「こいつ!自分は関係ないからって!」
「そりゃ俺っちに御三方の料理を作るなんて無理っすからね。兄貴の使い魔兼この寮のペットとして高みの見物させてもらいます」
「…ミキサーとかあったっけ」
「明日菜さん⁉︎」
「何に使うつもりだ姐さん‼︎」
「あとは待つだけやね」
「ようやくか、腹減って爆発しそうだぜ」
「ふふ、あともうちょっとや」
肉じゃがは完成し、後は米が炊き上がるのを待つだけとなった二人は台所から移動して机を挟んで座る。何気なくつけたテレビに視線を向ける木乃香を祐は見つめた。普段なら自分しかいない部屋では、来客が一人来てくれるだけでこうも雰囲気が変わる。何をするでもなく同じ空間にいるだけで特別な感覚がした。
きっと彼女とこうして平和に過ごせる人は幸せに違いない。
「祐君、そないじっと見られたらウチ恥ずかしいわ」
気が付けばまじまじと見てしまっていたようだ。木乃香は若干顔を赤くしながら時折目を逸らしている。
「あ〜…申し訳ない。ついガン見してしまった」
「嫌やないけど、どうかしたん?」
「いや、別に何がってわけじゃな…」
言葉の途中で祐が止まった。当然木乃香は不思議に思って首を傾げる。祐が止まったのは、木乃香がここに来た理由がひらめきのように思い浮かんだからだ。それを本人に聞くべきか悩む。だが仮にこの予想が当たっているのなら、しっかり自分の考えを伝えなければならない。そんなことで彼女が悩む必要はないのだから。
「木乃香、もしかして気にしてるのか?あの時自分は直接戦闘しなかったって」
「へ?」
なんの脈略もなく聞かれたので反応できなかった。しかし時間を置いて考えれば、祐の言ったことが理解できる。少しだけ、木乃香の表情が曇った。
「えっと、急にどう…」
誤魔化そうと動いた口は途中で止めた。こちらに向けられている祐の瞳を見て、意味のないことだと察したからだ。
「…嘘言っても、祐君は騙されてくれんよね」
「この話に関しては、無理かな」
沈黙が続た。木乃香は視線を落とし、祐は静かにその姿を見つめる。伝えたいことが山ほどあるが、それは木乃香の想いを聞いてからだ。彼女の言葉で聞かなければならない。
「気にしてまうよ。ウチはネギ君達みたいに、隣に行けなかったんやもん」
「夢の時からこの前までずっと、見てるだけやった。全然、祐君の力になれてない」
暗くならないようにと苦笑いを浮かべた。精一杯の作り笑いだ。きっとこれも見破られているだろうと思う。それでもその表情を続ける。
「祐君に少しでも協力できたらって思っとるのに、あかんなぁウチ」
今も祐の視線は真っ直ぐこちらに向けられている。今だけはその視線を合わせられそうにない。一度視線を落としてから、木乃香は目を逸らせたままだ。
「ちょっとな、怖いんよ。ウチだけ置いていかれてる気がして。みんなはそんなことせえへんって、分かっとるんやけど…」
「戦う力なんてなくていい。少なくとも俺は、望んでない」
祐の声に反応して木乃香の視線が上がる。ようやく二人の目があった。
「これ、みんなには内緒にしてね。あの時も言ったけどさ、俺はみんなに危険な事とは無縁でいてほしいから…今でもみんなが戦うことは、正直納得しきれてない」
「ただ…自分も何かしたいって気持ちは、俺も常に持ってるものだから。否定なんかできない」
祐は立ち上がると木乃香の隣に腰を下ろす。木乃香も向きを変え、二人は正面から向き合った。
「力が欲しいって、戦えるようになりたいって気持ちは誰よりも理解してるつもりだ。そうして出来たのが今の俺だから」
木乃香の両手にそっと触れる。恐る恐る、そして微弱な力で木乃香は握り返した。祐は強く自分の想いを伝えたいと思った時、その人物の手を握る。どうしてだろう、こうすることで直接相手に誤解なく伝えられる気がするのだ。
「木乃香が力を付けようと努力するのを、俺は絶対邪魔しない。心から応援もしていけるようになりたい。ただ、これは覚えておいて」
「戦う力なんか持ってなくても、君のことが大切だ。そして俺は、とっくに君に支えられてる」
祐の発言に目を見開く。彼の両手から温かな何かが全身を駆け巡っていくのを感じた。目で見ることもできない、そもそも錯覚なのかもしれない。それでも確かに、この感覚が強く木乃香を揺らした。
「俺が誰かを大切に思うのは、一緒に戦場に立ってくれるからじゃない。力があるからでもない。その人が俺の心に寄り添ってくれた人だからだ」
「木乃香、今目の前にいる逢襍佗祐って奴は君達に救われたんだよ」
「で、でもウチなんにも」
「一緒にいてくれたじゃないか、こんな面倒な奴に愛想尽かさず。沢山話してくれたし、沢山遊んでくれた。沢山料理を食べさせてくれた。そして俺をここに留めてくれた」
「木乃香達に助けてもらったんだ。誰がなんと言おうと、俺がいるのは君達のおかげ。それだけは忘れないでね」
戦わなくてもいい、生きていてくれるだけで。それだけで進む理由になる。この人達の平和を守る為に戦うことは、絶対に間違いではないと断言できるのだ。みんながいるからここで生きている。全てを投げ出すことなく。
彼女達は自分の生きる意味だ、生きている理由だ。存在そのものに価値がある。生きてくれているだけで救われているのだから、これ以上のものは必要ない。
だが、これを伝えるのはやめておこう。こんな感情は重すぎるし、彼女達の邪魔になる。この想いは自分の中にだけ留めておけばいい。
そんなことを考えていると、木乃香の手がゆっくりと離れた。見ると木乃香は離した両手で顔を覆っている。また何かやってしまったかと祐が手を伸ばした瞬間、その手が届く前に木乃香が抱きついてきた。
「おっと!」
少しふらついたがしっかりと支える。今も木乃香は何も言わないが、背中に回された腕を離そうとはしなかった。祐は一度天井を見てから、自分も腕を回して抱きしめ返す。余計なことは言わないことにした。
「大さじ何杯とかじゃなくて正確な数字ほしいんだけど!」
「文句ばっか言ってこの子は本当に!言われた通りにやりゃいいでしょ!そうすればできんだから!」
「じゃあ大さじ一杯ってこのスプーンになみなみ注ぐの⁉︎それとも余裕もって注ぐの⁉︎」
「んなもん適当でいいんすよ!」
「それじゃいい加減になっちゃうでしょ!ここまできたらきっちりやりたいのよ私は!」
「普段大雑把なくせにすっか!」
「なんですって!」
「どうしてここで喧嘩するんですか⁉︎」
木乃香の気が済むまでこうしていようと思いじっとしていた祐だったが、木乃香は一向に離れる気配がない。少し様子を窺おうと顔を覗くも、祐の胸に顔を埋めている為確認できなかった。どうしたものかと考えていると腹部に違和感を感じる。どうやら鳩尾のあたりに木乃香が口をつけ、息を強く吐いているようだ。くぐもった音が聞こえている。
「木乃香…今ちょけてるだろ」
「あ、バレてもうた」
ようやく顔を見せてくれた木乃香の表情は明るい。まだ瞳が潤んでいることに関しては、気付かぬふりをした。
「ねぇ、祐君」
「ん?」
「ウチいい匂いする?」
「…おいどうした」
おかしくなってしまったのかと割と本気で心配する。対して木乃香は真面目に聞いていたらしい。
「今日せっちゃんのこといい匂いする言うとったやん。ウチは?」
「えぇ…」
どこか拗ねた様子の木乃香に困惑する。これはいい匂いがすると言うだけでいいのだろうか、それとも実際に嗅いだ方がいいのか。祐は大いに悩む。木乃香からのキモい発言は可能な限り回避したい。何を今更と思うかもしれないが、木乃香に言われるのは他の者に言われるものの何倍も高威力なのだ。
それでも逃げるわけにはいかない。普段いい加減で適当な発言が目立つ祐だが、こういったことに関しては誠実でいたいのだ。したがってここは匂いを嗅ぐ他ない、全ては誠実でいる為である。誠実とはいったいなんなのだろうか。
「よし、いくぞ…!」
苦悩の選択をした祐は一度離れた木乃香を再び抱き寄せた。勘違いしないでほしいがこれはしっかりと匂いを確かめる為であり決して他意はない、と誰に向けてか分からない言い訳を心の中でする。木乃香は木乃香でなんの抵抗もなく祐の胸に収まった。
「…どう?」
「そうですね、大変よろしいかと」
「変な言い方」
妙な言葉遣いにはなったものの、笑みをこぼしている木乃香の表情から察するに選択は間違いではなかったようだ。ばれないように安堵の息を吐いた。
「どんな感じの匂いやった?」
「踏み込んできやがった…」
もう終わると思っていたのだが、まだ満足はしていないらしい。悪戯っぽい笑みを浮かべる木乃香に祐は完全にお手上げだった。
「2人っきりなんやから、恥ずかしがらんでええやないの」
「勘弁してくれ」
「じゃあウチがお手本見せたげる」
「手本?」
木乃香はまた祐の胸に顔を埋め、鼻から息を吸った。立場が逆であればお縄につく可能性が非常に高い行動である。
「おいおい」
「うん、いい匂い。優しくて懐かしくて、ウチがよく知ってる匂い」
そして
いや、これは言わないでおこう。祐にはああ言ったが、伝えるのが恥ずかしい。だから今は胸の中にしまっておく。そんな気持ちを発散させるように、木乃香は祐の胸に軽く頬ずりをした。
「そんないいもんかな?」
「うん、いいもんや」
「いいのは肉じゃがの匂いじゃね?」
「ふふっ、そうかもしれんね」
「てかもう炊けたよな。そろそろ食べよう、流石に空腹が抑えられない」
「はーい。ほな支度しよか」
二人は立ち上がって台所へ向かう。木乃香は祐の一歩後ろを歩きながら、密かに空気を吸い込んだ。
(やっぱり、いい匂い)
優しくて懐かしくて、よく知ってる。ウチの大好きな匂い。
「「「いただきます」」」
手を合わせ、紆余曲折の末遂に完成した肉じゃがを口に運ぶ。全員が静かに目を閉じて味に集中した。
「うん、まぁ悪くないかな」
「初めてにしては上出来じゃないでしょうか」
「そうね、充分でしょ」
ネギの言う通り今回の挑戦は成功と言えるだろう。掛かった苦労に見合ったものなのかは、正直疑問だが。
「次も期待してますぜ」
「次はもっと簡単なやつから作る」
「こりゃもう肉じゃがは一生出てこないな」
「うっさい!」
(お料理、ちょっと楽しいかも)
その日、ネギが料理に少し興味を持った。
「うめぇ!」
「おおきに。急がんとちゃんとよく噛んで食べてな?」
「うっす!」
「超包子とどっちが」
「その質問は勘弁してくれんかね!」
何度されてもこの質問は冷や汗が出るのでやめてほしい。しかし楽しそうに笑う木乃香を見ていると、何をされても大抵のことは許してしまうのだ。以前明日菜にちょろいと言われたが否定できそうにない。恐らくいつまで経ってもこの笑顔には敵わないだろう。
「そういやもうこんな時間だけど、明日菜とネギは夕飯大丈夫なの?」
「最初は用意してからこよう思っとったんやけど、明日菜が今日は自分でやる言うてくれたんよ」
「大丈夫じゃなさそう」
「ネギ君とカモ君もおるし、なんとかなってる…と思いたいかな…」
祐も木乃香も、明日菜達が上手くいっている姿を想像できなかった。明日菜が聞けば間違いなく怒る。
「因みに明日菜達にはこのこと言ってる?」
「おじいちゃんに呼ばれたって嘘ついてもうた。だから今日のこと、みんなには内緒にしてな」
(いいように使われてんな学園長…)
「ぶわっくしょい‼︎……冷えてきたのう」