設置されているモニターからの灯りのみが室内を照らす薄暗い部屋に一人の男がいた。無気力な表情でモニターを見つめていると、サイト内に掲載されている広告が目に留まる。その内容はクリスマスに関するものだった。
「…チッ」
何に向けられたものか分からない舌打ちをする。男はこの時期特有の浮かれた雰囲気が嫌いだった。誰も彼もがヘラヘラしていて、見ていると無性に苛立つ。マウスを動かし、クリックする力が無意識に強くなっていた。
「ふ〜ん、お兄さんもこういうのが嫌いなんだね」
ヘッドホンを使用していた影響でよく聞こえなかったが、確かに誰かの声がした。
本来ならばあり得ない。この部屋には鍵をかけていたし、そもそも自分一人しかいない筈だ。急いで振り向くと、そこには肩まで伸びる青白い髪をした少女がいた。男は驚愕して座っていた椅子から転げ落ちる。
「な、なん…誰」
「クリスマス…だっけ?どうにもこれに嫌悪感を抱いている人間がそれなりにいるみたいだ」
恐怖で後ずさる男には目もくれず、少女はモニターを見ている。男は怯えながらもドアに近づこうとした。すると少女の瞳がこちらに向けられる。冷たい瞳が男を射抜いた瞬間、彼は指一本動かすことができなくなった。
「よく分からないけど、面白そうだから使わせてよ」
男は声も出せず震えるしかない。それに反して少女は楽しそうだ。まるで新しい遊び道具を見つけたかのように。
「それをたくさん集めたら、楽しくなりそう」
12月も後半に差し掛かった麻帆良学園。あと少しで2022年は終わり、新たな年を迎える。それもめでたいことではあるが、学生からすれば重要な部分は他にあった。
「冬休みだ!今年も冬休みが来るぞ!」
「楽しみー!」
本日も朝からハイテンションのA組は来る冬休みに思いを馳せている。ハイテンションなのはいつものことではあるが、今日は一際強烈だ。数ヶ月前の夏休み前を思い起こさせる。
「今回の冬休みは何が起きると思いますか!」
いつぞやの時と同じくマイクを持ったふりをして、風香が近くにいた美空にインタビューをする。一瞬考え、答えが浮かんだ美空は手を叩いた。
「ずばり!麻帆良全体が夢の世界に囚われて」
「おおい!やめろやめろ!」
その事件の中心人物だった裕奈は両手を大きく振って二人の間に割り込む。かなり大変な出来事だったのだが、こうして笑い話に昇華できるのは彼女達の逞しさあってのものだろう。また腫れ物扱いされないのは、裕奈としてもありがたいことであった。
「冬休み中は太り過ぎないようにしないとね」
「正月太りってやつ?」
「そ。減らすのは大変だけど、増やすのは簡単なんだから」
「まぁ、ぐうたらしてればいいだけだからね」
現役女子高生として、そしてうら若き乙女として目を背けることができない問題について円と美砂が語り合う。彼女達にとって不摂生は様々な角度から見ても天敵であった。
「ちょっとちょっと二人とも!お正月の前に大切な行事があるでしょ!」
「大切な行事って?」
「何よ?」
滑り込んできた桜子を慣れた様子で受け止めつつ二人が質問する。二人の腕の中に収まった桜子は自信満々に答えた。
「勿論!クリスマスだよ!」
「「…あ〜」」
いまいち反応が良くない円と美砂。そして二人だけでなく、騒がしかったA組が静まり返ってしまった。桜子は周囲を見回す。
「あれ?みんなどうしたの?」
「仕方ないわね、ここは私が終わらせてあげる」
何やら神妙な面持ちでハルナが席から立ち上がった。周囲が不安を感じてざわめき出す。
「パル⁉︎あんたもしかして!」
「やめて!止めをささないで!」
「真実はいつだって残酷なものよ!でも目を背けてはいけないの!」
先程とは別の意味で騒がしくなる教室。比較的冷静な面々は始まったといった表情を浮かべていた。
「みんな正直に答えて!クリスマスイブ、もしくはクリスマスに予定がある人は挙手!」
ハルナの声が響き渡る。しかし、その声を最後に教室から音が消えた。誰一人、手を上げる者はいない。
「ク、クリスマスイブには学園主催のパーティーがあるし…」
「一緒に行くお相手はいらっしゃるんですか?」
「……」
ハルナの問いにまき絵は答えることができない。再び痛ましいほどの静寂が辺りを包む。それほど強くない外の風音さえ聞こえてきた。
「ぐああああ‼︎」
「パル!」
「しっかりして!」
「気を確かに持つんだ!」
「自分もダメージ受けるんだ…」
「ただの自爆です」
心臓を抑えて倒れたハルナをクラスメイト達が抱きかかえる。止めをさす相手に己も含まれていたのが運の尽きであった。
「分かってた…だけど、どうか違ってほしいと思ってたの…」
「もういい!喋るなパル!」
「でもやっぱりダメだったわ…予想通り、虚しい女子高生集団だった…」
「お前もだろ同人メガネ!」
「あれ?ハルナさん、もう正月太りしてます?」
「うるせぇな!これでもくらえ!」
「ひえ〜!」
正月太り発言は我慢ならなかったのか、発言者である裕奈にハルナはボディプレスを仕掛けた。
「これじゃ床が抜けちゃうよ!」
「そこまで重たくないわ!」
「乗れ乗れ〜」
「取り敢えず参加しとけ!」
そうしている内に周りにいた者達も加わり、おしくらまんじゅう状態になっていく。真冬だというのにここだけ凄まじい熱気だ。
「あっ、そうや。なぁ明日菜、今年もクリスマスケーキ作るつもりなんやけど、何かリクエストある?」
「え?あー…どうしよ」
おしくらまんじゅうに参加していない明日菜と木乃香は、二人の中で毎年恒例となっているクリスマスケーキについて話し合っていた。すぐ横でクラスメイト達が組んず解れつしているのだが、そちらには目もくれずに雑談に興じている。初めて見た者からすればまず無視できない光景なのだが、この程度のことで動揺していては一年A組としてはやっていけない。この数年で培った経験の賜物と言っていいだろう。
「やっぱりショートケーキかな。クリスマスケーキと言えばって感じだし」
「おっけー」
木乃香は指で丸を作って見せる。そこで話は纏まったように見えたが、明日菜は何かを思いついたようで腕を組んで考えだした。
「うーん…」
「明日菜?」
「ねぇ木乃香、今年は私も一緒にやっていい?」
「熱でもあるん?」
「失礼な…」
体温を確かめる為に額に触れた木乃香の手を少々乱暴にはたいた。その対応に木乃香は少し嬉しそうだ。普段から彼女はこういったスキンシップをされると喜ぶ傾向がある。明日菜からすればそれは少々不思議だった。
「まさか明日菜、この間の夕飯で料理に目覚めたとか」
「別にそんなんじゃないわよ、ただ今年は一緒にやろうかなって。単なる気まぐれよ、気まぐれ」
「ふふ、ええよ。ウチは大歓迎」
本人の言う通り、料理に特別興味を持ったわけではない。しかし何事も経験だ、取り敢えずやってみるというのも悪くないだろうと思った。
「ま、色々お世話になるわ。よろしく先生」
「ウチに任せとき〜」
自慢気に胸を張る木乃香が微笑ましくて明日菜は笑った。せっかく頼りになる同居人がいるのだから、ありがたく学ばせてもらうとしよう。
「そうや!せっちゃんも誘ってええ?」
「もちろん」
「ほんなら聞いてくる!」
席から立ち上がった木乃香は一直線に刹那へと向かっていく。驚いた様子の刹那と楽しそうな木乃香を見ながら、明日菜の頭の中にはネギともう一人の顔が浮かんでいた。
(ネギもやりたがるだろうし、あいつも呼んだら来るかな?)
「お、いた。祐」
「んあ?おお、リト。どした?」
休み時間に廊下を歩いていた祐に声を掛けたリトがやってくる。今更だがこうやって向かい合うと、改めて祐との身長差を感じた。中学時代から然程身長の変化がないリトからすれば、祐の成長は羨ましい限りである。
「今年の年末なんだけどさ、よかったら前みたいに家に来ないか?」
「え?リトの家に?」
「ああ」
祐は家族を亡くした後、年末年始を結城家と共に過ごしていた時期があった。幼少の頃から妙なところで遠慮する性格だった祐は最初のうちは申し訳なさから断ろうとしていたが、才培と林檎の豪快な性格と勢いには敵わず、二人に半ば連れ去られる形で結城家にお世話になっていたのだ。
ただ祐も多少成長し、また中学時代は忙しいこともあってここ数年はお邪魔していない。そこには普段忙しい両親との時間をリト達に大切にしてほしいという祐の想いも多分にあった。
「大変魅力的だけど…せっかくの正月なんだから、家族で過ごした方がいいって」
「それがな、今年はちょっと親父も母さんも帰ってくるのは厳しいみたいなんだ」
「あれま」
同時に三本の連載を抱える超人気漫画家である才培、そして世界を股にかけるファッションデザイナーの林檎は常に忙しい身だ。普段から家を留守にしているのもそれが原因である。
「ていうか、いい加減変な気使うなって。二人とも会いたがってるんだから、居たって呼ぶつもりだったぞ」
「会いたい?こんな不純物に?」
「不純物って…たく、また悪い癖が出てる」
リトは軽く祐の肩を押す。その表情が少し不機嫌に見えるのは気のせいではないだろう。祐はやってしまったと頭を掻いた。
「あ〜…すまん、こういうのはやめることにしたんだった」
普段の様子から忘れがちになるが祐は色々と悩み、抱え込んでしまうタイプだ。それを知っているからこそ、自分達は祐に対して正直でいなければならない。それに加えてしっかりと言葉にする必要もあった。
「俺は気を遣って言ってるわけじゃない、本当にそうしたいから誘ってんだ。親父も母さんも、美柑だって祐が来てくれたら喜ぶんだからさ」
こうしてはっきり伝えなければ、この幼馴染は余計なことを考えてしまう。普段見せる能天気ぶりは形を潜めて見る影もない。いや、そもそも祐は能天気を装っているだけだとリトは理解していた。
「それに、今年はララもいるしな。祐が来るって聞いたら、多分飛んで喜ぶぞあいつ」
「そりゃまた…嬉しいね」
祐が少し笑った。どうやら気持ちが届いたようで安心する。まったく手の掛かる幼馴染だ。どれだけ特殊な力を持ち、戦うことに秀でていたとしても心配せずにはいられない。目を離せばどこに行ってしまうか分からない相手ならそう思うのも当然だろう。
「あっ、重要なこと聞き忘れてた。リトは俺が来たら嬉しいか?」
突然の質問にリトは一瞬目を丸くする。次第に内容を理解すると気恥ずかしさから目を逸らした。
「…なんだよ急に、変なこと聞くな」
正直でいるとは言ったが、こう聞かれてはどうしても照れが勝る。元々リトは超が付く程の恥ずかしがり屋だ。
「あれ、赤くなってる?照れんなよリト!仕方ない、キスしてやるか!」
「やめろバカ!ふざけんな!」
顔を近づけてくる祐を両手で食い止める。誰が悲しくてこんなファーストキスを経験しなければならないのか。持てる限りの力で悲劇を阻止しする為に力を込めた。
「何やってるの二人とも?」
聞こえた声に振り向けば、梨穂子がこちらを見ていた。言葉通り祐達が何をしているのか分からず、不思議そうな表情を浮かべている。
「聞いてくれよ梨穂子、リトが俺を拒絶してくるんだ」
「ええっ!どうして⁉︎喧嘩しちゃったの⁉︎」
「ややこしくすんなよ!梨穂子はそのまま受けとんだから!」
梨穂子は木乃香と同等に天然だ。疑うということを知らず、騙されやすさだけで言えば木乃香以上だろう。
「梨穂子なら俺の愛を受け取ってくれるよな」
「ど、どういうこと…?」
「手始めにお互いを暖め合って」
「おやめなさい!」
「ブエッ‼︎」
いったい何処からその場にいたのか、祐と梨穂子の間に突如現れたあやかのビンタが見事に決まった。続いてこちらも流れるように参入した明日菜が梨穂子を抱きしめ、自分を盾にするようにして祐から距離をとっていく。
「ほら!逃げるわよ梨穂子!大丈夫!私がついてるからね!」
「あ、明日菜ちゃん⁉︎ちょ、ちょっと待って!何がなんだか」
「いいからいいから!」
有無を言わさず梨穂子を連れてC組へと入っていく明日菜。あやかも祐を完全に仕留めたことを確認してからそちらに向かう。廊下には倒れている祐と完全に呆れ果てたリトだけが残された。
「……美柑ちゃんに癒されたい」
「お前やっぱり来んな」
それから時間が経った昼休み、千雨は騒がしい教室を離れて一人廊下を歩いていたところでふと掲示板に目を向ける。そこには知らせが表記されたプリントの他に、誰かが作ったのであろうクリスマスの装飾が施されていた。何処か冷めた表情を浮かべてすぐに視線を外す。
千雨は購買でパンを一つ買うと学園指定の冬用コートのポケットに入れ、人通りの少ない外のベンチへと向かうことにした。いや、初めから静かなあの場所に行くつもりだったのだ。先程の装飾を見たせいか、すれ違うカップルと思わしき生徒達がやけに目について気分が損なわれたからでは決してない。外の気温は低いがそこは我慢するしかないだろう。
目的の場所はベンチが何台かと自動販売機が置いてあるだけの質素なところで、人がいることも滅多にない。普段から騒がしい教室、というより学園に身を置く千雨にとって一種のオアシスのような場所であった。しかし本日に限っては貸切とはならなかったらしい。
(げっ、誰かいんのかよ…)
せっかく一人になれると思っていたのにと少々理不尽な悪態をついて先客の背中を見つめる。それは見覚えのある後ろ姿だった。
(逢襍佗か)
手には保冷バックのようなものを持っているので、彼も昼食をここで取るつもりのようだ。知り合いではあるが、それは千雨に関係ない。静かに来た道を戻ろうとした時、祐が自販機の前から動かないことに気が付いた。よく見るとスマートフォンを機材にかざし続けている。
「…あれ?……あれぇ?」
(何やってんだ?)
暫く様子を観察しているとスマートフォンを機材から離したり近づけたり、挙句には擦ったりしている。見て見ぬ振りをして帰ってもいいのだが、四苦八苦している姿がどうにも居た堪れなかったのでそちらに向かった。
「さっきから何してんだよ」
「え?あっ、電子の妖精長谷川さんじゃないっすか」
「いつから私はホシノ・ルリになったんだ」
「流石だね長谷川さん。電子の妖精って言っても、大抵はポカンとされるのに」
「色んな意味でポカンとされてんだろうな」
本当にこの男は相変わらずだ。A組の能天気な連中と上手くやっている理由がよく分かる。こちらから切り出さなければ永遠と無駄話が続きそうだ。
「んで、何を苦戦してたんだ?」
「いやね?最近流行りの電子決済で華麗に購入しようと思ったんだけど、なんか反応してくれんのよ」
「最近流行りかは知らねぇけど、ちょっと見せてみろ」
素直にスマートフォンを渡すと、千雨は慣れた手つきで設定を操作し始めた。
「何と紐付けたんだ?」
「クレカ」
「出来てないぞ」
「アーーー‼︎」
「うるさっ⁉︎」
祐は急に大声を出して背中から地面に勢いよく倒れる。後頭部を思い切り強打したが大丈夫なのだろうか。
「違う!俺は時代に乗り遅れてない!俺はアナログ人間ではないんだ!」
「別に私なんも言ってないだろ…」
「女性の前では常にかっこよくありたいのに…!」
「それに関してはだいぶ前から手遅れだな」
「……」
(めっちゃ睨んできてる…)
悔しいが言い返せる術がないので祐は黙るしかなかった。せめてもの意思表示として恨めしそうな視線を送ることしかできないのが情けなさに拍車を掛けている。本当に格好良くありたいのならこういった態度を改めたほうがいいだろう。
「ほら、んなとこに倒れてないで設定し直せ。教えてやるから」
「へ〜い」
服をはたきながら起き上がった祐にも画面が見えるように千雨が移動する。祐は少し体勢を低くして画面を覗いた。
「まずここから登録だ」
「いやぁ、やったんですけどねぇ」
「やってねぇから出来てねぇんだよ」
まるで老人に教えている気分だ。だが人間得意なものもあれば不得意なものもあると千雨はよく知っている。なんでこんなことも出来ないんだとは口が裂けても言うまい。自分の嫌いな言葉だ。
「んでこっからカード情報の入力な」
「ヘェ」
気の抜けた声と共にクレジットカードが差し出された。入力してくれということなのだろうが、千雨は眉を顰める。
「お前なぁ…そんなもん簡単に見せるなよ、不用心だぞ」
「これからカード関連でなんかあったら長谷川さん疑えばいいだけだから大丈夫だよ」
「ざけんな」
祐を軽く流しつつ押し付けるようにスマートフォンを渡した。あくまで千雨は教えているのであって、代わりにやってやるつもりはない。
「お前がちゃんとやれ。自分でやらなきゃ覚えないんだから」
「厳しいよ母ちゃん…」
「誰が母ちゃんだ。分かったら入力」
「ヘェ」
「その返事やめろ」
それから千雨のサポートを受けて滞りなく設定を終えた。早速自販機のボタンを押して改めてスマートフォンを機材にかざす。すると電子音と共に飲料が取り出し口に放出された。
「す、凄い…」
「これで感動してんのお前ぐらいだよ」
「人から見れば大したことではなくても、逢襍佗祐には歴史的な一歩だ」
「大袈裟な奴」
嬉しそうに商品を手に取る祐を見てやれやれと息を吐いた。こうしているとただの抜けている男子高校生だ。
本当に、こんな奴があの虹の光と関係があるのだろうか。自分で思ったことながらどうにも疑わしかった。しかし違うならそれでいい。もし彼こそが虹の光の正体だったなら、自分は彼に対して
「それじゃ、長谷川さんもどうぞ」
「ん?…ああ、まぁ買っとくか」
一人思考に耽っていたところで声を掛けられ我に帰った。特段喉が渇いてるわけでもないが、取り敢えず購入しようと自販機に近づく。暫し考えてから選んだ商品のボタンを押した時、祐が自分のスマートフォンを機材にかざした。決済を完了した音がした後に商品が落ちてくる。
「あっ、おい」
「教えてくれたお礼。それと、これからこんな感じの分からないことがあった時よろしくの布石。ありがとうね長谷川さん」
「…別に大したことしてないだろ」
手助けしたのは見返りを求めていたからではない。だがあちらも厚意でしてくれたことだ。妙にむず痒いが、下手なことはせず素直に受け取っておくのがいいだろう。千雨は取り出し口からホットココアを手に取った。
「あっち」
右に左にと缶を投げながら多少は冷めるのを待つ。何故こうもやり過ぎな程温めるのかは昔から疑問だった。そんなことを考えている時、左手から右手に渡る途中で祐が宙に浮いていた缶を掴む。
「あっつ!」
「そう言ったろ…何してんだよ…」
「動いてたから我慢できなかった」
「猫か」
「…実は秘密にしてたんだけど」
「わかったわかった」
「まだ全部言ってなあっつ!舐めやがって!こんな缶如きに負けるかよ!」
熱いと言いながら自分の分もあるので両手が塞がっている祐は、表情から察するに我慢をしているのだろうが缶を離そうとはしなかった。千雨はあまりのくだらなさに呆れながらも笑ってしまう。少し悔しい。
ここで滑稽な姿を眺めているのもいいが、ずっと立っているのも疲れる。せっかく空いているのだからと千雨はベンチに腰を下ろした。当初の予定とは異なるが、この休み時間は目の前にいるおかしな同級生に付き合ってやることにしよう。
「言っとくが、私に聞くならちゃんと覚える気でいろよ。それがないなら教えてやんないからな」
「勿論、しっかり知識を吸収させていただきます」
「あと、私の授業料は高いぞ。一つ教えるごとに飲み物奢りだ」
「安いもんよ」
じゃあいいと言われることを予想して今の話をしたのだが、予想とは違う返答がきた。何故だろう、そこまでして自分に聞く必要があるとは思えない。彼は自分と違い、友好関係が異常に広いのだから。
「お前知り合い沢山いるだろ。超とかとも仲良いんだし、わざわざ私に聞かなくてもいいんじゃないか?」
「じゃあ長谷川さんに聞く必要があるって思ったことを聞くようにする」
「そんなことあるとは思えないけどな」
「俺はあるに賭けるぜ」
「あっそ」
ぶっきらぼうに返して足を組んで頬杖をつくと、横からココアが差し出された。指先で缶に軽く数回触れる。
「あともうちょっとだな」
「え〜?もう大丈夫でしょ」
「私は繊細なんだよ」
「赤ちゃん並みの耐久性だ」
「うるせえ」
「それじゃ、まだ飲まないなら失礼して」
そこで祐は自分の飲み物も使ってジャグリングのようなことをし始めた。千雨は視線だけをそちらに向ける。
「なんだそれ?」
「最近練習してるやつ。どう?」
「まあまあ」
「辛口評価が来たな。見てろ、この悔しさをバネに俺は高く飛ぶ」
「なんでもいいけど、私のは落とすなよ」
「あっ…」
「おい!」
それからなんやかんやありつつ二人は昼食を始めるのだが、パン一つの千雨と相変わらずな食事の祐。双方自分のことは棚に上げ、相手の食事内容に引いていた。