『てなわけで、すまんなボウズ…面会にはもう少し時間が掛かりそうだ』
時刻は20時を過ぎた頃、自宅にて祐は源八からの連絡を受けていた。内容は最近多発している怪事件の被害者との面会の件だ。和美達から話を聞いた後、祐は源八に連絡を入れると話を持ち掛けた。源八からすれば祐の申し出は事件解決への渡りに船だったので迅速に対応をしてくれたのだが、結果として面会は今すぐにとはいかなかった。
「そんなとんでもない、無理言ってるのはこっちなんで」
『いやほんと、こりゃ俺達の力不足と言わざるを得ない。もっと融通が効けばいいんだが…』
「掛け合ってくれるだけでも感謝ですよ。こんな子供の意見をあしらわないでくれてるんですから」
残念ではあるが、この結果も予想の範囲内だ。祐は経験からか非常に物分かりがいい。世の中、もっと言えば社会や組織は一筋縄ではいかないと知ったかぶりではなく真に理解している。それでも源八が懸命に対応してくれていることが分かっているので、彼に対しては感謝しかなかった。
『いい歳こいた大人として情けない話だが、お前には何度も世話になってるからな。こっちに出来ることがあるなら協力してやりたい、んだが…これじゃあなぁ…』
(段々こっちが申し訳なくなってきた…)
通話越しでも源八の申し訳なさそうな顔が浮かんでくる。こんな状況だが、祐はまた出逢いに恵まれたなと改めて思っていた。源八と関係を構築できたのは、間違いなく己にとって良い方向に働くものであると感じている。
「ありがとうございます、ゲンさん」
『まだ感謝される段階まで行ってねぇよ』
それからも少し話し合い、通話を終えた祐はスマートフォンをテーブルに置く。そのままふと壁に掛けられたカレンダーに目を向けた。以前商店街で買い物をした時に貰ったカレンダーだ。
本日の日付は12月23日、二学期の終業日である。そして明日は学園主催のクリスマスパーティーだ。暫しカレンダーを見つめ、視線を天井に向けた。
「さて、どうすっかな」
冬休み初日である12月24日。現在14時の麻帆良学園は、17時から開催されるクリスマスパーティーに向けて最後の準備が行われていた。生徒が申請して出店した屋台が並ぶ道をダンボールを抱えた士郎が歩いていく。彼は本日のクリスマスパーティーの為に忙しなく働く生徒会役員である一成の頼みで雑用を行っていた。
一応説明しておくと士郎は生徒会所属ではないのだが、特に予定もなかったことからこうして仕事を手伝っている。元々頼まれれば基本的になんでも請け負う性格なので、今回もその例に漏れずといったところだ。
準備に追われる生徒達で既に大勢が行き交う通りを歩き続けていると、顔を下半分まで隠していた二つ目のダンボールを誰かに取られた。急に開けた視界に驚きつつ、ダンボールを取った相手を確認する。
「祐?何してるんだよ」
「よう士郎。今日も大方頼まれた仕事を実直にこなしているようだな」
現れた人物である祐はダンボールを抱えながら士郎に笑顔を向けた。出会い頭の妙な物言いに思うところはあるが、実際言われた通りではあるので否定はできない。
「まぁ、そうだけど…祐も何か頼まれたのか?」
「いや、俺は何も。ただ祭りを待ちきれずに来てしまっただけだ」
「いくらなんでも早過ぎだろ…」
「早めに行動するに越したことはないさ。ほれ、こいつを運ぶんだろ?先行してくれい」
どうやら仕事を手伝ってくれるらしい。気にしなくていいと言おうかとも思ったが、こういった状況の祐は断ったとて食い下がることをしないと士郎は知ってる。素直に厚意を受け取った方がお互いの為だろう。
「分かった。それじゃ頼むぞ」
「おう。因みに終わったら何奢ってくれるの?」
「なんて恩着せがましい奴なんだ…」
「これぞ恩の押し売りだ」
「しかも自覚があるのか…」
それから会話をしながら士郎についていく祐。やがて広場にテントを設置している生徒会の元へ辿り着く。その中には一成もおり、二人の接近に気付いてこちらにやってきた。
「おお、ご苦労衛宮。それと、思わぬ助っ人が来たか」
「その通りだ。ありがたく思え一成、この俺が働いてやるんだからな。褒美は期待してるぞ」
「なんと恩着せがましい奴だ…」
少し前にも起きた会話を一通り終え、士郎と祐は新たな仕事を請け負ってそれぞれの場所へ向かった。祐が伝えられた場所に着くと、その場で女子生徒と話し合っていた詞と目が合う。彼女も生徒会所属ではないが、恐らく実行委員の一人として参加しているのだろう。
「あら、逢襍佗君?どうしてここに?」
「どうも絢辻さん、小生も急遽皆さんを手伝うことになりました。誰に頼まれるでもなく自ら行動を起こす、これぞ優等生のあるべき姿とは思いませんか?」
「そ、そうね…立派だと思うわ」
「お褒めに預かり恐悦至極です」
自分から褒めてくれと誘導しておいて実に白々しい男である。多少祐の人となりを知っている詞は当たり障りのない対応をしたが、横に居る女子生徒は祐に若干引いている。
「ところで、ここにあると言い伝えられているラインテープは何処に?」
「えっと、ラインテープならあのダンボールの中よ」
「恩にきるぜ!」
何故か急にご機嫌になった祐は走ってダンボールに向かうと、両手に抱えて詞の元へ戻ってきた。
「見ていてくれ絢辻さん、俺がラインテープを持っていくところを」
「う、うん」
祐は言葉通りラインテープの入ったダンボールを運んでいった。詞は律儀にその背中を最後まで見送ってくれたが、これをしたからなんだというのだろうかと思えて仕方がなかった。
「あの、絢辻さん…彼って」
「ああ、ごめんなさい。彼は私と同じクラスの逢襍佗祐君。ユニークだけど、いい人よ」
「そ、そうなんだ…」
(ユニークというか、ただの変人なんじゃないかしら)
何度か見かけたこともあれば、その名前も聞いたことがある。そして彼の噂も。確か同じC組であるリトと梨穂子の幼馴染でもあったはずだ。こうして近くで見ると、どうやら噂に違わぬ人物と思って良さそうだ。クラスは違えど要注意人物に加えておこうと一年C組の委員長『古手川唯』は決めた。
所変わって女子寮。自室で寛いでいたアキラは時計を確認すると時刻は15時を回っていた。本日クリスマスパーティーに参加する一年A組は16時に寮のロビーで集合することになっている。それに合わせてそろそろ支度を始めようかと思っていると、寝転がっていた裕奈が上体を起こす。
「あ〜あ、結局今年も例年通りかぁ」
「やけにその話引っ張るね」
「だってさ〜、少しくらい変化があってもいいじゃん」
パーティーが始まる前から不満気な裕奈にアキラは苦笑いを浮かべた。話をしている時はよくあるその場の思いつき程度に考えていたが、どうやらそうでもないらしい。
「新しいメンバーだっけ?逢襍佗君はB組の人と一緒に行くみたいだったし、そうなるとね」
あの後実はクラス内で新メンバー候補の一人として祐の名前が上がっていた。良いか悪いかは置いておいて間違いなく新たな風を巻き起こしてくれるだろうし、全員と知り合いであるという条件も満たしていたのだが、残念ながら彼には先約があった。それを裕奈達に話すハルナの悔しそうな顔は今でも思い出せる。
「くそ〜!逢襍佗君め!普段あんな私達に思わせぶりな態度しておいて、いざとなったら私達を捨てるなんて!」
「別に思わせぶりな態度ではないし、捨ててもいないと思うけど…」
「悪い男だ!あいつは悪い男だ!」
(なんだか凄くヒートアップしてる…)
何が琴線に引っ掛かったのか、裕奈は怒りを込めてクッションをドラムのように叩いている。同居人の奇行に困惑してるとチャイムが鳴った。裕奈はこんな状態なのでアキラが玄関に近付いて覗き穴を確認すると相手はまき絵と亜子だ。ドアを開けて二人を迎える。
「もう支度終わったの?」
「うん!待ちきれなくて!」
「まき絵こういう時は支度が早いもんな〜」
「い、いつも早いよ!」
微笑ましいやり取りにアキラは笑顔を浮かべた。しかし二人と共に部屋に戻れば、未だ激しく怒りのビートを刻む裕奈が嫌でも視界に入ってくる。当然まき絵と亜子は状況が分からず怯えていた。
「こ、怖い…」
「裕奈は何しとるん…?」
「簡単に言うと、逢襍佗君がB組の人とクリスマスパーティー行くのに怒ってる」
「なんやそれ…」
説明を受けても亜子は疑問を浮かべた。色々と端折ってしまったせいでもあるが、これが真実なので他に言いようがない。そんなことを考えている内に恐る恐るまき絵が裕奈に近付いていた。
「ゆ、裕奈…一旦落ち着こう?」
「まき絵…まき絵は悔しくないの?私達、逢襍佗君に弄ばれたんだよ」
「そんなの、私だって悔しいよ…」
「悔しいんかい」
「あと別に弄んでないよ」
亜子とアキラの冷静な指摘も二人の耳には届いていないようだ。完全に二人の世界が出来上がってしまっている。
「そりゃ私達だって誘うの遅かったけどさ!こういうのは男の子から誘ってほしいじゃん!」
「そうだよ!恥ずかしがり屋なのは乙女の特権なんだから!」
「その服可愛いね、似合ってる」
「ほんま?えへへ、おおきに」
アキラ達は裕奈とまき絵を放置する方向に舵を切った。因みにクリスマスパーティーは私服での参加が認められているので亜子達をはじめ、生徒の大半は私服で向かう。
「会場で見つけたら難癖付けてやる!」
「私も難癖付けちゃうもんね!」
「難癖って自覚はあるんやね」
放置するつもりだったのだが、どうしても亜子の気質的にボケを無視できなかった。ただし二人がボケとしてこの発言をしているのかは不明である。
(A組に気を付けてって逢襍佗君に連絡しといてあげたほうがいいかな…)
恐らく二人はロビーでもこの話をするだろう。そうなればクラスメイト達はまず間違いなく二人に便乗する。それを思うと祐に前持って教えておいた方が良さそうだと、アキラはラインを起動した。
それから一時間程が過ぎた頃、千雨は周囲に気を配りながらドアを開ける。クラスメイト達は時刻通りに出発したのだろう。いつもの騒がしさが嘘のように寮内は静寂に包まれていた。A組だけでなく、寮生の殆どが向かったようだ。静かに外へ出るともう一度左右を確認してからドアを閉めた。まるで誰かに追われているかのような挙動をする千雨の手には、ザジから贈られたサーカスのチケットがある。そのチケットを見つめ、千雨はため息をついた。
(なんで私がこんなこと…ってそりゃ私のせいか…)
結局あれからザジに何も告げぬまま当日を迎えてしまった。ザジは朝早くから準備の為に出掛けており、千雨は悶々とした気持ちを抱えたままだ。現にここまで来た今も躊躇している。それでもこうして外へ出たのは、やはり直接ザジに誘われたからだ。
四年の付き合いでも、中等部時代にはお互いあまり干渉してこなかった。しかしこの一年はよく分からない事件に巻き込まれたこともあってか、その距離は縮まったように思う。彼女と話すことも、誘いを受けることも増えた。それなりに親しい相手と言っても差し支えない程に。
(もう支度もしちまったんだ、サーカスだけ見てパッと帰ればいい。なんも難しいことじゃねぇ、簡単だ)
そう心の中で呟きながら、無視できない程に重い足を引きずって千雨はゆっくりと歩き出す。この速さでは通常より何倍も到着に時間が掛かりそうだと自虐しながら。
「よう大将!」
「おっ、来たか梅原」
開催時間を前に麻帆良学園へと学生達が集まり始めた。大勢が行き交う中で、コートのポケットに両手を入れて寒そうに立っていた純一に正吉が手を振って近寄った。
「早いじゃねぇか。俺も人のこと言えないが、余程楽しみだったと見える」
「まぁね。久し振りの華やかなクリスマスとなれば、僕もそれなりに気合が入るさ」
「いいねいいね!俺ものってきたぜ!」
そう言って正吉は軽く純一の肩を叩く。ここだけの話、クリスマスに対して一種のトラウマを抱えていた純一がこうして楽しそうにしているのは親友である正吉からしても喜ばしいことであった。
「早いなお二人さん」
「先を越されちまったか」
そうしている内にケンとマサもやって来た。それからも待ち合わせ場所には次々とクラスメイト達が集まってくる。ただし、全員が男子であった。まだ予定の時間から30分前だというのにB組男子が祐を除いて全員集合である。祐は17時30分から開かれるザジのサーカスを見てからの合流となる為、ここには来ない。
「男連中は全員集まったな」
「なんか悲しい…」
「言うな」
気温の低さも相まって寂しさを感じるB組男子。しかしこのままでは終わらない、今年は一味違うのだ。暫く待っていると彼らの希望の光が到着し始めた。
「きっ、来たぞ!」
マサの声に全員がある方向を見る。男達の視線の先には私服姿の薫・恵子・春香の姿が映った。
「おっす、早いわねあんたら…って全員いるじゃない」
「凄いね、まだ10分以上前だよ?」
「みんな気合入ってるんだね」
普段毎日教室で顔を合わせている相手でも、服装が違うだけでこうも特別感があるものなのかと男子勢は驚愕している。黙ってまじまじとこちらを見つめる状態に陥ったクラスメイトに薫は首を傾げた。
「ちょっと?もしも〜し」
「…はっ⁉︎いかんいかん!正気に戻れ兄弟達よ!」
一足早く我に返った正吉がまだこちらの世界に戻ってこない者達の頬を叩く。謎の光景に薫達は行き先が不安になった。すると女性陣も続々と集合する。いつもの三人組で到着した楓達が薫達に手を振った。
「みんな予想外に早かったな。…なんだこの状況」
「私もさっぱり。なんか男連中が固まってんのよ」
「ふむ、まるで放心状態だな」
「みんな大丈夫?」
「すまん梅原!遠くにいってた!」
「起きたか!みんなを目覚めさせるぞ!手伝ってくれ!」
少しずつ帰ってきた男子勢がまだ旅立ったままの同類を起こそうと動く。異様な状態から始まったB組のクリスマスパーティーを先程到着した凛と綾子も見ていた。
「早速やってるなウチの連中」
「やっぱり家でゆっくりしておくべきだったかも…」
「そう言うなよ遠坂、賑やかで退屈しないだろ?」
「賑やかなのは間違いないわね…」
この後、先立って準備をしていた詞も合流したところで会場に向かう予定だ。今までと違うクリスマスパーティーへ期待に胸を膨らませながら、B組男子は逸る気持ちを抑えられないでいた。
いよいよ17時を迎え、クリスマスパーティーが開かれた。恐らく今頃メイン会場は大勢の学生で溢れかえっているのだろう。とは言えこちらのナイトメア・サーカス入場口前も同じようなものだ。そんな列から外れた場所で目深く帽子を被り四方八方に視線を飛ばして知り合い、主にクラスメイトの姿を確認する千雨はこの場の誰よりも不審者だった。
何故先程からこのような行動をしているかと言うと、単純に見つかったら気まずいからだ。クラスメイトから散々パーティー参加を聞かれたが、その全てに行かないと答えていた。にも関わらずザジのサーカスを見にきたとなれば何を言われるか分かったものではない。
クラスメイトがこのサーカスを観覧するつもりなのかは、パーティーに関するあらゆる情報を遮断していた千雨には知る由もない。しかしこれだけ人がいるのだ。目立った真似をしなければ自分を見つけることは困難だろう。そんなことを考えている間にもさっさと列に並べばいいものの、土壇場になって足が更に重くなっていた。ここまで来てと己のことながら情けなく思う。
やはりこのまま自室に戻ろうか、そんな考えさえ過ぎってしまった。
「こんばんは長谷川さん」
瞬間千雨の心臓が大きく跳ねる。今間違いなく後ろから自分の名前を呼ぶ声がした。だが聞こえた声は女性ではなく男性だ。従ってA組ではない。つまり男性の知り合いということになるが、そうなると思い付く相手は一人くらいしかいなかった。気は進まないが後ろを振り向く。そこに居た相手は予想通りと言えば予想通りの人物だ。
「逢襍佗…」
「どうも」
祐は軽く手を上げて挨拶する。列から外れてはいたものの、この人混みの中でどうやって自分を見つけたというのだろうか。ともかく知り合いに見つからないという作戦は早々に失敗してしまった。
「入場始まったみたいだよ。俺達も行こう」
「あっ、いや…私は」
そう言って祐は挨拶もそこそこに入場列に並ぼうと歩き出す。そんな背中に思わず声を掛けてしまった。
「ん?もしかしてチケット忘れたとか?」
「そういうわけじゃないが…」
何か言おうとしても口が思うように動いてくれない。そもそも何を言えばいいかも分からないのだ。そんな状態で言葉が出てくる筈もなかった。
「大丈夫だよ長谷川さん、一緒に行こう」
祐の声に反応し、無意識に下を向いていた顔を上げる。見える祐の表情は普段通り人の良さそうなものだった。いったい何を指して大丈夫と言っているのかは不明だ。それでも向けられた表情と言葉はどこか千雨を落ち着かせた。不思議と先程まで奥底にあった緊張と劣等感は薄れて消えていく。まるで身体が軽くなった気分だ。
「せっかくここまで来たんだから、見なきゃ損だよ」
祐はその場から動かない。きっとこの足が前に進むのを待っているのだろう。そう思った時には既に右足が踏み出されていた。女子寮から出発した際と違い、驚く程簡単に千雨を前進させる。彼女が隣に来たことで、祐も歩幅を合わせて歩き始めた。
「ザジさんには感謝しないとね。このチケット、かなり競争率が高かったみたい」
「そうなのか?」
列へと進みながら自然と会話が始まる。祐の出した話題は千雨の興味を惹けたようだ。
「うん、サーカスのこと友達に話したらそう言ってた。だからザジさんにも聞いてみたんだけど、関係者でも確保は二枚が限界だったんだって」
「…あいつ、そんなこと一言も言ってなかった」
「貴重だからって変に気負わせたくなかったんじゃないかな。あっ…俺が言ったら意味ねぇじゃん…待って、今の話忘れよう」
「無茶言うな」
「お願いだ!忘れてくれ!このままじゃ俺がザジさんに嫌われるかもしれないじゃないか!」
「お前の好感度なんざ知るか!」
「その発言は無責任だろ!」
「無責任じゃねぇよ!」
気が付けば千雨はいつもと同じような雰囲気になっていた。人が密集している場所は好きではないが、どこにいても調子が変わらない祐が隣に居ることで無駄に周りへの気後れをせずに済む。今この時だけは彼の存在をありがたいと思ってもいいかもしれない。無論そんなことは間違っても口には出さないが。
「ん?つまりあれか、A組の連中は来ないってことか」
「正確には来たくても来れなかったってとこでしょうな。おめでとう長谷川さん、貴女はザジさんに選ばれたわけだ」
「…同居人だからってだけだろ」
「それでも嫌な人には渡さないよ。つまり、俺もそれなりに彼女からの好感度は高いと考えていい筈だ」
「お前がそう思いたいんならそれでいいんじゃねぇか?」
「棘のある言い方しやがってよ…!いいのか⁉︎この場で大熱唱して注目を集めてやってもいいんだぞ!」
「やったらマジでぶっ飛ばすぞ」
「俺ぶっ飛ばされんの?テンション上がるぅ〜」
「こいつ頭おかしい…」
取るに足らない会話を続けている内に入り口まで辿り着いた二人は係員にチケットを渡し、そのまま会場に入るとまずその大きさに驚かされる。巨大な空間に大勢の人が密集する光景に対して急に心細くなった千雨は横に立つ祐の席番号を確認した。
「…げっ、隣かよ」
「本人がいる前でよくそんな反応ができるなイキリネット眼鏡」
「てめぇ二度とその名前で呼ぶなよ」
「テンション上がるぅ〜」
「もうやだこいつ」
サーカスを見る前からぐったりした千雨は自分の席を見つけると早々に座る。口ではああ言ったものの、祐の席が隣なことに一安心していた。
それにしても数日前までは何もない広場だったこの場所が現在は巨大な円形劇場となっている。僅かな日数でこれを完成させる麻帆良は相変わらずおかしい。ただこれだけのキャパシティがあってもチケットが取れないというのなら、確かにその人気は確かなものなのだろう。祐も隣に座ると周囲に視線を向けた。
「でかいな、サーカスって基本こんなもん?」
「さぁ?私サーカスって見るの初めてだし」
「ちょっと緊張してきた…ライオンが暴れてこっち来たらどうしよう…」
「学生のサーカスでライオンなんか出るわけないだろ。…出ないよな?」
間もなく開演の時間となる。隣でそわそわしだす祐程ではないが、千雨も緊張感を覚えていた。ただ先程と違うのは、決して嫌な緊張ではないということだ。せっかく重い腰を上げて外出をし、何より同居人の晴れ舞台なのだから精々楽しませてもらうとしよう。
「トイレ行ってきた方がいいかね?」
「落ち着きないやつだな…」
「漏らしても友達でいてくれよな」
「んなもん絶交だわ」