開催を知らせる花火が夜空へ打ち上げられると、暗くなった空を美しく照らす光に生徒達は歓声をあげた。周りと同じように空を見上げるネギは年相応の笑顔を浮かべる。
「日本のクリスマスはお祭り的な雰囲気なんですね、賑やかで面白いです」
「あんたの国だと違うの?」
「そうですね、どちらかと言うと家族と一緒に過ごす日って感じでしょうか」
「そうなんだ。いたっ!」
明日菜とそんな話しているところであやかが少し強引に二人の間に割って入った。そしてあやかの目には押し出した明日菜の姿はなく、ネギしか写っていない。
「ネギ先生、実は日本のクリスマスには別名もあるんですよ」
「そうなんですか?僕初めて聞きました」
聞かれたあやかは目を輝かせてネギの両手を握る。どこか興奮した様子の彼女にネギは困惑していた。
「何を隠そう『恋人達の日』ですわ!まさに私達二人にぴったりのいたっ!」
「どけ淫乱おばさん!」
「年増はお呼びじゃないわよ!」
今度はあやかがハルナに押し出される。その場から引き離すようにネギを抱きしめた美砂からも追撃がくる。
「淫乱おばさんだの年増だの失礼ですわ!」
「全部本当のことでしょうが」
素早く復帰したあやかが二人に怒りを向ける中、こちらも復帰した明日菜が呆れたように口にした。
「あ〜ら!ゴリラさんが何か仰ってますわ!どなたか通訳していただけません?」
「なんですって!」
売り言葉に買い言葉な二人を笑いながら見ていた美空の肩が軽く叩かれる。相手は裕奈で、美空の視線が向いたことで明日菜を指さした。
「美空、試しに通訳やってみてよ」
「ウホ、ウホホホ」
「美空‼︎」
「待って明日菜!軽い冗談じゃん!」
怒りの矛先は瞬時に移動し、逃げる美空を追って明日菜も駆け出す。開催してまだ数分しか経っていないというのに、一年A組は相変わらずであった。
「明日菜明日菜!私とも異文化コミュニケーションしようよ!」
「こんばんはってなんて言えばいいのかな?」
「こんばんウホ」
「それは雑過ぎる」
「手始めにドラミングしとこう」
「くそっ!今日は敵が多い!」
いや、相変わらずではなく普段以上にご機嫌な様子だ。比較的常識人なメンバーは気苦労が増えるだろう。
「ふむ、動物との会話は拙者も興味があるでござるな」
「ゲコゲコ。楓ちゃん、こんばんゲコ」
「ははは。まき絵殿、今すぐその口を閉じるでござるよ」
「意外と怒ってる⁉︎」
(もしかしてトラウマになっとるんかな…)
少しおちょくるつもりでカエルを意識した語尾を付けたまき絵は、予想以上に楓から冷たくされて驚愕する。そんなやりとりを見てタライ流し祭りでの出来事を思い出し、仮説を立てる亜子だった。
花火が打ち終わり、生徒達はそれぞれの目的地に歩き出す。屋台に向かう者や展示物がある校内に向かう者など、その行先は様々だ。
「さて、まずはどこ行く?」
「兎にも角にもまずは腹ごしらえでしょ」
「また太るよ?」
「うっさいわ!あと『また』ってなんだ貴様」
「とっくにご存知なんだろ?」
「図に乗るなよサイヤ人!」
「また分かんない話してる」
「ふふ、私達の勉強不足ね」
「私達のせいかな…?」
ハルナと風香のやりとりを見ていた夏美と千鶴も歩き出したクラスメイト達について行こうとした時、行手を阻むように一人の男が乗り出した。そうなれば当然二人の動きは止まる。
「そこの可愛らしいお嬢さん方!よければ俺とクリスマスを楽しまないか!」
『流石弄光先輩!いきなりなんの前触れもなくナンパしたぜ!』
後ろの後輩と思われる男子生徒達に弄光と呼ばれた男は、いったい何時から持っていたのか一輪の花を千鶴と夏美に差し出す。二人とも突然のことに目を丸くしたが、千鶴に言い寄るその姿がある出来事と重なった夏美は珍しく視線を鋭くした。さっと千鶴の手を握って歩きだす。
「友達と来てるんで失礼します!行こうちづ姉!」
「な、夏美ちゃん?えっと…ごめんなさいね」
取り敢えず弄光に謝ってから千鶴は夏美に引っ張られる形で歩いていく。花を差し出した姿のまま動かない弄光だけがその場に残された。
「……ふっ、シャイなところも可愛いもんだぜ」
『流石弄光先輩!こんな状況でも格好つけてるぜ!』
素早く拒否された弄光にショックを受けた様子はない。こうなることに慣れているからなのかは定かでないが、その強靭なメンタルは賞賛に値するだろう。後輩達もそういった部分を尊敬しているのかもしれない。ただし本当に尊敬されているのかは疑問が残る。
「諦めはいい方だったか」
「気持ちは分かるが手荒過ぎるぞ」
しっかりと弄光達を確認していた真名は、連中が引かないようならと懐に入れていた手をコートのポケットに移す。それを見て同様に気付いていた刹那が嗜めるように言った。
「時間を掛けるのも勿体ないだろう?お前だって近衛が狙われればすぐ斬りかかるくせに」
「私はもう少し冷静だ!」
「ん〜?ウチがどうかしたん?」
「い、いえ!何でもありませんよお嬢様!気にしないでください!」
「それで冷静か」
「くっ!」
毎度のことながら真名に口で勝つことは叶わない。刹那がそういった類を得意としていないこともあるが、如何せん真名の口が達者過ぎるのだ。今のところ全戦全敗だが、それでもいつか必ず言い負かしてやると刹那は心の中で闘志を燃やしていた。
そうしている内に早歩きで合流してきた夏美と千鶴に顔を向ける真名。それだけで刹那は夏美が標的にされたことを悟る。
「やるじゃないか村上、私の出る幕はなかったな」
「へっ?」
「また別の輩に粉を掛けられたら面倒だ。しっかりと手を繋いでおいた方がいいかもしれん、今みたいにな」
「あっ!ご、ごめんちづ姉…」
そこで未だ千鶴の手を強く握っていることに気付いた夏美はその手を離そうとする。しかし千鶴の方は夏美の手を握ったままだ。
「あら、折角だしこのままでいいじゃない。今日も寒いからこうしていた方があったかいでしょ?」
元々近かった距離を千鶴からもう一歩縮められると心臓が跳ねた。同性相手に何故ここまで緊張しているのか夏美本人も分かっていなかった。
「ふふ、なんなら今日は一緒に寝ましょうか。あの日みたいに」
「なっ⁉︎も、もう!ちづ姉!」
言葉は悪いが甘ったるい雰囲気がここだけ展開している。狼狽える夏美を見て、望んでいた展開になった真名はご満悦な様子であった。そんな同居人に刹那は冷たい目を向けている。
「本当に趣味が悪い奴だ…」
「なあなあせっちゃん、ウチらも手繋ぐ?」
「へぇ⁉︎」
「おいなんだ⁉︎気付いたらラブ臭が充満してるぞ!」
「またハルナの発作が始まりましたね」
所々で騒ぎが起きつつA組は進んでいく。まだまだクリスマスパーティーは始まったばかりだ。
「ライオンだ!やっぱりライオンじゃないか!」
「どっから引っ張ってきたんだよあんなの!」
そしてこちらも開演したナイトメア・サーカス。現在はステージ衣装に身を包んだ女子生徒がライオンに跨って火の輪潜りをしていた。そう、本物のライオンにである。麻帆良でライオンを飼育しているなどと聞いたことはないので、どこから連れてきたのか甚だ疑問であった。
「しかしなんと言う信頼関係だ…あの少女とライオンは心が通じ合っている…」
「なんでそんなこと分かんだよ…」
「動きを見ればわかるさ、お互いがお互いを気に掛けているのが」
「いや分かんねぇよ」
「修行が足りんぞ」
(なんかムカつくな…)
始まって早々に大盛り上がりを見せる会場。ただ先程から行われている演目の全てが目を見張るものばかりなので、それも当然であった。続いてステージが一旦暗くなると、スポットライトに照らされたザジが高台に現れる。
「来たっ、我らの天使」
(もう何も言わん)
一旦祐を放置することに決めた千雨は、改めてサーカス用の衣装に身を包んだザジに視線を向ける。その衣装は服として布面積が少なく、どちらかと言えば際どい水着にも見えた。
(あんな衣装着やがって…激しく動いても大丈夫なんだろうな?)
まるで娘を心配する母親のような目線でザジを見る千雨。この広い会場の中でそんなことを気にしているのは彼女だけだろう。
ザジは高台で衣装のフリルを摘みカーテシーと呼ばれるお辞儀を行う。たったそれだけの動作にも関わらず、その姿は見るものを魅了した。彼女に元々向けられていた視線が離せなくなる程に。美しい、正にこの言葉が当てはまる所作だ。先程まで歓声に包まれていた会場がしんと静まり返る。ザジの動き一つで、この空間を支配した瞬間であった。
すると天井からザジの立つ高台と同じくらいの高さにバーが数本降りてくる。僅かに高台から離れた位置にぶら下がるバーを目掛け、ザジは躊躇することなく跳んだ。危なげなくバーを掴み、次から次へと飛び移っていく。
彼女に命綱は装着されてない。しかしそんなことは微塵も気にかけることなくザジは空中を舞う。基本的にブランコからブランコに飛び乗るパフォーマンスは飛び手と受け手が組んで行うものだ。しかし現に彼女はたった一人でそれを披露している。その光景はまるでブランコ達がザジの意思に従っているかのように、またはザジが自由に空を飛んでいるようにも見えた。目を引く衣装と曲芸は、宛ら妖精が舞っていると観客達に錯覚させるほどのものであった。
最後にバーから手を離し、空中で何度も身体を回転させて元いた高台に着地する。ザジは大きく両手を広げ、観客達に頭を下げた。瞬間、静まり返っていた会場が揺れる。割れんばかりの拍手と歓声によってだ。それに応えるようにザジは普段見せない笑顔で会場全体に手を振る。所謂営業スマイルだが、とても魅力的な笑顔であることは間違いなかった。
大歓声に包まれる会場の中にあって、千雨は放心状態に近い形でザジを見つめ続ける。そうなるのも単純に彼女が披露されたパフォーマンスに魅了されたからだ。徐々に現実に戻ってきた意識が千雨に拍手を贈らせる。それは嘘偽りのない、千雨にできる同居人への心からの賞賛だった。
至る所で歓声と拍手に混じって指笛が響いている。それに対して祐も真似ようと指笛を試みるも、まったくと言っていい程音は鳴らずに漏れた空気だけが聞こえた。
「駄目だ、全然鳴らねぇ…ブラボー!ザジさん素敵ー‼︎」
ならばせめてと大声で想いを伝える。これだけの観客と大歓声だ、この声が届くとは思っていない。それでも惜しみなく拍手と賞賛を贈った。その他大勢のもので構わない、少しでも彼女を讃える声を大きなものにできるのなら。
すると気のせいだろうか、観客達に手を振り続けていたザジと目があったように感じた。彼女は両手を口元に寄せる。唇に指を当ててキスをするとこちらに向かって投げかけてきた。つまるところ投げキッスというやつだ。
「うっ‼︎」
祐は心臓を押さえてうずくまった。ザジの投げキッスをしっかり確認していた千雨は祐に白い目を向ける。そして横を向いたことで気が付いたが、この席一帯の男達は皆祐と同じような状態になっていた。全員がザジの投げキッスを自分に対して贈られたものと信じて疑っていない。実におめでたい連中である。
(アホだこいつら)
数多くの屋台が並ぶエリアに到着したA組は、各々が興味を惹かれた屋台へと向かっていた。その中で射的を発見した風香は史香ともう一人を半ば強引に連れていく。そのもう一人というのは真名であり、どうしても欲しいものがあった際には彼女の射撃能力を頼ろうといった魂胆であった。勿論真名は乗り気ではないが、軽く断っても風香は引かないだろうと同行してあげることにしたようだ。そもそもクリスマスパーティーの場で射的とは如何なものだろうかと思わなくもない。
「ふんふん、景品はそれなりにあるね」
列に並びながら台に並べられている景品を物色する風香。その種類はストラップなどの小さいものから、両手で抱える程の大きさのぬいぐるみなど様々であった。
「誰が最初にいくですか?」
「真名やって」
「まずはお前達からやってみろ、後ろからコツを教えてやる」
「そっか、じゃあ最初は史香で」
「い、いいけど…」
「頑なに一番手を拒むのは何故だ…?」
三人が縦に並んでいた列の客がはけたことで空いている場所に史香が入る。すると少し遅れて隣にも新しい客が入った。なんとなく相手を横目で確認すると、その人物と目が合う。
「あっ、あの時のウニ頭さん」
「そんな覚え方あるか?」
ウニ頭さんと呼ばれた上条当麻はなんとも言えない顔をする。確かに麻帆良祭で出会った時には名前を伝えはしなかったものの、それにしても抽象的過ぎる覚え方であった。
「ん?あっ!エッチなウニ頭!」
「やめて!もうウニ頭でいいから余計なものを付け加えないで!」
顔を出した風香から更に酷い呼び名が飛んでくる。まさかウニ頭呼びがまだマシな部類だったとは驚きだ。
「おいおい何騒いでんだカミやん。おっ、A組のお嬢さんじゃないか」
「これは、神様の思し召しやね」
「お前は黙ってろ」
当麻の後ろに並んでいた元春と青髪もやってくる。怪しいことを言い始めた青髪は当麻に素早く釘を刺された。
「グラサンと青ピもいたんだ」
「お姉ちゃん、アオピってなに?」
「青髪ピアス、略して青ピ」
「まんまだね」
「だって名前知らないもん」
「まぁ、あっちのアホは置いておいて。こうしてまた出会ったのも何かの縁、よければ俺も射的をご一緒させてもら」
そんな隙をついて元春が鳴滝姉妹に話しかけた時、彼の動きが急に止まる。風香と史香が首を傾げると、その原因は二人の後ろにいた。
「私のクラスメイトは人気者が多いらしいな。先程から声をよく掛けられる」
真名が現れたことで元春の表情が引き攣った。サングラスをかけているのでその変化を感じ取るのは難しいが、気付いている真名は笑みを浮かべている。
「どうした土御門?」
「すまんカミやん、急な尿意が俺を襲ってきた。この場は任せる」
「へ?あっ、おい!」
当麻達を置いてきぼりにして元春は全力でその場から走り去った。突然のことに一人を除いて全員が疑問を浮かべる。
「どないしたんや土御門」
「わからん」
「真名、もしかしてグラサンと知り合い?」
「いや、初めて見る顔だったな」
大盛況のまま幕を下ろしたナイトメア・サーカスの公演。観客がクリスマスパーティーの会場へと流れていく列から外れた場所に祐と千雨はいた。木製のベンチに腰を下ろし、周囲の人混みが落ち着くのを待っている。
「いやぁ凄かった…あの光景が脳裏に焼き付いてるよ」
「投げキッスがか?」
「無論それも焼き付いてる」
「単純な奴」
興奮冷めやらぬといった祐の様子に少し笑う。千雨としても公演の内容は大満足であった。散々悩んだが、こうして見にきて良かったと心から思える程に。
「長谷川さんはどうだった?」
「それなりに楽しめたよ」
「そりゃ良かった。伝えてあげたらザジさんもきっと喜ぶよ」
「考えとく」
正直気恥ずかしいので言える自信がない。それでも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたザジに、労いの言葉一つくらいは掛けるべきなのだろう。その瞬間が来たらその時なんとかしようと、未来の自分に丸投げするという逃げ方をした。
「そういやお前、これからどうすんだ?パーティーの方にも参加するんだろ?」
「うん、この後クラスメイトと合流することになってるんだ。既に充分楽しませてもらったけど、俺の夜はこれからだぜ」
「羽目外しすぎんなよ」
「まぁ、そこら辺は任せといてくれ」
「不安しかねぇ…」
「熱い信用を感じるな。ん?ちょっと失礼」
日頃の行いから千雨が不安に思うのも当然であった。すると祐はスマートフォンを手に取って操作を始める。恐らく友人から連絡がきたのだろう。千雨は視線を人の波へと移す。楽しそうな様子の生徒達が見えた。
「長谷川さんもありがとね」
「は?何がだよ」
祐が何に対して礼を言ったのかまるで分からない。その感情を込めた目で祐を見れば、彼はスマートフォンをしまいながら笑みを浮かべていた。
「心強かったよ。会場もデカかったし、サーカス見るのも初めてだったからさ、隣にいてくれて安心できた」
「……」
そんなもの、こっちの台詞だ。入場口前で燻っていた時に背中を押してくれたのはそっちじゃないか。会場に入った時も隣に祐がいたから緊張せずにいられた。しかし祐の方は一人でも問題なかっただろう。
「お前は私がいなくたって楽しく見れたろ」
「楽しく見れたのはそうだろうね。でも長谷川さんがいてくれて良かったってのは本気で思ってる。こうして見終わってすぐの感想も言い合えたし」
「気持ちや思い出を共有できる人ってのは貴重でありがたいもんさ、俺にとってはね」
やっぱり、お前大したもんだよ。千雨は心の中で呟いた。本当は自分がお礼を言わなければならない。声を掛けてくれて、一緒に見てくれてありがとうと。でも無理だ、そんな度胸はない。今だって、恥ずかしくて目も合わせられないのだから。自分のことながらなんとも情けない話である。
「なぁ、逢襍佗」
「なんでしょう?」
「なんでそんなふうに思ったこと、素直に言えるんだ?」
祐の視線がこちらに向けられているを感じる。それでも千雨は移動する人々を見つめ続けていた。
「いくらでもあるんだ、思ってることは私にも。でも思ってることがいいことだろうとなかろうと口には出さない、出せない。変な風に受け取られたくないからって、ビビって言えねぇんだよ」
「伝えた方がいいことも、いくらでもあるのにさ」
感謝の言葉や褒める言葉も、言われて悪い気などしない。一般的にはそうだろう。だが言う相手、伝える相手次第でそれはきっと変わる筈だ。自分なんかが言っても仕方ないと考えてしまえば、もう口は動かない。
沈黙は金だ。さすれば大きな成功はなくとも大きな失敗もない。波風の立たない人生、それは千雨にとって望ましい生き方である。その筈なのだが、祐を見ているとどうしても羨ましく思えてしまう。こんなふうに、自分も思ったことを素直に伝えられればと。
「相手がどう思うかってのを想像することはできても、所詮それは自分の想像でしかないからね。心配になる気持ちは俺も分かるつもり」
「けどお前はちゃんと言えてる。私とは違って」
どこか拗ねるような表情で祐を見た。先の発言が同情のような気がして、理不尽だとは思いつつも嫉妬の気持ちを抱いてしまう。しかしそんな表情を向けられても、祐は普段通りだった。
「次伝える機会がないかもしれないからね」
余りにも自然に答えるので千雨は一瞬固まった。ただ祐の様子から見るに、ふざけて言っているわけでもなさそうだ。
「…どういうこったよ、そりゃ」
「今回はやめとこうとか、次の機会にしようって考えはなるべくしないようにしてる。その次がくる確証なんかないから」
「人間、何が起こるか分からないもんでさ。ついさっきまで楽しく話してた相手でも、それが最後の思い出になる可能性はあって。勿論そうならない可能性の方が圧倒的に高いよ?だけど、どれだけ可能性が低くたってゼロじゃない」
「……」
その通りだとは思うが、だからと言って常にそう考えて動けるかと聞かれれば千雨の答えは否だ。いつ自分が、延いては自分の知る相手が死ぬかなど誰にも分からない。何があってもおかしくはないと誰もが知っていても、本気で今日死ぬかもしれないと思って生活している人はどれだけいるだろうか。命、そして生と死。言葉で分かったふりはできても、真の意味で理解している者など稀だ。
「お前、本気でそう考えてんのか?」
「前にも言ったけど、俺は重度のマイナス思考なんでね。自信を持って…いや、自信を持って言えることじゃないけど…いつだって最悪な展開が頭を過ぎる」
「こうやって楽しく話せるのも、楽しく過ごせるのもこれで最後かもって。誰よりも怯えてるから、思ったことが言えるんだろうね」
「言っときゃ良かったって、伝えときゃ良かったって後悔を味わうくらいならって感じかな」
そう思う出来事があったのかと、そんなことは聞かない。もしあった場合、千雨はなんと言えばいいか分からないからだ。そしてそれは祐と虹の光の関係に対しても同じである。どんなことも受け止める強い覚悟があるわけでもない自分には深掘りはできない領域だった。
「…悪い、変なこと聞いた」
「全然、逆にだらだらとしょうもない自分語りして申し訳ない」
「んなこと思ってねぇよ」
「なら良かったよ。気を付けないとつまんない話続けちゃうから俺」
本当、マイナス思考だよお前。ただそんな卑下するな、なんて口が裂けても言えないな。よく分かるよ逢襍佗、あんまり認めたくないけど…お前私に似てるとこあるわ。似てないとこの方が多いけどな。
考え過ぎちまうんだよな、余計なことまでさ。聞くやつによっては無駄な心配だって笑われる、そんなことを。でもさ、思っちまったことはどうしようもないじゃないか。思った時点で考えないようにしようだなんて出来ないんだから。
前向きに考えるってのは、めちゃくちゃ難しいよな。
「お前さ、自分の性格どう思う?」
「一言で言うなら、めんどくさいかな」
「まぁ、それで合ってるだろうな」
「自他共に認めるってやつか」
そう言って祐は笑った。千雨は横目で祐の表情を確認し、視線を正面へ戻す。人の流れは、少しずつ落ち着き始めていた。賑やかな声も徐々に遠ざかっていく。
「私もおんなじだ。私も…めんどくさい性格だからな」
正面を見ている千雨には今祐がどんな表情なのか分からない。どんな顔をしているだろうか。驚いているのか、それとも笑っているのか、はたまた別のものかもしれない。気になるが視線を移すことはしなかった。
今の一言は千雨にとって祐へ歩み寄ったものだ。自分が滅多にすることはない、そもそもしたことがあるかもよく分からない非常に珍しい行動。今になって自覚すると、とてつもない恥ずかしさが込み上げてきた。
寒いと思っていた気温も今では足りない、もっと強く風を吹かせてほしい。でないと赤くなっているかもしれない顔がばれてしまう。可能な限り祐に顔を見られないようにと、千雨は苦し紛れに頬杖をついた。
「じゃあ…俺達もしかしたら仲良くなれるかもしれないって、思ってもいい?」
「…知らね」
今だけは見なくても分かる、きっと祐は笑っているだろう。いよいよ千雨は祐から顔を背けた。掌が触れる自分の頬から熱が伝わってくる。出来ることなら毛布にくるまりたい気分だ。
「この後合流するんだろ、早く行けよ」
「確かに、そろそろ行った方がいいね」
特に反抗することもなく祐は素直に立ち上がった。こんなぶっきらぼうな物言いにも彼は嫌な反応一つしない。寧ろ楽しそうにさえ感じる。こういったところは自分と似ても似つかないし、理解できそうにない。
「そんじゃ俺はこれで」
「ああ」
今尚顔は背けたまま、千雨は手をひらひらと振って祐を送った。祐の足音が聞こえる。そして音は自分から遠ざかっていく。無意識にその足音に耳をすませていた。
「長谷川さん」
名前を呼ばれ、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いたこともあって千雨は声の聞こえた方を向く。ここにきてやっと、二人が真っ直ぐに見つめ合った。
「メリークリスマス。んでこの後、貴女の元に天使が現れるでしょう」
「は?」
突拍子もない発言に心からの声が出る。頭がおかしくなったのかと疑われても仕方がないものだが、祐の表情は自信に満ち溢れていた。
「試しにその天使へ思ったことを伝えてみましょう。必ず貴女の気持ちは伝わる筈です」
「お前、さっきから何言って」
「貴女の声を聴きたいと思ってる人はいますよ。だから全部を捨てたりしないで、ちょっとだけでいいから届けてあげてほしい。せっかく貴女の中に生まれたものなんだから」
意味が分からないことに変わりはない。それでも千雨は祐の話を遮る気にも、聞き流す気にもなれなかった。彼は間違いなく、自分に何かを伝えようとしている。それだけは分かっていた。
「騙されたと思って、ね。じゃあまた」
祐はどこか急いだ様子で離れていく。唖然としたまま千雨だけがその場に取り残された。
「何なんだ…?」
締まりの悪い別れに千雨が戸惑っていると別の足音が聞こえる。近づく気配に千雨は視線を移した。そしてやって来たのは小走りでこちらに向かっていたザジである。
「ザジ?」
「どうも長谷川さん、先程はご観覧いただきありがとうございました」
「い、いえ…こちらこそ」
お辞儀をされ、慌ててこちらもお辞儀を返す。改めて見ると彼女は麻帆良学園の制服を着用していた。急いで着替えたのだろうか。そんなことを考えていると頭を上げたザジは周囲を見回す。
「逢襍佗さんは、もう移動されましたか?」
「ああ、ついさっきだけど」
「そうでしたか。では残念ですが、彼に感謝を伝えるのはまたの機会としましょう」
今目の前にいるのがステージ上にて観客を沸かせた人物とは思えない程、ザジは普段通りの様子だ。サーカス中はどこか遠い人に感じられた彼女の変わらぬ雰囲気に、無意識の内だが安心している千雨であった。
(ん?さっきあいつ、天使が現れるとか言ってたよな)
『来たっ、我らの天使』
(…ザジのことか)
祐の発言を思い出して千雨は呆れた顔をしたと同時、直前に聞いた彼の言葉も想起する。
『試しにその天使へ思ったことを伝えてみましょう。必ず貴女の気持ちは伝わる筈です』
もう周りに人はいない。ここに居るのは千雨とザジだけだ。もしも祐が急いで離れた理由がこの状況を作る為ならば、なんとも小癪な真似をする。今度会った時には詰めることにしよう決めた。
「……」
「長谷川さん、どうかしましたか?」
「あ〜その、なんつうかな…」
お膳立てされているようで気に食わないところもあるが、こうでもされないと踏ん切りがつかないのもまた事実。絶好の機会とはこのことだ。
「え〜っと」
先程に勝るとも劣らない気恥ずかしさから頬が赤みを帯びていく。普段ならこの時点に差し掛かる前に諦めている。しかしそうしないのは、散々背中を押されたからだ。それも祐の術中にはまっているような気がして癪ではある。だがここでいつものようにするのはもっと気に入らなかった。
ここまで来たなら死なば諸共だ。失敗したらもう二度とあいつの言うことは聞かないし全部あいつのせいにしようと決めて、千雨はようやく口を開いた。
「サーカス、すげぇ楽しかった。今日はよっ、呼んでくれてありがとう」
言った、言ってやった。詰まってしまったところはあったが気にしない。傍から見ればどうということもない感想だろう。それでも千雨にとっては一世一代の勇気を振り絞ったものだ。視線を逸らしているがそこも大目に見てほしい。心臓がうるさいくらい高鳴っているし、真冬なのに額には汗が滲んでいた。格好つかないとは自分でも分かっている。
緊張から僅かに震えていた手を握られた。そうしたのはザジで、千雨の視線は自然と吸い寄せられる。すると流れる動作で彼女は千雨の手の甲にキスをした。一瞬頭が真っ白になるがすぐに我に返る。
「なっ!ばっ!何してんだよ急に⁉︎」
「今できる精一杯の敬愛の念を見せようかと」
「敬愛ってお前!」
半ば錯乱状態の千雨だったが、ザジの顔を見て目を奪われる。彼女は微笑んでいた。数は少ないが見たことはある。それでもこうして自分に向けられたのは初めてな気がした。優しく、温かさを感じるような笑顔にサーカス時よりも魅了される。
「ありがとう長谷川さん。今日貴女が来てくれて、私はとても嬉しかった」
微笑みながら伝えられるザジの言葉に、何故か自分が泣きそうになっていると気付く。空気に飲まれ過ぎたか、冷静になれと自分に念じた。すると今度は両手で右手を包まれる。ザジは屈んで千雨と目線を合わせた。
「申し訳ありませんが、一つお願いがあります」
「えっ、お願い?」
「はい。実は連日の頑張りと今日の公演成功を受けて、特別に会場の片付け免除で自由時間を他の団員さんから頂きました」
「ですので長谷川さん、宜しければ私と一緒に少しクリスマスパーティーを見て回りませんか?」
これまた驚かされた。よもやこのタイミングでパーティーに誘われるとは。いつもであれば即お断りするところだが、こうも場が出来上がっている状態で且つザジに直接お願いされるとその気は不思議と起きなかった。
「…私と一緒でいいのかよ?」
「一緒がいいです」
「うっ…」
なんの迷いもなく即答されてたじろぐ。もしかするとザジは魔性の女かもしれないと危機感を覚えた。ただ同時にネットアイドルとして、こういったところは見習わなければならないかもしれないとも考える。
返答を待つザジを一見し、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳から目線を逸らして後頭部を掻いた。やはり、見つめ合うのは苦手だ。
「あんまり人が多過ぎるとこはごめんだからな」
麻帆良学園都市と外の街を繋ぐ大橋に青白い髪の少女が立っていた。距離はそれなりにあるのだが、ここらかでもクリスマスパーティーの賑やかな音が微かに聞こえてくる。少女は時折背伸びをしながら、街の方向を興味深そうに見つめていた。
「やっぱり結界が張ってある。う〜ん…中に入れたら面白そうなんだけど、無理矢理入ったらすぐばれちゃうよね」
独り言を呟く少女の後ろから足音が聞こえる。振り返ってみると、そこには自分の倍以上の身長を持つ男が近づいてきていた。
(もう嗅ぎつけたのかな)
服装から男の役職に当たりをつけ、表情には出さないが動きに注視する。戦闘になってもいいが、できれば騒ぎを起こすのはもっと人が多いところにしたい。せっかくここまで地道に準備を進めてきたのだから、催し物は盛大に行いたいのだ。
「このような場所、そして時刻に一人とは何か困り事かな?」
「おじさん誰?」
「これは失礼した。私は町外れにある教会で神父をしている者だ」
聞かれた神父は素直に答えた。彼を暫く観察し、少女は理解する。この男はこちら側だ。隠しきれない歪みと彼に纏わりつく黒いものは少女の目にはっきりと映っている。様々な形の人間を見てきたが、こうも歪な人間はそういないだろう。本当に人間とは愉快だ。
「ふ〜ん、神父さんか。それにしては、今まで随分楽しそうなことしてきたみたいだね」
少女にそう言われ、取り繕うこともなく冷たく笑う。どうやらこの少女で間違いなさそうである。方便に従ってわざわざ来た甲斐があった。久方ぶりに胸が躍る。今この時も期待は膨らむばかりだ。
「何分愉快なことに目がないものでね」
「そっか、じゃあそんなおじさんに朗報だよ。実は僕、これからとっても面白いことする為にここに来たの。でも、今ちょっと困っててね」
腕を後ろで組み、可愛らしい仕草で近寄る少女。しかし浮かべるその笑みは、見た目からは想像できない邪悪さがあった。
「だから、すこーし、手伝ってくれないかな?」
「勿論だとも」
返答に迷う筈もない。ここから事態がどう転がろうと、今宵は例年と比にならない程楽しめそうだ。言峰綺礼はそう確信していた。
「僕はマレフィ。よろしくね、悪い神父さん」