ひね様さま、ご報告ありがとうございます!
「短い間でしたが、お世話になりました……この御恩は、決して忘れませんわ」
来るべき亡命の日。家族を代表して礼を述べるアストライアに、キシリアは「良いの良いの」と軽く笑う。
「どうせザビ家の皆だって、自分達で国が回せるから当分いない方が良いとか思ってそうだし」
「まぁ!」
冗談に取られたのだろう。くすくすと笑うアストライアに対して、他のザビ家の面々は顔を顰めつつこめかみを軽く揉み解していた。
「……アストライア様。不肖の娘がこのように申しましたが、誓って我々は……」
「承知しておりますわ、副議長閣下。それとも、新首相閣下とお呼びすべきでしょうか?」
まだそのような立場には置かれていないものの、国民の誰もがそれを望んでいることを知って微笑むアストライアに、デギンは「まだそのような立場ではございませんよ」と微笑んだ。
「ご子息は……政界の道を?」
「……そう、望まれることでしょうね。ですが……」
この短い間、アストライアは余りにも多く政界の闇を、そして人の欲望というものの恐ろしさに触れてきてしまった。かつては夫と共に理想を掲げ、最も近い場所に立ち、自分達にも親愛の念を寄せてくれたジンバは罪を認め投獄され、ローゼルシアもまたダイクンの遺児欲しさに、裏では地球連邦と手を結んでいた。
「……どうか、我が儘をお許しください。私はこの子達をこのような世界に引き摺り込みたくはないのです。ダイクン家の支持が必要とあらば、然るべき時に何時でも表明致します! ですから、ですからどうか、この子達には……」
真っ当な暮らしを、温かな世界を子供たちに与えて欲しいという。微笑みながら影で裏切り、握手した手に毒と短刀を握るような世界には関わりたくないと涙するアストライアに、デギンは粛々と頷いた。
「私もまた一人の父。子を想うお気持ちは、痛いほどに判ります。不肖の娘と末子を除けば全て官職に就くこととなりましたが、それでも時代が違えばと思ったことは数知れません」
そして、デギン・ソド・ザビは膝を突き、子供の視点へと合わせた。誰もが後継者と目して憚らない長男、キャスバルの青い瞳を真っすぐに見つめる。
「キャスバル様──貴方にとっても、お辛い時間であったことでしょう。邸で不自由をおかけした以上に、多くの見たくないものを見てしまわれたことでしょう」
裏切りと憎しみ、謀略と暴力。地獄の窯から立ち昇る腐臭だけで、眩暈がするような時間だったことだろう。
「……はい。でも、僕はダイクンの子です。だから、だから一つだけ聞かせてください。本当に悪かったのは、誰だったんですか?」
直接殺めたというジンバ・ラルとその一派か? それらを陰で操った地球連邦政府なのか? 怒りを、憎しみをぶつけられる相手を教えて欲しいと願うキャスバルに、デギンは小さく頭を振った。
「誰かを憎むなど間違いです──政治とは、誰もが悪くなる場所なのです」
護るべきものの為、正しいと信じるものの為に策を巡らし、知恵を絞り、時として暴力さえ行使する蟲毒の壺。それこそが政界という場所の本質なのだ。
「キャスバル様達を御守りした当家やヨーク家とて、世界の盟主たる地位を確固としたい地球連邦政府にすれば、自分たちを脅かす悪なのです。そして我々は、ムンゾの為ならばどのようなことでもする家なのです。正しい相手さえ憎み、悪と見做し、突き落とす世界が政治なのです」
だからこそ、
歴史を、時代を担わなくてはならないということは、こういう未来を歩むことになるのだと。真の政治家の口から出た言葉は何処までも重く正しく、そして残酷な真実だった。
「誰かを恨んだところで、得るものは一つとしてないのです。幸福でありたいのであれば、お忘れなさい。母上と妹君を御守りしたいのならば、全てを忘れ過ごすのです」
自分がダイクンの子であることも。ラル家への憎しみや、ザビ家に守られたということさえ忘れてしまえとデギンは忠告する。
「国も未来も、守ろうとする者に守らせれば良いのです。アストライア様やアルテイシア様の方が大事ならば、或いは将来、妻となる方を大事と思うなら、そうした身近な愛する方を御守りするべきなのです……大義や使命など、本来は強要されるべきものではないのですから」
僅かに俯き、奥歯を嚙み締めたキャスバル。年若くとも、やはりダイクンの子なのだと思わせるその利発さに、ポンポンとキシリアが頭を叩いた。
「アンタね、色々真面目過ぎんのよ。子供なんだから子供らしくしてりゃ良いし、どうしても許せないってんなら、やりたくなった時に政治家やって目にもの見せてやりゃ良いのよ。コネ持ってるんだから!」
その言い方はどうなのかと思うし、そもそも政治家など碌なものではないという話だったのだが、キシリアはお構いなしである。
「ただ、ね。それでも私、アンタ政治家とか絶対向いてないと思うわよ? ゲームしてる時もそうだったけど、頭良い癖に器用な性格してないし、立派なようで構ってちゃんだし、アイドルかモデルでもやってなさいよって思ったもん。政治家って性格ひん曲がってるのばっかだから、アンタの性格じゃ絶対面倒になって投げ出したくなるわね間違いなく」
「……その、はっきりと言うのですね」
「言わなきゃ分かんないし、気持ちだって伝わんないでしょ? 良いから父上の言う通り一旦全部忘れときなさいって。恋して笑って好きなことして楽しむのが人生の醍醐味ってもんでしょうに、今から責任だの将来だの考えてどうすんのよ」
「お前はもう少し責任や将来について思考を巡らせるべきだがな」
「え!? それはつまり、ギレン兄上はイワン様と私が今からそういうことしてお世継ぎを残すことを望んでるということですか!? 確かに婚約者としては将来とか大切ですし、体も育ってきましたけど少し早くないですか!?」
もういい、黙れとギレンは目元を揉む。そんな兄妹を見て毒気が抜かれたのか、キャスバルは笑って頷いた。
「そうですね。確かに、僕はまだ子供です……だけど」
そこで、真っすぐにキャスバルはキシリアを見つめて言う。今日という日まで、ずっと自分や
不安で、先なんて見えなくて、父親を殺した誰かを考えて、暗い気持ちを抱いてしまいそうになった時、日向のような笑顔で、それを忘れさせてくれた年上の女の子を。
「──ザビ家での時間は、忘れたくないです。キシリア様、僕は……貴女を」
「はいストップ。ねぇ? どうしてそうなるの? 確かに一杯ガルマと一緒に遊んで上げたわよ? でもダメでしょ? 包容力ある幼い女の子がそんなに魅力的に映っちゃうの?
今は私を年上に見てるんでしょうけど、大人になったら絶対その拗らせた性癖が変な方に向くわよ間違いなく」
これ以上ないほど酷い振り方であった。幾らなんでもこれはない。あんまりじゃなかろうかとザビ家一同は思う。泣いてるぞキャスバルが。
「いや、だって不味いでしょ? 私イワン様の婚約者なんですけど? 何、皆は二股とかして欲しいの? そんなにダイクンの血が欲しいの? 確かに小さい男の子はそれはそれで悪く……ああ、ごめん。流石に小児性愛者の
「キャスバル様、
全くだとザビ家の面々は皆大いにデギンに対し頷いていた。
「うーん、これは家族から熱愛ぶりを見られていると、好意的に解釈すべきかしら?」
「……ま、前向きなお方ですのね」
これにはアストライアも苦笑いである。同時に、息子が失恋してくれて良かったとも思った。いやまぁ悪い子ではないと思うが、色々と息子と合いそうにない組み合わせだとは分かった。失恋の傷は時間と共に癒して貰うべきだろうし、これならザビ家のこともすんなり忘れてくれそうである。
……酷い忘れ方もあったものだが。
「まぁ、お別れはちょっと寂しいけど生きてたら出会いも別れもあるしね。これからは普通の友達とか作って楽しくやりなさいな。それから、元気で居なさい──ずっとね」
「はい──キシリア様も、お元気で」
◇
「良い子たちだったなぁ。アルテイシアは大人しかったけど、きっと将来は気立てがよくて凛とした子になってくれるだろうし、キャスバルもカッコよくなるわね、間違いなく。性癖はもう取り返しがつかなそうだけど」
最後が余計だったなとイワンはことの顛末を聞きつつ、二人きりの書斎でキシリアに紅茶を淹れた。普段はキシリアが気が向けば淹れてくれるのだが、今日はイワンがしたくなったのだ。
「ん……ありがと」
味も温度も問題ないが、それ以上に気遣いが身に染みたのだろう。一口含めば、微かな寂しさも温かさで和らいだ気がしたが、それも僅かな時間のことだった。
「物憂げな様子だな」
何かあったのなら言って欲しいと、そう労わるようにかけた言葉に、キシリアは静かに零す。
「ここからさ、どんな風に変わっていくのかなって」
「含意が広すぎるが……ムンゾのことを言っていると考えていいのかな? それともザビ家やヨーク家のことかな?」
全部よ、とキシリアはカップに視線を落とす。
「ザビ家も、ヨーク家も、キャスバル達もムンゾも……きっと、何もかもが思いがけない方向に変わって行っちゃうんだろうなって」
「そうだな……しかし、悪い方向にはならないだろう」
本来、キャスバルとアルテイシアは、ローゼルシアによって軟禁された
ローゼルシアだけは正史と異なりイワンの手にかかったが、死後没収された資産によって国庫が潤っただけでなく、邪魔者が物理的に消えたことでザビ家を阻むものは連邦を除き、完全に消え去ったと見ていいだろう。
「ザビ家は歴史に責任を負い、ヨーク家は常にザビ家と共にある。キャスバル様達はおそらく政界には加わらないだろうが、健やかな人生を歩まれる筈だ」
そして、祖国ムンゾはここから大きく前進する。
「今や基盤は整えられた。忍従の時は長く、これからも緊張感ある外交は続くだろうが、それでも我々は新しい秩序を築くことが可能になった」
ダイクンの時代では、出来なかったことは多くある。かの思想家の理念が中心であったが為に議会は無駄が多く、精神論が幅を利かせてしまっていたが、これからは現実に根差した制度こそを追及せねばならない。
大規模な移民の呼びかけに各種事業の推進──コロニー間の相互依存による、地球連邦に依らぬブロック経済の確立等、挙げれば切りがないほどだ。
国も民も豊かであらねばならない。そして、その豊かさを武器として、やがては連邦に真の独立を勝ち得るだけの軍事力を保持することこそ肝要だろう。
「戦うの? 連邦と」
「来るべき日に」
「勝てるの? あんな大きな相手に」
「
イワン・ターザ・A・ヨークの言葉に込められた絶対の自信。ギレン・ザビさえも安堵し得る確信に対し、キシリアはやはり俯いたままだ。
「
ずっと、一度として間違えて来なかったし、これからもきっと間違えない。まるで、そう、正解を知っているように。
「だけど……駄目なの。
「キシリア? ……君は、何を」
「お願い、今は聞いて!」
おふざけの類では決してない。飲み干したカップを置いて立ち上がり、イワンに詰め寄る彼女の表情は、何処までも切実で泣き出しそうだった。
「本当なら、私がすべきだった! でも……私はどうしても無理で、頭も力も足りなかった……けれど、イワン。貴方が私の代わりに、私以上に色んなことをしてくれた! ええ、きっとこの方が
この国もザビ家も、貴方が間違えない限りきっと……だけど……それは素敵だけど、
今ならまだ取り返しはつく。ザビ家の皆には言えないが、貴方ならとキシリアは言う。
「お願い──協力して! 貴方ならできる、きっと上手く■■を……?」
「キシリアッ!?」
ぐら、と体が傾く。視点が定まらず、意識が遠ざかるのを感じてしまう。
“駄目、まだ……このままじゃ……伝えなきゃ、歴史をって”
歯を食いしばる。体を支えてくれている婚約者を見つめ、這う這うの体で力を振り絞る。
「イワ……お願い、じゃなきゃ……貴方……」
言葉は続かない、静かに、まるで糸の切れた人形のように、キシリア・ザビは崩れ止まる。
──そして彼女は、目覚めなかった。
どんな世界でもキャスバル坊やの性格はロリマザコンに歪んでまう模様……どうして?
それはさておき今回は短いですがここまで。
次回はOLキシリア様の回で、原作ラノベと色々違うとこの説明を前半でします(予定)