宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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※2022/4/12誤字修正。
 ふふふさま、ご報告ありがとうございます!


10 ジオンの旗の下に

「一体どういうつもり?」

 

 体に感じた浮遊感も、おぼつかない足元も、得体の知れないこの場所も二度目だが、流石に拉致される直前で気付けば覚悟も決まる。

 

「必要だから連れてきたまでだ」

 

 高圧的に響く声。男とも女とも、老人とも若者とも取れる……というより判断できない特殊な音にキシリア……否、キシリアに転生した女性の魂は憮然とした表情を隠しもしない。

 

「歴史を正せ、修正しろ。それがそっちの望みだったんじゃないの?」

「ああ、だがそれは前任者の望みであって私ではない」

「は?」

 

 どういうこと? と首を傾げれば、言った通りだとすげなく返される。

 

「前任者は自分を全知全能だとでも宣ったのだろうが、であれば事態の収拾など必要なかろう? 君らからすれば我々は上位者に他ならんが神ではないし、個でなく集団によって生きる以上思惑もそれぞれ異なる」

「……何が言いたいのよ?」

 

 堪え性がないとは自覚しているが、それでもあんな形でイワンと引き離されてしまったのは納得が行かない。状況が変わったというなら対応するから、手早くしてくれというのが彼女の本音だった。

 

「歴史の修正などと言えば聞こえはいいが、要は道筋をなぞるだけの行為であり、我々にとってはサボタージュにも等しい」

 

 上位者たちがすべきことは人という種を保ち、可能であればより良い未来に誘導することにある。その点で言えば、滅亡を避け得る未来に到達するという意味で、先例たる歴史を辿るというのは最も手っ取り早い手段だろう。

 

「ああ、そういう……」

 

 どうりで富野信者で原理主義者なガノタ女が選ばれる筈である。原作通りの流れにすることでノルマをこなしたいのなら、自分は適任だった筈なのだろう。

 尤も、彼女の代わりにイワンがキシリアのポジションを務めたことからも結果はお察しだ。元OLの一般人が国政を担ったり大規模な組織運営などできる筈もなければ、そもそも学力自体足りていない。未来知識を武器に誘導しようにも、デギンやギレンからは子供の妄想扱いで笑われる始末であった。

 だが……時が経つにつれ、イワンに任せきりにしてしまったことを後悔するようにもなった。歴史を正すということは、修正するということは、本来そこにいない筈だったイワンを殺めなくてはならないということ。

 そして、それを実行しようとするには、余りにイワンとの関係が深くなり過ぎてしまった。

 キシリアとしての自分に物心つく前から傍に居てくれて、常に真摯に向き合い、どんなに仕事が忙しくても、キシリアを想って幸せな時間を作ってくれたイワンをこの手で殺めるか。

 或いは本来のキシリアが辿ったように、最終決戦でシャア・アズナブルを名乗るキャスバルの手にかかることなど、最早論外とさえ言って良かったから。

 

「勿論用意された道筋を辿ることで大団円に至るならばそれで良いが、君が送られた世界はそうではない」

 

 何十億もの人命が一瞬で奪われ、血塗られた戦争が果て無く続いた到達点は、∀ガンダム(リセットボタン)起動して(おして)積み上げた文明を崩しては、延々と過ちの歴史を繰り返す狂った世界だ。

 上位者とやらが語る、より良い未来には程遠いことだろう。

 

「故に、前任者はこの担当から追放させて貰った。君に分かり易く言えば、仕事熱心な社員が怠け者に代わって、プロジェクトを引き継いだと思ってくれればいい」

 

 そして、この上位者が最初に行ったのはキシリアやイワンに動いて貰うことでなく、宇宙世紀に生きる人間を誘導することだったという。

 

「あれ? それなら別に私要らなくない?」

「その件については、順番に話してやるので脇に置け。

 まず私は資産家であるヨーク家とデギンを繋いだ。莫大な資産を持ったパトロンは何かと都合が良い上、この世界で生まれない筈だったサスロも生まれてくれた。

 その後は本来子宝に恵まれず、死産する筈だったヨーク家の世継ぎ、イワンに君と同じく日本人の魂を入れた」

「え!? あれオリジナルキャラとかじゃなくて中身日本人なの!?」

 

 これには彼女もびっくりである。行動力といい頭脳と言い、明らかに一般人の範疇から逸脱していると思うのだが、上位者は「相応しい人間を選んだまでだ」と告げる。

 

「一代で巨万の富を築いた大企業の社長がディープな野球ファンであったり、ブラックジャックの愛読者が医者を志すことなど珍しい話でもないだろう?」

 

 趣味嗜好と能力は別物で、人間など彼女の世界だけでも七〇億居るのだから、適任の一人ぐらいはすぐ見つかる。

 

「とはいえ、彼には前任者が君にしたような説明は一切しなかったが」

「うわぁ……」

 

 自分自身の頭脳で考え、行動してこそ真価を発揮してくれるからだと言うが、突き落とすのが千尋の谷どころか地獄の三丁目レベルの容赦のなさだ。

 ガノタ女で頭のネジがある程度飛んだ彼女はともかく、普通のメンタルなら一年戦争が勃発する時代など絶望ものなのは間違いない。

 

「そして君は知る由もなかったろうが、君の魂はキシリアという器に入れる前に回収させて貰った。君の生まれがずれた原因はここだな」

「それでTHE ORIGINのザビ家から一人だけTV版が生まれちゃった訳ね」

 

 というか、前任者は富野信者を安彦世界にぶち込むとか、助走をつけて殴るレベルの蛮行を犯してくれやがったのは本気で許されざるやらかしではなかろうか?

 いや、安彦世界は安彦世界で好きだ。アンチではない。単にTV版が至高というだけだ。機動武闘伝Gガンダムだって愛している。

 

「いや? ザビ家の、というより、この世界の歴史が変わったのは私が時間を操作して干渉したからだな。本来の世界線は君が望んだそれに近しかったが、ヨーク家を介入させねばサスロが生まれなかったので使った禁じ手だ。

 下手をすれば世界そのものがゼロスタートとなるし、私自身のリスクも大きいのでまずやらんが、それが理由で本来は一三のキシリアの精神を潰して君の魂をねじ込む予定が、サスロに代わり死産する予定だった胎児(キシリア)に魂を注ぐことになった訳だ」

「キシリア様をなんだと思ってんのよ!?」

 

 より良き未来と言いながら、人命や人としての尊厳など全く考慮していなかった。どうやら上位者からすれば、人間個人でなく種族全体のコントロールの方が重要らしい。

 いやまぁ、人間だってアリの巣を観察する際に一匹一匹に愛着を持っている奴は殆どいないし、巣全体の把握に務めるから似たようなものかもしれないが。

 

「騒ぐな。そもそも前任者はこの世界を創作物のそれだと語ったのだろうが、正しくは人の持つ可能性の一つに過ぎん。幾つもの選択肢が分岐した結果、お前の愛した作品と近しい世界であったというだけであって、この世界はフィクションでなく現実だ」

 

 だから誰が生まれようと生まれまいと、それは数ある選択肢の一つだったというだけで、定められているものではない。勿論、世界に有用であるならばコントロールはするが。

 

「何よりサスロは優秀であるし、今後も重宝する。尤も、サスロに代ってキシリアが生まれなくなったが、初期段階でヨーク家の嫡子がキシリアの仕事を担うことは決定事項だった。

 お前はキシリアという存在が死産せず生まれて貰うために確保していたというのもあるし、ザビ家一党が互いに衝突しないためのマスコットとしても役立った」

「つまりは原作のガルマ様のポジションよね、能力ある癖に仲が悪い家族の緩衝材兼潤滑油と。イワン様もギレン様や皆と仲良いけど」

「そうだ。ありとあらゆる点で、お前の役割は代替品であることだった」

 

 居らずとも大きな問題は発生しないが、居てくれれば何かと便利で役に立つ。たとえ実務はからきしだとしても、陰謀渦巻く世界の中でその純粋さが大きな拠り所となっていたのは確かなのだ。

 

「じゃあ、何? ザビ家の権力基盤が整った以上、私はお払い箱ってこと? それとも知らずに余計な事口にしちゃったから、釘を刺しに連れて来たとか?」

「まさか」

 

 むしろここからが重要であり、連れて来たことにも確かな意味はあるという。

 

「キシリア・ザビとしてのお前は皆から愛された。特に、イワンにはな」

 

 イワン・ヨークは嘆き悲しみ、キシリアとの最後の会話を心に刻み、苦しみながらも進み続けてくれることだろう。

 

「その果てに──彼は人類の為に進み続けてくれる筈だからな」

 

 

     ◆

 

 

 意識を失ったキシリアは直ちに首都(バンチ)の大学病院に救急搬送され、徹底的かつ速やかに検査を受けた。

 しかし……結果は原因不明。あらゆる症状と照らし合わせても原因は掴めず、しかしゆっくりと、確実に衰弱していっているという。

 

 何故、どうしてこんなことになったのか。ザビ家の誰もが目を覆い、苦悶に表情を歪める中、デギンは静かに漏らした。

 

「……報いか」

「父上!」

 

 何を愚かなとギレンが異を唱える。確かに血は流れ、多くを陥れたかもしれない。しかしそれは私利私欲によってでなく、ムンゾの未来の為であり、政治家として必要なことであった筈ではないか!?

 

「ムンゾ国民一億の為、我らは行動したのですぞ! 第一、その発言はイワンを……イワン、何処へ行く!?」

「原因が不明ならば、やれることをやるまでです……幸い、心当たりがあります」

 

 冷凍睡眠……肉体を凍結させ、代謝を停止させることで生き永らえさせることを可能とする技術は宇宙世紀にあっても完成の域に達したとは言い難く、ましてやこの時代では被験者は半ばモルモットの扱いを受けているが、死を待つぐらいならばどのような技術であっても求めるべきだ。

 

「ビスト財団──彼らが研究機関ごと、この技術を買い取っていた筈です」

 

 

     ◇

 

 

「確か、最後にお会いしたのは半年ほど前であったかな?」

「はい、父上とコロニー公社主催の社交界の折に」

 

 応接間へと通されたイワンは、軽い挨拶と共にソファーへと腰かけた。

 向かい合う相手の名をサイアム・ビスト。

 金融や製造といった基幹産業は無論のこと、流通からレジャー産業、果ては百貨店経営にまで及ぶ投資機関の地下水脈を有する恐るべき資産家にして、ビスト財団の創始者たる男だった。

 宇宙世紀改暦以前の生まれであり、逆算すれば八〇余の齢でありながら未だ溌溂として財団当主の地位に就いているのは、節制だけでは説明できない。

 冷凍睡眠技術を買い取り、自分自身を生かすことに執着したからこそ、老いてなお現役であることを天から許されている。

 

「……本日は何用で?」

「取り次いでいただいた通り、ビスト財団の保有している医療技術機関への投資と技術共有を……と言いたいところですが、目的は冷凍睡眠技術です」

 

 本当にそれだけなのか? と真偽を図っているのはイワンにも分かる。

 この老人(サイアム)が巨万という言葉すら生温い財を一代で築き、地球連邦政府の中枢にさえ働きかけられるだけのコネクションを有している栄華の()()を思えば、資産家の次期当主と言えど、軍籍とザビ家の繋がりを持った人間が単身乗り込むというのは警戒して然るべき事態だろう。しかし、イワンの言葉に嘘偽りはない以上、それ以上を察するなど土台無理な話だった。

 

「勿論それに見合う対価を提示し、研究成果については率先してお渡しすることを確約致します。こちらの成果をそちらの特許(パテント)として申請して頂いても構いません」

「……良かろう。但し、提携は医療技術()()とさせて貰う。それ以外のことは金輪際、()()()()()持ちかけぬ限り口を挟まぬこと。二度と敷居を跨がぬことを確約して貰いたい」

()()、それで()()()()

 

 この老人の隠し持っているものを、イワンは既にして知っている。そしてそれがムンゾ、引いてはザビ家にとって危険なものでない以上関わる理由は何処にもないし、好んで近づこうとも思わなかった。

 

「……そのお言葉、決して違わぬよう」

「一筆認めても構いません」

 

 言葉通り、宇宙世紀の時代にあってイワンはすぐさま万年筆を取り出してその場で契約書を綴り、ヨーク家の指輪印章で蝋印さえ押して次期当主としての正式な契約であることをその場で示した。サイアムも確認したが瑕疵は一切ない。

 法的拘束力も完璧である以上、問題ないなと複写を含め署名し、一部を秘書に保管させた。

 

「早速ですが契約に則り、サイド3首都(バンチ)の大学病院に最新の睡眠装置と各種備品、マニュアルを送っていただきたい。可及的かつ速やかに」

「どうやら、本気のようだ」

 

 ここにきてようやく、サイアムは裏一つないことを得心した。ムンゾの政変から間を置かず有力者が来たために必要以上に警戒したが、どうやら単に間が悪かっただけと見える。

 

“この様子を見るに、情報は伏せられているが身内の何者か……おそらくはヨーク家現当主か、ザビ家の誰かが予断を許さぬ状況に陥ったか”

 

 それが政争によるものか否かは重要ではない。契約書が記され、署名した手前必要以上の暴利を得ることは叶わないが、それでもやりようはあるとサイアムはその老獪さを隠しもせず笑みを作った。

 

「金額は契約通り一・五倍。輸送等諸経費もこちらが負担します」

「いいえ、無料で進呈しましょう。医療スタッフもお付けした上でね」

 

 ただより高いものはないというのは世の常だ。良いから契約に従えと睨むが、サイアムの決定は覆らない。

 

「私と当家から引き出せるものなど、かの財団からすれば高が知れております」

「ええ、()()貴方はそうでしょうな」

 

 だが、サイド3(ムンゾ)でのザビ家の天下は確実なものとなり、行く行くは宇宙移民(スペースノイド)の旗頭となるだけの下地が出来上がっている。

 そして、そのザビ家の腹心たるべき地位に既にイワンは就いているのだ。ここで恩を売っておけば、将来地球連邦に対して新たなカードを得る足掛かりになり得るやもしれぬし、そうでなくともこの情勢下、サイド3(ムンゾ)が真の独立を目指す際、軍備増強に勤しむことは間違いない。投資先の確保としては、十分すぎる繋がりを持てよう。

 

「先の発言を撤回しよう。医療のみと言わず、良い関係を築きたいものだな」

 

“現金なことだ”

 

 だが、良いだろう。資本家としてムンゾの利を啜りたいというのであれば好きにすればいいさと含み笑う。どの道、秘密裏に軍備拡張を行う上では何処かで出来た繋がりだ。財団とのパイプが出来たと思えば決して悪いものでもない。

 契約書を新たに作成し、署名を得た上で足早に去る。一秒さえ今は惜しいという思いを、イワンは隠しもしなかった。

 

 

     ◆

 

 

「……成程、こういう筋書きかぁ」

 

 冷凍睡眠技術を足がかりとして、地球連邦政府に対する恫喝として使用し続けた『ラプラスの箱』を有する男、サイアム・ビストとのパイプの確保。

 確かにキシリアを愛したイワンならば、どれだけ危険な相手であろうと直接出向いて交渉に乗り出してくれただろう。

 

「良き婚約者だな。麗しい愛だ」

「うわ、すっげぇムカつく」

 

 朗らかに語る上位者の顔面に右ストレートをぶち込みたくなったが、魂だけの自分に自由はないため、彼女は諦めざるを得なかった。

 

「キシリア・ザビは元より生まれる筈のなかった存在。魂の離れた空の器は、徐々に死を辿るしかない以上、時間的猶予は皆無に等しかったが……、やはり奴は優秀だな。ノータイムで正答に辿り着くとは」

 

 本来なら後遺症が遺って車椅子生活を送る程度には考えていたし、リスク承知でタイムアップを考慮してキシリアの時間を停止させるか否か選択する筈だったのだが、まさかノーミスクリアとは恐れ入った。

 

「私下手したら一生車椅子かベッドの上だったの!?」

「いいや、こちらにも最低限の慈悲はある。何よりすべきことをして貰っているのでな。然るべき仕事には、それに応じた対価を支払うのが私の流儀だ。不治の病程度は、感動の奇跡という形で救い、癒してやる筈だったとも」

 

 こいつの口から感動とか奇跡とか出ると一気に興ざめなので本当に止めて欲しい。というかだ。

 

「じゃあもういい加減帰っても良いわよね? 私、確かに原理主義者でIF物は原点ありきだけど、ザビ家の皆やイワン様が大切なのは噓じゃないもの」

 

 実際、ザビ家の皆は優しかったし、一緒に過ごす時間は楽しかった。

 どれだけ本来の流れと違うとは分かっていても、彼らの愛情が嘘でないというだけで温かかったし、何より彼女がイワンに歴史の修正を希ったのは、そうしなければならないからという思い、或いは自分の手でイワンを殺さなくてはならなくなるのではないかという恐怖からだったに過ぎない。

 より犠牲の少ない、ザビ家の皆やジオン公国が幸福な世界で良いというのなら、さっさとそれを伝えておいた方が良いだろう。

 

「そうは行かんよ。言っただろう、ここからが重要だと」

 

 ──キシリア・ザビ。彼女が悲劇のヒロインであってこそ。

 

「イワン・ヨークは、キシリア・ザビの代替以上の存在として覚醒する。何よりだ──失ってこそ成長するのは、この世界のお約束だろう?」

「……っ! あんた、いい加減に……っ、!?」

「良い怒りだ。お前もまた確かにイワンを愛していたのだな。なら、必要とされるまで眺めていると良い。相応しい出番が来た時、君とイワンの幸福を確約しよう」

 

 余計なお世話だと、そう言いたかったが声は出ない。

 嗚呼、そうだ。元より神や、それに類する超越者がなぜ人間の事情になど斟酌してくれると思うのか? 彼らはただ傲慢に、そして一方的に自分というものを押し通す。

 人がガラス越しに昆虫を観察し、死ねば悲しみもせず捨てるように埋めてしまうように、彼女やイワンも、この上位者にとってお気に入り以上のものではないのだ。だから。

 

“殴んのも、やり返すことも出来なくたって……!”

 

 お前なんかに頼らなくても、惚れた男ぐらい幸せにしてやると心に誓う。それだけが、彼女にできる最大の抵抗なのだから。

 

「成程。では、役目が終われば拍手と喝采の一つでも送るとしよう」

 

 幸多からんことをと大上段から告げた上位者に、彼女は舌を出して返答した。

 

 

     ◆

 

 

 ビスト財団創設者との直接交渉……ヨーク家の次期当主とは言え、資産家としては一歩劣る家でありながら必要とされるべきものを即座に得たその手腕は、ギレンのみならずザビ家にとっては、大恩と報いるべき手柄だろう。たとえそれが、婚約者として果たすべき当然の義務であったとしても。だが。

 

「……イワン」

 

 まだ居るつもりなのかと、ギレンは睡眠装置で眠るキシリアを見つめるイワンに声をかけたが、彼は頑なにその場を動こうとはしなかった。

 

「今日……、一日だけは」

「分かった」

 

 一日だけだぞと告げて、ギレンは踵を返した。

 無様なものだ、と思う。イワンでなくギレン自身がだ。

 

“常に、求めるべき時に応えてくれた相手だった”

 

 どれだけ齢が離れようと友として、良き理解者として共に歩んできたと思えていた。

 

“その、常に頼ってきた私がこれか”

 

 本当に傷ついているとき、どうしようもなくなった時に返すべきものを返せない。だが、それは当然だ。イワンが求めているのはあの闊達な妹の笑顔であり、声であり、温もりに他ならない。

 そして、それを求めるのはイワンだけではない。これから先、妹の温もりを懐かしみ、あの頃に戻れたならと希い続けない者は、ザビ家には誰一人としていないだろう。

権力の毒が廻りきったザビ家において、キシリア・ザビは異端中の異端だった。何処までも闊達で純粋で、悪ふざけも多かったかもしれないが、本当に辛いと感じた時、何時も家族の心の支えとなってくれていた優しい少女。

 ギレンでさえ、毒気を抜いて肩の荷を下ろしたのは一度や二度ではなかったほどだ。

 

“だが……もう”

 

 分かるのだ。理屈でなく、理解してしまったのだ。

 これから先も、キシリアは目覚めない。

 どうしてか静かに眠る妹を、ギレンはまるで息を引き取ってしまったようだと感じてしまった。きっと、それはおそらくイワンさえ──

 

 

     ◇

 

 

「……キシリア」

 

 何が行けなかった? 何を伝えたかった? 心の中に響くのは、常に最後の会話だった。

 

()()を続けちゃ駄目なの』『きっとこの方が()()()良い!』『それは素敵だけど、()()()ないの!』

 

 今ならまだ取り返しはつくと、進むなというその泣訴──それを今、イワンは脳髄に木霊させながら、こつ、と睡眠装置ごしに額を合わせた。

 

「──君は私に、()()()在れと言うのか?」

 

 だが、その正しさの……歴史の果てにキシリアは居ない。

 キシリア・ザビは、シャア・アズナブルを名乗るキャスバル・レム・ダイクンに殺される。だからこそイワンは、その可能性を徹頭徹尾排除する方向に動いていた。

 真実に気付かせず、政界の闇に触れさせ、引き離される筈だった母を救うことで、家族を守るよう誘導した。

 

『貴方ならできる、きっと上手く■■を……』

 

 あれは恐らく『歴史』と言いたかったのだろう。それを察せないほど、前後が分からないほどイワンは愚鈍ではなかった。だが──

 

『イワ……お願い、じゃなきゃ……貴方……』

 

「嗚呼──、そうか」

 

 イワンはまさに蒙を啓いた心地だった。

 

「君は、私が君の代わりに死ぬと──そう言いたかったのだな?」

 

 この時、ギレンは決してイワンを独りになどすべきではなかった。

 その泥のように濁った瞳を、乾いた笑みを、明らかに正気でない空気を感じ取っていたのならば、間違いなくイワンにとって必要な言葉を、想いを語りかけることが出来ていたことだろう。

 イワンは、自分自身を誤魔化しているに過ぎない。キシリアが本当に伝えたかったのは()()ではないと理解している。だが、それでも彼は自らを偽り、狂うことを選択した。

 

 何故ならイワンは、正しい歴史の果てに何があるかを知っていたから。

 

 その果てに、ザビ家は将来生まれる一人を除き、皆息絶えるのだという現実を受け入れることは決してできなかったから。キシリアだけではない。デギンを、ギレンを、ドズルを、ガルマを、そしてガイア達同胞の皆を、失いたくはないと望んでしまったから。

 そして──その為ならば──

 

「安心してくれ、キシリア──私は君の為、ザビ家と祖国の為に喜んで死のう」

 

 キシリアは言ってくれた。この方が()()()良いと、素敵だと語ってくれたんだ。ならば止まる理由はない。進み続けることに迷いはない。

 

「貴方ならできる? ああ、約束しよう。()()()上手くやって見せよう!」

 

 ただの勝利では決して足りない! ただの独立では決して届かない!

 より良き未来、より良き世界を! 君が望む以上の未来を、君とザビ家に、そして世界にもたらそう!

 

「──君の想いを、無駄にはしない」

 

 やがて目を覚ますその日、世界は変わっているだろう。

 

「祖国、ジオン公国の旗の下に────!!」

 




OLキシリア「違う、そうじゃない」

幼女戦記の存在Ⅹとかもそうですけど、上位の存在ってマジで性質悪いんやなって(虫の翅ちぎる子供見つつ)
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