ルビー2580さま、ご報告ありがとうございます!
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この国籍も綴りもあったものではない姓名が、
所謂、前世の記憶というものがイワンに目覚めたのは物心ついた三歳の時である。イワン自身の動揺を他所に、親族らが聡明かつ早熟な幼児に将来は安泰だと微笑む中、イワンは自分の置かれた立場を認識するのには時間がかからなかった。
“どうする……どうすればいい!?”
外側こそ幼児でも、中身は国立大学を出て学歴相応の企業に就職し、不幸にも四十路で病死した社会人であったイワンには、人気創作の世界に飛び込んだことへの歓喜など微塵もない。
なまじ数多くのフィクションの中でも特に愛着のある類であったために、知識が豊富であったことも焦燥と不安に拍車をかけるには十分だったのも理由にある。
いや、たとえ最低限の知識であったとしても、後々地球連邦との間に勃発する『一年戦争』が起こることを理解していれば、焦らぬ方が無理だろう。
だからこそイワンの決断は早かったし、幸いにして彼の生まれは
ヨーク家はサイド3で推進していた大手重工業企業の出資者であり、同時に身内には幾人もの役員まで存在していたし、何より現当主にしてイワンの父であるマクシムは、後にここサイド3の自治権を確立すべく連邦議会とさえ渡り合うジオン党の重鎮だ。
そう遠くない未来、地球連邦との戦争が避けられないことを知っていたイワンには、この生まれからして逃げるという選択肢はあり得ない。
ならば今後はどのように動くかで、道は大きく分けて三つある。
一、政界に踏み込むことで戦争回避に専念する。
二、企業の重鎮として君臨し、一年戦争という直接的な危機を回避する。
三、軍人として独立戦争を戦い抜く。
だが、一と二は無理だろうと早々に諦めた。指折り数えれば地球連邦との戦争が始まる一年戦争時、イワンは三五歳である。その程度の齢では政界に加わったところで青二才もいいところであるし、企業でどれだけ好成績を上げても出来る若手というだけだ。
生き残るだけならば苦労はないかもしれないが、ここから先、一年戦争によって生じる悲劇を回避したいという『欲』を傲慢にも抱いてしまったイワンには、軍人としての立身出世以外道はなかったと言える。
そして、方針が固まってからは早かった。
ジオン・ズム・ダイクンの掲げる
マクシムも、そしてダイクンの信奉者たる親族らもイワンの夢を応援し、イワンもまた並々ならぬ努力でもって幼少期を乗り越えた。
◇
かくして時間は冒頭へと戻る。
時は宇宙世紀〇〇六二年──地球連邦より自治権を得て独立したムンゾ自治共和国……後にジオン公国を名乗ることとなるサイド3を中心とした国家だが、未だに地球連邦の目は厳しかった。
地球連邦はサイド3の治安維持を名目とした軍の駐留を強制し、独自の兵器開発や諸研究すら禁止していたが、当然ムンゾも唯々諾々と従う訳ではなかった。
独立した軍備を有すべく各種重工業企業には軍需産業を担えるだけの下地を整えていたし、公安部門や要人警護等を担うムンゾ防衛隊を組織して軍事訓練を行い、更には将来ムンゾの盾となる軍士官を育成すべく、有望な若手を地球連邦軍の士官学校に送り込んでいた。
連邦側もそうしたムンゾの企ては感づいており、サイド3出身の入学者は好成績であっても多くが弾かれたが、それでも体面を保つために幾人かは枠に収まることができた。
“しかし、よくぞまぁ私のような出自が合格できたものだ”
週に一度の士官学校の休日にあって、イワンはそう内心学校内の図書室で苦笑した。士官学校ではコロニー出身者というだけで白眼視され、下級生にさえ陰口を零されたものだが、この程度で折れるようでは軍人などやれる筈もない。
「艦隊損耗率低下の為の航空機運用と……こちらは何かの冗談か、趣味の延長かね? イワン候補生」
「至って本気だとも、マ候補生」
分けるにしても露骨に過ぎるだろうと、背後からかかった声に首だけ振りむいて返す。
土気色の肌に細面の顔。将校の卵というより、大学教授の方が余程似合いそうな男の名はマ・クベ。
将来、ジオン公国軍きっての知略でもって一年戦争を戦い、戦死することとなるネームドたる彼とは士官学校での同期であり、イワンとは地球出身者を差し置いて首席の座を争う良き友にしてライバルでもある男だ。
「二〇世紀の戦い……それも有視界戦における航空戦や市街地戦が? 一体いつの時代の、何処の軍種だ? 宇宙軍士官候補生殿?」
「戦略や戦術に新旧はあるだろうが、要は使いようだろう。人類が宇宙に移ろうと、カンネーが研究され続けるように。それと、こちらが私の本命だ」
「冗談だと思いたいが……本気のようだな」
マ・クベからすれば理解に苦しむが、それでも表情を読み取れば理解できる程度に友諠は深い。だとしても、士官学校用だという論文をむざむざ連邦に提出するには余りに惜しいとも思う。
「私の目からしても、これは十二分に有用だ。高等士官学校用に取って置いてもいいと思うが?」
「君のお墨付きなら鼻が高いよ。だが、問題ない」
何故ならイワンは知っている。遠くない未来、レーダー技術をはじめとする現代戦の基礎は遺物となり、前時代的な戦いこそが真価を発揮するようになるのだということを。
「何よりこの出自だ。私に高等士官学校は無理だろうさ」
ジオン党における二大重鎮の片割れ、ザビ派の懐刀たる父と、ヨーク家の名は有名に過ぎる。
「私のような男を士官学校に入れることが、公平性を保つ連邦の喧伝となっていることは承知しているつもりだ」
ここから少尉として正式に任官しても、飛ばされるのは間違いなく僻地。経験など到底積みようがなく、実績もまた然りで高等士官学校への推薦など夢のまた夢だろう。
だからこそイワンは、マ・クベと違い悪目立ちもしてきた。輜重科を選択し、後方でも実績を重ねて有無を言わさず高等士官学校の門戸を叩かんとしているマ・クベと異なり、花形にして連邦軍が明らかに危険視するであろう航空士官を希望し、実技・座学双方でも他を嘲笑うように上に躍り出てやった。
「これが私にできる、連邦軍への唯一の反抗だ」
「ならば、私がイワンを顎で使える日が来る訳だな」
面白いと冗談でマ・クベは笑ったが、イワンにしてみればそれも悪くないと思っている。マ・クベが優秀であることに疑いようはないのであるし、何より良き友人だ。軍という上下関係が絶対視される世界であったとしても、それで友情が消える訳ではないのだから。
「ああ、君がそうした地位に就いてくれることを願うよ」
イワンの返しが、冗談でなく本気だと分かったのだろう。むず痒い気持ちを誤魔化すようにマ・クベが肩を竦めると、ここに立ち寄った本来の目的を告げる。
「運よく美術展の抽選券を得てね。イワンもどうだ?」
「喜んで」
いい気晴らしになりそうだと、有難くお誘いを受けることにした。
◇
「展示品は皆贋作か……詰まらんものだったな」
「ミュシャは一応真作だったろう?」
版画では感動も半減だよと肩を竦めるマ・クベに、そういうものかとイワンは感じた。イワンとしてはミュシャはお気に入りであったし、版画は版画で悪くないと思うのだが、マ・クベに言わせれば時代を肌で感じられないという。
「まぁ、退屈しのぎにはなったがな……イワンと違い、私は卒業後も地球に留まるだろうし、休暇中にでも各国を見て見識を深めるとするさ」
「本来の仕事を投げないでくれよ? 私と違い、君には将器があるのだから」
その言葉に、ぴたとマ・クベは足を止め、そして真っすぐにイワンの顔を見た。
「……将器というならば、イワン。お前こそがそうだった」
共に並び、切磋琢磨し、友諠を深め、負けぬと意気込んだ同期。
「初めて、このマが『勝ちたい』と望んだのがお前だったのだぞ?」
在学中の三年間、このような結末だけは考えないようにしてきた。否応なくやってくる、ドロップアウトという結末を、敢えて見て見ぬ振りしてきた。
ここから先も良き好敵手で在り続けるのだと、そう信じて疑っていなかったというのに……。
「……それが、このような幕引きか」
暫し、沈黙が流れた。イワンにしてみれば、マ・クベの告白は青天の霹靂にも等しかったというのが本音である。
イワンにとってマ・クベとは特別だった。マ・クベが将来大佐なり中将なりになるのだとしても、イワン自身はマ・クベの足元にも及ばないだろうと感じていた。どれだけ今が拮抗していたとしても、いつかはマ・クベが遥か高みに至るだろうと。
何故ならマ・クベはこの世界におけるネームドであり、イワンは名すら出てこない存在だ。
マ・クベは多くの人間に愛され、人気を博す人物だった。
そのマ・クベに認められていたという現実を、イワンはどう受け容れていいか分からない。感動もある。歓喜もある。だが、同時にこのような表情を友人にさせたことに対しての罪悪感も込み上げてきた。
“ああ、そうか。私は──”
結局、イワンは見るべきものを見ていなかった。
愛する家族を、故郷を救わんと決起した一方で、世界や『登場人物』を物語として俯瞰的に、自分とは違うのだという気持ちで捉えてしまっていた。
「マ……私は君を誤解していた」
だからこそ、謝罪の言葉を口にした。マ・クベが超然とした傑物に、将器を持つ人物になるのだとしても一人の人間であり、個であり、そして──イワンの友人なのだ。
「心のどこかで君に隔意を抱いていた──君のように、強く在れないと。及びもつかないと感じていた」
だから、言わなくてはならない。自分の望みを。イワンがしたいことを。
「私は、そんな君が友だということを誇りたい。君にそんな顔をさせただけの、男で在りたいと思っている──だから、幕引きにはなりえないさ」
競い合うことも、認め合うことも続いていく。何故ならイワンは軍人であり、戦友となってサイド3を、否、
「見ていてくれ。進級で差がついたとしても、勲功では後れを取らんさ」
「軍人としては、平時が続くことを願うべきではないかね?」
ああ、確かにそうだなと、この答えに満足したように笑ったマ・クベにイワンも釣られて軽く笑った。だが、それが叶わぬことだとイワンは
ここから先に待つのは地球連邦との戦いであり、どれだけ早く終わるとしても、終わらせるとしても、確実に血の雨が降り注ぐ戦禍が待っているということを。
そして、マ・クベもまた芸術の真贋を見極める以上の鑑定眼でもって、イワンの表情に隠された危機感を読み取った。その生まれ育ち故に、政界というものに否応なく関わる
「あるのだな──確信が」
「ああ。君にだからこそ言うが、そう遠くはない。少なくとも我々が生きている間には避けられないだろう」
そして、やるからには勝たなくてはならない。たとえそれがどれだけ困難で、同時に悪夢めいた現実になるとしても。
「そのための努力は、惜しまないつもりだ」
「当然だな。私達は軍人だ。ならば私も、そう遊んでもいられんか。見ているがいい、イワン。ムンゾでは私が将となる。誰よりも早く、そして若くな」
楽しみにしていると笑い、並びながら帰路を行く。
士官学校を卒業後、別々の道を行く二人はしかし一つの目的のため動く。
軍人であるが為の、目的のために。