※キャスバル(シャア)の一人称は、TV版6話や小説の独白では「俺」ですが、本作では「私」で統一しています(ザビ家の復讐等で歪まされていないので)
※2022/7/16誤字修正。
千雨魔改造応援団員さま、ご報告ありがとうございます!
キャスバル・レム・ダイクンによる独立戦争の正当性の保証と、ザビ家への権力移譲演説を終えた後、三々五々に立食式の祝賀会で歓談を交えていたが、純粋に楽しんでいる者は僅かであり、大半が名家や資産家、企業家や軍高官といった者たちとのコネ作りや調整に奔走する者たちである。
イワンもそこは例外ではなく、今後の戦争遂行の為の仲介役を買って出る他ないのだが、こういった席では誰と初めに会話するかという部分にも気を回さねばならない。
権威という点ではキャスバルこそ最も重要視すべき立ち位置だが、先の演説でキャスバル自身が述べた通り、最高権力者は祝賀会の主催者たるザビ家である。
懐刀として仕えてきたヨーク家がザビ家に拝謁の栄に浴さねば、後ろに控える者たちが滞る以上、できる限り早めに終わらせねばならないところだが、何事にも順序がある。
お目通りを願うのであれば、まずはダイクンの遺児たるキャスバルがデギン公王をはじめとした
その後、ギレンに仲介されつつキャスバルと歓談してから他の相手をするのが筋だろう。
とはいえ、この手のやり取りは儀礼的なものである以上、手早く終わるもの。
形式的な礼と挨拶をそこそこに切り上げ、ホスト役に回るべくイワンは意識を切り替えつつあったが、臣下としての礼を尽くして去ろうとしたイワンを、キャスバルは引き留めた。
「そう他人行儀になさらず。キシリア様と遊んでくださった頃のように、私人として接しては下さいませんか?」
「光栄です、キャスバル様」
短い返答だったが、キシリアという名が出た瞬間、その瞳が微かに揺れたのをキャスバルはしっかりと捉えていた。
この独立戦争こそ
それがたった一人の少女の名前だけで、こうも感情の色が見えてしまうことに、キャスバル自身驚かずにいられなかった。
遠目から入場する十字勲章組を見た時、キャスバルはそれがイワンだと気付けなかった。
顔立ちも名前も憶えていて、妹のアルテイシア同様、時折便りも送っていて……その文章は幼い頃の記憶そのままだと実感できていたから……だから、別人なのだと思ってしまった。
英雄として、将として一見非の打ちどころのない存在だと映る反面、その光彩の乏しい瞳や全身から滲み出る独特の寒気が、思い出の存在を黒いインクで塗り潰して覆い隠してしまっていたから。
けれど。こうして間近に見れば──目と目を合わせ、僅かにでも言葉を交わせばそうでなかったのだと気付く。
光の乏しい瞳も、何処か抑揚のない声も、全てはかけがえのない笑顔を失ってしまったからというだけで……。
“それさえ取り戻せれば、貴方は戻ってくれるのでしょうね”
あの、短くも温かかったザビ家での日々のように。どれだけ悪意の只中にあったとしても、愛した人たちの前では微笑み続けてくれたように。
「あの頃は、さぞ不自由をおかけしたことでしょう」
「いいえ。私邸に匿っていただいていた時の私は、何一つ不自由だとは感じませんでした」
ガルマという対等な友人を得て、本当の姉のように接してくれた女性に初恋を経験することも出来た。妹のアルテイシアも、母のアストライアも悪意に晒されることなく笑顔で過ごすことが出来ていた。
「その後の亡命生活も、悪いものではありませんでしたしね」
この場には居らず、今も母と共に匿ってくれた南欧の名家たるマス家の者達と過ごす妹を思い出して笑みを作る。我が身の危険も顧みず、迎え入れてくれたテアボロ・マスは私人として、何よりも養父として理想的な人物だった。
ザビ家の支援有ってのこととはいえ、連邦の長い手を考えれば決して安全とは言い難かったし、今日という日まで各地を転々としてきた苦労は筆舌に尽くしがたかったろうに、嫌な顔など一つせず、キャスバルの成長を見守り実の父以上に父として接し育ててくれた。
「……養父を、本当の父のように感じていたのはアルテイシアも同じです。母も、
早くに妻を亡くし、子に恵まれなかったテアボロだが、ダイクン家の亡命の中にあって偽りのこととはいえキャスバル達を迎えてから数年後、アストライアとは本物の夫婦のように仲睦まじくなり、アルテイシアも実の父のようにテアボロを慕っていることをイワンは便りで知っていた。
亡命という問題やダイクン家というしがらみさえなければ、きっと本物になって新しい家庭を築けただろうと思えたほどには。
「イワン殿に折り入って頼みが。養父も今後……」
「皆まで言わずとも、ザビ家もヨーク家も承知しております」
たとえこの祝賀会で権力を正式に移譲することを表明していたとしても、ダイクンの血族を狙う者たちは後を絶つまい。今後、首都たるズム・シティで過ごさねばならないとなればテアボロはお役御免となるが、家族を引き離すような悪趣味はザビ家にも、何よりイワン自身にもない。
「世間では多少の波風が立ちましょうが、ダイクンでなくマス家の名を名乗れば良いのです」
キャスバル・レム・ダイクンは、今日という日限りの名前であればいい。権力の移譲と共に下野の意思を世に示し、これからはエドワウ・マスという偽名を真実無二のものとしてしまえば、それで全てに片が付く。
「私は別れ際に居ませんでしたが、キシリアが言っていたのでしょう? 政治などやりたい者にやらせろ、と。私もその件には同感です」
ダイクンの血などなくとも世界は回る。小さく、温かな日常を世界として回したいのであれば、それが幸福だというのなら、それで良いのだ。
「キャスバル様──我が儘を許されるうちに、我が儘を言えるうちに、掴める幸せを掴むべきです」
テアボロと微笑む、アストライアを見たいと思うなら。美しく成長したアルテイシアの笑顔を生涯護りたいと思うなら。
「ご自身が幸せだと思える人生を歩める最善を、何より優先して模索なさい」
──私には得られずとも、貴方ならば得られる筈だと。
言い含める瞳に滲む、諦観の色。
“貴方は……変わっていなかった”
イワンという男は主義主張のために戦っているのではない。彼を突き動かすのはイデオロギーでなく、家族や親しい者たちへの愛であり、ただ一途に護りたいと想うが故に世界とさえ戦える。かつて、ザビ家の私邸でキシリアに微笑み、皆と笑い合ったあの頃と同じ。
キシリアが愛し、誇った男がそこに居て──だからこそ、一つだけ気に食わないところがある。
「諦めているのですか?」
イワンが完全に壊れてしまったのならば仕方のないことだろう。どうしようもない現実に折れ、歪み切ってしまったのならば諦めもつく。
だが、そうではない。イワンという男は確かに一度壊れ、狂ってしまった。けれど、そんな壊れ切った彼を支えてくれたザビ家が居た。どうしようもない程痛み、傷ついた心をここまで癒してくれていた。
こんな風に昔と同じ心で、微かに光の灯る眼差しで見つめてくれるほどに誰かに支えられ、想われておきながら、どうしてそんな顔をしているのかと、殴りたくなるような面持ちでキャスバルは告げる。
「私がイワン殿の立場ならば、キシリア様が逆のお立場になったならば、決してそんな風には言わなかった筈です」
いつか必ず、いずれ必ず目覚めると。再び笑い合い、抱きしめ合う日が来ることを信じ、その未来の為に今を突き進むことを惜しまなかった筈だとキャスバルは固く拳を握る。
「私はイワン殿とは違います。エドワウとして生きる中でも、キシリア様の為に医学を修めました。夢の中に揺蕩うキシリア様の為、医学博士としての研鑽を重ね続けて参りました。妹も、アルテイシアもキシリア様が眠ったと知り、同じく医師となりました」
才を活かし、努力を惜しまず、飛び級を重ねてここまで来たのは、偏に幼き日の恩人の笑顔を取り戻したいが為だった。
「イワン殿が諦めるのであれば、それも良いでしょう」
キシリアの傍には自分が寄り添う。もう二度と目覚めぬと諦めてしまうような男に奪われたままで居るほど、キャスバルは物分かりのいい男ではない。
だから、それを本当に嫌だと、悔しいと思うのなら──
「──させませんよ。キシリアは私のものです」
瞳に強く戻る感情の色。
キシリアの為に尽くすのは許そう。傍で目覚める為に手を尽くすというのなら、喜んで手を握ろう。だが、彼女の婚約者は自分だと。他の誰にもその役を譲ることはしないとイワンは断固とした口調で言い放つ。
“嗚呼、そうだ。一体何を弱気になっていたのか”
キシリアが眠った時、イワンは確かに諦めた。彼女が目覚めるのは全てが終わった時で、イワン自身が死と滅びの運命を肩代わりするしかないだろうと。
たとえジオンが勝利し、ザビ家が生存したとしても、キシリアが口にしようとした『歴史』という死神が自分を殺しに来るだろうと……。
“馬鹿げたことだった”
歴史だと? 死神だと? 嗚呼、全く下らない。これまでの腑抜け切った己を殴り殺してやりたくなった。
脳裏に今も鮮明に浮かぶキシリアの最後のやり取り。このままでは駄目だという泣訴を、しかし狂気で誤魔化すことなくイワンはようやく受け入れ、『それでも』と己を叱咤した。
連邦を下し、勝利を掴み、愛する者をこの腕に抱く。
その全てを強欲に、そして不遜に得てはならないと一体誰が告げたのだ?
運命にも、歴史にも、死神にさえ勝ってしまえば済むだけのこと。
信じた未来を目指して進む中、『自分自身』が報われてはどうして行けなかったのか。
犠牲となった多くへ後ろ暗くて?
これから流す血に耐え切れないから?
いいや、そんなものは言い訳だ。全て失敗して、失ってしまう時に諦め易いからというだけだ。
因果応報……全てが無に帰し追い詰められた時、我が身の業を振り返り、決して清廉潔白でなかったからと。ジオン・ズム・ダイクンを筆頭に多くの未来を己の望んだ未来の為に奪ったことへの報いと受け入れてしまえば、楽だったというだけに過ぎない。
“そうだ──呆れるほどに、簡単なことだったな”
何時かは訪れる終わりの物語。締め括られるピリオドは、大団円であるべきだ。
何処までも簡潔で明確で、そして単純なこと……どうしてそうした意識を持てなかったのかと自問自答するより早く、目の前の恋敵を改めて見つめる。
誰かに奪われてしまうという危機感。愛した女性が別の誰かと添い遂げてしまうという不安を、イワンは愚かにも欠いていた。
自分が消えるのだとしても、彼女が微笑んでくれればそれでいいと思いながら、同時に自分以外に相応しい相手は居ないだろうと傲慢な考えを抱き、そこに胡坐をかいてしまった。
キャスバルという恋敵が、自分を生命の危機とは別に追い詰めるであろう存在が現れたことで、ようやくイワンは本当に欲しいものを求めることが出来た。
奪わせない、認めない、死んでなるものか。彼女は自分だけのものだ。
そうした感情が、身勝手な男の我が儘だという自覚はある。だけど、簡単に諦められる程度の愛ならば、そもそもイワンはここまでしていなかっただろう。
足りていなかった最後の部分。絶望を前に壊れるのでなく、抗い挑もうとする気概。
構うものかと破滅を受け入れるのでなく、それでもと欲する未来へと進むべきだったという思いを教えてくれたキャスバルに、イワンは男として忠告する。
「本気で奪おうとするならば、私を殺してからにすべきです」
死んでから、などとは断じて言わない。最早括るべき腹は括った。将来如何なる敵が現れるとしても、自分が誰かの手にかかってやる気は毛頭ないし、間男が居ると知りながら、おめおめと愛する女性より先にくたばる間抜けはしない。
「勿論、不甲斐ない私めを焚きつける為のお言葉とは理解しておりますがね」
いいや、キャスバルが冗談で口にした訳でないことは、瞳を見れば嫌でも分かる。それでもこうして周囲に聞こえるよう口にしたのは、何かと後々面倒になるのは目に見えていたからというのもあるし、惚気も混じっていたのだろう。
キャスバルの方もそれが分かってか呆れたように笑いつつも、冗談だということを衆目に示すように肩を竦めて見せた。
しかし、冗談で済ませた会話だと理解していながら、キャスバルの胸裏には未だにキシリアの影があり、笑顔が離れてはくれなかった。
“──認めたくないものだな、若さ故の過ちというものは”
医師を志し、飛び級を経て医学博士となったのも。ダイクンの遺児としてここで演説したのも。そして、こうしてイワンと相対したのも、全てはそこにキシリア・ザビの影を求めていたから。
結局のところ、キャスバルという男は最後まで諦めていなかったのだ。眠り姫を起こす王子の役を。傍に微笑み、寄り添う役を欲していたから、ここまでのこのことやってきた。
冗談で済ませた筈の会話の後でさえ、イワンが見る影もなく落ちぶれてしまえば、もしくはキシリアより先に亡くなってしまえば、キシリアを求めて動くだろうという見境の無さを自覚できてしまうぐらいに。
“勿論、そんな日は来て欲しくないと思う自分も居るがな”
過ちは過ちだと理解している。心から愛する人と笑っていて欲しい。笑顔のままで生きて、そして眠って欲しいという願いはある。
男として、異性として相反する思いで、それが叶ってしまえば自分が欲した
“我ながら、難儀な事だ”
シャンパンと共に苦い諸々を飲み込みつつ意識を切り替える。
イワンは譲らないだろう。キシリアも──口惜しいが愛を貫いてしまうだろう。
だが、キシリアを看取って見せると豪語したイワンがそれを実現できる保証はない。
“貴方が言葉を違えた時に、私がキシリア様を支えられればそれで良い”
一年でも、半年でも、一瞬でも。心が自分に向いてくれれば報われる。
デアボロとアストライアが、偽りの関係でなく微笑み肩寄せ合うように。悲しみを埋めながら、笑顔で寄り添える時間をキャスバルが作れればそれで良い。
“だから、精々そうならないよう気を引き締めて生きて貰いたいものですね、イワン殿”
一年でも、半年でも。キシリアという少女が目覚めた後。続ける時間を延ばす為に生き続けろとキャスバルは笑う。
“そうでなければ、私が奪ってしまいますよ?”
それが嫌なら、死神の手から自分より上手く逃れ続けることです、と。口にするまでもない忠告を心中で漏らしながらキャスバルは目を細めた。
キャスバル坊や。母親の教育の甲斐あって人格は歪まなかったものの、亡き父の代わりとなった養父とイチャつく母をみて性癖は取り返しがつかないレベルで歪んだ模様。
※数週間後、サイド3の実家で家族と過ごす事になった、NTL(寝取り)属性開眼済キャスバル。
キャスバル「亡夫のベッドで再婚相手と同衾する妻、か……」
……もうこいつ色々と手遅れだわ。