千雨魔改造応援団員さま、三六号さま、ご報告ありがとうございます!
確定してしまった地球連邦との継戦……予想していなかった訳でも、準備を怠っていたという訳でもなかった。双肩にのしかかる責任という荷の重ささえ、イワンにしてみれば当然だと受け容れている。
「お早いご帰還でしたな、マ・クベ将軍」
「地球ですべき仕事は終えたのでな。何より、お前からの呼びつけだ」
それだけで迅速に動く理由に足ると言い切るマ・クベに面映ゆく思いつつも、善は急げとばかりイワンは用件を切り出す。
「将軍もご存じの通り、地球侵攻に際し宇宙攻撃軍麾下の新規軍、突撃機動軍が正式に発足することとなりました。マ・クベ将軍には、正式にこの新規軍の長となっていただきたいのです」
言いつつ、氏名欄が空白となった辞令書を作業机に置く。職人が手ずから
肉筆の書状というものは時代錯誤極まりないと思える反面、デジタルで構築された時勢では複製の手間も含めて、信頼度で言えば非常に高い。
最もこれ自体はジオン公国での貴族趣味が高じたものに過ぎず、辞令書に一筆入れた後はデジタル方面でもつつがなく登録される以上、あくまでも形式的な措置に過ぎない。
クリスタル製のガラスペンをイワンは手に取って受け取るよう勧めたが、しかしマ・クベは頭を振った。
「残念だが、私はその職責に能わんよ。突撃機動軍を率いるのは、イワン・ヨーク
聞き違えたか? とイワンは思わず口にしかけたが、間違いでないことを示すように、突撃機動軍司令官の辞令書の上にマ・クベはイワン・ヨークの中将任命書を重ねた。ご丁寧にも、マ・クベをはじめ複数将官が連名でサインを連ねた、非の打ちどころのない代物をだ。
「有能な人材を遊ばせておく理由は無かろう? 野戦任官故に任命式は行えんが、お前は本日付けで私と同階級となった訳だ」
もう敬語の必要もないぞ、とマ・クベが口端を吊り上げる。戦時下に限定して有能な人材を特例として昇進させる野戦任官制度は確かに公国軍にも存在していたが──戦後は任官前の階級に戻る──だとしてもイワンはルウムの戦功で二階級特進したばかりである。
この上、更に一階級上げるなどというのは如何なものかと思わずいられなかったし、野戦任官で昇進したところで、中将としてはマ・クベが先任だ。何より。
「……将官として、私が貴官に劣ることは承知しているだろう?」
イワン自身は己の実務能力というものを正確に把握していたし、軍政家としてのマ・クベは公国軍内でも五指どころか三指に入る傑物である。余人をもって代え難しという言葉通り、地球侵攻部隊全軍を差配し、他の軍機関や上位組織と連携を図る上でマ・クベ以上の適任は存在しないのだ。
「確かに将として、お前に劣るとは微塵も思っていないがな。能力だけで勤まる役職ではなかろう? 歯痒いが、私にはお前ほどの実績は無いのだよ」
マ・クベの言うことは正しい。MS計画を筆頭とした、ゲームチェンジャー足りえる新技術への着目と成功……それに伴う緒戦の大勝利は、イワンの地位をザビ家の懐刀たるヨーク家という出自を度外視しても不動のものとするには十分過ぎた。
「たとえ派閥の垣根があろうと、問答無用で我を通せる程度にはな」
「は……?」
頭の痛い問題だよと肩を竦めたマ・クベに対し、イワンは呆けたように声を発し、次いでみるみるその表情を青くさせた。血の気が引くとは、正にこのような様を言うのだろう。
「言っておくが、お前が聞き違えた訳ではないぞ? 親愛なる我が軍の武官共は、有意義な戦後を見据えた皮算用で各々の陣営を形成しつつある。反目し合うという程でないにせよ、新規軍に加わるか否かで揉める程度にはな」
「馬鹿な……公国軍の何処に、連邦軍のような利権抗争を行える余裕がある?」
制宙権の確保など、連邦軍によるコロニーへの大規模侵攻を阻止する上での絶対条件であったに過ぎない。
「我々は、防衛線を築いた程度に過ぎないのだぞ……?」
確かに連邦にとって宇宙軍の壊滅は痛手だろうし、ジオン公国は一週間戦争の勝利を利用すべく大々的に喧伝したが、短期決戦に失敗した以上、先の戦いでの価値はその一点に終始するものでしかない。
ただ、容易に殴られないようにしただけ。ジオン本国をはじめ、国土と民間人を傷つけさせない壁を整えただけなのに?
「そこを重々承知している者は少なからずいる。コンスコン提督をはじめ、そうした連中は静観に努めるか、或いは腹に隠しつつ探っている最中だな」
「……そうではない」
そうではないのだ。たとえ事態を見据えるだけの目と頭を持つ連中が居るのだとしても、そうした連中が何故一喝もせずにいるのかとイワンは腹に据えかねたし、マ・クベも尤もな怒りだと同意した。しかしだ。
「これは、お前自身の招いた結果でもある」
圧倒的なまでの国力差。挙国一致して尚辛勝を掴めるか否かという懊悩。
開戦に至るまで末端の兵士まで浸透していた連邦への恐怖は、余りに巨大な勝利によって塗り替えられた。他ならぬ、イワンの主導した数々の計画によってだ。
「そうせねば……勝てなかったに過ぎない」
「分かっているとも。それでもお前の名は大きくなり過ぎたし、誰もがその手腕を認めたからこそ出来たことも多い」
ソーラレイ・システムなど、その最たるものだろう。
スペースノイドの依って立つコロニーという揺り篭にして大地を、大型移動砲に改造するというのは勝利を希求する軍首脳部でさえ二の足を踏んだ。
本来、『コロニーレーザー』などという安直な名を戴く筈だった兵器……。
しかしそれをイワンはコロニーそのものを兵器とするのでなく、外観が工業用コロニーと酷似しているだけの、建設当初から移動砲としての使用を前提とした兵器に過ぎないとして、わざと『ソーラレイ・システム』という、ルナツーを焼いた兵器と近しい名を与えることで誤魔化してまで建設を強行することが出来たのは、偏に「あのイワン・ヨークがそこまで推すならば」という周囲の評価あってのものだ。
「予算、人材、準備期間という壁……一週間戦争までに勝利の布石を揃えることが出来た者がイワン・ヨーク以外に居たのなら、是非ご教授願いたいな」
仮にマ・クベが突撃機動軍の司令官を拝命し、その陰でイワンが研究機関等を動かすよう指示したとしても、間違いなくこれまでのように迅速に動くことはない。
互いの足を引くような露骨な真似までは流石にないとしても、マ・クベが命じたのでは鶴の一声とは決して行かなくなってしまうだろう。
公国軍内でイワンの顔色を窺わずいられる者など、それこそ両の指でも余るほどで、だからこそマ・クベもイワンを突撃機動軍の司令官に推した訳だが、対するイワンは「最悪極まる」と零す。
一時の技術的優位によって勝ち得たに過ぎない筈の状況程度で、兜の緒が緩み切っている現状を示され、頭を抱える他なかった。
「つまり……私が命じるしかないのだな……」
本当ならば地球侵攻の第一陣たる降下作戦に、イワンは先陣切って参戦するつもりでいた。
ニュータイプとしての能力、MSパイロットとしての技能を十全に活かしつつ、前線指揮官としてオデッサ攻略を盤石のものとするために周到に計画を進めていた筈が、ここにきて狂いが、よりにもよって内側の問題で生じてしまったことに臍を噛む。
“……思ったより早く弱点が露見したな”
イワン・ヨークの抱える将官としての資質と問題点。間近で見てきたが故に誰より熟知していたマ・クベは内心息を吐く。
確かにイワンは将としての能力には不足ない反面、歴史に名を残す傑物という類では決してない。イワンが特別足り得ているのは、その先見の明と徹底した準備にあることはアンリ・シュレッサー少将によって過去に語られた通りだが、逆に弱点というものがあるとすれば、それは正しく
イワンは過去、自らを『駒』と定義してきたし、実際に『駒』として動いてもきた。
だが、そうした言動に反してイワンは全ての物事を『駒』としてでなく、
ジオン・ダイクンの暗殺と政争。暁の蜂起での裏からの立ち回り。そして、MS計画……。
自分を『駒』として、尖兵として動かしておきながら、同時に周囲をも
ザビ家の後ろ盾に加え、自らが整えた親衛隊やサスロ機関という意のままに動かすことができた人材を保持してきたために、これまでは遺漏なく事態を進展させることはできていた。
しかし、今後は外敵のみならず、自らの思惑から外れて動く連中にも対応しなければならなくなったことはイワンにとって紛うことなき痛恨事であることだろう。
当たり前だが、現実の戦争はゲームのようには決して行かない。自陣営だからと言ってプレイヤーの思うがまま、全ての人材が能力に比例して万全の状態で動くことなど有り得ないのは当然として、思惑から外れた行動とて当然取る。
自分を含めたあらゆる人材を適材適所に配置することが叶わなくなったこと。政治的対応を迫られること自体は軍組織であれば殊更珍しいことでないのだろう。
だが、それが常態化している連邦であればハンディキャップにすら値しないのだとしても、イワンが属しているのは圧倒的に国力が不足しているジオンという陣営だ。
徹底的な準備と万全の布陣を以て臨むことで、連邦という強大な敵に備えてきたイワンからすれば、今後同様の措置を取れないことは、両目を潰された状態で戦えと言われているようなものに違いない。
“全体を見据えることのできる思考と、実際に周囲を動かすことのできた状況。その二つが嚙み合ってきたからこそ、イワンという男は特別足り得た訳だが……それを取り払われた途端にこれとはな”
思考が行き詰まっているのだろう。眉間に皺寄せつつ長考に入ったイワンを見据えつつマ・クベは黙して分析に徹していた。
これが平時なら内心右往左往している同期の友人をからかうところであるが、今は戦時であるし猶予もない。決めるべきところで決めて貰わねば、マ・クベとしても困る。
予想外の事態に直面した際、如何に対応し現状を克服し得るかは将にとって不可欠な資質であり、安易に手を貸しては伸びるものも伸びはしないのだから。
「相分かった……突撃機動軍の司令官は私が勤める」
苦虫を嚙み潰したように告げたイワンだが、他に選択肢がないという諦念からでなく、より厳しい戦いになろうとも、勝ちに行くという気概で以って発したのはマ・クベとしても頼もしい限りである。
「だが、そうなれば貴官には私に代わってオデッサを攻略して貰わねばならない。勿論貴官程の男を捨て石にするつもりはないし、全て整えた上で送るが、危険がないと言えば嘘になるのでな」
何より、そこから続く言葉も良い。戦略上必須たる資源の確保となれば、官僚気質のマ・クベでなく他の人材を充てることを普通は考えただろうが、こと公国軍において最も地球というものに精通した己を選んだことは、友としての私情を挟んでのことではないのは、声音一つで手に取るように分かった。
「承ろう。何、攻勢に動く以上危険は織り込み済みだ」
連邦とて鉱山資源を抱えるオデッサを、ジオンに奪われることの危険性は熟知していることだろう。この降下作戦がかつてない程の激戦に見舞われるのは確定と見るべきだが、マ・クベは案ずるなと言わんばかりに不敵な笑みを作って見せる。
「吉報を待て。ジオンが一〇年は戦える資源を確保してやる」
◇
“こんな形で歯車が狂うことになるとはな……”
油断も慢心も決してなかった。自らの予想を上回る事態には、いつか出くわすだろうと覚悟もしていた。しかし、マ・クベの語った派閥争いという不測の事態は、それによって後方に残されることが確定したイワンにとって、頭部を金槌で殴られたに等しい衝撃だった。
“我も人、彼も人……そんなことは分かっていた筈だったのだがな”
既に情勢が異なっているとはいえ、ジオン公国の敗北という正史の未来を知るイワンと、連邦の強大さを頭で理解しつつも、勝利によって感覚を麻痺させつつある公国軍との意識の差。
しかし、思えばそれも当然のことで、本来ルウム戦役で疲弊していた筈の正史ですら、地球降下後には地球の三分の二を征服するに至った程の成果を上げたのだ。
向かうところ敵のない、不敗の軍勢と驕ったところで不思議はないし、勢いづいているからこそ楽観主義も蔓延ろうというものである。
“だが、追い風に乗って快調で居続けた時ほど、逆風を受けた時が恐ろしいものだ”
ここで派閥などというものが出来ることは望ましくないし、戦後もまた然りである。
公国軍を連邦のような政争に明け暮れる伏魔殿や、旧日本軍の陸海軍に見られたような対立構造を作ることも避けねばならない。
“その為の命令系統の一本化であった筈なのだがな……”
かつてシーマに語った通り、突撃機動軍はあくまで宇宙攻撃軍の隷下にあることを、イワンは明言してきたつもりだった。転籍は必要に応じて行われるし、何であれば親衛隊からさえ引き抜くことを前提とした運用を行う予定であったのだが、そうした考えは楽観が過ぎたらしいとイワンは悔やむ。
人は誰しもが透徹している訳でも、機械のように無感情で物事の軽重を計れる訳でもない。
地球侵攻に加われるか否か。どの戦域を担うかが武人としての軽重を問われているという誤解。
或いはここにきて中央を任されることが、国家の枢要たる地位を揺るぎないものにするだろうという誤解。
打算に塗れた憶測と、それとは別に純粋に軍人として、武人としてどの上官の下に付きたいかという個々人の想い。
人それぞれ考えは異なれど、それによって各々が違う方向を向いてしまっているという現実は、知れば知るほどに当惑と苛立ちが募っていったが、そこで怒鳴り散らすようでは将としての気質が疑われる。
改めて公国の勝利という至上目的に意を束ね、派閥を構成する中心人物たちとも会合を重ねつつ、我々が一つの公国であるという意識改革に尽力せねばならないのだ。
「だが──こうなることは分かっていた筈だろう?」
そうだ……イワン・ヨークは覚悟
戦争は続く。戦いは終わらない。地球連邦との講和交渉は確実に破綻するだろうことを予期
「忠告した筈だ。犠牲を容認しろと」
たとえ無辜の民であろうとも、躊躇すべきではないと。未来の為の礎と心すべきだと。
「
マスドライバーを兵器転用しての、連邦政府首都、中央議会を標的としたピンポイント攻撃。
どちらもお前は近隣都市や民間人の被害を理由に反対し、それに代わる制宙権の確保と他サイドとの同盟を提案したな」
その結果がこれだ。短期決戦で得られたであろう勝利をその手から逃し、ばかりか公国軍は連邦軍とは違うと誤認した。人の腹など大差ないということも弁えず、味方は愚かでないと無責任な期待を抱き、派閥を作る土壌さえ与えてしまった。
「軍事的大勝など、さして重要ではない。真に求めるべきは戦争の終結であり、独立の達成であるべきだった」
言い分はあるか? とギレン・ザビは視線だけで問うが、対するイワンは俯いたままだった。
「……そうだろうよ、お前の口から『真実』など語れる筈もあるまい」
だからこそ、ギレンは
あの日から時を止め続けた少女……イワンが生涯愛すると誓った婚約者の元へ。
「キシリアが眠った日からお前は変わった」
強く? 怜悧に? 妥協なく? 否。
「弱く、脆く、愚かになった」
イワン・ヨークはこのような男では決してなかった。ギレン・ザビの傍に侍り、彼の理想を実現させることに躊躇はなく、人類の存続と公国の勝利の為ならば、それが必要とされるなら如何な犠牲さえ容認できた筈だった。
「お前は狂った訳でも、壊れた訳でもない」
傷つき、打ちのめされたのは事実だろう。狂う程の凶念に支配されていたのも事実だろう。
だが、その根底にあったものは何だ?
失われたものを、眠るキシリアを見て、イワン・ヨークは何を望んだ?
「父の言葉を私は今も覚えている」
報いというあの言葉……国家の為の犠牲を容認したが為に、愛する家族が眠ってしまったのではという馬鹿馬鹿しい妄想。それを耳にした時の、イワンのあの表情もまた同じく。
「父とは違えど、お前もまた自らの行いを疑問視した」
今のままでは駄目だと、もっと別の、キシリアが心から笑えるだろう未来を求めた結果が今の筈だ。
「ああ、気持ちは分かるとも。キシリアが私の計画を知れば、正面から叱り飛ばしただろう」
愛するが故に非道を怒鳴り、否定し、そして諭して違う道を模索するよう説得したことだろう。
尤も、だからこそイワンもギレンも上手くやるつもりでいた筈だった。
全てを巧妙に仕掛け、仕組み、そうすることが最も正しい選択だったと思わせることは出来た筈だ。
「──それでも、キシリアは否定したでしょう」
ようやく出た言葉。静かに漏れたそれは、嗚咽にも似た響きだった。
ダイクンを謀殺した時のように、万事抜かりなくとは決して行かない。
コロニー落としもマスドライバー攻撃も、周辺被害だけは決して避けられない。
ダイクンの一派は国を亡ぼしかねないという免罪符があった。彼らは政界という伏魔殿の世界に自ら踏み込んできた者達であり、覚悟の有無はさておき国民の未来を背負うために、自身の命を天秤に載せることを覚悟せねばならない職責を負う者達だった。
だが、戦争に巻き込まれる者たちにそんな責任などありはしない。
敵対する側に生まれたというだけ。豊かさを享受し得る側に立っていたというだけで在り、そこに負うべき責任など在りはしない。
戦争という最大級の暴力の中で、理不尽に巻き込まれることは当然あるだろう。
どうしようもない不運に見舞われてしまうことは、決して避け得ないのだろう。
それでも、意図せず巻き込まれてしまうことと、巻き込むことを前提としてしまうのでは全く違う。
お前達の犠牲には意味があった?
素晴らしい未来を後の世にもたらす?
奪われた側にしてみれば、犠牲となった側にしてみれば、そんなものに一片の価値もありはしない。
どれだけ輝かしい明日が後の世界に続くとしても、それを享受することが出来なければ「どうして自分が」という怨嗟と絶望以外、一体何が残るというのか?
「だが、遠くない未来で、その犠牲が何倍にも膨れ上がるだろうという結末を理解しなかった訳でもあるまい」
巻き込まれる命を事前に織り込むか否か。そんなことを考えること自体、傲慢なのかもしれない。
だが、政治を行うというのはそういうことだ。人の命を数字として見定め、より多くの幸福を保証することこそ未来を担う側の責任であった筈だ。
「一〇〇人か? 一〇〇〇人か? どれだけ多くともそれが後の犠牲者を上回ることは決してなかっただろうにな」
そんなことは、言われずとも分かっていた。理解していた筈だというギレンの言葉は、何処までも正しい指摘だからこそイワンはそれを耐えるしかなく──
「──そして、私もまた同罪だ」
だからこそ、その言葉にイワンは耳を疑った。悪罵を耐えねばならないとは承知していた。ギレン・ザビの描く構想に従ってさえいれば、決してこのようにはならなかっただろうという自覚もあったから。
「止めようと思えば、お前を止められた」
愚かだと。間違っていると。青臭い理想論や無責任な善意という感情に流されることは許されないと叱責し、全ての権限を剥奪し、強引にことを運ぶことなど幾らでもできた筈だった。だが、結局ギレンは静観したのだ。
「……お前に、過ちを認めさせる為ではない。私もまた、
未だ眠り続けるキシリアを僅かに一瞥すると、カツカツと苛立ちを顕わにするように杖を床に打ち付け続ける。
イワンのことなど言えた立場ではない。ギレンもまたキシリアは叱り、止めるだろうという確信から自らの罪と向き合い、その覇道の果てにある人類の存続と管理による繁栄の道を閉ざしてしまった。
私人として、個人として抱くべき良識は、公人においては怠惰と無責任に他ならない。
「それでも……お前の道に勝利があるのなら、それに賭けても良いと思った」
もしもイワンが、その正しさの果てに掴める未来があるのなら。
明確な勝利の道が続いているというのなら、多少の回り道程度は許す気でいた。
「だが、そんなものはないのであろう?」
だからこそ、こうして苦労を重ねている。おそらく……いいや確実にイワンが必勝を確約できたのは制宙権を確保した時までのことだろう。
本来ならばそこでマスドライバーなりコロニーなりを使用するか、使用を前提とした恫喝を行うことで講和交渉に踏み込むつもりだった筈だ。
国際法の効力が喪失している状況……原則罪には問われずに済む状況下でそれを行えば、連邦政府の戦意は完全に喪失し得たのだから。
“恫喝さえ行わなかったのは、連邦が
『民間人を犠牲とした』と。それを連邦の口から言われてしまえば、ジオンの大義と正義は喪失こそせずとも価値が薄れる。正義はあくまでもジオン公国にこそあり、連邦こそを倒すべき存在であると喧伝するには、恫喝目的であっても行うことはできなかったのは当然だろう。
ましてや、地球連邦とサイド連合の勢力均衡を保つとなれば、下手に連邦の国力を削る訳にも行かなかった。連邦が戦後を、未来を見据えつつ自棄に走らぬようコントロールするには、あそこで手打ちにするのが正当ではあったのだ。
“尤も、そうした目論見の全ては地球連邦の継戦という選択によってご破算になったが”
まだ戦える。巻き返しが利くだけの国力を残してしまったが為に、敵は戦うことを選択してしまった。
「私もお前も共に等しく間違えた」
……もう、いいだろう。
我々が勝ち方に拘れるほどの余裕はないことは、これではっきりした筈だ。
「だが、それもここまでだ」
私人としての善良さが、多くの自国民を破滅の断崖に誘導する。かつてのジオン・ズム・ダイクンが無意識であれ無責任に行おうとした
「だからこそ、お前をここに呼んだのだ」
もう二度と、惑わされることのないように。
私人としての価値観で、道を誤ることのないように。
救うべきものと、切り捨てるもの。
護るべきものと、手放すべきもの。
優先すべきこと。正義の二文字に拘泥するのでなく、現実的な守護者として為すべきことは考えるまでもなく明瞭だった。
“そうだ……今の自分はジオンの武官であり、国家の防人の筈なのだから”
軍人とは、政治家とは自国民の為にこそ動くものであって、
「イワン──我々が求めていたのは、キシリアの
いいや、違う……本当に、何よりも優先すべきなのは──
「──キシリアの
その通りだとギレンは首肯する。忘れてはならない。芯を揺るがせてはならない。
我々は公国国民の為、愛する者の世界を守る為に戦っているのだということを。
「ならば、ここで誓え──
眠り続ける少女の未来の為に。どれだけの汚泥をかき分けてでも、憎悪と怨嗟を浴びるとしても、非道、外道の類であろうとも勝てさえすれば。
この、戦争という悪意の夜を越えることさえできるなら、高望みなど──……
「──それじゃあ、誰がこんな世界を
──その声に、時が止まった。